線香花火

銀足車道

ニューサマー3

 日曜日。俺は、髪にワックスを付けて毛先を散らしていた。精一杯のオシャレをしてみせた。服は何を着ようか迷った。ニューサマー3と胸に大きく書かれた黄色いTシャツを着るか、自分が一番気に入っているえんじ色のネルシャツを着るか、しばらく悩んだ末、カッコイイと思われたいという理由でネルシャツを着ていくことに決めた。ピンポーンと玄関のベルが鳴った。大和だった。大和はニューサマー3のTシャツを着ていた。
 握手会は、稲取の温泉場にあるスーパーブライトというスーパーマーケットの前で行われる。バスから降りると五十人くらいの行列があるのがわかった。手からはじわりと汗が噴き出した。緊張していた。
「何か話す?」
と、大和に言うと。
「話すよ。でも教えない。自分で考えなさい」
 と、大和は握手をしているニューサマー3の面々を遠めに見ながら言った。
「大和、何を話すか、参考までに教えてよ」
「やだやだ。教えない。恥ずかしい」
 列に並んで歩きながら俺は、ずっと考えていた。「いつも応援しています。頑張ってください。ファンです。お体には十分気をつけて下さい」やっぱりこういう無難なことを言えばいいのだろうか。でも、大和は私的なことを言おうとしている気がする。どうしようか。「昨晩は、水着写真、おかずに使わせて頂きました」ダメ。ダメ。そんなこと言ったら確実に気持ち悪がられる。ここにきて、こういう下ネタが浮かぶ自分が少し嫌になった。
 何を話すか決まらないうちに列は減っていく。握手を終えたファンの人々は、皆満足そうな表情だ。決めた。「いつも、応援しています」それで行こう。俺は無難な道を選んだ。
 そして、俺の番になった。手の汗をシャツの裾で拭いた。玲那の顔を見て、微笑みながら言葉を掛けようとした。
 そんな俺より先に玲那が言った。
「いつも、きてくれてありがとうね」
 俺は舞い上がった。俺の顔を覚えていてくれたのだ。うれしくて、うれしくて、飛び上がりそうだった。
「何か、悩みでもある?」
 意外だった。何故、そんなことを聞くのだろうか。
「恋愛です。うまくいかなくて」
「応援してるよ!頑張ってね!」
 玲那はそう言うと、俺の手をギュッと握った。玲那の手は柔らかくて、温かい。俺の手はぬくもりに埋もれて行った。
 頭に、鈴さんの姿が浮かんだ。続けて武士の姿が浮かび、心に火が付いた。憧れの玲那に応援していると言われた。頑張ってねと言われた。俺はあきらめない。俺は、鈴さんが好きだ。彼氏がいたとしても関係ない。気持ちは変えられない。付き合いたい。付き合えない。彼氏がいるから。でもせめて、気持ちを伝えたい。俺の祖先は武士だ。命懸けで生きた。俺も命懸けで生きるんだ。
「なに?そんな怖い顔して」
 大和が俺の顔を覗き込んだ。
「俺、頑張るよ。言われたんだ玲那に。頑張ってね。応援してるよって」
 大和は笑った。
 これは後で聞いた話だが、実は大和も同じことを言われていたらしい。大和は未来が好きな映画の話をして気に入られようとした。だが、先に話し掛けられた。「何か、悩みある?」これに大和は戸惑った。悩みがなかったからである。適当に「部活です」と答えるしかなかった。すると言われた。「応援してるよ。頑張ってね」と。
 実はあの言葉、ニューサマー3のメンバーが古くからのファンに言おうとみんなで決めたものだったらしい。同じ言葉だが、玲那も未来も時香も何か恩返しをしたいという気持ちに変わりはなかった。メジャーデビューを前にして感謝の気持ちでいっぱいだったのだ。
「いいなあ。うらやましいよ」
 この時、大和は自分も同じことを言われたとは言わなかった。俺のまるで武士のように気合の入った顔を前にしたら言えなかったと、後日、笑って振り返った。

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