ディスカウントショップで兄がわたしを18禁コーナーに連れていこうとしています。
「おにーちゃんと結婚したい!! ⑦」
わたしに神様の名前をくれたのは、おにーちゃんだから。
神様は兄妹で愛し合ったり、こどもを産んだりするから。
だからね、
わたしとおにーちゃんが愛し合うことも、
赤ちゃんを作ったりすることも、
何の問題もないんだ、
っていうのは、さすがにちょっと無理があるかな……
でも、わたしは思うんだ。
おとーさんとおかーさんの苗字や名前が、神様にゆかりのあるものだったことに気づいて、わたしに神様の名前をつけてくれた8歳のおにーちゃんは、本当に神童だったんだって。
家族でひとりだけ、神様にゆかりのある名前じゃないおにーちゃんこそが、神様のこどもだったんだって。
おにーちゃんは、神様のこどもだったから、わたしに神様の名前をくれたんだって。
おにーちゃんがいてくれたから、わたしがいる。
今のわたしがあるんだって。
世界はひとつしかないけれど、そこに住む人や知能を持った生き物の数だけ、違う価値観や倫理観で認識された世界が存在してて、わたしたちは有機物として同じ世界に生きてはいるけれど、その心や精神はひとりひとり、似ているようで全然違う世界を見てる。
だれも、世界の本当の姿を見ていない。知らない。
だから、世界にもし自我や意思のようなものがあるのだとしたら、もしかしたらすごく孤独な人なのかもしれない。
だって世界は、誰からも理解されていないから。
もし、わたしに、おにーちゃんがいなかったら。
もし、おにーちゃんに、わたしがいなかったら。
たぶん、わたしも、おにーちゃんも、誰にも理解してもらうことができなくて、きっとさびしくてさびしくて、しかたがなかったと思う。
生きることがつらいと感じてしまうくらいに。
わたしが認識しているこの世界は、わたしといっしょに生まれてきて、いつかわたしが死んでしまうときに、いっしょになくなってしまう、たった数十年だけの、どれだけ長くても百年くらいしか存在できない世界。
この小さな島国から一度も出たことがないわたしは、テレビやネットでしか他の国のことを知らなくて、世界地図や地球儀で、ここにこういう名前の国があるんだっていうことはわかっても、それがそこに本当にあるのかどうかさえわからない。
わたしが認識できている世界はとても小さい。
その小さな世界で、おにーちゃんは本当に神様のこどもで、そして、わたしだけの神様でした。
神様のこどもは、大人になっていくにつれて、段々普通の人になっていきました。
2000年くらい前にいた、世界中のたくさんの人達にとっての神様のこどもは、30歳くらいから処刑されてしまうまでのたった数年で、さまざな奇跡を起こしたり、たくさんの人たちに教えを説いたり、処刑されたあとに生き返ってみせたりしたけど……
わたしにとっての神様のこどもは、今はもう、普通の人よりもうまく生きられない人でした。
いつも人の顔色ばかりうかがって、そのせいで誰かと誰かの板挟みになったり、派閥みたいなものの潤滑油みたいな役回りばかりさせられて……
いろんな人たちのストレス発散の捌け口にされて、でも、そのときはうまく頭がまわらなくて、何にも言い返せない。
何時間か経ってから、ああ言ってやればよかった、こう言ってやればよかったって思い付くけど、言わずに溜め込んでしまう。
でも、その溜め込む壺のようなものは、クラインの壺みたいに無限に溜め込めることができるものじゃなくて、有限で、それから溜め込んだものを火薬や爆薬に変えてしまう、とても危険な壺でした。
そして、それを自分ではコントロールできなくて、壺はある日急に爆発してしまう。
相手が上司とか彼女とか友達とか、そんなことは関係なく、相手がぐうの音も出ないくらいに理詰めで徹底的に追い詰めてしまう。追い込んでしまう。
そのせいで、今までずっと耐えて耐えて必死で積み上げてきたものが、その瞬間にすべて壊れてしまう。
すべてを失ってしまう。
そんな人だから、友達を作るのが苦手で、友達ができても長くは続かない。
だから友達と呼べる人は誰もいない。
彼女を作る方が簡単だとでも言うみたいに、付き合ったり、えっちをした女の子の数だけは多くて、でもその女の子たちにはすぐに裏切られてしまう。
わたしだけが、その人を理解してあげられた。
その人には、わたししかいなかった。
わたしにも、その人しかいなかったように。
