あなたが創ったこの世界をわたしは壊したい。

雨野美哉(あめの みかな)

第9話(第124話)

雨野みかなと山汐芽衣が転校してきてから1ヶ月が過ぎた。

7月になっていた。

毎年のように言われている気がするけれど、今年も例年より猛暑らしい。

わたしたちが通う高校がある□□市は隠れた避暑地であり、気温も湿気もあまり高くなく、比較的過ごしやすい。

わたしは夏を暑いと感じたことがあまりなかった。


避暑地と聞いて真っ先に思い浮かぶのは軽井沢だろうけれど、□□市も避暑地としては同じくらい涼しいらしい。

公共交通機関の不便さや高速道路を降りてからの下道の時間が長いことなどから、□□市は土地もまだ安く、近年別荘を建てる人たちが増えてきていた。

数年後には交通の不便さが解消され、土地の値段は数倍に跳ね上がるという。
そんな嘘かまことかわからない噂が流れており、その噂を不動産屋が巧みに利用して土地を売っていた。

そのようにして売られた□□市の土地は、大半が返璧家が所有する土地であり、返璧家はますます私腹を肥やしていた。


■■■村はさらに避暑地になるのだけれど、村人たちや村自体が外部から人が入って来ることを極端に嫌うため、高度経済成長の時代からずっと、この国の発展から取り残されたままだった。
かろうじてインターネットは使えるけれど、いまだに携帯電話は圏外のままだ。


夏の暑さをしのぐことを、「消夏」や「銷夏」と書き、「しょうか」と読むそうだ。「消暑(しょうしょ)」と言うこともあるらしい。

夏の暑さをしのぐための熟語が3つもあったり、わざわざ自宅以外の遠方に土地を買い別荘を建てなければならないほど、夏が暑いという感覚は、わたしには一生わからないだろう。

返璧家の次期当主としての宿命を生まれながらに定められたわたしは、高校を卒業した後も■■■村や□□市から出ることはおそらくないだろうから。


世界は途方もなく広く、絶景と呼ばれる場所が数多く存在するというのに、わたしはきっとそれらを写真でしか見ることができずに死んでいくのだろう。

寝入のように。

そう思っていた。


けれど世界中のどんな絶景よりも美しい光景が、わたしのすぐそばにあった。

みかなと芽衣だ。

美人は3日で飽きる、ブスは3日で慣れる、なんていう男尊女卑を絵に描いたような言葉があるけれど、都会から引っ越してきたふたりの美少女に、皆は飽きることも慣れることもなく、1ヶ月が過ぎてもふたりは光り輝いたままだった。

クラスメイトたちからは、ふたりの転校初日のあの好奇心丸出しで「ゲスの極み」としか言いようのない感覚はとうに消え失せて、ふたりは近寄りがたい存在になっていた。

だけど、彼らや彼女たちのおかげで、わたしはふたりの転校初日から誰よりも早く仲良くなることができたのだから、感謝すべきかもしれなかった。


そして、この1ヶ月で、わたしも少しずつ変わっていた。


ふたりに少しでも近づきたいと思った。
並んで歩くときにふたりに恥をかかせたくないと思った。

きっとふたりとも、出会った頃のわたしのままでも、並んで歩くことを恥ずかしいとは思わないだろうということはわかっていた。そんな子たちじゃなかった。

だから、もしかしたら、わたしがふたりと並んで歩くことに、劣等感や嫉妬などといった感情を抱きたくなかっただけなのかもしれない。


わたしは、みかなから化粧の仕方や、流行りのファッションや髪型などを教えてもらった。
制服の着崩し方等も教わった。

「真依(まより)はスタイルいいし顔もきれいだから、きっとこういう大人っぽい服が似合うよ」

休み時間にみかなはファッション雑誌を広げて、わたしに似合いそうな服を教えてくれた。

彼女に名前で呼ばれることが嬉しかった。

「そうだね、『まよまよ』はこういうの着たら、すごくお姉さんて感じになると思う」

芽衣に『まよまよ』と呼ばれるのが、恥ずかしいけれど嬉しかった。

「なーんか芽衣、そのうち真依のこともお姉ちゃんて呼びそう」

みかながそんな風に言ってくれることが、

「『まよまよ』をお姉ちゃんって呼ぶようになったら、『みかなん』は芽衣の妹になるから、みかなって呼ぶ」

「え? 何そのシステム!? 聞いてないんだけど!!?」

芽衣がそんな風に言ってくれることが嬉しかった。

「犬か、お前は? 飼い主の家の人間に序列をつける犬なのか?」

「みかなは猫嫌いでしょ。猫アレルギーだし」

「え、なんかもう呼び捨てになってるんだけど……」

そんな、たわいもない会話が、かけがえのないものに思えた。


わたしはふたりに出会うまで、学校の授業が終わると寄り道など一切せずにまっすぐに家に帰っていた。

寝入といっしょに同じ高校に入学してから過ごした8ヶ月ほどの間も、ふたりとも寄り道をしようと思ったことがなかった。あの頃はとにかく早く寝入の家に帰って、彼女が大好きだったサンリオのキャラクターのおそろいの服に着替えて、彼女の部屋でふたりでのんびりと過ごしたかった。

