檸檬色に染まる泉(純愛GL作品)

鈴懸嶺

思い込み

 明日から、いよいよ維澄さんと”同じ空間”でのアルバイト勤務が始まる。

 私の採用理由は、維澄さん直々の希望で “夕方の忙しい時間、維澄さんをサポートする事“と言うことになっていた。

 ただしこれは表向きの理由で、維澄さんの本心では決してない。

 しかし、私が維澄さんの仕事をサポートするという事実には違いがない訳だから、私の教育係は必然的な維澄さんという事になった。

 そもそも夕方、維澄さん以外の店員を見たことないのだけど……

 スタッフルームに掲示されたいたシフト表には複数人の名前があったが、そのメンバーは概ね午前中に集中していたので、午後はもしかするといままで維澄さん一人でまわしていたのかもしれない。

 だとすれば維澄さんが突然に〝辞める〝と言いだした所で店側から簡単に許可が下りるわけがない。

 今になって冷静に考えればいきなり維澄さんが、どこかへ行ってしまうなんてありえなかったのだ。

 ただ昨日はそんな事すら想像できない程に私は冷静さを失って、まともな思考が出来ていなかったのだと思う。

 今日の夜もまた緊張して眠れそうにない。維澄さんに出会って以来、ずっとこんな夜が続いて少し不眠症気味だがそれもこれも維澄さんが原因と思えば何故か不愉快な気がしない。

 私はどうせ悶々として眠れない夜ならと、何度も何度も明日の維澄さんとの会話シュミレーションをしてようやく眠りにつく事が出来た。

 …… …… ……

 次の日、いよいよ私は勤務初日を迎えた。私はあらためて店長から軽いオリエンテーションをスタッフルームで受けた。その後、いよいよ維澄さんが立つレジまで、渡辺店長と二人で向かうことになった。

 そして渡辺店長からは改まって、維澄さんへ私の紹介があった。

「碧原さん。神沼さん、正式にアルバイトしてもらうことになりましたので。自己紹介はこの間で済んでるよね?早速、教育お願いしていいかな?」

 維澄さんの中でも、すでに周知のことだからか、先日のような動揺はもちろんなく、相変わらずの無表情だった。

 でもその表情に不快な色はない。その顔を見て私はやはり少しホッとした。だから、私は勇気を振り絞って、敢えて自分から自己紹介をした。

「改めまして。神沼檸檬です。今日から夕方に時間だけお世話になります。よろしくお願いします」

 昨日の夜から、”ほんの”さっきまで、何度も頭で反芻して覚えた挨拶の文言を口にした。

 何度も練習しただけあって、緊張したけど淀みなく言えた。

「へ~神沼さん。はきはきして立派な挨拶だね?これは期待できそうだ」

 渡辺店長には、好印象だったようだか、申し訳ないけどそれはどうでもいい。

 肝心なのは維澄さんのリアクションだ。依然、維澄さんは無表情のままだったけど、辛うじて無理矢理すぎる微妙な作り笑顔で少しだけ頭を下げてくれた。

 今は……、今は、これだけで充分だ。

 よかった……

 私は、余りにホッとしすぎたため緊張が一気に解けて涙腺まで緩んでしまった。

 そんな私の表情の変化に全く気付きもしない店長は、私を維澄さんに丸投げして、とっととスタッフルームに戻ってしまった。

 ホントあの店長のいいかげんなことといったら……


 さて……

 ついに私と維澄さんはレジを挟んで2人きりになった。店内にはお客さんが数名いる。私も遊びに来ている訳ではないので、心乱されるばかりでなくまずはしっかり仕事を覚えないと。

