加藤麻衣サーガ missing (2001) + monochrone (2002) + ?

雨野美哉(あめの みかな)

2002/02/22-02/28

2月22日、金曜日

はじめて松山に降り立ったすごい寒波の日、その何日か前には大阪で歩く歩道を初体験して、大興奮で駆け抜けたモモを今度は大街道のスクランブル交差点が待ち構えていました。
モモにはスクランブル交差点の、縦に二本、対角線に二本、四本ひかれた横断歩道の上をどうしてみんな歩かないのか不思議でしたが、おかしいのはモモのようで、横断歩道にそって斜めに進み、交差する真ん中で方向転換したモモをお兄さんは声に出しておかしそうに笑いました。
横断歩道は縞々の上を歩くものなのに、スクランブル交差点はどうも違うようでした。道路に描かれているものは同じでも、スクランブル交差点を横断歩道とは言わないし、横断歩道をスクランブル交差点とは言いません。ふたつは別のものなのです。
歩行者が安全に車道を渡るためにあるという点でふたつの役割は変わらないはずです。信号を3つも4つもとりつけるくらいなら、横幅の長い大きな横断歩道にしてしまえばよかったのに、とモモは思いました。ペンキ代よりきっと信号の方が高くついたはずです。
信号はいつのまにか赤にかわり、スクランブル交差点の途中で首をかしげて立ち尽くしていると、歴史の教科書でしか見たことのなかった真っ黒な汽車が、モモのすぐそばを駆け抜けていきました。
松山にはまだ坊ちゃん電車という路面電車が走っていて、何本かに一本、古き良き時代を再現するかのような真っ黒い汽車が、学生服のような黒い制服を着た運転手さんを乗せて走っているのでした。
モモはあの汽車に乗りたいと、何度もお兄さんに駄々をこねましたが、まだ乗せてもらっていません。



2月23日、土曜日

乗り物といえばもうひとつ、大街道からの帰り道の中の坂に、松山城へと繋がるロープウェイがあります。大街道と違って、ロープウェイ乗り場のある通りは少し寂しくて、並んだお店の大規模な改築計画が進んでいるそうです。
松山城もそうかは知りませんが、お城では天守閣の中に入ることができる上、江戸時代の人たちが着ていた着物を借してくれて着させてくれるそうです。
モモは麻衣の頃に一度、棗さんに頼まれて女医の格好をさせられたことがあったり、着せかえ人形のようにロリ服ばかり着せられていたので、あまりコスプレは好きではありません。
ただ十二単はウェディングドレスなんかよりずっときれいで、一度は着てみたいと思います。モモは日本人で、外国製の車や煙草やお菓子があまり好きではありませんでした。
でもお城にも興味はありません。
モモはただロープウェイに乗りたいだけです。
お兄さんはモモのそんな願いさえかなえてはくれません。
いつかは罪に問われることをしてまで棗さんが麻衣を誘拐したのはどうして?
飼い慣らされた犬の暮らしでは、モモはちっとも楽しくありません。
棗さんのバカ。棗さんは大バカやろうです。



