闇を統べる者

吉岡我龍

波風を立てずに -血と骸の大地-

 「あの、ヴァッツ様。本当に向かわれるのですか?」

時雨はあの記憶を見せられて以降、心が縛られっぱなしだった。赤く血に染まった大地は本当に『天界』なのか?
自身も一応は戦いに身を置いている為そういった状態に遭遇した事はあるがいくら何でも規模が違いすぎる。
強さという意味では心配していないものの、あまりにも不気味な印象しかないあの場所に彼が赴く事で何か別の問題が勃発する気がしてならない。
「うん!やっと行き方がわかったんだし大丈夫!」
しかし時雨の心配は届いていないようだ。その方法をずっと調べていた話は後から聞かされた。それがやっと解決した今、中止する考えは持っていないのだろう。
『ボラムス』での晩餐会以降、『トリスト』はザラール率いる調査班が速やかに場所を特定すべく奔走するも目的の場所は海の相当深い場所らしく彼らの力だけでは見つけられなかった。
そこにクレイスが参入すると話は一気に加速する。彼は巨大な水球を展開し、その中に身を投じて海底をくまなく探す事で遂に件の洞窟を発見した訳だ。

あとは日取りと誰が行くかという話になってくる。

翌日、『トリスト』城の大会議室に集められたのは文武の早々たる高官達だ。そこにリリーやハルカが加わっていたのはあの時の記憶を保有してるからなのだが議会が始まるとまずはヴァッツが『天界』へ赴く旨が正式に発表される。
「えーっと、それで誰か一緒に行きたい人いる?」
「僕が行きます!」
そして次にヴァッツが彼らしく、とても軽い調子で共に行く人物を募ってみると迷わずクレイスが立ち上がって志願してきた。
「そうだね!クレイスは前にも行きたいって言ってたもんね!じゃ決定で!他にはどうかな?」
昔の記憶に引っ張られてこれまた不安なのだが今の実力は相当なものだし、何より傍にヴァッツがいるのだから命の心配はいらないはずだ。ちなみに時雨は絶対足手まといになるから付き従うのは止めておけとリリーに釘を刺されている。
「では私もご一緒致します。」
イルフォシアも天族であり一度は生まれ故郷に戻りたいのだろうと考えれば当然の志願だ。ただこの意見に待ったをかけたのが意外な人物だった。
「む?イルは留守番でいいと思う。」
「「えっ?!」」
これにはクレイスとイルフォシアが同時に驚いて声を上げる。しかしアルヴィーヌもユリアンの記憶を覗いた上での発言らしい。

「多分『天界』は相当危ない場所。クレイスは止めても聞かないみたいだし放っておくけど私、イルを危険な目に合わせたくない。」

何という成長か。クレイスの扱いが雑すぎるのはさておき、妹を気遣う姉の発言にイルフォシアを始めスラヴォフィルや重臣達、ザラールまでもが表情に感動を浮かべている。
「そ、それでも!私も『天界』で確かめたい事があるのです!!姉さん、父さん!お願いです!私も是非一緒に行くことを許してください!!」
だが彼女にも譲れない何かがあるらしい。姉の気持ちを十分に汲みつつ強い眼差しで懇願するとスラヴォフィルはうっすらと涙を浮かべて静かに喜び、アルヴィーヌはやれやれといった様子で首を横に振っていた。



結局個の力も考慮してこの4人で旅立つ事となったのだがそうなってくると国力の低下が懸念される。

特にヴァッツ、アルヴィーヌ、イルフォシアは国の根幹を担う立場であり力の象徴でもあるのだ。これらが留守になるという事はそれだけ残された者達の責任は大きく重い。

「『魔界』の例もあります。あまり長居はしないで速やかな行動を心掛けるようお願いします。」
当日はショウが牽引役であるクレイスとイルフォシアにしっかりと言い聞かせるといよいよ4人は『トリスト』から飛び立っていく。
「・・・どうかご無事で。」
「大丈夫さ。あいつらにはあのヴァッツ様が一緒に付いておられるんだぞ?」
こちらを気遣ってか、もしくは自身に言い聞かせる為か。リリーは彼女の背中をばんばんと叩いて励ましてくれた。ただ己の気持ちだけは整理がつかなかったのか、その場から立ち去る前に彼女も自然と彼らの方向へ顔を向けていた。





