夢なら覚めてくれ

希志魁星

本文

僕は目覚めた。
ココはアパートの自室だ。
何の変哲もない日常が始まる。

本来ならば。



2020年12月15日、僕は壊れ、魂の抜け殻となった。
その日、僕は、最愛の彼女を失った。

その3日前の12月12日、ちょっと調子悪い、と言った彼女が、
翌13日には重症化して、意識不明になった。
そして、12月15日。あっけなく逝った。
奇しくも、彼女の誕生日。

後に分かったのは、新型コロナウィルス感染症。
死の1週前から、風邪っぽい自覚症状はあったらしい。

ショックがあまりに大きく、食事は喉を通らない。水を飲むのがやっと。外出や人と関わることはおろか、声を発すること自体が出来なくなった。
会社は無断欠勤してしまった。
きっと問い合わせだろう、スマホが鳴ったが、電話に出る気力すら残っていない。
誰かが訪ねてきたが、それにも応えられなかった。

12月25日、手紙で解雇を通知された。
こんなクリスマスプレゼント、要らない!
鬱で引き籠りの、冴えないオッサン誕生。
そのまま引き籠った。

僕は一人っ子で、両親と祖父母は他界していて、叔父叔母は居ない。
つまり、親族を亡くした、天涯孤独の身。
僕の就職を見届けるように、母、父と、相次いでガンで逝った。
優しく、かわいがってくれた祖父母は、父方母方ともに、幼少の頃に亡くした。
今の住まいは、就職を機に、会社の近くで借りた、ワンルームのアパート。
生家は売却しており、故郷と呼べるところも、帰るべき実家も、もう無い。



もう何日経っただろうか。急に猛烈な空腹が襲ってきた。
水だけはストックがあるが、食べ物は何も無い。
アパートの隣のコンビニへ、重たい心と足を引きずりながら、フラフラと出かけた。

新しい生活様式のせいで、閑散とした街。
、、、のはずだが、微妙な違和感がある。
気のせいか、道行く人々は若干嬉しそう。

何なんだ?
彼女を奪った新型コロナは、どこへ行ったんだ?

コンビニから出てくる人を捕まえて尋ねた。
「すみません。」
「はい?声が小さくて聞こえませんが。」
「すみません。コロナはどうなりましたか?」
「コロナ?ストーブのメーカ?なら、潰れてないよ。」
「違う。新型コロナウィルス。」
「新型?そんなのあったっけ?ってか、あんた大丈夫?言ってること、ヘンだよ。」
話が嚙み合わない。

とりあえずコンビニへ入る。
新春の飾り付けが施され、店員は浮かれている。
「明けまして、おめでとうございます。」
あぁ、新年か。
そして、僕の誕生日か。
気付かなかった。

二度と見たくもないマスクが、これ見よがしにうざったく並んでいるんだろうなぁ。
ヤだなぁ。

ん?

昨日まで、いや、正確には、僕が引き籠る直前まで、
新型コロナ対策と銘打っていたはずが、
インフルエンザ対策に変わっている。
おまけに、超高値だったはずが、至極まっとうな値段。

どうなってる?



取り合えずヨーグルトを買い、家に戻った。
ゆっくりとヨーグルトを口に運んだ途端、スマホが鳴った。
電話の着信音だ。
驚いた拍子で、手元が震えて、スプーンを落とす。

発信元は、、、
彼女!?
年末に死んだはず。
なぜ?

慌てて電話に出ると、
彼女の声がする。

「さっきから何回も電話してるのに、なんで出てくれないのよ!」
「え?え?え?」
「なに動揺してるのよ!アナタまさか、新年早々、浮気してんじゃないわよね?」
「違う!」
「じゃ、なんで電話出ないのよ!」
「。。。食いモン買ってた。」
「信じらんない!スマホも持たずに出かけたっていうの?」
「目の前だから。」
「ホント、シッカリしてよね!」
「君、生きてたの?」
「はぁ~?なにその言いぐさ!」
「年末に、死んだはず。。。」
「誰が死んだのよ!冗談じゃないわ。」
「いや、君。」
「コロスよ!」
「や、死んだ人に殺されるのは、ヤだ。」
「だ、か、ら。アタシは死んでないってば!ヘンな事言わないで!」

思考が追い付かない。
確かに、彼女は、誕生日の12月15日に亡くなった。
火葬され、骨も拾い、納骨にも立ち会った。
それが元で、僕は壊れたんだよ!
どーゆー事!?

