闇を統べる者

吉岡我龍

綻び -即位の行方-

 無理矢理戴冠式と即位の儀が執り行われる前日、ナジュナメジナは軽い溜息と共に心を躍らせていた。
《いや~私達も遂に西の大陸へ手を伸ばす時が来たか~!この地は『ジョーロン』の大商人が牛耳っていたから採算が取れないと諦めていたが・・・こうなったらとことん搾り取ってやるぞ!》
《いつも言っているが耳元で騒ぐな。全く・・・それにまだ何も始まっていないのだ。お前の言動は油断大敵とか捕らぬ狸の皮算用というやつではないのか?》
いつもは飄々として好き勝手に行動している彼にだけは言われたくない。心の中でナジュナメジナはそう思いつつ、確かにまだどこに手を付けるかさえ決まっていないのだ。
そう考えると反論するのは後回しにしてまずは未来の展開図を考えるべきだろう。
《気候から考えると亜麻か?人口も少なそうだし絹は手間もかかるからな・・・山岳地帯も気になる所だがはてさて・・・。》
《おいおい。現在の『ラムハット』の状況を分かっているのか?食うにも困るほど困窮しているんだ。まずはそこから解消せねば話にならんぞ?》
事業の事ばかり考えているとまたも正論をぶつけられて言葉を失った。確かに国土はそれなりにあるようだがまずは最低限の生活基盤を整える必要もある。
《そこは国家の仕事だろう?我々はあくまで事業者なのだから雇用や収益を考え、それらを国民に還元出来るよう動くべきではないか?》
言われっぱなしでは癪なのでこちらも実業家らしい論理をぶつけると今度はア=レイの方が納得したのか軽い唸り声を上げていた。

《・・・確かに一理ある。だが優先順位はまず安定した生活のはずだ。私はロークスの都市長としてそう感じたのだが実業家様はどう思われるかね?衣食住なくして仕事は成り立たんし、仕事は衣食住の為に行うのだからな。》

《ちっ!全く、お前という奴は無駄な知識ばかり身に着けよって!!ああそうだ!!しかし現実問題我らが出来る事といえば多少金を出す程度だぞ?》
何故ならこの地は海を隔てて最西の地なので金ですら運搬してくるのに相当な労力が掛かるのだ。そう考えると投資する金額にも限度がある。
と、ナジュナメジナは考えるが体の主導権を握るア=レイは興味が湧けば採算度外視でまたも資産を削りそうだ。
《なぁに、心配するな。私も今回無理をするつもりはないんだ。》
《ほう?あれ程浮ついていたのにいきなりどうした?》
ここで深く突っ込まなかったのはナジュナメジナ自身も内心とても楽しみにしていたからなのだがア=レイはまた別の事情からそう告げたらしい。

《恐らくこの国はもう保たんよ。》

《・・・それは王族の争いか?》
現在第三王女のルサナという少女の決起にクレイス王子やイルフォシア王女といった早々たる面々が呼応し、隣国『ジョーロン』も後ろ盾になってくれている。
これほど強固な布陣を敷けているのだから特に心配していなかったナジュナメジナは心の中で不思議そうに小首を傾げていた。
《ああ。ここに黒威の武器があった事にも驚いたがツミアという存在に誰も疑いを持っていないのが不味い。》
《???第三王女だろう?》
彼女の立ち居振る舞いは自身も体の中からずっと見て来たので疑いようがない。むしろ彼女の何を疑えと言うのか。
《・・・まぁいつかはばわかる事だ。そう考えると少しわくわくしてくるな。一体どのような歌劇が演出されるのだろう。》
彼の言い方だとまるでツミアを疑わなければならない理由があるみたいでこちらはもやもやする。
一体なんだ?何か見落としているのか?
しかしこれまでの重要な話し合いには全て参加してきたし情報の共有もしっかり行われている。その中に彼女を疑う余地などどこにもなかったはずだ。
《お、おい。彼女の何を疑えばいいんだ?ちょっとだけ教えてくれないか?》
疲れを知らない精神体になった為睡眠を必要としないナジュナメジナだが今回ばかりはそれが仇となった。