 そんな残された者達の不安などお構いなくクレイスはただただ浮かれていた。以前助けてもらった青年に直接会える機会を得たのだから当然だろう。
更に今回は頼りになる友人と天族の姉妹が2人もいる。これならもし『天界』で何か起こっても絶対に問題はないはずだ。
「あそこだよ!」
海底洞窟への標には小舟から入口に錨を落としたものを浮かべてある。それを見ただけで更に高揚感が高まるとつい声が弾んでしまった。
「お~。それじゃまた私達は先に行ってようか。ヴァッツが重いし。」
しかしアルヴィーヌはそれどころではないらしい。ヴァッツを担いで飛ぶのにかなりの力を解放しているのか、一刻も早く地上へ降りたい願望を隠す事無く海中に飛び込んでいく。
「では私達も行きましょうか。」
「そ、そうだね。じゃあ僕が水球を用意するよ。」
以前の調査時水圧も相当感じられたのでクレイスは身を包み込める巨大水球に防御仕様を施す。これで溺れる事も圧し潰される事もなくなるはずだ。
唯一の懸念点はその薄暗さだがこれも事前調査時に何度か試行していたので想定内だった。

後は本当に『天界』へ通じているのかどうか。

2人は静かに海底洞窟の中へと入って行くといよいよ視界は暗闇に閉ざされる。それでも前に進めたのは水球の反応から位置情報をしっかり把握出来たからだ。
相当な広さを感じ取れるので通れないような事態にはならないだろう。後は所要時間の問題だがユリアンの記憶を共有した者達の話ではこの洞窟はそれほど長く続いている訳ではないらしい。
「ど、どきどきしますね。」
イルフォシアからも緊張感が伝わって来るのは珍しい。いや、最近だと年始にも似たような様子だった彼女を思い出して肩を抱き寄せる。
「大丈夫さ。先にあの2人が通ってるはずだから。」
己の不安を押し隠し、彼女の不安をを和らげるよう優しく囁くと暗闇なのに彼女から笑顔が零れるのを感じる。

そして段々と明るさが戻って来た時、クレイスの期待は比例するかのように膨らんでいく。

知らず知らずのうちに巨大水球の速度を上げて出口を抜けた彼はそのまま水面へと向かい、光が差し込んでくると更なる高揚からイルフォシアの肩をより強く抱きしめる。
次の瞬間には水上へと飛び出し、どこかしらへ辿り着いたのを確信するとクレイスは歓喜の声を上げていた。

だがそこが『天界』だとわかった理由は寂しいものだった。

大地が血で染まっている為か僅かに生息している植物にも赤いものが多い。聞いていた通り周囲には散乱した死体が目も当てられない状態で放置されている。
それを確認すると流石に声を失うも確信は揺るがない。そして湖畔には先に到着したヴァッツとアルヴィーヌが誰かと対峙しているようだ。
「行こう。」
念の為水球に身を包んだ2人はそのまま移動して彼らの傍に降り立つ。

「・・・ほんとに来たよ・・・ったく。んじゃもう一度忠告するからよく聞いとけよ?!」

前に立つ黒い短髪の青年は天族なのだろうか。とても面倒臭そうに右手で髪をがしがしと掻きながら乱暴な口調でそう始めるとクレイスはその言葉を聞き漏らさないよう身構えた。





 「いいか?セイラム様はヴァッツ『だけ』を招待したんだ。お前ら3人は今すぐ帰れ!」
「嫌。」
「おいっ!」
黒い短髪と同じ色の衣装に身を包む青年がそう告げると間髪入れずにアルヴィーヌが短く拒否する。すると彼も間髪入れずに突っ込んできたのだから逆に話が分かる存在なのかもしれない。
「でもウォンス。アルヴィーヌもイルフォシアも同じ天族だしクレイスは俺の友達なんだから何とかならない?」
「ならない!駄目!つか友達だからって理由が一番酷いぞ?!ここ『天界』だからな?!何で地上の人間が来て良いとか思えるんだ?!」
どうやら自分達が到着する前からこういうやり取りをしていたらしい。そしてウォンスという青年の口からはっきりと『天界』だと教えてくれた事でクレイスはこっそり喜んでいた。
「え~?人間も天族も似たようなもんじゃない?同じ生物なんだし仲良くさ?ね?」
「お前なぁ・・・つか後から来た2人も何とか言ってやってくれ!こいつら話が通じないにも程がある!」
「え?!いや、その・・・僕もセイラム様にお会いしたいので引き下がるつもりはありません。」
「私も是非お会いしたくて参りました。遅れましたが私はイルフォシア=シン=ヴラウセッツァーと申します。こちらはクレイス=アデルハイド、私の夫になる御方です。」
クレイスに続いてイルフォシアも譲らない。というか代わりに名乗ってくれただけでなく夫とまで言われると緊張感より嬉しさが上回る。

