加藤麻衣サーガ missing (2001) + monochrone (2002) + ?

雨野美哉(あめの みかな)

2001/10/29-11/04

10月29日、月曜日。誘拐から丸29日が経過。

目深に被った帽子や普段は絶対に着ないボーイッシュな服、サングラス越しに見る世界に違和感を感じながら、棗さんがレンタカーを借りる手続きを終えるのを駅前で待ちました。

麻衣を誘拐したときからナンバープレートを地面に向けていたけれど、棗さんの車はお兄ちゃんとココを誘拐したときに目撃されてしまったから、これ以上足に使うのは不可能なんだそうです。

麻衣は大きな旅行鞄を抱きしめて、これじゃまるで家出少女だけど、変装したココとお兄ちゃんもいっしょだからきっと旅行者にしか見えない。
寝違えた首にギブスをした巡回中の婦人警官も、麻衣たちに職務質問はしませんでした。
腰にささった本物の拳銃を麻衣はどきどきしながら見つめました。

わたしがネットアイドルをしているミッシングに載せているでたらめな個人情報で登録した麻衣のメールアドレスに佐野友陽からメールが届いたのはゆうべ日記を書いた直後のことです。
彼はテレビのプロデューサーで、報道に携わる仕事をしているそうです。
メールにあった文章を引用するなら、彼は「今年の初夏に富良野市内で起きた女児連続誘拐殺害事件の被害者遺族」であり、「悲しみは娘の遺骨を手にし、それが跡形なく崩れいくのを目の当りにした瞬間だけ」で「逆上し復讐を決意するどころか逆に自らの欲望を満たすためだけに犯罪を繰り返す人間に興味を覚えた」んだそうです。
だから麻衣「と棗弘幸に関心があり」、麻衣たち「に同行し取材がしたい」し、また麻衣や棗さんが望むなら「捜査情報を提供し」てくれるそうです。

彼のまだ幼いこどもを誘拐し殺害した「警察もまだたどりつけないでいるその女児連続誘拐殺害犯と、誘拐されながらも殺害を免れ犯人と共存する女の子に会わせ」てくれると言ってくれています。

「君は君と同じように誘拐事件を生きる女の子に会いたくはないか?」

棗さんがレンタカーに乗って迎えに来ました。
大きなワゴンにすればいいのに、また外国製の小さな車。
後部座席で麻衣たちはたくさんの荷物に埋もれて息もできない。

運転席と助手席では棗さんと佐野友陽が名刺を交換しています。

「これからどこへ行こうか?」

棗さんはまだそんなこと言ってる。
佐野友陽は地図を広げて北海道の北の果てを指しました。そこに地名は記されてはいません。

「枝幸(えさし)に行こう」




平成14年12月17日、土曜日。誘拐から丸443日が経過。

事実と真実の関係はさておき、この世界におけるすべての事象は改竄される可能性を秘めている。

昨日警察に逮捕されてしまった友人が君にはいないだろうか。

彼は所謂別件逮捕と呼ばれるやつで、何年か前の新興宗教のテロのときと同じようにカッターナイフの所持や自転車の無灯運転で捕まっていやしないか。

そして些細な、罪と呼ぶのもおかしな罪で交番での事情聴取もないままに署にご同行されていやしないだろうか。

彼は見も知らぬ、しかし男なら誰でも犯したくなるくらいかわいらしい女の子の強姦殺人の容疑がかけられ、丼すら出ない取調室で、権力に迎合するという意味でだけ敏腕な刑事に怒鳴られていやしないか。

そしていつのまにか彼は狭い部屋に反響し耳をしびれさせる刑事の怒鳴り声にいい加減辟易しながら、特に誘惑するわけでもない天使のような笑顔の女の子の写真を眺めうっとりとし、彼女を犯し首に縄をかけて殺害した妄想を自供していやしないだろうか。

冤罪は起こるべくして起こる。

それはたぶん運命というやつで、ひとつ上の階級世界におけるぼくたちの物語の脚本家のちょっとしたきまぐれでぼくたちの運命は決定される。

一昨日まではあるいは彼は幸せな人生を送るはずだったのかもしれない。

平凡な一般市民の夢見る幸福などたわいのないものだが彼にとってはそれ以上ない幸せな人生。

昨日、彼の人生が改竄されるまでは。

はじめまして、棗弘幸です。

本来ここに掲載されるはずだった(数時間だけ掲載されていたわけだが)平成13年10月30日の加藤麻衣の手記は、現在のぼくにとって大変まずい内容が書かれていたため、こうしてぼく自身が君たちの前に姿もなく現れ、もはやぼくとは何の関わりもない加藤麻衣に関する資料を改竄することを余儀なくされてしまったわけだが、だからといって物語に支障をきたすほどの情報があったわけでもなかったからどうかお許し頂きたい。

