廻りくる季節のために 縄文編

佐藤万象

プロローグ

二〇二〇年四月のとある日曜日、山本徹は妻も出かけていて珍しく部屋でブラブラしていていたが、ふと思い立っていつもの公園に行ってみようとやって来ていた。今年も桜の花がほぼ満開に近く咲き誇っいて、公園は花見がてらの家族ぐるみでやってくる人たちでごった返していた。しばらく公園内を散策していた山本は、いつものようにベンチに腰を下ろした。
佐々木耕平が一九九〇年の世界に自分の父親の消息を調べに行ってから、すでに二年の歳月が経過しようとしていた。あれから二年、山本はくる日もくる日も耕平のことばかり考えて暮らしていた。こんなにもアイツのことが気になるのだったら、何故あの時にもっと強引に引き留めておかなかったのかと、いまになって後悔ばかりがやたらと空転する日々を過ごしていた。
山本は耕平に頼まれたとおり、自分の時間が許すかぎり耕平の母親のもとを訪ねて行っては、その内きっと帰ってくるからと慰めたり、世間話に花を咲かせて落ち込んでいる母親の気を紛らわせる努力を怠らなかった。ただ、耕平がいなくなった本当の理由だけは、絶対に口に出せないことだけが一番心苦しいところでもあった。
『一体アイツは、いま頃どこで何をしてるんだろう…。人の気も知らないで……』
そんなことを考えながら、タバコを取り出して一腹吸い込みながら空を見上げると、そこには雲ひとつない青空が広がっていた。あの時もちょうど今日のような晴天だったな。と、耕平と別れた日のことを思い出していた。そういえば、最近ゆっくり空も見上げることもなくなっていることに気づき、山本は深いため息をひとつ吐いた。山本自身も日々の生活に追われ、耕平のことも相俟って精神的に余裕など持てないでいた。
「おい、山本くんじゃないか。何してるんだい。こんなところで」
と、声をかける者がいた。声のするほうを見ると、近所に住んでいる山本より二年先輩の河野が立っていた。
「あ、河野先輩しばらくぶりです」
山本が会釈すると、河野は近づいてきて隣に腰を下ろした。
「お前、最近どうしたんだ…」
「え、何が、ですか…」
突然聞かれて、山本は一瞬ドギマギしながら尋ねた。
「近所じゃ評判だぜ。佐々木耕平は二年間も行方不明のままだし、お前はお前で休みのたびに何をするわけでもないのに、公園にきてボーとしているだけだって云うんじゃないか、ホントにどうしたんだ。それとも耕平の行方不明と何か関係でもあるのかよ」
「そんなんじゃないですけど…、ただ耕平とは子供のころからの付き合いで、そのうち帰ってくるんじゃないかと思って待っているだけです」
「ふーん」
河野はポケットから煙草を取り出して吸おうとしたが、
「ちぇ、切らしちまってる。買ってくるから、ちょっと待ってろ…」
「あ、オレのでよかったら、どうぞ」
山本は自分のタバコを出して、河野に渡した。
「お、すまんな。じゃ、一本もらうか」
河野は一本取りだすと、うまそうに吸い始めた。
「ところで先輩は、何をしてるんですか。ここで…」
「ん、オレか、いや何もしてねえよ。ただ、あんまり天気がいいもんだからよ。家にいてもガキどもがうるせえからな。単なる気晴らしよ。気晴らし…」
そんな他愛もない話をしばらくした後で、河野は帰って行った。山本も公園の時計をみると午後三時を回っていることに気づいて立ち上がった。
公園の裏通り近くまで来た時、あのブランコが眼に留まった。
『すべては、ここから始まったのか…。それにしても耕平のヤツ、えらいない物を拾ってくれたよなぁ…』
そんなことを考えながら、ふと、またブランコに乗ってみようと思い立ち、ブランコの鎖に手をかけて腰を下ろそうとした時だった。背後のほうから人が近づいて来るのを感じた。
「あの…、きみは山本徹だよね…」
と、尋ねた。振り返ると、五十代半ばの白髪交じりの男が立っていた。人を呼ぶのに呼び捨てにするとは、なんて失礼なヤツだろうと思い、少しムッとしながらも、
「はい、そうですけど、いったい誰ですか。アンタは…」
山本が答えるのを待っていたかのように、男は早口で喋りだした。
「おお、やっぱりそうか。最初からわかってはいたんだが、いざとなるとやっぱり気恥ずかしくってね。そうか。やっぱり、きみは若い頃の山本徹か。なるほど、なるほど」
何を言っているのか、さっぱりわけがわからないまま、山本は男に聞いてみた。
「いったい誰なんですか。アンタは、人に名前を聞くのに呼び捨てにするなんて、失礼にもほどがある…」
「いや、失礼したね。でも、自分に自分の名前を聞くのに、さん付けってのもどうも気恥ずかしくってね。許してくれたまえ」
そう言いながら、男はちょっとはにかむように照れ笑いを浮かべた。
「自分で自分の名前って、どういうことなのか、もう少しちゃんと話してくれなくちゃ、わからないって云ってるんですよ。アンタは誰なんですか。ホントに……」
「まだ、わからんのか…。うーん。いや、悪かった、悪かった。実は、私は二十八年後のきみだよ。つまりは、令和二年の山本徹の成れの果てだよ…」
山本は自分の耳を疑った。目の前に立っている、この男が二十八年後のオレだって…。しかし、同じ時間帯の中に未来と過去の自分が対峙していること自体、果たして可能なのだろうかという疑問と、自分ではあまりピンと来ないことでもあったが、かつてタイムマシンの開発者である吉備野博士から聞いた、時間軸の中の同じ時間帯には過去と未来が連続して存続しているのだということを思い出していた。
そして、いま、ここにいる男と自分の姿を他人が見比べたら自分の父親を見るより、明らかに年老いた自分自身であることを感じるかも知れなかった。
「まあ、立ち話もなんだから、そこのブランコにでも掛けて話そうか」
未来からやって来た山本徹は、まだ半信半疑の眼差しで見ている山本を促すように傍らのブランコに腰を下ろした。
「すべては、ここから始まったんだよね…、耕平もえらい目に遭ったもんだよ」
さっき自分が思っていたことと同じようなことを口にしたので、この男がほぼ間違いなく未来からやって来た自分であることを、山本は半ば確信に近い形で感じ取ることができた。
「もし、本当にアンタが未来のオレで、こうして、ここにやって来たってということは、もしかしたら耕平に逢って、あのタイムマシンを使ってやって来たのかい。それで耕平はどうなったんだい。耕平の父親の消息は解ったのかい…」
ようやく落ち着きを取り戻したのか、山本は矢継ぎ早に未来から来た自分に質問を浴びせかけていた。
「ん…、そのことなんだが…、話が非常に入り組み過ぎていて、こんな所で立ち話しするような内容でもないんで、どうだろう。どこか、その辺のホテルでも借りてゆっくり話そうか。きみに渡したい物もあるんで……」
ふたりとも過去と未来の同一人物だけあって話は早かった。表通りに出ると未来の山本徹はタクシーを呼び止め駅前に向かって走り去って行った。



第一章 山本が未来の自分から聞いた話





ふたりはホテルに部屋をキープすると、窓際のテーブルに向かい合って腰を下ろした。
「さて、さっそくなんだけど、その入り組んだ話ってのはどんなこと…」
待ち切れないとばかりに、山本は未来からやって来た自分に質問を始めた。
「うん。この話は非常に難しい話なんだ…。なぜ、耕平がこの時代に来ないで、二十八年も経った私ところに来たかわかるかね…」
「いや……」
と、山本はひと言だけ言うと、次の言葉を待った。
「耕平は、自分が向こうに行った時期のもっとも近い時点に帰ろうとしたらしいんだ。だが、耕平は自分が向こうで体験した話を私に…、いや、きみに話すのが怖くなって結局のところ、二十八年も経った私の年代を選んだらしい」
「え、なんでだ…。何故なんだ。どうしてもっと早く帰って来なかったんだろう…。それになんでオレに話すのが怖かったんだ……」
「それはだね。アイツが体験して来た話をきみに…、若い頃の私に云ったら怒り狂ってぶっ飛ばされるんじゃないかと思ったらしい。それで、考えた挙句に私のところにやって来たというわけさ」
それでも山本は解せないらしく、
「向こうで何かとんでもないことをやらかしたって云うのかい。耕平の野郎。もっと手短に云ってくれよ。オレが気が短いの知ってんだろう、アンタは。未来のオレなんだから…」
「いや、悪かった。その通りだな。これで、きみも少しは予備知識ができたと思うから、率直云うと、耕平が着いたのは一九九〇年ではなく、一年前の一九八九年だったって云うんだよ。そこで、耕平にはその気がなかったらしいんだけど、偶然に娘時代の母親にぶつかりそうになって、避けきれずに自転車ごと転倒して肘を擦りむいたらしい。
責任を感じたおふくろさんは、耕平を家に連れて行って傷の手当てをしてくれたそうだ。そうこうしているうちに、中学生の頃に亡くなった耕平の祖父さんが帰ってきて、いろいろ話しをしているうちに、自分は坂本耕助といって失業中を利用して日本中旅して回っているのだと、偽名と勝手にでっち上げた作り話をしているうちにひと晩泊めてもらうことなって、夕食の時に祖父さんとおふくろさんを交えて、ビールを飲みながら祖父さんの会社の話になったそうだ。祖父さんの会社では雑役係のアルバイトを募集していたんだが、その頃は、ちょうどバブル景気の真っただ中で、アルバイトみたいな安い賃金で働くヤツなんて誰もいなくて困っていて、もし急ぐ旅でないのなら少しの間でもいいから手伝ってくれないかと頼まれたらしい」
そこまで一気に話すと、未来の山本はタバコを取り出して火をつけた。
「で、それからどうしたんだい。耕平…」
「ん、ぜひにと頼まれた耕平は、次の日から祖父さんの会社に通うようになったんだそうだ。ところが聞くところによると、おふくろさんは未だに付き合っている人もいないということで、いったい自分の父親になる人はどんな男なんだろうと、相手が現れるのを待っていたんだが一向に現れる気配もないというんだ。
そのうち祖父さんが出張で北海道に出かけた日の夕方、耕平が会社を出てくるとそとでおふくろの亜紀子さんが待っていて、飲みに行こうと誘われたんで『ぼくはまだここに来たばかりで知ってる店もないし、また今度にしませんか』って、断ったら、あたしが奢るから行こうって強引に誘われて、耕平も仕方なくついて行ったそうだ」
「ふーん…、アイツらしいな……」
「それから、亜紀子さんの友だちも呼んで大いに盛り上がていたそうなんだが、そのうちだんだん亜紀子さんの呂律が回らなくなって、そのままカウンターに頭を乗せたまま眠ってしまったんで、耕平は慌ててタクシーを呼んでもらって帰ってきたんだってさ」
「なんだか、喉が渇いてこないかい。電話をしたら何か持ってきてくれるんじゃないかな。ビールでも呑もうか」
山本が云うと、未来の山本もニンマリと笑いながら、
「お、いいね。自分同士で呑むなんてことは、普通なら絶対にあり得ないことだから、ぜひ飲もう」
いうよりも早く、立ち上がるとフロントに電話をかけに行った。未来の山本が電話をしているのを聞きながら、二〇二〇年の山本徹は何だかわからない不思議な感覚に捕らわれていた。それは、こんなにあり得ないことばかりやっていると、その反動でいつか良くないことが起こるのではないかという、半ば恐怖感のようなものを感じていた。
「すぐ持ってくるそうだ」
電話をかけ終わった未来の山本が戻ってきた。
「ところで、ここからが核心部分だから、よく聞いてくれよ。
酔いつぶれた亜紀子さんを連れて帰った耕平は、家に着いた頃は亜紀子さんもいくらか酔いが醒めていて、家に入ったとたんにもう一回酒を飲もうと騒ぎ立てたって云うんだよ。それで、耕平も一杯だけなら付き合うという約束で呑み始めたんだが、やっぱり亜紀子さんはすぐに酔いが回って、テーブルの上にうつ伏せになって眠りそうだったんで、亜紀子さんの部屋まで連れてってベッドに座らせて、後でくるからと云って戻ってきたんだが、耕平も少し酔ってはいたが台所の後片付けをしてから亜紀子さんの部屋に行って見ると、パジャマには着替えていたものの寝ないでベッドの上に座ったままいたんで、寝かせようとしたらいきなり耕平の腕を掴んで、もの凄い力で引っ張られたたもんで、耕平のヤツ亜紀子さんの上に倒れ込んでしまったそうだ」
「………」
「それでも、耕平は必死になって亜紀子さんを引き離そうとしてもがいたんだが、力いっぱい抱き着いて来るんでどうしても離せなかったんだとさ。そしたら、亜紀子さんに『どうしても抱いてくれないのなら、あたし死んじゃうから…』と、云われて、耕平は昔私から聞いた、親殺しのパラドックスを思い出して一瞬頭の中が真っ白になって、後のほうはあまり覚えてないって云ってたなぁ…」
そこまで話した時、ホテルのボーイがビールとつまみ類を乗せたワゴンを運んできた。
「はい、ご苦労さん。じゃあ、あとは呑みなからでも話そうか」
「それでは、さっそく頂きますか」
山本がグラスを取って未来の山本に注いでやると、
「それでは、普通ならあるはずのないふたりの出逢いに乾杯しよう。カンパーイ」
未来からやって来た、年上の山本はグラスを高々と上げた。
「カンパーイ」
現在の若い山本もつられてグラスを上げる。
ふたりとも一気にビールを飲み干すと、
「いやぁ、実にうまい。それにしても、お前さんくらいの年の頃だったら、カミさんもまだ細っそりとしているんだろうな。いまじゃ、もう昔の面影も見られないほどブヨブヨなんだからなぁ、いまのうちに節制するとか注意するように、何とか手を打っておいたほうがいいんじゃないのかな」
「へえー、そうなのか…。でも、それって過去に干渉することになるんじゃないのかなぁ」
「でも、そんな些細なことはたいして気にすることでもないさ。それより、きみが将来幻滅するんじゃないかと思っただけさ」
そんな他愛もない話に花を咲かせなから、しばらくビールを呑んでいたふたりだったが、若い山本が急に思い出したように口を切った。
「ところで、何だぁ…。耕平のヤツは何で、いまの時代に戻って来ないで、二十八年も経ったアンタの時代に行ったんだい。そこんところが、いまいちオレにはわかんなんだよなぁ…」
「それはだね。そんなことがあってから、一ヶ月くらい経った頃に亜紀子さんから、少し話があるからって云われて一緒に公園に行ったそうなんだよ」
「……」
「その話がどんな内容だったのか、わかるかい。きみは…」
「いや………」
「そうだろう。私にもわからなかったよ。実はね。この時、亜紀子さんはすでに妊娠していたらしいんだ」
「え、妊娠…って、誰の……、まさか…」
山本は驚いたように腰を浮かした。
「そう、そのまさかなのさ。亜紀子さんは、その時、すでに耕平の子供を宿していたんだよ」
「こ、耕平の子供…、おふくろさんが…、そんな………」
若い山本は、驚きのあまり絶句してしまった。ふたりの間のしばらく沈黙が流れたが、年老いた山本のほうがまた話を続けた。
「最初は私も耳を疑ったほうなんだよ。アイツが…,耕平自身が、自分の父親の存在を調べに行って、自分の父親が自分であることを知らされたんだ。それを思うと、何という馬鹿なことをやってしまったのか不思議でしようがないんだよ。しかも実の母親とだよ…。これは、まさしくミイラ取りに行ったヤツが、反対にミイラになってしまったと云うしか言いようがないな……」
山本はひと言も喋らないで、年老いた山本の声に耳を傾けている。
「それで耕平は、このままここにいたら大変なことになると思ったらしく、一九八九年から去る決心をしたらしい。そこで、これから生まれてくる子供の養育費と、亜紀子さんが当分の間暮らして行けるくらいの金を遺して行きたいと、当時こっちから持って行った新聞の縮刷版のコピーを引っ張り出して調べていたら、あったらしいんだよ。それが…」
「いったい、何がだい…」
思わず聞き返して、山本はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「うん、それはだね。競馬の第十四回エリザベス女王杯のレース結果のコピーで、配当オッズが何んと四三〇・六倍だから、例えば二十万買ったとすると配当金は、一億二千九百十八万になる計算だ。そこで耕平は、私が貸してやった金の残りをポケットに突っ込んで、十一月十二日の競馬場に行って、まんまと二億数千万の金をせしめたというわけなんだが、きみならどう思う、この耕平の行動を……」
「どう思うって云われてもなぁ…、そんなこと考えてみたこともないし…」
「いや、確かにその通りだよ。アイツも多分、亜紀子さんと生まれてくる自分のために金を得ようとして必死になっていたんだろうが、私が思うに競馬なんてものは調教データと自分のカンとかを頼りに、さんざん迷った挙句に儲かれば嬉しいからやっているんだし、それが一番の競馬の醍醐味だと思うんだよ」
未来からやって来た山本は得意げに自分が、これまでに経験してきた競馬談議に花を咲かせていた。





