100メートル先の景色

一姫こころ

陸上部( 100メートル走)

俺の順番が近づいてきたのだが、ここで重大な事に気づいた。俺はクラウチングスタートが出来ない。簡易な計測であるためスターティングブロックは使用していないものの、あの姿勢でのスタートはやりづらい。
 さっきのアップでの練習も正直ちゃんと出来なかった。紫音は中学の時に陸上部から教わったから出来るだろうと言っていたが、俺にはその時の記憶は無い。
 ちょうど近くにキャプテンがいたので聞いてみる事にした。
「あのーキャプテンちょっといいですかー?」
キャプテン「ん?どうした?」
「いえ、クラウチングスタートやりづらいので立った姿勢でスタートしてもいいっすかね?」
キャプテン「ん?マジか…」
 少し間を置いて
キャプテン「…まぁいいだろう」
「ありがとうございます」
(とりあえず良かったかな)
 するとそれを横で聞いていた山口がすかさず
山口「やっぱり舐めてるよな、あんた」
(無視無視…)
山口「それを負けた言い訳にすんなよ!」
「俺はいたって真面目だよ。それよりも負けても泣くなよ」
(やっぱり俺、気が短くなってる?)
ついつい挑発に乗ってしまう自分だが不思議とそれを楽しんでいた。
山口「この…絶対に負けへん!」
「さてと…本気出してみるか…」
いよいよ自分たちの順番になった。

 スタートラインへと歩く。周りがざわついているのは何となく感じる。俺への興味なのか山口への興味なのかはわからないが注目されているのは確かだ。先輩たちの視線も、1年たちの視線も注がれている。だが俺はそんな事はどうでも良い。走ることだけしか頭に無いからだ。
 ゆっくりと歩く。高鳴るドキドキ感と張り詰めた感じ、程良い緊張感。その緊張感が心地良い。ワクワク感が身体中を駆け巡る。今では誰と走るかなんてどうでも良くなっていた。
 目指すは 100メートル先のフィニッシュライン。ただそれだけ。
 歩いていた足が止まる。スタートラインに着いた。体を柔らげる為、2回その場でトーントーンとジャンプする。そして首、手の順に軽く回して静止し合図に備える。
美穂「位置についてー」
立ったまま右足を後ろにずらす。左隣のレーンでは山口がクラウチングスタートのため腰を落とすが背後になる為感覚でしか分からない。
 周囲が静まりかえっているのか集中力がそうさせているのかは分からないが何も聞こえない。聴覚がスタートの合図の火薬音だけしか受け入れない状態になっているからである。ドクドクと鼓動音だけがうるさくて邪魔する。
美穂「よーい」
 体をグイッと低くして右足の親指にグッと力を入れる。神経が研ぎ澄まされ集中力を限界まで高める。目指すはゴール。視線もゴール。
ただそれしか頭に無い。
そして合図の音に全集中力を注ぎ、体が一瞬で弾け動けるような状態で待つ。
 ………
 バーーーン!!
低い姿勢を保ったまま勢いよく飛び出す!
加速に入る…そこへ、さらに低いところから山口が視界に入ってきた。そしてあっという間に1メートルは差をつけられた。だが俺は山口が視界の範囲に入っているがゴールしか見えていないので何も気にならなかった。それほど集中しているからである。
 ザンザンザン!と足で地面を蹴る音とハッハッと息づかいの音しか聞こえない。足の回転を上げ体を徐々に起こしていく。
 そしてさらに加速!
 どんどんと加速する!
 ギアを全開しほぼトップスピードへ到達する。
まだ50メートルには到達していないであろう。
 ザンザンザン!
体が軽い。いつもの俺とは違う。
(まだまだいける!)
自分でそう思いながら全身の筋肉をフル稼働する。
そしてトップスピードからの更なる加速への挑戦。
ザンザンザンザン!
(もっと、もっと)
ゴールまであと30メートル
腕を早く振り足の回転を上げる事に無意識に集中したその時、
ザンザンザンザン!クィ!
自分でもスピードに伸びを感じた瞬間だった。
(飛んでる!)
そう、早く走ってるというよりも飛んでる感覚。
パンパンパンパン!
さっきまでと何か違う感覚。
そこへゴールが迫ってきた。
(翔けー!)
心の中でそう叫びながら胸からゴールへ!

(ふぅ…気持ちいいじゃん)
余力のスピードを弱めつつ余韻を楽しむ。走るのが楽しいと思ったのは初めての事でもあった。先輩たちと親友が迎えてくれる。
要「良く頑張ったやん」
「お、おう。ハァ…フゥ」
また後ろからポンと背中を叩きながら紫音が
紫音「おつかれー」
と言ってくる。横からキャプテンが
キャプテン「うん。悪くない。まだ衰えてはいないようだな。やっぱり姫野は…」
 ドン!
キャプテン「うわっ!」
萌先輩「どいてどいてー!ん?あんた邪魔」
 萌先輩がキャプテンを押しのけて俺の前に現れた。
萌先輩「こうちゃんすごいやーん!めっちゃ綺麗なフォームで思わずうっとりと見とれてしまったわぁ」
「え?そうなんですか…ありがとうございます」
 そこへ
松田先輩「ダウンするから一年生…と、姫野くんはこっちに集合してくれるー?」
と集合がかかった。
(これで帰れるなー)
少しウキウキしたところへ紫音が話しかけてくる。
紫音「いいもん見させてもらったわ」
「そんなにかー?」
紫音「お前の中学以来の久々の本気モードが見れて懐かしかったわ」
「そっかぁ…」
(喜んでくれるのはいいけど、なんか複雑だなぁ)
紫音「ほんま相変わらず良い走りやったぞ」
(ありがたい、でも良い走りって…そう言えば山口とどちらが先にゴールしたのだろう?)
「で、どんなレースだった?」
 俺はそれとなく聞いてみた。
紫音「どうってお前…」
紫音がレースの時の様子を語り出した。