その人だけが、わたしを理解してくれたように。
すぐ調子に乗るくせに、すぐ凹んで、貞子さんが落とされた井戸くらい深い井戸の底に自分から落ちていって、自分では出てこれない。
本当にお豆腐みたいなメンタルで、いつ井戸に落ちるかわからなくて、危なっかしくて目が離せない。
わたしがいつもそばにいてあげなきゃいけない。
いつも手を握っていてあげなきゃいけない。
本当に、すごく手がかかる。
さすがのわたしも、落ち込んでるときや弱ってるとき、それから女の子の日のときには、面倒だなって思うこともあるくらい。少しだけだけど。
だけど、かわいい。
ずっとそばにいたい。
嫌いになんてなれなくて、めんどくさいって放り投げたり捨てたりなんて、そんなことできない。
だってわたしは、昨日より今日の方が、今日よりも明日の方が、明日よりも明後日の方が、毎日毎日、おにーちゃんのことをもっと好きになっていってしまうから。
おにーちゃんのだめなところを全部わかった上で、わたしはおにーちゃんのすべてを愛おしく思ってるから。
10月1日の朝、おにーちゃんの寝顔を見ながら、わたしはそんなことを考えていました。
わたしだけの神様が、目を覚ますまで、わたしはずっとそのかわいい寝顔を見ていました。
わたしだけの神様は、目を覚ますと、
「神様は、ぼくじゃなくて、みかなだよ」
わたしの手を握って、そんなことを言うのでした。
いつかそうだったみたいに、夢の中でわたしを見ていたり、わたしの考えていることを聞いてたりしてたのかな。
わたしは不思議な気持ちになりました。
「ぼくは、みかながいてくれたから、いてくれるから、今こうして毎日しあわせな朝を迎えられてるんだよ。
1日1日を、しあわせに過ごすことができて、夜眠るときは、明日はどんなしあわせをみかながくれるのかなって、ぼくはどんなのをあげようかなって、そんなことを考えて、しあわせな気持ちで眠ることができる。
今日だけじゃなくて、明日も明後日も、これから先もずっと、みかながいてくれるから生きていこうと思える。生きていける。
みかなは、ぼくをこの世界に繋ぎ止めてくれてる。
ぼくを生かしてくれてる。生きていていいんだって思わせてくれる。
だからね、神様は、みかななんだよ」
          
神様は兄妹で愛し合ったり、こどもを産んだりするから。
だからね、
わたしとおにーちゃんが愛し合うことも、
赤ちゃんを作ったりすることも、
何の問題もないんだ、
っていうのは、さすがにちょっと無理があるかな……
でも、わたしは思うんだ。
おとーさんとおかーさんの苗字や名前が、神様にゆかりのあるものだったことに気づいて、わたしに神様の名前をつけてくれた8歳のおにーちゃんは、本当に神童だったんだって。
家族でひとりだけ、神様にゆかりのある名前じゃないおにーちゃんこそが、神様のこどもだったんだって。
おにーちゃんは、神様のこどもだったから、わたしに神様の名前をくれたんだって。
おにーちゃんがいてくれたから、わたしがいる。
今のわたしがあるんだって。
世界はひとつしかないけれど、そこに住む人や知能を持った生き物の数だけ、違う価値観や倫理観で認識された世界が存在してて、わたしたちは有機物として同じ世界に生きてはいるけれど、その心や精神はひとりひとり、似ているようで全然違う世界を見てる。
だれも、世界の本当の姿を見ていない。知らない。
だから、世界にもし自我や意思のようなものがあるのだとしたら、もしかしたらすごく孤独な人なのかもしれない。
だって世界は、誰からも理解されていないから。
もし、わたしに、おにーちゃんがいなかったら。
もし、おにーちゃんに、わたしがいなかったら。
たぶん、わたしも、おにーちゃんも、誰にも理解してもらうことができなくて、きっとさびしくてさびしくて、しかたがなかったと思う。
生きることがつらいと感じてしまうくらいに。
わたしが認識しているこの世界は、わたしといっしょに生まれてきて、いつかわたしが死んでしまうときに、いっしょになくなってしまう、たった数十年だけの、どれだけ長くても百年くらいしか存在できない世界。
この小さな島国から一度も出たことがないわたしは、テレビやネットでしか他の国のことを知らなくて、世界地図や地球儀で、ここにこういう名前の国があるんだっていうことはわかっても、それがそこに本当にあるのかどうかさえわからない。
わたしが認識できている世界はとても小さい。
