長い間透明であった旋風のような歌声

円窓般若桜

カオスの縁

Ⅹ カオスの縁


「まず最初に混沌(カオス)が生じた。それに続いて胸はば広き大地(ガイア)が生まれた。そして大地(ガイア)が最初に生み出したものが己の身と同じ広さの、星々きらめく天(ウラノス)であった」
ニュージーランド、テカポにあった善き羊飼いの教会にはヘシオドスの書物が収められていた。
人命から建材まであらゆるものを食い尽くした中にその書物はあって、創世の一説をケルビムはとても気に入った。
「この世界はおかしい。母を神と崇めぬとは。我れの捕食を拒むとは。作り直しだ。まず、我れがカオスとなろう」
たった独りきりの星空に向かって、聞かせる相手もいないのにケルビムは声に出して宣誓した。星の輝きの奥に映る母、マザーランドへの宣誓だった。

ケルビムの翼はどこまでも飛行を可能にした。
一晩中眺めた満開の星空が朝陽に溶かされてすぐに彼は飛翔を始め、わずか6時間の飛行でアメリカ合衆国アリゾナ州フェニックスに降り立った。北部にあるブラックマウンテンからウランを採掘し摂食するためだった。
北部に移動する前に、ちょうど試合のため本拠地に集結していたアメリカンフットボールチーム、アリゾナ・カージナルスの選手をケルビムは捕食した。6時間の飛行でエネルギーを消耗したからその補給のため、つまりガソリンスタンド感覚で練習場に立ち寄り、屈強な白色黒色男性を次々と捕食した。
人類の中では最上位の肉体と運動神経を有した選手達は突然の襲来に一切合切何も対応できず、ただケルビムの求めるままに捕食された。カージナルレッドのユニフォームが、彼らの血で更に深紅に染まり練習場の芝生にメープルの葉の様に点在していた。
エネルギーの補給を終えたケルビムは、目的の北部に向かって翼を広げた。
ニュージーランドからアメリカ合衆国までのおよそ12000㎞に比べて、フェニックスからブラックマウンテンまではおよそ300㎞と、海を渡る長い飛行の後ではひどく近所に感じられた。

ブラックマウンテンにはホピ族というアメリカ先住民インディアンの末裔が暮らしていた。
彼らは土地に降り立ったケルビムを認めるやすぐに平伏し、
「神様・・」
と彼に向かって祈りを捧げた。
「貴様らは識者だな」
虐げられ土地を追われ、放射能物質の眠る土地でしか居住を許されない民族をケルビムはそう褒め称えた。食っても栄養になりそうになかったから、世界を作り直す働き手にしようと考えた。
ホピ族の生活の中心はトウモロコシに依った。トウモロコシの作付け、収穫に合わせて宗教儀式が執り行われ、「カチーナ」と呼ばれる精霊に扮したインディアンが身を供物に変え作物の神に祈りと感謝を捧げていた。
「皆、かくあるべきだ」
ちょうど収穫を感謝する儀式の時節に降り立ったケルビムは、儀式を観覧してそう評価した。
「貴方は、天界の居住施設から参られたのですか?」
ホピ族の一人にそう話しかけられたケルビムは、惜しげも無く、
「その通りだ」
と答えた。ヘシオドスによると天界とは神が住まう土地で、母のあるところがそれだと疑うことなく信じられた。
話しかけてきたホピ族の眼には、畏怖と尊敬が最適な割合で調合されていた。見ていて気分の良い混濁だとケルビムは感じた。
「それでは、貴方は青い星のカチーナですか?」
代表して質問するホピ族の一人を取り囲むホピ族達も皆、同じ混濁を眼に宿していた。抉(えぐ)り出して食ってみたいとケルビムは思ったが、質問の意味とそれになぜか込められた期待の意図を知りたいと思い留まった。
「青い星のカチーナとは何だ?」
オーやアーという落胆の声が取り囲むホピ族から挙がった。ホピ族の代表は言った。
「第五の時代の到来です。現代は第四の時代。第一はあらゆる火山の噴火で火の海となって滅亡した。第二の時代は地軸が傾いて氷河期となって滅亡した。第三の時代、アトランティスの時代は大洪水が起こって滅亡した。今は第四の時代、富と物質が支配する時代です。悲しい事にそれは格差を生じている。同じ人間に格差を。豪勢な飽食のすぐ隣では、飢えた子供が自分のあばら骨を食べています。そのような世界は浄化されなければならない。火の海も氷河期も大洪水も、すべては星の浄化です。それを齎(もたら)すものが、青いカチーナ。もう一度聞きます。貴方は、青いカチーナですか?」
「我れは違う。だが、それは我れの母だ」
地球を浄化するもの、それは母、マザーランドをおいて他にいるはずも無く、母を神と崇めるものの無い世界は浄化されなければいけないとケルビムは断言した。オーやアーという感嘆の声が取り囲むホピ族から挙がった。
「ああ、やはり。青い星のカチーナの息子よ、どうか我らの命をお使役ください」
ホピ族の代表はそう言ってケルビムに深く平伏し、命を差し出す懇願をした。取り囲むホピ族達も全員がそれに倣(なら)った。
「貴様らは滅亡が嬉しいのか?」
「我々は取り残されました」
ホピ族の代表の眼に貧困が揺らいだ。行く当てのない憎しみは大変動(カタストロフ)を望むのかとケルビムは考えた。
「よかろう」
そう答えたケルビムは、ホピ族にウランの採掘を命令した。自分で行った方が早かったけれど、人間を使役してみたい欲求が彼にそうさせた。
「大地の内臓を」「抉るのか」「終末はすぐそこだ」「第五の時代だ」「今度は取り残されるな」
ホピ族の間からそんな囁き声がひそひそと起こった。
「青い星のカチーナに、お目通りは可能ですか?」
「能(あた)う。貴様らの献身が天界に届けばな」
ホピ族の代表の言葉に、ケルビムは断然とそう答えて、人間を使役した事実を、上の兄姉が成し得ていない成果を母に報告しようと、南に向けて翼を広げた。
グランドキャニオンと呼ばれる世界有数の渓谷の空を自由に飛ぶケルビムの姿を、ホピ族達はまさしく神の使い、天使だと見て取った。