君たちにとって大切なのは加藤麻衣がはたして帰還するかしないのかということであって、ぼくの逮捕ではないだろうからそのままにしてもよかったが稚拙で計画性のなかった誘拐犯としての棗弘幸に足をすくわれるわけにはいかないのである。

世界はぼくの主観的なものであり、ぼくが世界から隔離されてしまってはもう誰も世界に存在しえないからである。

この世界を隔離したくなければぼくを隔離しないことだし、この世界を終わらせたくなければぼくを殺さないことだ。

それだけが言いたかった。

最後に、麻衣の物語の改竄という行為は、はじめてのことではないことも追記しておく。

加藤学がウェブアーカイブからサルベージした時点で、この手記はぼくに関する情報をある程度削りとられた状態であったことは加藤学も佐野友陽も知らないことだ。

明日からはまた加藤学の手によって麻衣の手記が更新されるはずである。

明日の更新を楽しみに待っていてほしい。




10月31日、水曜日。誘拐から丸31日が経過。

麻衣は今まで一度だって富良野から外に出たことがありません。

富良野市風俗拾路病院で未熟児として生まれて、生まれてすぐに預けられ小学校の途中までを過ごした教護院は、病院の付属の施設だったし、施設育ちの麻衣に誰もが冷たかった小学校や中学校も富良野の市立。

旅行には行ったことがありません。
小学校の修学旅行はお兄ちゃんとお留守番をしました。

だから麻衣にとって世界はラベンダーの香りに満ちていて、枕元にまで漂うその香りのおかげで世界中の誰もが眠れない夜を過ごしたりはしないと、そう信じていました。

トモヤが今麻衣の隣で眠っています。
麻衣よりふたまわりも年上の男の人を、それも麻衣がずっと憧れてた大泉燿の番組だって作ったことのあるテレビのプロデューサーをどうして麻衣は呼び捨てで呼んでるんだろう。
女子中学生に呼び捨てで呼ばれたいなんていうからしかたないんだけど。

トモヤは噛み砕いたハルシオンのかけらを口のまわりにまるでお菓子のようにくっつけていて、だから麻衣はハンカチでトモヤの口をぬぐってあげました。ハルシオンというのは睡眠薬の定番らしく、あまり効かないのだそうです。

「医者の言うとおりに一錠だけ飲んで寝ると、殺された娘がぼくの首を締める夢を見るんだよ。笑いながらさ。きゃはははははって笑いながらさ。笑えるだろう?」

笑えない。
トモヤの腰まで伸びた長い金髪は、ブリーチのしすぎで縮れています。トリートメント、ちゃんとしてるのかな。

「たまらなく死にたくなる。死にたくなったら仕事にならないから、夢も見れないくらいに毎晩お酒といっしょに何錠もこの薬を飲むんだ」

車はトモヤと棗さんが交代で運転をして、枝幸に向かいました。
お兄ちゃんは今年の春休みに麻衣がつきそって教習所に車の運転を習いに行ったけど、年をとった教官に毎日おまえは運転に向いていない、才能がない、ということだけを教えてもらっただけで免許をもらえなかったので車の運転はできません。

枝幸に着いたのは太陽がようやくそのまぶしい顔を麻衣たちに覗かせた頃で、棗さんは逆光の中何度も交通事故を起こしそうになるくらい疲れていて、ココとお兄ちゃんはそんなことなどまるで知らずに眠っています。
麻衣なんてこわくておしっこを少しナプキンにもらしちゃったのに。

窓を開けると、枝幸は潮の香りがしました。富良野より寒いです。



11月1日、木曜日。事件から丸32日が経過。

第2ロータスビル。
麻衣と棗さんがトモヤに案内されたのはそんな名前の5階建てのマンションでした。麻衣たちの借りたお部屋からすぐそばにありました。

建物は普通4階以上からはエレベーターをつけなくちゃいけないきまりがあって、だから麻衣の学校は3階建てなのだと先生に聞いたことがあったけれど、マンションはまた別なのかな。エレベーターはありませんでした。
寒さで凍えそうな白い息を吐きながら三人で階段を5階までのぼりました。
トモヤはおぶってくれるっていうけど、髪の長い彼の背中におぶさるときっともさもさするって思ったからやめました。棗さんがおぶってくれたらいいのに。