「オレもそう思うよ。しかし、アンタの個人的な意見はこっちに置いといて、それからどうしたんだい。耕平のヤツは」
話が横道にそれてばかりいる未来の自分に業を煮やしたのか、山本はいったん釘を刺してから話の先を急がせた。
「ん、だから、いままで話したすべてのことを、この年代のきみに…、つまり私に話したら本当に殴られるんじゃないかと、私のところに来たって云ってた。あ、そうそう、忘れないうちに、これを渡しておこう…」
そう言って、未来の山本はカバンの中から、分厚く膨れた封筒を出して山本の前に置いた。
「二百五十万入っている。前に借りた金と、その利子分だと云ってた」
「ええ、そんなに…、でも、オレが貸したのはたかだか二十万くらいもんだぜ…。こんなにいらないよ」
「私も同じことを云ったんだが、どうしても取ってくれって置いて行った」
「でも、これはアンタに寄こしたんだろう。いまのオレが貰ってもいいのかな…。それに、いくらアンタの年代と云ったって、二百五十万といえば結構な大金だろう。それをオレが貰ってもいいのかい」
「いや、いいのさ。耕平が置いてったのは五百万だから、これはその半分だ」
「へー、そうなんだ……。それじゃ、遠慮しないで貰っとくけど、耕平はどうしたの。その後……」
「それが、誰も知らない世界に行ってひとりで暮らすとか云ってたし、おふくろさんに逢ってけって云ったんだけど、それは出来ないとかなんとか云うから、私も少々頭に来てそのまま別れてしまったから、その後のことはわからない…。それから家に帰ってしばらくしてから知らない人が訪ねてきて、この手紙とタイムマシンとを届けてくれたんだ。さて、私は仕事が残ているんで、そろそろ戻らけれはいけない。私が戻ったらすぐマシンを送ってよこすから、あとのことはきみの判断に任せるから、よろしく頼むよ。私もそうは若くないんでね。そんなに無理も出来ないんでね。後はきみの判断でどうするか決めてくれ。それじゃ、行って見るから…」
未来の山本は時計の調整を終えると立ち上がってスタートボタンを押した。シューンというかすかな音とともに、山本の目の前から未来の山本の姿はかき消すように見えなくなっていた。
残された山本は、未来からやって来た自分が置いて行った小さく折り畳まれた紙切れを開いてみた。そこには、次のようなことが書かれていた。

この時計を拾われた方へ

申し訳ありません。
この時計を拾われた方は、誠に申し訳ありませんが、
宮上町二一八 山本徹宅か、最寄りの警察まで届けてください。
この時計は、とても大切なものですので、何卒よろしくお願いい
たします。

親愛なる山本徹へ
B⑦=Manu 画面⇒壁⇔空間=照射 ハイフン⇒BC
わかってくれ。頼むぞ
耕平

『ははーん。耕平のヤツ、いくら自分がミステリー好きだからって暗号はないだろうが…。
それにしても、何だぁ、この、B⑦=Manu 画面⇒壁⇔空間=照射 ハイフン⇒BCって、オレは名探偵ポアロや金田一耕助じゃないんだぞ…。
うーん…、B⑦=Manu 文字版⇒壁⇔空間⇒照射 ハイフン⇒BCってのは、何のことだ…』
そんなことを考えなから、山本は時計を手に取ってみた。
『B⑦…、B⑦……、B、時計だから、B…、ボタン…。そうか、わかったぞ。ボタンだ。つまり、七番目のボタンだ。七場目のボタンがどうした。それから、何なに…、画面⇒壁⇔空間⇒照射 もしかすると、七番目のボタンを押して壁に向かって映し出せってことか…、Manu…、そうかマニュアルか、わかって来たぞ。次は、何なに…、ハイフン⇒BC、これは何だぁ…。まったくわからんぞ…。うーん……』
ここまで考えて、山本は頭を抱え込んでしまった。いくら考えてもBCの意味がわからすタバコを咥えて火をつけようとした時だった。テーブルの一角が揺らいでタイムマシンの時計が姿を現した。見ると時計のベルトに細く折られた紙片が結ばれていた。
山本は、急いで時計から紙切れを取り外すと、それを開いてみた。紛れもなく自分の筆跡だった。そこには、二、三行の文字が記されていた。

先ほどは言い忘れたことがあるので、したためました。
多分ではありますが、BCと言うのは紀元前のことかと
思われます。よろしく。           山本

『紀元前だって……、それじゃ、耕平のヤツ、いま紀元前にいるって云うのかい?』
山本は驚きの色を隠せなかった。
『紀元前って云ったて、一体いつ頃の年代に行ったんだ。アイツ。どうせ耕平のことだから何万年も前には行かないだろう。せいぜい行ったとしても、紀元前一世紀くらいのものだろう。あれ、紀元前一世年って、日本ではいつ頃の年代なんだろう。オレって日本史、特に古代史は苦手だったからなぁ。誰か詳しいヤツいなかったかな……。ん…、あ、そうだ、思い出した。河野先輩が確か日本史に強かったよな…。近所だし、聞いてみるか』
山本はさっそくホテルを引き払って自宅に帰り、思い立ったが吉日とばかり河野のところへ電話をかけた。
「もしもし。あ、先輩ですか。オレですけど、日本の古代史について聞きたいことがあるんですけど、これから、ちょっと伺ってもいいですか」
「あ、山本くんか。いや、来なくてもいいよ。ちょうど出かける用事があるから、あんまり長居は出来ないけど、こっちから行ってやるから、ちょっと待っててくれ」
電話が切れてから、ものの五分も経たないうちに河野はやって来た。
「ところで何だい。きみの知りたい日本の古代史っていうのは…」
「はあ、実は日本の紀元前一年前って、どんな時代だったのかなと思ったもので…、あ、すみません。それより、急に呼び出しちゃったりして、先輩忙しかったんじゃなかったんですか…」
「いや、いいんた。かえって家を抜け出す口実ができて、こっちとしては礼を云いたいくらいさ。どうも、うちの子供たちときたら三人とも男の子だろう。しょっちゅう喧嘩ばかりしてるから、毎日ギャアギャア騒いでうるさくてしようがないんだよ。いや、ホントに助かったよ」
「いや、本当にすみません」
迷惑がっているんじゃないかと思っていた山本は、河野が意外にホッとしているのをみて少しは安心した。
「ところで、いまきみが云っていた、日本の紀元前一年頃というのはだね。続縄文時代と呼ばれている年代なんだ」
河野は真面目な表情になって話し出していた。
「その続縄文時代って、普通に云われている縄文時代と、どう違うんでしたっけ、昔教わったような気もするんだけど、オレどうも日本史の中でも古代史の部分はあまり得意じゃないって云うか苦手だったもんで…、その続縄文時代っていうのは、どんな時代だったんですか。先輩」
「年代でいうとだな。つまり、ん……、縄文時代から弥生時代へと移行してゆく中間点というような年代と考えられているんだ。いまでこそ、縄文時代なんて云ってるけど、そんな縄文時代も歴史的には一万六千年にも及んでいるんだよ。もともとは東南アジアなどの異民族が北方から樺太を経由して、まだ北海道が蝦夷地と呼ばれる遥か以前に渡来してきたのが始まりで、徐々に本州のほうにも移り住むようになって、そこに住んでいた原住民族とも交わって行った。それが、いまの日本人のルーツとも云われているんだよ。同じように海を渡って九州にやって来た者たちもいるのさ。ほら、きみも知ってるだろう。この街でも二十数年前に発見された縄文遺跡のことを。あれは縄文晩期の二千から三千年前のものだって話だぜ。
これは余談になるんだけど、最近のDNA判定でわかったことなんだけど、日本人は中国民族や朝鮮民族とはまったく違うY染色体を持っているっていうんだ。だから、日本人は大陸系の民族とは全然違った独自の進化形態を辿って来たんじゃないかと云っている人類学者もいるくらいなんだ。ところで、何でそんなことを知りたかったんだい。山本くんは…」
「いや、たいしたことじゃないんです。ただ、ちょっと小説のテーマにしてみようかと思って……」
山本は、とっさに思いついた作り話が口に出た。
「ほう、また、きみ得意のSF小設かなんかかい」
「まあ、そんなところです…」
「それならネットで調べればいいぜ。いまはネットが発達してるから調べる気になりゃ、何だって調べられるんだからな。ホントに便利な世の中になったもんだよ。こんなものでいいか。これから行かなくちゃいけないところがあるんでな」
そういうと、河野は立ち上がりながら、
「いや、ホントに調べる気があるんだったら、本気で調べてみるんだな。縄文時代は奥が深いぞ。何しろ一万年以上も続いたんだからな。それじゃ、ぼくはそろそろ行って見るから、またな」
「いやぁ、先輩、お蔭さまで、たいへん勉強になりました。きょうは本当にありがとうございました」
山本は礼を言って河野と別れた。