「ちょっと、聞いてんの!」
「悪りぃ。寝ぼけてるみたいなんで、電話切るわ。すぐ折り返す。」
「チョットま」

プープープー。

慌ててスマホを見た。

2020年1月1日。
僕の誕生日だ。

ん???
待てよ。

年が明けたっていうのに、また2020年?
2020年を繰り返している?
1年前に戻ってる?
どういうこと?

前回の2020年1月1日を、思い出した。
元日であり、彼女と初めて迎えた、僕の誕生日だ。
ささやかながら祝ってくれたっけ。
でも、数日前に彼女は死んだはず。

今日は、彼女が亡くなる前の、僕の誕生日。
電話の先には、まぎれもない彼女の声。
もう、訳が分からん!



急いで、彼女に折り返した。

「今日、何日?」
「1月1日。アナタの誕生日よ。」
「2021年、だよね?」
「へ?2020年よ。何言ってんの?」
「ホントに君だよね?」
「アナタ、大丈夫?」
「...」
「...」
「ウェーン!」
「ちょっとぉ、いきなり泣かないでよぉ。」
「ウェーン!」
「そこ動かないで。今すぐそっち行くから!」

プープープー。

30分後、彼女が息を切らして駆け込んだ。
着の身着のままの格好で。

「オイ!」
「ウェーン!」
彼女の姿を見るなり、僕は抱き着いて、子供のように泣きじゃくった。
突然の僕の様子に、彼女は戸惑ったが、すぐに子供をあやすように、頭をなでたり、背中をポンポンと軽くたたいたりした。
「ヨシヨシ。」
「グスッ、ホントに君なんだな!」
「アタリマエよ。」
「良かった!」
「どうしたのよ?」
「だって、だって。。。」

僕は、自身が感じた、不可解な一連の出来事を、かいつまんで話した。
彼女は、俺の体験を、悪い夢でも見たんじゃないか、と思っていた。
僕は、彼女が無事でいるだけでうれしかった。

僕はもう一度話した。ゆっくりと、詳しく。
彼女は黙って聞いてくれた。
僕には衝撃的だったが、彼女にとっても同じだろう。
更に、彼女は、その話の中で死んでしまう。
彼女の心中は、僕にも想像できないくらい複雑だろう。



聴き終えた彼女は、ふと呟く。
「その話が、マジなら。」
「マジなら?」
「アナタ、世界を救えるんじゃない?」
「へ?」
「だって、アナタだけが、すべての記憶を持ったまま、1年前に戻れるんでしょ?」
「、、、そうだねぇ。」
「それで、もし、アナタが本当に2020年を繰り返せるなら、何回か後の今日には、特効薬を開発できるんじゃない?」
「すんごい発想力だなぁ。」
「だけど、開発できるまでは、アナタは毎年、アタシが死ぬところに立ち会うのよね。フクザツだわ。」
「どれだけ辛いことか。。。」
「いいじゃん。」
「なんでだよ!」
「アナタがやらなきゃ、アタシは何度でも死ぬんだよ。最強のモチベーションじゃん。」
「うっ!」
「都合イイことに、アナタ、某製薬会社に勤めてるじゃん。」
「待って!僕は営業職だよ。」
「それでも!ホントにアタシを愛してるなら、どうにかしてアタシを死なせないでね。ダーリン。」
そう言って、彼女はウィンクして見せた。
ぐぬぬ。
卑怯だ。

彼女は、僕というギャンブルに、自身の命を賭けたのだ。

「ちょっと待った。」
「なに?」
「感染経路を特定して、絶てばいいじゃん!僕って天才!?」
「無駄よ。やめて。」
「何でさ!」
「一度でも感染すれば、アタシ死んじゃうんでしょ?なら、ひとつめの感染経路を絶っても、別の経路で感染すれば、結果は同じよ。」
「一理あるね。納得。」

感染経路の追及は、断念した。



新薬開発。
道はただ一つだけ。
それからの僕は、鬼になった。
全てをかなぐり捨てて、新薬開発に向けて没頭した。
計画を練る。どうやって新薬開発を始めさせるか。
彼女は、僕の夢物語を信じて、応援してくれた。
そうだ。応援してくれる人を増やそう。
最終的に新薬を開発してくれる科学者にたどり着けばいい。
イザとなれば、何年かかってでも、僕自身で開発する。



