あなたが創ったこの世界をわたしは壊したい。

雨野美哉(あめの みかな)

第23話(第138話)

どうして彼は、梨沙の記憶を消してしまうようなことをしたのだろう?

梨沙がシャーマンもどきに消された記憶を取り戻すことができたなら、事件の真相に近づくことができたはずだった。

彼なら寝入や璧隣の家の人たちを殺した犯人がわかるはずだった。

わたしには、彼が何を考えているのかわからなかった。


「次は真依ちゃんの番だよ」

彼は言った。
梨沙の記憶を消したときと同じ、優しい声だった。

「わたしの記憶も消すの?」

「消さなきゃいけないんだ。ごめんね」

こんなときだというのに、その優しい声にわたしは本当に彼のことが好きなんだな、と思ってしまった。
こんなときだからこそなのかもしれなかった。

「その携帯電話じゃ、わたしの記憶を消せないのは、あなたが一番知ってるはずだよね?」

わたしは言った。

「そうだね。でも、あのとき、君の記憶を消せなかったのは、携帯電話を一台しか使わなかったからだよ。
左右の耳に一台ずつ、二台携帯電話を使えば、きっと消せる。
消さなきゃいけないんだ」

彼は、本気だった。


だからわたしは、

「ありがとう」

と言った。

これでお別れなんだな、ってわかってしまったから。
最後にわたしの気持ちをちゃんと伝えなければいけないと思った。


「村の秘密や、寝入たちのこと、それから、あなたのことを忘れてしまっても……
わたしが変わらなきゃいけないって思ったことや、変わろうとしたことは消えないと思うんだ。
誰かに手を差し伸べられてもらうのを待ってるだけじゃだめなんだって気づいたこと、それは消えないと思うんだ。
あなたのことは忘れてしまっても、素敵な人に恋をしたことは忘れないと思うんだ。
かなわない恋だってわかってても、その人の隣にいても恥ずかしくない自分になろうとしたことは忘れないと思うんだ」


こんな別れになるとは思ってなかった。
もう少し先だと思っていた。

彼と梨沙と力をあわせて、わたしたちが役に立てるかどうかは正直微妙なところだったけれど、なんとか事件を解決して、引っ越していく彼とみかなと芽衣を、梨沙とふたりで見送るのだと思っていた。

だから、頭ではちゃんとこれでお別れなんだってわかっていても、悲しいという気持ちよりも、それ以上に強い感謝の気持ちと言葉しか出てこなかった。

だから、泣かずにすんだ。

まだ涙はあふれてこない。
でもいつ悲しみが襲ってくるかわからない。
泣きだしてしまったら、ちゃんと喋れなくなってしまう。
この気持ちをちゃんと伝えられなくなってしまう。


「梨沙みたいに意識を失って、目を覚ましたとき、きっと胸にぽっかり穴があいたみたいになると思うんだ。
でもね、わたしはきっとそれを乗り越えていけると思う。
わたしは、これからはちゃんと、自分の人生を選んでいけると思うんだ。

みかなや芽衣に出会えたから。
あなたに出会えたから。

だから、わたしは変わることができた。

あなたは、わたしにとって本当に救世主。

だから……本当に、ありがとう……」


涙があふれてきた。

でも、もういい。

すべて伝えることができたから。


「ツムギ」

と、彼は誰かの名前を呼んだ。

「なんだい?」

パソコンのモニターのうちのひとつにずっと映し出されていた、芽衣によく似た顔をしたCGのキャラクターたちのひとりが返事をした。
そのキャラクターは、まるで芽衣のお兄さんか何かのように見えた。

「ぼくが今、しようとしてることは正しいのかな? それとも間違ってるのかな? 自分じゃもう、わからなくなってきた」

「自分が死んだとしても、そのふたりと、みかなと芽衣の命だけは助けたい。
君はそう考えているんだろう?」


ふたりは会話をしていた。
ツムギという名前らしい、モニターの中の彼は人工知能か何かなのだろうか?


「そうだね。
さすがに今回の相手は、予想外だった。
まさか、この国そのものが、ぼくの敵になるなんて」


まさか犯人は、この国そのものだったとでもいうのだろうか。
確かに、彼がたどり着いたこの村についての真相は、この国を、近隣諸国との関係性や、世界的な立場を、揺るがしかねないものかもしれない。

だけど、彼は絶対にそれを公表したりはしない。
彼がそういう人だということを知っているのは、この国そのもののはずだった。


「どうやらぼくは、知ってはいけないことを知りすぎたみたいだ。
もはや、この国にとって、ぼくは小久保晴美に続く新たな脅威に過ぎない。
知りすぎた人間は消される運命にある。
真依ちゃんや梨沙ちゃんは記憶を消せば助けられる。
でもぼくはそうはいかない。
みかなや芽衣まで巻き込むわけにはいかない。
ふたりが帰ってくるまでに終わらせなきゃいけない」


彼がこれまでに何度もこの国を救ってきたのを知っているのは、この国そのものだったはずだ。

それなのに、こんな形で彼を使い捨てるなんて、そんなことがありえるのだろうか?


