トップウォーター

銀足車道

二人で釣行

 頭が痛い。昨夜は相当飲んだに違いない。ほとんど覚えていない。携帯電話が鳴った。アカネさんからのメール。メールには「十時に一碧湖に集合」と書かれていた。俺は二日酔いの薬を口に放り込んだ。洗面所で髪形を整える。ワックスを手のひらに乗せて髪の毛に馴染ませる。ナチュラルにスタイリングする。ナチュラルハイで俺は鼻歌を歌う。トーストを焼く。鼻歌はサビにさしかかる。そのメロディと春の風が戯れる。最高の朝に近い。頭痛さえなければ。
 トーストが焼けた。ブルーベリージャムを塗って食べている間、俺は釣りのイメージを膨らませる。前回のように一投で終わることは許されない。ルアーの重み、着水の際のサミング。
「よし。行くか」
 俺は玄関を出て車に乗り込んだ。
 俺の目標、小さな夢、大切な約束。その場所、一碧湖。水面はキラキラと輝いている。駐車場に停められたベージュの軽自動車からアカネさんが出てきた。
「おはよう。良い天気だね」
 アカネさんの茶色い髪が風にふわり、ふわりと揺られている。風と絡み合って遊んでいる。アカネさんの笑み。それは俺の脳裏に焼き付けられた。一枚の写真のように。
「修人君、ベイトやるんだ。かっこいいな」
「専らトップウォーターだよ」
 アカネさんはスピニングリールの付いたロッドを持っている。
「アカネさん、ベイトやらないの?」
「あたしは、ワームでちまちま」
 ロッドの先にはもうワームが付いていた。ミミズの形をしたそれの腹部に針を刺している。
「不思議な付け方だね」
「これね。こうしたほうが先端に付けるよりもミミズみたいにうねうね動くの」
「へえー。どっちが先に釣るかな」
「きっと、あたし。ワームの方が有利なはず」
「いやブラックバス次第だよ」
 俺達は、売店で遊漁券を買った。「見えるところにつけて下さい」と言われたので、それをバッグに付けた。
「名札みたいだね」
 遊漁券はパタパタと音を立てている。
「修人君は、どんな子どもだったのかな」
「ぼーっとした子どもだったよ。活発でも暗いわけでもなく」
「あはは。なんかわかる気がする」
「とりあえず、浜から攻めて見ようか」
「うん」
 砂浜のある一帯まで俺達は歩いた。傍から見たら恋人同士であろう二人組。セックス済みだが恋人ではない。俺はマイナーコード。悲しく暗い響きのするコードだが、アカネさんにはどう感じるのだろうか。そういう核心めいたことを聞いておけばよかった。
 一匹、カメが水面から顔を出して「ヘイ、調子はどうだい」って言いたげだったので、「最高さ」と俺は聞かれる前に答えた。
「急にどうしたの?」
「ははは。カメさんにあいさつ」
「修人君、変。動物を人間みたいに扱っちゃって」
「アカネさん、扱うじゃなくて接するだよ」
 一匹のカメは水中に潜っていった。ぶくぶくと泡を吐きながら。空には虹が掛かっていた。大きな虹が一碧湖を覆う森を囲んでいた。アカネさんの方を見た。アカネさんは虹を指さして微笑んだ。美しかった。これが最初で最後のブラックバス釣りになるかもしれないと思ったら寂しくなった。
「アカネさん、またブラックバス釣りしようね」
「あはは。そういうのは別れ際に言うものよ」
 砂浜についた俺達は、茶色のベンチの上にバッグを置いて陣取った。

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