トップウォーター

銀足車道

アメリカの鱒釣り

 鏡を見ると髪はボサボサに跳ね上がっていて、直すのが面倒なので三角の帽子を被ることにした。トレンチコートを羽織りジーパンに着替え、それから、スニーカーを履いて四月十五日の俺が出来上がった。昨日、四月十四日の俺との違いは微小なもの、で三角の帽子があるかないかだけだった。もちろん明日、四月十六日の俺との違いも三角の帽子があるかないかだけさ。さあ、目指すは伊東の釣具屋フラッシュだ。
 フラッシュまでの道中、俺はブックオーケーという大型の本屋に寄った。釣りの雑誌を買って情報を収集しようという試みである。車・オートバイと書かれた棚の横に釣りコーナーはあった。「釣り情報マックス」、「エギングプロ」、「海釣り百科」、「アメリカのます釣り」って待てよ。「アメリカの鱒釣り」はリチャード・ブローティガンの小説だろう。
 俺はブローティガンの小説が大好きだ。文体と世界観がたまらない。文を読んでいながら詩を読んでいるような気持ちになって、心地が良い。待てよ、小説は雑誌に形態を変えたのか。写真付きだろうか。解説付きだろうか。感想付きだろうか。楽しそうだ。表紙は何故か笑顔のグラビアアイドルだ。俺は「アメリカの鱒釣り」を手に取った。
 それから「ブラックルアー」を手に取って、この二冊を持ってレジに行き会計を済ませた。
 車に戻った俺は、早速「アメリカの鱒釣り」を紙袋から取り出した。覆われたビニールを指で引き千切り中身を拝見した。ところが、それは俺の期待していたリチャード・ブローティガンのものではなかった。日本の鱒釣りスポット、管理釣り場攻略法、プロアングラー佐々木治の鱒釣り釣行記、鱒釣りおすすめルアー集などのテーマで書かれた写真付き文章。単に鱒釣りをクローズアップした雑誌であったのだ。俺の感情は天国から地獄に突き落とされたかのように落下した。しかし、すぐさま上昇したのはスプーン特集があったためである。スプーンは鱒釣りに欠かせないアイテムであるらしかった。色とりどり多種多様なスプーンに俺は見とれた。家に帰ったらじっくり読むとしよう。
 続いて、「ブラックルアー」を開いた。その道のプロが実際にブラックバス釣りをして、その際に釣り上げたブラックバスの写真と釣り方の解説、使用ルアーなどが載っていた。俺はペラペラとページをめくってわかったことがある。スプーンはブラックバス釣りにあまり使われないということだった。
 「俺のトップウォーター」というテーマの記事があった。ジャズ喫茶ロゴスのマスターもトップウォーター専門と言っていた。水面を引くルアー。そこにどんな醍醐味があるのだろうか。俺の興味はスプーンからトップウォーターに移り変わっている。
 雑誌にはベイトリールと呼ばれる、太鼓型のリールにカラフルな竿を持った白髪のおじさんが映っていた。おじさんは「我が人生、トップウォーターと共にあり」と謳っていた。長々と書かれた文章を通読して目に留まった一文。それは「トップウォーターは水面における体感的芸術」というおじさんの一言。この一言に突き動かされた俺はベイトリールを買おうと決めた。
「マスター、今時間ある?」
 俺はロゴスのマスターに電話をかけた。
「なんだよまったく。朝は寝るものだぜ」
「ベイトリール買おうと思うんですけど、おすすめってあります?」
「ベイトリールだって?バス釣り初めてなら大体はスピニングリールから入るものだぜ」
「トップウォーターをやりたいんですよ」
「ほほう。いいねー。だけどスピニングリールでも出来ないことはないぞ」
「いやあ。ベイトが格好いいと思って」
「ベイトリールは難しいんだ。投げるときに気を抜くと糸が絡まる。スピニングリールはそういう心配はない・・・」
 俺は電話を切った。スピニングリールなんてすすめなくていいから、ベイトリールの情報を教えてくれよマスター。俺はもうベイトリールを買うことに決定しているのだから。

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