加藤麻衣サーガ missing (2001) + monochrone (2002) + ?

雨野美哉(あめの みかな)

2001/10/01-10/07

10月1日、月曜日。誘拐から丸1日が経過。

わたしは昨日、誘拐されました。

誘拐されたときのことはよく覚えていません。部活動の帰りのことでした。友達のヒロコちゃんにバイバイって手を振ってお別れをしたところまでは覚えているんだけど、慣れた道を歩くとき麻衣はときどきもうこんなところまで歩いたんだって瞬間移動でもしてしまったみたいな違和感を覚えることがあって(でも時が麻衣がちゃんと歩いたことを証明してくれる)、だから麻衣はそんな無意識の頭の悪い女の子でいたときに誘拐されてしまったんだと思います。
ビックリマンチョコをあげるから、なんて冗談みたいな言葉を聞いた気がするけど、そんなわけないと思う。

もしそんなだったら麻衣は本当におばかな女の子だもん。そうなのかもしれないけど。

気がつくと麻衣は後ろ手に手錠をかけられ、車の後部座席に転がっていました。腕を動かそうとするとがちゃりがちゃりと音がしました。大きな声を出そうかとも考えましたが、無駄なことはわかっていました。
だってそこは車のなかだったし、麻衣の口にはガムテープが貼られていて、ガムテープ特有のつんとした臭いがしていたからです。唇や頬がかぶれたりしないかなって麻衣はそんなことを考えていました。

足を動かすこともできませんでした。両足も手錠で繋がれていたからです。
ローファーは足元にきちんと並べて置かれていました。きっと麻衣が暴れてシートをよごしてしまわないように。
それに車は軽自動車くらいの大きさの外国製のもので、後部座席はあってないようなものでした。
麻衣がシートに転がるだけで身動きのとれない狭さでした。
シートはアナスイのバニラのにおいがしていました。

麻衣を誘拐したひとは運転席でずっと何かぶつぶつとつぶやきながら、ときどき身震いをしたりして運転をしていました。
それはふっかつのじゅもんのようで、麻衣には何を言っているのかわかりませんでした。麻衣の少ししびれた頭に言葉がちゃんと意味をもって入ってきてはくれませんでした。

このひとの名前は棗弘幸。隣町の中学校の国語の先生です。

麻衣の口のなかでチョコレートとウェハースの甘い味がしていました。




10月2日、火曜日。誘拐から丸2日が経過。

手錠はすぐにはずされました。
麻衣は車から降りた途端にすごくこわくなって一晩中泣きました。
麻衣はさびしかったり悲しかったりすることにはなれてるけれど、こわいことにはちっとも慣れていないから。それから、痛いことにも慣れていません。

麻衣を誘拐した棗さんは一晩中麻衣に謝っていました。

知らない男の人に車に連れ込まれ、手と足に手錠をかけられて口にはガムテープも貼られて、身動きすらできなくなってそのひとに抱きかかえられて知らない家のリビングの床に転がされる。
それは確かにこわいことだと思う。何をされるかわからないし、殺されちゃうかもしれないと思うから。でも麻衣が恐怖を感じていたのは、もっと何か別のことだと思います。死ぬことよりこわいものなんてないのかもしれないけど、まだ麻衣みたいなこどもにはそれがよくわからないから。

棗さんは背も高いし、体も細いし、無精ひげを生やしているけれど野暮ったさのようなものはなくて、でも野性的な雰囲気はまったくなくて、知性にあふれている感じがします。めがねをかけてもいないのに知性を感じさせるひとを麻衣ははじめてみました。麻衣を誘拐したひとに対して言うことじゃないと思うけど、麻衣なんかを誘拐しなくても女の人に困ったりしないかっこいいひとだと思います。

一晩中誘拐したことを謝ったりするくせに悪気はちっとも感じられなくて、昨日も今日も朝早くお仕事にでかけてしまうし、一挙手一投足が感情と言葉と行動が伴っていない印象を受けます。良く言うならこれがひょうひょうとしているっていうことなのかもしれませんが麻衣にはよくわかりません。

この恐怖は、得体の知れない存在に対する恐怖だったのかもしれません。

麻衣のまわりにいたひとたちはみんなわかりやすいひとたちばっかりだったから。

麻衣は今、何の拘束もされず、棗さんの家にいます。
この家は普通の建築の家で、棗さんは外出しないように麻衣に言い聞かせて玄関のドアに鍵をかけて出かけたけど、中からならもちろん鍵をはずすことができます。逃げようと思ったらきっと逃げられると思います。でもなぜか逃げる気にはなりません。

