闇を統べる者

吉岡我龍

波風を立てずに -神々の堕落-

 『天族』というのが地上の人間や『魔族』に比べて闘争本能が高いのは前々から気付いていた。ただそれが発揮されるのは決まって『天界』での日中だけだ。
なので地上に預けていた娘達の心配はしていない。唯一気になる部分ば少しずつ力を奪われていく弱体化だが人間に比べると圧倒的な力を保有しており、父として任せた男も地上では名の知れた猛者なのだから誰かに殺される心配はないはずだ。
それでも『天人族』との戦いはイルフォシアがかなり劣勢だった。これはその影響が少しずつ現れていたからか、マーレッグという存在が相当強かったのか。
どちらにせよ今後は監視の目を強めなければならないだろう。妻との間に出来た愛娘が預けた先で命を落とすなどあってはならないのだから。

「お待たせ!で、話って何?」

少し落ち込んでいたイルフォシアと傍についてくれているクレイスを眺めつつ思い出に耽っていると突然声がしたのでセイラムは慌てて顔を向ける。
「・・・驚いたな。全く気配を感じなかったぞ。」
しかし彼は時を止めた中でも自由に振舞う力を持っているのだからこの程度は朝飯前なのだろう。日が暮れた後なのでこちらの精神が安定しているのも好都合だ。
早速室内にある椅子に対面する形で腰掛けると彼はすぐ質問に入る。
「ヴァッツよ。お前はこの『天界』をどう思う?」
「うん?ここ?何か変だなって思うね。」
「それはこの世界がおかしいのか?それとも私達『天族』がおかしいのか?」
「うん?うーん・・・・・どっちもおかしいかな?」
ぼんやりと自覚はあったがあながち見当違いでもなかったらしい。未だ正体がよくわからないヴァッツの答えを聞いて妙に納得したセイラムは軽く頷いた後いよいよ本題を持ちかけた。

「ではその違和感を断ち切って欲しい、といえば可能だろうか?」

「うん。いいよ!」
あまりにも元気な即答が返って来たので一瞬唖然としてしまったが喜ぶのはまだ早い。どうにも彼は同い年であるクレイス達と比べるとやや幼すぎる部分が目立つのだ。
つまりこちらの発言の意味を正しく理解していない可能性がある。
「・・・その方法は?『天族』全てから力を奪ったりするのか?地上に居たラカンのように。」
「あれ?よく知ってるね?でもそうだなぁ・・・うーん・・・」
この時セイラムは力という表現に闘争本能も含めていた。つまりそれら全てを奪い去ってくれれば自分達が同族で争う理由もなくなるのではと考えていたのだ。
だがヴァッツからの返事は打って変わって悩ましいものに変化する。『天界』には戸籍などの概念もなく総数など数えた事も無い為、この世界にどれだけの同族がいるかもわからない中全員から力を奪っていくのも大変な作業だろう。
「やはり難しいか・・・」
そもそも日付が変われば傷が全快するだけでなく、どこからともなく新しい『天族』が現れたりもするのだからこれは非現実な提案だったのかもしれない。
であれば『天界』を放棄するしかないのか。そして自分達は地上へ降りる。そうすれば闘争本能も随分抑えられるはずだ。
実際エルティーマと地上で一緒に過ごした時は彼女と戦う事など一切考えた事はない。つまりその原因こそがこの『天界』にあるのでは、とこれも前々から推論だけは立てていた。

「うーんとね。もうちょっと詳しく教えてもらってもいい?」

一人で納得しているとヴァッツがほんの少しだけ真剣な表情を向けてきたので我に返る。そうだ、今はこの破格と評される彼の力を借りたくて呼び出したのだからこちらもしっかり説明せねばならないだろう。
セイラムは己の短慮を恥じつつ『天族』が何故同族と殺しあわなければならないのか、その闘争本能が地上にいる時はほとんど失われる事、日付が変わる時どこからともなく新しい『天族』が現れる事などを詳細に伝える。
すると彼の表情はみるみる明るくなり、最後はぱんと両手を叩いた。

「ああ、やっぱりそういう事だったんだ!いいよ!それじゃそれをやめてもらえないか頼んでみよう!!」

突然の答えに一瞬戸惑ったがセイラムは聡明なのだ。故に彼の発言から現在の状況が第三者の手によって作り出されている可能性に辿り着くと早速それを実行するよう重ねて願い出るのだった。





