あなたが創ったこの世界をわたしは壊したい。
第28話
編入二日目の帰り道、秋葉原駅での別れ際、ナオが話したことをあたしは思い出していた。。
「お嬢様は水島十和という少年をご存じですか?」
その問いに、あたしは首を横に振った。
酔っ払ったハルはあたしたちから少し離れた場所にあった駅の掲示板に落書きをしていた。
下手くそなドラえもんの絵を描いて、ちっとも似ていないなんとかわさびとかいう新しいドラえもんの声優の物真似をしていた。
駅を行き交う人たちはハルを避けるようにして歩いていた。
「加藤麻衣の恋人だった少年です」
ナオはそう言った。
それを聞いて、一度だけ会ったときに麻衣が話していた元カレのことだと思った。
その彼に頼まれて、内藤美嘉のケータイ番号を彼の友達に教えてしまったことが、麻衣が内藤美嘉や夏目メイに売春を強要されたきっかけだった。
「その彼とは別れたって聞いてるけど」
あたしがそう言うと、
「それはたぶん、yoshiという少年のことでしょう」
yoshiというのは麻衣と同じ緑南高校の生徒だったらしい。
バスケ部員で、例の覚醒剤事件で逮捕され退学処分になったそうだ。
その事件のことをあたしはあまり気にしたことはなかったけれど、横浜には腐るほどシャブの売人がいるけれど、ヤクザの組でシャブに手を出しているのは夏目組くらいだと田所か轟が言っていた。
バスケ部員にシャブを流したのは夏目メイかもしれなかった。
あたしは夏目組の鉄砲玉のヨシノブという男の子のことを思い出した。
yoshiとヨシノブ、まさか同一人物ということはないだろうけれど。
ヨシノブと夏目メイは同じストラップをケータイにつけていた。
アルファベットを三文字繋ぎあわせた、珍しいストラップだった。
アルファベットは、YとMとO。
Oが何の略なのかはわからないけれど、Yはヨシノブ、Mはメイのイニシャルだろう。
ふたりは友達以上の関係だった。
想像の域を出ないけれど、もしyoshiとヨシノブが同一人物なら、夏目メイは内藤美嘉をそそのかして麻衣に売春を強要させただけではなく、麻衣の男まで奪ったということになる。
一体どんな理由があって、夏目メイは麻衣から何もかも奪うようなことをしたのだろう。
答えはとても簡単だった。
麻衣がフツーの女の子だったからだ。
皮肉にも同じヤクザの家に生まれたあたしには夏目メイの動機が手にとるようにわかった。
こどもは生まれる家を選べない。
ヤクザの家に生まれてしまったあたしたちには、いくら望んでもフツーなんてものは永遠に手に入れることはできない。
あたしがヤクザ相手に体を売らされていたのがいい例だ。
だからフツーの家に生まれて、フツーの恋愛をして、フツーの女の子でいられる麻衣が夏目メイには憎くて仕方がなかったのだろう、と思った。
「恋人と言っても、加藤麻衣と水島十和がいっしょに過ごしたのはわずか五日間だけだったようです。
夏に人気バンド『エンドケイプ』のボーカルのsinが、強盗殺人未遂事件にあったことを覚えていますか?
