青篝の短編集

青篝

言いたくて

年が明け、新しい学期を迎えて数日。
8時半が過ぎる頃に妹と一緒に家を出て、
まだ雪の残る道を2人で歩く。
街の中心部から離れたこの場所に、
この時間に行き交う人はもうおらず、
中学生の私達の足跡が残るだけ。
今さら走ったところで
間に合うワケもないので、
私達はゆっくりと歩くまま。
遅刻は確定的。
けれど、そんなことはどうでもいい。
『輪』から外れた私や妹にとって、
遅刻など対した問題ではないのだから。
私達が学校に到着した時には
もう授業が始まっており、
体育館の横を通ると、
中から騒がしい声が聞こえてくる。
その声がとても楽しそうで、
私は胸が苦しくなってしまう。
妹の手を引いて、逃げるように
早足になって体育館から離れた。

「おはようございま〜す。」

下駄箱で靴を履き替えると、
私達は自分の教室へは行かずに
保健室を目指した。
木製のドアを開けて挨拶をすると、
優しい顔をした先生が
こちらに気づいた。

「2人ともおはよう。
それから、明けましておめでとう。
お正月はゆっくりできた?」

「うん…まぁ、それなりに。」

「それは良かった。」

私と先生が言葉を交わす間、
妹は私の後ろに隠れて
ただじっとしていた。
人と話せないのは、
新年になっても相変わらずだった。

「明けましておめでとう。」

と、先生に言われても、
妹はそれを無視して
保健室の奥へと逃げていった。
イヤな事から逃げる癖は多分、
私に似てしまったのだろう。
私と先生は苦笑いを浮かべた。

「彼ももう勉強始めてるから、
あなたも早く行っておいで。」

先生に促されるように、
私も保健室の奥へと入る。
そこには、横に並んだ机が3つあり、
私は真ん中の机にカバンを下ろした。

「おはよう2人とも。
今日は遅かったみたいだけど、
寝坊でもしてたのか?」

並んだ机の一番奥。
私の左隣りから、彼は話しかけてきた。
彼は右手でペンをクルクルと回しながら、
嫌味ったらしく笑う。

「あんたじゃないんだから、
寝坊なんてしてないよーだ。」

私と彼でこんな風に言葉を交わしながら、
今日もまた3人で勉強を始めた。
───私達3人がこうして
一緒に勉強するようになったのは、
妹が小学校にあがってからだった。
妹は元から超がつく程の人見知りで、
家族以外と話をすることが
ほとんどなかった。
保育園ではいつも独りで、
話しかけても逃げるばかり。
保育園まではそれでも良かったのだが、
事態が悪くなったのは
小学校という環境だった。
他人のことに興味を持ちにくい園児とは違い、
小学生にもなると、
自分と違う存在を奇異の目で見てしまう。
それが如実に表面化した結果、
妹はイジメられるようになった。
だから、私は妹の手を引いて
保健室に一緒に逃げた。
その保健室の先客として、
私達は彼と出会ったのである。
彼は私とは同級生で、
妹と似たような経験をしたらしい。
あれから妹も成長して、
ある程度は他の人とも話すようになったが、
トラウマが簡単に消えるはずもなく、
今でも一緒に保健室に通っている。
そのおかげで私も、
面倒な交流を避けれているのだけど。

「みんな、そろそろ帰ろうか。」

一生懸命に勉強して、
気がつくともう放課後。
先生に言われて私達は頷いた。
帰り支度を済ませると、
彼はもういなくなっていた。
一緒に帰りたかったな……という、
決して小さくない気持ちを噛み殺して、
先生に別れの挨拶をしてから
私達はまだ雪の残る帰路についた。
そして、その途中で聞いた妹の言葉を、
私はすぐにでも忘れたかった。

「私、あいつのこと好きみたい…。」

思わず、立ち止まってしまった。
心臓がキツく縛られたように、
息が苦しくなる。
ここで私が自分の気持ちを言ってしまえば、
きっと私は楽になれる。
しかしそうすると、妹の気持ちは……。
やっとの思いで、妹は恋をしたはずだった。
自分は何も悪くないのに
見下され、蔑まれ、疎まれた。
その傷をようやく癒す存在として、
妹は彼を選んだのだとしたら。
それを私が邪魔してしまっては、
私は…姉でいられなくなる。

「そっか…頑張りなよ。」

そんなありきたりな言葉でしか、
私は答えられない。
恋する乙女のような妹の笑顔に
心を傷つけられながら、
私は私の気持ちにウソをついた。
妹が幸せでいてくれるのなら、
私がそれ以上望むものはない。
だけど、せめて。
叶わぬ恋だと分かっていても。
私の気持ちを届けたい。
たとえ、一方通行な恋だとしても。

「はい、これ。妹から。
今日バレンタインだからだってさ。」

それは、ある聖人が死んだ日。
好きな人へチョコを贈る日。
恋が実ったり玉砕する日。
私は彼に紙袋を手渡した。
中には、不揃いながらもかわいくできた、
妹特製のチョコクッキーが入っている。
恥ずかしがり屋な妹の代わりに、
彼がクッキーを食べる姿を見ながら、
私はスカートの裾をギュッと握っていた。

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