闇を統べる者

吉岡我龍

波風を立てずに -宿命-

 イルフォシアはヴァッツの話が頭から離れなかった。
(お父様が困っている・・・)
自身が相対した時は特に何も感じ取れなかったが彼が言うのであれば間違いはないはずだ。何よりそこに自分達をスラヴォフィルに預けた原因があるのではと考え込んでしまう。

『天界』での時間の流れは地上で一瞬の出来事になるらしい。

すると居ても立っても居られなくなったイルフォシアは再び『天界』へ向かう事を決意する。
「イルフォシア。」
ところが人目のつきにくい夜に行動を起こし始めた瞬間をクレイスに呼び止められてしまった。中空で静止した彼女は心を落ち着かせて言い訳を考えていると先に彼のほうから尋ねてくる。
「まさか一人で『天界』へ行くつもりだった?」
「・・・・・はい。」
実父へ夫になる人と紹介していたのもあるだろう。彼には嘘をつきたくなかったので話を振ってくれたのはとても助かるし嬉しかった。
「私、どうしてもお父様から全てをお聞きしたくて・・・いけない事だとはわかってるんですが・・・クレイス様、どうか今夜だけは見て見ぬ振りをしていただけませんか?」
「それは出来ない。」
全てをわかってくれると信じて打ち明けたのだがクレイスからは意外な答えが返ってきた。これには夫に裏切られた妻のような錯覚に陥ったが彼の言葉には続きがあるらしい。

「『天界』は分からない事だらけだし君を一人で行かせるなんて僕には出来ないよ。だから一緒に行こう?」

やはりこの少年で間違いはなかった。いつの間にか心を惹かれていた理由は恐らくこういう部分を何度も見てきたからだろう。嬉しくてつい抱きつくと彼も小さく笑い声を漏らしていた。
「その代わり皆に心配かけないよう長居はしない事、約束してくれる?」
「はい!」
イルフォシアも朝までには戻ってくるつもりだったので何も問題はない。月明かりの下、少しだけ見つめて頷き合うと2人は西の空へと飛んで行った。



今朝と違って視界は悪かったものの方向を見失うほどでもなく、小船が浮かぶ海域に到着すると早速クレイスが巨大水球を用意してくれる。

そして再び2人がその中に身を沈め、ほぼ真っ暗な海の中へ潜っていくと今回も『天界』は日中といった様子だ。
海底洞窟を抜けた先には光が差し込んでおり、目的地に辿り着いた2人は同じように湖面へと浮上すると今度は前回に見られなかった光景が目に飛び込んでくる。
「え?!」
これには思わずクレイスが声を漏らしてしまったが当然だろう。何故なら血と骸の大地にはまだそれが飛散しておらず今現在『天族』達が本気で戦い、その様相を作り上げている最中だったのだから。

だがそれ以上に驚いたことがある。

それはイルフォシア自身にも何故か妙な闘争心が芽生え始め、その戦いに参入したいと思ってしまったことだ。彼らと争う理由など何もない筈なのに。
訳がわからない彼女はその本能とも呼べる衝動を抑えつつクレイスの腕をぎゅっと掴むと彼もこちらの肩に腕を回してくれた。
・・・怖い。この手が、彼の存在が無ければ恐らく自身も我を忘れて戦っていただろう。そう考えると自分は改めて『天族』という種族なのだと痛感させられる。
「も、もう少し離れましょう。」
気が付かれても厄介だし何より心中を悟られたくなかったイルフォシアが震える声で告げると彼らの巨大水球は再び湖中へと沈んでいく。
「収まるまで待ったほうがいい、よね?」
「・・・はい。」

こうして暫しの時を隠れて過ごしたのだが彼らは天族なのだ。2人が落ち着くのを待つ間、湖畔で勝利を得た男は既にイルフォシア達の存在に気づいていたらしく、休む事すらせずこちらに襲い掛かってきた事で予期せぬ闘いが勃発するのだった。





 天族同士の戦いでかなりの手傷を負っていたものの己の体を顧みる事無くこちらに襲い掛かって来る様は正に本物だ。
血で染まり、折れた翼もお構いなく湖の中へ潜って来たのでイルフォシアも慌てて身構えるがまずはクレイスが水球ごと湖上へ飛び出す所から始まった。
「・・・何だ?片方は同族だが・・・お前は一体・・・?」
クレイスも未知の相手に警戒しているのだろう。防御を高めた状態のまま男を睨みつけるが相手の目的はあくまで天族のようだ。
「僕はクレイス=アデルハイド。地上からやってきた人間です。」
「地上・・・人間・・・?」
こちらへは明確な殺意を放ってくるのに対して彼には不思議そうな表情を向けている。
「私達に戦う意思はありません。どうか拳を収めて頂けませんか?」
闘争本能を抑えつつイルフォシアも説得するが天族の男は彼女の言葉に耳を傾けるつもりはないらしい。

