青篝の短編集

青篝

名所

潮風が吹き、髪の毛がなびく。
夜の街は綺麗に灯りが咲き乱れ、
僕をライトアップしてくれてるみたいだ。
夏の暑苦しさと葛藤も、
潮風による肌のベタつきさえ、
今この時間だけは忘れられる。
僕の人生にとって最高の一瞬だ。
海が見えるこのマンションに決めて、
本当に良かったと心から思う。
紹介してくれた友達には
今度何か奢ってあげよう。
何がいいかな。
食べ物がいいか、
それとも形に残る物か。
何にせよ、それが僕にとっての
最後の贈り物になるだろうな。
いや、もう僕にそんな暇はなかったか。

「この味とも、お別れか…」

初めてあの感情を抱いてから、半年。
僕は故郷の名物である、
里いもを使ったお饅頭を
10個も袋に入れて、
ゆっくりと食べながら
街の灯りの向こうの暗い海を眺めていた。
一つ一つ手作りのお饅頭は、
パサパサしないし
ボロボロ落ちたりしないから
小さい頃からよく食べていた。
僕の好物である。
里いもの優しい風味を
最大限に活かしており、
美味しいだけでなく、何より安い。
一つたったの70円で、
10個買っても千円払えばお釣りがくる。

「はぁ…」

その魅力に溢れるお饅頭をまた齧り、
僕は遠くの海を見る。
僕と同じ目的でここに来る人は
年間で400を優に超え、
過去に僕の友達も来ていた。
正真正銘の名所である。
僕の友達がここに来た頃は、
まさか自分も来るとは
思いもしなかったけど、
友達がここを選んだ理由が
今の僕には悲しい程に分かってしまう。
だけど、一つだけ分からない。

「女神なんて、いないだろ……」

ここに来た者が必ず見るという、女神。
女神は時に優しい言葉を、
時には厳しい言葉をかけてくれる。
そんな妙な噂がここにはある。
美人だったとか普通だったとか、
自分より大きかったとか
子どものように小さかったとか。
見た目は定まっておらず、
帰ってくる人もいないので
その真意を確かめることは出来ない。
もし仮に僕が今見たとしても、
僕が帰ることはないから
永久に答えは闇の中だ。

「はぁ…」

また、ため息を一つ。
気づけばお饅頭も食べ終えてしまい、
お饅頭を入れていた紙袋も
風に飛ばされてどこかへ消えた。
残されたのは、僕だけ。
ここに来てから既に
2時間は経過しているだろうか。
そろそろ、来る頃合いだ。
そう思った時、やはり来た。

「そこの君!その場に座りなさい!」

懐中電灯を手に持った男の人が
『立入禁止』の柵を越えて
3人もやって来た。
こんな時間にもご苦労な事だけど、
そんな事は僕には関係ない。
どうせ、もう消える命なんだから。

「座りなさい!」

もう一度、彼は言った。
暗い闇の中で彼らの顔は
僕には全く見えてないけど、
懐中電灯を向ける彼らには
僕の顔が見えているはずだ。
疲れ、寂しい、僕の憐れな顔が。
闇の中の彼らを一瞥して、
僕は視線を彼らの反対の方へ、
海の方へと向けた。
潮風で錆び付いた手すりに身を預け、
僕は目を閉じた。

「いきなさい!」

男の人の低い声。
木々が揺れる木の葉の音。
押し寄せる波の静かな音。
冷たい潮風が肌を撫で、
潮の香りが鼻腔を包む。
やがて、ギシギシと手すりが
軋む音が鼓膜を刺激して、
僕は最後を感じた。

「ダメだ!」

軽く地面を蹴って、
僕の体は手すりを乗り越える。
頭から落ちていく体は、
速度をドンドン上げていく。
風を切るこの感覚、不思議だ。
目前には『死』しかないというのに、
何の恐怖も後悔も感じない。
――その時だった。
僕が女神と出会ったのは。
いつしか僕の体は停止して、
空中で逆さまになっている。
眼球も口も動かせない。
風も波も止まり、
肌で気温も感じない。
しかし、僕の前に現れた女神の
暖かな温もりは心に届いているし、
優しい微笑みに安堵さえ覚えている。

「次は、強く生きなさいね」

たったそれだけだった。
女神が僕に語ったのは。
再び時は流れ始め、
呆気に取られたまま
僕の体は地面に叩きつけられる。
――即死出来なかった。
痛い、がその感覚も鈍い。
すぐに意識が遠くなり、
僕は摂理のように目を閉じる。
もし、生まれ変わったら、
次は自分らしく生きてみよう。
こんな自殺の名所なんか
知る訳もないような、
真っ当な人生を送ろう。
…それでも、またここに来たなら、
その時は女神様は怒るだろうか。
来世の僕を、許し

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