結局一睡もしないまま今までの場面を何度も何度も思い返したが特に怪しむ挙動を発見出来ず、朝から賑やかな音楽が城内に響き始めるといよいよ戴冠式が迫って来るのだった。





 思えばこの時が一番平穏だったかもしれない。
オンフは2日間だけ頼もしくも可愛らしい護衛と同じ食卓で朝食を頂く。本来なら身分的にあり得ないがルサナはちょっとの味で毒の有無を見分けられるのだ。
更にその戦闘能力も高いらしく、もし『ラムハット』城内の衛兵全てが襲い掛かって来ても返り討ちにすると豪語している。
実際西の大陸にまでその名を轟かせる『トリスト』の第二王女が信頼を置いているのだからこれは信用してもいい。いや、むしろ城内に居る誰よりも信用出来るというのが本当の所だ。

4年前、国王と王妃の食事に毒を盛られ、以降は体調を回復させる事に集中していたせいで自身の権力など形骸化していた。

周囲には最後まで自分を助けようとしてくれた者のみを置いていたつもりがあれ以降も弱毒を盛られ続けていたとなればもう何を信じればいいのかわからない。
そこにツァラーが頼りになる人物達を率いて戻って来たのだから後は全てを委ねよう。王妃は間違いなくそう思っていた。
「・・・そういえばあの少年、いえ、青年は3年前『ジョーロン』国内で起きた反乱軍の首魁を討ち取ったクレイス様なのよね?」
「あ、はい!その時の事は私も人伝でしか聞いていないのですが間違いありません!ただクレイス様ってば当時から無茶をされるようでその時も瀕死の重傷だったとイルフォシアが言っていました。」
「そう。人は見かけによらないものね。」
彼は見目麗しく、どちらかというと文化的な雰囲気を漂わせているがルサナの話だと命の重さを理解していないまま強者に挑む事が多々あるらしい。
しかしそのお蔭で『ラムハット』の誰もが突き止める事の出来なかった国王の状態を掴んだのも彼なのだからそういった姿勢に救われている人々がいるのは確かだろう。

食後もルサナと楽しくおしゃべりしていると時間はあっという間に過ぎていたようだ。

彼女曰く大実業家のナジュナメジナや一風変わった商人ウォダーフの働きによりほぼ1日でほとんどの権力がツァラーに掌握されつつあるという。
「・・・では私達もそろそろ向かいましょうか。」
「はい!」
玉座の間で万事準備が整ったという報せを受けたオンフはルサナに促すと車輪の付いた椅子を押してもらって会場へ向かう。
そして数年ぶりに足を踏み入れるとそこは既に自分の知る世界ではないと改めて痛感しながら、もうすぐ姿を現すであろう娘の晴れ姿に不安を抱きつつその時を静かに待つのだった。







この即位に反対する人物は2人いた。それが長女アハワーツと次女サニアだ。
ほぼ一日で自分達の派閥が瓦解したとも知らず、最初こそ鼻で笑っていたが当日になると城外では国民がその姿を一目拝もうと集まってきており城内でもほとんどの人物が儀式を前向きに捉えていたのだ。
唐突に梯子を外された事への憤慨と恥辱は耐え難いものであったがそれは姉も同じ思いだろう。
後には引けないサニアも覚悟を決めてその場に姿を現し、まずは昨日まで確かに掌握していた数々の臣下達を睨みつける。
「キヤーナ。これは一体どういう事かしら?」
その中で最も権力を持つ宰相キヤーナの姿を捉えると速足で近づき問い詰めるが彼の表情からはこちらを卑下するような感情が読み取れた。
「どうもこうもありません。国王ハーデム様の遺言を受けて我々は『ラムハット』に新しい王を迎え入れる、ただそれだけです。」
「書状は?」
「ありません。」
全く話にならない。確かに生前そのような事を口にしていたのを何度か目撃していたし周囲にも吹聴していたようだがそもそも彼女がツァラーであるはずがないのだ。



