闇を統べる者

吉岡我龍

波風を立てずに -遠くない未来-

 ウォンスを『ボラムス』に連れて来たのは正解だったのかもしれない。何故なら彼はあの夜3人の女を昼過ぎまで抱いて過ごしていたようなのだ。
天人族が誕生する可能性を考えるとスラヴォフィルならこの危険な判断は下さなかっただろうが酒が切れたとき彼がどういう行動に走るかわからない。
だからガゼルは酒と並ぶ欲望を与える決断を下した。長期的な結果はまだわからないが少なくとも酒色によってウォンスからは闘気が一切消え失せたのだからこれもまた英断なのだろう。
ただ以降は必ず女性を侍らせて動くようになってしまう。そして所かまわず情事に持って行こうとするのだから周囲は別の気苦労が増えてしまった。

「おいウォンス!地上には色々『仕来り』っつーか、『礼儀作法』があるんだよ!!少なくとも人目は避けてやれ!!」

「む?そうなのか?」
翌日、皆で集まり昼食をとっている最中にも膝の上に女性を乗せて徐に胸を揉みしだき始めたのをガゼルが注意するとウォンスは気分を害する様子も無く従う。
これは酒と女を与えてくれた恩が大きな理由らしいが彼も『天界』と地上の違いをしっかり認識しているからだろう。思っていた以上に穏便な関係を得られたクレイスはほんの少しだけガゼルに感謝を抱きつつ食事の最中に本題へ入った。
「ウォンス様、この後『天界』へ赴こうと思うのですがいかがでしょう?」
イルフォシアは実父との会話を強く求めている。まずはこれを達成しなければ自分の気持ちも落ち着かないのだ。
相変わらず酒を水のように飲んでいたウォンスだったが酔いは大丈夫なのだろうか?そんな心配をよそにほんのり赤く染めていた頬と眼光が一瞬で元に戻ると彼は静かに答える。

「・・・もうちょっと後じゃ駄目か?」

「後というのはどれくらいですか?」
「そうだな・・・俺が酒と女に飽きるまで・・・」
「ウォンス様?」
まさか『天族』でも人間と同じような状況に陥るのか。酒色の味をすっかり占めてしまったウォンスが真面目に不真面目な提案をするとイルフォシアから元気いっぱいの怒気が放たれた。
これには流石の彼も胆を冷やしたようで目を泳がせていたが『天界』は時間の流れが真逆なのだ。急かすつもりはないがのんびりしていては『天界』に何か異変が起きる可能性も考えられる。
「ウォンス様、約束のお酒は十分に提供したはずです。それに欲望に溺れて無為な時間を浪費していてはセイラム様へも顔向け出来なくなるのでは?」
その原因を作ったのが自分なのはさておき、クレイスは堂々と説く。するとウォンスも面倒臭そうな表情に溜め息をついて天を仰いだ。

「・・・しゃぁねぇな。んじゃ帰るか。」

思えばこの時彼が何故そこまで酒色に溺れたのかをもう少し深く考えるべきだった。しかし未だ『天界』について詳しい事情を知らなかったのだからこれは無理な話だったのだろう。
「ウォンス、もしそいつらに戦いを挑まずしっかり案内役を務めてくれたのならまたご馳走してやるからよ。いつでもうちに来な。」
しかし落胆した気配を機敏に感じ取ったガゼルがそう告げると彼も目の色を変えてやる気を出してくれたのだから本当に『ボラムス』へ立ち寄ってよかった。
「・・・ま、やれるだけのことはやってみるか。」

こうして3人は三度西の海に向かって飛び立ったのだが未だに謎の多い『天界』は彼らの干渉によって確実に滅亡へと向かっているのだった。





 水に濡れないようにと呼吸を確保する為クレイスは同じように巨大水球を展開すると今回はウォンスもその中に取り込む。
「ほー。戦ってたときも思ったが魔術っておかしな感じがするな。」
その違和感を口にはしつつも大人しかったので海底洞窟を抜けるまではすんなりと通過できた。後は再び襲って来ない事を願うばかりだが。

「・・・運が良かったな。」

しかし今回はウォンスが殺気立つ事も無く、イルフォシアも安堵の表情を浮かべていたので問題はなさそうだ。
日が落ちて薄暗い『天界』に辿り着いた3人は湖上へ飛び出すと周囲を確認する。すると湖畔には綺麗な草原が姿を見せており以前の凄惨な光景がなかった所に違和感を覚えてしまう。
本来はこれが正しい姿のはずなのに印象から思考が麻痺してしまっているのか。
「零時は過ぎてるのか。大将達も寝てるかもな~。」
月こそ顔を出していたものの地上と『天界』の時間は流れ方が全く違うのだ。それなのにウォンスは帰って来てすぐにそれを感じ取れるのだからクレイスはイルフォシアと驚きながら顔を見合わせる。
「私達も一泊させて頂いて、明日の朝にでもゆっくりお話しする時間を取って貰った方がよろしいでしょうか?」

「・・・いや、話があるのなら夜が明けるまでに済ませろ。前もそうだったが時間はあまりないんだ。」

実父とはいえ真夜中に起こすのが忍びないと提案するも彼はそれを拒否する。クレイスも既に3度の来訪を経ている為感覚的にだが彼らが日中を避けているのは何となく理解はしていた。
「だったら急ごう。」
ウォンスに頼んで案内を頼むと3人は全力で空を飛ぶ。正確にはクレイスはもっと速く飛べる手段を身に着けていたのだがこれは魔力をかなり消耗してしまうのだ。
故に彼らと同じ速度で北上していくとまたも灯りの少ない虚城がうっすらと見えて来た。いや、以前よりは明るく見える。どうやら今回はしっかりと松明で光源を作っているらしい。
3人は大きな正面の城門前で下降するとそのまま低空飛行で中に入る。すると明らかに沢山の人の気配を感じた。襲われる気配もないのでまずはイルフォシアの目的を最優先にと黙っていたがこの世界は一体どうなっているのだろう?
不思議そうに奥へと進んでいくとこの前対面した大食堂の前を抜けて大きな白い扉の前で足を降ろす3人。ここがセイラムの居室らしい。