sinがゲイだというのは芸能ゴシップでは有名な話ですが、彼は男をよく買っていたようです。
そして水島十和もまた男に体を売る少年でした。
sinを刺したのが、水島十和でした。
水島十和は警察に逮捕され、しかし彼の父親が官僚であったことからその事実は揉み消されています。
加藤麻衣と同様に、水島十和もまた現在行方不明です」
麻衣はカナヅチで、水島十和は生まれてから一度も海に行ったことがなかったらしい。
水島十和は麻衣に泳ぎを教えてあげる約束をしていたという。
「ふたりは、いつかいっしょにきれいな海で海の家をやりたいと話していたそうです」
海の家。
あそこで働く人たちは、秋になってしまったら一体何をしてるんだろう。
あたしはそんなことを考えながら電車に揺られた。
あたしの隣には、編入二日目の今日出来たばかりの友達が座っていた。
彼女は小島幸という名前で、幸は「ゆき」と読む。
ゆきには双子の妹がいて、同じ幸という漢字で「さち」と読むらしい。
「ややこしいやろ」
と、ゆきは笑った。
ゆきは神戸の生まれで、小学校卒業までを関西で過ごした彼女は、標準語と関西弁が入り混じった奇妙な話し方をする子だった。
ゆきは参議院議員金児陽三(かねこようぞう)を祖父に持ち、次期生徒会長候補と噂される優秀な生徒で、現在は一年生でありながら副会長を務めていた。
「妹のさちはな、あたしより頭よかったんやけど、なんか知らんけど、この学校入れんかってん。
だから、ほら、こないだ高校一年の男子11人が流産させる会とかいうて担任の教師流産させたろうっていたずらして問題になった学校あったやろ。あの学校行っててん」
ゆきはそう言った。
あたしは小島さちを知っていた。
あたしとは違うクラスだったけれど、彼女はちょっとした有名人だった。
あたしがその学校から編入してきたと告げると、ゆきは嬉しそうに笑った。
「なんやあんた、さちと同じ学校から来たんか。じゃあ、あたしたちもう友達やね」
ゆきは夏目メイや草詰アリスと仲が良く、あたしは彼女たちのグループに入れてもらうことにした。
昨日とは一転してすっかり元気になった草詰アリスが、夏目メイの腕を抱き締めて、
「メイは絶対あなたなんかにあげないんだから」
と、あたしをグループに入れるのを最後まで反対して、夏目メイと小島ゆきが彼女をなだめて首を縦に振らせた。
あたしとゆきは帰り道が同じだった。
いっしょに帰ろうと誘ってくれたのはゆきの方からだった。
あたしは校門の近くに組の車を停めていた田所と轟に、今日は友達といっしょに帰ると告げてバスに乗り、駅で降りると電車に乗った。
あたしとゆきは電車に並んで座ってたわいもない話をした。
ラブスカイウォーカーズやエンドケイプといったあたしたちの世代がよく好む音楽の話や、ゆきが暇潰しによく読むというケータイ小説の話、政治家の孫も、大学教授の娘もヤクザの孫や娘も変わらない、あたしたちはセーラー服を着たただの女子高生だった。
電車が間もなくあたしの家の最寄り駅に着く頃、
「メイなんかはそんなでもなかったみたいやけど、編入って大変なんやろ?」
ゆきは言った。
「なんか困ったことあったらなんでも言いなね。メイはまだわからないこととかあるだろうし、アリスはまだこどもだし」
ゆきはそう言って、
「頼ってくれていいから。あたしたちもう友達なんやから」
あたしの手を握った。
その手はぞっとするほど冷たく、セーラーの袖に隠れたあたしの腕にはぞわぞわと鳥肌が立った。
あたしが知りたいこと、それはひとつだけだった。
「そうね。夏目メイのことが知りたいわね」
あたしはさりげなくそんな言葉を口にした。
「どういう意味?」
小島ゆきの顔が変わった。
「夏目メイは、夏目メイよ。
あなたが知ってる通りの良家の世間知らずのお嬢様よ」
