“愛”なんて要らないから
*1 一目惚れ
私─桐生弓月は、在り来りな恋愛小説のページを捲る。
エスカレーター式の大きな学園の共用スペースにある、小さな木陰。
多く用意された木製の椅子に座って1人で本を読むことが、最近の弓月の日課。
「馬鹿じゃん」
「アハハッ!」
楽しそうな笑い声に、
ふざけ合う声。
「あの......」
少し勇気を含んだ、弱々しい声。
その全ては耳に良い刺激となり、
弓月はまた、ページを捲った。
多くの雑音の中で、いつも1人で本を読む。
多くの音が混雑し、
時折、気分が悪くなるけれど。
本を読んでると、それも感じない。
本の世界に意識を飛ばして、それ以外は何も考えないでいられることは幸せで。
 
でも、少し過敏な弓月の耳はいつも、ひとつの声を必ず拾う。
「─こっちだよ!」
凛と張る声。
明るく元気なその声の持ち主は、高等部の人気者メンバーの一人である弓月と同じクラスの鷹司未来だ。
彼女はこの国で国家権力をも揺るがすとされる五家のひとつ、ホテル業界では王とされる鷹司家の令嬢。
五家には他にも、ジュエリー専門の一条家、大手航空会社の九条家、老舗呉服屋の近衛家、医者一家の二条家とあり、どれも大きい家。
弓月からは遠い世界で、世界の中心にいるような彼女はエスカレーター式の学園内に年齢層幅広くいる兄弟や幼なじみ、いとこを引き連れて、笑ってる。
「ちょっと、大人しくして。未来」
彼女に困った顔で苦言を呈したのは、彼女の双子の姉である鷹司麗華さんだ。
鷹司未来さんとは正反対、とても静かな人。
明るいと言うより、高嶺の花みたいな存在。
「だって、ここで食べるお弁当は美味しいんだから!」
大学の方の人もいる。
「分かったよ......」
呆れ顔でついて行く、鳳城夏流さんは大学生だったはず。
端正な顔立ちに、中和的な名前。
鳳城といえば、裏世界を統率する家─要するに、極道だけど、彼自身はとても親しみやすいから、年齢問わず、人気者。
姿を見ようとしたことは無いけど、彼らが通る時、周囲の音は少し小さくなる。
代わりに、囁き声が増えるけど。
正直、皆のように凄く興味がある訳でもないから、振り返ることなく本の続きを読んでいると、
「あ!ごめんなさい!!」
軽く背中に感じた衝撃、
そして、近くで響く透き通った声。
振り返ると、慌てた顔をした未来さん。
「怪我してない?大丈夫??」
痛くもないし、声に驚いたという感じだったが、未来さんはとても心配していて。
どうやって大丈夫と伝えようか悩んでいると、
「─何してるんだ?」
綺麗な女性を連れた男性が、一番初めに寄ってきた。
彼と目があった瞬間、彼は。
「......」
何故か、何かを言うことも無く、こちらを凝視してきて。
弓月もまた、初めて見る系統の違う整った美貌に目を奪われた。
「前見てなかったから、ぶつかっちゃって!」
あまりにも凝視されるから、どうしようかと悩んでいると、未来さんが沈黙を破る。
「未来......」 
彼は頭を抱え、ため息。
それに焦る、彼女。
「仁兄、怒らないで!」
「怒ってはないが......ちゃんと謝ったのか?」
彼はチラッと弓月を見ると、また、未来さんを見た。
「謝った......1度だけ」
「ちゃんと謝れ。反射的ではなく」
「あい、、」
可愛らしい彼女は背後から寄ってくる麗華さんを気にしながら、
「ごめんなさい......」
と、頭を下げてきて。
弓月は慌てて首を横に振った。
気づかないほどの刺激だったのに、なんて律儀な人なんだろう。
彼女の手を取って、微笑みかける。
すると、目を見開いた彼女。
「......一緒にご飯、食べる?」
唐突に放たれたその一言に、首を傾げる。
「お詫びに!」
......本当に、なんて律儀な人だろう。
弓月はもう一度、首を横に振った。
朝ごはんとお昼ご飯はいつも取らないから。
「で、でも......」
弓月は立ち上がって、彼女に席を勧める。
「え」
手で指し示して、頷く。
やることがなかったから、読書をしていただけだ。
弓月の行動を予想していなかったのか、彼女は勢いよく首を横に振った。
「大丈夫だよ!確かに、ご飯をここで食べようもは思っていたけど、レジャーシートを敷くし!」
でも、弓月が鞄を持って立ち上がれば、丁度、彼女といるみんなが座れる。
数的には、丁度いいはずなのに......。
「─譲ってくれるの?」
美形さんといた美人さんが、問うてくる。
弓月が頷くと、
「......本を読んでいたんじゃないのか?」
と、彼は問うてきた。
弓月は首を横に振って、
「一緒に......」
まだ諦めてないらしい未来さんの誘いも、もう一度、首を横に振ることで断って。
本を抱えて、頭を下げた。
それが、声の出せない弓月の精一杯だった。
 
「─綺麗で、とても優しい子だったね」
横に立っていた鳳城冬華はそう呟いて、去っていった彼女の痕跡を眺めるように、彼女の消えた方角に顔を向けた。
「......」
「じーん?」
話しかけられていたらしい俺─鷹司仁が冬華に腕をつつかれたことで、ハッと我に返ると、
「......まさか、惚れちゃったの?」
と、隣でニヤニヤ顔の冬華。
「まぁ、凄く綺麗な子だったもんね。一目惚れかな?仁の初恋だね」
「......恋、なのか?」
「いや、仁が何を思っているのか知らないから、何も言えないけど」
「俺も恋はしたことないから......」
分からなくて、冬華を見ると、冬華は呆れた顔をしていて。
「でも、目を奪われていたじゃないの」
「いや、綺麗な人だったから......」
「そうね。とても綺麗な人だったわ。綺麗だから、目が奪われたって言葉はよく分かる。でもね、私達と違う点が貴方にはあるの。気付いてる?顔が赤いわよ?」
頬を指でつつかれ、仁は冬華から距離を置く。
 
「赤い、か?」
「ええ。ほんのり赤づいて、だから、惚れた?って聞いたの」
冬華は楽しそうに笑う。
母親同士が姉妹のように仲良く、幼い頃からよく一緒に遊んでいたからか、冬華はよく、仁のことをこうやってからかってくる。
「......分からない」
「別に、絶対に名前をつけなくちゃならない訳でもないものね。高等部の子なら、同じクラスの未来はともかく、仁は会うこともないだろうし」
「......」
それは、少し惜しい気がする。
もう一度、彼女を見てみたい気もするから。
「...惜しいとか思ってんなら、それは、一目惚れしてるよ」
「......」
「全く......鈍いわね。おじさんに似たの?」
「...どっちかって言うと、母さんかな?」
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