「それ程の闘気を放って何を言っている?!遠慮はいらんぞ?!さぁ力尽きるまで戦おうではないか!!」

いや違う。隠していた筈の闘争心は駄々洩れだった為、耳を傾けるだけの価値がないと判断されたのだ。
実父に会いに来ただけなのに戦わなくてはならないのか?頭の中と肉体の意思が乖離を見せ、もはや自分でも何をすべきなのかわからなくなっていった時。

「わかりました。でしたら僕が戦います。」

部外者のクレイスがそう宣言した事で2人の闘気は少しだけ抑えられる事となった。
「貴様が?というか人間、だったか?ふむ・・・良かろう!」
そして天族の男は少しだけ考えて快諾する。だがイルフォシアに向けていた闘気はかなり削られており、容姿こそ自分達に似てはいるものの正体不明の彼と戦う事に本能が薄れ、興味のみで動こうとしている。
「イルフォシアはここで待ってて。」
何故そんな流れになったのかはわからないが自分を庇おうとしてくれているのだけは理解出来る。
「は、はいっ!ご武運をっ!!」
なのでイルフォシアも自身の中に荒ぶる本能を必死で抑えつつ彼に短く声援を送ると見守る姿勢に入った。



「・・・行くぞっ!」

それから少しだけ間が開いたのは天族の男も再び闘気を充実させる時間が欲しかったからか。
自身の怪我などお構いなしに間合いを詰めてくると強く握った右拳を豪快に放って来た。しかし負傷か疲労の影響か、そもそも大した力を持っていないのか、それがクレイスに当たる事は無く彼も一瞬で水剣を展開すると迎撃気味に斬り下ろした。
ざしゅんっ!という音と共に大勢は決したとも思われたがどうやら彼は加減をしているらしい。
天族の男に苦悶の表情が浮かぶも追撃を放ってくるので彼も飛空と体術を使って細かい反撃を繰り返している。相手の力量だけが不安要素だったがこれなら負ける心配はないだろう。
「あのっ?!そろそろ止めませんか?!」
しかしクレイスから勝敗は決したかのような発言が出ると天族の男は感情の整理と闘気の枷を外したのか、回転数を上げた勢いのある拳を放ち始めた。





 手負いとは思えぬ戦いっぷりにイルフォシアの本能も刺激される。同時にそれが何故起こるのか不思議で仕方なかった。
少なくとも姉が戦う姿を見てもこんな感情は沸き上がらなかったし、そもそも自身は闘争心が低い方だと自己分析していた。なのに彼と相対してからはそれらの固定観念が全て覆されていく。
一体自分はどうなってしまったのだろう。沸き上がる衝動を抑えつつ不思議に感じているとクレイスも相手の力量に合わせて魔術の展開を1つ上げる。

ずどどどどどどどっ!!!

突然真下の湖から轟音と突風が響くと水竜巻が勢いよく上って来た。そして天族の男に直撃するとそのまま弧を描いて大地へと叩きつける。
自身は魔術を使えないので知識しか持っていないのだが実物を利用すれば威力を強めつつ消費魔力を抑えられるらしい。追撃を加えない所から殺すつもりはないようだが相手はこの行動をどう捉えるか。
「・・・うぐぐ・・・や、やるではないか・・・」
もしイルフォシアがあの立場なら何故手を抜いたのかと激高しそうだが彼は満身創痍なのでそこに考えは至らないようだ。素直に実力を称えつつも膝を付いて体を起こすのがやっとといった感じに見える。
「ありがとうございます。でもこれは貴方が実力を十全に発揮出来なかった故の結果です。また回復されたらお手合わせ願いたいです。」
クレイスも相手の状態を冷静に判断して闘気を沈める。これで突発的な戦闘も終わりを迎えるのだろう。

「おいおいおい~?戦いは最後までやらねぇとなぁ?」

ぼんっ!

