加藤麻衣サーガ missing (2001) + monochrone (2002) + ?

雨野美哉(あめの みかな)

特別篇③「天国へと繋がる螺旋階段のイニシエーション」

小島雪に小島夜子を殺害する計画に持ちかけたのは加藤麻衣であった。
この小島雪がモノクローン観察日記の筆者である『小島雪』であるかどうかについて、わたしは言及しない。彼女たち姉妹の共通の友人である鈴木芹菓と宮沢渉はそれぞれ異なる考えを任意の事情聴取で述べているため以下に参考までに書いておくが、藪の中にある真相は藪の中にあればいいというのがわたしの見解であることは記しておきたい。何故ならどんなことにせよ真相なんてものが究明されてしまっては、名刺さえ作ってしまえばジャーナリストになれるこの時代、わたしのようなジャーナリストもどきがこの国で北朝鮮で飢餓に苦しむこどもたちと同じ割合で食いっぱぐれてしまうからだ。割合こそ同じでもその人数は勿論ひけにならないが。
鈴木芹菓が唱えるのは「小島雪イコール『小島雪』説」である。小島姉妹は幼少期の交通事故の際にすりかえられてなどおらずモノクローン観察日記の筆者『小島雪』は鈴木芹菓の友人小島雪であり、父に可愛がられ失踪した母と拙い電子メールを交わすモノクローンの小島夜子に嫉妬し殺害に至ったのだと彼女は語っている。
宮沢渉は逆に、神戸モノクローン事件の真相を究明する会というウェブサイトを開き「小島夜子イコール『小島雪』説」を唱えている。小島姉妹はすりかえられて育てられ、小島雪は小島夜子であり、小島夜子は『小島雪』である、というまるでミステリーもどきのストーリーなのだが、興味深いのは彼は小島雪の恋人であるという点だ。小島雪がモノクローン小島夜子であるとするなら彼はよくできているとはいえ人工脳の人格を愛したことになる。人間の脳も人工脳も電気信号で動くメカニズムである以上何も変わらない、ということか。モノクローンはヒトと寸分違わぬ存在であるのかもしれない。それならば現行法は改正しなければならない時代が来てしまったということだ。もっとも宮沢渉は小島夜子(『小島雪』)とも関係を持ち、彼女に妊娠をさせたと供述していることから、まったく同じ顔をした一卵性双生児を寝比べてみたかっただけなのかもしれない。おたくのくせに。しかしいずれにせよおたくでもなければモノクローンと寝たりはできないだろう。
さて、おそらく忘れかけられた事件であるからこうして反芻を試みたわけだが、思い出してくれただろうか。ちっとも思い出せないという方はフェイクビービーエスという名の『小島雪』の自作自演の掲示板こそ消失してしまったが、モノクローン観察日記はまだ公開されたままであるから読みなおしてみるのも悪くはない。すぐに思い出せるだろうし、新たな発見もあるかもしれない。一人称の日記ゆえの多くの矛盾にあなたは気付かされることだろうが、十代の少女の事件だ。どうか許してやってくれ。
さて、興味深い内容の手紙がわたしの手元にはある。事件関係者から入手したコピーだが、オリジナルは筆跡鑑定で『小島雪』によるものと確認されたものだ。
神戸市××区にある宗教法人千のコスモの会神戸支部の加藤麻衣の部屋に届けられたたどたどしい文字で綴られた小島雪の手紙だ。少女の言葉は「ら」抜きの不確かな日本語で何度読み返してもいやな気にさせられる。それはわたしだけではなく、どうやら受取人であった加藤麻衣もそうであったようだ。例を挙げようか。例えば、こんな風に。
「麻衣ちゃんの言う通りに夜子を殺した後、わたしはちゃんと警察から逃げれるのかな」
「逃げれる」ではなく、正しい日本語は「逃げられる」である。
ちなみに出家信者の多くはたとえ家族とでさえ外部と連絡を取ることは許されていないし個室部屋など与えられない。加藤麻衣も出家信者であるという点では他の信者たちと変わらないが、男性幹部と同等の立場にある巫女であり、同時にヴァジュラヤーナという経典に従って十三人の巫女を集める扇動者であったから恐らく教団ナンバーツーとされる榊裕葵氏と同等の待遇を受けていたはずである。ユニットバス付きの1LK、クローゼットの中には普段着のメタモルのお洋服がいっぱい。ご主人様のご帰宅を待つペットのような恋人代わりのひきこもりの兄は役に立たないのはわかっているのになんとなく買ってしまったインテリアだと思うことにした。全国指名手配された一回り以上年上の教員の恋人は顔を変えて高校の担任教師として再会したが、彼女が選んだのは自分なしでは生きられないと泣く情けない兄だった。