河野が帰ると、山本はさっそくパソコンを立ち上げて調べ始めていた。
『確か先輩は、続縄文時代とか云ってたな。ええと、紀元前一年前、一年前と………』
日本史時代区分表というのを見つけた
『んーっと…、あった、これだ。続縄文時代っと、ふん、ふん。縄文時代は…、あれ、北海道は確かにそうだけど、東北のあたりはすで弥生時代になっているぞ。だって、紀元前一年だろう…。どうなっているんだ。これは…』
日本の古代史に疎い山本にはいくら調べところで、そんなことが判かろうはずもなく、途中であっさり投げ出していた。
しかし、こんなことばかりやってはいられないと思ったのか、何か最良の手立てはないものなのかと思いを廻らせていた。
『このままじゃ、いつもの堂々巡りになってしまうぞ。どうしよう……。どうすればいいんだ』
そんな思いに悩みあぐねていると、あることを思いついた。
『そうだ。吉備野博士に相談してみるか。それがいいや、そして、あの確かRTSSとか云ったな。あれで耕平の消息を調べてもらえば一発でわかるじゃないか。なんでオレはそんなことに気が付かなかっんだろう」
そう思うと山本は虚仮の一念で、あと先のことも考えずに吉備野博士への連絡用のボタンを押していた。
すると、すぐさま山本の傍らに吉備野が姿を現した。
「なにか、ご用ですかな。山本さん」
「すみません。急にお呼び出しをして、どうぞこちらに座ってください。博士」
吉備野が腰を下ろすのを待って、山本はさっそく口を開いた。
「実は、先生にお願いがありまして、来ていただいたわけですが……」
「ほう、どんなことですかな。その願いとは」
「また、先生のところへ連れて行っていただいて、あのRTSSという機械で耕平が、いまどこで何をしているのか知りたくて、来ていただいたのですが…、ぼくをもう一度博士のところ―連れて行ってください。お願いします」
「そうですか。あなたは、そんなに佐々木さんことを心配しているのですね。わかりました。彼は本当に素晴らしい友人を持たれましたね。よろしい、それでは参りましょうか」
博士はポケットからコントローラーを取り出して、何やら操作をし始めた。するとふたりの姿は山本の書斎から瞬くうちに見えなくなっていた。

瞬きをするかしないうちに、山本と吉備野の姿は目映いばかりに光輝くような、吉備野研究所の中にあった。
そこでは、この前来た時と同じように複数の助手たちが、テキパキとした動きで働いているのが眼に入ってきた。
「それでは、山本さん。こちらのほうに来てください」
吉備野はマザーマシーンの近くまで行くと、山本に椅子を勧め自分も腰を下ろした。
「吉備野博士。実はですね。ぼくのところに二十八年後の自分が、耕平が送って来たというこのマシンを使ってぼくの所にやって来たんですよ……」
山本は腕を捲って時計を見せながら、未来の自分から聞いた話の一部始終を語り終えた。
「それで、博士もご存じかと思われるんですが、このマシンは紀元一年以前に合わせると、すべてハイフンマークになるんです。ですから、耕平の性格から見てもそんなに遠い過去には行ってないと思うんです。おそらく、耕平は一番最初の紀元前一年くらいの辺りに行ったんじゃないかと、ぼくは睨んでいるんですが…」
「わかりました。しかし、あなたも佐々木さん同様なかなか聡明な方ですね。そこまで推測されるとは、感心いたしました」
「あ、それから、これは先輩から聞いた話なんですが、紀元前一年というは続縄文時代と呼ばれている年代だそうなんですが、ぜひ、その辺の周辺を調べてみて頂けませんか」
「わかりました。それではやってみましょう」
吉備野が機器類を調整すると、巨大スクリーンにはよく晴れた空をバックに、森林やうっそうとした草原の風景が三次元立体映像で映し出した。山本は初めて見る映像にしばらく目を奪われていたが、気を取り直したように吉備野に尋ねた。
「確か、この近くに平成九年頃に発見された縄文時代の遺跡があったと思うんですが、そこを映し出せますか。博士」
「縄文時代の人々は、魚や貝などを得るため川沿いに集落を作っていたと思われますから、川沿いに沿って捜してみましょう」
画面に細長く流れる河が映し出される。映像は河に沿って西へと遡って行く。人影らしいものは何も見当たらない。画面はゆっくりと西へ移動する。川は北寄りに大きく湾曲している。
『これが、あの河かぁ……』
そこに映し出された河は、山本がいつ見慣れている一級河川ではなかった。河端もさほど広くはなく歩いても渡れるかと思われる広さなのだ。映像はさらに川上へと移動して行き、遥か遠くのほうの岸辺近くで何か動いているものを捉えた。それが近づくにつれて河原と浅瀬で戯れている人間であることが判明した。
「あ、人間だ。縄文人だ!」
山本は思わず叫び声をあげて立ち上がっていた。吉備野が映像をアップすると、粗末な着衣をつけた子供と若い女たちだった。女たちが捕まえた魚を子供たちが、それを河原に運んでいる様子が肉眼でも見て取れるようになっていた。その中に耕平らしい人影は写ってないかと、目を凝らしていた山本だったが、それらしい姿はどうしても見つけることが出来なかった。
ここで一旦スクリーンは止まった。
「いまお見せしたものは、縄文の最晩期と思われる年代の映像と推測されます。どうですか、ご納得いただけましたか」
RTSSの操作を終えると吉備野は語りかけてきたが、山本はしばらく黙りこくってたが、このままではどうすることも出来ないと思ったか、
「驚きました……。でも、あんなにも地形って違っちゃうもんですか。それで、耕平の居そうな場所って判るもんでしょうか」
吉備野は少し考えた後、
「それは佐々木さんがRTМS、つまりタイムマシンを所持していれば、検索も割とスムースに行えるのですが、現在はあなたが持っておられる。ですから、いまの時点では非常に困難な状態にあると云えます。実に残念ではありますが…」
「そうですか……」
それだけ言うと、山本はガックリと腰を下ろした。
「ところで博士、その…、このRTМSですか、これをもうひとつ分けて頂くことって、できないでしょうか」
「ほう、それは何故ですか?」
「縄文時代に行って、耕平を探し出して帰ってくるように説得してみようと考えまして、その時に渡したいと思ったものですから…。不可能なら諦めますが…」
吉備野は腕組みをして何かを考えるような仕草をしてから、
「よろしいでしょう。それでは、これを渡して頂きましょうか。そのほうが、こちらといたしましても佐々木さんの所在が把握できますので、都合がよろしいでのです」
吉備野はポケットから真新しいRTМSを取り出すと山本に手渡した。
「ありがとうございます。これから帰って準備をしたいと思いますので、これで失礼します」
「あ、それから山本さん。向こうで何か困ったことがありましたら、連絡ください。いつでも飛んでいきますので」
「はあ、いろいろありがとうございました。それでは、これで行ってみたいと思います」
山本は吉備野に別れを告げて立ちあがった。
「こちらに来てください」
吉備野は助手のひとりに命じて山本を二〇二〇年へと送り出した。





現代に戻った山本は、いろいろと思いを巡らせていた。
『すべてが終わったら、また元の時間に帰って来ればいいんだから、会社や女房のほうは問題はないな。あとは持って行く物だなぁ…、何を持って行けばいいんだろう……。そうだ。食い物か、当座の食料品だ。しかし、どれだけの時間がかかるかわからないから、日持ちのする物がいいな…。ん…、保存食か、何があるんだ。保存食って…、缶詰・カンパン・ソーセージ・羊羹・ハム、あと何がある……』
ネットを立ち上げて調べ出した山本は、必要なものを紙に書き出して行った。
『へえー、こんなものまであるのかぁ…』

持って行く物リスト
缶詰(肉、牛・くじら・馬・焼き鳥等 魚、さんま・いわし・さば・まぐろ・さけ
貝類等 果物、桃・リンゴ・梨・パイン・みかん等)保存食、カップ麺・乾パン・
ソーセージ・ハム・雑炊・かゆ等 菓子類、ビスケット・クラッカー・チョコレー
ト・ガム・飴・ドロップ類。それに米と。・炊事用品、チャッカマン、その他