5階で一番日照権を確保した部屋のドアに「ハシモト」というプラスチックの表札が差し込まれています。

麻衣たちが会いにきた棗さんや麻衣の関係と同じ誘拐犯とその被害者がこの部屋のなかにいます。

橋本洋文さんと、鈴木芹香ちゃん。

芹香ちゃんの名前は聞いたことがありました。
彼女が行方不明になったのは一昨年の夏休みで、一昔前みたいに自転車で日本列島を縦断する小学生もいなくなって、ちょうどこれといったニューズが提供されなかった頃、待ってましたとばかりにテレビで行方不明が報じられていたし、富良野の街のありこちに貼られたポスターを麻衣は登下校に毎日見ていたから。

その頃麻衣は中学校に入って間も無く、芹香ちゃんはひとつ年下の小学六年生でした。だから今は学校の籍だけは中学2年生になっていると思います。

芹香ちゃんはアニメみたいな猫目がすごくかわいくて、猫耳をつけてコスプレしたらきっとすごくかわいい。

インターフォンは電池が切れて、ドアは無用心に開いていました。
恐る恐るドアを開けると、ドアの内側の覗き穴にガムテープが貼ってあります。

トモヤの話では、橋本洋文さんはその覗き穴からだけおばけが見えるんだそうです。
金髪で色黒、水色のタンクトップのおばけ。テレビで見るサーファーかちょっとまえのイケメンみたいな出で立ちのおばけがどうして枝幸にいるのかな。
ここは世界のはじまりの大陸のように潮の香りはするけど、世界の果てみたいに寒いのに。

部屋には誰もいませんでした。

のぼったときとは別の筋肉を使って疲れきった足で階段を降りると、マンションの入り口でふたりに会いました。
今朝トモヤに見せてもらった写真と髪形も服も同じで、その写真がまだつい最近撮られたばかりのものだということがわかった。

きっとトモヤが撮ったんだと思う。
橋本洋文の顔は写真と同じようにばつの悪そうな顔をしているから。

まだ数ヶ月前にトモヤの小さな女の子を誘拐して殺した事への罪の意識? 芹香ちゃんの顔は悟りを開いた賢者のように穏やかでにこやかに笑っていました。

「そこの佐野さんから話は聞いてるよ。棗さんと麻衣ちゃんだっけ?ぼくと芹香に会いにきたんだってね。せっかくこんな世界の果てまで足を運んでもらったから海の幸ご馳走にしようと思って買い物に行ってたんだ」

ふたりはスーパーの袋をいくつも抱えて、袋には山のような缶詰が詰め込まれていました。



11月2日、金曜日。事件から丸33日が経過。

ひどい筋肉痛。ソファに座ったり立ち上がったりする作業が麻衣の体を軋ませます。
麻衣とお兄ちゃんはゆうべ棗さんがどこからか運び入れたバスの停留所にあるようなスポンサーのロゴが大きく入った雨で汚れたベンチに座って、トモヤがデジカムをまわしてる。
カメラ目線にならないように何度も念を押されて、すっかり萎縮した麻衣とお兄ちゃんはうつむいてトモヤのインタビューに答えました。
インタビューは主に麻衣にだけ行われ、お兄ちゃんは麻衣の保護者なんだそうです。
麻衣がぼくの保護者だよってお兄ちゃんは笑った。

トモヤも笑って、お兄ちゃんが麻衣のいないと何もできないなら、麻衣がおとなになるのを待って、ふたりでトモヤのところで働けばいい、と言いました。
五年くらい先の話になるのかな。お兄ちゃんはもう25歳になってる。

期が熟したらこのインタビューは彼が所属するテレビの報道番組で放送するんだそうです。

「テロの瞬間の映像を何十回何百回何千回と流したから、まだ世間はアメリカがアルカイダに報復するかどうかに夢中だからね。世間が飽きる頃合いをはかって新しい刺激を注入してやるんだよ。そうしないと大衆は食事のときの話題すらなくなってしまうからね」

いつどうやって誘拐されたのか、誘拐されて犯人の麻衣への待遇はどうか、逃げられはしなかったのか、逃げられたならなぜ逃げなかったのか、これからどうしたいのか。
トモヤの質問は麻衣とお兄ちゃん、それからココや棗さん、事件の関係者全員の人権を考慮したものだったと思います。性的な内容のものはひとつもありませんでした。
答えにくい質問もあったけど、麻衣はちゃんと全部自分の言葉で答えました。

インタビューの最後に麻衣たちはちょっとだけやらせをしました。
棗さんがドアを開けて部屋に入っていき、トモヤを相手に大暴れ、カメラがごとんと床に落ち、それをお兄ちゃんがあわてて拾うというトモヤの演出でした。
麻衣の泣き声が入っていなければいけませんでした。