 100メートル走の解説(紫音達から見たレース)
 スタートラインに康二と山口が並んだ。康二は2回軽くジャンプし体をほぐす。
要「こうじ本気で走りそうやな」
紫音「ああ、マジな時にするクセ出てるな」
萌先輩「へぇーこうちゃんのクセなんやぁ。面白ろくなりそう」
要「萌先輩、楽しんでるでしょ?」
萌先輩「わかるぅー?君らもそうでしょ?」
要「いや、まぁ…」
紫音「ほら、そろそろ走りますよ!」
要「あいつ、立ったままのスタートやん」
萌先輩「やっぱ面白い子!」
紫音「あいつクラウチング出来るやろー」
 2人はスタートの構えをした
 パーン!!
良いスタートをきり体ひとつ分山口が飛び出した。そしてさらに加速してさらに抜け出す。
萌先輩「あの子良いスタートダッシュ持ってるねー」
 2人ともに同じスピードで40メートル付近まで進む。そしてお互いトップスピードで50メートルへと進んでいく。まだ身体ひとつ半は山口がリードしている。差は変わらず50メートル通過。
大和先輩「2人ともいいフォームしてるが…だが、勝負有りか…」
紫音「いえ、ここから面白くなりますよ!」
 60メートルへ差し掛かった頃、康二がクン!っと伸びる。そしてさらに伸びる!
 70メートル通過する。2人は並んだ。そして80メートルへ到達する頃には康二が山口をかわし、やや前に出る。
紫音「ほら!」
萌先輩「うわっ!まじぃー!」
要「あいつエグい加速やな」
大和先輩「マジか…」
クン!クン!っと山口と比べ明らかにスピードの差がある。と言うより伸びがある。
 80メートル付近から90メートルへ更に更に加速する。見てる部員は康二の加速と美しいフォームにただ見惚れている。90メートル付近では身体ひとつ半康二がリードしている。
 2人はそのままゴールへとなだれ込む。身体ふたつ分差がついている。
 ゴール!!
うおーッと騒がしくなる。
大和先輩「なんだあいつ!あんな加速あるんか!」
紫音「あの走りが姫野なんです」
要「だよな」
萌先輩「どうしよう!めっちゃドキドキするやーん!」
こうして康二の 100メートル走は終了した。

 俺はダウンするため一年生達のところへとやってきた。するとこちらへ山口が近づいてきた。
(うわっ!また来たーめんどくせぇ!)
 こっちを見ながら目の前に来た。
(今度は何の文句をつけてくるんだ?)
だが、山口の反応は予想とは違った。
山口「あんた…すげぇ!」
「へっ?」
正直予想外の言葉にビックリした。
山口「すいません、あんたではなく姫野先輩と呼ばせてもらいます。俺、こんな感じで完敗したのは初めてです。しかも並んだ時勝てる気がしなかった。ほんと凄いっす!」
 山口は興奮している様子だ。
「お、おう…」
(こいつ…調子良い事言いやがって…)
山口「姫野先輩、陸上一緒にして下さい。お願いします」
(はい!無理ー)
「いや、まだ無理…かな」
山口「何でっすかー?お願いしますよー」
紫音「まぁ、そんなに詰めたらんといてや!とりあえずダウンしろ」
山口「わ、わかりました…」
 山口は離れていった。
「ありがとう」
紫音「で、どうなんだ?まだ無理なんだろ?」
「……ま、まぁ」
 そこへキャプテンが寄ってきた。
キャプテン「おい!姫野そろそろまじにやってみんか?」
「い、いえ、それは…」
(やっぱそうなるよね)
紫音「まだ無理なんちゃいます?」
キャプテン「いや、あの走り見たら大丈夫だろ!」
(ほらーややこしくなってきた…)
キャプテン「走って気持ち良かったやろ?」
(あー…たしかに気持ち良かったなぁ)
「は、はぁ」
(でも、帰宅部でエンジョイするんだ〜)
キャプテン「そろそろ前を向かんか?」
紫音「いえ、まだ…」
「まだ気持ちが無理なんで…」
(なんとかうまく断らないと…)
萌先輩「みんなーマネージャーが来たよー」
 そこへ部の裏方の役割の説明をしていた3年のマネージャーと新入生のマネージャー達がグランドへとやってきた。
 俺はそこで驚くべき光景を目の当たりにした。

コメント

コメントを書く

「学園」の人気作品

書籍化作品