マザーランドはまた出産をした。女児だった。ケルビムを生んで大きく個体サイズを落としたマザーランドだったが、今回は出産後も外見には大きな変化は見られなかった。
女児は、「蜺(ゲイ)」と名付けられた。「虹(にじ)の雌(めす)」という意味の漢語だった。
(まずいな。パワーが大きく減じている。何かいい(、、)もの(、、)を食わせなければ)
そうヒライスが案じていた時だった。聖堂の天井を突き抜けた空の遥か遥か上の彼方から、懐かしくも極大なエネルギーの反応をヒライスは感じ取った。
(これだ。これを食わせなければ)
理屈は分からないけれど、直感的にヒライスはそう思った。
「母上、感じたか」
「ええ、ヒライス。感じました。懐かしくも、暖かい、私を促進したエネルギー。ねえヒライス、母はもう一度あれが食べたいな」
子のためなら自己犠牲を微塵とも厭わない母の珍しいおねだりに、聖堂から外に出たヒライスは空を見上げ、どうすればそこ(、、)に届くのかを考えた。
南極の空は相変わらず澄み切って、手を伸ばすだけで届くのじゃないかと錯覚させる青さだった。
一国の軍小隊を難なく退けたマザーランドの強さは遺伝子の組み換え技能にあった。
決して(、、、)巡り合う(、、、、)事(、)の(、)無かった(、、、、)イーシャの火との交配で獲得した能力は、摂食したものの遺伝子を自由自在に分解して組み替えて思いのままに再結合する事ができた。サイズ、靭性、装甲、触覚、硬質化、軟体化、翼化、角化、爪化、膜化、不凍、南極生物の持っていた様々な特色は上手に組み合わせるとほとんど無限の無敵な力になった。けれど、
(南極だけでは宇宙には届かない)
ヒライスはそう評定した。

最初に食べたフランス人学者の知識にあったロケットという技術をヒライスは最初に考察した。
マザーランド達は無生物も摂食はできるが、それらは遺伝子を持たないためその特色や性質を組み合わせたりはできなかった。摂り込んでただ溶融して取り出せるエネルギーを取り出して補給し使える素材を変形して構築物として利用するほかは排泄するしかなく、自身をロケット化するのはもちろん体内に取り込んだロケットで宇宙へ飛び出す行為は失敗するイメージしか浮かばなかった。
そもそも辿り着いたとして、あれほど強大なエネルギーを奪取し持ち帰る余力が多段式ロケットに残るとは到底思えなかった。
策に困り聖堂の中をふと見上げると、そこには樹木の様な柱が母の住まう聖堂を支えていた。建物としては歪(いびつ)なはずの捻じ曲がった柱達は、よくよく見るととても自然な形に見えた。
(ああ、これだ。アントニオ・ガウディか。本当にただの人間か?)
柱はどこまで延長しても折れることなく、星にまで届きそうなほど自然だった。
(宇宙までも届くな。しかも根はここだ。補給は母に、守護はリジジジに任せよう)
樹木となって強大なエネルギーを捕まえに行くことにヒライスは決めた。

差し当たって必要なものは質量だった。南極から宇宙の遠いどこかまで伸びて届く質量が必要だった。それには、南極だけでは物足りなかった。
ヒライスはオーストラリア大陸に渡った。ケルビムと同じように鳥の遺伝子から翼を形成し、自重を出来る限り軽量化して空を飛んだ。
ケルビムと異なる点は、ケルビムが母材をマダラフルマカモメの遺伝子から採ったのに対し、ヒライスはキョクアジサシから採用した。キョクアジサシは世界中で最も長い距離を飛ぶ鳥で、場合によっては世界中を飛び回り資源を集める必要があるとヒライスは踏んでいた。
ヒライスはオーストラリア大陸の南東の大都市メルボルン近くのヤラレンジス国立公園に降り立った。個体数は断トツに多いが騒がしく好戦的な人間よりも、動植物を摂食し質量を増やそうとヒライスは考えた。
知見にはあったが、初めて目の当たりにする密林は感慨深かった。上空から見た高層ビルや舗設された道路や鉄道などには何も感想を抱かなかった。
(なんと深い生命力だ。これなら届きそうだ)
密林の樹木たちは、一本一本がガウディの柱と同じように捻じれて上空に向かって伸びていた。
ヒライスは早速樹木の一本を摂食してみた。オーストラリアを象徴するゴールデンワトル、アカシアの樹だった。陽に当たると黄金色に輝く綿毛の塊のような花をつけた樹だった。樹木の遺伝子は太陽に向かって伸びる性質を持っていた。
(ははは、ピッタリだ)
アカシアの樹一本分の遺伝子を摂り込んだヒライスは、樹木の性質と自分の目的が合致したことを必然だと思った。
宇宙に届くために、どれほどの質量が必要かはフランス人学者の知識でも確定的には判明しなかったため、眼に見える樹木を主にヒライスは国立公園を食い漁った。
ヤラレンジス国立公園を食い尽くす頃には、オーストラリア軍が攻撃を仕掛けてきたけれど、もうすでに戦闘機なら10機を丸々呑み込めるくらいにサイズを巨大にして、植物の防御力を上等変換していたヒライスにはほとんど効果が無かった。
「なんてこった。エインガナは実在しやがった」
オーストラリア空軍パイロットの一人は、アボリジニの民話に語られる伝説上の怪物を引き合いにして真面目な声調(トーン)で管制室にそう報告した。
全ての動物、水、人間の生みの親とされ「エインガナ」と称される虹へびに例えられたヒライスにその報告は聞こえていて、
(それは俺の新しい妹のことだ。世界中どこでも変わらないのだな)
漢語で虹の雌を意味する名を与えられた生まれたばかりの妹にこそ相応しい呼称に、大海で隔てられたユーラシア大陸とオーストラリア大陸に同じような伝説が伝わっている事にヒライスは面白みを覚えた。
ヒライスは北上した。1500種の植物、1万種の昆虫、300種の鳥類、たまに戦車や人間を食い漁りながら北進した。
(もう、十分か)
そう思う頃には、ヤラレンジスからおよそ3600㎞離れたカカドゥ国立公園にまで達していて、ほとんど一つの国をヒライスは食い尽くし、吸収していた。
(このサイズでは飛行できないな)
北進途中でそう考えたヒライスは、植物の根の特性を最大限に利用して身体の一部を地中に埋め、一本の鋭い槍と変形させ北進しながら南極に向けて帰還を始めていた。
北進するより帰還するスピードの方が速く、摂取するより分配する割合の方が多かったヒライスの容姿は見る見るうちに小さくなり、カカドゥ国立公園のウビアで壮大なサンセットを眺める頃には大陸に降り立った時と同じ人間サイズの姿に戻っていた。しかし、従来の戦闘方法ではまるで歯が立たない相手にオーストラリア軍は手をこまねいて何もできなかった。
(美しいな)
カカドゥ国立公園が一望できる赤い岩の上に立って、果てしない地平線に落ちてゆく太陽にヒライスはそう心を寄せた。途中で摂取したワイルドフラワーの彩りが彼の身体の中でビッグバンの様に開花を繰り返し、夕陽の光がそれを透かしていた。