 元々保守的なセイラムではあったがこれは仕方ない。何せ万里の眼をもってしてもその存在は視界にすら入らなかったのだから発想に至る訳もないのだ。

「・・・・・ここは?」

あれからヴァッツが元気よく提案した後、2人は影に沈んだ瞬間別の場所へと浮かび上がる。すると『天界』の巨城よりも更に豪奢な光景が飛び込んできたのだ。
周囲は全てが真っ白な岩で建築されており、床には真紅の柔らかい絨毯、壁には絵画などの美術品が飾られている。ただそれらの価値観を持ち合わせていない2人は特に心が躍る事は無かったが場所の確認はしっかり取っておく必要があるだろう。
「ここはね!・・・ここどこ?」


【言葉で表すのならここは『神界』といったところか。】


突然地の底から響くような声が木霊したのでセイラムは慌てて身構えるも敵意は感じられない。それにヴァッツが軽く納得しているところを見るに親しい間柄のようだ。
「・・・『神界』?とは一体?」

『文字通りじゃ。ここは神々の世界。そんな神域にまさか下劣な生物が入り込んでくるとはな。』

これもまた気配が読めなかったのでセイラムは再び身構える。だが今回は正解だ。何せ声の主は敵意をむき出しにしているのだから。
「神々?」
その言葉は聞き覚えがある。確か人間が姿も形もない存在を崇める対象としてその言葉を多用していたはずだ。
『左様、さてセイラムよ。我らの娯楽玩具が何故この地に入れた?まずは詳しい説明をしてもらおうか?』
随分高慢な物言いをしてくるしわがれた声の主は姿を見せない。恐らく相手はこちらの居場所や姿形をしっかりと確認しているはずだがどこだ?どこにいる?

「えっとね。オレが・・・じゃなくて『ヤミヲ』に連れて来てもらったんだ!」

しかしこちらの警戒心など露知らず、ヴァッツは変わらない様子で少し斜め上に視線を向けたまま元気に受け答えするとその中空、いや、階段の踊り場から長い白髪に長い髭を蓄えた随分細身の老人が姿を現したではないか。
『『ヤミヲ』とな?ふむ・・・わしの知らない言葉じゃが、まぁどうでも良い。まずは貴様らを処さねばな。』
そう言い終えた老人からは恐ろしい程の闘気と殺意を感じた。『神』などという存在はてっきり人間が支配の為に都合よく作り上げた想像の産物だと思っていたがまさか・・・
「処するって何?」
「・・・私達を殺す、という意味だ。」
「えっ?!何で?!オレ達『天界』と『天族』に悪さしないでって頼みに来ただけだよ?!」
慌てる様子こそ見せるもののヴァッツからは怯えは感じられない。むしろセイラムは彼の言葉を聞いてやっとここに連れて来られた目的がうっすらと見え始めたのだ。

「・・・まさか。ヴァッツ、先程の話はもしかして全てこの『神界』が関わっているのか?」

「うん!なんかあの人達が『天界』で『天族』に無理矢理戦わせようとしてるからセイラムは困ってるって話、だよね?」
こちらは未だ疑問系だったのに対し、ヴァッツの中では既に明確な答えが出ていたらしい。こうなってくると疑いは捨てて自身も目的を完遂する覚悟を決めなければならないだろう。
「・・・神だか何だか知らぬが今すぐ私達への干渉を止めて貰おうか。」
『ふぉっふぉっふぉ。身の程を弁えぬ塵屑に説明するだけ無駄じゃろ。どうせなら最後にわしらを楽しませてみるがよい。』
その発言からてっきり戦いが始まるのかと思った。そして奴に勝てばもしかすると『天界』にも平和が訪れるのかとも妄想した。
だが神の力はこちらの想像を遥かに上回ってきたのだ。気が付けば随分と殺風景な場所に移動したのかさせられたのか。地上で言う闘技場らしき場所の中央に立っていた2人に向かって数多の観客が歓声を上げていた。