「こんなところかな。それから、忘れちゃならないのが、酒とたばこと……。あ、飯を炊いたり湯を沸かしたりするのに飯盒も必要か。まあ、飯盒ならキャンプの時に使ったのがあるから、あれを持って行けばいいか……」
書き出したメモを見ながら山本はひと息入れた。
『よし、これからスーパーとか回って、実際に見てみないとわからないか….よし、そうしよう』
山本は、まずスポーツ用品店に行くと、一番大きめのリュックを買い込んだ。
あとはメモに書き出した食料品その他必要なものを買って、リュックに詰め込んだ。
リュックを背負ってみるとずっしりと重かった。
「こりゃあ、自転車を持って行ったほうがいいな。出発は明日の朝にしよう。
そんなことを考えながら家に帰ってきた。書斎に入ってもう一度点検と確認していると、
『何か、まだ足りないものがあるような気がするんだけど、思い出せないなぁ…、何だろう…。気のせいかなぁ……』
もう一度ネットを立ち上げて、サバイバルに関する項目を調べ始めると、
『そうか、サバイバルナイフか、こいつは絶対必要だな、それから塩と醤油か。なるほど、なるほど。これは忘れてたな。うん。シュラフはあるからいいと…。あと、鍋か…。かさ張るなぁ。小さなフライパンでもいいか、どうせひとりだし…。しかし、今日や明日ってわけには行かなくなって来たぞ。もう少し綿密に計画を立ててからでないと、ハチャメチャになる可能性があるからな。第一縄文時代なんてどんなところか、判ったもんじゃないからなぁ……』
こうして、山本徹は会社帰りにホームセンターなどを回って、自分で必要と思われる品々を買い集めて行った。
そんなこんなで一週間が過ぎ去り、どうにか旅立ちの準備が整った山本だったが、どうしてもひとつだけ気になることが残っていた。縄文時代について山本が知っていることと言えば、ごく限られた知識に過ぎず無防備の現代人が突然行ったとしても、まったく危険性はないのだろうか。と、いう点であった。
他民族との争い事とか戦争といったものがないのか心配になってきた。自分の身を守る必要があるのではないか。何かしら身を守るべき武器になるものが必要なのではないかという、不安が沸き上がってくるのを抑えきれなかった。
まして、アメリカのような銃社会と違って法治国家である日本では、個人的に銃を手に入れることなど不可能に近かった。狩猟に使う猟銃でさえ警察等に届け出をしなければ使用できないのだから、いまの山本には到底入手することは無理と言ってもよかった。
『そうだ。もう一度河野先輩に、その辺のところをもう少し詳しく聞いてみよう…』
山本はポケットからスマホを取り出すと、河野宅に電話を入れた。
『はい、河野でございますが』
「もしもし、あ、奥さんですか。山本ですが、先輩はいらっしゃいますか」
『あら、山本さんですか。お久しぶりです。少々お待ちください。いま呼んできますから』
少し間をおいて、河野が電話口に出てきた。
『おお、山本くんか。何だい』
「あ、先輩、お忙しいところすみません。実は縄文時代について、もう少し聞きたいことがありまして電話したんですけど、いま大丈夫ですか…」
『ああ、大丈夫だよ。何だい』
「この間は、ちょっと聞きそびれたことがありまして、えーと、あの縄文時代の人って争い事とか戦争ってのはなかったんですかね」
『うーん、きみも知ってると思うが日本列島は太古の昔、大陸と陸続きだったんだ。その頃はまだ氷河期が続いていて、それがいまから一万年くらい前になると、やっと間氷期に入り穏やかな温暖期になったんだ。それに伴って極地の氷が溶けだして水位が百二〇メートルも上昇して、大体いまの日本列島が形成されたと云うわけだ。それ以前に北方や南方から陸伝いに獲物を追って渡ってきた人類の祖先たちが、もともとそこに住んでいた元日本民族と交わったのが、縄文人の始まりと云われているんだよ』
河野の熱心な説明に山本は黙って聞き入っていた。
『そこできみの質問なんだが、争いとか戦争って云ってたね。確かに、ちいさな小競り合いはあったかも知れないが、こと戦争となるとそれらしいものを物語っている遺跡は、どこからも発見されていないんだよ。だから、ぼくが思うに縄文人って云うのは、とても温厚で穏やかな民族だったじゃないかという気がするんだよ』
「そうですか。いや、とても参考なりました。どうもありがとうございます。じゃあ、現代人が例えばタイムスリップして縄文時代に行ったとしても、別に武器なんかはなくても大丈夫ってことですかね。先輩」
『まあ、そういうことになるだろうね。何だい。山本くん、きみのSF小説のネタ作りかい。そんな話を書くつもりでいるのかい。きみは。まあ、頑張って書いてくれ。それじゃ、いいかい。これくらいで』
「はい、助かりました。どうもすみません。ありがとうございました。失礼します」
山本は電話を切った。武器は心配ないと聞かされたが、もし、イノシシや熊にでも襲われたらどうしようと思った。かと言って、武器らしい武器も持ってないし、動物は火を恐れるから松明のようなものがあればいいのかとも考えた。
『松明…、松明って、どうやったら作れるんだぁ…』
松明という名前は知っていても、何を原料にして出来ているのか、時々時代劇に出てくるのを見て知っているだけで、実際にはどうやって作ったらいいのか、現代人の山本にはその製造法などわかるはずもなかった。そこで、また山本はネットで調べ始めた。
『原材料としては松の根っこか枝か…、こんなもの簡単には手に入らないし、何か他に代用になるものはと…、竹・綿・ポロ布・針金か…、よし、これなら簡単に手に入るぞ』
山本はさっそく物置に行くと、松明の材料探しを始めた。苦労した甲斐もあって、それらしい材料もどうにか見つかって、そのまま松明づくりに取り掛かった。結果的に二時間ほどかけて、三本ばかりの松明らしいものを作り上げること出きた。
『よし、出来たぞ。あとは灯油を染み込ませれば完成だ。最初っから灯油を染み込ませるのは危険だな…。灯油はペットボトルにでも詰めて持って行くか。よし、そうしよう』
こうして、旅立ちの準備がすべて終わった。しかし、ここで山本はある戸惑いを感じていた。それは、河野のところと違って結婚してから四年も経っているのに、山本には未だに子供がいなかった。そんな妻をたったひとりにして行くのが忍びなかったのだが、結局のところ、終わったらこの時間に戻って来ればいいんだから構わないか。という、自分に対する言い訳めいたことを考えながら、旅立つ決心をした山本であった。それでも何かしら気を咎めるものがあったのか、妻のところに行ってその姿を目に留めておこうと、しばらく眺めていると、妻も山本の視線に気が付いたのか、
「何よ、そんなに人のことをじろじろ見て、キモいわね。どうしたのよ」
妻に言われて山本は一瞬ドキッとしたが、
「いや、な、何でもないんだ。何でも…」
と、誤魔化すのが精いっぱいだった。
そして、いよいよ山本徹のタイムトラベル決行の時がやって来た。やはり行くなら、耕平の出かけて行った公園のあの場所から行こうと決めていた。
食料品などの詰まったずしりと重いリュックを背負うと、自転車に乗って公園に向かって走り出した。まだ見ぬ縄文時代とはどんな世界なのだろうという、一抹の不安はあったが耕平が行ったんだから、だぶん大丈夫だろうと自分に言い聞かせなからブランコのある場所まで辿りつくと、自転車を止めて周りを見渡した。辺りに人影がないのを確かめるとマシンの年代計を紀元〇〇〇〇年に合わせた。それからもうひとつ年代を繰り上げると、すべてがハイフンマークに変わった。山本は周りを見回してから、ゆっくりとスタートボタンを押した。
こうして、山本徹は二〇二〇年四月二十六日、まだ見ぬ紀元前一年の世界へと旅って行った。第三十二回オリンビック東京大会が、あと三か月後に迫りつつある時期であった。



第二章 友遠方より来たる…






山本徹はついにやって来た。
『ここが本当に、あの場所かぁ……』
山本が自分の眼を疑ったのも不思議ではなかった。目のまえに広がっている風景そのものが、彼の知っている日頃から見慣れたものではなく、まるでいきなり異世界にでも迷い込んでしまった旅人ように、異様な環境に飛び込んできたのだから、山本ならずとも多かれ少なかれ戸惑いを隠せなかっただろう。
そこに広がる原野には、あちらこちらに樹齢数百年はあろうかと思われるほどの巨木が林立していて、辺りには膝下くらいまである下草が一面に生い茂り、どこか遠くのほうでカッコウが鳴いているのが聞こえた。山本は周囲を見渡したが、人影はおろか小動物の姿さえ目にすることは出来なかった。
そこには、まさしく吉備野博士から見せられたRTSSの三次元立体画像と、少しも変わらない風景が四方を山々に囲まれた形で広がっていたのだ。しかし、三次元映像で見た風景と自分の眼で実際に見る映像とでは、こんなにもインパクトが違うものかと改めて思い知らされた山本であった。
そんな中で、さて、これからどうしたものかと考えていたが、
『そうか、まず河に出なければだめか…。河はどっちのほうだろう……』
太陽の位置から、だいたいの方角を割り出した山本は、ゆっくりと自転車を漕ぎ出した。果たして耕平は本当にここにいるのだろうか。と、いう一抹の不安を押さえつけながら走り続けると、はるか前方に二メートルほどの丸木で出きた柱のようなものが見えてきた。
近づいて見ると、片一方のほうの皮が剥ぎ取られていて、何やら文字のようなものが刻み込まれていた。
『何なに…、いったい何語で書いてあるんだ……』
目を凝らして刻まれた文字を読んだ山本は、見る見る顔色が変わって行くのを自分でも感じ取っていた。
『やっぱり来てるんだ…。耕平のヤツは、ここに……』
そこには鋭い石のようなもので刻み込まれた文字で、こう書かれていた。

二〇一八年四月二十四日 佐々木耕平 ここに至る

その時、山本は頬を伝って熱いものが流れ落ちるのを抑えることが出来なかった。ここに着いてから、まだわずか数十分しか経っていないにも関わらず、耕平の消息というか手掛かりが掴めたことを神に感謝した。
それにしても紀元前一年とは言っても、耕平がここに来てから何年くらい経過しているんだろうか。目の前に立っている、この丸太を見ても刻まれた文字はまだ新しいものだから、そんなに時間は経っていないはずだった。横のほうに目をやると小さな枝が出ていて、葉っぱが出ているところを見てもそれほど時間が経っていない証しだった。
『丸太そのものも、そんなに風雨にも晒されていないようだし、まだ半年か一年ぐらいのものだし、時間のずれはそんなに関係ないな…。さて、そろそろ行って見るか……』
吉備野博士に見せてもらった、RTSSに映し出された河を見つけるべく、山本はまた河のある方向を目指して走り出していた。
しばらく走り続けると、ゆるく傾斜のついた草原の下方にキラキラ輝きながら、東西に流れる河が見えてきた。
『おお、あれだ、あれだ。もう少しだ。よーし、行くぞ…』
山本は必死になってペダルを漕いで、どうにか河岸まで辿りつくことが出きた。
『これが、ほんとにあの河かぁ…』
自分の眼を疑いたくなるほど、その河の川幅は山本の知っているものよりも狭かった。自然というものは長い年月をかけて、その造形を変えていくものなのだろうか。
『人がいたのは、確かもう少し上流のほうだったな…。ん、なんだか腹が減って来たな。ここで何か食っていくか。腹が減っては戦が出来ないって云うからな』
山本は自転車を止めるとリュックから、カップ麺と飯盒を取り出した。河に入って飯盒に水を汲もうとして、水があまりにも透き通ってきれいだったので、両方の掌で水を掬い取ってひと口含んでみた。非常にうまかった。山本のいた年代にスーパーなどで売られているどんな天然水よりも美味しく感じられた。
『うん。こりぁ、うまいや。こんなうまい水は呑んだことねぇぞ。それに空気もきれいだし、何だか気持ちまですっきりして来たなぁ』
薪になりそうな枯れ木を集めて、山本はお湯を沸かし始めた。
やがて、腹ごしらえを終えた山本は、また川上を目指して走り出していた。すると、突然パーンという音がした。自転車のタイヤのパンクだった。
『何だよ。パンクかぁ、ついてねえなぁ、こんなところでパンクなんてよ……』
うんざりしながらも、こうなれば歩くほかはなかった。自転車をその場に放置するとリュックを背負い、両手にキャンプ用具とテントを持って歩き出した。
あのRTSSで見た人影が写っていた大きく湾曲した川の辺りまで、あとどれくらい掛かるのか見当もつかないまま山本はひたすら歩き続けた。
やがて、山本の眼にもそれと判る大きく湾曲した河の流れが見えてきた。木立の合間から見える河の周りには人影らしいものは何ひとつ見当たらなかったが、やはり道は間違っていなかったという安堵感に、山本は内心ホツと胸をなで下ろす思いだった。
『さて、ここまで来たぞ。どっちに行けばいいんだろう……』
この辺で人影を見たのだから、きっとこの近辺に縄文人の集落があるはずだ。気をとり直した山本は河とは反対に北を目指して歩き出していた。
それから、しばらく歩き続けた山本だったが、一向に集落らしいものも見つからないまま夕暮れになっていた。陽が落ちてからでは未踏の地であり、どんな危険が待ち受けているか分からないと思った山本は、大きな木を見つけるとその下に野営をするための手にしていた荷物を下ろすとテントを張る準備を始めた。
テントの設営が終わったころには、もうすっかり夜の帳につつまれていた。足元に置いてあったランタンに火を入れて、山本は夕飯の支度に取りかかっていた。

翌朝、目覚めると清々しい陽光が山本の体をすっぽりと覆うように輝いていた。太陽に向かって大きな屈伸すると焚き木集めにを始めたが、この辺は昨日ほとんど拾い集めていたから、ほんのわずかな小枝くらいしか落ちていなかった。仕方なく少しばかり遠出しようと思った山本は、ついでに湧き水か小川でもあれば汲んで来ようと水筒を下げて出かけて行った。思った通り焚き木はけっこうな量を集めることが出来たが、水は残念ながら見つけることが出来なかった。
それでも一時間ほどかけて、小枝や枯れ木を拾い集めると一束ほどの量になった。それをツルなどで束ねて背中に負うと山本はテントを目指し歩き出した。
ようやくテントが見える地点まで辿りついた。立ち止まって額ににじみ出た汗を手の甲で拭うと、もう少しの辛抱だとばかりゆっくりと歩き出したが、つま先が石につまずいて前のめりに倒れ込みそうになるのを、足を踏ん張って持ちこたえようとしたが間に合わなかった。山本は左手をついたが左膝に体重が掛かり過ぎ、足首に鈍い痛みが走った。急いで起きあがるとズボンを捲し上げ、靴下を下ろすと足首の踝辺りが見る見る腫れあがって行くのがわかった。捻挫らしかった。山本は痛みを堪えながら立ち上がると、片足飛びでどうにかテントまで辿りつくことができた。
テントに入ると少し横になって休憩を取り、タバコを一本取りだして火をつけた。吐き出された紫煙はテント内をゆっくりと漂ってゆく。
『しかし、これはちょっとヤバイことになったぞ…。捻挫の薬なんて待ってこなかったし、完全に治るまでどれくらい掛かるんだろう……』
いままで捻挫など一度もやったことのない山本には、完治の見通しなどまったくわかるはずもなかった。足首がズキズキと痛んだ。このままでは自力で歩き回ること自体、当分の間は無理だろう。杖になるような物があれば少しは楽かもしれないな。と、思った山本はいきなり上半身を起こして、
『あった、あるぞ。ピッケルだ。ピッケルだぁ…』
山本は傍らに置いたままになっている、キャンプ用具の中から急いでピッケルを探し出すと、左手で持ち替えて立ち上がってみた。右足に重心をかけて立ち上がると、比較的に楽に立つことができた。
『よし、これならいいぞ…』
テントをめくって外に出てみたが、捻挫した足首の痛みはそのままだったが、何もつかないよりははるかに楽だった。
それから、折り畳み式の簡易椅子に座りどうにか朝飯を済ませてから、これから先の自分はどうするべきか考え始めていた。足の捻挫が完治するまでは、ここから動くことはまず不可能に近いこと。食料のほうも節約さえすれば一ヶ月や二ヶ月くらいは十分持つはずだ。まず、耕平がここにいることは間違いないのだから、これも時間をかけて捜せば絶対に見つかるはずだから、それこそ根気よく例え草の根を分けてでも、必ず探し出してやろうと決心していた。
こうして、山本徹は持久戦を覚悟した上で、じっくりと腰を据えて捻挫が完治するのを待つことにしたのだった。





