気づいたら異世界にいた。転移したのか、転生したのかはわからない。おまけに目の前にはATMがあった。異世界転移、通算一万人目の冒険者。

雨野美哉(あめの みかな)

第71話 ピノア・ザ・イリュージョン

ピノアは、二日前のエウロペ城で、魔術学院に生き残っていたこどもたちに、自分のことを「ピノアお姉さま」と、ステラのことを「ステラお姉ちゃん」と呼ばせようとしたことがあった。

だが、こどもたちは、ステラのことをお姉さまと呼び、ピノアのことは呼び捨てにした。
そのため、ピノアはそんなこどもたちを追いかけまわし、三方に散ったこどもたちを同時に追いかけるために、自らを分身させる新魔法を産み出していた。

それは、水と光の精霊の力を借り、大気中の水分を鏡面として、光の屈折を利用し分身しているかのように見せかけるものであった。

遊び半分で産み出された魔法ではあったが、その魔法が、大賢者の身体から無数に伸びた触手に魔王が絡めとられたかのように大賢者に錯覚させ、そしてアンフィスやピノアやレオナルドも触手に貫かれたかのように錯覚をさせた。

ピノアはその魔法に「ピノア・ザ・イリュージョン」と名付けていた。

「ひっでー名前だな」

思わず苦笑したアンフィスだったが、

「いや、リバーステラには、この世界にもあるチェスによく似た『将棋』という非常に奥深いゲームがあるんだが、そのゲームでは、誰も崩せないような布陣を崩す手を考えた者が、その手に自分の名をつけることがよくあるんだよ。
ピノアちゃんの魔法がなければ、ぼくたちは全員ブライに殺されていた。
だから『ピノア・ザ・イリュージョン』は、あの魔法の名前としてはこれ以上ない名前だと思う」

魔王は大絶賛していた。

「アンフィス、君は人を否定することからではなく、まずは肯定することを覚えた方がいい。じゃないと、好きな女の子に嫌われるだけだよ」

魔王はピノアを絶賛するだけでなく、アンフィスに恋愛のアドバイスまでした。

「そんなことより、あんたなんで俺の名前を知ってるんだ?
確か俺が空から降りてくるとき、俺のことを、最初に自分が助けた俺か、レンジたちが助けた俺か、とか言ってたよな。
あれはどういう意味だ?」

「君がエウロペの惨劇の後の飛空艇に現れたから、未来のステラ・リヴァイアサンやピノアちゃんやレンジは、君を同じ時間同じ場所へ送ったんだろう?
最初に君を過去で大賢者から救い、大厄災を止め、あの時間のあの場所に送ったのが過去のぼくだった、それだけだよ」

「わかった。全く理解できないってことがな。
これ以上頭が痛くなるような話にしないでもらえるか?
じゃあ、次の質問だ。
あんた、魔王じゃないのか? レンジの親父なのか?」

「確かに一度魔王になったはずだったんだけどね……」

富嶽サトシ(ふがく さとし)は、息子の秋月レンジに動画を遺した後、確かに一度その心を失ったという。

動画の中のサトシは、すでにその見た目は人ではなかった。

肉体が常に混沌化を続け、肩に長い角が生えたかと思えば、角の先が割れ、手が飛び出した。先から手が生えた角は脱皮するようにして腕になったかと思えば、それが翼へと変化し、翼には無数の目が見開いた。
そして、翼自体が肩からぼとりと落ち、また別の混沌化を始める。
そんなことが彼の身体では繰り返されていた。

しかし、今ピノアとアンフィスの目の前にいる男は、どこからどう見ても人であった。

魔法で姿を変えているわけでもなく、混沌化が完全に治まっていた。

しかし、その身体はすべてダークマターに蝕まれていた。
それはピノアやアンフィスが見ている世界が、人や魔人よりも情報量の多いものであるからこそわかることだった。
調べる必要もなく、ふたりには見るだけでわかるのだ。

魔王は、エウロペの惨劇の際には確かに魔王であり、ピノアがレオナルド・カタルシスを発動させ、それが城下町だけでなく城にまで及ぶものだとわかったときもまた魔王であった。

