終戦 戦記

黎旗 藤志郎(くろはた とうしろう)

序章 日の本は二分する。

     昭和二十年。
大日本帝国は、敗戦した。戦勝国は、同国を二つに分断し、戦勝国の統治下においている。
     東は、資本主義を掲げる戦勝国。
     西は、共産主義を掲げる戦勝国。
このふたつの国により、一つの国は、東と西で全く異なる経済発展を遂げる。経済の自由を掲げる東日本は、急激な発展を実現させた。逆に、経済の平等を謳う西日本はゆったりとした成長を見せた。国民が魅力的に思うのは、言うまでもないことであり、西から東へ流れる人は激増していく。西日本を統治する戦勝国はこの事態に危機感を覚え、滋賀県の琵琶湖より北および南にそれぞれ南北に延びる、高さ十メートルの壁を築いた。
     通称『平和の壁』
と称された壁は、西日本国民の東への流入を防いだと共に、東と西で自由に行き来が出来なくなり、日本人を二分化してしまうのである。そして、皮肉なことに五年に及ぶ工事は、西日本国民により成され、壁建設事業のおかげで西日本は経済発展を遂げる。中には、壁を越えようと企み、実践する者がいたが、ことごとく西を統治する戦勝国の兵士が持つ銃の餌食になった。
    自由を基盤とする東の戦勝国は、この事態を受け、侵害された自由を取り戻すべく、様々な外交手段を通じ、接触を試みるも失敗に終わり、両国とも壁付近に軍を進軍させ、一触即発の状態が続いた。 
    三ヶ月続く両国の睨み合いは、遂に開戦の火蓋を切り、武力による衝突に発展。両軍の中には、西日本、東日本の元日本国民が徴兵され、同族での殺し合いが起きた。
    両軍とも一進一退の激しい攻防の末、両軍を率いる戦勝国同士は、お互いの経済的、政治的不安から、停戦協定を結んだ。
    死者は、両軍合わせて、五十万人に昇るといわれている。五十万人のうち、日本人の死者は、十九万人であった。
    日本を分断したこの戦争を後に、
     『日本戦争』
と言われる。
    『日本戦争』最大の負の遺産は、日本人を完全に東西で分化させたことである。太平洋における大戦時代は、共に血と汗と涙を流していたが、停戦協定締結直後の分化現象は避けられなかった。
     停戦協定を締結した直後、東西を統治する戦勝国は、この問題を看過し、東西でそれぞれ独立させた。
     東の国は「古事記」の中にある、日本の別称こと葦原中国(あしわらのなかつくに)と大戦時代における大日本帝国から、それぞれの名前からあやかり、
     『大葦原帝国だいいげんていこく
と命名し、独立。
    西の国は、共産主義を謳う戦勝国の王室から、第二王子を迎え入れ西国の元首とした。王室は代々、グレンヴィル家という家系であり、その名前からあやかり、
      『グレン国』
と命名し、独立した。
     両国の関係は、言わずもがな最悪の状態であった。国境付近では度々、戦闘が勃発し、両軍の停戦協定は無いに等しい状態であった。





物語は、「日本戦争」から三十年後。大葦原帝国の若き青年将校から始まる。





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