RINNE -友だち削除-

雨野美哉(あめの みかな)

第13話 2013年10月10日、木曜日 ③

今日もぼくの隣の席の加藤麻衣は欠席だった。学校に来たり来なかったりっていう自由人だとあやは言っていたけれど、出席日数とか大丈夫なんだろうか。元不登校のひきこもりが他人のそんな心配をするのはおかしな話だなと我ながら思う。留年が確定していたぼくがそうじゃなくなったように、加藤麻衣もあとから世界を再構築するつもりなのかもしれない。
ぼくは棗弘幸の日本史の授業を受けていた。はずだった。
「自らをユダヤ人の王であると名乗り、また『神の子』あるいはメシアであると自称した罪により、イエス・キリストはユダヤの裁判にかけられた後、ローマ政府に引き渡され磔刑に処せられてしまいました。
その後、十字架からおろされ墓に埋葬されましたが、3日後に復活し、大勢の弟子たちの前に現れます。肉体をもった者として復活したと聖書の各所に記されています」
なぜか、棗は日本史とは関係のないイエス・キリストの話をしていた。イエスの話は世界史だろ? もっと言えば私立大学で学ぶ宗教学の分野じゃないのか?
しかし、クラスメイトたちは誰も疑問に思うことなく、彼が黒板にチョークで書くことをノートに書き写していた。
「その後イエスは数人の使者を連れてこの島国に渡った、とされています。日本人のユダヤ人始祖説ですね。
以前は日本人の始祖は氷河期にアジアから氷の上を歩いて渡ってきたという説が有力でしたが、現在は日本人のルーツはユダヤ人であるというのが、この世界の定説です。
イエスはこの島国でキリスト教にかわる新たな教えを使者たちに説いたとされています。それが千のコスモの会というこの国の原始宗教です」
その話にぼくは聞き覚えがあった。いや、読んだ覚えがあった。
昨日部室で読んだ真約聖書・偽史倭人伝に書かれていたことと同じだった。
ぼくは前の席に座るあやの肩をトントンと叩いた。
「どうしたの?」
振り返ったあやにぼくは、宇宙考古学研究部の顧問の教師は確か尋ねた。
案の定返ってきた答えは、この棗という教師だった。
棗はあやが尊敬する文久大学の佐野教授という人の教え子で、法学部の生徒ではあったが、佐野教授からサークルで宇宙考古学を学び、なおかつ「宇宙考古学の法学への応用」という論文を書き、佐野教授から100年にひとりの天才と認められた宇宙考古学者だという。
教師としてこの学校に赴任してきてからは、あやの父である理事長ではなく、この学校の卒業生の一番の出世頭である佐野教授直々に部の顧問をまかされているらしい。
授業で宇宙考古学を日本史として教えているということは、彼は自分が信じる宇宙考古学の通りに世界を再構築したというのだろうか。一体何のために? どうやって?
「棗弘幸教諭が適格者であり所持者であるなら、たとえば日本史の権威である大学教授であるとか、教科書を作っている出版社の人間、あるいは文科省の人間などに、これこそが正しい日本史だと思い込ませることによって、世界はそういうふうに再構築されたのかもしれません」
アリスが言った。
「加藤学様が今朝、隣国の共産主義の独裁国家を一夜にして、民主主義の自由の国家に再構築したように。ご主人様はまだクラスメイトにしかアリスの力を使ってはいらっしゃいませんが、世界の根底を支えるような人々にアリスの力を使うことで、世界は簡単にご主人様の望む形にいくらでも再構築できるのです」
アリスの言う通り、RINNEのメッセージはぼくたち所持者にとって、ただのメッセージではない。ぼくたちのメッセージは命令や指令といった形で送られた相手に機能する。一夜でぼくをクラスの人気者にし、一夜で転落させたように。
棗の気が触れているとしか思えない授業は続く。