まずは仕事始めの1月4日、社長へ直談判。
新型コロナウィルスの脅威。
社長はあまりに驚いたせいで、腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
一社員が、それもヒラの営業職が、社でも極一部だけが知る、超機密情報を知っているのだ。何よりも、社よりも深く、広く、細かく。
「キミ、それを、どこで!」
「そんなことはどうでもいいです。」
「よくない!」
「そんなことより、全社一丸となって、人類未曽有の危機を救いましょう。社運を賭けて、新薬を開発しましょう!今すぐ!」
「おお、分かった!今すぐ手配するから、ここで見ていなさい。」
社長は取締役会を緊急招集した。
その脇で、僕はプレゼン資料を作った。
形式にはこだわらない。手書きでもいい。とにかく早く、要点を絞って。
紙にまとめるのがやっとだった。
『緊急動議 中国武漢市で発生した新型感染症への対応方針』

、、、彼女の命が懸かっているんだ。まさに必死だ。

社長は異例の行動力で応えてくれた。
取締役会招集と同時に、未承認にも関わらす、研究所内に特別プロジェクトを招集した。
と云うより、研究所丸ごとを特別プロジェクト室にした。
1秒でも早く開発するために。

プロジェクトのリーダーは、僕。
研究所所長は、敢えて僕の補佐役に徹した。
プロジェクトの初仕事は、僕の話をヒアリングしてまとめる。
同時に、数名の研究員が武漢市へ派遣された。
どういうツテなのか、彼らは良好なサンプルを採集、持ち帰った。

研究結果のすべてに、僕は目を通した。
すべては僕の頭脳にかかっている。リセット後へ持ち越す為だ。
同時に、薬品学を理解するために、基礎学習も継続した。



12月12日。予定通りに彼女は発症した。
「特効薬を作ってね。お願いよ。必ずよ。」
「あぁ、わかった。」
「じゃないと、何度でも生き返って、アナタの前に現れるからね。」
「そこだけは大丈夫。生き返らなくったって、何度でも僕の前に現れるよね。」
「バカ!」



12月15日。彼女は2度目の死を迎えた。
悲しいことは悲しいが、浸ってはいられない。
彼女を救うためにも、僕は負けられない。
火葬の直後から、研究所に戻った。
新薬の完成を急がねば!
これは彼女の願いであり、彼女への誓いでもある。

周囲は、僕が鬼か悪魔かのように騒いだ。
彼女を無くしたのに、悲しむ様子もないから。
実際は悲しかったのだが、周囲には理解してもらえない。
そんなことには構っていられない。

2020年を僕だけが繰り返すのには、何かがある。
まずは、いつ、何が起きるのだろう。
彼女が火葬された後に、何かが起きるはずだ。
しょっちゅうスマホのカレンダーを確認した。
そこで分かったこと。
・僕の誕生日である元日を迎える瞬間の午前0時、世界はリセットされ、きっかり1年前に戻る。
・リセットされる瞬間、倒れそうなほどのめまいがする。1年前の引き籠り時は、寝ぼけていたのでただの頭痛だと思っていたけど、きっと同じ目に遭っていただろう。
・僕の記憶は、1年間積み重なる。僕の心はリセットされない。
・僕の身体もリセットされない。彼女の火葬後は、毎日、身体中の違うところに小傷を付けてみたが、リセット後にも残る。

ショック。

僕は精神的にも肉体的にも確実に年を取る。
誕生日を迎えるたびに、周囲より1歳老ける。
何より、彼女より早く老けてしまう!
彼女と一緒に年齢を重ねることは、もはやできない。



3度目の2020年1月1日。

僕の周囲の、奇妙な喧騒は静まった。
というか、恒例の新春祝いのお祭り騒ぎだ。
そうだ。
世界は1年前に戻り、繰り返しているのだ。
当然、彼女も生きている。
彼女の説得、社長の説得、プロジェクト発足、僕へのヒアリング。
すべてが1年前と同じ。

だが、少しだけ違うことがある。
僕の記憶だ。
1年間の研究成果をすべて『記憶』している。
ヒアリングですべて吐き出す。
少しずつ、前へ進んでいるんだ。
やることは前回と同じ。
だが、今回は、鬱になっている暇など、無い。

