気づいたら異世界にいた。転移したのか、転生したのかはわからない。おまけに目の前にはATMがあった。異世界転移、通算一万人目の冒険者。

雨野美哉(あめの みかな)

第72話 一方その頃、ランスでは。①

ゲルマーニの城や学術都市に、ピノア・カーバンクルによってレオナルド・カタルシスの結界が張られたのは、秋月レンジにとって異世界転移5日目の朝になる。
エウロペとゲルマーニの国境付近で、大賢者と魔王、ピノア、アンフィスの戦いが起きたのもまた、その後まもなくのことだった。


時は1日だけ遡る。
レンジがステラやピノアと共にコムーネの町の観光に出掛けた頃、ニーズヘッグとアルマは、飛空艇でランスに到着していた。

ふたりはこどもたちを連れて、まっすぐにニーズヘッグが産まれ育ったファフニール家に向かった。

ニーズヘッグの父は、ニーズヘッグがステラやピノアと連名でランスとゲルマーニ、アストリアに送った伝書鳩についての話を兄たちからすでに聞いており、よく知らせてくれた、と彼を誉めた。
父に誉められたことなど、幼い頃以来であったから照れくさかった。

父は、ニーズヘッグを一人前の竜騎士と認め、一度は駆け落ちするように家を出た彼とアルマの結婚を認めた。
エウロペの魔術学院のこどもたちをファフニール家に温かく迎え入れてくれた。

そして、彼にエウロペで何が起きたかを尋ねた。

同盟国であったエウロペの国王が死に、城下町や城は壊滅、生き残っていたのはふたりが連れてきた7人のこどもたちだけだと知ると、父は絶句した。

父はヒト型のカオスがいるなんて話は聞いたことがない、と言った。それは当然の反応だった。
ニーズヘッグも城下町で目の当たりにするまでその存在を知らなかったし、エウロペの巫女であるステラやピノアでさえ、その前日にはじめてその存在を確認したと言っていた。

ニーズヘッグは父を安心させるために、ヒト型のカオスは今のところは竜騎士団の部隊長を務める四人の兄たちと変わらない強さであり、数体であれば竜騎士団ならば十分に片付けられる相手であることを話した。

ランスには、竜騎士団だけでなくドラゴンがおり、火の精霊もいるため、魔王や大賢者がランスを襲撃することは当面ないだろうということも話した。

「彼らは今、ゲルマーニの医療魔法を狙っている。
特に身体能力を飛躍的に高める魔法や、髪の毛や爪から人体の複製を作り出す魔法だと思う。
それによってヒト型のカオスをドラゴン以上に強化し、ドラゴン以上の数の量産をしない限り、ランスに攻めこんでくることはないと思う。
そうなる前に必ずぼくたちが彼らを止める」

ニーズヘッグの言葉を聞き、父は少し安心したようだった。

「国王と竜騎士団長には、私から話を通しておこう。
お前や、エウロペのふたりの巫女、リバーステラからの来訪者、それに聖書にある大厄災の預言の男を信じていないわけではないが、私たちもそれなりの準備をするべきだろう」

「そうだね。敵は狡猾な男たちだ。魔王のことはよく知らないけど、大賢者は相当な曲者だ。
ぼくたちが生きて帰らない可能性も視野にいれて、竜宮艇を空母とする編成を整えておいてほしい」

父は、わかった、と言い、それから、

「成長したな、ニーズヘッグ」

と言った。言ってくれた。

「父さんや兄さんたちが思い描いていたニーズヘッグ・ファフニールになれなくてごめん」

それだけが申し訳なかった。

「構わんよ。最初からわかっていたことだ。
お前のドラゴンから聞いていたからな」

と、父は言った。

「ケツァルコアトルから?」

「あぁ、22年前、お前が産まれた日に、あのドラゴンは、すでに将来自分と契約を結ぶのはお前だと知っていた。
そして、この家の庭にやってきた。お前を一目見たいと言ってな。
彼は私に、お前の才能は一国の竜騎士団に収まるものではないと言った。
だから、私はお前にニーズヘッグと名付けることにした」

ニーズヘッグにとってそれは寝耳に水の話だった。

「ところで、そのケツァルコアトルはどうした? 」

「コムーネの町に残ってもらったよ」

彼を町に残してきたのは、彼が自ら言い出したことであった。
ニーズヘッグとアルマに気を遣っているというよりかは、彼は、彼だけが何か不穏な空気を感じとっているように見えた。
だからこそ、魔王や大賢者の目的がゲルマーニだとわかり、仲間達が休息をとっている今しか、ファフニール家にこどもたちを預けにいく機会はないように思えた。


そして、ニーズヘッグとアルマは、父からペインにかつて存在したというヴァルキリーの話を聞いた。

ファフニール家のニーズヘッグの部屋には何万冊もの書籍があったが、戦前のペインについて記されたものを彼は見たことがなかった。
だからヴァルキリーとは何なのかさえ、彼は知らなかった。

父とアルマに、彼女にはヴァルキリーや竜騎士になる素質があることを話した。
自分がアルマには危険な目に会わせたくないと考えていることも話した。

「でも、あなたの帰りをこの家で待ち続けるのはつらいだけだわ。
あなたのそばにいたい。
だったらわたしも自分の身を守る力は必要でしょう?」

アルマはそう言った。

ニーズヘッグもアルマにはそばにいてほしかった。互いに自らの預かり知らぬところで最愛の人を失うようなことだけは避けたかったし、アルマがそばにいてくれれば命に換えても守りきるつもりでいた。
だが、いつまでもそうは言ってられないだろうということはわかっていた。
今だけだ。
敵が戦力を増強してきたら、アルマを守っている余裕はすぐになくなってしまうだろう。


「お前がヴァルキリーについて知らないのも当然だ。
聖竜騎士ニーズヘッグ・ファフニールが、ランスにあった戦前のペインに関する資料のほとんどすべてを回収し、この家の地下に隠したからな。
その地下室の扉を開けることができるのは、ファフニール家の代々当主だけだ」

聖竜騎士ニーズヘッグ・ファフニールは、ファフニール家が輩出した最後の竜騎士団長であり、百数十年前の戦争でアルマの先祖である産まれたばかりのペインの王女を保護し、養女とした男だった。

「彼はなぜそんなことを?
ペインの王女の存在を、この国の当時の王やエウロペの王や大賢者から隠すためかい?」

ペインの王族は、敗戦の色が濃くなり始めるとネクロマンシーという禁忌の魔法に手を染め、死者の軍隊を産み出した罪によって、皆処刑されていた。

「無論、それもあっただろうな。
だが、それ以上に重要な秘密を聖竜騎士は隠した」

父は、ニーズヘッグとアルマを屋敷の中にあった隠し扉から地下室へと案内した。



          

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