きっと誘拐された日の夜一晩中泣いて、恐怖が麻痺してしまったのかもしれません。
突然与えられた何にも拘束されない自由というものが今の麻衣にとって一番の恐怖なのかもしれません。




10月3日、水曜日。誘拐から丸3日が経過。

麻衣はまだ無事です。まだ棗さんには何もされてはいないし、棗さんは麻衣がいつもと同じようにスカートの丈を短くして洗濯や掃除や料理をしていてもいやらしい目で麻衣を見たりしません。麻衣は棗さんの好みじゃなかったのかもしれません。
ドラマやまんがのように息を荒くさせてつめよられても困るけど、棗さんのあまりに無関心さは思春期の麻衣を少しだけ傷つけます。

麻衣はこれでも男の子に告白されたことだってあるんだ。同じクラスの宮沢くん。
麻衣はよく知らなかったんだけど宮沢くんはアニメおたくで有名らしくて、告白されたことをヒロコに相談したら、

「麻衣はアニメ声だからね」

って笑われた。顔もほら、なんかのキャラクターに似てたりするんじゃないの?髪型が似てるとかさ。たぶんだけど、そのキャラクターが麻衣に似てるんじゃなくて、麻衣がキャラクターに似てるから麻衣のこと好きなんだよ。そうだったらちょっとひどいよね。今度調べてあげるよ。見つかったら教えるね。宮沢に直接聞くのが一番だろうけど。

男の子に告白されたのなんて、それが最初で最後なのがちょっと悲しいけど。宮沢くんは嫌いじゃなかったし、前にすごく親切にしてくれたことがあって優しいひとだってことは知ってたけど、どうして麻衣なんかを好きになってくれたのかがわからなかったから丁重にお断りしました。
ヒロコが言ったみたいに麻衣が似てるキャラクターがいるのなら見てみたい気が今でもしてます。ヒロコは結局、調べようにもアニメ雑誌なんか恥ずかしくて本屋さんで買うどころか立ち読みもできないって言うし。

お兄ちゃんがいつも麻衣のことかわいいって言ってくれてるけど、あれはからかわれてるだけなのかなぁ。

いつのまにか麻衣はこの家で家政婦みたいなことをしています。

麻衣を誘拐したくせに棗さんは当たり前に昼間はお仕事にでかけます。
麻衣は家事をしたり、本当なら夏休みくらいしか見れないワイドショーやサスペンスの再放送を観ながら、まるで主婦になったみたいに夕方棗さんが帰ってくるのを待ちます。
宮沢くんがどうして麻衣を好きになったのかがわからないのと同じで、棗さんがどんな目的で麻衣を誘拐したのかはわからないけれど、棗さんは麻衣が作った料理をお兄ちゃんと同じようにおいしいおいしいって言っていっぱい食べてくれるから好きです。




10月4日、木曜日。誘拐から丸4日が経過。

棗さんの妹のメイちゃんの部屋は2階にあって、棗さんの部屋と隣同士。

棗さんは両親を事故と病気でなくしていて、メイちゃんとふたりだけでくらしをしていたそうです。メイちゃんは去年から留学をしているんだそうです。きっとさびしかったんだよね。

メイちゃんの部屋はちっとも女の子らしくないんだ。
趣味と呼べるようなポストカードもポスターも壁に貼ってなければ、食玩のフィギュアも何一つ並べられてないし、テレビがあって、ビデオデッキも繋がれているのに、並んでいるビデオテープは全部砂嵐。
ピアノがあって楽譜もあるけれど、コンポはあるのにCDが1枚もなくて、何枚かあるMDはやっぱりからっぽ。漫画は一冊もない。
窓にはカーテンすらかかっていません。これじゃおむかいの家のひとに着替えとか見られちゃってたんじゃないのかな。
そういうのが平気だったり、誰かに裸を見せたかったりしたのかな。

アルバムを見つけましたが、みんなでうつっている写真ばかりで、一枚もメイちゃんがひとりで写っているものはなかったから、誰がメイちゃんなのかわからない。
麻衣にはメイちゃんがどんな女の子かまるでわかりません。

ただクローゼットだけは、一昔前のうまく着こなせたらきっとかわいいお洋服とロリ服が並んでて、ロリ服のなかにはこないだケラで見たばかりのものも混じってて(棗さんはメイちゃんに買っておいてって頼まれているのかな?)棗さんは全部麻衣が着てもいいって言ってくれてるんだ。