ところが聞き覚えのある声と共に突然天族の男が爆発したのだから今度はイルフォシアもしっかり身構えた。恐らく間違いではない。
「えっ?!あ、あの・・・ウォンスさん?な、何故?」
いつの間に現れたのか、随分と気に入った酒瓶を片手にふらつきながら登場した彼はセイラムの側近が一人ウォンスだ。そして彼の手によって天族の男は処されたらしい。
「何故って何だよ?」
「いや・・・だってもう勝敗は決していたでしょう?何故彼を殺したのですか?」
イルフォシアも地上で育ったのだからクレイスの言い分には深く理解を示す。だが同時に『天族』の本能がそれを否定するのだから堪らない。

「はぁ?何言ってんだお前?相手を殺すまでが戦いだろ?」

この言葉に『天族』の本質が全て詰まっている。カズキの思考に近い考え方だが決定的に違うのはそれを本能で行っているという点だ。
だから彼女は何も言えなかった。反論をしたかったが本能が思考を邪魔して言葉にならなかったのだ。

「相手は既に戦える状態ではなかった。戦意だけでなく負傷の度合いから考えても。あなたが行ったのは戦いじゃない、一方的な虐殺ですよ?!」

それでもクレイスの毅然とした発言はイルフォシアの心に勇気を灯してくれた。そうだ、戦いとは戦意ある者同士が力をぶつけ合うもののはずだ。
「ほー?人間ってのはよくわからん事をほざくなぁ?」
「・・・人は護りたいものや譲れない時に戦いますからね。処刑と戦いを混同するなという話です。」
やっと声を発せたイルフォシアはその戦意を静かに抑えつつウォンスを睨みつける。自身も『天族』ではあるものの地上で育てられてきたのだから彼らより深く人間に染まっているのだ。
そこに後ろめたさはなく、むしろ誇らしい気持ちに自信が満ち溢れているとウォンスは酒瓶をぐいっと飲んだ後、据わった眼でこちらを睨みつけてくるのだった。





 「お前らの言ってる事はさっぱりわかんねぇ。殺すんだったらどっちでも一緒だろうが!」

ウォンスが酒瓶を握ったままクレイスに襲い掛かるとイルフォシアは焦った。彼は実父の側近なのだから相当な実力者のはずだ。
ここは助太刀すべきか?しかし彼がそれを望むかどうか。それにクレイスもかなりの猛者となりつつある。ならば任せるのが妻としての役目か?
そもそも何故襲われなければならないのか、という疑問を置き去りに彼女は無意識で長刀を顕現させるものの彼もまだ余力はあるようで速やかに水盾と水剣を展開して迎撃の構えを取った。
対するウォンスは武器を携える気配はないので酒瓶を持つ右手以外で戦うらしい。

流石にクレイスを下に見過ぎな気はしたがそれは杞憂だったとすぐに思い知らされる。

何故なら一撃目で放たれた蹴りがいきなり彼の水盾を貫通したからだ。これにはクレイスも驚いてすぐに収束させると勢いよく降下して湖に飛び込んだ。
それからすぐに浮上してきた時、左手には湖水を使った強固な水球が再展開されていた。まずは強度重視の防御術から組み立てていく戦略らしい。だが魔術を知らないウォンスは気にする様子も無く再び無造作に突っ込んでいくと今度は左拳を突き出した。
威力もさることながら速さも十分な彼の攻撃をクレイスもしっかりと対応していたがやはり受けるのは難しいようだ。
かなり密度を上げた水球さえも破壊しかねない勢いに流して凌ぐも彼は体勢を大きく崩して中空を木の葉のように舞う。
「はっはっはぁ!訳のわからん戯言を抜かすだけかぁ?!もっと俺を楽しませてみろぉっ!!」
無感情で天族の男を始末したウォンスに容赦はない。これには嫌な予感しかしないイルフォシアもいよいよ横槍を入れようかと思った時、クレイスの方にも更なる異変が垣間見えた。

ずばっ!!!

