線香花火

銀足車道

へっぽこ侍

「これを着ろ。着替えて参れ」
 伊豆の国、狩野川の東岸に構える北条氏の館。北条時政は、喜衛門に武士の服装である直垂ひたたれを渡し着替えさせた。喜衛門は、袖を通して、着替えると目を輝かせた。立派な着物を見て、自分が武士だということを強く実感した。よし、必ず武功を挙げてみせるぞ。そう意気込んで、帯をギュッと締めた。
「着替えて参りました」
 喜衛門はキラキラとした瞳で時政を見た。時政は、目が輝いておる。よっぽどうれしいのだろうと思った。しかし、その瞳を見ていると、少し暑苦しかったので目を逸らした。
「うむ。これで武士らしくなった。お主、武芸に自信はあるのか」
「はい。ございます」
 喜衛門は即答した。しかし、本当のところ、自信があるのか、ないのかわからなかった。河津三郎祐泰と刀を合わせた時、何も考えずに体が反応した。これは自分の力の範囲外のことである。このように、自信については、わからなかったが、北条時政と会って初日、気に入られようと思ってそう答えた。
「期待しておるぞ」
 時政は、喜衛門に興味津々であった。早くこの男の武芸を見たい。その欲求を満たすべく時政は提案した。
「よし、この木刀で、家来の一人と刀を合わせてみろ。なに、河津三郎祐泰に比べれば足元にも及ばない」
 表の庭へ出ると、時政は家来の一人、多助を呼んだ。
 喜衛門は、「考えるな。考えるな」と呟いて木刀を握った。あの時のように考えなければ動けるはずだ。喜衛門の手は震えていた。
「はじめい!」
 時政が大きな声で合図をした。多助は、喜衛門があの河津三郎祐泰と対等に戦ったという話を聞いていたので、緊張していた。大きく間をとった。喜衛門が二倍にも大きく見えた。意を決して、駄目元で木刀を横に振った。
「えいっ」
 木刀は、喜衛門の腹を殴打した。喜衛門は、「痛え。痛え。」と呻きながら、その場にうずくまった。喜衛門の刀はあの時のようには動かなかった。皆、目が点になった。あっけにとられた。
「へっぽこ侍」
 誰かがそう言うと、皆笑った。喜衛門は腹が立った。立ち上がると、ニヤリと笑って見せた。これを見て周囲は静まり返った。
「油断した」
 喜衛門のこの言葉に、周囲は「おお」とざわめいた。今度は自分から行こう。喜衛門は木刀を振り上げると思い切り振り下ろした。木刀は空を斬った。
「やあ」
 多助は、カウンター気味に喜衛門の腹を突いた。喜衛門は「げほ、げほ」とえずき、またしても、その場にうずくまった。そして、横に首を振った。
「へっぽこ侍。やられるの巻」
 誰かがそう言うと、周囲は爆笑の渦に包まれた。
「もういい。ちょっと出掛けてくる」
 北条時政はそう言って、その場を離れた。

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