愛嬌のある標準語と関西弁が入り混じった言葉使いは、冷たい標準語になっていた。
小島ゆきは夏目メイの何かを知っているのだ。
彼女の表情や口調の変化からそれは手にとるようにわかった。
「あたし、夏目メイには裏の顔があると思うの。ゆきは頭が良さそうだから、気付いてるんじゃないかなって思ったんだけど」
あたしは言った。
小島ゆきはただ帰り道が同じだからあたしといっしょに帰ろうとしたわけじゃないことにあたしは気付いていた。
たぶん、夏目メイはあたしの正体に気付いている。
だからあたしをグループに引き入れ、たぶんいっしょに帰るよう、命令だと悟られないような言葉で、小島ゆきに言ったのだろう。
彼女は人の心を操る術を知っている。
小島ゆきはたぶん自分が彼女の命令に従っているという意識すらないだろう。
「聞かなかったことにしてあげる」
小島ゆきはそう言って笑った。
「あんた、夏目メイに近付くために編入してきたんやな。
あんたが何のためにメイのこと知りたがってるか知らんけど、こんな時期に編入してくるくらいやから何か訳ありなんだってことは最初からわかっとった」
うちらんなかで気付いてないのはアリスくらいや、とゆきは続けた。
「あたしは何も知らんよ」
その言葉が夏目メイのことを指していたのか、それともあたしがこれからも夏目メイのことを知ろうとすればどうなるかわからないという意味なのかはわからなかった。
電車が駅についた。
あたしは立ち上がり、開いた扉からホームに降りる前に一度だけ小島ゆきを振り返った。
「気が変わったら教えてくれる?」
ゆきは首を横に振って、
「変わらへんよ」
ドアが閉まった。
ゆっくりと動き出す電車を、あたしは見えなくなるまで見送った。
あたしが前に通っていた高校で、小島さちは入学以来一度も学校に来ていなかった。
ひきこもりをしていると、人づてに聞いたことがあった。
じいさんから家に帰る前に組の事務所に顔を出すように言われていた。
あたしは最寄り駅のロータリーで待ってくれていた田所と轟の車に乗り込んで、事務所に向かった。
車内には轟が娘に焼いてもらったというラブスカイウォーカーズのベストアルバムがあたしのリクエスト通り流れるようになっていた。
流れていたのは「歩いて行こうよ」という歌だった。
女の子たちが四人、学校から抜け出して、廃線になった線路をどこまでも歩いていくという、ラブスカの代表曲だった。
その旅はいつまでも四人いっしょだと思っていたけれど、ひとり、またひとりと欠けていってしまって、最後は女の子ひとりきりになってしまう。
旅は人生の比喩だ。彼氏ができたり、ケンカをしたり、女の子には男の子にはわからないいろんなことがあって、仲が良かった友達がずっといっしょにいられるわけじゃなかった。
悲しい歌だけれど、最後にひとり残った女の子はそれでも「歩いて行こうよ」と笑って歩き出す、強い女の子の歌だった。
あたしが一番好きな歌だった。
だけど、それはreYとmomoのサインを早くもらってこいという轟からの重圧に感じた。
明日、小島ゆきに聞いてみようとあたしは思った。
家に帰る前に事務所に向かうのは、夏目メイの様子をじいさんに報告をすることになっていたからだ。
報告と言っても、
「殺れそうか?」
と問われて、
「さぁ」
と答えるだけだ。
じいさんがあたしに命じたのは殺人だ。
どこの世の中に、実の孫に人を殺すよう言う祖父がいるのだろうと思うかもしれないけれど、あたしのじいさんはそういう人だ。
じいさんにとって、あたしはかわいい孫なんかではけっしてなく、組の田所や轟と変わらない自分の意のままに操れる駒に過ぎない。
だからあたしにヤクザ相手に体を売らせることもあれば、人を殺せと命令する。
じいさんはただ、あたしが夏目の娘を殺しさえすればいいと考えている。