「みなさんはロンギヌスの槍というものをご存知ですか?
イエスの処刑の際、処刑人のロンギヌスという男が手にしていた槍です。この男、白内障を患っていたのですが、イエスの返り血を目にあびて、白内障が治ったと言われています。
イエスの来日と共に日本にもたらされたもののひとつに、そのロンギヌスの槍があったと言われています。
ロンギヌスの槍は日本にもたらされ、この国の三種の神器のひとつである草薙の剣になったと。草薙の剣は熱田神宮の奥深くに神体として安置されています。
ロンギヌスの槍には、手にした者が世界をその手にできるという伝説があります。
太平洋戦争のときに、オカルト好きのアドルフ・ヒトラーが血眼になって探したっていう話ですが、まさか同盟国の日本にあったとは彼は思いもよらなかったでしょうね」
そう言い終えて、黒板を書き終えると、棗は体をぼくたち生徒に向けた。
異変はそのとき起きた。
「!?」
言葉にならない驚きの声を棗が上げ、ぼくは何事かと顔を上げた。
クラスの女子の中心的グループのメンバーたちが次々と教室から消えていく。
「あのときといっしょだ」
ぼくは思わず立ち上がり、そう口にしていた。
フラウ・ボウさんをアリスが「友だち削除」したときとまったく同じ現象が起こっていた。
「秋月くん、どうかしたの?」
あやがぼくに言った。目の前で人が次々と消えていっているというのに、彼女はそれに気づいていないようだった。
彼女の反応から、すでに存在が消されているのだということがわかった。
まだ完全に消えきっていない、今まさに消えていっているように見えるのは、そう見えるだけで、すでに存在はなかったことにされているのだ。お前はもう死んでいる、有名な漫画のあの状態に近いのだ。
次の瞬間、
「誰だ!? 誰があの子たちを友だち削除した!?」
ぼくは自分でも驚くような大声を張り上げていた。
加藤麻衣はいない。棗弘幸は驚いている。
ならば、たった今「友だち削除」を実行したのは、神田透、氷山昇、真鶴雅人、宮沢理佳、山汐凛、大和省吾の六人のうちの誰かのはずだ。加藤麻衣がどこか遠くから「友だち削除」を実行したかもしれないという考えはそのときのぼくにはなかった。
ぼくはひとりひとり顔色を伺った。
犯人はすぐにわかった。
教室の廊下側の席にいた山汐凛が目に涙をためて、小刻みに震えていた。
「山汐、お前か? どうしてこんなことを」
山汐凛は窓を開けると、窓枠に足をかけて廊下に飛び移り、逃げた。
「何が起きたか、先生はわかってるよな?」
ぼくは棗にそう言い、棗は小さくうなづいた。ぼくは彼女を追いかける。
ぼくたち1年生の教室は三階建ての校舎の三階にある。
山汐凛は屋上へ続く階段を上っていく。
「待てよ、山汐」
「来ないで! 来ないでよ!」
ぼくは階段を一段飛ばしで登った。
三年間部屋にひきこもっていたぼくには、廊下を全力で走ったり、階段を駆け上がったり、たかがそんなことですぐに息が切れてしまったけれど、屋上でぼくたちは対峙した。
「どうしてあんなことをした」
肩で息をしながら、ぼくはもう一度山汐凛に問う。
山汐凛は手に持った赤い携帯電話をぼくに向けた。
「あなただって持ってるんでしょう? これ」
その手がまだ震えている。
「わたしは力を手に入れたのよ。手に入れた力を使うことがそんなに悪いこと?」
あなただって不登校のひきこもりだったくせに、力を使って学校に来れるようになったんでしょう、と山汐凛は言った。
「そうだよ。けれど、『友だち削除』だけは絶対に使っちゃいけないものだってことくらいわかるだろう?」
友だち削除は、人の存在をこの世界の歴史から消す。ぼくたち所持者以外には誰の記憶にも残らない。殺すよりも残酷な行為だった。
「じゃあ、あなたがしてることは正しいの?」
山汐凛は言った。