それは速さだ。イルフォシアの目ですら追うのが困難な速度で一直線に移動したかと思えばウォンスの腹部に水剣の斬撃を与えたらしい。
これには酔っぱらっていたせいもあるのか、ウォンスも後から来る痛みを更に後から感じつつ左手で腹部を抑えながらきょとんとしていた。
「・・・ほぉ?今の動きは・・・ほほぉ?」
「ウォンスさん。僕はあなたと戦いたくないしイルフォシアも巻き込みたくない。どうか拳を下げてくれませんか?」
一見すると強さが上回ったクレイスの言葉には説得力があった。しかしウォンスの方はそれをかすり傷程度にしか捉えていない上に戦意を引っ込める気配は全くない。

「クレイス、といったな?いいか?『天界』では何でも力が最優先されるんだ。もし俺を説得したけりゃ最低でも半殺しにしてみな?!」

当然のように戦いが再開するとクレイスも再び闘志を熾して呼応する。ただイルフォシアは安心していた。見た所ウォンスは彼の動きについていけてない。
クレイスが中空で鋭く速い弧を描きながら斬撃を加える中、ウォンスの方も下手に追いかける事無く迎撃のみの立ち回りに切り替えたのは流石だが勝敗は時間の問題だろう。
となると今後の展開について考えておくべきか。まずはウォンスに再びセイラムを連れて来て貰うかあの巨城に案内してもらうか。
そして今度こそ実父と話し合いたい。自分達を地上へ送った理由を建前に今度こそ・・・

だがここでイルフォシアが失念していた問題が発生してしまう。

それは自身が魔術に無頓着だったのも大きな理由だが何よりウォンスも一瞬唖然とするくらいあっけない幕引きだったのだ。





 思い返せば今日は『天界』という異界へ二回も赴き、更に二回も戦っていたのだ。故に膨大な魔力を消費していたクレイスは回復する機会を失っていた為いよいよそれが枯渇してしまったらしい。
風切り音と共に目にも止まらぬ速さで飛び回っていた彼が突如錐揉み状態へ移行するとそのまま激しく湖に落ちていく。
「クレイス様っ!!」
叫ぶと同時に救出へ向かったのは溺れる心配よりもウォンスの追撃を恐れてだが彼は混乱状態なので問題はなさそうだ。ともかく急いで肩に担ぐと湖上に顔を出して呼吸を確保する。

「すみませんウォンス様。クレイス様の戦う力が底をついたようなので今日は帰りますね。」

「・・・へっ?!」
それから何とも言えない表情のウォンスに素早く告げるとイルフォシアはクレイスを抱きしめてそそくさと湖底へ潜っていった。
本当なら自身が戦いを継続してもよかったがそれをしなかったのはクレイスの気持ちを汲んだのと『天族』としての闘争本能に不安を感じていたからだ。
恐らくこれを解放すればそれこそ相手を殺し切るか自分が死ぬまで戦い続けてしまう。そんな予感は間違いではないだろう。
クレイスもこちらの提案を聞いて笑顔を浮かべていたのだから今日はこれでいい。むしろ焦って彼に無理をさせた自責の念に苛まれると冷静さを取り戻したイルフォシアは急いで地上へ戻った。

それから海面に浮かぶと2人ともずぶ濡れになっていたので月明りの下、軽く笑い合う。

「クレイス様の水球って素晴らしい性能ですね。戻ってからしっかり湯屋で洗い流さないと。」
「だね。今日は帰ろう。」
久しぶりに彼を抱いて飛ぶ感覚に気恥ずかしさと温かさを感じつつ、既に髪がべたつくのを感じ始めたイルフォシアは急いで母国へ帰ろうとする。

「お~こうやって移動してたのか~。てかこの水・・・何か妙な味するな?」

ところが後方から一番聞きたくなかった声が聞こえて来たので否が応でも戦闘態勢に入ってしまった。
「ウォンス様っ?!つ、ついて来られたのですか?!」
「そりゃそうよ。あれだけ優位に立っておいて劣勢?になったら逃亡だなんて誰が認めるかってんだ。」
確かにあの洞窟さえ通れば誰でも行き来は出来るのだが戦いの為にわざわざ追いかけて来るという行動は戦闘欲求の化け物と呼んでもいい。
やはり最終的には戦う流れだったのか。不安を押し隠そうとクレイスを抱きしめる腕にも力が入るが同時に『天界』で感じていた爆発寸前の闘争本能は芽生えてこない事にも気が付く。

「あ、あの!ここは地上なので『天界』での流儀は持ち込まないでもらえますか?」

それを肌越しに察したのか、クレイスが機転を利かせて提案するも生粋の『天族』である彼が了承するとは思えない。

「・・・ふむ。いいぜ。その代わり酒をくれ。潜ったら全部流れ出ちまった。」

しかし意外な返答にイルフォシアも心底驚き、そして安堵した。どうやら自身の軽率な行動によって大事な人が傷つく事はなさそうだ。
「・・・でしたらご案内しますね。」
ただ普段から素行の良い彼女が夜に人目を盗んで城を飛び出して来た事実からは目を背けられない。更に『天族』を連れて帰ったとなれば義父も複雑な心境になるだろう。
なので彼女はクレイスにも黙って空を飛び続けるが『トリスト』へ戻る事は無く、途中の『ボラムス』で降りると早速衛兵にガゼルを起こすよう伝えるのだった。