その小さな世界で、おにーちゃんは本当に神様のこどもで、そして、わたしだけの神様でした。
神様のこどもは、大人になっていくにつれて、段々普通の人になっていきました。
2000年くらい前にいた、世界中のたくさんの人達にとっての神様のこどもは、30歳くらいから処刑されてしまうまでのたった数年で、さまざな奇跡を起こしたり、たくさんの人たちに教えを説いたり、処刑されたあとに生き返ってみせたりしたけど……
わたしにとっての神様のこどもは、今はもう、普通の人よりもうまく生きられない人でした。
いつも人の顔色ばかりうかがって、そのせいで誰かと誰かの板挟みになったり、派閥みたいなものの潤滑油みたいな役回りばかりさせられて……
いろんな人たちのストレス発散の捌け口にされて、でも、そのときはうまく頭がまわらなくて、何にも言い返せない。
何時間か経ってから、ああ言ってやればよかった、こう言ってやればよかったって思い付くけど、言わずに溜め込んでしまう。
でも、その溜め込む壺のようなものは、クラインの壺みたいに無限に溜め込めることができるものじゃなくて、有限で、それから溜め込んだものを火薬や爆薬に変えてしまう、とても危険な壺でした。
そして、それを自分ではコントロールできなくて、壺はある日急に爆発してしまう。
相手が上司とか彼女とか友達とか、そんなことは関係なく、相手がぐうの音も出ないくらいに理詰めで徹底的に追い詰めてしまう。追い込んでしまう。
そのせいで、今までずっと耐えて耐えて必死で積み上げてきたものが、その瞬間にすべて壊れてしまう。
すべてを失ってしまう。
そんな人だから、友達を作るのが苦手で、友達ができても長くは続かない。
だから友達と呼べる人は誰もいない。
彼女を作る方が簡単だとでも言うみたいに、付き合ったり、えっちをした女の子の数だけは多くて、でもその女の子たちにはすぐに裏切られてしまう。
わたしだけが、その人を理解してあげられた。
その人には、わたししかいなかった。
わたしにも、その人しかいなかったように。
その人だけが、わたしを理解してくれたように。
すぐ調子に乗るくせに、すぐ凹んで、貞子さんが落とされた井戸くらい深い井戸の底に自分から落ちていって、自分では出てこれない。
本当にお豆腐みたいなメンタルで、いつ井戸に落ちるかわからなくて、危なっかしくて目が離せない。
わたしがいつもそばにいてあげなきゃいけない。
いつも手を握っていてあげなきゃいけない。
本当に、すごく手がかかる。
さすがのわたしも、落ち込んでるときや弱ってるとき、それから女の子の日のときには、面倒だなって思うこともあるくらい。少しだけだけど。
だけど、かわいい。
ずっとそばにいたい。
嫌いになんてなれなくて、めんどくさいって放り投げたり捨てたりなんて、そんなことできない。
だってわたしは、昨日より今日の方が、今日よりも明日の方が、明日よりも明後日の方が、毎日毎日、おにーちゃんのことをもっと好きになっていってしまうから。
おにーちゃんのだめなところを全部わかった上で、わたしはおにーちゃんのすべてを愛おしく思ってるから。
10月1日の朝、おにーちゃんの寝顔を見ながら、わたしはそんなことを考えていました。
わたしだけの神様が、目を覚ますまで、わたしはずっとそのかわいい寝顔を見ていました。
わたしだけの神様は、目を覚ますと、
「神様は、ぼくじゃなくて、みかなだよ」
わたしの手を握って、そんなことを言うのでした。
いつかそうだったみたいに、夢の中でわたしを見ていたり、わたしの考えていることを聞いてたりしてたのかな。
わたしは不思議な気持ちになりました。
「ぼくは、みかながいてくれたから、いてくれるから、今こうして毎日しあわせな朝を迎えられてるんだよ。
1日1日を、しあわせに過ごすことができて、夜眠るときは、明日はどんなしあわせをみかながくれるのかなって、ぼくはどんなのをあげようかなって、そんなことを考えて、しあわせな気持ちで眠ることができる。
今日だけじゃなくて、明日も明後日も、これから先もずっと、みかながいてくれるから生きていこうと思える。生きていける。
みかなは、ぼくをこの世界に繋ぎ止めてくれてる。
ぼくを生かしてくれてる。生きていていいんだって思わせてくれる。
だからね、神様は、みかななんだよ」
          
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