『さて皆の衆!今日は目出度くも忌々しい日になってしもうた!!よって急遽、『神界』に無断で立ち入った家畜の処刑を含めた闘技賭博を開催するっ!!』





 「・・・私達を利用して享楽に耽るか。愚かな。」

先程の老人が高台に立ち両手を上げて民衆を煽っているのでセイラムは闘志を滾らせると一直線に飛んでいき、その拳を放つ。
だがどうしたことか。周囲を囲む石壁とは別の見えない壁が邪魔をして彼どころか周囲の観客に風圧すら送り込む事が出来なかったのだ。
『ふぉっふぉっふぉ。愚か!何と愚かな!神である我らに楯突くとは・・・だが威勢の良さは加点対象かの。さぁさぁ皆の者!張るが良いっ!!』
『では我が世界の雨を賭けようっ!もちろんセイラムだっ!!』
『ほう?そちの世界では干ばつで既に干上がっておるだろうに?ではわしは100万の命を賭けようじゃないか。セイラムにな。』
『面白くない流れねぇ。じゃあ私は大陸を1つ賭けてみようかしら。その小さき少年に。』
周囲では老若男女問わず同じような服装の人物達が興奮しながら賭博に興じる。その喧しさに耳を被いたくなったが内容が想定と違ったので困惑が勝り出した。
「・・・まさかこいつらは?」


【どうやら各々が保持する世界の一部を賭けているらしいな。】


再び地の底から響いてきた低い声にセイラムは納得すると神々が驚愕を浮かべてながら沈黙する反応を示したので僅かに溜飲が下がる。
『・・・何じゃ今の声は?童、あの声はお前が発したのか?』
「だから『ヤミヲ』だって。」
ヴァッツの答えに誰一人納得する者はいないがこちらからすればその存在が敵ではないという事実さえあれば十分なのだ。後はこの胸糞悪い連中をどうするか。
次に真逆の方向へ飛んだセイラムは観客席へ蹴りを放つがやはり見えない壁に阻まれて振動すら与えられない。
「ふむ・・・つまり閉じ込められているのか。」
初めての経験に天を仰いで呟くも焦燥感などはない。むしろ空が真っ暗であり、星の輝きが確認できたので今は夜なのかと認識する余裕すらあったほどだ。

『うむうむ!!しかしこのままでは配当に差があり過ぎるな。おい童!お前はどれくらい強いのだ?』

「ん?オレの強さ?うーん・・・わかんないね?」
会話の様子からヴァッツと戦わせるつもりか。しかし奴らはセイラムの強さこそ知ってはいるものの彼の知識は何も持ち合わせていないらしい。
『うむむ?しかしこの『神界』に足を踏み入れられるのであれば相当な力を持っておるのじゃろ?見た所ただの人間ではなさそうじゃし、もっと自分を高らかに讃えてみぃ!』
神と自称する老人も一緒に困り果てていたようだが彼は自ら拳を振るう事を好まないのだ。ましてや自分を讃えるという行為はヴァッツから最も遠いだろう。
「うーん・・・そんな事言われてもなぁ・・・ねぇ『ヤミヲ』、どうすればいい?」


【ではこう言うのだ。「オレが勝てば『神界』は今後一切『天界』及び『天族』への干渉をしないと約束するように。」この発言で自信と強さが伝わるだろう。】


ところがこの提案は神々の逆鱗に触れたようだ。先程とは比べ物にならないほどの沈黙が降りた後、今度は歓声を遥かに上回る怒号が飛び交い出す。
『何と不遜なっ?!ザジウス様っ!!この小汚い餓鬼は今すぐ苦痛の海へ放り込むべきだっ!!』
『いやいや!こいつは我らの手で引き千切るべきだろうっ!そして毎日その身を食わせてやれっ!!』
『あら?私は気に入ったわ。あの子を夜伽に使うから買い取らせてもらっても?』
九割以上の存在がヴァッツに向けて罵詈雑言を叩きつけたが稀に妙な発言が聞こえたのも気になる所だ。どちらにせよここが敵地であり奴らを始末せねばならない事に変わりはない。

『だがその不遜を超えた提案は面白い!いいだろう!ではこの勝負、童が勝てばその要望を聞き届け、セイラムが勝てば記憶を一切消去して『天界』へ戻してやる!!』

賭博を仕切っている老人がとても楽しそうに歪んだ笑顔を見せて宣言すると周囲もこれに同調する。当事者を差し置いて賭博の話は勝手に進んでいるようだ。
「・・・ふむ。では簡単だ。ヴァッツよ。私を倒してくれ。それで同族が救われるのならこれも王の務めなのだろう。」
神々はセイラムとヴァッツの望みが同じものだという思考には永遠に至らないだのう。なので早々に話を終わらせようと切り出したのだが1つ大事な事を忘れていた。

