マスカレイドアバター

雨野美哉(あめの みかな)

第七話

秋月蓮治の死体を学は抱いていた。学は泣いていた。彼ははじめてできた友達だったからだった。
「どうしてだ? なんであいつを殺した?」
学はわめきちらしたが、その問いにミサは答えなかった。ミサは商店街中の死体の山を例のペンライトのようなもので原子還元処理していた。
「答えろ! ミサ!!」
「お兄ちゃん!」
麻衣の声がした。学が振り返ると、そこに麻衣がいた。
「麻衣……どうして……家にいろって言ったはずだろ……」
「お兄ちゃんが戦ってるのテレビで観たの。それで麻衣、心配になって……」
麻衣は家を飛び出してきてしまったのだ。
自分がマスカレイドアバターとして戦う姿を麻衣には見せたくなかった。けれど、見るなと言われれば人は見てしまうものだ。ミサが原子還元処理をしておいてくれてよかったと思った。麻衣はまだこどもだ。あの死体の山を見るには早すぎる。
だから学は、
「……そうか」
とだけ言った。
「その人は?」
麻衣はミサを見て言った。
「こいつは……」
どう説明しようか考えあぐねていると、
「はじめまして。学くんの妹さんね? わたしはミサ。学くんの……」
「ただの知り合いだ。気にするな」
ミサが何か余計なことを言いそうだったので、学は彼女の言葉をさえぎった。
「そう……なんだ……」
麻衣はそれで一応は納得してくれたようで、
「それよりお兄ちゃん、怪我してない? だいじょうぶ?」
そう言って、学に駆け寄った。
「ああ……」
学は短くそう答えた。本当は体中が痛くて、その場からもう一歩も動けそうになかった。
「その……お兄ちゃんと戦ってたマスカレイドアバターは……?」
学は、苦悶の表情を浮かべ、抱きしめていた秋月蓮治を見た。
麻衣、学の視線を追うと、
「し、死んでるの……?」
はじめて見る人の死体に、麻衣は後ずさりし、立ちくらみでも起こしたのか転んで、しりもちをついた。
その瞬間、空間がゆがみ、スーツ姿の男が現れた。
新手か、そう思った学は、変身ベルトに手をかけたが、
「マスカレイドアバターディスだな? 貴様とやりあう気はない。私は彼の遺体の回収の任務を受けているにすぎない」
男はそう言って、学が抱きしめる秋月蓮治に目をやった。
「何? 一体何なの?」
麻衣がわけがわからないといった様子で言った。
「こいつの死体を回収してどうする気だ?」
学が男に問う。
しかし男は、
「貴様が知る必要はない」
と言うと、秋月蓮治の死体を差し出すよう促した。差し出したくはなかった。けれど、体が思うように動かなかった。
「そう……、イズミの差し金というわけね」
「そういうわけです、ミサ女史」
男は秋月の死体を抱き上げると、
「ミサ女史、13評議会の決定を伝えます」
と言った。
「13評議会?」
学は初めて聞く言葉だった。
「あなたは現時刻をもって13評議会員の資格を剥奪されました。マスカレイドアバターの覚醒は、新たに13評議会員になられるタイプゼロ様に一任するとのこと」
「なんですって?」
ふたりが何を話しているのか学にはわからなかった。
「今回の一件で13評議会の方々は随分あなたにお怒りのご様子。ゆめゆめお気をつけられますように……」
そう言うと、再び空間がゆがんだ。男は秋月蓮治の死体とともにそのゆがみの中に姿を消した。
「おい、ミサ、どういうことだ? 13評議会? マスカレイドアバターの覚醒? タイプゼロとは何だ?」
ミサは大きくため息をついた。