その方法をじいさんは問わないし、あたしが夏目メイを殺して逮捕されることになっても、じいさんは眉ひとつ動かすことなく、そうか、とただ聞き置くだけだろう。
じいさんにとっては駒がひとつ消えるだけだ。
夏目メイはあたしにとって麻衣の仇だった。敵だった。
だから彼女を殺すことで復讐が成し遂げられるなら、あたしはそれで構わないと思う。
だけど、あたしは逮捕されるのはご免だった。
だから学園の中でそれを行うのはまず不可能だった。
中高一貫の城戸女学園には千人以上の生徒がいて、百人近い教員や事務職員、用務員やガードマンがいる。
夏目メイとふたりきりになることはできても、あたしと夏目メイがふたりきりでいたことは必ず誰かに目撃されて、もし夏目メイの死体がどこか無人の教室で発見されるようなことになれば、必ず真っ先にあたしが疑われるのは目に見えていた。
だからまだ夏目メイを殺せない。
それにあたしは夏目メイが本当に殺すべき人間なのかまだわからなかった。
彼女が内藤美嘉を利用して麻衣に売春を強要していたのは間違いなかった。
けれどあたしはその証拠をまだ見付けていない。
麻衣は行方不明だし、事件の関係者である内藤美嘉はあんなだったし、山汐凛という女の子を訪ねていくのは気が引けた。
ナオの知り合いだという探偵は、夏目メイの息がかかっていて信用できない。
あたしは自分で見定めなければならなかった。
組の事務所に向かうはずの車は、なぜか事務所のすぐそばまで来て道を変え、あたしの家に向かい始めた。
「どうしたの?」
あたしが尋ねると、
「刑事が来ているみたいです」
轟が言った。
「たぶん例の横浜港沖で上がった鉄砲玉のガキの死体のことで何か聞きに来たんでしょう」
マル暴の刑事の車が事務所の前に停まっているのが見えたそうだ。
あたしはうちの組によく顔を出すその刑事があまり好きじゃなかった。
刑事だからということもあるんだけれど、過去の事件の失態からキャリア組からはずされてしまいマル暴担当に飛ばされたというその刑事は生気がまるでなく、亡霊のような男だったからだ。
「なんて言ったっけ、あの刑事」
あたしが尋ねると、
「戸田ナツ夫のことですか」
田所が言った。
そう、確か戸田ナツ夫という名前だった。
あたしは車を事務所に向かわせるよう、田所に命令した。
          
「お嬢様は水島十和という少年をご存じですか?」
その問いに、あたしは首を横に振った。
酔っ払ったハルはあたしたちから少し離れた場所にあった駅の掲示板に落書きをしていた。
下手くそなドラえもんの絵を描いて、ちっとも似ていないなんとかわさびとかいう新しいドラえもんの声優の物真似をしていた。
駅を行き交う人たちはハルを避けるようにして歩いていた。
「加藤麻衣の恋人だった少年です」
ナオはそう言った。
それを聞いて、一度だけ会ったときに麻衣が話していた元カレのことだと思った。
その彼に頼まれて、内藤美嘉のケータイ番号を彼の友達に教えてしまったことが、麻衣が内藤美嘉や夏目メイに売春を強要されたきっかけだった。
「その彼とは別れたって聞いてるけど」
あたしがそう言うと、
「それはたぶん、yoshiという少年のことでしょう」
yoshiというのは麻衣と同じ緑南高校の生徒だったらしい。
バスケ部員で、例の覚醒剤事件で逮捕され退学処分になったそうだ。
その事件のことをあたしはあまり気にしたことはなかったけれど、横浜には腐るほどシャブの売人がいるけれど、ヤクザの組でシャブに手を出しているのは夏目組くらいだと田所か轟が言っていた。
バスケ部員にシャブを流したのは夏目メイかもしれなかった。
あたしは夏目組の鉄砲玉のヨシノブという男の子のことを思い出した。
yoshiとヨシノブ、まさか同一人物ということはないだろうけれど。
ヨシノブと夏目メイは同じストラップをケータイにつけていた。
