元天才選手の俺が同級生の女子野球部のコーチに!
VS美凪高校④!
ここまでスライダーもストレートも、相手のピッチャーは氷に対して有効なボールが見い出せずにいるような感じがする。
投げれば投げるほど、キャッチャーの赤羽さんもサインを出すスピードが遅くなっているのが分かる。
サインを出すスピードなんて気にしないと思うが、俺はそういった所まで全て見ている。
キャッチャーの考えていることを読めれば、球種を読むことにも繋がる。
そんなことが出来る人なんてそうはいないし、実際に打席に入ってキャッチャーがサインを出すのが遅いとか、キャッチャーが何を考えているかなんて読む必要はない。
逆にバッターはヒットを打つこと以外に考えてることなんてほぼ無い。
打席に入って考えることはどんなボールが来るか、このカウントならスイングしない方がいいとか、自分自身との対決でもある。
投手と打者の勝負でもあるが、試合となると攻撃側にはランナーがいたり、投手側には守備がいたりとお互いに100%集中することは出来ない。
だから自分がこれまでやってきたことを打席の中でどれだけやれるかが勝負の鍵になる。
だからこそバッターは3割打てれば一流と呼ばれる。
ピッチャーはマウンドの状況が違うことはあれども、マウンドからホームの18.44mの距離が短くなったり長くなったりはしない。
バッターがプロだろうが素人だろうが、自分が投げるボールが急によくなったり悪くなったりはしない。
体調の良し悪しで100%から70%くらいのピッチングにはなるが、比較的自分のペースで投げることが出来る。
逆にバッターは不利になる場面が多い。
いつものモーションよりもクイック気味で投げてくることもあれば、構えてからすぐに投げてきたり、セットポジションに入ってからかなり長めに間を取られることもある。
それでも簡単なルールがあって、技術が高ければ高いほどその簡単なルール通りに打つことが出来る。
カキィィーン!!
初球の高めのストレートを完璧に弾き返して、打球なあっという間にセンターに到達した。
桔梗が1番その基本的なルール通りに乗っ取って打っている。
今センター前にヒットを打った氷もかなりそのルールに忠実なバッターだ。
その1番簡単なルールとはストライクゾーンのボールを打つこと。
ストライクゾーンはバッターが打てる範囲のことを指す。
ピッチャーは相手の打てるコースと、打てないボール球を駆使して抑える。
ピッチャーが抑えるにはストライクを3つ取るか、打ち損じさせてアウトを取るかの2つしかない。
なら打者がやるべき事はボール球を見逃して、ストライクゾーンのボールを打つという至って単純なことなのだ。
そんな簡単なことを簡単にやるのが難しいから野球は面白く、その簡単なルール通りに打つために何年、何十年とバットを振り続けないといけない。
桔梗は抜群の選球眼を持っていて、徹底的にボール球を振らないことで、ピッチャーにストライクを投げざるを得ない場面を作ることが得意だ。
氷も驚異的な動体視力と、数ミリを微調整出来るバットコントロールを持っているからヒットを量産できる。
それでも二人とも公式戦では打率は4割くらいで、6割は打ち損じている。
俺はここまで出来るようになった努力を買っている。
天見監督もこの2人に関しては、能力も努力も認めているからノーサインで打たせているんだろう。
俺がこれを選手たちに説明したときに、当たり前だよねという顔をされたことを思い出していた。
その当たり前と思っていることを、出来ている選手はほとんど居なかったのだが。
今日タイミングが合っている円城寺にもサインを出さない。
円城寺はパワーヒッターでありながら、
元々バントが上手かった。
ここでバントをさせて、成功すればワンアウト二塁で七瀬、夏実に打席が回っていく。
桔梗、月成を連続で代打に出せば1点くらいは入る可能性はある。
それでも俺の元々やりかったことは、いつもは試合に出ていない選手たちで試合に勝つことだ。
例えば桔梗がホームランを打って、次の回に抑えとして梨花を登板させて勝つことは俺のやりたかったことではない。
これで負けたとしても俺は構わないし、文句を言われる覚悟もある。
桔梗や月成に文句を言われても仕方ないが、波風との試合後のミーティングで、俺の事を疑問視した選手たちはこの試合には出している。
勝つために緻密なサインを出さなかったと責められるかもしれないけど、試合に出ながらただ打席に入っていた選手も同罪だと俺は思っている。
だからこそ、敢えてここはサインを出さない。
選手たちがもう残り少ない攻撃で、どう一点を取るかを見届けないといけない。
円城寺は打席の中で迷いがあるように見えた。
ここまでスライダーを完璧に捉えながらも、凡打に倒れている。
これまでと同じくスライダーを狙っていくか、元々得意なストレートに狙いを変えるか。
ホームランを打てるパワーも素質もある円城寺が、ここでチームバッティングをするのか、自分で試合を決めに行くのか。
円城寺の選択は…。
カキィィーン!