何故なら妹は既に長女アハワーツの手によって始末されている事を知っていたから。



雰囲気や見た目こそ似てはいるが奴は決してツァラーではない。一体誰がこんな茶番を仕掛けて来たというのだ。
(・・・やっぱり『ジョーロン』かしら。侵攻の報復と考えれば妥当よね。)
思い当たる原因があるとすればそれしかないが、あれはこちらが大敗北を喫したのと戦後処理もきちんと行った。求められはしなかったが謝罪の意を込めていくらか上納し、不可侵条約も締結した所で終わっていた筈だ。
とすると誰だ?誰が『ラムハット』を手中に収めようと暗躍している?ナジュナメジナか?鳥の顔をしたウォダーフか?それともやはり隣国のキールガリか?
考えても答えに辿り着く事は無く、アハワーツも狐につままれたような様子だったが儀式が始まるとまずはいくら探しても見つからなかった父が愛用していた黒い槍に国王の衣装、そして遺骨が運び込まれてきた事でサニアも背筋に自身の終わりを感じ始めた。





 それらの遺品にも驚いたがまず妙に器量の良い少年が東の大陸にある小国『アデルハイド』の王子だという事実に周囲からも感嘆の声が漏れる。
そんな彼が国王を発見したらしく、接触時の詳細を詳しく説明した後、離れた場所で見守っていたというウォダーフにノーヴァラットも証人として頷く。
他国とはいえ自身と同じ身分の者の発言に口を挟む訳にもいかず、八方塞がりを肌身で感じていたサニアは黙ってその様子を見守る事しか出来なかったがここで先に姉が動いた。

「ちょっとお待ちになって。」

どうやら彼女はまだ諦めていないらしい。ツァラーが偽物である以上、それさえ証明出来ればいくらでも覆せると思っているのか姉はまず別の視点から切り込んでいく。
「そちらの御方、クレイス様と仰いましたか。貴方は本当に王族なのでしょうか?何故最初は身分を偽っておられたのですか?」
確かにその通りだが、それを知っていれば初日に監獄へ送り込むような事もしなかったのに・・・と、思い出してより自分達が窮地に追い込まれていくのを理解してしまう。
いくら身分を偽っていたとはいえ彼が本当の王族ならばとんでもない仕打ちをしでかしていた。これだけで国際問題へと発展しかねないのに姉は何故そこを問い質そうとしたのか。

「ご安心下さい。彼は間違いなく『アデルハイド』の王子で現在は『トリスト』の将軍位にも就いておられます。ちなみにイルフォシア様はその『トリスト』の第二王女であらせられますので以降は念頭に置いて言動するようお願い致します。」

更にナジュナメジナの説明によりいつの間にか蒼い衣装に着替えていた少女も自分達と同じ王族だという事が判明する。であれば彼らの入国は最初から侵略目的だったのだと問い詰めれられないだろうか?
「彼らとはご縁がありましたので今回は無理を承知で御力を貸して頂きました。私と私の持つ全てを捧げるというお約束で。」
ところがツミアと呼ばれる少女が先手を打って来た事でアハワーツもその線で責め立てるのは諦めたらしい。だが絶対にこの即位を許す訳にはいかない。
(何が私の持つ全てよ。お前がツァラーじゃない事はわかってるんだから、あとはその糸口さえつかめれば・・・)
焦りばかりが生まれて碌に口を挟めなかった為か、アハワーツが凄い剣幕で睨んでくるがツァラーらしき人物の立ち居振る舞いは完璧なのだ。
『ラムハット』の作法は全てこなしているし跪いて王冠を乗せてもらう所もかつて見た父の姿と合致する程美しい。