アルファベットを三文字繋ぎあわせた、珍しいストラップだった。
アルファベットは、YとMとO。
Oが何の略なのかはわからないけれど、Yはヨシノブ、Mはメイのイニシャルだろう。
ふたりは友達以上の関係だった。
想像の域を出ないけれど、もしyoshiとヨシノブが同一人物なら、夏目メイは内藤美嘉をそそのかして麻衣に売春を強要させただけではなく、麻衣の男まで奪ったということになる。
一体どんな理由があって、夏目メイは麻衣から何もかも奪うようなことをしたのだろう。
答えはとても簡単だった。
麻衣がフツーの女の子だったからだ。
皮肉にも同じヤクザの家に生まれたあたしには夏目メイの動機が手にとるようにわかった。
こどもは生まれる家を選べない。
ヤクザの家に生まれてしまったあたしたちには、いくら望んでもフツーなんてものは永遠に手に入れることはできない。
あたしがヤクザ相手に体を売らされていたのがいい例だ。
だからフツーの家に生まれて、フツーの恋愛をして、フツーの女の子でいられる麻衣が夏目メイには憎くて仕方がなかったのだろう、と思った。
「恋人と言っても、加藤麻衣と水島十和がいっしょに過ごしたのはわずか五日間だけだったようです。
夏に人気バンド『エンドケイプ』のボーカルのsinが、強盗殺人未遂事件にあったことを覚えていますか?
sinがゲイだというのは芸能ゴシップでは有名な話ですが、彼は男をよく買っていたようです。
そして水島十和もまた男に体を売る少年でした。
sinを刺したのが、水島十和でした。
水島十和は警察に逮捕され、しかし彼の父親が官僚であったことからその事実は揉み消されています。
加藤麻衣と同様に、水島十和もまた現在行方不明です」
麻衣はカナヅチで、水島十和は生まれてから一度も海に行ったことがなかったらしい。
水島十和は麻衣に泳ぎを教えてあげる約束をしていたという。
「ふたりは、いつかいっしょにきれいな海で海の家をやりたいと話していたそうです」
海の家。
あそこで働く人たちは、秋になってしまったら一体何をしてるんだろう。
あたしはそんなことを考えながら電車に揺られた。
あたしの隣には、編入二日目の今日出来たばかりの友達が座っていた。
彼女は小島幸という名前で、幸は「ゆき」と読む。
ゆきには双子の妹がいて、同じ幸という漢字で「さち」と読むらしい。
「ややこしいやろ」
と、ゆきは笑った。
ゆきは神戸の生まれで、小学校卒業までを関西で過ごした彼女は、標準語と関西弁が入り混じった奇妙な話し方をする子だった。
ゆきは参議院議員金児陽三(かねこようぞう)を祖父に持ち、次期生徒会長候補と噂される優秀な生徒で、現在は一年生でありながら副会長を務めていた。
「妹のさちはな、あたしより頭よかったんやけど、なんか知らんけど、この学校入れんかってん。
だから、ほら、こないだ高校一年の男子11人が流産させる会とかいうて担任の教師流産させたろうっていたずらして問題になった学校あったやろ。あの学校行っててん」
ゆきはそう言った。
あたしは小島さちを知っていた。
あたしとは違うクラスだったけれど、彼女はちょっとした有名人だった。
あたしがその学校から編入してきたと告げると、ゆきは嬉しそうに笑った。
「なんやあんた、さちと同じ学校から来たんか。じゃあ、あたしたちもう友達やね」
ゆきは夏目メイや草詰アリスと仲が良く、あたしは彼女たちのグループに入れてもらうことにした。
昨日とは一転してすっかり元気になった草詰アリスが、夏目メイの腕を抱き締めて、
「メイは絶対あなたなんかにあげないんだから」
と、あたしをグループに入れるのを最後まで反対して、夏目メイと小島ゆきが彼女をなだめて首を縦に振らせた。
あたしとゆきは帰り道が同じだった。
いっしょに帰ろうと誘ってくれたのはゆきの方からだった。