1月4日。
仕事始めで、慌てた。
「今の」世界はリセット後。僕は営業職だ。
勇み足で、研究所に出社して、門前払いを受けてしまった。
いかんいかん。



2020年1月1日を繰り返すごとに、研究成果は蓄積された。
それと共に、僕は年齢を重ねていった。



5度目の2020年1月1日。
彼女に言われた。
「アナタ、昨日会った時より、老けた?」
「あぁ、そうだな。」
少しだけ、彼女に説明する事柄が増えた。
それと共に、説得力が増した。
僕だけが1年を繰り返していること。
肉体年齢は、一夜にして4歳取ったのだ。
対して、彼女は、たったの1日。
その事実を物語る、揺るぎない証拠だ。

正確には、彼女が1年前に逆戻りして、僕が1日経ったのだが、細かい事はどうでもいい。
ちっとも嬉しくないことに、変わりはない。



何度2020年1月1日を繰り返しただろう。
生前の両親の年齢を超え、数える事自体がバカバカしくなって、やめてしまった。
この頃には、営業職の面影は既に無く、研究職以上に研究職らしくなっていた。
それと共に、白髪も目立つ『肉体年齢』になっていた。
彼女とは、親子ほどの「歳の差」が出来ていた。外見上は。



今回の2020年は、彼女が感染する直前に、治療薬が完成した。
必要な書類も手続きも終わり、年明けには国の承認を受ける見通しだ。

やった!!!

治療薬が完成した喜びで、これまでに溜まりに溜まった鬱憤が晴れて、弾けてしまった。
我を忘れるほど浮かれて、後先も考えずにお祝いをしてしまい、咄嗟に彼女とディナーに行ったことで、『未来』が大きく変わった。
今回に限って、『リセット』されなかった。
2021年1月1日を迎えたのだ。

彼女は、発症どころか、感染すらしなかった。
その代わり、年明けに僕が発症した。
治験ではない、正式な治療の第1号は、僕だった。



何と、僕にヤラセ疑惑が浮上した。
・特効薬である新薬の開発。世間的には、たった1年間足らずで、ズブの素人が完成させた。
・感染。カモフラージュの疑い。
・第1号の治療生還者。ヤラセの疑いが確定。
・年始に、急激に老化する。最も怪しまれた。
状況証拠が余りにも揃い過ぎていたので、新型コロナウィルスの極秘開発まで疑われ、まことしやかに囁かれた。

まず、プロジェクトチームから声が上がった。
次に、元同僚の営業部。
会社中が噂で持ちきり。
流石に社長も僕をかばいきれなくなった。
治療薬の開発の功績だけは認められ、報奨金は頂いたが、それと引き換えに解雇された。

ヤラセ疑惑は、ほどなく世間に知れ渡った。
彼女は僕に愛想を尽かせ、去り、別の男性と結婚した。
数少ない友人も、悪態をついては、見限って離れていった。
街中では顔を見れば暴行され、住む所は追われ、報奨金を含む預貯金はだまし取られ、身ぐるみは剝がれ、たった1か月で文字通りの無一文となった。
誰もが見て見ぬふり、ザマァ見ろ、制裁だと、それはそれは凄惨な、まさに社会的リンチを受けた。

僕は浮浪者になり下がった。
全身がボロボロ、服もボロボロ、髪や髭は伸び放題で、どこからともなく異臭を放つ。
見るからに無残。だが、悪い事ばかりではない。
浮浪者となることで、リンチから逃れられた。
取り合えず、生命に及ぶ危機は訪れなくなった。



そんな日々を数か月過ごした僕へ、営業員だった当時の営業部長が訪ねてきた。
そこで驚愕の事実を知る。

営業部の先輩の一人が、僕の超短期サクセスストーリーを妬んで、嘘をでっちあげ、根も葉もない噂を流したのだった。
悪辣なことに、複数人の事情通を装い、社内の複数の部署宛に偽名で投書、という手の込みよう。
更に更に、彼は元カノの結婚相手。落ち込んだところに付け入ったらしい。
「仕事上の成功」と「彼女」。二つを僕から奪い、あわよくば彼女は我が物にする、という計画だった。
コトは上手く運び、僕は失脚、彼女を横取りした。