棗さんとトモヤの下手な演技が麻衣はおかしくて、麻衣うまく泣けなかった。

麻衣の事件はきっとかわいそうに映るかもしれません。
だけど麻衣は誘拐されている毎日が楽しくて、きっと幸せだと思います。




11月3日、土曜日。事件から丸34日が経過。

インタビュー撮影の二日目。
借りたばかりの生活感のまるでないマンションの部屋で撮影した昨日とは打って変わって今日は街へ出ました。

自動車が片道通行でやっと一台だけ入れる狭く低いトンネルのなかや立ち入り禁止のフェンスの向こう、車の通りのない田舎道の横断歩道、公園に遺棄されさびついてドアを開けるときひどく軋む音がするバスのなか、ひとつかふたつの質問にこたえたらまた別の場所に移動する。

お父さんのこと、綾音さんのこと、お兄ちゃんのこと、ココのこと、それから棗さんのこと。
ヒロフミや芹香ちゃんについてはトモヤの社会上の立場から質問をされません。

トモヤは連続誘拐殺害事件の容疑者と被害者に情報提供をしているから逮捕されかねないから。

「こうやっていろんなとこでインタビューを撮って、セックスの合間にインタビューシーンを挿入してるAV女優のデビュー作昔見たことがある」

お兄ちゃんがそう言って笑いました。麻衣はAV女優みたいだって。

ほんの少し前まではお兄ちゃんはそんな冗談を言わなかったし、麻衣とふたりきりでいるときにしか笑わなかったのに、今のお兄ちゃんは麻衣が泣きたくなるような冗談も言えば、ふたりきりじゃなくても笑う。麻衣がいなくてもココがいたらきっと笑うんだ。

麻衣は今、嫉妬をしています。

歩き続けた長い一日の終わりに廃線になった線路を歩きながらトモヤのインタビューにこたえました。

インタビューの最後に、麻衣と棗さんはトモヤから捜査情報を提供されました。

それからどこかで見たことのある首にしたギブスのせいで苦しそうな顔をした婦人警官の写真。

「藤本花梨という名前の高校生の女の子だよ。おかしなコスプレをしてるけれどね。麻衣ちゃんはまだこの子を知らないかい?」

その女の子は棗さんの婚約者なのだそうです。

麻衣の出演料、リボルバー式のモデルガンが一丁。




11月4日、日曜日。事件から丸35日が経過。

今日はヒロフミと芹香ちゃんと棗さんと麻衣の四人で早朝から遠洋にまぐろ漁船が出る港で海を眺めて過ごしました。

ここは世界の果てと聞いていたし、麻衣もそう信じていたけれど、北海道にはまだ北部があり稚内や宗谷岬が枝幸より北にあるそうです。

宗谷海峡のむこう、水平線でしか海と空の境目を見分けられない澄み切った青のむこうに見える島は樺太? 東に見えそうで見えないのは北方領土の島々。
そこにどんなひとたちが住んでいるのか内地の生まれの麻衣には想像もつきません。

麻衣より何十センチも背の高い、外国人のように彫りの深い顔をしたすごく肌の白いひとたちが暮らしていたりするのかな。

きっと世界の果てはひとの数だけあって、麻衣たちにとってそれが枝幸であったに過ぎないのだと思います。

これ以上先のどこにも世界は続いていない。
世界は平面で、この港から見える海のすぐ先にどこまでも堕ちていく滝があって、世界はゾウが支えている。

だから稚内や宗谷岬が今は間違って見えてしまっているけれど、あれは蜃気楼でしかなくって、現実のその場所は世界のはじまりなんだ。

世界の中心の山々に囲まれた未開の森には神様の世界へと続く樹齢56億7000万年のどんな大木よりも大きい世界樹があって、その根の先に混沌とした悪夢が落ちて誰かに拾われるのを心待ちにしている。

世界の形の概念は太古にまでさかのぼり、地球が丸いというヨーロッパの古い学説も、人がロケットに乗って宇宙からその目で確認したこと事実さえも否定する。
美しい物語を信じたかったら、きっとそうするしかないと思う。

これ以上先にはただ無があるだけで、帰り道は閉ざされて、麻衣たちはもうどこにもいけない。

だからここが麻衣たちの世界の果て。

麻衣はモデルガンを2発だけ海に撃ちました。

火花が散って、瞬間遅れてパンという何かが爆ぜる音。
どこからか流れついていた外国製のお人形の頭が弾けた。

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