あたしは校門の近くに組の車を停めていた田所と轟に、今日は友達といっしょに帰ると告げてバスに乗り、駅で降りると電車に乗った。
あたしとゆきは電車に並んで座ってたわいもない話をした。
ラブスカイウォーカーズやエンドケイプといったあたしたちの世代がよく好む音楽の話や、ゆきが暇潰しによく読むというケータイ小説の話、政治家の孫も、大学教授の娘もヤクザの孫や娘も変わらない、あたしたちはセーラー服を着たただの女子高生だった。
電車が間もなくあたしの家の最寄り駅に着く頃、
「メイなんかはそんなでもなかったみたいやけど、編入って大変なんやろ?」
ゆきは言った。
「なんか困ったことあったらなんでも言いなね。メイはまだわからないこととかあるだろうし、アリスはまだこどもだし」
ゆきはそう言って、
「頼ってくれていいから。あたしたちもう友達なんやから」
あたしの手を握った。
その手はぞっとするほど冷たく、セーラーの袖に隠れたあたしの腕にはぞわぞわと鳥肌が立った。
あたしが知りたいこと、それはひとつだけだった。
「そうね。夏目メイのことが知りたいわね」
あたしはさりげなくそんな言葉を口にした。
「どういう意味?」
小島ゆきの顔が変わった。
「夏目メイは、夏目メイよ。
あなたが知ってる通りの良家の世間知らずのお嬢様よ」
愛嬌のある標準語と関西弁が入り混じった言葉使いは、冷たい標準語になっていた。
小島ゆきは夏目メイの何かを知っているのだ。
彼女の表情や口調の変化からそれは手にとるようにわかった。
「あたし、夏目メイには裏の顔があると思うの。ゆきは頭が良さそうだから、気付いてるんじゃないかなって思ったんだけど」
あたしは言った。
小島ゆきはただ帰り道が同じだからあたしといっしょに帰ろうとしたわけじゃないことにあたしは気付いていた。
たぶん、夏目メイはあたしの正体に気付いている。
だからあたしをグループに引き入れ、たぶんいっしょに帰るよう、命令だと悟られないような言葉で、小島ゆきに言ったのだろう。
彼女は人の心を操る術を知っている。
小島ゆきはたぶん自分が彼女の命令に従っているという意識すらないだろう。
「聞かなかったことにしてあげる」
小島ゆきはそう言って笑った。
「あんた、夏目メイに近付くために編入してきたんやな。
あんたが何のためにメイのこと知りたがってるか知らんけど、こんな時期に編入してくるくらいやから何か訳ありなんだってことは最初からわかっとった」
うちらんなかで気付いてないのはアリスくらいや、とゆきは続けた。
「あたしは何も知らんよ」
その言葉が夏目メイのことを指していたのか、それともあたしがこれからも夏目メイのことを知ろうとすればどうなるかわからないという意味なのかはわからなかった。
電車が駅についた。
あたしは立ち上がり、開いた扉からホームに降りる前に一度だけ小島ゆきを振り返った。
「気が変わったら教えてくれる?」
ゆきは首を横に振って、
「変わらへんよ」
ドアが閉まった。
ゆっくりと動き出す電車を、あたしは見えなくなるまで見送った。
あたしが前に通っていた高校で、小島さちは入学以来一度も学校に来ていなかった。
ひきこもりをしていると、人づてに聞いたことがあった。
じいさんから家に帰る前に組の事務所に顔を出すように言われていた。
あたしは最寄り駅のロータリーで待ってくれていた田所と轟の車に乗り込んで、事務所に向かった。
車内には轟が娘に焼いてもらったというラブスカイウォーカーズのベストアルバムがあたしのリクエスト通り流れるようになっていた。
流れていたのは「歩いて行こうよ」という歌だった。
女の子たちが四人、学校から抜け出して、廃線になった線路をどこまでも歩いていくという、ラブスカの代表曲だった。