「すごい!すごい!上のお兄ちゃん!」
大量に送られてくるヒライスの一部に、ゲイは飛び跳ねて喜んだ。
「僕らもできるよね、リジ」
「ええ、ジジ」
屈託なく喜びを表現するゲイを尻目に、リジムゲとジジムゲがそう皮肉を言った。
マザーランドの子らは皆揃って何よりも母を至高に置いたけれど、ヒライスは滅私、リジムゲとジジムゲは負けず嫌い、ケルビムは自尊が強く、ゲイは能天気という風に性格が分かれた。
「ママ、これどうするの?」
ゲイの姿かたちはマザーランドに瓜二つで、屈託と年皺のない鏡の様な自分に問われたマザーランドは、
「さあ、どうするのかしらね。お兄ちゃんが帰ったら、聞いてみましょうね」
ゲイの頭を撫でながら微笑んで優しく答えた。
やがて、ヒライスが十分と判断し身体から根を切り離すと伝送がぷつりと途絶えた。
海底地下を通って南極に送られたその質量は一つの棚氷を埋め尽くすほどに無量で、聖堂を建設したロス棚氷から、ヴィクトリアランドの鉄分を多く含んだ塩水が酸化して真っ赤な滝となって流れる地点にまで達していた。真っ赤な滝は氷と混ざり合って赤黒に近い色味で沈着し、一見するとそれは大陸から流れ出る血のようにも見えた。
「なんだ、これは。上の兄上か?」
ヒライスよりも先に戻ってきたケルビムが質量の塊を見てそう言った。
「あ、野蛮が帰ってきた」
「野蛮野蛮」
ジジムゲとリジムゲが、自分達より後に生まれてすぐに聖堂を出て行った弟に向けてそう野次を投げた。
「そう邪険になさるな、下の兄上ら。母、聞いてください。我れは人間の使役に成功しました。今、アメリカ合衆国のグランドキャニオン近辺でウランを採掘させております。核兵器を保有するためです。母、我れは悟りました。この世界は作り直さなければいけない」
つい先日まで眼の内にありありと破壊衝動が現れていたケルビムの、ある種悲愴の顕在した変貌にマザーランドは子の成長を見て取り、喜びを感じた。
「それは素晴らしい。でもね、ケルビム。この世界だって素晴らしいと母は思うのです。私のため?それならば、作り直さなくたっていいのですよ」
マザーランドは初めて対面するケルビムに人見知りをして、自分にくっついて離れないゲイの頭を撫でながら優しく、諭す様にケルビムに応えた。
「これは我れの妹ですか?」
上目で自分を見つめる、母に良く似た生命体を指差して、
(大きく力が減衰してしまわれたのだな。我れら、子のために)
ケルビムはヒライスと同様の感想を抱いた。
「そうです。ほら、ゲイ。お兄ちゃんですよ。こんにちはーって」
「こんにちは!あたし、ゲイです!よろしくね、みっつめのお兄ちゃん!」
母に促されるや免罪符を得たのか、生来の能天気と元気でゲイはケルビムに挨拶をした。
リジジジのシニカルなそれとは異なる裏腹のないゲイの能天気に、姿かたちも相まって強い保護欲求をケルビムは掻き立てられた。

(俺達のふるまいが)
十分に摂食した質量を母の下に帰還させ根を切り離したヒライスは、カカドゥ国立公園内ウビアの、活動を忘れさせるほど雄大なサンセットを見つめながら、
(これらの美しい秩序を混沌へと転落させるのか)
そう思念し、
「ここが、カオスの縁か」
混沌(カオス)が秩序(コスモス)へと変容するその境目を表す理論生物学の概念を婉曲して、思わず声に出してそう呟いた。
軍隊の攻撃を鑑みる限り、母が生まれてしまった以上、地球人類との抗争は避けられそうになかった。
(欲しいものが同じだから、仕方ないよな)
美しく燃え上がるウビアのサンセットに、ヒライスは心でそう声を掛け、南の空に向けて翼を広げた。