気が付けば儀式はあっという間に終わり、露台に姿を見せた若き新女王は民衆の前に姿を現すと軽く手を上げてその声援に応えていた。



その後はすぐに祝宴へ移行するとサニアもここで覚悟を決める。
「おめでとうツァラー。」
それはアハワーツも同じ気持ちだったのだろう。3姉妹が揃って立食の場に顔を合わせると偽物も薄く微笑んでいた。
「ありがとうございます。これで『ラムハット』にも平穏が訪れるでしょう。」
自分達の行いにある程度理解があった2人はこれを宣戦布告の嫌味だと受け取るのと対照に周囲はその発言を前向きに捉えて大いに盛り上がる。
そのせいでお前は偽物だと言ってやりたいくらいには憤慨したが今はそれだけの証拠がない。仕方なくサニアが黙認しているとアハワーツは搦め手を展開し始めた。

「こうやって3人で食事するのも久しぶりね。そういえばツァラー、あなたの紋章を久しく見ていないんだけど。今手元にある?」

彼女の言う物は王族一人一人に与えられている国紋と個人がわかる紋章が入った首飾りの事である。
偽物であれば絶対に持っていないだろうし、何より本人の真贋を確かめる絶好の機会だ。姉の意図を汲んで自身も首飾りを外すと手の平で見せ合いながらツァラーにも促す。
しかし彼女は一切行動を起こさない。それもそのはずだ。何故なら奴は偽者で首飾りなどを持っているはずがないのだから。
これで正体を暴ける。

「お待たせ致しました。こちらがツァラー様の首飾りでございます。」

そう思っていた次の瞬間、宰相のキヤーナが駆け寄ってくると小さな宝石箱を開けて見せた。
すると中から間違いなくツァラーの紋章と国紋が入った首飾りが出て来たので彼女はそれを優しく受け取ると首に着けて見せるのだった。





 「・・・な、何故貴女が妹の首飾りを持っている、の?」
アハワーツは目を吊り上げる表情を隠そうともせず静かに尋ねると事実を知らないキヤーナは相変わらずこちらを卑下するような視線を向けて答えた。
「はい。王冠へ刻む為に昨夜からお借りしておりました。いきなりの戴冠式だったので突貫で行わせていたのですが何か問題でも?」
当然すぎる受け答えにもはや言葉が見つからない。これは同じ職人が関わっている為偽装するにしても相当な知識と技術が必要なはずだ。
だがら今ツァラーらしき女性が身に着けた物に見覚えがあり、それが本物であると確信してしまったからこそ何も言えなかったのだ。

「・・・あなたは一体何者なの・・・?」

遂に心が折れたサニアは思考を介さずに言葉を漏らしてしまうとその真意は彼女に伝わっているのかいないのか、きょとんとした表情で逆に尋ねて来た。
「何を仰っているの?まさか妹の顔と名前をお忘れになって?」
「・・・ち、ちがう・・・あなたは、私の妹じゃ、ない・・・っ!」
「よしなさいサニア!ほら、一度酔いを醒ましましょう!」
まさか姉に助けられるとは思わなかったが今は利害が一致しているのだ。慌ててその場を去った2人は人気の少ない場所で腰掛けるとしばらくは小さな溜息しか出てこなかった。



「・・・あれは、誰なの?」

「・・・ツァラーじゃないって事だけは確かよ。」

既に周囲の感心は他の姉妹にはなく、これだけ大胆に会話をしていても誰一人気にも留めない。
「・・・お姉様は言ったわよね。監獄にさえ入れれば手を汚さずに始末が出来るって。そしてそれを実行したって。」
「ええ。確かに2年前、あいつを始末したのは私よ。でもこの方法には1つだけ欠点があったの。」
「欠点?」
「そう。監獄内で処刑すると死体まで無くなっちゃうらしいのよ。だからもしかすると何かしらの方法で生き残って・・・」
「生き残って・・・あんな替え玉を寄越したって訳?」
国王と王妃が何者かに毒を盛られたのをきっかけに権力争いを起こした仲ではあるが実妹の真偽くらいはわかる。あれは完全に別人だ。
ツァラーはもっと心から優しく、甘く、誰からも慕われていた。故にあっけなく監獄へ閉じ込める事が出来たのに今の偽者からは隙を全く感じない。
優しさらしきものは垣間見えるが、ツァラーにはない厳しさを併せ持つ人物。もし別人だとすれば本人は一体どこでこの様子を眺めているのだろう?