「おいこら!そこの少年!クレイスだっけか?!さっきから浮つき過ぎだぞ?!」
ウォンスに指摘された事で少し気恥ずかしさを覚えるも引くつもりはない。王族として、『アデルハイド』の名を持つ者として命の恩人へのお礼は必ず果たさねば皆に顔向けが出来ないと覚悟を決めて来たのだ。
「おお。流石は我が妹。こちらはヴァッツ、私の夫になる御方です。よし、覚えた。」
しかし姉の方は別の方向で感心して妹の真似をするとウォルトは顔に手を当てて天を仰ぐ。どうやらこのままでは文字通り埒が明かないらしい。

「あの、それでしたらセイラム様を地上へご招待する、という方向ではいかがでしょう?」

ショウからも時間の流れには口を酸っぱくして注意されていたのでクレイスは話を進めるべく代替案を告げてみる。
本心では『天界』を見て回ってみたいがここは異国の地でありウォンスの立場を考えると我儘ばかりも言っていられないはずだ。
「ほう?見た感じ一番頼りないのに一番話は分かりそうじゃねぇか。クレイスか。気に入ったぜ。」
やや悪口らしきものも聞こえたが心証は掴めたらしい。後は話をまとめるだけかとクレイスも思考を切り替えたがそこは我儘の権化が許す訳が無かった。

「えーーー?折角来たのに見て回らずに帰るのは嫌、嫌、嫌!!」

アルヴィーヌがヴァッツの腕にしがみつきながら首をぶんぶんと横に振って地団駄まで踏み始めるとウォンスも口をぽかんと開けて呆気にとられた様子を惜しげもなく披露してくれる。
「お、お前・・・ほんとに大将の娘か?い、いや、我儘って所は似てるのか?」
以前から聞いてはいたが2人は本当に『天界』の王セイラムの実子らしい。だがそれなら何故娘に会おうとしないのだろう?
「ウォンス様、私達の正体を知りつつも追い返そうとする理由をお聞きしても?」
そこに気が付いたイルフォシアも静かに噛みつく。姉の方も首をぶんぶんと縦に振り始めたので今度はウォルトがしっかりと説明責任を果たさねばならないはずだ。

「それは知らん!俺はあくまで命令通りに動いているだけだ!わかったら帰れ帰れ!」

ところが彼もただ命令に従っているだけだとわかるといよいよ終着点は見えなくなる。

「よし。じゃあ戦おう。私が勝ったら連れて行ってね?」

最後はアルヴィーヌが天族らしい提案を持ちかけるがこれはすぐヴァッツによって止められた事で話はまた平行線を辿るのだった。





 こんな場所で足止めを喰らっている時間はないはずだ。クレイスは何かないかと思案を巡らせているとイルフォシアが静かにヴァッツの横へ移動して彼に何か耳打ちし始めた。
「えっ?・・・えーっと。それじゃあここにセイラムを連れて来い?来て?下さい?直接話をつけますから。です!」
どうやらイルフォシアはこの場で最も発言力のある彼に代弁してもらう事を選んだらしい。ただあまりにも棒読みな台詞口調は相手の神経を逆なでしないか心配になる。
「ふん・・・いいだろう!」
(いいんだ・・・)
あっさりと要望が通った事に安堵と驚きを感じているとイルフォシアもこちらにこっそり笑顔を送ってきた。
「おい、言っておくけど俺が妥協したのは長女が手に負えないと感じたからだ。妥協してやったんだからな?!」
先程も感じたがどうもウォンスという男はこちらの心情を読むのに長けているらしい。事情はともかくこれで一歩前進したのだから問題はない。