2月24日、日曜日

モモは悪い子です。
隣の部屋の女の子とおしゃべりをしてしまいました。
と言っても、モモから話しかけたわけでも、話したらお兄さんが困ってしまうようなことを何か話したわけではありません。
「今日もお洗濯日和のいい天気だね」「いつもお留守番してるの?」「どこか悪いのかな?」「わたしはね、外に出たらいけないの」「わたしは男の人とふたりで住んでるんだ」「わたしは病気なんだって」「おうちの外には悪い電波が出ているんだって」「世界中に悪い電波があふれてるんだって」
狭いベランダの洗濯物の下に椅子を置いて、洗濯機にもたれながら板ごしに女の子の話を聞いて、相づちを返していただけです。
女の子は花房モヨコと言いました。ハナフサという変わった苗字よりもモモが驚いたのは、
モヨコ
という名前でした。
お兄さんがわたしにくれた名前の候補がモモとモヨコであったことは前に書きました。モヨコという名前はやっぱり言いにくそうで、モヨコちゃんが舌を噛みはしないかとモモは少しどきどきしました。
「お洗濯をするときも、その電波に直接当たらないように、虹色の布を体中に巻かなくちゃいけないの」
モヨコちゃんはそう言って、モモにも見えるように腕を伸ばしました。
虹色の布。
悪い電波。
モヨコちゃんの病気。
モヨコちゃんの男の人が悪い宗教にはまっているんじゃないかとモモは少し不安になりました。
病気のモヨコちゃんが部屋に戻ると言った、お別れのときになって、モモはようやく一度だけ口を開きました。
「わたしの名前はモモだよ」
モヨコちゃんは嬉しそうに笑ってくれました。
モヨコちゃんはきっと、モモと同じでかわいそうな女の子なのです。



2月25日、月曜日

今日もモヨコちゃんとベランダでお話しました。モモは案外聞き上手らしく、モヨコちゃんは楽しそうに話してくれました。
モヨコちゃんと男の人はモモとお兄さんの少し前に入居したばかりなのだそうです。モモが偽造の生徒手帳を持っている近所の学校の生徒なのだそうです。モモと同い年で、高校一年生。だけど一年前から体の具合が悪くて、一度も学校に行ったことはないそうですが、籍はまだあるそうです。男の人は、両親のいないモヨコちゃんの後見人ということでした。その男の人は、どうもモモのお兄さんと同じ漱石一番塾で講師をしているようです。
モヨコちゃんの話をもっと聞きたい、モモはそう思いました。
だけど、黒い車がベランダの面した道路に止まったのを、モモは見ました。車から降りたのは、お兄さんと同じくらいの年の男の人と、まだ少年のような顔の男の人でした。ふたりはサングラスこそかけてはいませんでしたがメンインブラックのように黒ずくめで、よく見ると喪服を着ていたのです。
ふたりは二階のベランダを見上げたので、モモはどきりとして、あわてて部屋に入りました。とてもいやな予感がしました。
モモの不安は不幸にも当たってしまいました。
ふたりはまずは一階の部屋を、そして二階に上がってモヨコちゃんの部屋を訪ねたあとで、モモの部屋を訪ねてきたのです。
インターホンが鳴りました。
ベランダに出ていたのを見られてしまったので出ないわけにはいきませんでした。こわいお兄さんたちだったら尚更です。ドアを壊されてしまいかねません。
「北海道警の者です」
「お忙しいところすみません。少しお時間を頂けないでしょうか」
モモはまたどきりとしてしまいましたが、仕方なくモモはドアを開けました。
喪服のふたりの年上の方の男の人は、首にギブスをしていました。直接会ったことはないけれど、確か棗さんの婚約者の花梨さんもギブスをしていた覚えがあります。寝違えが流行っているのかな、とモモは思いました。
「コープです」
「ゲロです」
年上の男の人がコープさん、少年の方がゲロさんと言うそうです。ジーパン刑事みたいなものなのかな。
「この子を探しているのですが、ご存知ありませんか?」
ゲロさんという刑事さんがモモに見せたのは、加藤麻衣という行方不明の女の子のポスターだったので、モモはもう一度だけどきりとしてしまいました。



