H.I.S.A.H.I.T.O. みだりにその名を口にしてはならない小説がある。

雨野美哉(あめの みかな)

プロローグ ラグナロクの日

かつて、その極東の島々には国があり、名前があったという。

一億五千万人を超える人々が小さな島国に暮らしていた。

人類史上唯一の核兵器の被爆国だった。それも二発も。


だが、今はもう国もなければ、人もいない。
動物も虫も細菌すらこの地には存在しない。
存在することができない。

天高くそびえ立つ巨大な塔が、ただ建っているだけ。

それは、エネルギー資源の枯渇から太陽エネルギーに活路を求めた人類が作り出した軌道エレベーターだった。


西暦という暦の最後の年に、教会により秘匿され続けていたファティマ第三の予言の真実が明かされた。

ファティマ第三の予言には、「人が『混沌の種子』を手にする」、とあった。

混沌の種子とは、旧約聖書をはじめとする世界中のありとあらゆる神話の、神や天使、悪魔といった存在の遺伝子情報を有する情報端末であり、同時にその名の通り植物の種子であった。

混沌の種子は、かつて聖人が処刑されたゴルゴダの丘に植えられ、一晩でセフィロトの樹となり、無数の禁断の果実を実らせた。

それはアダムとイブが、楽園で蛇にそそのかされ口にしたものと同じものだった。

禁断の果実から無尽蔵にとれる混沌の種子「カオスシード」。

カオスシードから、神や天使や悪魔は生まれ、その存在を人はカオスと呼称した。

カオスたちの持つ人智を超えるその力に人は一度は恐怖した。

しかし、禁断の果実を口にした人々は、神の遺伝子さえも操作し、従える術を手にいれた。

それは同時に、有史以来続いた神の時代の終焉を意味していた。


核兵器は一部の独裁国家をのぞき世界中から撤廃され、大陸間弾道ミサイルの先端にはカオスシードが埋め込まれた。

そして、後に「ラグナロクの日」と呼ばれる日、255発のカオスシードミサイルが島国にうちこまれた。

ミサイルの爆発とカオスシードから生まれた神、天使、悪魔が、島国の人々を襲い、喰らいつくしたという。

その際に発生した「混沌の瘴気」が、島国からありとあらゆるすべての生命を奪った。


たった一晩で島国は滅亡し、その日を人々は「ラグナロクの日」と呼んだ。


役目を終えた神たちは、遺伝子操作により植え付けられた本能で、人々の屍で塔を組み上げ、時限式の命が尽きると塔の一部となった。



この地には太陽の光はもう届かない。

混沌の瘴気は、深い霧のように視界を悪くし、数歩先に何があるのかさえわからない。

瘴気の上には青く澄んだ空があるという。

その遥か彼方上空の、成層圏を超えた先にある宇宙空間へと続く、高さ数百キロの軌道エレベーターは、そのようにして作られた。

聖書になぞり、「セカンドバベル」と名付けられたそれの半径数十キロは、人が生身で近づけば一瞬にして肉体の外側と内側が裏返り、死ぬ。混沌の瘴気のせいだ。

たとえそれを免れたとしても、セカンドバベル防衛システムの要である四大天使が近づくことをけっして許さない。

          

コメント

コメントを書く

「SF」の人気作品

書籍化作品