13評議会のモニターには体の四八箇所の部位を奪われた「タイプゼロ」が映し出されていた。
その姿は、さながら日本神話の蛭子神のようであった。
「ミサめ……まさかベルセルクを手にかけるとは……」
評議会員のひとりが机を叩いた。
「せっかくベルセルクがディスを除く四六体のマスカレイドアバターを倒し、限りなくタイプゼロに等しき存在となったというのに……」
「まぁ暴走状態にあったベルセルクが覚醒することはなかったろうがね」
「それはベルセルクを倒したディスもまた同じこと……」
「そんなことも些末な問題だ。問題はマスカレイドアバターの覚醒という我々の長きに渡る悲願の実現をあの女狐が成し遂げようとしていることであろう」
「彼女は我々十三人の使者の中で唯一無から作られた存在……。彼女がベルセルクを始末したことにより、タイプゼロの失われた四七の部位は今や彼女のものとなった」
「忌々しい。無から作られた存在が神の子になろうというのか」
「タイプゼロ……。二千年前、イエスの来訪とともにもたらされたはじまりのマスカレイドアバター。イエスそのものとも言っても過言ではない」
「我々は二千年の時をかけ、タイプゼロの四八箇所の部位からマスカレイドアバターを生み出した」
「その代わり、タイプゼロはこのような見るも無残な蛭子になってしまったがね」
「マスカレイドアバターシステムは適格者の遺伝子情報によってのみ起動する……」
「これでもうシステムを起動できる人間はディスだけというわけだ」
「貴重なサンプルを始末するとは……、あの女狐は一体何をたくらんでいる?」
「なに、二千年前、イエスの来訪とともに我々にもたらされた知恵と技術を利用すれば、サンプルの蘇生など造作もないことよ」
「たかがサンプルを悠久の時を永らえてきた我々と同位の存在にするというのか」
「しかし他に手はあるまい」
「うむ……イズミくん、至急ベルセルクサンプルの遺体を回収を」
「了解致しました」
イズミと呼ばれた評議会員はうやうやしく頭を垂れた。
「あの女狐はいかがなさる?」
「しかるべき処置を考えねばならぬな」