それから彼が飛び立って待たされる事10分・・・30分・・・そして1時間に2時間が超えても彼が戻って来る事は無く、死骸だらけの場所に感覚が麻痺して退屈を覚え始めた時。

「待たせたな。」

遂にその瞬間は訪れた。
既に周囲は薄暗くなっておりアルヴィーヌがヴァッツと湖で遊び疲れてうたた寝をしていた頃、光を纏う金髪の青年に先程のウォンスともう1人、彼よりも少し髪が長めの目を閉じた青年が北の空から飛んできた。ただ身に纏う衣装は形状こそウォンスに似ているが色は白を基調としている。
「あ、やっと来た!アルヴィーヌ、起きて!」
クレイスもイルフォシアと並んで座っていた為まずは2人が先に立ち上がると一気に身体が緊張で硬くなる。

「あ、あのっ!セイラム様!!以前は危ない所を助けて頂いて、誠にありがとうございましたっ!!」

しかし彼は以前のままではない。若干言葉に詰まる部分はあったもののまるでヴァッツのようにはきはきと元気よく謝意を述べてから深く頭を下げた。
「良い。それにしても元気に回復したようで何よりだ。さて、私を呼びつけたのは・・・イルフォシアだったか。」
「はい。」
ここですぐに気が付く。クレイスが感謝を示した時、セイラムは初めて会った時と同じような、優しい雰囲気で受け答えしてくれたのだが話題が娘に移ると突如凍るような空気へと変わったのだ。
「話は手短に頼むぞ。私も忙しいのでな。後それが終わったらすぐに帰れ。」
「嫌。」
「帰るかどうかは私達の判断で決めます。」
寝起きから開口一番のアルヴィーヌはともかくイルフォシアまでもが我儘というかやや喧嘩腰みたいな態度を取ったのでクレイスの歓喜は驚愕にかき消された。だがセイラムも冷たいような、それでいて怒りを内包しているかの姿勢を崩さない。

「ならば『天界』の王として命ずる。お前達が今後この地に足を踏み入れる事は許さん。話は以上だ。」

「い、むぐっ!」
再び拒絶の言葉を放とうとした姉を妹が後ろに回り込むと手で口を押さえた。どうやらイルフォシアも何か目的を果たそうとしているらしい。

「お父様。何故ですか?何故私達を地上へ送られたのですか?」

スラヴォフィル以外を父と呼ぶ姿にクレイスは何となく察する。彼女はその答えを実父から聞く為にやってきたのだろう。
「スラヴォフィルに聞かなかったか?地上には未曽有の危機が迫っているのだ。その助けとなるようお前達を預けた。」
「でしたら貴方が直接出向いて手を貸せばよかったでしょう?御傍の2人を使う等他に方法はいくらでもあったはず。わざわざ赤子である私達を送った理由にはなりません。」
会話の攻防にウォンスが感心した表情を浮かべていたがクレイスは毅然とした態度が非常に似ている部分にやはり親子なのだと再認識する。
「私には先を見通す力があるからな。お前達が十分に育ち、戦力になれるよう考えて預けたのだ。」
「では教えてください。それはいつ起こるのですか?」
「・・・・・近い将来だ。さぁこれで気が済んだだろう。地上へ戻れ。」
顔を合わせた瞬間から口喧嘩らしきものが勃発し、話は再び平行線を描き続ける。血の繋がった親子の再会がこれでいいのだろうか?

「ま、その話は置いといて。皆でご飯にしない?オレ腹減ってさ。」

クレイスはこの時間こそが勿体なく、そして悲しいものだと感じ始めて口を挟みかけた時、頼りになる友人が先んじてその役を買って出てくれた事によりやっと場に冷静と静寂が降りて来た。





 「ヴァッツの提案となれば聞き入れぬ訳にはいかないな。仕方ない、ついてくるがいい。」
セイラムは先程までの冷酷な雰囲気を霧散させると先導して北の空へと飛び立った。案内役はウォンスともう1人が務めてくれるようだ。
「某はウォルトと申す。以後お見知りおきを。」
「うん!よろしく!」
話し方も印象も表情もウォンスよりも堅い様子の彼は双眸を閉じたままでどうやって周囲を判断しているのだろう。
ともかく4人は2人の天族に連れられて北へ飛び始めると既に日は落ち、辺りはかなり薄暗くなっていた。