             §

「やあ、シャウラ。久しぶりだな」
「あー、どうもーお久しぶりですー、首相ー」
ティエラアトランティス側の宇宙エレベーターが発着するベースステーションで出迎えてくれたローラン首相に、アマノガワ銀河軍第26梯団長シャウラはそう応対し握手を交わした。
第26梯団は200人隊で軍隊を整備し地球に降り立った。
「相変わらず緩い物腰だな。梯団長になっても変わらずか。良い事だ」
猫の様に背の曲がった、軍隊の長らしくないシャウラを見てローラン首相はそう呵々大笑(かかたいしょう)した。嫌味の無い笑いだった。
「でー、どうなんですか?敵さんの様子は」
ステーション内を移動車に向かって歩きながらシャウラは、政治家なのに軍外套を着用してポケットに両手を突っ込んだまま並んで歩くローランに尋ねた。
「南極はほぼ制圧されたな。アルゼンチンの一小隊が殲滅されたよ。さらに、つい先ほどニュースが飛び込んだ。ニュージーランドで観光客を中心に1000名弱が、アメリカのフェニックスでアメリカンフットボールの選手64名が行方不明だそうだ。まあ、断言できないから行方不明と言ってるだけでな、どうやら食われたらしい」
「食われた?」
「うん。目撃情報がある。奴らの一部に包まれたかと思うと短時間で人間が溶解したそうだ。“どう見ても捕食だった”、目撃者の言をアメリカ大統領がそのまま伝えてきたよ」
「はは。ついに人類も捕食される側ですか。楽しみだなー」
未知の敵に相対する尖兵として突拍子もないシャウラの感想に、ローランは物腰からは伺えない頼もしさを覚えた。
「相変わらず、生き物大好き人間か?どうするつもりだ?シャウラ」
「どうするもこうするも、話せるんでしょ?とりあえず会って話をしてみます。シリウスさんからも言われてますんで」
「目的の把握か。俺は、鐘塔頂華(しょうとうちょうげ)だと思うけどな」
「鐘塔頂華?」
「星の頂点だよ。人間に代わって生命のトップになろうとしてんじゃねえのか。聞く限り、とんでもない暴力を持っている。鐘の鳴る尖塔の頂上は気分の良いもんさ」
「あー、なるほどー」
ローランの見解にシャウラは否定はせずに答えた。
(それにしちゃ進撃が遅いな)
久しぶりの地球の空気に感慨などの一片の素振りも見せずに考え込むシャウラの肩を、
「ま、なんにせよ頼む。どうやら地球が怯えているよ」
そう言ってローランはまた呵々大笑して激励のつもりで叩いた。
1年前までは第18梯団、つまりフォーマルハウトの科学部隊の副梯団長だった新米の梯団長は、軍人上がりの政治家の無駄に力強い激励に、長旅と環境負荷の差もあって前のめりに倒れそうになった。

             §

「お帰りなさい、ヒライス」
「おかえりなさい、お兄ちゃん。ねえねえ、これどうするの?」
オーストラリア大陸から戻ったヒライスを労うマザーランドの言葉を真似しながら、間髪入れずにヒライスの手を引っ張り彼が送った生命の塊を指差し尋ねるゲイに、
「ちょっと宇宙旅行をするんだよ、ゲイ。その乗り物だよ」
と少し冗談を込めた優しい口調でヒライスは答えた。
「宇宙って?」
隣にいたリジムゲとジジムゲの方を向いて尋ねるゲイに、
「バカだなー、ゲイは。こいつ、宇宙も知らないんだって、リジ」
「ほんっと、おバカ。教えてあげましょ、ジジ。ほら、こっち来なさい」
リジムゲとジジムゲはそう貶(おとし)めながらも彼女の手を引いて、空に近い聖堂の頂上に昇って空を指差し奥に見えない宇宙を教えた。
マザーランドと共にその光景を微笑ましく眺めながらもヒライスは、
(知識もだいぶ欠落している。やはり、早急にあれ(、、)を食べさせなければ)
と宇宙を知らないゲイを通して、マザーランドの生物としての減退を改めて認識した。

「お戻りか、兄上」
ケルビムが聖堂のキッチンから顔を覗かせた。食事を作っている最中だった。
フランス人学者に帯同していたコックの遺伝子は最初の子であるヒライスに多く受け継がれていて、細菌も余すところなく有用できるマザーランドらに調理の必要性は無かったが、生命を維持する程度のエネルギー補給時には彼らは美味しく食べることを目的に調理をした。調理に必要な設備や道具や調味料は占領した南極基地に十分用意されていた。
ケルビムの料理は褒められたものではなかった。ナンキョクオオトウゾクカモメとサヤハシチドリのミックスフリッターを山盛りにしただけの粗野な料理だった。
それでも、できたての揚げ物の匂いに釣られたゲイの、
「おいしい!おいしい!」
という零れんばかりの食べっぷりにケルビムは満足そうな表情を見せた。
「ケルビム。お前、何があった?」
ゲイのほっぺたに付いた揚げ衣を指で優しく除去するケルビムに、ヒライスは率直に尋ねた。
「何が、とは?兄上」
「殺げ落ちているな。破壊の権化みたいだったろう、お前」
「見つけたのよ、兄上。我れの生くる意味を。お持ちか?貴方は」
「・・いいや。探している途中だ」
ヒライスは痛い所を突かれた気がして一瞬言葉に詰まった。
「様々さ。だが、あまりゆっくりなさるな。我れが作り直してしまうぞ」
「作り直す?」
「世界さ。この世界はすでに、おかしい。母が崇められぬのもそう、だがそれだけではない。ほんのわずかな境の差で、絶望に襲わるる幼子があれば我欲で他を見下すブタが蔓延(はびこ)る。境の差は眼に見えず、この世界はそれを貧富と呼ぶそうだ。ここを見よ、兄上。貴方と母が平らにしたこの土地を。どこに貧富がある?幼い我らが妹は絶望を知っているか?ここから、これから始めよう。飛行をしただろう?兄上。海に溶け合う太陽を見ただろう?」
「ああ、美しいな」
カカドゥ国立公園内のウビアから見た夕陽を高い上空で見ると、太陽は西のティモール海に沈んでいた。
「美しいこの星を、貧富のない世界に作り直そう。贅沢をせず、競争をせず、奪い合わない世界に。さすれば眼に見えぬ、極悪な境など無くなろうぞ」
「概ね、賛成だ。だがケルビム」
生まれ変わったような弟の、兄をとうに超えていそうな精神的成長にヒライスは驚きと嬉しさを感じ言葉を続けた。
「それには武力がいるぞ。それも途方もなく甚大な、だ」
「母にはお伝えしたが、我れは現在人間を使役してウランを採掘している。核兵器を保有するためだ」
「ウランか、いい線だ。だが足りぬな。核なら人間も保有しているし奴らの方が扱いに長けている。だが、人間を使役か。思ってもみなかったな。どうやった?」
「神を利用した。主に形状、翼だ。ホピ族というアメリカ大陸の原住民たちの祭事に降り立った。ただそれだけで、彼らは我れを神と見做したよ。ホピ族は貧しかった。だが清廉で、神に敬虔だった。それでも、言葉にはしなかったが、眼の奥が世界の変革を望んでいた。貧しさは気高い誇りすら濁らせる。だから我れは宣言をした。世界を作り直すと。使役とは言ったが、動機は自発だ」
「ホピ族か、インディアンだな。インディアンにはインディアンの神があるだろう?お前を崇めたのはなぜだ?」
「だから、貧富だ兄上。神を違うほど、どうしようもなく、濁っておるのよ」
ケルビムは、またほっぺたに揚げ衣を付けているゲイを優しく扱って言った。兄達の難しい会話は、山盛りのフリッターに夢中なゲイの耳には届いていなかった。
「なるほど」
フランス人学者の知識にあったアメリカ原住民インディアン達の、日に焼けた精悍な肉体と星と語り合う崇高な眼を思い起こしたヒライスは、
(貧富とは神すら濁らせるのか)
そう自念して言葉を続けた。
「宇宙に沸いたエネルギーを感じたか?ケルビム」
「宇宙?」
(やはりか)
ヒライスは思った。リジムゲとジジムゲにも同じ質問をしたが、どちらも感じ取れていなかった。
「宇宙にエネルギーが出現した。母を母たらしめたエネルギーだ」
「母を?」
どうやら自分だけに受け継がれたマザーランドの変異経緯をヒライスは説明し、
「俺はそれを捕まえに行こうと思う。お前の理想を叶える、十分な武力になるはずだ」
そう言ってフリッターをひとつまみ齧(かじ)った。思ったよりも美味かった。
「インドラの矢が母を選んだのか。やはり、母は神だ。青い星のカチーナだ。崇められるべき至高だ。ホピ族が言っていた、新たな時代は天界からやってくると。やりましょうぞ、兄上。兄上は天上から、我は地上から、この世界を作り直すのだ」
古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」に登場する天の火に例え、濁り濁りと言う割に自分の眼には一点の曇りも許さずにケルビムは声高に言った。
「おう」
兄らしく応えたヒライスは、
(青い星のカチーナか。青い星とはたしか、犬狼星のことだったな)
そう自身の知識に問いかけて、なぜかほんのわずか嫌な予感を感じた。
ヒライスが齧ったひとつまみ以外すべてのフリッターをたいらげたゲイが、
「もーう、おなかいっぱーい」
怠惰な宣言をして横になった。