俺の最初に出したサイン通り、変わらずにスライダーをきっちりと狙い打った。
3打席とも全てアウトコースのスライダーを無理に引っ張らずに、素直に弾き返した打球は二遊間を破ってセンターヒットになりそうだった。
だが、今日の円城寺のバッティングを踏まえていたのか、サードとショートがセンター寄りに守っていた。
センターに抜けそうな当たりをどうにかショートがグラブの先っぽでキャッチ。
氷もセンターに抜けると思っていたのか、少しだけ三塁へ向かっていたが、懸命に走って二塁へスライディング。
「アウト!!」
ショートも捕るのがやっとで、二塁にトスした送球がやや逸れていたが、セカンドはアウトになってしまった。
いくら足が遅い円城寺でも、美凪の二遊間は二塁でアウトを取るのに必死でゲッツーは免れた。
代走も一瞬考えたが、残っている選手で足が速い選手は梨花か、そこそこ速いレベルの月成しかいなかった。
この2人を代走で使う訳にも行かず、今日まだ試合に出ていない青島でもよかったが、青島はあまり足が速い訳でもなかったし、走塁面ではあまり期待できない。
悩んだ末に円城寺に代走を出さないことにした。
今日同点打を打った七瀬がバッターボックスへ。
さっきもあまり期待せずに七瀬のバッティングを見ていたので、今回も期待せずに七瀬の打席を眺めていた。
ワンアウト1塁でバントを成功させて、ツーアウト2塁にしたとしても、円城寺の足では多分ヒット1本では返ってこれないだろう。
それなら今日長打を打っている七瀬、夏実の打撃に期待する。
流石はここまでスライダーだけで抑えてきた投手だ。
七瀬がスライダーを狙っていても、簡単には打てない厳しいコースにスライダーに投げ込んできた。
ストライクゾーンだったが、七瀬は手が出ずにカウント1ー2と追い込まれてしまう。
ゲッツーを狙うならカットボール、カーブも考えられる。
七瀬が何を考えているか分からないが、シフト的にはゲッツーシフトで、うちの打線がセンター返しを心がけたバッティングを繰り返している。
センター方向の打球が今日あまりに多いので、セカンドショートがどちらもセカンドベース寄りに守っている。
バッテリーはゲッツーを打たせるためにカットボールを選択してきた。
スライダーを待っていた七瀬はタイミングを外されながらも、ストレートよりも遅いカットボールだったのでバットの先に当てることが出来た。
飛んだ場所が良かったのか、ファーストの横を抜けて、そこまで強くない打球が一塁線を転がっている。
「走れ走れー!」
円城寺は二塁を蹴って三塁まで悠々と進んでいる。
七瀬もライトの動きがあまり良くないのを見て一気に二塁を狙っていく。
相手の隙を突いた走塁でワンアウト2.3塁のチャンスを作った。
「月成ー。タイムかけるから夏実のところに行って、打つ自信があるか聞いてきて。もしなさそうならそのまま月成を代打で使う。」
「う、うん!行ってくるね。」
監督がタイムをかけて、月成が伝令として夏実の所へ向かって行った。
月成は基本的には平和主義というか、事勿れ主義というか、争いが起こるとタジタジになるタイプだ。
「ツッキー、東奈くんはなんて?」
「うぅんとね、打てる自信があるか聞いてこいだって。」
「打つ自信はあるけど…。それだけ?」
「うーんと…。自信がなかったらそのままボクが代打で出ろって言ってたけど、夏実が自信あるなら問題ないね!」
「う、うん。……ちょっと待って。」
「え?どうしたの?」
「…………ツッキーは代打で出てどれくらいの確率で打てる?」
「うーん。5割くらいは打てるかも。ヒットにならなくても打点をあげるバッティングならどうにかなると思う。」
「ふう…。ならツッキーに代わるね。ベンチに戻ったら代打出してくれって言ってたって伝えて!」
「け、けど。」
「気にしないで?今日は譲るけど、次は譲らないからね!」
月成が急いでベンチに戻ってきて、夏実も駆け足で少し遅れて戻ってきた。
「ひ、東奈くん!ボクが夏実に代わって打つけど、いいよね!?」
「あ、あぁ。そういう話になったなら月成を代打に出すよ。」
月成は急いでヘルメットを被り、右手に白のバッティンググラブを着けながら、愛用の黄色のバットを脇に挟さんで打席に向かって行った。
夏実に話を聞こうと思って呼ぼうとしたが、自ら俺の元へやってきた。
「なんで代ったん?」
「キャプテンとしても…私自身としてもこの試合で負けたくなくて…。」
夏実は多分月成がチャンスに強く、1年生の中でも結果を残していることを分かっているだろう。
打つ自信がないわけではないけど、この膠着状態を打開できる確率が高いのが、自分ではなく月成だと判断したかもしれない。