「おう大将。ウォンスただいま戻ったぜ。ちょっといいか?」

言葉遣いはともかく扉を3回叩いて伺いは立てている。しかし了承なしにそれをがばっと開けた所は彼らしいと呆れつつ感心していると中には以前と変わらないセイラムが立ったまま顔だけをこちらに向けていた。
「随分長い間遊び呆けていたようだな・・・イルフォシア、何度言えば分かる?ここはお前の世界ではない。さっさと地上へ・・・」

「お父様!私は・・・私はお父様と一緒に暮らしたいのです!もっとお父様とお会いしたいしお話もしたい!」

これも以前の経験を活かしたのだろう。のらりくらりと会話をはぐらかされるのを恐れたイルフォシアは前置きや周囲の目などを一切気にせず心の内を解き放つ。

「帰れと言われるのであればすぐにでも帰ります!でもお約束してください!週に一回、月に一回でもいい、私達に会いに来て下さる事を!!」

その姿はアルヴィーヌそっくりだったが今の彼女は姉以上に幼さを感じた。この時クレイスにはそれくらいしか感じられなかったが理由は明白だ。
イルフォシアはスラヴォフィルに預けられて以降、とても『良い子』を演じて来た。
これは奔放ながら臆病さを持つ姉を思い、負担をかけさせまいとしてきた結果なのだがやはり心の奥底では幼少期に甘えられなかった事実が深く、広く根付いていた。
そんな折実父が『天界』の王セイラムだと知り、対面した時には間違いないと確信も得た。それと同時に今まで隠し通して来た親への感情が一気に爆発してしまったのだ。

ただその事情は本人達だけでなく周囲も読み取れていなかった。故に単純な我儘として受け取られ、セイラムもいつも通りの返答で済まそうとする。
「私は『天界』の王だぞ?ウォンスのように無責任な行動は取れん。」
「でしたら私達姉妹が遊びに来る許可くらいは下さい!!私達は親子なのですよ?!」
「くどい。既にお前達の父は地上の男なのだ。イルフォシアよ、お前はもっと物わかりが良い娘だと思っていたが残念でならないぞ?」
矢継ぎ早のやり取りにクレイスも目を白黒させていたが一点だけ気になる事がやっと言語化出来そうだ。

「あの!セイラム様は何故そこまでイルフォシアを遠ざけようとするのですか?」

彼はマーレッグに殺されそうだった2人をわざわざ助けてくれるような人物なのだから決して冷酷ではない。むしろ娘の様子を時折見ている節すら感じるのに何故?

「・・・知りたいか?」

駄目元で疑問を割り込ませるとセイラムからは期待させるような答えが返って来た。これにはイルフォシアと合わせて首を縦に振るが今夜はここまでが限界らしい。

「ならばヴァッツを連れてくるがよい。ただしヴァッツだけをだ。イルフォシアよ。私をまだ父と認めてくれるのであれば・・・この厳命、今度こそ聞けるだろうな?」

明らかに違う、優しい雰囲気と寂しい笑顔を浮かべたセイラムがそう告げると彼女も言葉を失う。
「・・・・・わかりました。」
こうして短いやり取りを終えた2人は地上に戻ってくるとクレイスは水球の中で細く震える彼女の体を優しく包み込むのだった。





 セイラムは何故そこまでヴァッツにこだわるのか。その理由もいずれわかる時がくるのだろうか。

一日ぶりに『トリスト』へ帰還したクレイスはぼーっとあの日の事を考えながらヴァッツが『天界』へ向かうのを待つ。というのも今はカズキ、アルヴィーヌと共にフランドルの葬儀に参列すべく『ネ=ウィン』へ赴いているそうなのだ。
本当なら自身が直接伝えに行きたかったがこれはナルサスとの確執を考えてショウに止められた。故に伝令が送られた後は結果をただ待つしか出来ないでいた。

「・・・・・」

それがまた苦痛なのだ。もちろんヴァッツの事なので問題はないだろうが早くイルフォシアを安心させてあげたい。
そんな気持ちが十分に伝わっているのだろう。彼女も朝からクレイスの傍を離れようとしなかったのだがここは『トリスト』城内であり、今は他の仲間も沢山いる。
「クレイス様!この前街で美味しい御菓子が売っているお店を見つけたんです!そんな暗い人は置いといてよろしければ今から行ってみませんか?」
なのでまずは磁石でくっ付いたような仲を引きはがすべくルサナが目を輝かせて画策してくる。しかし普段なら多少の言い合いが勃発しそうな内容にも拘らずイルフォシアは大人しく座ったまま反応を示さない。
「ルサナ~?流石にクレイスの大切な人を貶すのは心証を損ねるの。こういう時はお散歩なの!『アデルハイド』に行ってお父様にお会いするのはどう?もちろんイルフォシアも一緒にね?」
イフリータの件にも踏ん切りがついたのか、最近のウンディーネはとても気遣いが上手くなった。母国と父の名を出されてクレイスの心も大きく揺れ動いたがノーヴァラットにも提案はがあるらしい。
「一国の将軍がそんな思い付きで行動するのはどうかと思うわ。『天界』でも魔力が枯渇したんでしょ?だったら悩みを忘れるまで訓練に励んだらどうかしら?」
こちらも副将軍として、家庭教師として満点の答えだろう。どれもクレイスやイルフォシアへの思いが伝わって来るので余計に嬉しさが溢れてくる。
「・・・そうだね。みんなありがとう。それじゃ・・・」
イルフォシアが実父への思いに囚われているからだろうか。自身もその気持ちに中てられて一度帰郷しようかと口に出そうとした時、一言も発さなかった彼女が静かに立ち上がって口を開いた。

「でしたら全部こなしましょう。」

「お、いいわね!」
空元気なのはわかっている。ただ彼女も皆の気持ちを十分に受け取ったようだ。ウンディーネが乗り良く元気に答えるとクレイスも手を引かれて立ち上がる。
「・・・よし!だったらまずは訓練だね!」
気が付いたのは『ジグラト戦争』時であったがクレイスはノーヴァラットやティムニールから魔力を吸い上げた事により彼らの魔術も僅かながら身に着けていた。
故にウォンスとの戦いでは速さで対抗しようと飛空中に風の魔術で身を包んだのだがこれがまたとてつもない消費を強いられるのだ。折角手に入れた力も使いこなせなければ意味がないだろう。
クレイスはセイラムの言う来たるべき厄災について思い出すと志を新たに4人で訓練場へと向かう。

ただその内容だけはわからずじまいのままだ。そこで十分な力をつけていたクレイスは初めて自分なりに考えてみる。

少なくともセイラムはマーレッグを簡単に処せる程の力を持っている『天界』の王なのだ。そんな彼が恐れる程の厄災とはどういったものなのだろう?