「・・・だとしたら本人は案外近くにいるのかも。サニア、まだ間に合うわ。奴の正体を明かすのよ。」

側近までもが離れている中、姉はまだ諦めていないらしい。しかしサニアも築き上げて来た権力への未練と奪われた怨恨が心中で渦巻いている。
「どうやって?」
「そうね・・・とりあえずナジュナメジナを含めた関係者全員と接触してみましょう。全員が有能って訳でもなさそうだし・・・」
そんなアハワーツの視線の先にはおどおどした様子のノーヴァラットが映っている。そうだ。こちらには切り札があるのだからまだ巻き返せるはずだ。
「わかったわ。私も頑張ってみる。」
サニアは奮起しつつ、この状況に陥って初めて姉を心の底から頼る事を選ぶ。

最後の切り札。ツァラーを殺したという罪は全て彼女が背負っているのだから。

これは新女王を引きずり降ろす時の最終手段として大事にしまっておこう。背後でほくそ笑んだサニアの邪心など知る由もないアハワーツは早速護衛の1人に近づいて行く。
「やぁやぁ。サニア様、先程から顔色が優れないようですが如何されました?」
それを見届けたサニアも誰から接触するか様子を伺っているとその機会は向こうからやってきたのでまずは彼と詳しい経緯について話す事にした。





 「・・・その一因があなたにもある事をご理解して頂けないかしら?」
「いやいや、最初に申し上げたでしょう?私はツミア様が女王になられた暁にこの国で事業を起こすと。残念ですが貴女とはご縁がなかっただけの話ですよ。」
「でも私は全てを失ったわ。この責任はどう取ってくれるのかしらね?」
「いやはや、困りましたなぁ。」
言葉とは裏腹にその様子は全く困った雰囲気ではない。もしかすると最初から気を付けるべきは彼だったのかもと思い知るが反撃の狼煙は上がったばかりだ。

「それに私、気になりますの。ツァラーが昔と随分違って見えて・・・まるで別人のような・・・ナジュナメジナ様、本当に彼女はツァラーなのかしら?」

ここで堂々と持論を展開出来るのは自身に妹を暗殺したという後ろめたさがない事が大きい。だがこの揺さぶりも彼には一切届かなかったらしい。
「さぁ?お会いして間もない私にはわかりかねますね。ただ私の大切な顧客であり信頼のおけるクレイス様やイルフォシア様が尽力されるのですから疑う余地はありませんな。」
これはサニアよりも2人の言動を信じていると突っぱねられた形になる。彼は辣腕を持つ大実業家なのだから王子や王女を利用して利益を上げる事に何の抵抗もないはずだ。
そう考えると彼こそが影武者を立てた張本人だと考えられなくもない。
暗中模索に陥った表情を隠そうともせず前に立つ初老に近い男を難しい顔でじっと見つめるが彼の様子は全く変わらないままだ。

「・・・まぁ国家として彼女が王に選ばれたのであれば私も従いますが、でもある程度余裕のある生活は送りたいわ。ナジュナメジナ様、せめてそれくらいの協力はしてもらえますよね?」