ところが、世の中捨てたもんじゃない。

営業部長は、僕の元カノを見知っていた。
デートの帰り道、街中でバッタリ出くわしたのだ。
その場で元カノを紹介したので、名前も顔も背格好も、よく覚えていた。

先輩の結婚式で、新婦がその元カノだったことに、部長は違和感を覚えた。
部長が見た、アツアツでラブラブのカップルは、わずか数か月の間に破局を迎え、
彼女は部下である別の男性と結婚するのだから。
そこで、探りを入れたところ、先輩はウッカリと横取りの件を漏らしてしまった。
そこから芋づる式に、悪だくみが全て露呈した。



彼は前例のないほど重い懲戒処分を受けた。内容は、飼い殺しの社畜。
・万年担当課長で、人事評価は常に最低、部下ゼロ昇給ゼロ、の条件で、地方の閑職へ左遷。=万年窓際族決定。
・月俸の半額と退職金全額は、僕への賠償金という名目で、会社が確保。金額は8桁後半で確定済。実質の年収額は、現在とほぼ同額という手の込みよう。=退職までゼロベア。
・次に懲戒処分を受ける際は、懲戒解雇にランクアップ。=テンパイ。
・退職時は、退職理由を問わず、賠償金の不足分を全額支払う。その他、彼に関して会社が被る金銭的不利益は、全額が彼の自己負担とする。=逃亡時は回収に掛けた経費含め、全額を彼が負担。

解雇の方がまだマシだ。未来への希望がかすかに残る分だけ。
後に、新型コロナウィルス感染症の新薬が莫大な利益を生むこととなり、特別報奨金が全社員に支給されたが、特例で彼にも支給された。イヤミ以外の何物でもない。社長は粋(イキ)だ。

彼を名誉棄損で民事告訴する準備も整っていて、残るは僕本人が書類にサインするだけとなっていた。
後日談だが、彼が告訴を回避したため、慰謝料を受け取ることで示談にした。原資は、先の賠償金。



彼の計画が明るみに出るや、営業部長は厳しい業務命令を受け、奔走していた。内容は、
・僕を発見及び社に連れ戻す。
・それまで出社は不許可で毎日定時連絡を義務付け、捜索に専念する。
・タイムリミットは3か月。
・発見できなければ解雇。
タイムリミット5日前に、僕は確保された。部長は嬉しさのあまり、その場で泣き崩れた。
部長が落ち着いたところで、丁重なる謝罪を受け、復社を承諾した。

僕を発見・確保した一報を受け、社長は緊急記者会見を開いた。僕の名誉回復と、それまでの経緯。
そこで僕は、稀代の悪人から一転、時代の寵児となった。
元々、悪人扱いされた頃に、顔も名前も、元カノに捨てられた黒歴史も含め、プライベート一切は丸裸だった。それが災いした。連日、僕の特集やゴシップで、マスコミはヒートアップした。知人は数少ないはずが、同じ学校だっただけという怪しげな人まで現れるほど。親類を名乗る人も現れたが、すべてニセモノだった。

会社は、解雇自体を撤回、今日までの出社日は特別枠の有給休暇扱いとなった。
更に、解雇「したはず」の日に遡って、執行役兼研究所長の辞令が下りた。
みんなより十数年は「老けて」いるため、貫禄だけは充分にある。
頬はこけ、白髪は交じり、顔中にシワは深く刻まれ、肌艶は無い。



社長宅へ一旦お世話になり、お風呂を頂き、身ぎれいに着替えると、某製薬会社へ出社した。

全取締役の最敬礼をはじめ、大勢がうやうやしく出迎えてくれた。
その日から3日間は臨時の休日となり、2日目は全社挙げての祝賀会だった。前後各1日は集合と解散の日、という念の入れよう。
集まれるだけの社員が、それこそ全国から集った。
祝賀会ではもみくちゃにされ、盛大に祝福された。
僕を悪く言おうものなら、「彼」の二の舞になることは誰の目にも明らかで、参加者には僕を妬む者は居なかった。
だが、転落した時に味わった心の傷は癒えない。
みな表面的なのだ、と荒んでいた。