距離にして『トリスト』から『シャリーゼ』くらいだろうか。

相当な長時間の高速移動に疲れが見え始めた頃、やっとそれらしい建物が見えてくる。それは正に『トリスト城』と同じような造形で、規模は数倍以上大きいものだった。
「おお。私達のお城にそっくり。」
アルヴィーヌはヴァッツを担いでいても一番元気らしい。流石だなぁと感心しながらクレイスもイルフォシアを気遣う位には余裕を残している。

こうして一行は正式に招待される形で『天界』の巨城に入ると改めて荘厳さに驚く。壁や天井、柱の継ぎ目に隙間はなく、松明で煌々と照らされた大理石の城は美しさと冷たさの調和を見事に保っている。
ただ『トリスト』の天空城よりも遥かに巨大であるが為にすぐ気が付いた。
「・・・人が少ないね・・・?」
中に通されてしばらく移動しても誰にも出会わない。というより誰かの気配を感じないのだ。
「そりゃそうさ。皆戦いに出払ってるんだ。ここは日付が変われば生き残った奴らが戻って来るだけの虚城だよ。」
「ウォンス。」
ウォルトが余計な事を言うなといった意味で名を呼ぶと彼もとぼけた表情で口を閉じる。その意味はよくわからなかったが4人はそのまま大食堂に通されると再び驚かされる。

「遅かったな。さぁ好きな所へ座って食事をするが良い。」

召使いなどは概念すら存在しないのか。広く美しい部屋にはセイラムしかおらず、中央に置かれている豪奢な食卓には何の手も加えられていない植物が銀の皿の上にただ置かれていた。
「え?これ何の冗談?もしかして私達まだ怒られてる?」
無作法の限度を超えていたのでアルヴィーヌは怪訝そうな顔を隠そうともせず不満を漏らすが逆にセイラム達も不愉快そうな表情を浮かべて小首を傾げている。
「何だ?人間は何かを食べれば満足するのだろう?」
「えー・・・もしかしてセイラムって『料理』とか知らないの?」
「「『料理』?」」
側近の2人が声を揃えて疑問を口に出した事でクレイスもやっと察しがついた。恐らく彼らは本当に食事の概念を知らないらしい。
「あの、セイラム様、は、お食事をされずに過ごしておられるのですか?」
「・・・食べる必要を感じた事は無い。」
その答えを聞いて今度はこちらが顔を見合わせた。それからすぐに小さな頃から国務に携わり、何でも器用にこなすイルフォシアが何故か料理だけは苦手なのを思い出す。
「でしたら僕が何か作ってきましょう。調理場に案内して頂いてもよろしいですか?」
「お!いいね!アルヴィーヌも行こう!」
「えぇ~私、お客さんなのになぁ・・・」
「でしたら私も修業の成果をお見せせねばなりませんね。」
こうして4人はウォンスに連れられて大きな調理場に入ると三度驚かされる。
まずは規模だ。恐らく50人くらいは余裕で働けるだろうしその設備も整っている。そして料理を知らず、彼らがここを使用している痕跡はないのにとても清潔な状態なのだ。
(これならすぐにでも・・・)
クレイスは静かに心を躍らせてすぐ準備に取り掛かるが肝心な問題を忘れていた。

「で、食材はどうしよう?」





 ヴァッツの何気ない発言に他の3人も雷で打たれたような衝撃を受けていた。
「な、何かない・・・かな・・・イルフォシアも探してもらっていい?」
考えてみれば彼らは食事も調理もしないのだ。いくらこの場所が整えられていたとしても食材まで望むのは無理がある。4人が手分けして探してみたものの見つかったのは調味料だけだ。
「うーん。流石に何もないのは難しいね・・・」
珍しくヴァッツも腕を組んで困った顔をしていた。だがクレイスは諦める訳にはいかない。

