線香花火

銀足車道

石橋山にて

 一一八〇(治承四)年、八月二十三日、源頼朝は相模国石橋山にいた。谷の向こうには、平氏方の大庭景親を筆頭におよそ三千騎の軍勢。対してこちらは、伊豆、相模国の武士およそ三百騎。圧倒的不利なこの状況で、頼朝は戦いをあきらめてはいなかった。我々の軍は少数精鋭だ。必ず勝って源氏再興の礎としてみせる。頼朝は喜衛門の方を見て、あの山木館襲撃の日を思い起こしていた。
 遡ることこの年の四月、諸国の源氏に平氏追討を命じる令が以仁王から発せられてから、平氏は、源氏の追討に動き出した。
 この知らせを聞いた頼朝は、待ち望んでいたかのように挙兵を決意した。喜衛門もこれに参加した。
 最初の標的としたのは、伊豆の国の目代、山木兼隆であった。平氏の一族であった兼隆は、伊豆全域に権力を振るった。抑えつけられていた伊豆の豪族たちの中には、反感を持つ者が多くあった。源頼朝は、その反感を持っていた武士などを集めて、伊豆の平氏の象徴である兼隆を襲撃することに決めた。
 そして八月十七日、山木館襲撃の計画は実行された。その日の夜に戦いは行われた。兼隆の家来の多くは三島大社の祭礼に出掛けていて、手薄だったとはいえ戦いは激戦だった。ごうごうと燃える火の中で武士たちは懸命に戦った。
 そのなかで、喜衛門の戦ぶりは見事で、次々と鮮やかに斬っていくその様は、まるで舞いの様であった。
 この時も、喜衛門は何も考えてはいなかった。迫ってくる武士を見た瞬間に体が勝手に動いていった。恐怖はなかった。ただ、無心で刀を振り、「山木兼隆を討ち取ったぞ!」という声が聞こえるまで迫ってくる武士を斬り続けた。我に返ると目の前には死体の山があった。
 あのときのように、喜衛門は舞うのだろうか。と、頼朝は考えていた。
「喜衛門、今日も頼むぞ」
「はは。お任せください」
 喜衛門は、多数の軍勢を前にしても怯まなかった。そんな喜衛門を見て、頼朝は心強く思った。
「もうすぐ武士の世になる。舞え。喜衛門」
 頼朝は、そう言って谷の向こうを見た。

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