宴会が終わり、ひとり佇んでいると、寂しさがこみ上げる。

新薬開発のモチベーションだった彼女は去り、
個人情報は暴露され、
安心できる居場所は無い。
数えるのも忘れた『実年齢』だけが残った。

それと引き換えに、僕は大勢の命を救うきっかけを作った。
それに伴う、比類なき栄誉。
ノーベル医学賞間違いない、と、皆が口々に言う。

僕の人生、なんだったのだろう。



新薬フィーバー、僕の復帰歓迎ムードがひと段落したところで、ひっそりと退職を願い出た。
元々、研究職としての地道な蓄積があったわけじゃない。
僕にとって、研究職の重役の椅子は固く冷たく、座り心地は最悪で、生きた心地がしなかった。
社長の引き止めは激しかったが、丁重にお断りした。

話し合いの末、執行役員の肩書だけは残った。
但し、出社の義務は無く、かつ、役員報酬は支払われる。
会社の功労者へ報いること、会社の体裁を保つこと、双方のバランスをとった結果だ。



数少ない身辺整理の後、新型コロナ禍など微塵もない、ド田舎に引っ越した。
そこは、僕を知る人も、治療薬の存在も、知る人は居ない。
心機一転、そこで自給自足の生活を始めた。
資産管理は、会社の顧問弁護士に一任した。
僕が亡くなった時には、慈善団体へ寄付する手筈となっている。
年に1回、農閑期に街中へ出るときだけ、少々引き出しては、ひそかに楽しんでいた。



そんなド田舎の僕の元へ、元カノが訪ねてきた。
どうやって所在を調べたのだろう。
元カノは、僕を見るなり、ワンワンと泣き崩れた。
「ホントは命の恩人なのに、無情にも、アナタを捨てました。」
「うん。そうだね。」
「ワタシは加害者です。責めてください。」
「君は加害者じゃない。犠牲者なんだよ。」
「彼とは別れます。そして、一生、アナタのそばで尽くします。」
「もういいんだ。君は彼に騙されて、僕を捨てた。それは事実だ。だが、捨てなければ、君もドン底を味わうことになった。あの時、あの状況では、他に選ぶべき道は無かった。悔やまないでおくれ。」

会社の恩情で、君たち家族は、「彼」の処分の巻き添えを食らうことは無いはず。
少々苦労するだろうけど、充分な物を残してもらった。そこだけは僕の提案で、最後の慈悲なのだから。
不服なら、「彼」の有責で離婚すれば良い。
何よりも、君は彼を選んだのだ。今更、僕に思いを寄せても、君が不幸になるだけだ。

君は僕と逢ってはダメなんだ。
僕も君と逢ってはダメなんだ。
これっきりにしよう。

それよりも、周囲で言いふらさないでくれ。
安穏とした生活を、おびやかさないでくれ。
僕は過去を捨てたのだ。
元カノであるはずの君ですら、僕には「捨てた過去」。
その過去に怯える日々が続くのか?

次回、元カノがアプローチしてきたら、全力で排除する。それが叶わないなら、海外へ移住するまで。
それを伝えたら、元カノはグズりながら帰っていった。



今日のニュースで、某製薬会社がノーベル医学賞を受賞したことを伝えている。
正確には、当時の研究室で、僕を除いた主要メンバーだ。
僕は辞退した。すべて、弁護士に託してきた事。

営業部長には、改めてお礼を述べた。今でも時々連絡を取ってる。

当時の研究メンバーとも、時々連絡を取っている。
彼らは口々に受賞の喜びを語る。
僕への感謝と、僕が受賞しなかったことへの憐憫。
いいんだよ。
危険な感染症と隣り合わせで、新薬を開発したんだ。
そのリスクに対する、正当な対価だ。
金銭だけじゃなく、名誉にも浴してくれたまえ。



騒乱の日々は、全て終わった、のだろうか。

旅に、出ようか。

どこでもいい、アテもなく彷徨いたい。

そこで、なにかを見つけられたら、イイな。

幸い、身寄りは無く、天涯孤独だ。

親類は遠縁の者だけが健在だが、既に疎遠。僕が親類だって事は、誰も覚えていない。有名人だった頃ですら、実の親類は誰も名乗り出なかった。
そもそも、僕の「実年齢」は、生前の両親を遥かに超えている。かすかに残る面影だけが、僕の血の証明だ。じっくり観察しなければ、誰にも分からない。おそらく、僕も親類も、互いを認識できない。



お隣さんにだけ一声かけて、日本を発った。
好きに使ってください、と伝言して。

多分、日本に戻る事は無いだろう。
この田舎にも。

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