 「・・・・・いや、まぁ話は聞くけどよ?やっぱり姉に似てる部分はあるんだな。」

深夜近くに叩き起こされて眠そうなガゼルは呆れた様子だったがイルフォシアは大好きな姉に似ていると言われて内心とても喜んでいた。
それからまずは海水を洗い流せるよう個別の湯屋に案内される。ただウォンスだけは気乗りしていないらしく、城内をきょろきょろと見回しながら何よりも酒を催促してきた。

「お酒はいくらでも差し上げますから絶対に、ぜーったいに誰も殺めないようよろしくお願いしますね?」

ガゼルはともかく城内にいる人間のほとんどは『トリスト』関係者なのだ。故にこれ以上妙な騒ぎを起こせばスラヴォフィルからアルヴィーヌ以上のお転婆という烙印を押されかねない。
いや、むしろ甘んじて受けるべきか?その方が姉はもっと伸び伸びと生きていけるかもしれない・・・
様々な思考を巡らせつつウォンスに適当な酒を部屋へ運ぶようお願いすると彼女も濡れた衣類を脱ぎ捨てて湯で体を清める。
思えば今日という日はとても長い、というか実際一日以上は活動している。そのせいか自身も小腹が空いているし強い眠気に襲われだした。
だが『天族』という厄介な客人を招き入れてしまっている以上ここで気を抜くわけには行かない。穏便に対応した後速やかに帰郷する流れに持っていかなくては。

イルフォシアは用意された衣装に身を包み、皆が待つ来賓の間に向かうと既に先程の3人とハイジヴラムの親友でもある副王ファイケルヴィにワミールも鎧姿で待機していた。

「おう!おせぇぞ!」
開口一番、横柄な口の聞き方をしたウォンスもかなり出来上がっているらしい。クレイスが渋い表情をしていたもののイルフォシアはこの状況を前向きに捉える。
「ところでお前は何だ?早々に風呂から出てきたと思ったら酒ばっかり飲みやがって。自己紹介くらいはしてもいいんじゃねぇか?」
「うん?俺はウォンス!『天界』の王セイラムの右腕だ!しっかし地上の酒は美味いな~いくらでも飲めるじゃねぇか?!」
すっかり酔っ払っているウォンスは上機嫌で名乗りを上げると周囲はいくらか驚いていた。そして彼女は現在の状況を利用出来ないかと画策し始める。

「ウォンス様。先程貴方は部外者である人間のクレイス様に戦いを挑まれました。そしてその前の方も。『天族』とはあそこまで見境無く戦いを求めるものなのでしょうか?」

自身の心に芽生えていた闘争本能は隠してその真実を聞き出せないか。イルフォシアはまずそこを狙ってみたのだが彼は銀杯に注がれた葡萄酒を気持ち良さそうに飲み干してから口を開く。
「お前も『天族』ならわかってるだろ?俺達は戦う事が全てなんだ。戦いを求めないなんてあり得ねぇ・・・と言いたいが今は酒の方が優先されるな!」
最後の答えは肩透かし気味だったが戦う事が全てという発言は看過できない。もしそれが本当なら自分はもっと大暴れしているはずだ。
「でしたらもっとお酒を用意しますのでせめてウォンス様くらいは『天界』で襲い掛かって来るのを止めて頂けませんか?僕達はもう一度セイラム様とお話がしたいだけなので。」
イルフォシアが自問自答を繰り返していると先にクレイスから取引の話が持ち上がった。確かに自分達の目的はそこなのだ。
「加えて私達を案内して下されば助かります。いかがですか?」
この提案に乗らない理由はない。イルフォシアも『天界』に詳しくない事情を踏まえて追加の条件を提示する。
少し吹っ掛け過ぎた気もするがこれは妥協案への第一歩なのだ。最初は過剰すぎる条件を並べた後お互いが譲歩し合って形に仕上げていく。これは今も昔も変わらない手法だろう。
しかし意外な事にウォンスから反論は帰って来ず、腕を組んで考え込んでいる。