季節によって日照時間が異なるため、明確に「何時までに」という形ではなく「日が沈むまでに」という門限があったし、□□市内にこれといって興味のある場所もなかった。

けれど、学校帰りに市内にあるお店で、ファッション雑誌に載っていたものに良く似たものを、ふたりがいっしょにさがしてくれるのが嬉しかった。

雑誌に載っているものはわたしには手が出ないような高価なものばかりだったし、それを扱うお店も都会に行かなければなかったけれど、流行のものは必ず似たようなものがそれこそ「しまむら」でも買えてしまうということをわたしははじめて知った。

わたしの手持ちの服とのコーディネートをいっしょに考えてくれるのがうれしかった。


みかなが芽衣に冗談で、サイズがMやLといった表記ではなく、130とか140とかになっている小学生の女の子が着るようなこども服を着せていた。

どこからどう見ても小学生にしか見えなかった。

みかなはそんな芽衣を見て、なんだかよくわからないけど、

「いける!」

と言った。

「なんの話?」

と聞いたら、彼女は、

「芽衣があと2年、このまま背が伸びなかったら、合法ロリのえっちなビデオに出せる」

と言った。

「いや、待てよ……現状でも十分ジュニアアイドルとして売り出せるか……
マイクロビキニとか、似合うな、うん。
体操服にブルマとか、似合うな、うん。
古いタイプのスク水とか……もちろんスク水は濡らして……水よりもローションの方がエロいかな……
スク水にニーハイにランドセルのコンボ……うんうん。
最近はセーラー服タイプのスク水なんかもあるし……
露出多めのメイド服とか……」

彼女が言ってることの半分も理解できなかったけれど、その目はなんだか本気で言っているように見えたので、わたしは彼女の心の闇を垣間見た気がした。

その後も、

「ジュニアアイドルとは、着エロの真骨頂」

だとか、

「ジュニアアイドルは、マガジンとかサンデーとか青年誌のグラビアとも、ヘアヌードとも違う。
ロリコンという、おにーちゃんのような性的倒錯者たちから、性の対象として扱われてはいるけれど、それはジュニアアイドルの負の部分であり、言わばフォースの暗黒面のようなもの。
うら若き少女たちの、今を切り取った、貴重な写真……

それは、例えるなら涼宮ハルヒ役の声優平野綾が子役の頃にロリータ℃名義で出したアルバムや、ロリータの温度という、多重人格探偵サイコの外伝にあたるはずの白倉由美の小説がもはやおまけでしかない写真集のようなもの。

もっとわかりやすく言えば、芦田愛菜ちゃんのファーストアルバム。

モザイクが必要になるようなことがなければいいわけだし、泡がいっぱいのお風呂とかで、乳首やあそこが泡で隠れたりしてれば……

うん、いける」


たとえいけたとしても行くな、戻ってこい、とわたしは思った。

迷わず行くな、行けばわかるどころか、戻ってこれなくなるぞ。


市内で一番おしゃれな美容院で、おしゃれな美容師さんに、なりたい髪型をうまく伝えられないでいるわたしに、

「ガッキーみたいにしてあげてください」

美容師さんが一発でわかるように伝えてくれたのが嬉しかった。ガッキーっていう人が誰なのかわたしにはわからなかったけれど。


「あ、こっちの子は二代目内倉綾音みたいな感じで。
ってかもう、ロリコンのキモオタがわんさかよってくるような感じでお願いします」

「え、やだ、あんなブス。キモオタもいや。芽衣もガッキーがいい」

「お前にはガッキーは10年早い。
あと、あんたの好きなわたしのおにーちゃんも、キモオタのロリコンだからな?」

ふたりが転校してきた1ヶ月前のあの日に、一度だけ会ったことがあるみかなの兄が、キモオタのロリコンっていうのは知りたくなかったけど。


「みかなのおにーちゃんはかっこいいからいいもん。変身ベルトも似合うし」

「うん。おにーちゃんは確かに変身ベルトがすごく似合う。
さすがだね、芽衣。わかってるね。ってかお前、今また呼び捨てしたろ」


彼は確かわたしたちより8つ年上で、すごく大人っぽく見えたのを覚えていた。
みかなの兄だけあって、すごくおしゃれで、かっこよかった。
いまだにあの人が何者なのかはわからないままだったけれど、仕事ができそうな人だった。
でも、仮面ライダーか何かなのかな、変身ベルトをつけて遊んだりしてることにわたしはすごくびっくりした。


登校する前に、部屋にある姿見を見て、そこに映る自分が日に日にきれいになっていくことが嬉しかった。


「ねぇ、私にもその制服の着崩し方教えてくれる?」

それまでずっと、「あの返璧の家の子だから」と距離を置かれていたわたしに、クラスメイトたちが気さくに話しかけてくれるようになったのが嬉しかった。

「返璧さん、変わったね。
前はいつもムスッとしてて近寄りがたいイメージだったけど、あの子たちが転校してきてから、いっぱい笑うようになったね」

わたしが返璧の家の子だから避けられていたのではなく、わたしが気づかないうちに自分から彼女たちを避けていたのだと気づけたことがうれしかった。



          

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