それは自身が『天族』であり、彼らの意のままに闘争本能が操られるという事実だ。

『では始めるがよいっ!!』

こうして老人の妙に力ある掛け声を受けたセイラムは一瞬で理性を失い、全力でヴァッツに襲い掛かるも彼と彼らは破格を前にただただ唖然とするしか出来なかった。





 『天界』で大地や湖を割るほどの力で戦えるのは現在セイラムとその側近2人くらいだ。
中でも王である彼の力は群を抜いていた。ウォンスとウォルトという有力者を支配下に置きながらも自我と力を保てていたのはその為だ。

ぱりぃぃぃんっ!!!

空間すら破壊した音が鳴り響き、何もなければ闘技場ごと全てを吹き飛ばしたであろう拳はヴァッツの額を真正面から捉えたが体勢は少しもぶれない。
「あ~。また『天族』にちょっかい出したね?それを止めてって言ってるのに~もう!」
それどころか一瞬で操られたのを見抜いた彼は普段と変わらぬ口調で少しの苛立ちを告げた後、こちらに軽く右手を掲げただけでセイラムの理性と意識が瞬時に戻ったのだ。
「・・・はっ?!」
記憶だけは鮮明に残っていたので慌ててその拳を引っ込めると同時に渾身の一撃が全く通用しなかった事実にも内心驚愕する。
只者ではないと思っていたがまさかこれ程とは。『天族』というのを差し引いてもその強さに興味が沸いてしまったセイラムは静かに落ち着きを取り戻していくとそのまま口を開いた。

「この勝負、私の負けだ。」

『・・・ならぬ!!お前達はどちらかが死ぬまで戦わねばならぬ!!よって敗北宣言は認めぬっ!!!』
ここまでの言動から察するに一筋縄ではいかないだろうと予想はしていた。だが殺し合えと言われて従う義理もなければ理由もない。むしろヴァッツの力の片鱗を感じた今こそ反旗を翻すべきだろう。
「断る。そもそもヴァッツも私も戦う事を好まないのだ。」
『な、何だと?!』
『馬鹿な?貴様は『天族』だぞ?ただ戦って我らを喜ばせるだけの玩具が血迷ったか?』
『ザジウス様、セイラムという出来損ないは今すぐ廃棄すべきです!!』
『彼も長く働かせすぎたから壊れただけだろう。どっちにしても新しいのを作らねばなりませんな。』
『・・・・・へぇ。本当に面白わね。』
相変わらず五月蠅い声が逐一耳に飛び込んできて辟易するが、これで戦う必要はなくなったはずだ。

『ふむ。しかし今一度試してみよう!!』

ところがザジウスと呼ばれる元締めが再び力を発動したのか、セイラムの中にまたも理性を塗りつぶす闘争本能が沸き上がるとすぐに抑え込まれた。
「駄目だって。」
『やはり貴様が?ええい邪魔をするな!!』
「だから駄目だって!あ~もう、じゃあこうしちゃう!」
そこから何度か理性と本能を往復して若干の疲労を感じた時、ヴァッツもきりが無いと思ったのか別の手段をとったらしい。以降はザジウスが何をしても己の中に闘争本能が湧きおこらなかったのでやっと安心したセイラムは周囲を指さしながら再び告げた。

「この勝負、私と、お前達の負けだ。」

恐らく直接関与してきたザジウスという老人だけはわかったはずだ。自分の力がヴァッツに通用しない事を。
そして周囲の反応から彼が『神界』でも相当な有力者なのも間違いないだろう。であれば彼らも大人しく手を引いて・・・
『何を馬鹿な事を!!さっさと戦え!でなければそこから出る事は出来んぞ?!』
駄目か。確かに今までの言動はこちらを酷く下に見ていたものばかりなので素直に認める訳がないのだ。だがここから出られないというのも困りものだ。
セイラムは軽く溜息をついた後、ヴァッツと目を合わせてから口を開く。
「さて。どうしたものか。」
「どうしよう?あの人達全然話を聞いてくれないんだけど・・・『ヤミヲ』、何かいい案ない?」


