あなたが創ったこの世界をわたしは壊したい。

雨野美哉(あめの みかな)

第5話(第49話)

「シュウは、あなたのことをとても大切に思っていたわ」

アリスの言葉を聞いて、わたしははじめてその事実を知った。

兄は生前、インターネットで知り合った彼女と毎日のように何時間も電話をしていた。

たぶん、その頃に兄からわたしの話を聞いたのだろう。


『アリスと同い年の妹がいるんだ。
羽衣(はごろも)って書いて、「うい」って読む。天女みたいな名前。

羽衣は、ぼくのことをあまり好きじゃない、っていうか、たぶん嫌いなんだろうね。
いつも不機嫌そうにしていて、ぼくと目が合えば必ずすぐに目をそらす。
まともに会話らしい会話をしたことはほとんどない。

兄や姉がいる妹や弟にとって、兄とか姉とかっていう存在は、親よりも身近な異性だと思うんだよね。

ぼくの情けなさやふがいなさ、心の弱さを小さい頃から見てきた羽衣は、きっとをぼくを軽蔑してるんだろうね。

もしかしたら、ぼくが覚えていないだけで、羽衣に何か悪いことをしたのかもしれない。

アリスにちゃんと将来の夢があるように、羽衣にもぼくとは違ってちゃんと将来の夢があるみたいなんだ。
それが何かまでは知らないけど。

これから先、もし羽衣が悩んだり困ったりしたとき、ぼくを頼ってくることはまずないだろうけれど、たぶんぼくが一番に気付くはず。
だから、そのときは嫌われていてもいいから、好かれなくていいから、そのときは兄として力になりたい。

5年後になるか10年後になるかわからないけど、お互いが大人になったら、一度でいいから兄妹らしい会話をしてみたい」


兄はわたしのことをそんな風に話していたと、アリスはタクシーの中で教えてくれた。

わたしは何も知らなかった。

今思えば、わたしはなぜ兄をあんなに毛嫌いしていたのだろう。
会話らしい会話をしたこともなければ、いつも避けていた。
だから、嫌なことをされた記憶は一切なかった。


「シュウにそんな風に思われていた、あなたがうらやましかった」

と、彼女は言った。


「アリスにも腹違いの兄がいるの。シュウと同い年。

でも、会ったこともなければ、電話やメールをしたこともない。写真を見たこともない。どんな人で何をしているのかも知らない。

シュウは男らしくなかったし、頼りなかったし、気が弱かったけど、繊細で傷つきやすくて、でも、だからなのかな、すごく優しい人だった。すごくかわいい人だった。

アリスは最初、シュウみたいなお兄ちゃんが欲しかったなって、そんな風に思っていたの。
でも、いつのまにか恋をしてた」


わたしはもしかしたら、優しい兄に甘えていたのかもしれなかった。

本当は兄のことが好きだったのではないだろうか。

アリスのように恋をしてしまうかもしれないのがこわくて、兄を避けていたのではないだろうか?

兄をインターネットにしか居場所を見いだせないほどに孤独にさせたのは、わたしだったのではないだろうか。


もしそうなら、わたしは兄を傷つけ続け、居場所を奪い、アリスと出会わせてしまった。

結果、ふたりはお互いに好きで好きでどうしようもなかったのに、兄には自ら命を絶つことを選ばせ、アリスを一生車椅子が必要な体にさせてしまった。

わたしがふたりをそうさせてしまったのだ。


「そっか……」

と、わたしは言った。

「本当にありがとう」

と、もう一度言った。

草詰アリスにわたしは本当に感謝した。


しばらく沈黙が続いたあとで、

「あなたは、どうしてメイに会いたいの?」

アリスはわたしに訊いた。

アリスはまだ全部信じてるわけじゃないけど、と前置きしたあとで、

「あのまとめサイトや、アリスたちがモデルになってるケータイ小説を読んでいるなら、メイがとてもこわい子だということを知っているはずよ」

と言った。

「怖いもの見たさ、ってわけじゃないんだよね?」

わたしはこくりとうなづいた。

「人の心を巧みに操り、操られていることすら気付かせない。
夏目メイが言う『友達』とは、自分の意のままに動くおもちゃのこと」

わたしはそう答える。

「アリスはいまだに操られていたとは思えない。
アリスはアリスの意思でメイといっしょにいたと思ってる。
でも、今のこの気持ちすらも、メイに操られているのだとしたなら、アリスの心はどこにあるのかな」


アリスは、たった半年で、恋人を失い、友人に裏切られ、一生車椅子の体になった。
その上、心まで自分の物かどうかすらわからなくなりつつあった。

わたしは、アリスの手を握った。

彼女はわたしの行動に驚いたけれど、すぐにその手を握り返してくれた。


「わたしが夏目メイに会いたいのは、あの子を普通の女の子になんてさせないため」

わたしは言った。

「わたしは本当の夏目メイを知らない。
小説に書かれていたような女の子なら、とても恐ろしい女の子だと思う。
だけど、わたしはそんな彼女を好きになってしまったの」

わたしはそう続け、

「普通の女の子になんてさせない。
あのままの彼女を、その心を、わたしは操りたい。
操られていることも気付かせない。
今度はわたしのおもちゃにするの」

そう言った。


夏目メイは、わたしの初恋の女の子だった。

そして、その初恋は、とても歪んだものだった。


          

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