なので憂さ晴らしに自身の本音もぶつけておくと彼は後頭部に右手を当てながら苦笑いを浮かべていた。







一方アハワーツもノーヴァラットに急接近すると彼女の腕を掴んで人気のない場所へ引っ張っていく。
「あ、あ、あのっ?!な、なな、何でしょう?!」
そのおどおどした様子から自分の思っていた以上に臆病な性格だと判断できる。言葉はどもり、挙動も不安定な事から少し脅せば何でも聞き出せそうだ。
「貴女は確か・・・ごめんなさい。お名前をお聞きしても?」
「は、はいぃ!の、ノーヴァラットと申しますぅ~!」
単なる護衛兵の1人としか捉えていなかった為、今日の戴冠式でやっとクレイスとイルフォシアを認識した彼女に他の面々の名を覚える気などさらさらない。
しかし少しばかりの会話でも名前を知っておかないとやりとりがし辛いのでここは敢えてすぐに忘れそうな名前を一時的に記憶すると早速話を進める。
「いい名前ね。ねぇノーヴァラット?私の記憶だとツァラーはもう少し小柄だったような気がするのよねぇ?しかも帰国して早々に即位とか戴冠とか随分都合よく話が進んでるわよねぇ?」
「そ、それは国王様の遺言とか、王妃様との直系とか色々事情が重なって・・・あ、あと小柄っていうのは2年前の話ですよね?そ、その、成長されたんじゃ・・・?」
「そこよね。事情が重なり過ぎている。偶然にしては出来過ぎているわ。貴女、何か知っているわよね?ちょっと私にもわかるよう説明してくれない?」
びくびくしながらもわりとしっかり意見を返してきて驚いたがアハワーツにはもう後がないのだ。
小柄という部分は確かに成長する部分を考えていなかったのでそこは浅はかだったと内心反省しながらノーヴァラットをどんどん壁に追い詰めていく。
それはまるで男が女に迫るかのような、口づけを交わすような位置まで顔を近づけてにらみを利かせるがそこでやっと違和感に気が付いた。

「え、えっとぉ・・・わ、私はクレイス様の家庭教師で副将軍なのでぇ、その、彼はすぐ無茶をするのでぇ、抑える為についてきただけなのでぇ詳しい事情はわかりません~!」

どうやら彼女はおどおどしてはいるものの、かなり芯の強い女性らしい。脅しに全く委縮する様子を見せないで言う事はしっかり告げてくるのだ。
そしてぽろりと出て来た情報には家庭教師と副将軍を任されているとか。意外な言葉が並んで出て来た事にぽかんとするが、こんな頼りない人物に重要な役職を任せる程人手不足なのだろうか。
一瞬興味が別の方向に向いてしまうとアハワーツは軽く首を振って集中し直した。そこからより強くにらみを利かせるとお互いの吐息が聞こえる程顔を近づけて迫った彼女は声に力を込め、右手の指先をノーヴァラットの柔らかそうな胸に強く押し付けて更なる圧力を掛ける。
「えぇ~?でも副将軍様なんでしょう?何でもいいのよ?もし有用な情報なら『ラムハット』の将軍として迎え入れてあげてもいいから・・・」

がしっ!

すると突然ノーヴァラットの雰囲気が変わったので再び驚かされた。見れば自身が壁についていた左手首を強く掴まれ、丸くて大きな眼鏡の中に写っていた瞳は随分と鋭いものへと変貌を遂げているではないか。
「・・・アハワーツ様。私にはクレイスをしっかり教育せねばならない理由があります。折角ですけどその申し出はお断りさせて頂きます。」
更に口調も別人のように変化していたが芯は変わっていないらしい。
他国とはいえ王女に媚びもへつらいもせず、堂々と意見を述べて壁についていた手も胸に沈んでいた指も振り払うとノーヴァラットは風のようにクレイスの下へ去っていくのだった。





 だがそのやり取りで思い知らされた事がある。やはりツァラーは別人なのだと。
どういう理屈かわからないがノーヴァラットはおどおどしていても冷酷な双眸に変化した時も芯は同じだと感じ取れた。
そこに今のツァラーと大きな違いを感じたのだ。本質が似て非なる存在だと。
(・・・もし私が監獄の秘密を打ち明ければ・・・信じて貰えるのかもしれない・・・でも・・・)
それを皆に公開するという事は自身が妹を殺しましたと告白するに等しい。となれば自身の処刑も免れないだろう。
いや、実際ツァラーが王位に就いたのだから妹は殺していないのか?いやいや、そうなるとあの監獄にいたのは、処刑したのは一体何者だという話になる。
考えれば考える程訳が分からなくなり、呆然と立ち尽くすも今や彼女を気に掛ける存在など誰もいない。

