遺作 ―残された1年の寿命で、ぼくには一体何ができるか―

雨野美哉(あめの みかな)

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そこは、雑居ビルの屋上だった。

青年は虚ろな目をして、靴を脱ぐ。
靴を揃えるのが先か、遺書を置くのが先か考え、ああ、遺書なんてものは書いてはなかった、と思い出した。
フェンスを登ろうと足をかけて、靴を履いたままの方が登りやすかったな、と思う。
最期まで自分はこんな風なんだな、と思った。

フェンスを乗り越えた青年は、下を見て目眩をおこし、フェンスにもたれかかる。

深呼吸だ……深呼吸……
大丈夫、やれる……


「たぶん死ねないよ、君は」

突然声をかけられ、青年は驚いた。

「誰だ!?」

青年は全く気づいていなかったが、車イスに乗った学生風のブレザーの少年と、夏服の白いセーラーの下に、スク水とニーハイの少女が、自分を見つめていた。

「飛び降り自殺を成功させるためには、最低20メートルの高さが必要だ。
この雑居ビルは高さ15メートル。
君はおそらく両足からアスファルトに落ち粉砕骨折し、ぼくのように車イスの人生になるだけだ」

「なんなんだ、お前。
自殺はやめろとか言うつもりか?
俺がどれだけつらい思いをしてきたか、なにもしらないくせに」

「自殺をしたければすればいい」

だが、少年はフェンス越しに、スマートフォンの画面を見せる。

それは青年が見たこともない形のスマートフォンであり、画面はスマホから飛び出して、まるでホログラムのような立体映像を表示していた。
そこには青年の名前と顔写真、マイナンバー、それから詳細な来歴が表示されており、そして、「寿命」が表示されていた。

「ただ、君にはまだ51年の寿命がある。
一年あたり100万でぼくにその寿命を売ってくれないか?」

「おまえ、頭でも沸いてんのか?」

青年には、少年の言葉が全く理解できなかった。
だが、少年は構わず続ける。

「一年だけ寿命を残し、50年分を5000万で買い取らせてくれないか?

よく言うだろ?
『生きたくても生きられない人がいるのに、なぜ自ら命をたつのか』と。
ぼくは、そのような世界の不条理を絶つために、寿命の売買を生業としている。

君はこれから先、51年もの長い時間を、何も楽しいことも幸せなこともない人生を歩むことになる。
だが、ぼくにその寿命を売れば大金が手に入り、それだけの金があれば残り一年の寿命を有意義なものにすることができる。

そして、今まさに寿命がつきようとし、生きたくても生きられないでいる人が寿命を手に入れる。誰も損をしない」

「寿命なんて、どうやって売るんだよ」

「このスマホの中のアプリで簡単にできる。君のスマホにもすでにインストールされている」

青年はあわてて、スマホをとりだした。
確かに見知らぬアプリがインストールされている。

アイコンには「寿命売買アプリ」とあった。

青年は、アプリを開く。


――あなたの寿命は残り51年です。
現在50年ぶんを5000万円で売ることができます。売りますか?


「君の個人情報はすべてこちらで登録してある。
あとは君が、はい、を選択するだけだ」

「本当に5000万手に入るんだろうな?」

「本来なら銀行振りこみだが、不安ならすぐに手渡しも可能だ」

少年の傍らにいた少女がアタッシュケースを開き、札束を見せる。
5000万円分の札束どころか、100万円分の札束ですら、見たこともなかった青年には、それが本当に5000万あるかどうかなど、パッと見ただけでわからなかったが、

「わかった。現金でもらう」

青年は即答し、自分のスマホを少年に手渡した。

画面には、

――寿命売買契約成立。

とあった。

少年は、顔をほころばせ、

「君は賢明な判断をした」

と言った。

「この金はありがたく使わせてもらう」

青年は少女からアタッシュケースを受けとると、去っていく。


「生きたくても生きられない人がいて、死にたくても死ねない人がいる、世界は本当に不条理だね、コヨミ」

「だから、お兄様のような方がこの世界には必要なんですよ」

「一年後に彼は知ることになる。生きたくても生きられない苦しみを」

「そうでしょうか? なぜだか、わたしには、彼はこれまでの者たちとは少し違うような気がします」

コヨミという名の少女の言葉に、

「そうだったら、おもしろいね」

少年、比良坂ヨモツは、少しだけ嬉しそうに笑った。


          

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