あなたが創ったこの世界をわたしは壊したい。

雨野美哉(あめの みかな)

第16話(第131話)

夏休みが始まる直前、みかなと芽衣はわたしに、夏休みの間だけいっしょにアルバイトをしないか、と誘ってきた。

わたしは夏休みになれば、きっと毎日のようにふたりといっしょに遊べると思っていたから、正直落胆してしまった。

お金に困っているのだろうか、と思った。
けれど、どうやらそういうわけではないらしい。


「愛知に住んでるわたしの友達がね、彼氏がプロの小説家なの。その小説家の名前は言えないんだけど割りと有名な人。
でね、その子が言ってた言葉で、すごく印象に残ってる言葉があるんだ」

と、みかなは言った。

その友達は、みかなやわたしと同じで高校2年らしい。
その小説家は、二十歳くらいだそうだ。

元々彼女は、彼の小説の読者で熱心なファンだった。
けれど、出会いは去年の冬で、偶然のようなものだったという。

去年の冬ということは、彼女はまだ高校一年だ。
わたしは、その小説家がいくらまだ若いとはいえ、ロリコンだったのだろうか、と思った。

しかし、彼女が彼に見初められたきっかけは、年齢や容姿や性格ではなく、価値観だったそうだ。

彼は、一般家庭の人たちと変わらない軽自動車に乗っており、車はあくまで移動手段に過ぎず、いつかは買い換えるものであり、家電と同じような感覚の持ち主だった。家電も最新のものではなく、安く買える片落ちの方を選ぶ。

けれど、彼の小説の発行部数などから推測される年収は億を越えており、彼に近づく女性は皆、きっと彼は外車や高級車に乗ってるものだと勝手に思い込み、軽自動車を見て勝手に落胆していたそうだった。

彼女も、最初こそ驚いたが落胆はしなかったという。
それどころか、彼が自らの価値観で軽自動車に乗っていること自体が、お金目当てで自分に近づいてくる女性を見定める最初のテストにもなっているのではないか、と指摘したという。

燃費が悪く維持費もかかる外車や高級車に乗ってる男性は、自己顕示欲や承認欲求といったものを、高い車に乗ることでしか満たせない人なのではないか、と。
もちろん、本当に車が好きな人もいるだろうけれど。
それは女性に言い替えるなら、高級ブランドにバッグや財布にあたるのではないか、と。

あなたは、そういった欲はすでに満たされているから、車にもブランドにもあまり興味がないのではないか。

と、彼女は思ったことをそのまま口にしたという。

そのとおりだったらしい。

ふたりがお互いに恋に落ちるまでそれほど時間はかからなかった。

彼女は、彼が自分の恋人であることを、高級車や高級ブランドのように自己顕示欲や承認欲求を満たす存在であったり、自分のステータスの一部として見るような女にはなりたくはない、と言ったという。
だから、あなたの隣にならんでも恥ずかしくないような、パートナーの収入に依存せずとも生きていけるような自立した大人になる、と。

彼女は現在、高校に通いながらアルバイトもしており、彼が住む東京の心理学部がある大学を目指しているという。
精神科医になりたかったそうだが、家庭の金銭的事情から、医学部に通うことは出来そうになく、人の心理を学びたいと考えるようになったという。
成績はトップクラスだということだった。

同い年なのに、すごい女の子がいるんだな、とわたしは思った。

けれど、あなたの隣に並んでも恥ずかしくない大人になるという彼女の言葉は、わたしがみかなや芽衣に対して抱いた感情に似ているような気がした。

わたしはみかなや芽衣と並んで歩くときに、彼女たちに恥をかかせたくないと思った。
もちろん、彼女たちは、元々のわたしのままでも恥ずかしいなんて思うような子たちではなく、わたしが彼女たちに劣等感や嫉妬のようなものを抱きたくないのだとすぐに気づいたのだけれど。


「わたしも、いつまでもおにーちゃんに頼りきりじゃ、だめだと思うんだよね。
羽衣(うい)みたいに、あ、羽衣っていうのが、わたしの友達の名前なんだけど」


羽衣。
わたしはその名前をどこかで聞いたことがある気がした。

みかなから聞いたことがあったのだろうか。

「羽衣の彼氏と、うちのおにーちゃんはもともと友達で、お互いに相手のことを天才だって誉めあってるの。
だからわたしも、羽衣みたいにならないといけないと思うんだよね」


みかなや芽衣は、数日前にわたしが彼の兄と村の小さな公園にいたときの、わたしたちが手を繋いでいるのを目撃したときの記憶はなかった。
だから、ふたりがこうして今まで通りに接してくれるのは嬉しかった。

後遺症のようなものはないのだろうかと心配だったけれど、みかなの兄は大丈夫だと言っていた。
彼は、自分の過去のいやな記憶を、それがもうどんなものであったかもわからないけれど、いくつか消していたらしかった。まったく問題なかったらしかった。

後遺症などの問題がないのだとしたら、わたしは梨沙から他の村人と違じように必要のない璧隣家や寝入の記憶や、シャーマンもどきから与えられた余計な知識を消してあげたかった。

村のことはわたしとみかなの兄にまかせてくれればいいと思った。

みかなの兄は、わたしの記憶を消せなかった。
わたしの血は、たぶん梨沙の血よりも濃い。
携帯電話から出せる最大出力の電磁波を使っても消せないくらいなのだ。

けれど、梨沙はシャーマンもどきが誰であったのかという記憶を消されていた。
だから、梨沙の記憶は消してあげることができるはずだった。

たとえ彼女がそれを望まなくても。



わたしはみかなの兄とは面識がなく、何をしている人なのかも聞いたことがなかった。
そういうことになっているはずだった。

わたしは、ふたりと色違いの、わたしたちの村でも繋がる携帯電話を持っていることをふたりに知られてはいけなかった。
いつも持ち歩いていたけれど、着信音もバイブレーションもしないサイレントモードにしていた。
女子トイレの個室の中など、絶対にひとりになれる場所でしか、その携帯電話を見ることはなかった。


「みかなのお兄さんて、そういえば何してる人なんだっけ?」

だから、わたしはそう聞いた。



          

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