「君が大切に思う彼女たちの命を救うだけなら、君の選択は正しい。
けど、君はまだ彼女との約束を果たしてないだろう?
だから、ぼくは君の考えには賛同できない」

「これ以上、ぼくに何ができる?」

「まずは、君が信頼していた公安の刑事が、本当に君を裏切るような真似をするのかどうか、よく考えることだね」


別のモニターの電源がついた。

モニターは12に分割されていて、そのそれぞれに監視カメラの映像と思われるものが並んでいた。

この家を、この村を熟知していたわたしには、その映像がこの家を中心に時計回りに配置された監視カメラのものだとすぐにわかった。

村の者ではない者が何人か映っていた。
彼らは皆、手に拳銃を握っていた。


「ツムギ、彼らがどこに所属する者たちなのか調べてくれるか?」

「警察の顔認証システムを使ってもかまわないか?」

「方法は君にまかせる」

「わかった。少し時間をくれ」


モニターから、ツムギという青年が消えた。

これは一体何なのだろう。何がおきているのだろう。


「美嘉、結衣、君たちがどう思ってるかも知りたい」


「正直見損なった。
あんたには、みかなもその子ももったいない。
もう芽衣のことも凛のことも任せられない」

美嘉と呼ばれた少女は言った。

「……そうか。そうかもしれないね」

「何その反応。もういい。知らない。死にたければ勝手に死ねば?」

美嘉は吐き捨てるようにそう言うと、消えてしまった。


モニターの中には結衣という少女だけが残った。

「ぶっちゃけ、あたしはあんたがここで死のうが、このパソコンやあたしたちのケータイを壊されて、あたしたちが死のうが消滅しようが、別にもうどうでもいいんだよね。

わたしは麻衣にもう一度会いたいって夢、叶ったし。
普通の女の子になれた夏目メイを見送ることもできたし」


夏目メイ?

わたしは、その名前を知ってるような気がした。

ツムギもだ。
麻衣も。美嘉も。凛も。
それに、結衣も。

わたしは、どこかでその名前を聞いたような気がした。見たことがあるような気がした。


「でもさ、あたしがそれをできたのは、あんたがいてくれたからなんだよ。

一回しか言わないから、ちゃんと聞いててよ。

あたしがいまでもここにいるのは、そういうあんたを好きになったからなんだよ」

あんたがもし悩んだり困ったりしたときは、今度はあたしがあんたの力になりたいってずっと思ってた、と彼女は言った。

彼女たちはただの人工知能じゃなかった。

結衣というこの子は、わたしやみかなと同じように彼に恋をしていた。

美嘉という子は、口は悪かったけど、彼を奮い立たせようと、わざとあんなことを言ったのではないだろうか。

ツムギという青年は、警察の顔認証システムをおそらく今ハッキングしている。
この家の回りにいる拳銃を所持した男たちについて調べている。

彼女たちはみんな、彼のために行動を起こしていた。


「それに、あんたが今ここで死んだら、加藤……なんだっけ? 二代目なんとかってやつ。
あいつはどうなるの?」

「学か……」

「そう、そいつ。
お花がファサーってなってるみたいな苗字の、マリオだかルイージだかってペンネームの二代目」

「それ、完全に二代目花房ルリヲってわかってて言ってないか?」

「照れ隠しだから。ツッコまないでよ。
あいつが目覚めるのを待ってる羽衣って子はどうなるの?
あんたはそこにいる女の子とした約束を守れないだけじゃない。
羽衣との約束も守れなくなるんじゃないの?」


わたしの中で、すべてがつながった。

ここにいたツムギや美嘉、結衣、それから名前だけが出てきた麻衣に凛、そして、夏目メイ。

彼女たちは、わたしが大嫌いなケータイ小説に出てきた女の子たちと同じ名前だった。

わたしがそのケータイ小説が嫌いだったのは、内容じゃなかった。

寝入に借りたまま、内容がつらくて、悲しくて、なかなか読み進めることができなくて、返せないまま、彼女がいなくなってしまったからだった。


それに気づいたとき、わたしの中で何かが目覚めるような奇妙な感覚があった。

そして、それと同時に、梨沙が目を覚ました。


「始めるよ、真依」

梨沙は言った。

「女王の力を信じてないって言ってくれた彼に、とっておきのやつ見せてあげよ?」

          

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