オーストラリア大陸から送った生命の塊は、聖堂を取り囲むようにロス棚氷を覆い尽くしていた。
けれどそれらは一つの塊で、端面から再結合すれば移動しなくても摂り込むことができた。ヒライスは宇宙への旅を開始した。
(自分を食ってるみたいだ。宇宙人がタコの姿ってのは本当かもな)
母を母たらしめたエネルギーを発した星に向かって天に伸びながらヒライスは、一度切断した自分を再結合する作業に対して、病原体の影響で自身の触腕を自食するマダコに倣って、今から向かう星にとっては宇宙人となる自らをそう自虐した。
樹木を材料に選んだのはやはり正解だった。接ぎ木に接ぎ木を重ねると、あっという間に大気圏を突破した。
ヒライスはぐんぐんと伸びた。空を越えて天を駆け抜け宇宙に届く頃には、聖堂の周囲に生命の塊は見渡せなくなった。
「お兄ちゃん、すごーい!かっけー!」
自分も空に届きたいのか、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を振るゲイの声援も、ヒライスにはもう届かなかった。
地球地下5902mにいた時のマザーランドは呼吸を必要としない生物だった。地表に出て活動を活発にさせてからはある程度必要としたが絶えず行う必要はないものだった。その特徴はヒライスにも受け継がれていて、大気のない宇宙空間でも生命を脅かすような不都合はなかった。
(けれどここだと、捕食はできないな)
マザーランドらは捕食した生命を吸収するために多量の酸素を必要とした。酸化させる、つまり有機物を分解することで生命からエネルギーを取り出した。酸素の無い宇宙空間では捕縛はできても捕食はできない、大気圧もない深黒の果てしない空間を旅しながらヒライスはそう分析した。
文字通り、目星は付いていた。発せられるエネルギーには指向性があり、それは地球より太陽に近い方角から放たれていた。
宇宙空間に出るとその指向性ははっきりと感じ取れた。
(金星にとても近いな)
青く輝く地球と比較して何とも殺風景な月を横目に、ヒライスは金星に向けて舵を切った。ロス棚氷を埋め尽くす生命の塊は、見る見るうちに天に昇って行った。

最初にそれに気付いたのはゲイだった。
伸びてゆく兄を飽きる事なく見続けていた彼女は、鳥よりも遥かに巨大な飛行物体を指差して、
「ママー、あれなにー?」
とヒライスの旅立ちを見送ってから聖堂に篭ったマザーランドに向かって大声で尋ねた。
ジジムゲとリジムゲはヒライスの言いつけ通り、生命の塊がマザーランドの捕食を逃れたウェッデルアザラシやシャチなんかに奪われない様にロス棚氷を広範囲に守備する役目についていて、ケルビムはウラン採掘の進捗を確認するため北アメリカ大陸に渡っていた。
ゲイの呼び声で聖堂の外に出たマザーランドは、伸び続ける息子の幹の向こう側に浮かぶ黒い飛行物体を見つけた。
「ゲイ、いらっしゃい」
咄嗟にマザーランドはゲイを懐中に抱え、身構えた。
敵だと感じた。
飛行物体はヒライスには何の危害も加えないままゆっくりと聖堂から300mほど離れた地点に着陸を始めた。垂直に降下する静かな着陸だった。
フランス人学者の知識で、それが飛行船であることをマザーランドは認めた。フランス人学者の知識にあった飛行船は、ワールドワイド・エアロス社のエアロスクラフト、ボディにアルミニウムとカーボンファイバーを用いた銀色の船だったけれど、降り立った飛行船はステルス機を思わせる漆黒だった。その色が、軍用機であることを強くマザーランドに感受させた。
飛行船から、おおよそ200人の軍服を着用した兵隊と階級区別か目立つ外套装いのおそらく隊長らしき者が2名、氷の大地に降りて聖堂に向かって隊列を整えた。
マザーランドは、事情をよく飲み込めていないゲイを抱える手に力を込め、どの国の軍隊とも判別できない隊列を睨みつけた。