(・・・ヴァッツが『天界』に行けば教えてもらえるのかな?)
セイラムの悩みを彼が解決すれば詳しく教えてもらえるだろうか?それともセイラムですら明確な事象はわかっていないのか。それが訪れた時、自分はどこまで協力出来るのか。
クレイスもただ強さを求めて来た訳ではない。最初は自分の身くらいは護ろうと思い立ち、今ではイルフォシアを護れるくらいの強さが欲しいと頑張っている。
そして将軍を任されたり王子としての働きを期待されるのであればいつかは人々を護り、国を護れるようになるまで成長せねばならないはずだ。

初志は一貫している。そう、全ては護る為に強さを求めて来たのだ。

であれば迷う事は無いだろう。来たるべき厄災とは文字通り向こうからやってくると捉えればこちらはそれを跳ね返せるよう整えて行けばよい。

自分の中で満足な答えと邁進を決意したが気が付くとイルフォシアとルサナがかなり本気でやり合い始めていたので慌てて空に飛ぶと仲裁に入る。
「2人とも!熱くなりすぎだよ!!」
ほんの少しだけ心が楽になったクレイスはその日の訓練を程々に終えると次はあまり出歩いた事の無い『トリスト』の城下町へ足を運ぶのだった。





 『トリスト』へ来て以降、兵卒から始まりずっと修業に明け暮れていたクレイスは賑わう街中に初めて足を運んだ事で目を丸くしていた。
「へぇ~。これが『トリスト』かぁ・・・」
少しでも多くの人々が生活出来るよう建物は多階層になっているのは工夫の最たるものだろう。普段は上空から素通りしていた街の内情に感心しながらルサナについていくとそこには意外な人物がいた。
「いらっしゃ・・・おや?クレイスと第二王女ではないか。」
「あれ?ティナマちゃんクレイス様の事知ってるの?」
「ど、どうも。こんにちは。」
何故か力の全てを奪われた少女ティナマが制服姿で出迎えてくれたのだ。常に時雨と共に行動している印象だったがそうでもないらしい。
「ティナマ?こんな所で何してるの?」
「うむ。話せば長くなるが・・・まぁとにかく、お茶をするのなら中へどうぞ。」
ウンディーネの疑問を軽く流した後、割と真っ当な接客で一行を案内してくれる。元は『七神』の長でかなり高圧的な態度を取ると聞いていたが今の彼女からはそういった気配は全く感じられない。
むしろ働き慣れた様子で4人が座れる席へ案内してくれると早速ルサナおすすめの焼き菓子に紅茶が手際よく運ばれてきた。

「しかし意外ですね。『天魔族』の貴女が人間社会の労働に勤しんでいるなんて。」

イルフォシアも実父との出来事を忘れて意外そうに尋ねるが一段落したティナマがそれに答えるべく円卓に戻ってくると勝ち誇ったような表情で説明してくれた。
「わらわは昔から色んな場所に潜り込んではその様子をずっと眺めて過ごして来たからな。やろうと思えば何でも出来るのだ。」
確か彼女は気取られずに相手へ近づける力を持っていたはずだ。そしてダクリバンに操られて長に仕立て上げられていた話も聞いているが根は真面目な娘なのだろう。でなければヴァッツが命を奪わずに傍に置くはずがない。
ところが自身が元敵国の出自だった為か。副将軍兼家庭教師は訝し気な表情で彼女と出された焼き菓子を見比べた後何かに気が付いたのか素早くそれに伸びる手を止めた。

「・・・もしかして・・・クレイス、このお茶と御菓子を食べないで。毒が盛られている可能性があるわ。」

「そんな真似するかっ?!このおっぱいお化けがっ!!」
言い得て妙な例えに思わず納得したがこれにはノーヴァラットが据わった眼をして襲いかかろうとしたので慌てて本日二度目の仲裁に入る。
「ふーん。だったら何でこんな所で働いてるの?ティナマの扱いって賓客とかヴァッツの従者じゃなかったっけ?何かお金に困ってるの?」
ウンディーネも不思議に感じたのだろう。御菓子に何の疑いも無くさくさく食べながら尋ねるとティナマはやや諦めたような表情で答え始めた。

「・・・それを理由にただ飯を貪るつもりもない。」

つまりしっかり働いて自分の食い扶持くらいは確保したいという事か。これは誇りの高さが伺えると共に一部の人間は見習うべき姿かもしれない。
「ティナマちゃんは働き者だからねぇ。ずっとうちにいてもらいたいくらいさ!」
そして思った以上に人望も築き上げているらしい。店の女将さんらしい人が笑顔でそう告げてくれると彼女は気恥ずかしそうに顔を背けていた。



「っくしゅんっ!!あれぇ・・・誰か私のうわさをしてる気がする・・・」

「お前のうわさなんて御爺様くらいしかしないだろ?また会いに行ってやりなよ?」
戦う力を保持しており、ヴァッツの従者として十分働く力を持つハルカは一切その役目を果たしてない。いや、リリー姉妹を護る為という口実が辛うじて成立しているだろうか。
ただルルーも今はショウに振り向いてもらおうと毎日登城して働いているので実際ハルカだけが本当に何も成果を上げていない状態なのだ。