「・・・そうだ。さっき食堂で見た赤い野菜?あれを貰おう。」

折角命の恩人であるセイラムに会うことが出来たのだからお礼以外にも恩を返したかった。そしてその方法が自身が最も得意とする料理ならばと考えたのだ。
ただ食事をせずとも生きていける彼らにその喜びや美味しさは伝わるのだろうか?そもそも『天族』とはそういう種族なのだろうか?イルフォシアやアルヴィーヌもいざとなれば飲み食いなしで生きていけるのだろうか?
考えれば考える程訳が分からなくなるが今は調理に集中しよう。クレイスは急いで大食堂に戻ると銀の皿ごと食材を回収して素早く調査に取り掛かった。

「・・・なるほど。見た目より美味しいね。」

まずは少しだけ切り取ってかじってみるが地上の生野菜と似た風味に頷いた。それから他の3人の感想も聞くとまずはその葉を全てむしり取る。
そして塩、胡椒、砂糖に食物油だろうか。それらを混ぜてから洗った葉物と和えたことでまずは一品が完成する。

残った芯も輪切りにしてこちらも塩、胡椒で味を調えると平鍋で両面に軽く焼き目をつける。

後は芯を柵状に、多少の葉物を彩りとして吸い物も作っておく。ちなみにこれはヴァッツとアルヴィーヌの合作だ。

これらを銀の食器に盛り付け、更に誰も手を付けていないであろう食前酒や銀杯、匙等を食卓へ並べていくとセイラム達は目を丸くしていた。

「お待たせしました。さぁ、皆で頂きましょう。」

今度こそ全員が気持ちよく席に座るとまずはアルヴィーヌがぱくぱくと食べ始め、ヴァッツもとても美味しそうな表情を浮かべて味わってくれている。
イルフォシアも一口食べてから歓喜の声と感想を告げてくれたので味に心配はなさそうだ。

あとは食事を摂らない彼らがどう感じるか。

「ふむ。」
セイラムもこちらの様子をじっくりと観察した後、銀の刺し匙で焼き上げた正体不明の料理を救い上げると口に運ぶ。
「む?!」
だが彼が発したのはその一声に留まった。もしかしてお口に合わなかったのか。少し残念だったが他の側近2人、特にウォンスがアルヴィーヌみたいにぱくぱくと口に運ぶ姿を見ると決して不味い訳ではないらしい。
「どう?クレイスの料理美味しいでしょ?」
「美味しい?・・・ふむ。これが美味しいというのであればそうなのだろうな。」
やがて賞賛の言葉がわからなかっただけでしっかりと味わってもらえていたのだとわかるとやっとクレイスからも満面の笑みと空腹からの腹時計が音を立てるのだった。





 「しかし酒というのはどうにも良くないな。」
それにだけはほとんど手をつけずに食事を終えていたセイラムとウォルトだがウォンスだけは気に入ったようでがぶがぶと飲んでいる。
「好みが分かれるところですね。」
結果として最高の晩餐会を迎えられたクレイスもほっと一安心していたが隣に座るイルフォシアから何か悩んでいる様子が伺えた。

「ねぇお父さん。何で私達を地上へ預けたの?」

これは先程イルフォシアが聞きたがっていた内容だ。そして姉の発言が飛び出すと誰よりも妹が嬉しそうで気まずそうな表情を浮かべていた。
恐らくこの雰囲気を考慮すると言い出せなかったのだろう。こういう場合アルヴィーヌのような純粋無垢な性格がとても羨ましく感じる。
「またその話か。何度も説明しただろう?お前達は地上に降り注ぐ未曾有の危機を護る為に送ったのだ。」
「でもそれってヴァッツがいれば何とでもなるんじゃないの?」
更にその内容を聞いて驚いた。普段は我侭の権化でありヴァッツの事も自身の姿を維持する為だけに利用していたとばかり思っていたがアルヴィーヌ自身、彼の力を認め、頼りにはしているようだ。
非常に説得力のある発言に話の腰を折りたくなかったクレイスとイルフォシアも無言で頷く。