「Sとかあやって言ったわよね、あなたの友だち。学校に来るためだけに、どこの誰かもわからないような人間を自分の友だちにして、ふたりの人生をめちゃくちゃにした。あなたは再構築したんじゃない。改変したのよ。改悪といってもいいわ」
それを言われるとぼくは何も言い返せない。ふたりに対してぼくは罪の意識をずっと感じていた。
「おまけにクラスの人気者になろうだなんて、ふざけるにもほどがあるわ。だからわたしがあなたをただの目立たない生徒にしてあげたの」
驚いた。ぼくを転落させたのは加藤麻衣ではなかったのだ。けれど、ぼくは言う。
「そのことについてはむしろ感謝したいくらいだ。アリスがちょっと張り切りすぎたせいで、どうしようか困っていたところだったからね」
「あなたの携帯電話、アリスって言うんだ?」
「お前のは?」
「わたしのは小島雪(こじまゆき)よ。ドジでのろまで使えない子」
「なぜあんなことをした」
ぼくはもう一度だけ訊ねる。
「あなたはよく知らないだろうから教えてあげるけれど、わたしが『友だち削除』したのは、内藤美嘉をはじめとするクラスの女子の中心的グループよ。
わたしもその中のひとりだった。けれど、いじめられてたのよ、わたし。もう何ヶ月も。
夏休みには売春を何度も強要されて、男たちからもらった何十万というお金を巻き上げられてた。心も体もぼろぼろだった。
そんなときに加藤さんがわたしにこれをくれた」
「加藤麻衣が?」
「わたしは世界を再構築して、いじめはなくなったわ。体も元通りにした。けれど、処女に戻ったはずなのに、わたしのお腹の中には赤ちゃんがいるの」
山汐の言葉をぼくは愕然として聞いていた。それじゃまるで、聖母マリアじゃないか、と思ったのだ。
聖母マリアはイエスを処女懐妊したと言われている。現実にはそんなことは不可能だ。しかし、今目の前にいる彼女は、世界の再構築によって、処女解任を成し遂げてしまった。
そのお腹の中にはイエスと同等の存在の赤ん坊がいるということか?
いや違う。今ぼくたちがいるこの世界ではイエスは古代宇宙飛行士なのだ。しかし、イエスが聖母マリアが処女懐妊して生まれたこどもだということには変わりない。
桃太郎は桃から生まれ、かぐや姫は竹から生まれた。桃太郎のその後は知らないが、かぐや姫は月に帰った。ならばかぐや姫は古代宇宙飛行士だ。古代宇宙飛行士は、桃や竹といった植物から生まれることもあれば、処女懐妊によって女体から生まれることもあるのだ。
だったら、今彼女のお腹の中にいるのは、現代の古代宇宙飛行士?
ぼくにはもうわけがわからなかった。だから考えないようにした。
「お腹の中の赤ちゃんだけじゃない、心も元に戻ってくれなかった。記憶も。ロリコンの気持ち悪い男たちに好き勝手体を弄ばれた記憶が、なかったことにしたはずなのに、わたしの頭の中でいつもリフレインするの」
そう言うと、山汐は屋上のフェンスに足をかけた。
「だから、わたし、自分を削除することにしたの。あの女たちを道連れにしてね」
「待て、山汐」
ぼくは必死に彼女に駆け寄った。
けれど、ぼくの差し出した手は空を切り、山汐は落下していった。
ぐしゃっという肉が裂け骨が砕けるいやな音がした。下の階から一斉に悲鳴があがった。
「アリス、救急車だ。救急車を呼んでくれ」
「無駄ですよ」
アリスは言った。
「もう死んでいます」
「いいから呼べよ!」
ぼくは怒鳴った。
「わかりました」
アリスは119番通報し、淡々とした口調で電話相手に救急車を要請した。
電話を切るとアリスは言った。
「残り47台です、ご主人様」
山汐の死を何とも思っていないその顔が怖かった。



          

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