サニアに発破をかけたものの、もはや打つ手はないのではないかと絶望感に打ちひしがれていた時。

「あら?アハワーツじゃない。久しぶりね。」

声の方向へ振り向くとそこには車の付いた椅子に座る王妃と従者が立っていた。
「オンフ・・・様。お久しぶりです。」
「本当にね。それにしても随分やつれた顔をしているじゃない。もしかして誰かに毒でも盛られたのかしら?」
その発言と同時に温厚な彼女から明確な敵意を向けられると弱っていたアハワーツはたじろいでしまう。
どうやら本人も噂を鵜呑みにしてしまっているらしい。これは丁度良い機会と捉えて誤解を解いておくべきか。それともツァラーの別人説について意見を問うべきか。

「・・・オンフ様。その事について少しお話する時間を頂けませんか?」

いや、今は全てを選択すべきだ。生来の強かな性格が息を吹き返したアハワーツはそう懇願するとオンフも驚いた表情を浮かべた後、椅子を押す従者に声を掛けた。
「・・・ルサナちゃん。彼女と私の席に着いててもらっていいかしら?」
「もちろんです!」
ちゃん付けで呼ばれた少女はまだ幼いが器量はかなり良い。城内、もしくは後宮にこれほどの人物がいたのかと感心していたが着ている服から彼女もまたクレイス王子やイルフォシア王女の関係者だと察する。
であれば尚更この話し合いには大きな意味が生まれる可能性がある。アハワーツは早速近くの部屋に入って椅子に座るとルサナと呼ばれた少女も躊躇なく同席したのでこちらも遠慮は必要なさそうだ。

「初めに・・・そうですね。単刀直入に申し上げますと貴女と父の食事に毒を盛ったのは私ではありません。」

信じて貰えるかどうかはわからないがこのわだかまりは今後の会話に大いなる支障をきたす筈だ。なので頭を下げる事無く真っ直ぐに王妃を見つめて弁明するもその双眸から猜疑が消える事は無い。
「・・・では誰が盛ったのかしら?」
「わかりません。ですが国王は私の実父でもあります。そんな2人の食事に何故娘である私が毒を盛らねばならないのですか?」
「それは後ほど城内外で起きた紛争や派閥争いが全てを物語っています。誰が衰退し、誰が隆盛したのか。こんな簡単な問題は幼子にも解ける、そうは思いませんか?」
やはり駄目か。普段から血のつながりが無い王妃と距離を置いていたのもあって自身の言葉は彼女に届かないらしい。考えてみれば毒殺未遂から全てが変わっていったようにも思える。
あの時私欲に走らずもっと真剣に国王の行方を追うべきだったか。いや、実際その場所らしき目星はついていたのだが誰を何人送っても帰っては来なかったのだ。
それが響いて最終的には腫れ物扱いとなってしまい、気が付けば妹と権力を奪い合う日々を送っていた。結局は身から出た錆という事だろう。

「・・・ではその件は私が罪を背負います。ですのでオンフ様、貴女の率直なご意見をお聞かせください。あのツァラーは本物なのでしょうか?」

この時アハワーツは若干自棄になっていた。妹を監獄で暗殺した余罪もあった上に、今更罪の1つや2つくらい増えた所でといった気持ちになるのも無理はなかった。
「・・・ふぅ。貴女は自身の手で監獄に捕えていたのも忘れたの?そこから無事に国外へ逃亡し、頼りになる人物との交流を得て今があるのです。娘の無事こそ喜べど疑う理由は何一つありません。」
もはやまともに話し合うのも馬鹿らしいといった様子を隠そうともせず軽く溜息までついたオンフは眉を顰めて首を振る。
どうやら自身の命運はここまでらしい。しかし諦めて席を立とうとした時、予期せぬ声がそれを止めて来た。





