トップウォーター

銀足車道

フィッシュオン

「さあ、はじまりはじまり」
 アカネさんが、ワームを投げた。ワームは円い放物線を描きながら、遠くへ飛んで行った。着水すると、アカネさんはロッドを上下に震わせた。シェイクをしたのだ。ワームは小刻みに震えていることであろう。お腹を空かせたブラックバスに、それは本物のミミズに映るに違いない。お腹をすかせた人が、蕎麦屋の入り口に飾られた偽物のメニューに、よだれを垂らすように。
「アカネさん、ブラックバスが今食べたいのは、ミミズじゃなくて水面を跳ねる魚だぜ」
 俺はロッドにルアーの重みを感じながら、ポッパーを投げた。ベイトリールの糸は絡まることなく流れて行き、ルアーはアカネさんのワームより向こうに飛んで着水。同時に親指でサミング。上手くいった。ベイトリールの糸は絡まっていない。あとはどう演出するか。ロッドを動かした。ポッパーは水面でポコッという音を立てて水を切った。今度はそれより軽く。小さなポコッ。大きなポコッ。中くらいのポコッ。交互に、時に不規則に。俺はそれらの音を操った。ポッパーに生命を吹き込んだ。
 水面にバシャッと水しぶきが上がった。ロッドが急に重くなった。
「え」
 俺は慌てた。
「来たの魚?」
「わかんない」
 リールから糸が引っ張られて出ていく。その時に確信。ブラックバスだ。リールを巻いていく。力いっぱい巻いていく。ここでバラしちゃ敵わない。時々、魚の泳ぐ方向に合わせてロッドを動かしながらの三分。
 俺はブラックバスを釣り上げた。俺の手は震えていた。
「すごいじゃん。修人君」
「や、やった」
 俺は煙草に火を点けた。ブラックバスは地面でバタバタと暴れている。砂をまんべんなく身体に付けながら。
「アカネさん、どうするこれ。このまま揚げて唐揚げにする?」
「ダメよ。逃がしなさい」
「ちょっと測らせて。おお。二十五センチ」
「まあまあのサイズね。早くリリースしなさい」
 俺は大きな煙を吐くと、ブラックバスの口から針を外して水の中にリリースした。俺の手から離れたブラックバスは、急いで遠方へと泳いで去っていった。闇雲だった。明らかに慌てていた。
 悪いことしたな。そんな気持ちは一切芽生えず、一種の恍惚感に包まれていた。釣り上げた魚を食べるわけでも、あの忌々しいボラの殺戮のように痛めつけるわけでもない。これはかなりフェアな釣りだ。ブラックバスにとってはアンフェアだろうが知ったこっちゃないぜ。俺のこれまでの釣りに比べれば圧倒的フェアだ。
「フェアだね。アカネさん」
「これがゲームフィッシングってものよ」
 一匹釣って満足した俺はアカネさんを見守ることにした。アカネさんが投げる度に、釣れろと願ったがなかなか釣れない。場所を変えたりしたが結果は変わらず。時間は午後十二時を回った。
「お昼にしようか、サンドウィッチ作って来たんだ」
「本当に?うれしいな」
 バスケットを開けると、卵サンド、ハムサンドが宝石のように輝いていた。唐揚げもある。俺達はベンチに座ってそれを頬張った。アカネさんの味だ。優しくてあたたかい味だ。毎日、こんな味を楽しめたらいいのに。今日でお別れなんてつらすぎる。それならばせめて。
「アカネさん、後であのスワン乗らない?」
「いいね。そうしよっか」
「俺、アカネさんと一緒にあの湖面に映る太陽を、ギザギザにしたいと思ってたんだ」
「あはは。あたしも、修人君とギザギザにしたいな」
 一度、車に戻って釣り具を置いた俺達は、ボート屋に向かった。そして代金を払いスワンに乗り込んだ。二人で息を合わせてスワンを漕いでいく。湖の真ん中、太陽が浮いている場所を目指して漕いでいく。その場所に息を切らしながらたどり着いた。そして太陽を俺達は「せーの」で切り裂いた。また引き返して「せーの」で切り裂いた。また引き返して・・・。
 高揚の勢いで俺はアカネさんに聞いた。
「アカネさんにとってマイナーコードって?」
 アカネさんは、俯きながら答えた。
「優しさへの甘い道のり。マイナーコードはやがてメジャーコードに繋がるから」
「そっか。じゃあアカネさんはメジャーコードだ」
 スワンから降りた俺達は駐車場に戻った。それぞれの車の前に立った。
「アカネさん。また、ブラックバス釣りしようね」
「ね」
「ね」
 アカネさんの目から涙が零れ落ちた。気づくと俺の目からも涙が零れ落ちていた。

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