H.I.S.A.H.I.T.O. みだりにその名を口にしてはならない小説がある。

雨野美哉(あめの みかな)

第65話 神という概念

「そういえば、母さんには、ぼくの目的を話していなかったね」

「ベイビーちゃんの目的?」

聖人と聖母は、混沌の方舟の中のふたりのために用意された部屋で、授乳(エターナルマザーズミルク)の時間だった。
聖母の手は、聖人の下腹部に伸びている。

「そう、父さんを殺すことなんだけど」

いつも通りにベイビーちゃんと聖人を呼んでいた聖母の顔から表情が消えた。

「今、息子であるぼくにさえ操縦されることを拒絶し、自由気ままに破壊活動を楽しんでいる唯一無二の絶対神は、あのデウスエクスマキナ・テトラグラマトンを破壊すれば、死ぬんだ」

「神は、デウスエクスマキナに力を貸しているだけ。
そこに神の御霊はない。
わたしは、そういう風に聞いていたのだけれど?」

「だったら、ぼくの操縦を拒む権限は、今の父さんにはないと思わない?
操縦を拒んだ上に、パイロット不在のまま自らの意思で勝手に動くなんて、あり得ないはずなんだ。
いるんだよ、父さんは、あの中に」

「唯一無二の絶対神が死ぬ……?」

聖母には、そんなことがありえるのか、疑問だった。

「サンジェルマンが紹介してくれた、天津祝人(あまつのりと)と禍津祝斗(まがつのりと)、彼らがとても役に立ってくれた。
教皇は数あわせのために無理やりつくった不老不死の小物だから、戦力にはまったく入らないんだけど。

天津と禍津のふたりは、シャーマンと呼ばれる術師の双子の兄弟なんだ。
ファミリーネームが違い、ファーストネームが同じなのはシャーマンとしての名前だかららしいよ。
だからぼくは、万が一父さんがぼくに操られることを拒むようなことがあれば、自ら勝手に動き出すようなことがあれば、デウスエクスマキナ・テトラグラマトンの中から父さんの魂が出られないようにしてほしい、と頼んだ。
そういったことは、禍津の得意分野だった。天津はそれに、二重三重の罠を仕掛けてくれた。
だから、父さんはもうあの機械仕掛けの神から出られない。
問題は一つだけ」

「問題?」

聖母には、その計画は、緻密に練られた実に我が子らしい何手先も読んだ計画に思えた。
だから、どこに問題があるのかわからなかった。

「父さんを、あれを、どう倒したらいいのか、わからないんだ。
何かいい手はないものかな。
母さん、何かいいアイデアない?」

こういう子だということを聖母は忘れていたのだ。



アメノトリフネでは、無事帰還したイザナミとエビスサブローも含め、ヒサヒト、ヤマヒト、そして概念灰音による作戦会議が行われていた。

会議は、遅々として進むことはなく、数時間が経過していた。
これ以上は無駄だと判断したイザナミが会議を終えようとすると、概念灰音が挙手をした。

「なんだ? 概念」

「今のあなた方にはおそらく、テトラグラマトンをたおすことはできないでしょう。
無論、わたしにも無理です
わたしには、戦う力はありませんから」

「だからなんだ?」

「残された手段はひとつだけ……
そして、それは、わたしにしかできないこと……

神という概念そのものをこの世界から消し去るのです。

そうすれば、テトラグラマトンは活動を停止します」

その場にいる全員が、どういうことだ? と思考停止に陥る中、イザナミだけがその言葉の意味に気づいた。

「そのかわり、妾やサブロー、ヨモツにコヨミ、下手をすればヒサヒトもいなくなるな。
だが、それが一番よいのかもしれぬ。
我らは人に関わりすぎた」

なるほど、という顔をして、サブローが続く。

「私はまだ、あちら側の私と融合を果たしたばかりで、そのお披露目すらできていませんが……いたしかたありませんね」

「そんなことより、お前はヨモツやコヨミの心配をしろ」

消えゆく運命にある者の中で、ヒサヒトだけが理解が追い付かなかった。

「みんな、いなくなっちゃうのか?
俺も、いなくなっちゃうの?
なんで?」

「我らがいなくなるのは、神という概念がなくなる以上、当然だ。
ヒサヒト、汝の場合は神人合一を果たしている。間違いなくカグツチはいなくなる。
だが、高天ヶ原の神々の血をひく王族は、もっとも神に近い。
神の子孫である王族もまた、神という概念がなくなる以上、消える運命にあるのではないか?」

イザナミはヒサヒトに説明をしながら、最後には概念に質問する形をとった。

「ヒサヒトさんがどうなるかまでは、わたしにはわかりません」

「役に立たない奴め」

「もし、俺もみんなみたいにいなくなるとしたら、アイコちゃんは? 姉さんはどうなるんだ?」

「汝と同じ結末をたどることになるだろうな」

「それだけはだめだ!」

ヒサヒトは激昂し、テーブルに拳をたたきつけた。

「俺なんかいなくなったっていい。
でもアイコちゃんと姉さんだけは……」

「まるで、我らがいなくなることなど、どうでもいいことのように聞こえるな」

「そんなこと言ってないだろ?」

「そう言っているのと同じだと言っているのだ。
見損なったぞヒサヒト。
汝は、高天ヶ原の暦で王の年、王の月、王の日に生まれた。
汝はカルマをめざめさせ、カグツチもまた汝を選んだ。
初代王神武は、神しか生まれない高天ヶ原を離れ、たとえ何百年何千年という時がかかるとしても、レイヤード世界すべてをすべる真王は人から産まれると信じていた。
汝が真王になる素質を持ち、その素質を次々と開花させていくのが、妾は楽しみで仕方がなかった。
だが、これまでじゃ。
人から真王が生まれることは、この2600年一度もなかった。
そして、これからもない。永遠にな。

我ら神は、これより人を見限ることにする」

イザナミはそう言うと、その顔はヒサヒトを叱責していたときよりも、より険しいものになった。覚悟を決めた。そういう顔になった。

「イザナミさん?」

「イザナミ様?」

ヒサヒトとサブローの呼びかけにも答えず、

「概念よ、そなたの提案に乗ろう。
この世界から神という概念を消してくれ」

そう言った。

コメント

コメントを書く

「SF」の人気作品

書籍化作品