佐々木耕平が、この世界に来てから間もなく三年になろうとしていた。
ここが紀元前のいつ頃の年代なのかは判らなかったが、縄文時代であることだけは耕平にも認識できていた。最初にここへやって来た時に出逢った、カイラとウイラ姉妹の妹のウイラと結婚して、ふたりの間には子供も生まれて穏やかな気候にも恵まれ、コウスケと名付けられた耕平とウイラの子供もすくすくと成長していた。
この時代は耕平が暮らしていた時代よりもはるかに気候が温暖で、冬も耕平の住んでいた時代より極めて温かいものであり、ここに来た当初は耕平もどうしてこんなに温暖なのか不思議に思ったほどだった。
耕平は、ここ縄文の世界に来たばかりの頃は言葉はもちろん解らなかったし、生活環境も自分のいた二十一世紀とはまるで異質のものに感じられて、多少なりとも戸惑いはしたものの、邑の住民たちの素朴で温厚な人柄に助けられ、余所者である耕平をみんなが温かく向かい入れてくれたことは、右も左もわからない彼にとって非常にありがたいことであった。
耕平がウイラ姉妹によって連れて来られた集落は、この周辺のあちこちに点在しているらしかったが、その集落間でのいざこざや争い事もまったく見られず、食材なども狩猟で得た小動物・野山で採取した木の実類とともに、お互いの間で物々交換などの交易も盛んに行なわれており、極めて平穏な日常が繰り広げられているらしかった。大陸のほうから入って来たとかで、最近では稲作も始まり人々の暮らし向きは、ますます安定したものになっていた。
そんな中で、ほとんどの住民たちも耕平に対してすべての面で好意的であり、集落の他の住民たちと何の隔たりもなく食物を分け与えてくれていた。
耕平もそうした人々の行為に甘えてばかりはいられないと、ここに来る前に持ってきた競技用のアーキュリー弓があるのを思い出し、狩猟でもやって少しでもみんなの役に立ちたいと、ウサギとか山鳥などのいそうな場所を教えてもらうために、ウイラに案内を頼んでとある森にやって来ていた。しかし、競技用のアーキュリー弓はあくまでも競技用だけあって、飛距離や的を射る性能には優れてはいても、こと殺傷力に関しては今一であることか判ったのだった。それは競技用のアーキュリー弓は生き物を殺傷するためのものではなく、もともと競技に用いるものであるから、弦や弓本体の強度に問題があるのではないかと耕平は考えていた。
これでは実践としての狩猟には向いていないことを知った耕平は、部族の中で弓の名人と言われている人に弓を見せてもらい独自で苦心を重ねたあげくに、弦には麻の繊維を編んだものを使い見事に一張りの弓を完成された。
耕平は出来上がった弓をさっそく名人に見てもらうことにした。それを見て手に取った名人は、弓と耕平の顔を交互に見比べて驚きの様子を見せた。とにかく試し打ちがしたいということで、何か的になるようなものがないかと探していると、三十メートルほど離れた木の枝に山鳥が一羽羽を休めているのを発見した。名人は急いで弓に矢をつがえると、大きく引き絞り山鳥に狙いを定めると勢いよく矢を放った。矢は見事に命中し山鳥は甲高い鳴き声をあげて地面に落ちた。名人は満足そうな表情で耕平に弓を返すと、「いい弓だ」と褒め言葉を残して射落とした山鳥を手に立ち去って行った。
こうして耕平も狩猟の仲間に加えてもらい、もともと腕に覚えのあった耕平はメキメキ頭角を現して行った。そして、いまでは准名人とでもいうべき立場に置かれていた。そんなわけで、今日も耕平はひとりで普段あまり人が行かない地域まで足を延ばしていた。おかげで、もうこれまでに山鳥が二羽と野ウサギを二匹仕留めていた。
照り付ける陽光に喉の渇きを覚えた耕平は、どこかに木陰はないかと辺りを見回した。四百メートルか五百メートル先に大きな松の木が生えているのを発見した。速足で松の根方まで辿りつくと、そこに腰を下ろし竹で作った水筒から一気に水を喉に流し込んだ。
ここは耕平にとっても始めてくる場所であり、この辺にしては珍しく樹木も少なく辺り一面草原が広がり、穏やかな陽光を浴びて草原全体がゆっくりとうねっているのが心地よく感じられた。耕平は遠くのほうを見渡していた。すると、はるか遠くにほうにも大きな巨木を見つけた。その根方で何やら揺らめいているのに気が付いた。何だろうと思い、目を凝らしてみても判然とはしないまま、とにかく行って確かめて見ようと立ち上がった。近づくにつれて、やがてそれがテントのような物であることが判った。
『テント…、何で縄文時代にテントがあるんだ……』
半信半疑のまま近づいて行くと、それは耕平にも見覚えのあるテントであることが判ってきた。
『あれは山本のテントじゃないか…。何でこんなところに山本がいるんだ……』
一目散にテントへ駆け寄り、何のためらいもなく両手で入り口をかき分けた。
「山本! やっぱりお前か、一体どうしたんだ。何でお前がここにいるんだ……」
テントの中で横たわっていた山本も一瞬驚いたらしく、上半身を起こした。
「こ、耕平。ホントに、お前か……。佐々木耕平なんだな…」
そこに立っていたのは、長く伸びた髪の毛を後ろで束ね、粗末な衣服を身に纏った佐々木耕平だった。
ふたりは、しばらく無言でお互いの顔を見つめあっていたが、最初に口を切ったのは耕平のほうだった。
「んでも、どうしてお前がここにいるんだよ。確か、オレが最後に逢ったのは二十八年後のお前だったはずだぞ。それが何で、歳もそうオレとあんまり変わらない山本がどうしてここにいるんだよ。お前、いつの年代からやって来たんだ…。どうやってマシンを手に入れたんだよ」
次々と質問をぶつけてくる耕平を見ていた山本だったが、いくらか冷静さを取り戻したのか、やっと口を開いた。
「実はそのことなんだけど、二〇四四年にお前がタイムマシンを送っただろう。それを拾った人が未来のオレのところに届けてくれたらしいんだ。それで未来のオレがいろいろ考えた挙句にオレのところにやつて来たってわけだ。彼が云うには自分も歳だしあまり無理も出ないから、あとの判断はオレに任せるからといって、このタイムマシンを後で送ってよこしたんだ。あ、そうそう、それからお前がタイムマシンに付けてよこした手紙も読ませてもらったよ」
そういうと、山本はリュックを引き寄せて中から耕平の手紙と、未来の自分が書いた手紙を耕平に手渡した。
「よく解かったな。この暗号が」
自分が書いた走り書きを見なから言った。
「ん.未来のオレが帰った後、最後のBCってのが判らなくって困っているところに、未来のオレがマシンにその手紙をつけて送ってくれたんだよ」
山本は二枚目の紙切れを指さした。
「ああ、それから、これをお前に渡してくれと吉備野博士から預かってきた」
山本はまたリュックを開けると、真新しいタイムマシンを取り出した。
すると、それを見た耕助は、
「オレはいらないよ。そんな物は…、もうここからはもうどこにも行かないんだから…、吉備野先生に返しといてくれ…」
「そうはいかないよ。それをお前が持ってないと、博士がお前の居場所が掴めないらしいんだ。それにどこにも行かないって、お前いまここで何をやっているんだよ。耕平。それより、いつまでも突っ立ってないで座ったらどうなんだ。そこに」
山本に言われて耕平はようやく腰を下ろした。
「それにしても驚いたぜぇ。あの公園だった場所が林とか原っぱしかないんだからよ。ホントにここは縄文時代なんだよなぁ。お前の服装を見てもわかるけど…。いや、とにかく逢えてよかったよ。しかし、お前もずいぶん逞しくなったもんだよなぁ。しばらく見ないうちによぉ」
目の前に座っている耕平をまじまじと見つめながら山本は言った。
「オレのいたほうじゃ、お前がいなくなってから二年、いや、もうすぐ三年か…。もうそんなに経つんだな……。去年平成天皇が退位されて、いまでは元号も令和に改まって二年目になるんだぞ。世の中どんどん変わっているんだ。それで未来の自分から判断は全部きみに任せると云われて、オレもあんまり自信はなかったんだが、矢も楯もたまらずお前を捜しにこうしてやって来たってわけだ。
ホントに自信がなかったんだ。日本史のなかでも古代史は特に苦手だっただろう。そんな中で縄文時代に行ってお前を探し出すなんて絶対に無理だと思っていたのに、こうやって巡り会えたんだから、神さまに感謝しなくちゃいけないよなぁ……。
あ、そうだ。このあいだ公園で偶然に河野先輩に会ったんだよ。紀元前一年前ってどんなところだろうと思って、ネットでいろいろ調べてみたんだが全然わからなくって、河野先輩が古代史に詳しいことを思い出したから電話で聞いてみたんた。いやぁ、実に参考になったよ。あの人はホントに詳しいな。オレは感心しちまったよ」
山本はタバコに火を付けてひと息いれた。
「すまないな…、山本。お前にばかり心配かけて……」
「何云ってんだよ。友だちだろう。お前とオレは、友だちが友だちのことを心配して何が悪いって云うんだよ。そんなこと気にすんなよ。耕平らしくもない」
コイツはコイツなりにいろいろ調べたり、それなりに努力を重ねてここまで辿りついたのだろうと思うと、なぜか熱いものが込み上げてくる耕平だった。
「ところで、何でこんなところで寝てたんだ。お前は、こんなに天気がいいのに…」
「ん…、それがな、二・三日前に枯れ木を集めに行った帰りに、石に蹴躓いて足首を捻挫したらしいんだ…」
山本はジーンズの裾を捲って左足を見せた。なるほど足首の踝あたりが靴下越しに腫れ上がっいるのが見てとれた。
「うわ、ずいぶん腫れてるじゃないか。それじゃ、かなり痛いだろう。大丈夫かぁ……」
「ん、まだ少しな。食料は十分持ってきたから、完治するまでここでゆっくりしようと思っていたんだけど、こんなに早くお前に逢えて助かったよ。うちのカミさんにも黙って来ちまったから、こんなところで、もし、野たれ死にでもしたらどうしようかと、実のところ少々心細くなっていたんだ」
「じゃあ、ちょっと待ってろ。いま薬草取ってきて湿布してやるから、すぐ戻るからもうちょっとだけ辛抱していろよ。これがすごく効くんだから、待ってろよ」
そう言い残すと、耕平は足早にどこかに立ち去って行ったが、それからものの十分も経たないうちに薬草を両手に抱えて耕平が戻ってきた。
傍らで湿布薬を作っている耕平を眺めながら山本が聞いた。
「ところで、耕平よ。お前ここで何をしてるんだ。こんな辺ぴなところにいたってしょうないだろう。オレの捻挫が治ったら一緒に帰らないか」
「そうは行かないよ。オレ結婚してるんだ。それに子供もいるしな」
思いもしなかった耕平の言葉に、愕然とした山本は叫び声をあげていた。
「何だって、お前が結婚して、子供もいるって……、ホントかよ。耕平」
「ああ、本当さ。コウスケって云うんだ。可愛いぞ」
まだ驚きの色を隠せないまま山本は聞いた。
「しかし、お前のカミさんって、一体どんな女なんだ…。縄文時代の女ってのは……」
「ああ、もと住んでいた世界の女なんかとは、比較にならないくらい素朴で純粋ないい娘なんだ。さあ、出来たぞ。足を出してみろよ。塗ってやるから」
耕平は手早く山本の足首に薬草を塗ると、包帯代わりに山本の持っていたタオルを巻きつけた。
「出来たぞ。これから、オレのところに連れてくから、とりあえず荷物は必要なものだけそのリュックに詰め替えてお前が背負え、あとはお前を負ぶって行ってやるから心配するな。残りは明日にでも取りに来てやるからよ。さあ、行こうぜ」
こうして佐々木耕平は、山本徹を背負うと彼の住んでいるという邑を目指して歩き出した。
「いやぁ、しかし、お前ホントに逞しくなったよなぁ、まるで昔が嘘みたいだよ」
「毎日野山を駆け回っているからなぁ、それでだよ。きっと」
空にはやや西に傾きかけた太陽が、ふたりを包み込むように優しい光を放っていた。