「・・・お前達を襲わないってのは難しいが案内くらいならまぁ。」

「そっちですか?!」
先程酒の方が優先されると言ったのに戦う事は回避出来ないらしい。一体どういう思考をしてそんな答えが出たのかわからないが今の様子を見た感じ、べろんべろんに酔わせれば何とかなりそうな気もする。
「ま、とにかく今夜は俺が納得いくまで酒をくれ!話はそれからだ!」
「・・・おい、ナジュナメジナに急報だ。今すぐ大量の美酒を送れってな」
どこにそれだけの量が入るのか。ガゼルも嫌な予感がしたのですぐにロークスの都市長へ連絡を命令するとその夜は睡魔でふらふらだったイルフォシアとクレイスが早々に退席した。





 誰が手配したのかわからないがイルフォシアはクレイスと同じ部屋へと案内されるとくたくただった2人は泥のように眠る。
それでもお昼前に目覚めた時は同じ寝具に抱き合うような形で眠っていたのだから意識の外でも慕い合っているらしい。
先に目が覚めたイルフォシアは彼の寝顔を堪能していると空腹で意識が遠のきそうになったので速やかに体を起こすと召使いを探し始める。
しばらくして美味しそうな匂いと共に朝食が運ばれてくるとクレイスも寝ぼけた顔と寝ぐせをつけたままむくりと立ち上がったので思わず笑い声が漏れてしまった。

「おはようございます。昨夜は大変でしたね。さぁさぁ、まずは一杯食べて魔力を回復させて下さい。」

用意したのは自分でもないし魔力の事情はからっきしだが何事も食べなければ始まらない。クレイスも未だ目に力は戻っていなかったが召使いに椅子を引かれるとすとんと腰を落としてイルフォシアに頷く。
それから2人は感謝を示してから食事を始めたのだが栄養を摂ったお蔭か、先程の思考に別の疑問が派生する。

『天族』は深夜零時を過ぎると命さえ失っていなければどんな状態からでも回復するのだ。

もしかすると『天界』の彼らはこれが原因で食事を知らなかったのではないだろうか?だとすればそれは人生でそれなりの割合を損している気がする。
自分もクレイスと旅をするまで食事というものにそれほど興味はなかったが美味しいという概念は知っていた。だから家族で食卓を囲み、楽しくおしゃべりする時間が大切に思えたのだ。
「すみません。同じのをもう一膳、いや、二膳用意してもらえますか?」
彼も体に栄養が必要だと感じているのだろう。珍しく召使いに追加の料理を頼むとこちらにも尋ねてくれる。
「あ、でしたら私ももう一膳頂きます。」
恐らくイルフォシアは食べなくても生きて行けるし必要はないはずだ。それでもこうして誰かと食卓を囲む時間は何物にも代えがたく、そして自身が人間だと思い込む為に必要だった。

「そういえばあれからウォンス様はどうなったんだろ?」

全てを綺麗に平らげたクレイスの目にやっと力が戻り始めると気掛かりだった話題を切り出す。一応人を殺さないようにと約束はしてあったが彼はかなり酔っぱらっていたので朝には忘れている可能性もあった。
念の為何か知らないか尋ねてみると召使いの男性はこちらをちらりと見た後そそくさとクレイスの横に移動して何かを耳打ちした。
「・・・えっ?!あ、な、なるほど!」
そして彼が驚きつつ納得した所を見るに城内で暴れるような事はしていないらしいが別の事で多少の迷惑をかけているようだ。
「そういえばお酒が尽きそうな話題も出てましたよね。何でしたら私がロークスから貰い受けて来ましょうか?」
まさか自分に気を使っていたとは夢にも思わないイルフォシアはクレイスを休ませる意味でもその役を買って出たのだが彼らはやや慌てて首を振る。
「うううん!大丈夫だから!イルフォシアもしっかり休んで!ウォンス様の様子は僕やガゼルが見るから!」
よくわからなかったが酒が足りない訳ではないらしい。

「でしたらお言葉に甘えて。でもクレイス様もご一緒でないと気が休まらないので今日はずっと傍にいて下さいね?」

正直『天界』への未練は多分に残っている。だが無理を圧した結果クレイスを危険な目に合わせてしまったのだ。
なのでここ数日は大人しくしようと心に決めたイルフォシアは笑顔で尋ねると彼も晴れたような笑みを浮かべて深く頷くのだった。

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