血は繋がっていなかったからセックスもできるし結婚もできる。しかし手を繋いで寝てあげることくらいしか彼女はするつもりはなかった。兄がそれ以上の関係を望むのであれば兄を殺すつもりだった。兄妹は所詮兄妹でしかない。けっして恋人にはなれないし、夫婦になることもできない。近親婚も国によっては認められているが、国に許される許されないに関わらずこんな兄を愛することなどできないと彼女は兄を心底憎んでいた。彼女が脱いだ下着のにおいを嗅ぎながらマスターベーションするような兄を殺す日はすぐに訪れるだろうが、その時はできれば一秒でも遅いほうがいいと思ってしまうのは長い間連れ添ったための情か。自分だけを愛し求めてくれる兄を自分も愛しているのだと錯覚していた時期もあったが、その幸福な錯覚を裏切ったのは兄自身だ。よりによって大嫌いな彼女の友人と心中しようとして。一生悔いたらいいと思う自分はやはり兄を愛しているのかもしれない。加藤麻衣にはもはや何もわからない。校長が千のコスモの会の在家信者だったため中学の学習過程もろくに終えないまま滑り込んだ市立緑南高校にもようやく馴れ、級友たちと遊びながらもわたしは本当に兄を殺せるか、毎日そればかりを考えているといつのまにか夏休みが終わろうとしていた。
小島雪の殺意を知ったとき、だから加藤麻衣は兄を殺す予行演習のようなつもりで殺人計画を立て(よくよく考えてみれば彼女が兄を殺したところで教団が内部でうまくもみ消してくれるわけだが)、小島雪にそっと囁きかけたのである。小島雪は彼女の扇動者としての仕事の対象でもあったから好都合であった。もともとそのために行きたくもない高校に入学したのだ。出来もしない因数分解をこれ以上させられるのはもううんざりだった。
計画はごくごく単純なものだった。
小島雪が小島夜子を殺害した直後に加藤麻衣が彼女を「回収」し社会から逃亡させ、教団の秘密工作部隊(宗教団体になぜそんな部隊があるのか頭のいいあなたたちなら当然わかることと思う)が事件現場をうまく偽装する。スポンサーさえついていれば何だって簡単にできてしまうのがこの国で唯一素晴らしい点だ。加藤麻衣の予定外だったことといえば秘密工作部隊が彼女の想像以上にお粗末で翌日には小島雪が未成年であるにも関わらず顔写真付きで実名報道され全国指名手配されてしまったことであるが、小島雪の回収さえ成功すればすべてがうまくいく計画であったから計画は一応成功したと言える。それにしても秘密工作部隊の隊員たちが何故か皆シャブ中で、小島雪の回収こそしてくれたが、依頼したはずの小島夜子の念のための死体の回収も、その代わりに身元確認が困難なくらいに損壊したふたつの死体を用意し事件現場に放置するという指示がまるで伝わっていなかったのには驚いた。右耳から入った言葉が左耳から抜け出て行くどころか、右耳に入ってもいなかったに違いない。隊員たちがしたことと言えば盗難車のワゴンの中で注射針を加熱消毒もせずに交代で腕に刺し幻覚を見ていただけだった。教団の農学部が大切に育てた合法のドラッグ。粉末にするのは薬学部の仕事。近年マスメディアで取り上げられた教団の食堂で支給される質素な給食や多数勤務している医師たちのいい加減な処方箋の真相はここにある。ちゃんとした食事と医療を受けられるのは幹部と巫女だけだ。しかしそれでも加藤麻衣の大切なシャム双生児の友人は助からなかった。死のうとする意志を救うことはできないのだろうか。死んでしまったらそれで終わりじゃない? 加藤麻衣は猫を抱いて、人柱にセメントで塗り固められた友人の死体の頬を毎晩撫でながらそう囁きかけたが返事は無論ありはしなかった。
一晩中真夏の蒸し蒸しした空の下で加藤麻衣は小島雪の帰還を待った。「天国へと繋がる螺旋階段のイニシエイション」を終えたなら、少女は天使になれる。アスファルトの教団車両専用駐車場に体操座りをしたり寝転んだりして、拾った小石で白い天使の羽根を描く。一筆描きのこどものらくがき。何組描いたか知れない。気が付けば、冬に死んだシャム双生児の巫女の姉妹にもらったビニール製の片羽根が背中に生えた彼女の足元から数十数百の羽根が放射状に広がっていた。天使なんかじゃなくて、まるで太陽になったみたい。どこへでも行ける気がするのに、どこへも行けない。光を誰かに見せてあげることはできても、近づけば愛する誰かを焦がしてしまう。生命を生み出すことも自分の体ではできない。太陽は悲しい星。加藤麻衣はそんな風に自分に酔ってしまう。ワゴンが帰ってきた。