邑に着くと、耕平は一戸の竪穴式住居の前まで来ると、中に向かって声をかけた。初めて耳にする言語だったが、それほど山本には違和感のなく聴くことができた。
これが縄文時代の言葉なのかと興味深く聞いていると、中からうら若い女が小さな子供を抱いて出てきた。
「オ帰リナサイ」
縄文語ではなく、少したどたどしかったが、ちゃんとした現代語で話しているのを聞いて、山本は小声で耕平にささやいた。
「あれ、お前が教えたのか…」
「ああ」
耕平は山本を下ろすと彼を指して、
「ト・オ・ル、友だちだ。これはウイラだ。こっちが息子のコウスケだ」
と、ウイラから子供を抱き取ると山本に紹介した。
「こんにちは」
ピッケルを杖代わりについて、山本も挨拶した。
「コンニチハ」
まだ十六・七歳くらいにしか見えないウイラも、にっこりと微笑みながら挨拶を返したが、その純朴で可愛らしい笑顔をみた山本は、おそらくウイラの笑顔のことは一生忘れられないだろうと思った。山本にとって、それほどウイラの笑顔は初々しく印象に残る微笑みだったのだろう。
その夜、山本が持ち込んできた、米・味噌・ハムソーセー・ソーセージ・缶詰などで食事を取った。特に、ウイラは初めて口にするこれらの食物に眼を輝かせている様子だった。山本は、これも一緒に持ち込んできたウイスキーで、久しぶりに耕平と飲みながら積もる話に花を咲かせた。
翌朝、山本が眼を覚ますと、夕べ休む前にウイラから塗り直してもらった薬が効いたのか、足の腫れもすっかり引いていて、痛みのほうもいくらか残ってはいるものの、歩行するにはほぼ支障をきたさない程度にまで回復しているのを知った。
耕平とウイラの姿が見えなかったので外に出てみた。空を見上げると今日もよく晴れて、さんさんと輝く朝の陽光が山本をやさしく照らしていた。
足を慣らすためにあちこち散策していると、耕平が野草らしいものを入れたザルを持ってウイラとともに戻ってきた。
「よお、起きたのか。どうだ、足の調子は…」
「ああ、すっかり痛みが取れたよ。それにしても、よく効くな。あの薬草は」
「ん、あれは昔からこの邑に伝わっている薬草だそうだ。打ち身や捻挫の腫れや痛みに効くらしい…。ところで、どうだ。今日はお前も一緒に狩りに行って見ないか。確か、お前は学生時代に槍投げかなんかやってたんじゃなかったっけ…」
「ああ、やってたよ。でも、あれはただの競技だから、狩りなんてとてもとても、第一オレ狩りなんてやったこともないし……」
「何云ってんだよ。オレのアーキュリーだってそうだろう。たまたま競技用のヤツを持って来たんだけど、やっぱり競技用の弓じゃ役に立たないことが判って、苦心して造ったのがいま使っているこの弓だ。お前だってやれば出きるって、槍なら誰かのを借りてやるから一緒に行こうよ。なあ、山本よぉ」
耕平にしつこく勧められて山本は渋々承知したが、考えてみれば耕平に出きたんだからオレだってやる気になれば出きるはずだ。という、持ち前の負けん気をだす山本だった。
耕平から借りてもらった石槍を手に、山本と耕平は獲物を狩るべくさっそうと狩場を目指して行った。
耕平は、昨日山本がキャンプをしていた地点を目指していた。あの辺りは邑の人間でもめったに行かない場所で、獲物も豊富のはずだから初心者の山本でも何がしかの獲物を得られるチャンスがあると考えていた。それに帰りがけに山本のテントやら、キャンプ用具を持ち帰らなければならないと思っていたからだった。
目的地に着くと、ふたりはテントを外して巨木の根方に置き、残った食品類やその他の道具は山本のリュックに入れて背負った。
それからふたりは、あちこち歩き回ったが適当な獲物を見つけることは出なかった。
「やっぱり、この辺じゃ無理か…。よし、向こうの森のほうにでも行くか。だけどよ、この辺の森はオレたちの知っている森とはまったく違うから、お前も気をつけろよ。何が潜んでいるか知れないんだから辺り中に気を配っいないと危険なんだ」
「ん、わかったよ。それじゃ、行って見っか」
森の中は山本が想像していたよりも、はるかにうっそうとした森林地帯で樹齢何百年も経ちそうな巨木ばかりが生い茂っていた。
「うわぁ、すごいな、これは…。こりゃあ、ホントに何が出てくるかわかったものじゃないぞ。おい、ホントにこんなところに入って行っても大丈夫なのかよ……」゛
山本はあまりにも巨木が密集した樹林に、少しビビったのか不安そうな顔で耕平を見た。
「大丈夫だよ。この時代にはそんなに危険な動物なんていないよ。気を付けなくちゃいけないとしたら、手負いのイノシシくらいのものかな。ヤツらは傷を負うと興奮してこっちに向かって突っ込んてくるから、それだけは気を付けたほうがいい」
「なるほど、猪突猛進か。アッハハハ」
昨日までの土地勘もなく、たったひとりでどうしたらいいか途方に暮れていた自分が、まるで嘘のよう思える山本だった。
「あ、そうだ。お前サバイバルナイフ持ってたよな。あれ、きょうも持ってるかい」
「ああ、持ってるよ。何に使うんだ」
「何でもいいから、その辺の幹に印を付けておいてくれ。帰る時の目印にするから、オレもこの辺りは初めてなんで自信がないんだ。だから、万一のためだよ」
「なるほど。よし、わかった。任せとけ」
こうしてふたりは、森の中へと踏み入って行った。しばらく道なき道を進んで行くと、水の流れる音が聞こえてきた。
「お、なんか川があるのか。こんなところに」
山本が言うので、音のするほうに歩いて行くと小さな川に突き当った。
川幅が五・六メートルほどの川には、小動物たちの水飲み場になっているらしく、鹿や野生の山羊野ブタの類がのんびりと水を飲んでいる。
「おい、耕平。獲物がいっぱいいるぞ。どれを狙う」
山本が小声で言った。
「あんまり大物は狙わないほうがいいぞ。持って帰るのが大変だからな」
「よし、じゃあ、あの野ブタの小さいほうを狙ってみようか」
ふたりは標的を決めると、まず耕助が弓に矢をつがえると山本に言った。
「まずオレが打つから、当たったらお前がそのやりで仕留めてくれ」
「よし、いつでもいいぞ」
耕平は弓を目いっぱい引き絞ると、野ブタをめがけて矢を放った。耕平の放った矢は見事に命中し、それを見定めた山本は間髪を入れずに石槍を投げた。
山本の投げた槍は見事な放物線を描いて飛んだ。野ブタはもんどりを打つようにその場に倒れ込んだ。周りで水を飲んでいた動物たちは、蜘蛛の子を散らすようにどこかへ逃げ去って行った。
「やったぞ、山本。大したもんじゃないか。見直したぞ」
「いや、こんなのはまぐれ当たりってやつさ。大体だよ。初めてやって、こんなにうまくいくはずがないし…」
耕平と山本は急いで、野ブタが倒れているのところまで走り寄った。
耕平の放った矢は野ブタの背中に、山本の石槍は肩口に突き刺さっていた。
「さて、コイツをどうするかだな。邑まで持って帰るにしたって、コイツは相当重そうだし、お前は捻挫したところがまだ痛いんだろう。オレひとりじゃ、とてもじゃないが無理だな……」
「いや、そうでもないぞ。夕べ塗ってもらった薬草が効いて、今朝起きた時はまだ少し痛みもあったんだが、いまは全然痛くなくなったみたいなんだ。ホントにあの薬草は効いたぞ。耕平。せっかく捕まえたんだから、何とかしてふたりで持って帰れないか。こんな時どうすればいいんだ」
「ん、じゃあ、やってみるか。まず、腹を割いて内臓を全部取り出して、少しでも軽くしてからふたりで担いで帰るか」
そうと決まれば話は早かった。耕平は山本からサバイバルナイフを借りて、野ブタの内臓をきれいに取り出すと、それらをすべて川に流し入れた。
次に耕平は太い蔦ヅルと細長い丸太を見つけてきた。蔦ヅルで野ブタの両足を結わえ付け、結わえた両足のあいだに丸太を通すと、
「さあ、出来たぞ。そろそろ日が暮れないうちに行こうか」
それを見ていた山本も、耕平の手際のよさに感心しながら、
「お前って、前からそんなに器用だったっけ…」
と、言うと、耕平もまんざらでもなさそうに言った。
「そうでもないさ。でもな、いざ文明から切り離されてみると、こうでもしないと生きて行けないんだと思うよ。オレもここまで慣れるまでに三年も掛かったんだ。それにしても、見事だったな。お前の投げ槍あれが当たっていなければ、あの野ブタに逃げれていたぜ、きっと。どれ、ぼちぼち行って見ようか」
「だから、さっきも云ったろう。あれは、ただのまぐれ当たりだって…。よし、それじゃ、行くか」
こうして二人は、時々休憩を交えながらも三時間がかりで夕暮れ前には、ウイラとコウスケの待つ邑へと帰り着いたのだった。
その晩の夕食は、ふたりで獲ってきた野ブタを解体して、邑人にも分け与えた残りを耕平は山本が持ってきたフライパンを使って、塩と醤油で味付けしたステーキを作って三人で食べた。初めて口にするステーキの味にウイラは、歓喜のあまり黙々と食べ続ける姿を山本は印象深げに見つめていた。





