魔王様、溺愛しすぎです!
755. お逃げになるのか?
「リリスはどの部屋にいる?」
「あ、魔王様。私室としてお使いの部屋の、3つ手前のお部屋です。姫様は側近の方々とご一緒です」
礼を言って歩き出すと、すぐに部屋が判明した扉を塞ぐ形で、ヤンが寝ていたのだ。伏せの姿勢で身体を張って扉を守るフェンリルは、大型犬サイズだった。あまり大き過ぎると廊下を塞いで迷惑になるためだろう。気の利く狼だ。
「我が君!」
大きく尻尾を振るヤンを撫でて褒めてから、ノックして待つ。すぐにルーサルカの声がしてドアが開かれた。
「っ、魔王陛下!」
「リリスはどうした?」
部屋に彼女の気配が感じられる。しかし駆けてくる様子はない。眠っているのだろうか。首をかしげながら問えば、数歩下がって道を開けたルーサルカが言葉を言い淀む。奇妙な仕草に嫌な予感がした。
「リリス」
名を呼ぶが、返事がない。大急ぎで中に踏み込むと、尻尾を振るヤンも入室した。ベッドの上にぺたんと正座を崩した姿で座るリリスは、着替えを済ませている。
淡いピンクのワンピースは、普段から部屋着として愛用している。七部袖部分と裾はレースがあしらわれており、飾り襟のついたシンプルなものだった。
「ルー?」
呼び方がまた戻っているが、あまり深く考えずに歩み寄る。リリスの黒髪を梳いていたブラシを下ろすルーシアが、ベッド脇で一礼した。それに手をあげて応じ、リリスの前に膝をつく。
後ろの窓から差し込む夕暮れの光は柔らかいが、愛しい少女の表情を陰にしてしまった。覗き込むようにして見上げたルシファーは、息を呑む。何も言えず、彼女を抱き締めた。
シトリーとレライエが俯き、ルーサルカが言い澱んだ理由も同じ。
瞳が金色に変化していた。赤より金の方が白に近いから魔力量が増えた、と単純に喜べる状況ではない。明らかに異常事態だった。そもそもリリスの魔力量はかなり多いのだ。もう増やす必要がないほどに。
魔の森の復調で油断した。リリスに関しても良くなることはあっても、悪くなるはずがない。勝手にそう考えた自分が、ひどく愚かに思えた。
「ルー、おなかすいたぁ」
幼い頃の口調で、少女の声が強請る。抱き締めた身体は温かく、だが熱がある様子はなかった。具合の悪そうな素振りも見えない。躊躇いがちにルシファーの服を掴むリリスの手が、純白の髪に触れると握り込む。
「ルー」
「ああ、そうだな。食事にしよう。みんなも同席してくれ、ヤンも」
この場にいた全員を誘い、リリスを抱き上げた。子供の頃のように左腕で抱けば、大きく育った彼女が不安定になる。そのため膝に手を回して横抱きにした。首に手を回したリリスは、何が楽しいのか鼻歌を歌っている。
「約束したのを、覚えてる?」
「うん! ご飯するの!」
覚えていたとも取れる発言だが、幼さの残る物言いは自分の欲求を伝えたようにも聞こえた。黒髪にキスを落とし、長椅子に座る。リリスを膝の上に乗せたまま、しばらく……呆けていた。
このままリリスが戻らなければ、魔王妃の地位に就けるのは危険だ。娘という肩書に戻して溺愛するだけで、構わないんじゃないか? その方が幸せなのではないか。
ぐるぐると回る思考が止まらなくなる前に、足元に伏せたヤンが吠えた。犬や狼のように、獣の声で気を引く。反射的に目を向けたルシファーの追い詰められた様子に、ヤンは失礼を承知で言葉を選んで尋ねた。
「姫は戦っておられるのに、我が君はお逃げになるのか?」
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