「どこから話したらいいものかしら……」
ミサは難しそうな顔をして言った。
「どこからでも。ただし俺や妹にわかるように説明してくれ」
学は怯える麻衣の手を握って言った。
「そうね……。二千年前、ゴルゴダの丘で処刑されたイエスが、3日後に息を吹き返したのはご存知?」
「ああ……」
学はうなづいた。
「その後、イエスは数人の使者を連れてこの島国に渡った」
「日本人のユダヤ人始祖説か」
そういう偽史があると聞いたことがあった。確か日本にはイエスの墓も存在する。
「ええ、よく知っていたわね。偉いわ」
ミサのその言葉に学は苛立ちを隠せなかった。
「子ども扱いはしないでもらいたいな」
「私が所属する……いえ、たった今まで所属していた組織の名は千のコスモの会。13評議会というのはその最高幹部たちの集まりよ」
「千のコスモの会? あのきな臭い新興宗教か」
学は伊藤香織から勧誘を受けたときのことを思い出していた。十六年越しに終わってしまった初恋の、苦い思い出だった。
「新興宗教というのは間違いね。千のコスモの会は、この国に神道が生まれる以前からあった原始宗教よ」
ミサは言った。
「神道より前から? まさか……」
「そう、この島国に渡ったイエスが新たに説いた教え、それが千のコスモの会。イエスは西洋でキリスト教を説いた。しかし、イエスは処刑され、その教えも後の世の時の権力者たちによって都合のいいように改ざんされていった」
「知ってる。キリスト教はもともと男尊女卑の教えだったって。だけど女性信者を増やすために後になってマリア様を聖母に祭り上げたって世界史の先生が言ってた」
麻衣が言い、ミサが続ける。
「そのため、この島国に渡ったイエスは、自らの教えを自分の使者の一族のみに伝えることにした。そして傀儡の宗教として神道を作り、傀儡の王として天皇を祭り上げた。アダムとイブ、イザナギとイザナミをはじめとして、遠い異国の宗教であるはずのふたつの宗教に共通点が多く見られるのはそのためよ。使者の一族は以来二千年に渡ってこの国の歴史を影で操ってきた」
到底信じられる話ではなかった。しかしミサはもっと信じ固い話をした。
「宇宙考古学、別名古代宇宙飛行士説という学問があるのだけれど。その学問……いえ正式には学問とは認められていないのだけれど、それによれば、イエスは古代に外宇宙からやってきた宇宙人だった」
「えーーーー!?」
麻衣が驚きの声を上げた。
「イエスはこの星で一番優秀な知的生命体である人間の文明を正しく導くために外宇宙から遣わされた存在だったの。イエスは使者たちに新たに教えを説いた後、別の知的生命体が存在する惑星へと旅立った。聖書に記されるイエスが起こした数々の奇跡は知っているわね?」
「ああ」
学はうなづいた。
「あれはすべて外宇宙の高度な科学文明によるもの。イエスは旅立つ際に、それらの技術を使者の一族に託した。そのひとつがマスカレイドアバターシステムの源になったもの。マスカレイドアバターシステムは、二千年前にすでに進化の袋小路に迷い込んでいた人類を人工的に進化させるためのものだったの」
「じゃあ、あんたが言ってたハルマゲドンってのは……」
「第三次世界大戦なんて生ぬるいものではないわ。来るべき星間戦争のことよ。そのときはまもなく訪れる」
ミサは言った。
「しかしいまだ人類は、宇宙に比べたら塵に等しいようなこの星で、戦争や紛争、延々と醜い争いを続けている。私たちイエスの使者の一族は二千年の時をかけて、ようやくマスカレイドアバターシステムの実用化にまでたどり着いた」
すべては二千年前から仕組まれていたのだ。
「マスカレイドアバターの覚醒っていうのは?」
学はミサに尋ねた。
「四八に分離したタイプゼロの力を、再びひとつの個体に集めること。その器となるのが私たちの開発したマスカレイドアバターシステム。覚醒を遂げたマスカレイドアバターは神の子となり、この世界の、宇宙のすべてを手にすることができる。そこで、13評議会は、ベルセルクを暴走させ、マスカレイドアバター同士を戦わせることで、人為的にマスカレイドアバターたちの覚醒を促すことにした。それが今回のベルセルクの暴走の真相よ」
つまり、秋月蓮治もミサたちによって利用されたということだった。学が強制的に暴走状態にさせられたのと同じように。
「タイプゼロっていうのは?」
「タイプゼロは、すべてのマスカレイドアバターのオリジナル。イエス・キリストの肉体そのもの。すべてのマスカレイドアバターはタイプゼロから作られたの。タイプゼロの体は四八の部位に分割され、そのひとつひとつから四八人のマスカレイドアバターが作られたのよ」
説明を終えたミサは学に言った。
「あなたは前に、どうしてこのこの町にマスカレイドアバターが集められているか尋ねたわよね」
学はうなづいた。しかし、学にはなんとなくその本当の理由がわかっていた。
「この町が、二千年前にイエスがわたしたちに新しい教えを説いた場所だからよ」



13評議会の会場に日向葵はいた。
麻衣の高校の生徒会の副会長としてではなく、タイプゼロとして。
二千年もの間この国の歴史を影で操り続けてきた評議会員たちを前にしても、彼はいつものように作り物の笑顔を絶やさなかった。
「彼が一八年前にタイプゼロから作り出されたクローンかね……」
評議会員のひとりが言った。
「クローンではあるが、四八の部位をマスカレイドアバターシステムに捧げたオリジナルのタイプゼロはもはや人の形をしていない。彼こそがタイプゼロと呼ぶにふさわしいだろう」
別の評議会員がそう言ったが、
「日向葵とお呼びください」
彼はそう名乗った。
「タイプゼロの名は、まだぼくにはふさわしくありませんから」
そう言って彼は笑った。
「無から作られたがゆえにすべてを手にしようとする女と、はじめからすべてを手にした少年……」
「さてあの女狐はどうするかね……」