夏実からは後悔と悔しさの雰囲気が痛いほど俺に突き刺さってくる。
俺が月成を夏実のところに送らずに、そのまま代打に出せばこんなことにはなかったかもしれない。
いじめる為にやった訳ではなかった。
それでも結果的に夏実に精神的ダメージを負ってしまった。
夏実に対してはどうしても優しくしてしまう所がある。
なにか声を掛けてあげようとしたその時。
「慰めなくてもいい!ワガママで打席に立ちたかったら代打を拒否した。今日は譲ったとしても…。必ず次は私が打つ。」
「そっか。ならもっと練習して上手くなろうな。」
「はい!頑張りますっ!」
夏実から溢れ出ていた負の感情はいつの間にか大分消えていた。
無理やり気持ちを押し殺したのか、気持ちを一瞬で切り替えたかは分からなかった。
「ツッキー!!絶対打てえぇ!!」
「そうだそうだ!レギュラーの意地見せてみろー!」
代打を出された夏実が率先的に声を出すことで、気を使っていたベンチの選手も声を出さざるを得ない。
この試合1番の声援が月成に送られた。
さっきまではオドオドしていて、バタバタと打席に向かっていた月成だったが、夏実と話している間にいつもの月成ではなくなっていた。
月成の打席での別人のようになる現象は俺が一番最初に気づいた。
監督も試合で使っていくうちに気づいて、今では桔梗やかのんでも変だなくらいには気づいているみたいだ。
いつもはボクっ子でカッコイイ女性を目指している可愛らしいところもあるし、俺のことをプレイヤーとして尊敬してくれていた。
そんな少し変わったところがある月成だが、チャンスの場面やターニングポイントになりそうな打席になると急に人が変わったような雰囲気になる。
俺は人の雰囲気を感じ取ることが出来て、それを武器に野球も日常生活も送っている。
そんな俺でも、今の月成の雰囲気はあまりにも異質に感じていた。
夏実から打席を奪う形になって、しかも一打出れば決勝点になる可能性の高い場面。
そんなプレッシャーのかかる場面のせいなのか、なんでそうなっているかは俺には全くわからなかった。
前も聞こうと思って邪魔が入って聞けなかった。
それから聞こうとしなかったのかと言われれば、俺は聞くのを止めることにした。
人には踏み込んでいいラインが必ずある。
月成はあの時答えてくれそうだったが、それでも聞けなかったということは俺にチャンスを与えてくれたような気がしたからだ。
月成はこの状態になると、本能的になるのか自分が狙っているボール以外に全く反応しなくなる。
スイングスピードが速いわけでもなく、パワーがあるような体型もしていない。
パッと見だとバットコントロールが良さそうなタイプにしか見えない。
そこまで特徴のなさそうな打者が、打席の中であまり動かずに硬い表情だと緊張しているように見えてくる。
ブンっ!
アウトコースのボール球のストレートを空振り。
硬い表情のまま俺のサインを確認している。
「ツッキー落ち着いていこう!」
「大丈夫だよ!肩の力を抜いてー!」
選手たちからは力んでいるように見えているみたいだが、雰囲気は相変わらずで、緊張感は一切感じられない。
ノーボールワンストライクから、外角ギリギリを狙ってくるスライダーをバッテリーは選んできた。
「…まい。」
打つ瞬間に誰にも聞こえないような声で呟いていた。
最初からその球を狙い打ちしていたかのような、アウトコースのスライダーに踏み込んで、サードの頭を越す鋭いライナーを放った。
サードは懸命にジャンプするが後30cmくらい届かず、打球はギリギリフェアゾーンでワンバウンドした。
「やったあぁぁ!!!」
「ナイスバッティング!!」
楽々と二塁に到達して、ベンチに向かって恥ずかしそうに両手で小さくガッツポーズをしていた。
セカンド上の月成はいつのまにかいつもの月成に戻ってた。
6回裏にこの試合初めて勝ち越すことに成功した。
4-2。
この二点はかなり大きかった。
この月成の勝ち越しの二点タイムリーツーベースが決勝点となった。
結局美咲は最後の最後までマウンドに立ち続けていた。
最終回にランナー2人を出しながらも、粘り強いピッチングで最後まで投げきった。
美咲は高校に入って初めて7回を投げきり、公式戦初勝利と初完投を手にした。
1年生大会3回戦。
久留米美凪高校 2-4 白星高校
色んな課題は残りつつも、3回戦を突破することが出来た。
平日を挟んで次の土曜日に、準々決勝がすぐに待ち構えていた。
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