 でもその前に。

 やっぱり私は先日のわだかまりはしっかり解消しておきたかった。だから、緩んでしまった緊張感をもう一度奮い立たせて、もう一回勇気を出して……

 維澄さんに切り出した。

「碧原さん、改めてよろしくお願いします」

「え、ええ……」

 短い返答。

 表情は動かない。

「この前は取り乱してすいませんでいた。あの時言った通り、余計な詮索は一切しませんからあくまで仕事の後輩として接して下さい」

 このセリフもさっきの挨拶同様に、何度も考えて、そして頭で何度も反芻して、最後はブツブツと声にだしてまで練習までした。

 たぶん上手く言えた。

 直視された。

 恐い。何を言われるかわからない恐怖。

 店内のエアコンが効き過ぎていることもあって額に汗が浮かんでいる。

 そんな緊張から少し維澄さんを睨み過ぎてしまった。

 さすがの維澄さんも呆れたように肩の力を抜いた。

「そんな恐い顔しないで……」

「あ、す、すいません。私目つき悪いから」

 慌てて、言い訳すると維澄さんは視線を私から”フト”外しながら思いがけないことを言った。

「あなたは、どうやってた私を探し出したの?」

「え?」

 私は想定外の問いに、一瞬思考が追いかけなくなってしまった。

 でも、もしかして。

 そうか、そうなのか……。

 私は維澄さんに熱狂的とも言える”強い憧れ”を抱いていたことを既に伝えてしまっている。

 だから、維澄さんからしたらファンが無理やり自分を探し出して、強引に同じ職場のアルバイトに応募してまで接近しようとしたと解釈していたんだ。

 そんな……

 それじゃまるでタチの悪いストーカーじゃないか⁈私はそこまでの結論に達して、愕然としてしまった。

 だとすると、維澄さんは、そんな“私がストーカーまがい“なことをしていると思いながらも同情して、受け入れてくれたということ?

 ははは……

 マイッタな。この前は自分が考えていた以上に危機的な状況だったのかもしれないな。

 私はそれを想像して思わず肩を竦めた。

 当然私はそのままストーカーと誤解をされていたくはない。だから即座にその事を否定した。

「偶然です!まさか自分の住む町に維澄さんがいるなんて想像すらしていませんでしたから……それに……」

「それに?」

「そんな”ストーカー紛い”なことする人間ではありません」

「そう…なの……」

 維澄さんは、なぜかここにきて少し動揺を見せた。

 そして……

「だったら……ご、ごめんなさい」

 急に維澄さんは、泣きそうな顔でしかも消え入りそうな声で謝ってきたのだ。

 私はキョトンとしてしまった。

 は?なんでそんな顔でいきなり謝るの?

「維澄さんは何も悪くないです。ただ私が勝手に情緒不安定になって泣いてしまっただけですから」

「でも、その私の冷たい態度が原因だったんでしょ?」

 まあ、それはそうなんだけど。なんだ?この違和感は。

 この会話が私が抱いていた維澄さんのイメージ像が、ぶれ始めるきっかけになった。

 私が混乱していると維澄さんはハッキリと言葉で本心を語ってくれた。

「もう分かってると思うけど私は元モデル。IZUMIという名前で活動してた。そして過去のことをあれこれと詮索してほしくないのもその通り。そしてそれを口外してほしくないのも……」

 維澄さんは申し訳なさそうに、こんな私に丁寧に話をしてくれた。今の維澄さんは、昨日私が感じた鋭利な刃物の様な冷たい印象はない。

 あれ?こんな人だったっけ?

 もちろん維澄さんの印象は、過去に膨大に詰め込んだ”勝手な妄想”プラス、先日の”紙一重”のやり取りしかないのだが……

 もしかすると私は維澄さんのことを、相当に分厚い”色眼鏡”で見てしまったいたということが多いにあったのかもしれない。

 今目の前にいる維澄さんはなんか、とても真面目な普通の女性にしか見えない。

「も、もちろんそれはお約束します」

 維澄さんの真摯な態度に最大限に応えるべく……

 私はことさら真剣な表情と、真剣な口調で返した。


「それについては。わがまま言ってごめんさない。でもそうしてもらえるなら私は別にあなたを嫌っている訳でもないし、仕事の後輩として普通に接するから」

 やっぱりそうだ。違う。私が勝手に妄想したイメージとは……

 これはもう優しい大人らしい言葉でしかない。



 また間違ったんだ……私……

 おそらく維澄さんは、普通に優しいだけの大人なのかもしれない……

 それにようやく気付くと……

 私はあまりにホッとしすぎて……

 またやってしまった。

 またボロボロと涙が止まらなくなったのだ。

 よかった。

 よかったよ。

 はあ……よかった。

「だ、だからそうやってすぐ泣くのはやめてよ」

「す、すいません……ちょっとホッとしちゃって」

 ホント自分でもこの情緒不安手ぶりは酷いと思う。

 彼女からしたらそうそうめんどくさいヤバい女に見えてるはずだ。

 学校ではむしろドライとかクールとか言われてるのに。

 そこはちょっと悔しい気もする。

 もっとちゃんとしている私も維澄さんに見せたいのに……

 でもそれは焦ることはない。

 だってこれからいくらでもチャンスはあるのだから。

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