2月26日、火曜日

モモのかつらをかぶったくらいでごまかせるわけがないと思いましたが、クラスメイトが何でも怪物の魔の手から助け出してくれた美少女戦士だと絶対に気づけない女の子のように、コープさんとゲロさんはモモが加藤麻衣だということには気づきませんでした。高校生探偵の力を借りなければ難事件を解決できないというのはあながち作り話だとは言えないようです。
モモはほっと胸をなでおろしましたが、モモが抱えた問題はまだありました。
昨日の出来事をモモのお兄さんに話すべきか、話さないでおくか、ということです。
警察の捜査がどのように行われるものなのか、モモはもちろん知りません。しかし、北海道警の刑事さんが松山にまで捜査をしにきているなんて、モモにはお兄さんの、いえ、麻衣には棗さんの起こした麻衣の誘拐事件の捜査がかなり進展しているように思えました。
麻衣も棗さんもうまく逃げれたと思っていました。警察が松山まで追いかけてくるのは当分は先のことだと思っていました。
棗さんに話さなくてはいけない、そう思います。
だけど棗さんに話してしまったら、麻衣がインターホンに出てしまったことや部屋のドアを開けてしまったこと、それにモヨコちゃんとベランダでおしゃべりしたことが棗さんに知られてしまいます。全部、麻衣がしてはいけないことです。モモがしてもいけないことでした。
麻衣もモモもやっぱり悪い子です。
ゆうべ一晩中眠らずに考えて、麻衣は話さないことに決めました。
今日、仕事から帰った棗さんは麻衣に言いました。
「今日、ぼくが働いている塾に探偵が来たよ。たぶん花梨がやとった探偵だよ」
棗さんの顔はとても疲れているように見えました。
「麻衣、今度は沖縄にでも行こうか。台湾も悪くないかもしれないね」



2月27日、水曜日

漱石一番塾にやってきた探偵は、硲さんと名乗ったそうです。硲は、はざまと読むそうです。モモのお兄さんが硲探偵に渡された名刺によると、硲探偵は東京の郊外の棗さんの実家の会社がある街に事務所を構えているようでした。
婚約者の花梨さんのご両親に乗っ取られてしまった実家の会社があるのは、なつめ市といいました。愛知県? だったかな? にある豊田市のようにもともとは幸待市といった棗さんの故郷は今なつめ市というのです。父の名を冠した街がありながら、彼はその街の主にはなれなかったのです。そんな棗さんの口癖は、
「ぼくはジオン公国をザビ家に奪われたシャアアズナブルなんだ」
でした。最初のガンダムの世代の人なのです。この話をするのははじめてかな。棗さんはモモのお兄さんからひさしぶりに戻って、口癖を聞かせてくれました。
警察だけでなく私立探偵までもう松山に来ているなんて、沖縄や台湾まで逃げたってもう無駄のような気がします。
それに北海道で生まれた麻衣はゴキブリというものを見たことはありませんが、とても気持ちが悪い虫で、沖縄のゴキブリはとても大きいと聞いたことがあります。モモは虫が大の苦手でした。いくら海や珊瑚礁がきれいでも、ゴキブリが大きいなんてそれだけでもう沖縄はありえません。台湾なんて外国です。台湾に逃げるくらいなら、枝幸から南下なんてせずにオホーツク海を渡って北方領土に逃げればよかったのです。
世界がまだ平面で何匹もの大きな像に下から支えられていた頃なら、世界の果ての枝幸の向こうにあった滝に飛び込めば、逃げられたかもしれません。
しかしこの時代は違います。
この世界はモモたちにとても厳しくて、たぶんどこにも逃げ場なんてないのです。
棗さん、麻衣はもうどこにも行きたくなんかありません。もう諦めようよ。



2月28日、木曜日

お昼過ぎに起きると、モモのお兄さんの姿はどこにもありませんでした。
その代わりにモモのノートパソコンの上に書置きがありました。

「麻衣へ

急用ができたので、第8番夢の島へ行ってくる。
しばらく留守にするけれど、すぐに帰る。
探偵や刑事が来ても、決して出ないように。

棗より」

第8番夢の島というのは、ごみを埋め立てて作った八番目の島で、ミラー首都の建設が予定されているところだとニュースで聞いたことがあります。
沖縄でも台湾でもなく、今度はそんなところへモモたちは行かなければいけないのかな。
探偵さんも刑事さんも訪ねてはきませんでしたが、棗さんの婚約者の花梨さんが訪ねてきました。
インターフォンにモモは出ませんでしたが、覗き穴を覗くと花梨さんと目があってしまいました。

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