小島雪が隊員に手をひかれてまるでお嬢様のように降りてくるとばかり加藤麻衣は思い込んでいたがワゴンはまるで無人の車のように沈黙したままだ。いやな予感がした。おそるおそる後部座席のドアを引く。出家したばかりでまだ末端信者のくせに生意気な口を聞く同い年の一卵性双生児の姉妹を小島姉妹の死体の代わりとして「このおじさんたちがあなたたちを地上の楽園に連れていってあげるから」と言いくるめてワゴンに乗せたのに、本当に地上の楽園を見せてあげてしまったらしかった。帰ってきたワゴンの中には姉妹の幸福な顔をした裸の死体が転がっており、ふたりとも隊員たちに輪姦されたのだと一目でわかる体をしていた。しかし、それだけではどうやらすまなかったようだ。隊員は五名であったが、そのうちの四名も死んでいた。姉妹と隊員の死因は違う。姉妹は絞殺で男の大きな手の形の痣がくっきりと首筋に見えるが、隊員たちは刺殺で滅多刺しであった。助手席に小島雪が座り、バタフライナイフを運転席の隊員の首筋に当てている。ナイフは運転中何かの拍子に肉に僅かに食い込んだのか、血が流れていた。頚動脈の真上だ。小島雪の回収後何が起こったのかすぐに想像がついた。
小島雪を回収しにやってきたのはおそらく運転手の隊員なのだろう。そのとき他の隊員たちはワゴンの中で輪姦の真っ最中。確かめたわけではないが、死姦だったかもしれない。どちらにせよむごたらしい光景であったに違いないが、唯一の救いは姉妹がドラッグに漬けられていたことか。恐怖や絶望は限りなく削り落とされ、僅かでも快楽が勝ってくれていたとしたらそれは救いだ。隊員たちは小島雪をも輪姦そうとしたのだろう。教団内の事件であるから無法地帯下ではあるが彼女の殺人のうち少なくとも隊員たちの殺害は正当防衛だ。世界は大人たちが教えてくれたものよりはるかに救いがない。だって神様なんてどこにもいないんだから。自分を救えるのは自分だけだ。誰かに救ってもらおうなんて虫のいいことを考えているから剥奪もされるし陵辱もされる。血走った小島雪の眼と姉妹の死体を見比べながら加藤麻衣はそんな、宗教法人の巫女としてはあるまじきことを考えていた。命の価値は平等だと人は言うが、平等でないことくらいこどもだって知っている。
加藤麻衣は峰富士子がボディコンのミニのスカートの下、網タイツの中に隠し持っているような女性用の小銃をくまのぬいぐるみの形をしたバッグの中から取り出す。護身用に、と彼女を養父に迎えいれてくれた教団の教祖且つ代表に手渡されたものだ。常に持ち歩くようにきつく言われていたから学生鞄にも忍ばせていたし、『小島雪』や鈴木芹菓と遊ぶときも勿論所持していたが、使うのはこれがはじめてだ。はじめての発砲。アメリカのテレビだったらおつかいよりもおもしろいものが撮れるかもしれない。合衆国にコンプレックスを抱き、ただ憧れ留学までしたくせに、フリーズとプリーズを聞き間違えるような馬鹿な日本人留学生を殺す人気テレビ番組だ。
ぱん。
ためらいなく引き金を引ける自分がいる。ぱん。
わたしは兄のこともこんな風に簡単に殺せるだろうか。ぱん。
至近距離から放った小さな鉛の弾は、運転席の隊員のこめかみに吸い込まれるように埋もれていった。とろりと一筋血が垂れ、一瞬だけ遅れて血が噴き出す。サイドウィンドウを朱に染めた。勢いよく噴き出した血というものはまるで街角で見かけるスプレーペイントの落書きのような着色をする。後のことは兄を呼び処理させた。はじめから兄に仕事を頼んでいればこんな事態にはならなかったのかもしれない。兄は彼女の言うことは何だって聞いてくれるから。
加藤麻衣はワゴンから降りた後もずっと小刻みに震え続けていた小島雪を優しく抱きしめていっしょに手をつないで寝たが、彼女が目を覚ますと小島雪はドアノブで首を吊って死んでいた。小島雪の着ていたおでかけ用の白いお洋服はさしずめ死装束と言ったところ。いつかかわいいと誉めたその上下がおそろいのスカートの綺麗な刺繍やすそのフリルが垂れ流された糞尿で汚れており、中からおぎゃあおぎゃあという泣き声が聞こえた。
異臭を堪えながらスカートをめくる。

加藤麻衣が狂うのは、それからしばらくしてからのことだ。
その話はまた別の機会にする。

死装束で死ね。

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