             §

「おー、見事なサグラダファミリアだ」
南極ロス棚氷に降り立ったシャウラは、不自然に建つ建物を振り放(さ)け見てそう感嘆した。アトランティス王都の王宮に良く似ているというサグラダファミリアという地球の建物はアマノガワ銀河軍の間でもそこそこに有名だった。
第26梯団は威力偵察を主眼にし、可能であれば捕獲を行う算段でいた。
ために、兵士隊はライフルや小銃などの眼に見えてそれと分かる武器は携帯せずに、代わりにホローポイント弾やナパーム爆弾、クラスター爆弾や白リン弾といった人道的に使用が控えられた「死の兵器」と呼ばれる武器を少数、一見して相手には分からない様に配備していた。
銃器系は通用しないことはアルゼンチン軍が証明していたし、言語は解するが人間とはとても言えない相手に戦争のルールは求められなかった。
南極のサグラダファミリアの入り口付近から氷の様に透明な樹木形状の柱が天に向かって伸びていた。
「あれはなんでしょうねー、聞いてないですよねー」
オペラグラスを覗きながら言うシャウラに、
「不可解ですな。排除しましょうぞ」
年輩の第26梯団副梯団長がそう答えた。
元々第5梯団に並ぶ戦闘集団だった第26梯団の代替わりに科学系統の梯団長を据えたのはシリウスの配慮で、戦闘力は高いが猪突猛進気味なため常に星の血祭りでは下位に甘んじていた第26梯団は、シャウラが梯団長となった今年、一躍7位にまで躍進した。ゆえに、第26梯団員は若く毛色の異なる梯団長をすっかり信望していた。
「まあまあ。あれはー、あれが大将かー、なるほど、女神の姿だ。あのちっこいのは子供かな?」
戦(や)る気に逸る副梯団長を抑制し、オペラグラスの照準を樹木の幹根に合わせてシャウラは言った。
ローラン首相から、
「敵大将は女のフォルムで、従者の振る舞いを鑑みるに母親を寓しているな。小癪な相手だよ」
そう報告を受けていた。
「報告よりも随分小さいですねー、僕らと変わらないサイズだ。それに、報告よりも随分と美しい」
シャウラの感想にオペラグラスを手に取った副梯団長は、こちらを見据える透き通るほどに肌の白い女の姿に、300mの距離があるというのに眼が合った気がしてギクリとした。
「あー、ちっこいのも可愛いなー、いやいやだめだ僕は梯団長だぞ、どんな内臓してんだろうなー、あの白い皮膚は何でできてんだろうなー、フォーマルハウトさんも人が悪いなあ、髪はなんだろうなー、まずは話し合いだ、瞳は水晶とか入れちゃってんのかなー、解体なんかしちゃだめだ、代謝はどうやってんだろうなー、もう一度言う僕は梯団長だ、でも食べてるところ見たいなー」
自分の理性と欲望に言い聞かすようなシャウラの欲求と自制の言葉が、地底生物と異星人の軍隊が対峙する南極にぶつぶつと念仏の様に響いた。

             §

月を越えて突き進む宇宙空間は極めて果てしなく思えた。
確かに前方に向かって進んでいるはずだが、進んでいるという実感がひどく希薄で、ヒライスは自己の存在というものをぶつ切りで失心しかけた。
(太陽に向かって進むのだ)
カカドゥ国立公園から眺めた太陽を灯台とすることで、彼は意識を保った。
エネルギーが発現を休止したのか、月までは強く感じられていたエネルギーが感じ取れなくなり、残り滓(かす)を頼りにヒライスは宇宙を旅していた。時速にして52万㎞、つまりフランス人学者の知識にあった人類史上最速を記録した乗り物であるアポロ10号のコマンドサービス・モジュール、「チャーリー・ブラウン」の最高速39897㎞の13倍もの超スピードでヒライスは進撃を続けていたが、それでも金星までは早くて3日半を要する旅路だった。
見上げない星々はひどく美しかった。
暗黒の空間なのに光が氾濫しているようで、縹渺(ひょうびょう)たる果てしない光輝はどこを見渡しても際涯がなかった。
(混沌(カオス)と秩序(コスモス)が犇(ひし)めき合っている)
ヒライスの前途はいよいよエネルギーの残り滓が消失し、広く上下の無い宇宙は彼を星空の迷子にした。
(太陽を目指せ)
灯台とするなら十分だが、道標とするには巨大過ぎる太陽だけが、未開拓なはずの宇宙を進撃するヒライスの拠り所だった。
途上、少し離れた空間に星ではない光の煌めきをヒライスは見つけた。
進路を修正し近寄ってみると、それはどこかへと伸びて行くケーブルだった。
(なんだ、これは)
ヒライスは混乱した。ケーブルは明らかに人工物で、宇宙に伸びるケーブルなど構想でしかフランス人学者の知識には無かった。
(カーボンナノチューブ・・・完成していたのか。アメリカ?ロシア?中国?どこだ。しかし・・・)
触れただけで物質の組成をヒライスは知る事ができた。このケーブルの先に、エネルギーの発現場所があるのは明らかだった。
(こいつを辿ればいいわけだ。まさに蜘蛛の糸だな)
アメリカ人宗教研究家の文学に準(なぞら)えてヒライスはそう感想した。地球から月までのケーブルには施した光学迷彩を、必要性の観点からアトランティスは途中から省略していた。

