H.I.S.A.H.I.T.O. みだりにその名を口にしてはならない小説がある。

雨野美哉(あめの みかな)

これは二度目のエピローグでもあり、三度目のプロローグでもあるが、構想三年の作品は大きく脱線し、もはや軌道修正は不可能なところまで来てしまった。この物語がどこへ向かっているのか、この世界の神である我々に

「聖人と聖母の再来か。

まったく、招かれざる客も余計なことをしてくれたものだ」



「しかし、その聖人とやらは、神の子を気取ってはいるが、数多くいる預言者のひとりにすぎぬのだろう?」



「そういう考え方をするものたちがいるのは確かだ。

同じ神を信じてはいても、考え方が異なる者たちがいるようだからな」



「聖母もあやしいものだ。

処女懐妊したというが、どうせ夫の不在の間に男を連れ込んだのであろう」



「その可能性も捨てきれぬ。

しかし、本当に聖母と神の子である可能性もまた捨てきれぬ」



「かつて聖人が起こした奇跡とやらは、今となっては確かめようもないが、事実アメノトリフネは聖人と聖母によって破壊されている」



「アメノトリフネを破壊するなど、あの山人の末裔、いや九頭龍人か、あの者と何ら変わらぬ所業ではないか」



「確かに。我らに仇なす者と考えるべきであろう。

しかし、我らが直接手を下すまでもない。

イザナミとヒサヒトとやらでじゅうぶんではないのか」



「ヒサヒトとやらは危険だ。

神人合一を果たした今、真王にふさわしい力を手にしている。放っておけば、弥勒の世を作りかねない」



「では、弥勒の世を作る前に、真王となる前に、聖人と聖母を片付けさせ、ヒサヒトとやらは我ら自ら手を下せば良い。

利用価値のあるうちは利用すべきだ」



「イザナギとイザナミはどうする。カグツチもだ。

高天ヶ原の神々も、ヒサヒトとやらの味方についている」



「ヒサヒトはイザナミたちがいなければなにもできないのではないか?」



「その通りであろう。では、今しばらくはヒサヒトのそばに。時が来れば、ヒサヒトとともに」



「真王の誕生と、弥勒の世の訪れさえ阻止できれば、それで良い」



「すべては我らの意のままに」



「これまでそうしてきたように」



「そしてこれからもそうあるように」







『古事記』上巻の冒頭では、天地開闢の際、高天原に三柱の神が、いずれも「独神ひとりがみ」、男女の性別が無い神として成って、そのまま身を隠した、とある。

アメノミナカヌシ、タカムスヒ、カミムスヒの三柱は、それぞれ、至高の神、天の生産・生成の「創造」の神、地の生産・生成の「創造」の神であるとされる。

タカムスヒとカミムスヒは、対になって男女の「むすび」の男を象徴する神と、女を象徴する神である。



三柱の神は、造化三神と呼ばれている。

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