青篝の短編集

青篝

結婚の行く末

私の母は美人ではない。
むしろブサイクの部類に入る。
料理の腕はそこそこあるけど、
めんどくさいからと言って
あまり手の込んだ料理を作らない。
野菜炒めとか焼きそばとか、
私でも作れるものばかりだ。
美味しいから別にいいけど。
掃除も洗濯もいつも雑で、
靴下はよく行方不明になるし、
広告チラシが床やテーブルに散乱している。
家族みんなの分をしてくれているから
文句なんてとても言えないけど、
父のパンツを私の服の上に
乗せるのだけはやめてほしい。
ただ、母はとても明るい。
いつでも前向きで、愚痴なんて吐かない。
交友関係も広く、50を過ぎた今でも
よく友達と出かけている。
そして、私の父は無口だ。
仕事から帰ってきた父に
おかえりと言っても、
ただいまと返ってきたことはない。
おはようも、いただきますも、
基本的に挨拶はしない。
それだけではない。
家族の誰かが誕生日の時は、
当日には何も言わないくせに、
次の日の朝にはその人の枕元に
何かしらのプレゼントを置いておくのだ。
母によると、父は若い時から無口で、
感情も表に出さないし、
とにかく不器用なのだという。
そのせいもあるのか、
友達もろくにいないらしい。
そんな父の職業は税理士だ。
人と会話をしないことには
仕事にならなそうな職業だけど、
界隈ではそれなりに名前が通っている
凄腕税理士なんだって。
一体、仕事先の父って、
どんな感じなのだろう……。

「───えぇっ!私がっ!?
いや、特に予定はないし、
ありがたい話だけど、急にはどうにも……。
うん…私、そういうの苦手だから……。」

ある土曜日の昼下がり。
母は電話で誰かと話していたのだが、
とても驚いているようだった。
なんだろうと、私が気になっていると、
そこに父がやってきた。
手には、空っぽになったシャンプーボトル。
察するに、シャンプーがなくなっているから
替えてくれとの催促だ。
別に夜になってからでも遅くないだろうが、
父は早めに対処したい派だった。

「あっ!そうだ!ねぇねぇ、結美ゆみちゃん。
それさ、ウチの旦那でもいい?
結美ちゃんも知ってるでしょ?
そう……あの無愛想な……。うん。
旦那の方が私なんかよりずっと上手よっ。」

その一連の会話から想像するに、
『結美ちゃん』なる人物が、
何かの役回りを母に頼んだが母がそれを断り、
それを父にやらせようとしている……。
ということか。
結美ちゃんとは、おそらく母の友達だろう。
何かはよく分からないが、
面倒なことでないことを祈ろう。

「うん…うん……。分かった。
じゃあ、旦那には言っとくから。
それじゃあ、また明日ね。」

ルンルン気分で電話を切ったかと思えば、
次は行きつけの美容院に電話。
予約を入れると、やっと父の方を見た。
その間、父はずっとシャンプーボトルを
手にしたまま立ちっぱなしだった。
これだけ待たされたのに
何も言わないなんて、さすが父である。

「あっ、秀秋ひであきさん。いいところに。
私の友達の結美ちゃんって覚えてるでしょ?
その結美ちゃんの娘の美雪みゆきちゃんがね、
明日披露宴するんですって。
それで、友達代表で私にスピーチをって
頼まれたんだけど、
ほら、私ってそういうの苦手じゃない?
だから、代わりにお願いすることにしたの。
結美ちゃんにはもう言ってあるから。
じゃあ、私はこれから明日のために
色々と準備しなきゃだから、あとはお願いね。」

まさに、マシンガンのような勢いで
母は父に一方的に告げた。

「披露宴は明日の14時からだから、
秀秋さんも覚えておいてね。」

そして、父が何の返答もしないままに、
母は着替えて家を出ていった。
さすがに父が可哀想に思えたのだが、
父は文句一つ零すことなく、
テクテクと書斎へと歩く。

「お父さん、私がそれやっとくよ。」

私は慌て気味に父を呼びとめる。
それ、というのは、シャンプーボトルのことだ。
父がそれを持ったまま
書斎に向かっていたので、
さすがにいたたまれなくなったのだ。

「…あぁ……頼む。」

ボトルを私に渡すと、
父は今度こそ書斎に入る。

「なんで、結婚したんだろう……。」

私はそんな独り言を言いながら、
シャンプーの詰め替えパックがある
洗面所に向かった。
どうしてあんなに、
穏やかな顔でいられるんだろう……。
などと、心の中で思う。
───そして迎えた次の日。
私たち家族は式場にいた。
綺麗にドレスを着飾った花嫁と、
緊張で固くなっている花婿。
着々と式が進み、その時がやってきた。

「…えぇー……ご紹介にあずかりました、
中村秀秋と申します……。
新婦の美雪様のお母様の友人、
中村沙織さおりの夫でございます。
この度は誠に僭越せんえつながら、
私が友人代表のスピーチを
務めさせて頂きたいと思います。
……と言っても、新郎新婦と私には
何の繋がりもありませんので、
当たり障りのない、陳腐なものになりますが。」

ここで少し、笑いが起きた。
父も、本当に少しだけ笑みを浮かべた。

「では皆様、私のすぐ横にいる、
私の妻をご覧ください。
どうですか、醜いでしょう。
人様の晴れ舞台だというのに、
贅肉にまみれた古臭い人形のようです。
結婚した時こそ綺麗だったのですが、
今はもう見る影もありません。
料理をさせても掃除をさせても
何もかも中途半端な腕前で、
性格の明るさだけが取り柄の女です。」

会場の雰囲気が明るくなる。
父の横で、母が顔を真っ赤に染めていた。
恥ずかしさが2割、
怒りが8割といったところだろうか。
そして父は一度、母を見る。
ホンの少しの間をおいて、
父は静かに、はっきりと言った。

「そんな女ですが……。
私は妻と結婚できたこと、光栄に思います。
どれだけ醜くなろうと、
手を繋いで桜並木を歩きます。
同じ夜空の星々を見上げます。
娘と息子が巣立っていくのを、
2人で見送ります。
それが、結婚というものだと、
私はそう思っています。
……新郎の翔平様。
きっと、家では肩身の狭い思いを
することになるでしょうが、
文句一つ言うことなく、
家族を守ってあげてください。
新婦の美雪様。
あまり、夫を尻に敷いてはいけませんよ。
世の中は我慢できる男ばかりでは
ありませんから。
…最後になりますが、
新郎新婦のお二方。
此度のご結婚、本当におめでとうございます。
あなた方の行く末が、
幸せに満ちたものでありますように、
ささやかながら、祈っております。
……少々長くなりましたが、
以上で、私からの挨拶とさせて頂きます。」

父が頭を下げると、
会場が大きな拍手で包まれた。
少し照れた顔で父が席に座ると、
母の手が父の手に伸びる。
その手にまた手を重ねて、
父と母は笑顔を浮かべていた。

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