山の手のひらの上でワルツ、ときたまサンバ、総じて東京音頭

saiou

2.原宿


 じょうろを買いに原宿に出た。このところ、植木鉢のヒヤシンスに元気がない。

 植木屋の店先に立っていた男に、ヒヤシンスの様子を伝えた。男は少し困惑した表情で、店の中で大きな植木に囲まれたスチール製の丸椅子に腰かける青年を動きで示し、本当の店員はあっちだよ、ということを声を出さずに教えてくれた。
 会釈して店の敷居をまたぎ振り返る。男は通りを見つめたまま立ち続けている。エプロンを着けて、植木屋の前にじっと立っていても、植木屋とは限らない。その通りだ、と小さく独りごちた。

 青年に、ヒヤシンスが徐々に活力を失っていく症状を細かく伝えた。青年は私の話が終わるまで、一言ひとことにていねいにこくこくと頷いた。
 しばらくの沈黙を待ち、話が終わったことを確認してから青年は、「そろそろ夏が来ます」と、良く通る、涼やかな声で告げた。
「そうね。夏は好きなの。待ち遠しいわ」と答える。
 ヒヤシンスは、夏が来る前に枯れます。
 青年は変わらぬ口調で続ける。
「花のあとには、種ができます。種を植えると、やがて芽が出ます。その後少し時間はかかりますが、そのうち花が咲きます」
「じょうろは、いつ使うの?」
 少し不安を覚えながら聞いた。
「お好きなときに使って差し支えありません」

 じょうろを買って店を出た。ブリキ製の、小さなじょうろだ。
 夏が来る。花は枯れる。種ができる。やがて、花が咲く。本当だろうか?と独りごちる。男はまだ店の前に立っていた。その姿勢は先程より少し斜めに傾いて見える。
 きっと、夏は来るのだろう。

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