 「あの、オンフ様。恐らくアハワーツ様の仰っている事は本当だと思いますよ?」

ルサナと呼ばれていた少女が許しも無く口を挟んできたので大いに驚かされたが王妃は全く動揺する様子を見せずに、むしろこちらへの態度と真逆の反応でそれに食いついて来た。
「あら?どうしてそう思うの?」
「えっとですね。難しいんですが、嘘と本当が混じり合っているなって思ったんです。毒に関しては本当にアハワーツ様は関与されていないのかなって。」
この娘、恐らく自分の半分にも満たない歳の割には鋭敏な感性を持っているらしい。思わぬところで僅かな希望が生まれたアハワーツは浮かせた腰を再び静かに下ろすとルサナは更に続ける。
「でもツミア様を監獄に閉じ込めたのも本当なんですよね?つまり彼女が脱獄する前の状況とかは私達より詳しいはずです。なのに何故オンフ様におかしな質問をされたのでしょう?そこに嘘が隠されている気がします!」
う~む。鋭すぎるのも問題か。確かに言われた通りなのだが正直な所、監獄に入れたのは目障りだっただけで深い理由はなかった。
故に彼女の事を忘れては思い出し、面倒な扱いにしてしまったなと後悔しかけていた頃、父の痕跡を辿るべくその部屋を調べていた時に偶然見つけた監獄の秘密を使ってこっそり処理しただけに過ぎないのだ。

「へぇ、そうなのね。アハワーツ、この期に及んで私にまだ何か隠し事があるの?」

それにしてもオンフもオンフだ。あれほどの覚悟を決めて全てを告白していたアハワーツの時と違い、こんな年端もいかぬ他国の少女の云う事を全て真に受けている。
だがこれこそが信頼を得た者、失った者の差なのだ。
改めて自身の行動を省みる事となったアハワーツは何をどこまで話せばそれを取り戻せるのか。その可能性があるのかすらわからなくなってしまい、結局無言のまま頭を下げて部屋を後にすると溜息交じりにサニアの下へ向かうのだった。







これでいい。これで全てが上手く行く。

ツミアは達成感から僅かに気を緩めていたが既に彼女がツァラーではないと断言出来る人間はいないはずだ。
国王は崩御し、王妃も毒がしっかり効いているお蔭で未だに歩けない。2人の姉もツァラーに酷い仕打ちをしてきた事を含め完全に信用を失っており保身から危険な行動には出られないだろう。

そして今、自身は女王の座を掴んだのだ。

やっと、やっと長い戦いも終焉が見えて来た。ツァラーの亡骸を見た時はかなり動揺してしまったが逆に吹っ切れる事も出来た。

ここまで来れば焦る必要もない。後は今まで味わってきた屈辱を、姉の分も含めて少しずつ消化していけばいいだけだ。

実際彼女の中に眠る憎悪は関係者にすら向けられる事がないのでそれを読み取るのは難しい。
今もクレイスやイルフォシアと談笑しているが誰からも疑われる事は無く、そもそもツァラーを知らない者達にそれを望むのは酷というものだ。
「ツミア女王様、いや、ツァラー女王様とお呼びすればよろしいか。」
「あなた方にはツミアと呼んでいただいた方が嬉しいです。」
今後最もお世話になるかもしれないナジュナメジナから祝辞を頂くとこちらも心からの笑顔と本音を返す。
現在の『ラムハット』は無駄な派閥争いや『ジョーロン』への侵攻によって国民が貧困にあえいでいる。まずはこれらに対する政策を打ち立てねばならない。
その為にも彼の事業をかなり期待していたのだがツミアの中では既に優先順位は決まっていた。

「クレイス様、もし気が変わられましたらいつでも私を頼って下さい。私の全てを捧げるという言葉に嘘偽りはありませんから。」

それでも唯一の心残りが彼の存在だ。自分より4つ年下ではあるものの実際その力は国民に多大な勇気と誇りを与えてくれるはずだ。
しかしクレイスにはイルフォシア以外を娶るつもりはないらしい。それでも人の心とはいつ変化するかわからないので布石を打つくらいはしておいても損はないだろう。
少し気まずそうにその申し出を断る彼に笑顔を送りつつ、ツミアはツァラーらしさを演じながら祝宴をやり過ごすとその夜には『粛清』へ向けて少しずつ根回しを進めるのであった。

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