「じゃあちょっと行ってくる。ゲイ、母上を頼んだぞ」
宇宙への出発に際しヒライスがそう言い残したからか、マザーランドに抱えられながらゲイは整列する軍隊を獣の方法で威嚇していた。
「大丈夫、ゲイ。可愛くないからやめてね」
歯を剥き出し、喉を低く鳴らす娘を優しく窘(たしな)めて、マザーランドは軍隊の行動を待った。
やがて、外套を着た2名が隊列を背に、両手を肩程までに上げたままこちらに歩み寄ってきた。手のひらをこちらに向けたそのポーズは、非戦闘の意思を示すジェスチャーだとマザーランドは受け取った。
「こんにちはー、僕ら、見ての通り軍隊ですが、戦闘をしに来たわけじゃなくて、えーと、そのー、少しお話大丈夫ですか?」
外套を着た若い方がそう言った。所作を見るにこの若い方が上位らしいとマザーランドは思った。
「何用でしょうか?」
マザーランドはゲイの口元から手を離し、穏やかな口調で問い返した。
シャウラは上げていた手を下ろし、寒さに不平を漏らしながらポケットに両手を突っ込み、ルナベーヌスの標準語でもあるスペイン語で質問を始めた。
「あなた方は何者ですか?」
「生き物です」
「地球の?」
「この大陸の地下で生まれました。ポイントはそう、もうちょっと遠くですけど」
「えー、そちらは娘さん?」
「そうです。ほら、ゲイ、こんにちはー、は?」
挨拶を促されたゲイはぷいっとかぶりを振ってそっぽを向いた。化物らしからぬ愛らしい親子のじゃれ合いに、人間を人間たらしめるものは言語であることをシャウラは改めて思った。
「娘さんの前で聞くのも憚(はばか)られるんですがー、大陸を食い尽くした理由は?」
「食事です。生誕のため」
「軍隊を蹴散らしたのは?」
「自衛です。受難のため」
「大陸を渡ったのは?」
「繁栄です。栄光のため」
「なるほど。正当な生物活動だ」
サグラダファミリアの3つの玄関口、各ファザードの名称を引き合いにしたマザーランドの返答に、シャウラは、
(参ったな)
と心中で呟いて、嬉しそうな嘆息を大きく漏らした。
「えーと、生きる目的というか、人生の目標とかって、そういうのは何かあります?」
「この子たちが、健やかに命を全うしてくれること。それだけが私の望みです」
「たち?」
一派の個体数は5体との報告を受けていたシャウラは、存ぜぬ顔で聞き返した。
「ご存知でしょう?皆、優しい子なんですよ。つい先日も、世界を嘆いていました」
調査済みな事は十分理解して、マザーランドは返した。
「地下から見た地上の嘆きとはどんなものですか?」
「それは、内緒です。プライベートなことですから」
そう言ってマザーランドはにこりと笑った。氷の大地に相応しい、冷たい氷華の様な微笑みに、シャウラは感じた事のない震慄(しんりつ)を覚えた。
「いわゆる、“この世界は腐ってるんだー”とか、そういう類のものです?」
「さあ。どうでしょう」
「なるほどー。そんなに邪険にしなさんな、お嬢ちゃん。握手をしよう。握手は?」
「もちろん。友好の証です。ほら、ゲイ、お兄ちゃんが握手しよーって」
問答の間もそっぽを向いていたゲイは、マザーランドの言葉にシャウラの方を向き直った。向き直ってみると初めて目の当たりにする人間に、興味深くじいっとした眼でゲイはシャウラを見つめた。
「さあ、握手、握手」
触れた途端食われる可能性を十分に危険予知して、傍らの副梯団長は表には出さずに心身を身構えた。
「食べちゃダメよ、ゲイ」
それを察してか、マザーランドは副梯団長の方を見ながらゲイに忠告した。
差し出された小さな右手をシャウラは緩く握った。見つめる小さな化物の瞳の中には無数の光り輝く斑点があった。それは水晶よりも深く透き通っていて、(何でできているんだろう。ほじくり出したいな)
シャウラの未確認生物への偏愛を高ぶらせた。
体温は人間に近かった。摂氏36度近辺が化物も安定する体温なのか、それとも人間に合わせているのかは判別できなかった。てっきり環境に合わせて調節できる冷血に属する生物だろうと考えていたシャウラはその意外に、
(血も赤いのかな。温かいなら、食べられてみたいなあ)
と爆発しそうな衝動を、任務を思い出す事で何とか留めた。
「さあ、お母さんも」
ゲイの右手を握ったまま自然な流れでシャウラは左手でマザーランドにも握手を求めた。マザーランドはそれに素直に応じた。
シャウラの左の手のひらには極薄の特殊な粘着フィルムが貼ってあった。フィルムは両粘着で、握手した手を離すと同時にマザーランドの手のひらの細胞を極わずかに剥ぎ取った。
元位置に戻る風合いでマザーランドに背を向けたシャウラは、気付かれない様、しかし丁寧にフィルムを外套のポケットに忍ばせておいたスピッツに入れた。フォーマルハウトから課された第一目標、検体の入手は極薄の皮膚こけらではあるが一応、成功した。
「その、“嘆き”というのは争いを避けては通れませんか?」
副梯団長の位置する少し手前で振り返って、一息置いてからシャウラは尋ねた。
マザーランドは答えなかった。ただ、にこりと笑うだけだった。
けれどその無言の微笑みが、反って答えを明白にしていた。
「まー、すでに犠牲者も大勢出ていますしねー、わかりました。今日の所はこれで帰ります。あ、そうだ、それ、なんです?」
天に向かって伸びる樹木の様な物体をシャウラは指差した。
「大切なものです」
マザーランドは微笑んだまま答えた。微笑みと言語表現の裏側には、「手を出したら殺す」という強烈な意思が込められていた。
「そうですかー、なるほど。じゃあ、お嬢ちゃん、また来るね」
シャウラはそう告げてゲイに向けて手を振った。そしてそのまま人差し指と中指を鉤合わせてそれを切った。
(さっきの握手は無効だ)
言外にそう意味を込めた行為を、マザーランドは変わらず微笑んで見送った。
飛行船「ペリカン号」の着陸地点に戻りながらシャウラはローラン首相に連絡を取った。
シャウラと副梯団長がペリカン号に戻るよりも早く1機のドローンがシャウラに近付き、マザーランドの細胞を入れたスピッツを受け取って大空に飛び去った。
「ママ!ママ!なにあれ!」
マザーランドの懐中で、ドローンの登場にはしゃぐ子供らしいゲイの声がシャウラにまで届いた。
(姿見と振る舞いは、守られるべき親子だな)
手のひらに残る体温が、今から開始する行為を思うとチクリと刺さった。

