山の手のひらの上でワルツ、ときたまサンバ、総じて東京音頭
7.目白
一番でっかい水たまりを探そう、とカナちゃんが言うので、雨降りのなか、目白までやって来た。
カナちゃんとは先日働きに出た工場で知り合った。暇を持て余した私が話しかけると、カナちゃんはマスクで口許を隠したまま、けたけたと良く笑った。
「ここに、一番大きい水たまりができるの?」。路地の足元はどこもぬかるんでおり、道の端から端まで達する水たまりがそこかしこにあった。
「うーん、わからない」と言いながらカナちゃんは、水たまりの真ん中を突っ切っていく。後についていく私は、その端の方をつま先立ちで渡っていく。
雨は激しさを増す。タイヤが水しぶきをあげる音が聞こえ、やがて大きな通りに出た。大通り沿いの歩道を歩いていくと、スクランブル交差点が見えてくる。
交差点の横断歩道を示すバッテンを覆い隠すほどの水たまりが、そこにあった。
「これがきっと、一番大きい水たまりだね」
そろそろ暖かいココアが恋しくなってきた私は、この探索を一旦打ち切ろうとした。
しかしカナちゃんは、「いやまだわからない」と言ったまま、じっと交差点の中心を見つめている。仕方なく私も、交差点を行き交う車を眺めた。
最初はタイヤ部分が水に浸かるだけだったが、だんだん水位が上がってきたのかホイールにまで達するようになり、やがてマフラーに水が入りそうな車も出てきた。そろそろこの道を車で走るのは危ないかも、と思いながらふと、水たまりの面積は然程変わっていないことに気づいた。
そのとき、ばこんという音とともに、交差点の真ん中にあった車が水たまりの中へ、ずぶずぶと沈んでいった。
カナちゃんの「きたっ」という声を合図にしたかのように、どこからか出てきた人々が交差点の周りに車両の通行を禁止することを示す看板を設置し、みぎわに椅子やベンチを並べたと思うとそこに座り、水たまりに釣糸を垂らし始めた。
「ほら私たちも早く行こう」と、カナちゃんが手を引っ張る。
カナちゃんとベンチに並んで釣糸を垂らす。竿は、ほどなくしてリヤカーでやってきた釣具屋に借りた。
「沈んだ車は大丈夫なんだろうか」とつぶやくと、「梅雨が明ければそのうち戻ってくるよ」と、カナちゃんが竿の先を見ながら応えた。
竿は頻繁に、強く引かれる。
今日からしばらく、夕ごはんが豪華になりそうだ。
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