縄文の時間たちは、その時代に住む人々と歩幅を合わせるように、ごくゆっくりとした歩調で進んでいた。それは追われるような日常を過ごしている、山本たちが暮らしていた二十一世紀の時間の経過とはまるで違うもののように感じられた。どうしてこんなにゆったりとした時間が流れているのか、この世界に来たばかりの山本には知る術もなかった。
この時代の人々の平均寿命は三十五・六歳で、邑の長老と呼ばれている者でもせいぜい五十歳前後までしか生きられないらしかった。山本たちの暮らしていた時代では病気に罹っても医学の進歩によって、よほどの難病でない限り早期発見・治療により、ある程度まで回復することも出来たが、この時代の人々にとっては『病気』イコール『死』という方程式に繋がり、一度病気に罹った者はよほどの奇跡でも起きない限り、存命する可能性はきわめて低かったのではないかと思われた。
まず、その短命の一番の原因と考えられることは、衛生面と食生活の著しい片寄りにあったのではないかと考えられる。現代社会に住む私たちと違って、風邪を引けば薬を飲み体の調子が悪ければ病院に行くということもないのだから、平均寿命の三十五・六歳というのも頷ける話ではないだろうか。
だから、長老と呼ばれている一部の長命を誇っている者は、よほど丈夫な体に生まれついたか特別な何かが備わっていて、それがうまく組重なって稀に長生きできた人々もいたのではないかと思われる。現代社会では九十歳とか百歳という高齢者が存在するが、確かに長命を誇っていた人もいたが、江戸時代くらいまでは人生五十年と言われていた時代もあったのだから、それはそれなりに仕方のないことではないかと思うのだ。
さて、ふたりが狩りから戻った翌日、ウイラの姉のカイラが訪ねてきた。ふたりは何ごとか話していたが、狩りの準備をしていた耕助と山本のところへやってきた。
「コンニチハ」
カイラはふたりを見つけて声をかけてきた。
「やあ、カイラ、おはよう」
耕平があいさつをすると、一緒についてきたウイラが言った。
「ワタシタチモ、一瞬ニ行ク。イイ、コウヘイ。姉サン、行キタイ。ダカラ、ワシモ行ク。イイ、コウヘイ」
「ついて来てもいいけど、きょうも少し遠くまで行くんだ。昨日野ブタを捕まえたあたりまでだ。お前たち、ついて来れるのかい」
「ヘイキ、ツイテ行ク。ダイジョウブ、ネ」
耕平がOKを出したので、無邪気に喜んでいるふたりを見ながら山本がささやいた。
「おい、耕平。あんなに喜んでるけど、本当に大丈夫なのか。あのふたり。ここからだとたっぷり二時間は掛かるぞ」
「お前は知らないからそう思うんだろうけど、ああ見えてもあのふたりはオレたちより、よほど足腰がしっかりしてるんだ。何しろ、小さい頃から野山を駆けめぐって育ったんだからな」
「へえ…、そうなんだぁ。じゃあ、そろそろ行こうか。オレも初めてのわりにはうまく行ったんで、少しは自信がついたみたいだから、きょうも頑張るぞ」
四人はまるで遠足にでも行くような気分で、暖かな陽光がさんさんと降りそぐ中を出かけて行った。
森林の入り口まで来ると、耕平は山本が持ってきた鉈を取り出して、行く手を阻む小さな木などをなぎ倒して進み始めた。後からウイラとカイラが続き、しんがりは山本という万全の体勢で進んで行った。やがて小川のせせらぎが聞こえる地点まで近づいていた。
「おい、耕平。この森を抜けた辺りで少し休まないか」
と、山本が言いだした。
「どうした。また足でも痛むのか。山本」
耕平が、心配そうに振り向いた。
「いや、そうじゃないんだけど、少し足が吊ったみたいなんだ」
「わかった、ここを出たらちょっと休むぞ」
耕平は取り急ぎ周りの小枝類をなぎ払いなながら、森の出口まで出てくると休憩をとるために腰を下ろした。山本も腰を下ろすと、ジーンズの裾を捲りスニーカーを脱いで足首を揉み始めた。
それを見ていたカイラは山本の傍に寄ると、黙ってひざまずくと手を払いのけるようにして、山本の足首をやさしく揉み解し始めた。
「あ、ありがとう、カイラ」
山本が礼を言うと、カイラはにっこりと微笑んだ。その微笑みも、先日ウイラが見せたあの純朴で可憐な微笑みに、勝るとも劣らないものを感じ取っていた。カイラの笑顔を見ていると、この時代に来たばかりの時に抱ていた不安など、朝風が霧を吹き散らすようにきれいさっぱり消え去っているのに気が付いた。
しばらく休んで、山本が持ってきた乾パンや缶詰などで腹ごしらえを済ませた後、耕平が木陰から川辺の様子を除くと、やはり昨日と同じくらいの動物たちが水を飲んでいるのが見えた。ウイラが耕平の袖を引っ張るようにして、右の方向を指さして何ごとかを告げた。彼女が指した方向を見ると、一頭のカモシカが水辺近くで草を食んでいた。
「よし、あれを狙おう。カモシカはおとなしい性質だから、イノシシみたいに傷を負ってもやたらと暴れたりしないから安心だ。どうする、山本。また、オレが最初に打つから、お前が槍でトドメを刺すか」
「よし、やろう」
山本は槍を右手に持つと、膝歩きで五・六歩前進して身構えた。耕平は弓に矢をつがえて大きく引き絞り、カモシカに狙いを定めた。山本もさらに二・三歩前に進むと、静かに立ち上がって石槍を構えた。
耕平が矢を放ち、山本も間髪を入れずに石槍を投げた。耕平の矢も山本の石槍も見事なまでに獲物を捕らえ、カモシカは甲高い叫び声をあげるとその場に倒れた。
「殺ったぁ。殺ったぞー」
山本徹は叫ぶが早いか、一目散にカモシカのところへ駆け寄って行った。後から耕平とカイラ・ウイラ姉妹もやって来た。山本の石槍はカモシカの首のつけ根に深々と突き刺さり、それだけでカモシカは絶命したものと思われた。
「見事だな、山本。何がまぐれなもんか。これはお前の実力なんだから。もっと自信を持ってもいいぞ。山本」
ウイラとカイラは手を取り合って喜んでいる。
「それじゃ、また、ここで内臓を出して少しでも軽くして邑に持ち帰ったほうがいいな。コイツはこのまえ捕まえた野ブタよりも重いからな。山本はウイラたちと協力して処理しといてくれ。オレは向こうで蔦やなんかを用意してくるから」
耕平が立ち去った後、三人はカモシカの解体を開始した。カイラは山本にサバイバルナイㇷを貸せという仕草を示した。いつも自分が使っている石のナイフよりも、山本の持っているサバイバルナイフのほうが、はるかに切れることをカイラは知っていたのだ。山本が手渡してやると、カイラは実に器用な手つきでカモシカの腹部の切開作業を開始した。この時代の女たちは、男たちが野山で狩ってきた獣の解体処理作業に長けているのか、見事な手さばきで内臓を取り出し、次々と川に投げ入れてあっという間に作業を終了すると、カイラは川でナイフに付いた血のりを落とすと、
「アリガトー」
と、言って山本に返して寄こした。
「うまいもんだね」
山本はカイラの頭を撫でてやると嬉しそうに微笑みを浮かべた。そこへ蔦のツルや中太の丸太を担いで耕平が戻ってきた。
「何だ。もう終わったか。ずいぶん早いな」
「いやぁ、驚いたよ、耕平。この時代の女って、みんなこんなに逞しいのか…」
「ああ、そうらしいな。それが過酷な自然の中で生きて行く生活の知恵というか、もっと遥かな昔から長い間かけて培われてきた、人間の本能みたいなものなんじゃないのか」
「そうかぁ、これじゃとてもじゃないけど、オレたちの生きていた二十一世紀の女どもには、どんなことしたって太刀打ちなんか出来ないな。こりゃあ」
「よし、それじゃ、きょうも日の暮れないうちに帰るとするか。みんなで手分けしてカモシカの足を縛ってくれ」
カモシカを通した丸太の前のほうを耕平が担ぎ、後方を山本が担いでさらに耕平の後ろにウイラがついて、山本の前にはカイラがついて担いだ。こうして、カモシカを担いだ一行四人は意気揚々と邑へ帰って行った。
それからの山本は、縄文時代にやって来てからは耕平と組んで、よほど天候が悪くない限り毎日狩りに出て獲物を捕らえてきたのだから、邑人たちの食生活もそれなりに潤って行き、ふたりの周りでは縄文時代の時間がゆっくりとした速さで流れ去って行った。



第三章 山本がやろうとした事






山本が縄文の世界にやって来てから、すでに一ヶ月が過ぎようとしていた。ようやくこの世界にも慣れ、邑の住民たちともそれなりに親しくなっていたし、この時代の言葉すらわりと容易に覚えることが出来た。
そんな山本を見ていると、耕平は自分がここに来たばかりの頃のことを思い出すのだった。あの頃の耕平は半分以上やけっぱちになり、行く先もわからないままこの時代に辿り着いたのだが、そこで出逢ったウイたち姉妹に邑へ連れて来られたのがきっかけで、この邑に住むようになったのだから、人生というのは誠にもって不思議なものだと考えていた。
そして今、数千年の時を隔てて親友の山本徹が自分を捜しにやって来ている。その山本とは昔一緒に遊んだような感覚で、野山に出かけては獣を追い回して日々の糧を得ている現状にいささかの不満もなく、むしろウイラ姉妹や村のために少しでも役立ちたいという、強い使命感のようなものに満ちている自分に充分満足していた。
耕平は山本から再三にわたって、二十一世紀に戻ってくるように説得されたが、耕平にはもはや元いた世界に戻るという気持ちはさらさらなく、一縄文人としてウイラやコウスケとともに一生を終えるつもりでいたのだった。
しかし、山本は妻にも告げず自分を捜すためにやって来たのだから、いずれは帰って行くことを知りながらも、なぜか複雑な心理状態に陥っていることに気が付いたが、山本の言葉を素直に受け入れることには耕平自身も知らない、心の中のもっとも奥深い部分で拒否しているものが存在していた。
それでも山本が自分の身の危険を冒してまで、訪ねて来てくれたことに対しては心から感謝していたし、耕平がタイムマシンを送ったのは未来の山本だったのだが、その未来の山本が二〇二〇年の自分にマシンを渡したのも、自分のことは自分が一番よくわかるという心理からだったのだろう。
だから、山本は山本で初めて接する世界に興味津々といった様子で、縄文の人々の生活を観察しながら、自分でもって来たテントを耕平の住居の傍に設置して生活を送っていた。
そんなある日、ふたりはいつものように自分たちの住居から、さほど遠くない森林地帯に狩りに来ていた。
「なあ、耕平よ。この時代は人間よりも動物たちのほうが圧倒的に数が多いんだよな。だから、こうして毎日狩りをやっても容易に獲物を捕らえるともできるから、食い物には事欠かないんだろう。それなのに、これも河野先輩から聞いた話なんだけど、どうしてこの時代の人たちの平均寿命は三十代半ばなどという短命なんだろうな」
それを聞いた耕平は、しばらく考えてからこんなことを言った。
「オレもよくは分からないんだが,一番の問題は食生活だと思うよ。栄養のバランスもそんなに保たれていないようだし、それにあとは病気だな。風邪ぐらいなら何とかなるかも知れないが、他の病気なんかは原因も分からないから、部族の中にはシャーマンみたいな人がいて、その人が神に祈りを捧げて病気が回復するのを待つだけなんだから、これじゃあ、病気なんて治るはずもないさ。それに薬草なんかもあるにはあるんだが、果たして本当に効くのかどうか分からないしな……」
「なーるほど。でも、オレが捻挫したときに塗ってもらった薬草は効いたぞ」
「ああ、あれか。捻挫や外傷なんかに効く薬はあるさ。何しろ彼らは一万年以上もの間、こんな生活を続けているんだからな。問題は内部の病気さ。胃炎や腹痛、それに下痢なんか起こしたら大変なんだ」
「うーん、そうか。それは確かに大変だな…。あ、それならオレも万が一のことを考えて、ある程度の薬は持ってきているから、何かの時に役に立つかも知れないぞ」
「へぇー、どんな薬を持って来たんだ」
「うん。まず、胃腸薬だろう。消毒液・風邪薬・解熱鎮痛剤・下痢止め・虫に刺された時のかゆみ止め・赤チンキ・絆創膏・ガーゼ・包帯・はさみ・ピンセット、そんなところかな。どうだ、これだけあればなんとかなるだろう。それに、二・三種類づつ買ってきたから、当分は持つはずだぜ」
「それはすごいな。なんかあった時は頼むよ。それにしても、他にもいろいろ持ち込んだみたいだけど、お前、よく金があるよなぁ、たいぶ金使ったんじゃないのか…」
すると、山本はケロリとした顔でこう言った。
「あれ、云ってなかったっけ、お前が未来のオレに返した金の半分、二百五十万も貰ったんだ。これくらいのこと、どうってことないさ」
そんな話をしながら、前に野ブタやカモシカを獲った川の上流に辿りついていた。そこで何かを思いついたのか山本が提案した。
「なあ、耕平よ。たまには獣じゃなくて、魚でも獲らないか」
「ああ、オレは構わないけど、でもその槍じゃ無理だろう。どうするんだ」
「ヤスを作ればいいさ。ここいらは大自然の真っただ中なんだから、竹ぐらいいくらでも生えてるだろう。そいつを取って来てヤスを作ればいいさ。オレ竹を取ってくるから鉈を貸してくれ」
山本は耕平の持っていた鉈を受け取ると、森を目指してさっそうと駆け出して行った。
ひとり残された耕平は、何か獲物はいないかと辺りを窺っていると、親と逸れたのか鹿の子伴が小さな声で鳴いているのを見つけた。
『あれなら弓でも行けそうだな。よし』
急いで弓に矢をつがえると、耕平は大きく引き絞り仔鹿に狙いを定めた。放たれた矢は仔鹿に当たり、音もなくその場に倒れ込んだ。
仔鹿が倒れた場所まで来ると耕平は跪いた。
『悪く思わないでくれよ。これもオレたちが生きて行くためなんだから、ごめんよ』
この世界にやって来て、耕平は獣を狩るようなってから狩りが終わったあと、いつもこうして心の中でつぶやくような祈りを唱えるようになっていた。それはいつも見ている心やさしい縄文人たちも、みんなそうした祈りを捧げているのに違いないと思ったからだった。
そこへ竹を抱えた山本が戻ってきた。
「さあ、取って来たぞ。これだけあれば大丈夫ろう。枯れた竹も落ちてたから拾ってきた。やっぱり穂先は乾いた硬い竹じゃないとだめだから、これで穂先を作ろう」
山本は器用に竹を割ると、サバイバルナイフで穂先の加工に取り掛かった。耕平が見ているうちに、瞬く間に二本の竹製ヤスを作り上げた。
「さあ、出来たぞ。これはお前が使え。じゃあ、行くか」
一本を耕平に渡すと、山本はさっそくスニーカーを脱ぎ捨てて川の中へ入って行った。
「おい、何かいるか」
後から入ってきた耕平が聞いた。
「ああ、居る、いる。アユやフナやコイ・ヤマメまでいるぞ。こりゃあ、取り放題だぜ」
言いながらも、山本は夢中で手製のヤスで魚を射止めては、取った獲物を川岸のほうに放り投げている。
「よし、オレもやるか」
耕平も川に入り、ふたりは魚類の捕獲に夢中になり、あっという間に小一時間が過ぎ去って行った。やがてふたりは岸に上がってくると、獲物の山を見て互いに顔を見合わせてにんまりと笑みを浮かべた。
「こりゃあ、大漁だ。よし、余った竹でヒゴを作ろう。それに通して持って帰ろう」
竹を裂いて細いヒゴを作り、それらを耕平に手渡すとふたりで魚のエラに通してまとめ上げた。
「よし、じゃあ、ぼちぼち帰ろうか。それにしても、よく獲れたもんだ。こんなに獲ってもみなんに分けてやったって、一回には食べきりないんじゃないか。残ったヤツはどうするんだ」
「残ったものは干物にして、冬場の食料として貯蔵庫に保管しておくんだ」
「貯蔵庫…、そんなのあるのか」
「あるだろう。ほら、高い櫓のようなものが」
「櫓…、ああ、あれ貯蔵庫なのか。へぇー」
「よし、帰ろう」
魚を通した輪になった竹ヒゴを両肩に担いで耕平は立ち上がった。山本も同じようにして魚を担ぐと耕平と並んで歩き出した。
「縄文時代って、なんかホントに気候が温暖なんで驚いたんだけど、河野先輩から聞いた話なんだけど、氷河期が終わって縄文時代になると温暖化が進んだろう。でも、それって一万年以上も前の話だろうが。何で、いま頃までこんなに温暖なんだろうなぁ」
「さあ、そんなこと急にオレに聞かれても、オレにも全然わかんねえよ。しかし、ホントに何故なんだろうなぁ」
ふたりの疑問は、いくら考えても答えが見いだせないままだった。
邑に戻ったふたりに、カイラとウイラの姉妹が駆け寄って来て、ウイラが縄文語で耕平に何かをささやいた。
「どうしたんだ。何かあったのか。耕平」
「「うん。ウイラたちの母親が腹を痛がってるらしい、お前何か薬を持ってるだろう。何か出してくれないか」
「お腹って云ったって、いろいろあるからなぁ。もう少し詳しく聞いてみてくれ。何か探して見るから…」
耕平は、ウイラとカイラの顔を見ながら、また何かを訊ねていた。カイラは自分の乳房と臍の中間部を抑えて必死に説明している。
「わかった。胃か。それなら、ちょうどいいのがあるぞ。ちょっと待っててくれ」
山本はテントに入ると、中で何やらゴソゴソと探し物をしていたが、すぐに飛び出してきた。
「あったぞ。これだ。取り合えず、これを飲ませてやっくれ」
山本は手に持っていた液体胃腸薬の小瓶を自分の口元に持って行き、フタを外して飲む仕草をしてからカイラに渡した。
カイラとウイラは喜び勇んで母親のいる住居を目指して駆けて行った。