そんな彼女を見てこうはなるまい、とティナマを決意させたのだが本人だけは相変わらず優しい姉と妹に囲まれた環境に身を任せ、ぐーたら生活を満喫するのであった。





 ヴァッツの下に伝令が届き、早速『天界』へ向かう事となったのがこうなると黙っていられないのがアルヴィーヌだ。
「嫌。絶対私も一緒に行く。」
イルフォシア程ではないにしても彼女もまた実父と交流を深めたいとは考えている。故に会える機会を奪われる事への憤慨と自身の綺麗な銀髪が保てなくなる苛立ちを爆発させていた。
「えぇ~・・・でもセイラムがオレ1人でって言ってるし、すぐ帰って来るから留守番しててよ?」
「前もすぐって言って全然待たされた。だから嫌、嫌、嫌、嫌、嫌。」
思わず地団駄を踏みそうになったがここはビアードの家であり近くにはお気に入りのビシールもいるのだ。
怖がらせるのはもちろん危険な目に合わせたくないと考えられるまでに成長していたアルヴィーヌはぎりぎりの所で思い止まるも決して諦めるつもりはない。
いつも以上にヴァッツの腕をぎゅっと抱きしめて頭と顔を擦りつけると少しだけ落ち着きを取り戻しながら彼を強く睨みつける。

そもそも『天界』へ赴くにはアルヴィーヌが担いで西の海まで飛ばなければならないのだから置いてけぼりなど以ての外のはずなのだ。

この甥っ子はそこをわかっていない。叔母が強く憤慨する中、様子を伺っていたビアード親子も困惑した様子で口を挟めずにいるとやっと折衷案が降りて来た。


【では私の中に潜んでおくか?】


ヴァッツが何も思い浮かばずに困っていたので遂に『闇を統べる者』が救いの手を差し伸べてくれる。これならセイラムに気取られる事無く『天界』へ入れるのだろうがアルヴィーヌは一瞬考えた後首をぶんぶんと横に振った。
「違う。『ヤミヲ』は何もわかってない。」
「えぇぇ・・・でもバレない様にオレの傍にいたいんでしょ?だったらそれが一番だと思うけどなぁ。」
「違う。私はヴァッツの・・・・・あれ?」
今まで考えた事も無かった思考が口から飛び出しそうになったので思わず言葉に詰まる。

私はヴァッツの腕に抱き着いていたい。彼の温かさを感じていたいから傍にいたいのだ。

何度か考え直しても結論がそこに行き着くので怒りさえどこかに飛んでいったアルヴィーヌは小首を傾げてヴァッツを見上げる。
おかしい。彼とは確かに結婚を約束した中だがそれはあくまで自身の銀髪を維持する為だったはずだ。なのにそれを差し置いて他の理由が口から、頭から飛び出てくるのはどうかしてしまったのか?
いつの間にか芽生えていた気持ちが何なのかがわからず困惑しているとヴァッツは軽く溜息をつく。
「それじゃおまじないをかけてあげるから、大人しく留守番してて?」
「・・・おまじない?」
それからアルヴィーヌの頭に掌を乗せて弧を描く様にかるく撫でてきた。一瞬、優しい温もりに全てを許しそうになったがその前におまじないは終了する。

「・・・これでよし!しばらくは銀髪のままでいられると思うよ。んじゃオレは行ってくるね!」

こちらとしては全く意味が分からなかったがヴァッツがそう言うのであれば何かしら効果があるのか?
詳しく問い詰める前に足元の影から身を沈めて消えてしまったのでその効力は時間が経たないとわからないだろう。ただ憤慨以上に寂しさを覚えたアルヴィーヌは椅子に座ると食卓に突っ伏してしまった。
何故だ?最近はずっと一緒にいたせいか、少しの間だけでも離れ離れになるのがとても心に堪える。
「・・・早く帰ってこないかな・・・」
まだ出立して1分も経っていないのにそんな事をぽろりと口にするとビシールが心配そうに隣へ腰かけて様子を伺ってくれた。
それも嬉しい。嬉しいのだが何よりも心細さが感情を占めてしまっていた為、憂いのある笑顔を向けると不安な気持ちが伝播したのかビシールも寂しそうな表情を浮かべていた。



だが彼女は『天族』であり我儘の権化なのだ。

黒髪に戻る時間がいつもと変わらない周期で訪れるとおまじないがでたらめだったのだと気が付き、今まで以上に激高したアルヴィーヌは家の外へ飛び出した後まるで流星のような勢いで西の海へ飛び去るのだった。





 いつから戦い始めて、いつから王になったのかも覚えていない。それ程昔から理由も無くずっと、ずっと戦い続けて来た。

そんな人生にはっきりとした疑問を感じたのは好敵手だったバーンが『天界』から去った時だ。
初めて拳を交えた時から他とは違う存在だと瞬時に理解したが彼は力だけに留まらず思考までもが逸脱していたのだ。
こことは違う世界へ行く。考えれば考える程不可解であり、眩しい発想にセイラムはただただ眺める事しか出来なかった。

だからこそセイラムはバーンが逃げたという地が気になって足を踏み入れてみる。己の中の疑問と向き合う為に。

するとそこには見た事の無い植物が無数に生えており、見た事の無い動物達が闊歩していた。妙に高い地形や広大な湖など『天界』とは全く異なる様相に戸惑うばかりだ。
想像力に乏しかったセイラムが敵対こそしなかったものの違和感と嫌悪感から敬遠を選んだのも仕方ないだろう。
ところがバーンはそんな地上の生態系をとても前向きに捉えて喜んでいたのだから気味が悪かったセイラムは顔を合わせる度に悪態を付いたものだ。

それからしばらくして彼が魔術という独自の力を生み出し、『魔界』という地下世界を築き上げていくと地上でも文明が産声を上げる。

最初は稚拙なものだったが彼らはどこから生み出したのか。時を経るにつれて大きな集落に言語、文字、農業、狩猟、そして貨幣や軍勢の概念までもが次々に登場してくる。
観察しているとそれらは不都合を補うためのものだというのもわかってきた。彼らは効率化を求めて文明を先鋭化していったのだ。
「・・・不思議な存在だな。」
呟いてはみたがもっと不思議なのは自分達の存在なのかもしれない。何故なら『天族』達はいつの間にか巨大な城や衣服を手に入れ、言葉を操り何百万年も前から戦いを繰り広げている。
進化という概念は存在せず、与えられた環境に疑問も持たず同じ事を毎日繰り返す。ただこの結論は一人だと導けなかっただろう。