その旅はいつまでも四人いっしょだと思っていたけれど、ひとり、またひとりと欠けていってしまって、最後は女の子ひとりきりになってしまう。
旅は人生の比喩だ。彼氏ができたり、ケンカをしたり、女の子には男の子にはわからないいろんなことがあって、仲が良かった友達がずっといっしょにいられるわけじゃなかった。
悲しい歌だけれど、最後にひとり残った女の子はそれでも「歩いて行こうよ」と笑って歩き出す、強い女の子の歌だった。
あたしが一番好きな歌だった。
だけど、それはreYとmomoのサインを早くもらってこいという轟からの重圧に感じた。
明日、小島ゆきに聞いてみようとあたしは思った。
家に帰る前に事務所に向かうのは、夏目メイの様子をじいさんに報告をすることになっていたからだ。
報告と言っても、
「殺れそうか?」
と問われて、
「さぁ」
と答えるだけだ。
じいさんがあたしに命じたのは殺人だ。
どこの世の中に、実の孫に人を殺すよう言う祖父がいるのだろうと思うかもしれないけれど、あたしのじいさんはそういう人だ。
じいさんにとって、あたしはかわいい孫なんかではけっしてなく、組の田所や轟と変わらない自分の意のままに操れる駒に過ぎない。
だからあたしにヤクザ相手に体を売らせることもあれば、人を殺せと命令する。
じいさんはただ、あたしが夏目の娘を殺しさえすればいいと考えている。
その方法をじいさんは問わないし、あたしが夏目メイを殺して逮捕されることになっても、じいさんは眉ひとつ動かすことなく、そうか、とただ聞き置くだけだろう。
じいさんにとっては駒がひとつ消えるだけだ。
夏目メイはあたしにとって麻衣の仇だった。敵だった。
だから彼女を殺すことで復讐が成し遂げられるなら、あたしはそれで構わないと思う。
だけど、あたしは逮捕されるのはご免だった。
だから学園の中でそれを行うのはまず不可能だった。
中高一貫の城戸女学園には千人以上の生徒がいて、百人近い教員や事務職員、用務員やガードマンがいる。
夏目メイとふたりきりになることはできても、あたしと夏目メイがふたりきりでいたことは必ず誰かに目撃されて、もし夏目メイの死体がどこか無人の教室で発見されるようなことになれば、必ず真っ先にあたしが疑われるのは目に見えていた。
だからまだ夏目メイを殺せない。
それにあたしは夏目メイが本当に殺すべき人間なのかまだわからなかった。
彼女が内藤美嘉を利用して麻衣に売春を強要していたのは間違いなかった。
けれどあたしはその証拠をまだ見付けていない。
麻衣は行方不明だし、事件の関係者である内藤美嘉はあんなだったし、山汐凛という女の子を訪ねていくのは気が引けた。
ナオの知り合いだという探偵は、夏目メイの息がかかっていて信用できない。
あたしは自分で見定めなければならなかった。
組の事務所に向かうはずの車は、なぜか事務所のすぐそばまで来て道を変え、あたしの家に向かい始めた。
「どうしたの?」
あたしが尋ねると、
「刑事が来ているみたいです」
轟が言った。
「たぶん例の横浜港沖で上がった鉄砲玉のガキの死体のことで何か聞きに来たんでしょう」
マル暴の刑事の車が事務所の前に停まっているのが見えたそうだ。
あたしはうちの組によく顔を出すその刑事があまり好きじゃなかった。
刑事だからということもあるんだけれど、過去の事件の失態からキャリア組からはずされてしまいマル暴担当に飛ばされたというその刑事は生気がまるでなく、亡霊のような男だったからだ。
「なんて言ったっけ、あの刑事」
あたしが尋ねると、
「戸田ナツ夫のことですか」
田所が言った。
そう、確か戸田ナツ夫という名前だった。
あたしは車を事務所に向かわせるよう、田所に命令した。
          
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