【もし私がヴァッツならこの世界にいる全ての存在から力を取り上げた後地上へ戻る。】


さらりと言い放った内容は決して聞き流せるものではない。とても重い提案に三度神々から沈黙が伝わって来たがそれはすぐに笑い声でかき消された。
『愚かな?!我々から力を取り上げるなどと!!』
『左様。わしらは世界の頂点に立つ神だぞ?!それの力を奪えるものなら奪ってみよ!!』
『やっぱり私、あの子が欲しいわ。世界の半分を捧げるからねぇ、お願い?ザジウス様?』
この時点でヴァッツにそんな芸当が出来るのかどうかセイラムも確信があったわけではない。だが少なくとも自分達が戦う道を遮断し、『天族』としての闘争本能から解放された今は信じるに十分値するだろう。

「んじゃそうしよっか。もう面倒臭いし、アルヴィーヌも待たせてあるからね。」

終始同じ調子だったヴァッツも最後は少しだけげんなりした様子だったのも印象的だ。そして彼が言い終えると2人は再び『天界』の巨城へと戻ってきていた。





 「これで『天族』が戦わされる事は無いと思うよ。じゃオレも帰るね!」

真偽を確かめるには朝日が昇るのを待つしかない。出来ればそれまで留まっていて欲しかったが愛娘の為に帰国を急ぐ彼をこれ以上引き留める訳にもいかないだろう。
「ああ。とても助かった。感謝する。」
半信半疑だった事もありセイラムも手短に感謝と別れの言葉を交わすと彼はまたも不思議な術で姿を消した。

それからすぐに巨城の外が明るくなっているのに気が付き、急いで同族達の様子を見に行くと誰一人戦っている者がいなかったのを確認したセイラムは側近2人を食堂に呼び出し、敬遠していた酒の味を堪能する。



ところがすぐに些細な問題が勃発してしまった。

どうやらしびれを切らしたアルヴィーヌがヴァッツを追いかけて『天界』へ訪れたようなのだ。その様子はまるで鬼のようだと他の『天族』が顔を真っ青にして食堂に入って来たのでセイラムもほろ酔い状態が一気に醒める。
「ど、どうしたんだ?」
「お父さん。ヴァッツはどこ?」
今まで『天界』から彼女の我儘っぷりを散々見て来たはずだがそれを目の当たりにして実際どう動けばいいのか戸惑ってしまった。
「おう嬢ちゃん!ヴァッツならだいぶ前に帰っていったぜ?」
そんな中普段以上に砕けた様子で受け答えできるウォンスは案外自分以上に王の器なのかもしれない。初めて側近に深い感嘆を覚えたが娘の様子はより鬼の気配へと変貌していく。
お蔭でウォルトの眼も無意識に開き、若干怯えた様子でこちらに視線を向けて来たのだから堪ったものではない。

「ま、まぁ落ち着けアルヴィーヌ。そうだ、折角来たのだから少し話でもしないか?」

「・・・・・え?いいの?」
「ああ構わない。もうお前達を遠ざける理由はないからな。」
思い付きと自身の欲望を併せた軽率な提案だったにも関わらず、アルヴィーヌは思っていた以上に激高を沈めた後、双眸を輝かせて喜色を表現してくれる。
それがまた嬉しくて堪らなかったセイラムは隣の椅子に座らせたのだが、この時初めて持て成すという概念と楽しくおしゃべりする為の軽食を振舞う手段が無い事を深く後悔するのだった。







そんな生まれ変わった『天界』を他所に違う意味で生まれ変わった『神界』は大混乱状態だった。

というのも彼らは世界へ干渉する力を奪われたことによりあらゆる不具合が生じていたのだ。
まずは衣食住だ。彼らは神への供え物によってそれらを満たして来たのだが全てが手に入らなくなった事で『神界』はあっという間に荒廃の一途を辿っていった。
そして戦う力を失い、見た目や年齢の関係が人間と同じ状態になってしまうとあらゆる場面で下剋上が勃発する。
老人は若人に殺され、若人はより強い若人に殺される。女は犯されるかその前に強い男の傍へ阿って何とか我が身を護ろうと画策する姿は正に人間社会の日常風景だ。

自分達が卑下し、嘲笑っていた世界が今ここに完成しつつあったのだがヴァッツの言う様に話を聞かない彼らにその原因や現状を正しく理解する者など誰一人いない。

毎日が野蛮な力の勢力図によって形を忙しなく変化させていく。弱き者達は身を任せる以外の道はないだろう。
『・・・これが持たざる者の宿命なのね・・・』
それでも命さえ繋げば可能性が生まれるかもしれない。そう信じていた彼女はあの時自分の中で感じた気持ちに間違いはなかったのだと、ヴァッツの姿を思い浮かべては凌辱に耐える日々を過ごすのであった。