麻衣は今日、西洋のお人形みたいな格好をして、棗さんと休日を過ごしました。
メイちゃんのお洋服は全部、麻衣と同じサイズでした。



10月5日、金曜日。誘拐から丸5日。

誘拐されながら受験勉強をするのは大変です。

棗さんがお仕事に出かけている昼間、麻衣にはありあまるほどの時間があるけれど、洗濯や夕飯の支度、部屋の掃除、ピアノの練習、それからこのホームページの更新に追われちゃうし、夜は苦手な古文を棗さんにつきっきりで教えてもらっているので、なかなか過去問題集を解く時間がありません。

麻衣はまだこどもだから夜遅くまで起きていられないし。こんなで受験大丈夫かな。麻衣は頭悪いから。

棗さんは毎晩麻衣に古文の宿題を出します。竹取物語や平家物語を暗唱できるようになるのが最初の宿題で、麻衣はまだそれもできていません。
本当はこれくらい中学1年や2年でできなければいけないみたい。麻衣の学校じゃこんなことしなかったんだけど。

棗さんの夜の古文の授業、その途中で麻衣は眠ってしまって、朝は棗さんのベッドで目を覚ましました。

午前10時。

棗さんはもうとっくにお仕事にでかけていて、目を覚ました麻衣が着ているのはゆうべのセーラーじゃありませんでした。

メイちゃんのパジャマに着替えさせてもらったみたいです。




10月6日、土曜日。誘拐から丸6日が経過。

麻衣は物心についた頃、施設で暮らしていました。
お父さんはお仕事で全国をまわっていて、男手ひとつで麻衣の面倒を見るのは難しかったからだそうです。
麻衣はお母さんの顔を知りません。麻衣を生んだときに死んじゃったとか、お父さん以外の男の人を作って出ていったとか、おもちゃをもって休日顔を見せにきてくれるお父さんは、尋ねるたびにいつも違う答えを用意していたので、それがおもしろくて何度も尋ねたりしていた頃もあるけど、いつしか逆にそれがうっとうしくなって訊かなくなりました。

3年前、麻衣にはお継母さんとお義兄ちゃんができて、平日は3人で、休日は4人で過ごすようになりました。お継母さんのことはなかなかお母さんって呼べなくて、本名の綾音さんて呼んでいますが、学お義兄ちゃんのことはお兄ちゃんって違和感なく麻衣は呼べます。

きっと麻衣にとってお母さんっていうのは施設のバンノ先生なんだと思います。
麻衣が施設を出てすぐにバンノ先生は子宮ガンで亡くなったって聞きました。
泣きじゃくる麻衣を優しく抱きしめて慰めてくれたのが学お義兄ちゃんで、だから学お義兄ちゃんのことはお兄ちゃんって呼べるのだと思います。

綾音さんのことは麻衣は好きじゃありません。綾音さんも麻衣のことがあまり好きじゃないみたいだから。

お兄ちゃんはひきこもりをしています。




10月7日、日曜日。誘拐から丸7日が経過。

たとえば、今夜麻衣が棗さんに殺されてしまったとしたら、どれだけの誰かが悲しんでくれるんだろう。
麻衣の遺族はお父さんと綾音さんとお兄ちゃんってことになるんだろうけど、父方も母方も継母方もおじいちゃんやおばあちゃんには会ったことがないから、お父さんだけが唯一麻衣の麻衣の血のつながる遺族なんだなぁ。
お父さんは悲しんでくれないかもしれない。
麻衣の偏差値や内申点じゃたぶんお父さんが望んでた高校にはもう行けないし、思春期に入ってからお父さんがとてもきたないもののような気がして、ちっちゃいころみたいに抱きついたり手をつないだりできなくなってしまったから。

綾音さんは論外。

お兄ちゃんはどうだろう。たぶん悲しんでくれると思う。

テレビで女の子が殺されたニュースを聞いたときみたいな「かわいそう」っていう同情とかじゃなくて、恋人に別れを告げられたときのこれから自分はどうやって生きていったらいいのかわからなくなるみたいな、対象の不在が自分そのものも不在化させる類の自分勝手なものだけど。

麻衣はそれでいいと思う。ひとの悲しみの本質はたぶんそこにしかたどりつかないと思うから。

棗さんはどうするんだろう。

「もしもの話ね、棗さんが麻衣を何かの拍子に死なせちゃったりしたらどうするの?」

床にごろんと死体のように寝転がって、倒れる方向を間違えたことを後悔しながら、棗さんにミニスカートのなかが見えないように脚をぴったりと閉じて尋ねました。

悲しい?

「悲しいと思うよ。それからすごく困ると思う」

困る。

死体をどう処分したらいいのかわからないから?

棗さんもおんなじだ。誘拐なんてするひとは普通と違うかと思ったけど、普通なんだ。

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