全てはバーンという異色の存在が『天界』から逃げ出した事によって動き始めたのだ。

セイラムと同程度の力量を持ち、全く違う発想と性格をしていた彼は見えない力に縛られた人生にいち早く疑いを持って新たな世界や魔術を作り出した。
更に地上の文明を取り込む為に人間へと姿を変えて彼らと軽い接触までし始めたという。
この行動には再び悪態を付いたが同時に興味もそそられた。『天族』や『魔族』とも違う、短い寿命と非力な存在をどう利用するのだろう。

結果としてセイラムも暇を見ては地上に降り立ち、バーンを模倣するかのような行動を試み始める。

こうして彼の中でもまた『天族』らしからぬ野心が芽生えてしまったのだがそこは『天界』の王。終わりのない人生の中に見出した一つの光明を巧みに隠しつつ、静かに邁進する事を決意したのだった。





 地上にも争いはある。だがそれらには双方の欲望という確かな理由が存在した。

なのに自分達は己の力を誇示したい訳でもなく、相手が憎い訳でもないのに毎日毎日殺し合いを続けていたのは何故だろう。
答えがわからないまま足繁く地上へ通っているとセイラムはいくつかの事象に気が付いた。
1つは自身の力が少しずつだが弱まっている事。もう1つはそれがあったからバーンは魔術という全く新しい力を生み出したのだという事だ。
元々好敵手と呼べる存在はここ200万年でバーンしか存在しなかったので多少力が削がれた所で他の誰かに負ける事は無い。
しかしいらぬ不覚を取るわけにもいかないだろう。これは戦う事しか出来ない人生で嫌という程学んできたセイラムだからこそ辿り着いた答えだ。

故に以降は地上へ出向く機会を減らし、もし降りる場合は自身の力である『時を止める』術を展開して抑え込むよう心掛ける。

そして3つは彼らの増え方だ。

地上の人間達は番を作って子孫を残しているらしい。では『天族』はどうだろう?
日付を跨ぐと全快するのは言うまでもないが新たな『天族』もこの時登場するのだ。だが彼らはある程度育った体躯を持っており地上にいる子供や赤子という状態ではない。
そもそも『天族』と人間では生態系が全く違うのだから彼らと比べるべきではないのかもしれない。

だがバーンは自身の魔術を追求し魔力を消費しては同族を増やしていった。

これも知った時は畏怖と嫌悪感から悪態をつらつらと流したものだが内心では驚愕と羨望が渦巻いて仕方が無かった。
彼は『天界』で送る無為な人生に終止符を打つ為に新しい世界へ飛び込み、新しい技術を生み出し磨き上げて更なる向上を目指しているのだ。
王という立場を言い訳に保守的な姿勢を貫いてきたセイラム。片や誰も見た事の無い場所へ飛び込み新世界を創造していったバーン。双方から生まれた確かな差は認めるにはあまりにも大きすぎた。

それでも月日が流れるにつれ自身でも戦う以外に何か出来ないものかとより深く考えるようになった。

『天族』は相手を支配する術こそ持ってはいてもこれを活用する良案は出てこない。他にあるのは相手を破壊できる力くらいだ。
せめてバーンのように血を分けた一族が作れたら・・・いや、例え作ったとしても『天界』では戦いに明け暮れていつかは誰かに殺されるだけだろう。
前提として自身が『天族』であり『天界』に住む以上地上の人間や『魔族』のような環境は期待出来ないはずだ。
もっと根本から考え直さないといけない。セイラムは日夜理想の形を思い浮かべては修正し、崩し、一から組み立てるを繰り返していく。

こうして思考の底へと落ちながら毎日のように地上を観察していると意外な事実を目にするようになった。

それがごくまれに『天族』や『魔族』が人間に交じって生活している事だ。

最初は何かの冗談かと目をこすってみたり何度か確認し直してみたが彼らは間違いなく人間ではない。というか『魔族』はともかく何故『天族』が地上へ降り立っているのか?
許可を出した覚えも無いし地上へ降りるには相当な力が必要となる為、今見えている脆弱な存在が降りられるはずがない。
不思議な現象に疑問符だけが脳裏に浮かぶが彼らは殊の外人間達と上手く共存出来ている。特に『天族』はその力をどんどん失って彼らに近い存在へと変貌していくので疑いを持たれる要因はほとんどないだろう。
(・・・・・愚かな。)
決して戦い自体に嫌気が差した訳ではないので『天族』の持ち得る最大の能力を失う事への恐怖と疑問が過ったのも当然だ。ところが彼らの生活を継続して観察しているとそのような心配は全くしていないらしい。
むしろ初めて『天族』の全く違う生き方を実際に確かめたセイラムはやっと整った形の未来を想像したのだった。





 自身も全てを捨てて地上へ降り立とうか。そうすれば何かが見えるかもしれないと何度も考えたがどうしても決断に行き着かなかったセイラムは自己嫌悪に陥る。
これは長く『天界』で暮らし過ぎた影響だろうか、それとも元より臆病な性格が災いしているのか。
ともかく折角見えた光明に手を伸ばせそうになかったセイラムは諦めて日常の戦いに身を投じていくのだが地上を覗き見していて再び脳裏に閃光が走った。

それが子の誕生だ。

どうやら『天族』も人間と同じような行為で子孫を残せるらしいのだ。今まで周囲を戦うべき存在としか認識していなかった為これは正に青天の霹靂だった。
(男と女か・・・・・)
人間を参照に考えると自身は男という部類に入るらしい。ならば手頃な女を見つけて同じ事をすればバーンのような家族が作れるという事か。
この発見にセイラムは機嫌の良さから初めて鼻を鳴らす程だったが慌ててはいけない。引き続き『天族』と人間の生活を見守っていると大きな障害がいくつも見えて来たのだ。
まずは寿命。これは人間の方が遥かに短く、力を失ないながらも『天族』は200年近く生きていた。
そして子の方は子孫が残せないのか、いくつもの『天人族』が行為に及んでいるのは何度も見たが決して孕む事は無かった。 