秘術から逃れる前に、国王の身体にサトシが愛用していた大剣を突き立てたのも間違いなく魔王だったそうだ。

だが、その直後に彼はわずかに人の心を取り戻したのだという。

「王様が、友達だったから?」

「わからない。でも、そうかもしれない」

そして、そのわずかに取り戻した心はブライと共にゲルマーニへと向かう途中に次第に大きくなり、今は完全に人の心を取り戻している、とのことだった。


「魔王ってのが正直俺にはいまいちよくわからねーんだが……
エーテルと一体化して産まれてくる者を魔人と呼んだり、エーテルによって進化した動植物を魔物と呼んだりするみたいに、ダークマターによる混沌化によってカオスや人型のカオスを超えた混沌化の先にある存在、そういうことでいいのか?」

「そうだね。
ブライはぼくを魔王に仕立て上げ、この世界のすべてを混沌化させようとしていた。
そして、自分が混沌化した世界に王として君臨し、魔王はあくまでお飾りとして、ダークマターを管理させるシステムとして利用しようとしていたようだったけれど」

「レンジ宛のドーガってやつだと、もう元には戻れないって言ってたよね?
その身体の中のダークマターを浄化したら、どうなるの?」

「ぼくやレンジがいた世界に存在する放射性物質というものが、この世界にしか存在しないエーテルに取り憑いたことによって、ダークマターになったんだが……
ダークマターになることによって、放射性物質が元々持っていた毒が更に強力なものになり、混沌化という現象を産んだ。
混沌化は、ぼくは細胞のガン化の一種だと考えている」

「細胞? ガン化? 何それ」

「テラにはなくて、リバーステラにある病気に、ガンというものがあるんだ。
リバーステラの人は、ガンで死ぬか、ガンになる前に別の病気や事故で死ぬかのどちらかと言われるくらい、その身体は必ずガンになるように作られてる。
人だけじゃなく、命あるすべての者が、だけどね。

どちらの世界でも、人の身体は細胞と呼ばれるものが集まって出来ていて、細胞が分裂し数を増やしていくことで人の身体は成長をする。
分裂とは、細胞がふたつにわかれて、全く同じものを生み出すことだよ。
しかし、その細胞分裂は分裂可能な回数が決まっている。それだけでなく次第に全く同じものを生み出すことができなくなっていく。分裂することによってどんどん劣化していくんだ。
それが積み重なることで、成長は老化へと変わっていく。
やがて細胞は突然変異を起こすようになる。それがガン化というものだ。

ガン化した細胞は、本来与えられた役割とは異なる働きをし、人の身体に様々な不調をきたす。
それだけでなく、ガン細胞もまたさらに分裂し増殖し、別の場所に転移さえもする。
そして、やがて人を死に至らしめる。

ダークマターによる混沌化は、その細胞のガン化をさらに強力にしたものなのだと思う。
ぼくの身体は今、全身の細胞が混沌化している。
けれど、混沌化しながらも、すべての細胞が正常に機能している状態なんだと思う」

「それが魔王?」

「おそらくね。ガン細胞は、エネルギーさえ与え続けられば、永遠に生き続ける。
君たち魔人は不老長寿だが、魔王であるぼくは不老不死の身体を手に入れたといってもいいだろう。
今のぼくはダークマターを自由自在に操ることができる。
だから、これはもはやガン細胞というより、カオス細胞とでも言うべきものかもしれない」


アンフィスは、途中から疑問を抱きながら、サトシの話を聞いていた。

未来のステラは、大賢者を葬り、エウロペの新たな大賢者になっていた。
時の精霊の魔法が使えていた。
そして、彼女が葬ったはずの大賢者は時の彼方に逃げ隠れていただけだったとも言っていた。
そんなことが可能なのも、時の精霊が再び姿を現したからだ。

だから、時の精霊が姿をその身を隠している今このタイミングでは、たとえアンフィスとピノアが大賢者を倒したとしても、あの未来のステラたちには繋がらない。

何より、彼を助けてくれた13人の救厄の聖者たちの中に、目の前の魔王はいなかったのだ。



「それは良いことを聞いた」



大賢者の声が聞こえた。

その声は、魔王の口から発せられていた。

「事前に、この身体に仕込んでおいてよかったよ。私の魂の一部をね。
おかげでアカシックレコードに行かずにすんだ。
この身体に仕込んだ魂の一部が、私をこの世界につなぎとめてくれた」


魔王の身体が大賢者に乗っ取られたとき、アンフィスもピノアも、富嶽サトシの魂が心が、今度こそ完全に消滅したのがわかった。


          

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