 新生した『天界』にはやっと平和な時間が訪れたのだが引き換えに大きな問題も発生する。それが欲求だ。

今までは『神界』の影響で様々な欲求を抑え込まれていたのが全て取り外されたので彼らは人間と同じように異性を意識する事や空腹を思い出したのだ。
つまり今後は自分達の力でそれらを補っていかなければならないのに知識も経験もないのだから大変困り果てていた。
そこでセイラムは側近らを連れて『トリスト』へ赴く。これは以前クレイスが美味しい料理を振舞ってくれた記憶からもここに頼るべきだと考えた為だ。

「お、お父様・・・やっと、会いにきてくださったのですね。」

だがまずは誰よりも再会を待ち望んでいたイルフォシアが礼儀作法も置き去りに眼を輝かせて飛びついてきたのでこちらも父として十分に応える事が責務だろう。
「ああ、待たせたな。」
やっと何の憂いも無く娘に会えるようになったのだから遠慮は要らない。お互いがぎゅっと抱き合うと周囲も2人の気持ちを汲んだのか黙って見守ってくれる。
「あ、お父さんだ。私も私も~。」
そしてすっかり機嫌が直ったアルヴィーヌも小走りで近づいてくると2人の間に割り込んできた。
エルティーマの遺した大切な我が子達。それは紛れもなく愛の結晶なのだとセイラムは心の中で何度も反芻すると喜びを存分に表現するのだった。



「あれ?セイラム、また何かあったの?」

しばらくして応接の間に通された後、遅れて登場したヴァッツがクレイスと一緒に現れる。それから左宰相であるショウに右宰相のザラールが姿を見せると早速本題に入った。
「何度も頼って申し訳ないな。実は『天界』が『神界』の呪縛から解放されて以降、主に食事に関して困っていてな。」
「む?『神界』?呪縛?」
何も事情が飲み込めていないのか、周囲も不思議そうな表情を浮かべていたが代表してザラールが口を開くとセイラムも同じような表情でヴァッツやアルヴィーヌの顔を見やる。
「あ!ごめん!オレまだ何も説明してないや。」
「あ~・・・なんかそんな話もしてたね。ごめんねお父さん。私お父さんとおしゃべり出来たのが嬉しくて全部忘れてた。」
2人の反応から見て瞬時に理解した。そういえば地上と『天界』では時間の流れに随分と差があるのだ。
つまり自分達から見るとあの出来事から数日が経っていたが、こちらではまだ数時間か下手をすれば数十分しか経っていないのだろう。

そこで現在『天族』は日付が変わると全快する力で生きながらえてはいるものの空腹で困っていると説明する。

「へぇ~そんな事になってたんだね。オレもそこまで考えてなかったな。何かごめんね?」
「何を言う。ヴァッツのお陰で私達は救われたのだ。謝罪などよしてくれ。」
「しかしそうなると様々な物資が必要でしょうな・・・クレイス、お前は何度か『天界』に赴いて料理も振舞ったのだろう?どうだ?必要な物を書き起こせそうか?」
「はい。直ぐに取り掛かります。」
「うむ。ではショウよ、彼から指示を仰ぎ早急にそれらを集めて『天界』へ送るのだ。」
「あ!じゃあオレも手伝うよ。『ヤミヲ』に頼めばあっという間だしね。」
未だ食事の知識をほとんど持ち合わせていなかったので彼らに任せるしかないのだが、セイラムはその流れるようなやりとりにも深く感心していた。
今までは本当に形骸化した国家だったが運営を考えた時、『天界』もまたこういう役割をこなせる仕組みを作っていくべきなのだろう。
「何から何まですまない。この恩は必ず返そう。」

こうしてクレイスの指示で事業が始まると地上から鳥、豚、牛、羊などの動物と加工された肉が山のように集められ、穀物と野菜各種が『ヤミヲ』とやらの力で一気に『天界』へ運ばれる。

ただどれもこれも成長させる必要があるらしく500人余りの『天族』達は皆でその方法を一から教わり、自らの手で食事を補えるよう少しずつ歩み始めたのだった。

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