(何という事だ・・・)

元来姿形こそ似てはいるものの存在が全く違うのだから当たり前なのかもしれない。だがこの事実はセイラムの計画を再び白紙に近いものへと戻してしまったのだ。
出来る事ならバーンのように家族を増やしたい。増やし続けたいのに人間との混血は一代で途絶えるのだから意味がないだろう。
後は生まれた家族を大切に育てたい。少なくとも命が脅かされるような、戦いを強いられるような環境ではない所ですくすくと育って欲しい。

考えれば考える程不可能という文字が浮かび上がる。

何をどうしても障害が大きすぎて諦める方向に思考が流されるのだ。だが唯一、男女という性差別と行為によって子を授かる事実だけは何物にも汚されなかった。

だからこそセイラムは再び『天界』に着目したのだ。

毎日名前もわからぬ同族と殺し合ってはいるがそこには確かに男女が存在していた。つまりその気になれば自分達も『天族』が残せるのではと推測を立てたのだ。
ただ日が昇っている間は難しい。何せ『天界』の王ですら我を忘れて相手を屠る為に力を振るうのだから。
そうなると行為に至るどころではない。母体を殺してしまっては元も子もないだろう。

そこで絶対に使わないだろうと諦めていた力を再度見直す事となる。そう、相手を支配する力だ。

これを使えば少なくとも相手から攻撃される事は無い。後は自身を抑え込める手段があればいいのだがここでも暗礁に乗り上げる。
まず『天界』にいてはそれが不可能なのだ。日中は必ず同族を殺そうと力を振るってしまい、例え相手を支配下に置いたとしても正気に戻った時はただの肉塊にしてしまっていた。
となると場所を変える必要がある。
セイラムは何度も試行錯誤を繰り返し、今度こそはと適当な『天族』の女を見つけると夜間に支配してから2人で地上に降りる。そしてそこで事に及んでみたのだ。

しかしまたしても決定的な『天族』故の理由により思い通りに事が運ばなかった。





 『天族』が持つ日付を跨ぐと全快する能力に、いつの間にか現れる新たな同族達。これらの意味する所は欲求が無くとも繁栄が約束されている点だ。

だから地上の男女がやっていたような行為にはどうしてもたどり着けない。当然だろう。『天族』には性欲がないのだから。
ただこれにはセイラムが知らない事情もあった。それは力が強い『天族』ほどそれが薄いというものだ。つまり脆弱な『天族』程人間社会に溶け込んで上手く生活出来たのもここに原因があるのだ。
そして支配下に置いた女もただの操り人形と化していた為、より生殖本能を刺激させる事が難しくなっていた。全てが悪い方向へと進んだ船はもはや座礁どころか転覆寸前だ。

(何が悪かったのか・・・相手か?)

しかしそこは『天界』の王だ。すぐに原因を特定するもそれはあくまで『天族』的な思考からだった。つまり子孫を残す為には自身と同じくらい強い者でないといけないのでは?と考えたのだ。
こうしてセイラムは翌日から強い女を探すべく戦い抜いた生き残りを必死で探し回った。
だが彼ほどの強者がおいそれと現れる筈もなく、最終的には『天族』の中でも最も弱いと思われる程の女性を手にしてしまうのだった。



出会いとは不可思議なものだ。

アルヴィーヌとイルフォシアの母はとても弱く、そしてやや幼い容姿をしていた。日中も皆が血眼になって戦っていたにも関わらず彼女は怯えて身を隠してひたすら逃げ回っていたのだ。
故に無傷で一日を終えると心底疲れた様子で巨城へ戻って来たのだがその時セイラムはあまりにも覇気のない彼女に本当に同族かと目を疑った程だった。
「・・・おい貴様、名は何という?」
「へっ?!あ、はい!私はエルティーマと申します!」
受け答えも凡そ『天族』らしくない。彼らは戦い抜いた夜、その誇りと安堵からもっと自信に満ち溢れるはずなのに何故かエルティーマはおどおどとした様子で目を泳がせていた。
「零時までまだ時間はあるな。エルティーマよ、どうやって戦いを生き抜いたのか少し教えてくれないか?」
未成熟な体と聞き慣れない甲高い声、そして美しくも短い銀髪はセイラムの深層心理に何かを訴えかけていたのかもしれない。
彼は自身の部屋に通して早速話を聞いてみるととても驚いた。何と一切戦わずに生き延びたのだというのだ。
「・・・わ、私って駄目ですよね。でも不思議なんです。何故皆はそんなに戦いたがるんですか?」
「・・・逆に問う。お前は同族と戦ったり殺したりしたいと思わないのか?そんな衝動に突き動かされないのか?」
「は、はい!そもそも私、戦う力がほとんどないから・・・殺気立ってる人を前にすると怖くて怖くて。」
今まで脆弱な『天族』は山ほど見て来たがここまで酷いのは初めてだった。というか弱いからといって尻込みする理由が一切分からない。『天族』とは強さに関係なく同族を殺す為に戦うのではないのか?

「ふむ・・・む?つまりエルティーマは日中でも戦う気が起きないと?」

「は、はい!もう絶対無理だなって思ってます!はぁ・・・どこか戦わなくて済む安全な場所とかありませんか?」

まさかそんな突拍子もない相談を受ける事になるとは。月明りの射す窓際で思わず呆けているとエルティーマも諦めたような表情で笑い出したのでより混乱が増すのだった。



思い返せば地上で見て来た人間の女らしい部分が重ねて見えたからこそ惹かれたのかもしれない。その夜セイラムは彼女を連れて地上の小さな小屋の前へ降り立つ。
「ここなら『天族』同士の争いに巻き込まれずに済むだろう。」
「へぇ~・・・ってここ、何処ですか?」
そこは以前、何度か子を授かろうと試しに設けた場所だった。周囲には大きな集落もないので人間との争いに巻き込まれる心配もないはずだ。
「地上という場所だ。ここには我らと同じような容姿の存在が多数生息している。そして彼らは我ら程力を持っていないし好戦的でもないから安心して暮らすが良い。」
最初は言葉通りの意味だった。彼女を地上に移して再び観察しようとだけ考えていた。