「順次、撃ちましょう。目的は効果の確認。反撃が予想される。第一、第二目標はすでに達しました。効果を確認次第、速やかに撤収する」
シャウラは第26梯団員にそう命令しオペラグラスを眼に当てた。
「撃て」
シャウラの合図に、「撃てー!」という副梯団長の豪声が南極大陸に轟いた。
2挺のライフルからホローポイント弾の一種、ダムダム弾が発射された。
ホローポイント弾とは先端がホロー、つまり空洞になった弾丸で、着弾と同時に弾頭が変形炸裂し対象の体内に多くの永久空洞を残す殺傷能力の極めて高い弾丸である。その中でも、ダムダム弾とは弾頭がメタルジャケット、つまり銅被覆されていない弾丸の事を指し、被覆が無い分炸裂度合が高くその非人道的な威力から地球ではハーグ陸戦条約を皮切りに戦争でも使用が禁止された代物だった。
ダムダム弾はマザーランドとゲイを目がけて南極の風を高速で切った。射出角は見事に2体の脳天に向いていた。そのまま弾丸はあっけなく2体の頭部に着弾した。
しかし、着弾しても炸裂しなかった。着弾と同時に弾丸は消え、音も無く失せた。明らかに飲み込まれて見えた。
「なるほど、こりゃ無意味だ」
オペラグラスを覗くシャウラはそう呟いた。娘の方の口が動き、そこから弾丸が排出された。
「まずーい」
口の動きがそう言っていた。
「次」
シャウラの合図に、先ほどと同じように副梯団長が号令をかけた。
ティエラアトランティスに向けて飛び立ったものとは別のドローンが1機、装荷して聖堂を目がけた。荷物は小型バレルに詰めたナパーム爆弾だった。
ナパームとは主燃料材であるナフサにパーム油から抽出したアルミニウム塩を混ぜ増粘させたもので、親油性が高く一度燃焼を始めると対象が焼尽するまで破壊を尽くす油脂焼夷剤で、その爆弾は地球では太平洋戦争で東京を、ベトナム戦争でゲリラ兵の潜むジャングルを焼き尽くした。
小型バレルには信管が取り付けられていて、ドローンからの投下と同時に信管が作動し、マザーランドらの真上でナパームは1300℃の高温で燃焼しながら落下した。コーランが語る炎の魔人、イフリートを思わせる黒煙を纏った炎は氷の大地さえ溶かし尽くすかに落下していった。
けれど、2体に命中しかけた炎はほんの刹那の瞬間で色味を炎の赤からこの大地の様な青透明に変えて、空中で膨らんだままに静止した。氷でできたラフレシアの花が、一瞬で咲いた様だった。
マザーランドは片手を上げて支える様に氷のラフレシアに触れていた。ドレスに隠れて見えない彼女の足は南極の大地と繋がっていた。マザーランドは、有り余る南極の氷を使ってナパーム爆弾を氷結させた。
「凍って、ますよね?あれ」
シャウラはそう言って副梯団長にオペラグラスを渡した。
「凍ってますな」
オペラグラスを覗いた副梯団長は、はっきりとそう答えた。
「ナパームって、凍るんでしたっけ?」
「いえ!初耳です」
副梯団長は、またはっきりと答えた。
「ですよねー・・次、行きましょう」
「次!放て!」
副梯団長の号令でロケットランチャーからクラスター弾が発射された。
親弾の中に仕込まれた38個の子爆弾が空中で弾け飛び、マザーランド目がけて次々に爆裂した。
アメリカとロシアの両極のみならず、「軍隊を持たない平和な国」であることを声高に喧伝する日本までもがその使用を禁止する条約への署名を渋るほどの有能な爆弾は、マザーランドとゲイの身体をズタズタに切り裂いた。300mの遠目からも分かる威力に、第26梯団員から小さな歓声が挙がった。
「いや、これもダメですねー、はは、ほんとうの化物だ」
オペラグラスを覗くシャウラは、皆に聞こえるよう少し大きめの声で呟いた。
ズタズタになったマザーランドとゲイは瞬く間に傷を修復させ、あっという間に2体は元通りの造形に戻っていた。
元々が地下5902mを漂っていた微生物であるマザーランドの身体は、そのほとんどが造り物で、核とも言うべき微生物であった本体は造り物が繋がっている限りどこまでも移動が自由だった。つまり、その気になれば宇宙を旅している途中のヒライスと繋がれば宇宙にも移動可能だったし、事実、第26梯団と対峙しながらも彼女の本体は氷の大地を通じて聖堂の寝室のふかふかのベッドの上にあった。
その特性は無性生殖であるため分身とも言えるゲイにも受け継がれており、本体への常なる保護意識は生まれながらに彼女の遺伝子にも刻まれていた。
「無駄でしょうが、せっかく持ってきたんだし、撤収の幇助(ほうじょ)としましょう。発射と同時に撤収開始」
「撃てー」
すっかり萎んだ副梯団長の号令に、クラスター弾を発射したものとは別のロケットランチャーから白リン弾が、クラスター弾よりも射出角を大きく上空に傾けて発射された。
弾体に充填された白リンが弾道頂点となる上空で信管起爆により放出され、大気中で自然発火し酸化され五酸化二リンの帯状の燃える煙となってマザーランドに降り注いだ。
煙幕効果、照明効果を主目的とした爆弾には焼夷効果も有り、人体に付着した場合脱水作用により化学火傷を引き起こし、その火傷の凄惨さと無差別性から使用の禁止が叫ばれる爆撃の雨に、マザーランドは氷の傘を造形しゲイと二人、睦まじい相合傘で雨にまつわる童謡を歌った。
歌は煙幕に遮られてアマノガワ銀河軍には届かなかったけれど、雨が止むのを見計らってマザーランドは首と傘を持つ手を急速に伸ばし、宇宙を旅するヒライスに匹敵する速度でシャウラに迫った。
煙の中から急に現れたマザーランドの顔面に、オペラグラスを覗くシャウラはぎょっとして思わず持つ手を放した。
「また、いらして下さいね」
地面に落ちかけたオペラグラスを上手にキャッチして、傘を持つ手で差し出しながらマザーランドは微笑んでそう挨拶をした。
シャウラにオペラグラスを手渡して、伸ばした時と同じ速度で首と手を元に戻したマザーランドが通った軌跡には、煙の晴れた静謐なトンネルができていた。
(はは、参ったな。ありゃ食われてもしょうがないや)
間近で見るマザーランドの質感の美しさと何物も寄せ付けない強さに、シャウラは胸がドキドキして堪らなかった。
「梯団長、お早く!」
すでに第26梯団員の姿は地上にはなく、ペリカン号のタラップから呼びかける副梯団長の声を無視して、初めて恋を知った男の子の様にシャウラはマザーランドを睨み続けた。

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