「二千年前からマスカレイドアバターがいたっていうわけか……。聞いていた話と随分違うな」
ミサは以前、マスカレイドアバターはただのテレビヒーローではなく日本国政府による半世紀に及ぶプロパガンダだったと学に説明した。。第三次世界大戦、世界最終戦争、ハルマゲドンのための。しかし、ハルマゲドンとは第三次世界大戦や世界最終戦争ではなく、星間戦争のことだった。宇宙には学たちが知らないだけで、より高度な科学文明を持つ星が存在するのだ。
この国は戦争をしないと言いながら、実は極秘裏に核を保有し、復興支援と称しては自衛隊は本物の戦場でマスカレイドアバターの起動実験を行ってきたとも説明した。それは確かに間違いではないようだったが、マスカレイドアバターが日本国政府が四〇年以上前から開発に着手していたパワードスーツの総称だと言っていたのは間違いだった。四〇年どころの話ではなかった。二千年前からその計画は始まっていたのだ。
「……ごめんなさい。すべてを話すわけにはいかなかったの」
ミサは謝罪した。確かに最初からすべてを教えられていたとしても、学は信じなかったろう。
「悪いけど、あんたを信用することはできない。俺は降りるよ。マスカレイドアバターをやめる」
けれど、学はそう言った。
「あんたらの実験にはもう付き合わない。確かにあの力は魅力的だ。俺も力を手に入れて溺れた。だけど、人間は自分の力だけで生きていかなきゃいけないんだ。それが今回よくわかった。あんな力に頼って生きてちゃだめなんだ」
「本当に残念ね」
ミサは言葉とは裏腹に別に残念そうではない顔で言った。
「十六年間も部屋にひきこもって、三一年間生きてきてただの一度も何も成し遂げられなかったあなたが、この世界で本当に自分の力だけで生きていけると思ってるの?」
そして学を馬鹿にするように言う。
「断言するわ。あなたにはすぐに挫折して、また部屋にひきこもる。長い長い残りの人生を無駄に消耗するだけ」
確かにそうかもしれない、と学は思った。けれど、生まれてきてしまった以上、生きていかなければいけない。麻衣を、大切な妹を守らなくてはいけない、とも思った。
学はずっと十五歳のままだった。肉体的にではなく、精神的に。しかしマスカレイドアバターになり、秋月蓮治の死を目の当たりにして、ようやく成長を始めていた。
「そんなことやってみなくちゃわからないだろ」
学はそう言い、
「帰るぞ麻衣」
学はミサに背を向けて、その場を去ろうとした。
「待って、お兄ちゃん」
麻衣は学のあとについていこうとするが、
「あの……まだ麻衣、よくわからないことだらけで……、でも、あなたがお兄ちゃんをあの部屋から出してくれたんですよね?」
ミサに振り返り言った。
そして頭を下げた。
「ありがとうございました! これだけはどうしても伝えておきたくて……」
そう言って麻衣は学の後についていった。
ひとり残されたミサは
「……わかるわ。あなたはもう、マスカレイドアバターとして生きるしかないのよ」
その言葉を聞いた学は立ち止まり振り返った。
「最後の質問だ。あんたは秋月蓮治を殺した。なぜだ?」
ミサは「いい質問ね」と言って笑った。
「さっき話した通り、四八人のマスカレイドアバターはすべて、タイプゼロの四八箇所の部位をもとに作られた。マスカレイドアバターは他のマスカレイドアバターを倒すことで、欠損した部位を取り戻す。ベルセルクはあなた以外のすべてのマスカレイドアバターを倒し、限りなくタイプゼロに近い存在になった。だからわたしはベルセルクを殺した」
「なぜだ? マスカレイドアバターを覚醒させるのがあんたらの目的じゃなかったのか?」
「だって、タイプゼロに、神の子になるのはわたしだもの」
そう言ったミサの腰と手には、あるはずのないものがあった。
「まさか……」
それは学が持っていたものと同じ、
「システム起動、パナギア」
携帯ゲーム機をバックルにした変身ベルトだった。
「変……身!」
ミサはそう言って、バックルにゲーム機をはめ込んだ。
「マスカレイドアバター!」
聖母の名を冠するマスカレイドアバター、パナギアがここに光臨した。

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