ところが以降はその様子を眺めるのが日課となって行き、多数の人間と交流する彼女を見ていくとセイラムの中で何かが芽生え始めるのだった。





 エルティーマに与えた小さな小屋に幾人かの人間が、特に男が訪れる度に心配する気持ちが過るのは何故だろう?。

「え?!そ、そうだったんですか?」
「うむ。だからもし戦いに巻き込まれそうな時は遠慮なく空に向かって私を呼べばいい。必ず駆けつけよう。」
あくまで彼女は観察対象なのだからそこまでする必要はないはずだ。なのにその弱さ故の庇護欲に火を付けられたのか。ある日、地上へ降りたセイラムは自身が『天界』からこちらを眺めている事をつい口走ってしまう。
するとエルティーマはぽかんと驚いた表情を浮かべた後くすくすと笑いだした。
「ふふふっ。でしたら今度私が呼んだ時、すぐに駆け付けて下さいね!」
元より『天族』らしくなかった彼女は地上で暮らし、人間達と触れ合っていく事でより彼らの影響を強く受けていたらしい。
その真意まではわからなかったがセイラムも頷いて約束するとその日は『天界』へ戻る。だがすぐに地上へと目を向けてしまうのだから自分でもよくわからない。

戦いの最中ずっとエルティーマを想い、その姿が脳裏に浮かんでは消える。

日中の『天界』とは誰もが命を奪うべく死ぬ気で戦い続けるものだ。なのにいくら最も強い存在だからとそんな油断が許されるのだろうか。
(いや・・・油断などではないな。)
生まれて初めて戦いに集中出来なかった事実をどう受け止めるべきか。感情や欲望という概念に疎いセイラムが答えに辿り着くことはない。
ただ彼女の姿が思い浮かんだままなのだからまずはこれを解消すべきだろう。そう考えた彼は早速地上へ目を向けてみるとエルティーマが小さな手で手招きしている様子が見えるのだった。



「どうした?何かあったのか?」
自身の力が少しずつ奪われるのも忘れて降り立ったセイラムは多少白い息を吐きながら急いで尋ねる。すると彼女は頬や鼻先、耳を赤くして小屋の中へ誘った。
「まぁまぁ。とにかく寒いので中へ入って下さい。」
『天界』に季節という概念はなく、寒さの影響か空から雪と呼ばれるものがぽつぽつと降っているのも印象的だ。
それから2人は椅子に腰かけると早速セイラムは手招きの理由を再び問う。するとエルティーマは前以上に明るく優しい笑顔を零して小さな口から更に小さな舌をちょろっと出して見せた。
「えへ。実はセイラム様にただ会いたくてお呼びしました。」
「何?」
これがもし地上で言う王と市民の関係なら極刑ですら生ぬるいかもしれない。だが『天界』でいう王とはあくまで最も強い者の称号に過ぎないのだ。
故に強さの上下関係こそあれど基本的な身分は対等な為セイラムも憤怒することはなく、むしろ理由に見当がつかないまま不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げていた。

「ねぇセイラム様。セイラム様は以前子が欲しいと仰ってましたよね?」

更に話が突飛も無い所へ展開されると頷きつつも彼はより困惑する。
「でしたら今日、それを私と試してみませんか?」
「ふむ・・・とても有難い申し出だが以前から何度も試して不可能だったのだ。それをお前が実現できるというのか?」
『天族』の中でもとりわけ弱いエルティーマにその力があるとは思えない。だが何故だろう。机を挟んで前に座る彼女の瞳には感じた事の無い力が見えたのだ。
そのせいだろうか。セイラムは僅かに心が動くと興味が沸いてきた。そして彼女も木製の杯に入っていた温かい牛の乳を飲むとゆっくり立ち上がってこちらの膝の上に腰を下ろして見つめてくる。

人間の世界で言う情事。その流れや作法、理由などは全く知らなかったが地上で半年以上暮らして来たエルティーマは見聞きしてきた情報を元にそれを一生懸命こなそうと動きを見せ始めた。

すると封印されていた本能が少しずつ、ほんの少しずつセイラムの心に光を灯し始めたのだ。その正体はわからないままだが今はただ彼女の期待に応えるべく彼も不器用に唇を重ねていた。





 『天界』から観察していたとはいえ全てを詳しく見ていた訳ではないので所々戸惑う部分はあった。それでも2人は寝具の上で笑い合いながら体を重ねる。

するとどうだろう。今までになかった領域に踏み込んだのをしっかり体感すると同時に眠っていた本能が子孫を残す記憶を全身に伝達し始めたのだ。
これにはセイラム自身も驚きつつ求めたい、求め続けたい衝動が『天界』での戦いに似ているな、と冷静に分析しながら小さくも暖かいエルティーマの体を優しく強く抱きしめた。
気が付けば夜も深くなっていたが、それでも夢中で本能の赴くままに身を任せると不意に頭の中で火花のような光がぱっと華開いたのを感じる。

「あっ・・・・・」

それはエルティーマも感じたらしい。小さく可愛らしい声を上げると共に2人は見つめ合ってから笑みを零した。『天族』だからこそ察する事が出来たのだろう。
やっと待望の子を授かったのだと確信したセイラムは喜びと達成感の後そこで体を離してもよかった。だが今夜だけは何故か彼女の肌を、体温を、そして子を授かった喜びをもっと分かち合っていたくて彼は再びその行為を繰り返すのだった。



普段から傷を負う事等まず無かったのでほとんど睡眠の必要が無く日々を送っていたがエルティーマはそうではないのだ。
日が昇ってからも一向に目を覚ます気配のない彼女の安らかな寝顔を眺めつつセイラムはこれからどうすべきかを真剣に考える。
(・・・しまったな。子を作る方法ばかりに気をとられてその後を全く考えていなかった。)
思い返すと人間を観察していた中でも真剣に見ていたのはその部分だけなのだ。まさか本当に子を授かれる日が来るとは思いもしなかった。いや、まだ生まれていないのでこれも早計か。
とにかく今後の準備を早急に整えねばなるまい。セイラムは美しく癖のある短い銀髪の頭を軽く撫でながらまずはこの小屋をしっかり護る方法から考え始める。