「お前は勘違いをしている。未曾有の危機とは1人の力で何とかなるものではない。お前達の力だけでなく、全ての人間が力を合わせて立ち向かわねばならぬものなのだ。」

湖畔での時と違い、冷酷さは感じるもののかなり優しく説いてくれるのは皆で食卓を囲んだお陰か、それとも娘達への情が影響したのか。
セイラムからもわかってもらおうと言う父親としての気持ちが強く伝わってくるので部外者は見守るしかない。
「だったらそれが起きた時皆で助けに行けばいいんじゃない?」
「・・・そうだな。その時は私も手を貸すつもりだ。」
アルヴィーヌらしからぬ正論の嵐にセイラムも少し寂しい表情で力無く答える。それから会話が途切れると初対面時こそまくし立てていたイルフォシアも黙って俯いていた。



「さぁ、食事も済んだだろう。ヴァッツ以外は早々に立ち去れ。」

いつかはこのわだかまりも溶けるだろう。そう信じて食事を終えるとセイラムはまたも突き放つ言動を始めたのでクレイスも情緒が追い付かない。
「えぇぇえ?!今夜は遅いから泊まっていきなさいって、お父さんなら言うべきじゃないの~?!」
それにしてもセイラムの強硬姿勢が目立つからか、相対的に今日のアルヴィーヌはとても真っ当に見える。
「そうですそうです!私達は実の娘なんですよね?!理由はともかくもう少し優しく接してくれてもいいのではありませんか?!」
今まで黙っていたイルフォシアもこれには呼応して反論を突きつける。確かに『天界』の詳しい事情はわからないがここまで来たのなら一泊くらい許してもいい気はする。
「駄目だ。ヴァッツ、君とはじっくり話したかったがまた後日だな。今度は君1人で来るんだぞ?」
だが彼も『天界』の王だ。一度口に出した決定事項を簡単に曲げる事はしないらしい。足早に大食堂を去っていく中、ウォルトとやや酔っ払ったウォンスが先程までの湖に案内すると立ち上がったのでクレイスも今回は出直すべきだろうとイルフォシアを説得するのだった。





 「悪く思わんでくれよ。ここは『天界』だからな。色々事情があるんだわ。」
初めての飲酒だった為か、妙に機嫌の良いウォンスが顔を赤くしてセイラムの言動を庇っている所を見るに彼は理由もなく突き放している訳ではないのだろう。
「それを教えて欲しい。私達、あの人の娘で『天族』だよね?」
「それは・・・」
「また機会があれば、セイラム様自らがお答えするでしょう。」
酔って口が軽くなっているのを察してウォルトが素早く話に介入するが姉妹は納得していない様子だ。
ただずっと話を離れた場所から聞いていたクレイスにも考える部分は多い。この地に転がる遺体の山は何故できたのか?大きな居城に彼らしかいないのも気になるし食事の概念もなく生きていく事は可能なのだろうか?

「・・・あ!そういえばヴァッツの尋ねたい事ってどうなったの?!」

そして最も大事な用事が全く触れられていなかった件をやっと思い出した。
『天界』へ赴いた大きな理由は地上で妙な力が蔓延っており、その原因がここにあると彼が考えたからなのに蓋を開ければ天族親子の話題しかしていない。
「あ~あれね。うん、何かオレが思ってたのと違うみたい。それよりウォンス達って困ってるんじゃないの?力になろうか?」
「俺達が困ってる・・・?」
「そのせいじゃないの?アルヴィーヌやイルフォシアを地上へ送ったのって?」
「「「えっ?!」」」
これには3人が揃えて声を上げると飛ぶのも止めて2人に詰め寄った。
「そ、そうなのですか?!」
「ウォンス、ウォルト。何を隠してるの?」
月明りと綺麗な星空の下、突然の事実に不穏な空気が流れるも意外な事に側近2人は何もわかっていない様子でお互いが顔を見合わせている。
「おいウォルト。お前なんか隠してるか?」
「いいや、お主こそ何か困っているのか?」
どうやらこの2人には思い当たる節がないらしい。特にウォンスの方は人生で初めて酔っぱらっているのでこれ程上手く隠せるとも思えない。
だがヴァッツが意味も無くそんな事を言う訳がないので何かはあるようだ。

「・・・とりあえず一度地上へ戻ろうか。」

それでもクレイスは帰国を促すとイルフォシアはほんの少しだけ不満げな表情を浮かべる。もちろん彼女達の事情を無視するつもりはないが今は恩人の顔に泥も塗りたくなかった。
こうして4人は再び湖の底へと潜ると来た道と同じように湖底洞窟へ入る。しかし帰路では驚く変化が見られた。