・・・・・

駄目だ。知識が不足し過ぎて今はその程度しか考えがまとまらない。自身の中で落胆と妥協を落とし込むと彼は立ち上がり、小屋の外へ出て真上に飛びあがる。
以降はエルティーマの様子を毎日眺めつつ、時折彼女の手招きに誘われて楽しい時間を過ごしたりもしたが知識を得るごとに必要なものが見えて来た。
まずは産婆だ。
どうやら人間が子を産む時、その手助けをしてもらう人物が必要らしい。正確にはそれがいなくとも可能ではあるようだが観察した所、その存在がいるといないとでは出産に大きな影響が出るようなのだ。
なので彼は時間がある時、周囲で名のある産婆がいないかを探し回った。そして眼鏡に適った人物に当たりをつけると次は出産予定日だ。
これも個人差はあるらしいが人間は大抵九か月強で生まれるらしい。であればそれも参考にしっかりと計算しておかねばならないだろう。

(・・・私の子か・・・)

未だに夢のようだが目の前に現れれば一気に実感が湧くはずだ。となれば自身が父となりエルティーマが母になるのか。
名前はどうしようか。男と女の名を考えておくべきか。子が生まれたら自身も地上に降りて一緒に生活すべきか。しかしそうなると『天界』や自身の力はどうなるのか。
考えれば考える程妄想と想像が膨らむ。夢か現かわからない状態が幾日も続く。エルティーマのお腹も日に日に大きくなり、手の平を当てると温かくも力強い動きを感じ取れる程だ。



そして遂に待ち望んだ運命の日。



セイラムは産気づくという状態もわからないまま、まずは産婆の下へと赴きエルティーマの出産を手伝って欲しいと願い出る。
「おや?あそこの娘さんはてっきり独身かと思ってたが・・・そうかいそうかい。いいよ。早速向かおうじゃないか。」
ところがここでまず誤算が生じた。人間は空を飛べない為、陸路での移動により彼女の待つ小屋まで随分と時間が掛かってしまったのだ。
そしてもう1つはエルティーマの状態だ。
元々『天族』としての力をほとんど持ち合わせていなかった彼女は既に地上で1年以上生活してきた。故にその力の減退はセイラムの比ではなかったのだ。

こうして様々な要素が負の方向で絡み合うと彼女は元気な双子の娘を形見として産み落とした後、笑顔を浮かべたままこの世を去るのだった。





 今まで数えきれない程同族の死体を見て来たが何かを感じた事はただの1回もない。それは『天族』という種族が戦いの果てに亡くなるのが当たり前だったからだろう。

肉片だったり下半身だけだったり頭が吹っ飛んでいたり。そんな日常に毒され過ぎていて分かり得なかったのだ。

生きていた時の姿と変わらず亡くなった存在の美しさを。更にそれが自分の妻だからだろうか、眩し過ぎるせいか直視すら難しく感じてしまう。

だから信じられなかった。彼女の死を。こんなにも綺麗なまま死んでいくなんてあり得ない。考えられない。

今にもむくりと体を起こして名前を呼んでくれそうな。あの明るくて少し高い声で笑いかけてくれそうな。そんな光景が目に映っているような錯覚の中、セイラムは生まれたばかりの娘達を抱きしめたまま微動だにしなかった。

だが状況は待ってくれない。遺体は放っておくと腐っていくものらしく、それは『天族』も例外ではないのだ。
まずは近隣の集落からエルティーマと交流のあった人間が大勢訪れて葬儀の準備をしてくれる。同時に双子の娘達にも乳を飲ませないといけないので産婆が方々を当たって何とか幼い命を繋ぎ止めてくれた。
「お母さんの分まで強く生きてもらわないとねぇ。」
これは母親が命懸けで産み落としてくれたのだから、その分娘達は末永く元気に人生を歩んで欲しいという意味が込められていたらしい。

そして人間社会の仕来りに沿ってエルティーマの葬儀が終わると生まれて初めての別れにセイラムは静かに涙を零すのだった。



誰かが死んだ事くらいで何故こんなにも苦しいのか、いや、これが悲しみなのか。

凡そ『天族』として全く必要のない感情を芽生えさせてしまい『天界』へも帰る事を忘れて途方に暮れていたセイラムだが時間は確実に刻まれていくのだ。
「あんたの娘さん達はとっても元気だなぁ。」
あれだけ望んでいた子供の誕生がまさか妻の喪失にかき消されるとは思いもしなかった。
何もやる気が起きなかったセイラムだが乳母によって生き永らえた娘達の泣き声や嬌声によって少しずつ自我と心が癒されていく。
(・・・・・そうだ。私は何の為に子を手に入れたのだ。思い出せ。)

最初はただ興味本位なだけだった。バーンが戦わずとも共に歩める同族を生み出したのが羨ましくて。

しかし今はそんな邪心など跡形もなく消え去っていた。命を、赤子を育てるというのは並外れた力が必要なのだ。更に彼女らを『天界』などという地獄に連れ帰るつもりもない。
ならば自身も覚悟を決めてこの地上で生きていこうか。この時までは本気でそう考えていたのだがどうしても譲れない部分があった。
それが同族だ。
現在のセイラムは『天界』の王でありその力に比肩する者はバーンくらいだが彼は争いを嫌っている為放っておいても害はないだろう。
ところが『天族』は違う。同族と戦い殺すという本能を備えており何時『天界』からそういった存在が生まれ、地上にいる自分達の前に現れるかわからない。

だから彼は『天界』に残る事を選んだのだ。愛する妻が命と引き換えに産み落とした大切な娘達を同族から護る為に。

故に今のセイラムは王というより門番の役割が強い。常に『天界』と地上の様子を万里の眼を光らせながら娘達の成長を静かに見護っている。

いつか愛する娘達と一緒に、妻の前で昔話に花を咲かせる事を夢見て。

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