何と出入口が妙に明るいのだ。

既に日も落ちて相当暗かったのに何故だろう?不思議ながらもクレイスはイルフォシアと2人で不思議そうな表情を浮かべていたが海面に出てその理由がわかった。

「え?!あ、・・・何で?!」

それは地上が日中だったからだ。先に出ていたヴァッツ達もきょとんと見つめ合っていたがこれはショウの言っていた時間の流れに理由があるのだろう。
「い、急いで戻ろう!」
焦りを感じたクレイスは巨大水球を収束してすぐに声を掛けるとイルフォシアの手を引いて東の空へと飛び去る。

『天界』へ赴いていた時間は半日くらいのはずだ。なのにこちらではどれほどの時間が経過しているのか。不安で押しつぶされそうな気持ちだったが『トリスト』の城内へ戻った時、ショウから告げられた事実に違う意味で驚いていた。





 「おや?随分とお早いお戻りで。何が問題でも起きましたか?」

「「えっ?!」」
アルヴィーヌらより先に到着した2人はショウのそんな発言を聞いて耳を疑った。
「えっと、私達、『天界』で半日以上過ごしてきたのですが。今は何月でしょう?」
「ほう?それは興味深い。ちなみに日付は貴方達が出立した日で時間は午後2時くらいでしょうか?」

すぐ後にヴァッツ達も戻ってくると4人は早速『天界』での出来事を報告し始める。『天界』での景色やセイラム、その側近らの情報や特徴に食事を知らなかった事等々。

「ほへ~。ごはんを食べないなんて不思議ね~。私だったらお腹ぺこぺこで死んじゃうかも。」
彼の執務室には最近雇われたというルルーがお茶の用意をしながら感心している。
「しかし時間の流れが『魔界』と真逆なのは面白いですね。何か理由があるのか・・・」
どうやら自分達が『天界』で滞在した時間は地上での数分くらいしか経っていなかったようだ。
「いや面白くはないでしょ?!戻って来た時何か月も経ってたらどうしようってかなり焦ったんだからね?!」
ショウは相変わらず冷静というか他人事のようにさらりと流していたが時間の流れ方の違う『天族』と『魔界』とは一体何なのだろう。
「そういえばヴァッツ。最後に言ってたアレって何の事だったの?」
ただ時間について焦りを感じたのはクレイスとイルフォシアだけだったらしい。アルヴィーヌも全く気にしない様子で用意されたお茶に御菓子を頬張りながら尋ねるとヴァッツはさらりと答える。

「ああ。何か『天界』って不思議な力を感じたんだよね。皆何も感じなかった?」

誰も違和感を覚えなかったせいだろう。逆に問われると3人は顔を見合わせるだけで言葉は出てこなかった。
「その力はお父さ・・・セイラム様を困らせるようなものなのでしょうか?」
「オレはそう思ったんだけどウォンスとウォルトは何も感じてないみたいなんだよね~もう一度行ってみる?」
「ええーーーー今日はもう疲れたから嫌。明日はごろごろしたいし明後日ものんびりしたいから・・・一週間後くらいならいいよ。」
ヴァッツを抱えて飛べるのはアルヴィーヌしかいない為、再び『天界』へ赴く予定は全て彼女の気分次第という訳だ。
しかし彼も特に焦る様子は見せなかったのは切羽詰まった様子ではないと判断したからだろう。

「わかりました。でしたら第二次派遣も念頭に今後の予定を立てましょう。」

ショウがそう締めると『天界』への旅は一先ず幕を閉じる。だがセイラムはヴァッツ以外を酷く拒んでいたし2回目はもう少し交渉してから進めた方が良いのかもしれない。
そう感じたクレイスは退室前に軽く彼にそう伝えると少し妙な雰囲気を纏ったイルフォシアに声を掛けて自室へと戻る。



それから二度目の日の入りを不思議に感じながら夕食を摂り、今度行く時は何か食材も持って行ったほうがいいなと考えていた夜、イルフォシアが1人静かに西の空へと飛び立つのを目撃してしまうのだった。

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