翌日、山本が目を覚ましたところへ、耕平がウイラとカイラを伴ってやって来た。
「おい、山本。起きてるかい」
山本がテントから顔を出した。
「何だ。こんなに早くから、どうしたんだ。お前ら」
「アリガトー、トオル」
カイラが礼を言いながら、ペコリと頭を下げるとウイラも続いて頭を下げた。
「どうしたんだ。一体、こんなに朝早くから……」
怪訝そうな顔をしている山本に、
「実はな、きのうお前からもらった胃薬を飲んだら、彼女たちの母親の腹痛がピタリと治ったそうだ。それで礼を言いたいって云うから連れてきた」
「ホント、ヨカッタ。アリガト、ナオッタ。アリガト、トオル」
ウイラも山本に駆け寄ると、両手を握って喜びを伝えた。
「おう、それはよかったじゃないか。やっぱり効くもんだな。それにしても、こんなに効くとは思いもしなかったが、やっぱり効いたんだ。なるほど…」
山本がしきりに感心しているのを見て、耕平が聞いた。
「お前、何をそんなに感心してるんだ」
「いや、大したことじゃないんだけど、前にある本で読んだことを思い出したんだ」
「どんなことだい」
「うん、昔な、どこの国の人だったかは忘れちゃったけど、初めてアフリカ探検に行った話なんだ。その時に原住民のひとりが腹痛を起こして、ひどく苦しがっていたんで薬も持ってなかったんで、たまたま待っていた自分用の歯磨き粉を飲ませたんだってさ。
そしたら、その原住民もたちまち腹痛が治って云うからさ、縄文時代の人だって科学的な薬なんて飲んだことがないだろう。だから、その分効き目も凄かったのかなと思って、われながら少々驚いてたんだ」
「へぇー、そういうこともあるのか。そういえば、病は気からっていう言葉もあるしなぁ。ところで、お前きょうはどうする。少しは休んだほうがいいんじゃねえか」
山本は少しの間なにかを考えていたが、
「オレさ。せっかく縄文時代に来たんだから、土器を作ってみたいと思っているんた。どこかに粘土の採れるところってあるかな」
「この時代では土器作りなんかは、みんな女の仕事なんだよ。土器作りならカイラが得意だから教えてもらうといいよ。粘土の採れる場所も知ってるはずだから、聞いてやるよ」
耕平はカイラとなにやら話をしていた。
「食事が済んだら一緒に行こうってさ。なんだか彼女すごく喜んでるみたいだぜ。まぁ、頑張ってくれ。オレはきょうも狩りに行ってくるからさ」
耕平も狩りに出かけて、しばらく待っているとカイラがやって来た。
「どこに行く?」
言葉が通じるか、心配だったが聞いてみた。
「向コウ、行ク。イイ」
やはり片言ではあったが、ウイラのそれよりはカイラのほうが、発音的によほどしっかりしていて聞き取りやすかった。ふたりがしばらく歩いて行くと、カイラが立ち止まり少し先にある土手を指さした。
「トオル。アソコ、アル。行コウ」
カイラばが足早に歩いて行く。近寄ってみると、確かに黒っぽい色をした粘土質の地肌が目に入って来た。
「こりゃあ、なかなかいい粘土じゃないか」
手に取って指先で軽く捏ねてみても、粘り気がかなり強い上質の粘土であることが山本にもわかった。
「よし、これを掘って持って帰るぞ。カイラ」
山本は持ってきたピッケルを使って掘り始めた。普通の土なら硬くてとてもピッケルなどでは掘り起こすことはできないが、粘土質の土は比較的に柔らかいせいもあってか容易に掘り出すことができた。
「これだけあれば充分だろう。そろそろ帰るぞ。カイラ」
辺りに生えている樹木の幹に絡みついている蔦を刈りるとカイラに手渡す。それを使ってカイラは粘土を手際よく、ひとつの塊にして蔦のツルで結わえて行く。大きな塊を山本が背負い、小さい塊はカイラが両手で持って家路についた。
戻るとすぐカイラの手ほどきで土器作りの準備は行った。カイラは粘土をよく捏ねてから太い縄状のものを作り始めた。山本も見よう見まねで同じものを作って行く。
カイラは縄状の粘土をらせん状に積み重ね、いわゆる土器の形状のものを形作って行く。山本のほうは普通の土器ではなく最初に底部を作ると、もっと大きく粘土を巻いて行き上部に来るにつれて、湾曲状態になるよう巻き上げて行った。こうして山本徹の初めての作品は出来上がった。
その作品は直径が五・六十センチ、高さ三十センチはあろうかと思われる鍋状の物だった。そう、山本が作った物は一般家庭で冬場の料理には欠かせない、土鍋をイメージして作られた物だったのである。そして、粘土は乾燥すると二・三割ほど縮小するのを知っていたから、その分を計算に入れてやや大きめに作っておいたのだ。土鍋と一緒にどんぶりのような器も作った。
「よし、出来たぞ。見てくれ。カイラ」
山本は自慢気にカイラに見せた。
「コレ、何? トオル」
カイラは怪訝そうな顔で山本に聞いた。
「鍋だよ。これで獲ってきた獣や魚を煮て食べると美味しいんだぞ」
「ナベ…、何、ワカラナイ」
この時代には、まだ鍋という言葉も存在も知らなかったのだから、カイラに理解することは出なかったのだろう。
「鍋というのは、土器と一緒だ。この中に物を入れて火にかけて煮るんだ。それをみんなで食べるんだ。うまいんだぞ」
大きなジェスチャーを交えながら、山本はしばらく説明するとカイラもようやく理解したらしかった。さらに、山本はもうひとつ同じ物を作った。それを耕平のところにも持って行ってやるつもりだった。
出来上がった土鍋はある程度乾燥するまで陰干しにして、その後天日で本干しをして完全に乾燥させてから野焼きをして素焼きにするのだが、山本はもっと硬質の焼き物を作りたかった。野焼きに代わる本格的な炉がほしかった。しかし、どうやって作ればいいのかわからなかったが、炭焼きの窯なら雑誌なんかで見たことがあるのを想い出し、それをイメージして造ろうと考えていた。とにかく石と粘土を組み合わせて何とか作ってみようと思った。石なら、その辺にゴロゴロ転がっているのだから、集めるのにはさほそど手間はかからなかった。ただ、天井の部分はどうするかだった。
粘土が乾くまで石が落ちてくるのを支えるには、何かつっかえ棒のようなものをかる必要があった。そこで枠組みを組んで粘土が乾くまで押えることを思いついた。規模を大きくすると作るのに大変だと考えた山本は、取り敢えず土鍋を焼くのに適切だと思えるものを作り始めた。
まず、割った竹を火にかざして丸みをつけて大きなU字型の物を数個作り、それをビニールハウスの枠組みの要領で土の中へしっかりと埋め込んだ。それから強度を保つために上方と両脇を別の竹で補強した。あとは石と粘土積み上げるだけだった。
こうして、山本は苦労を重ねた末に数日をかけて陶芸窯らしい物を完成した。だが、陶芸窯など一度も見たことのない山本には陶芸窯なるものが果たして、これでいいのかどうかなどわかるはずもなかったが、取りあえず粘土を焼いて強度をだすために、三日がかりで窯に火入れを施して一応山本式陶芸窯は完成したのだった。
耕平も連日のように狩猟に出ていて、最近ではなかなか顔を合わせることもなかったが、どうしても見せたくて耕平を呼んできて感想を聞くことにした。
「へえー、これホントにお前が作ったのか。なかなかの出来じゃないか。お前にしては上出来だと思うぜ」
「耕平にそう云ってもらえると嬉しいよ。でも、陶芸窯なんて見たこともなかったし、本当にこんなもんでよかったのかどうか、まるっきり自信がなかったんたが、ホントにこれでいいのかなぁ…」
「いいんじゃないのかな。とにかく焼いてみればわかるさ。さっそく焼いてみろよ。もう、土鍋のほうは完全に乾燥し切ってるんだろう」
「ああ、それは問題ない。お前も忙しくなかったら少し手伝ってくれると助かるんだけど、きょうは手が空いてないか……」
「ああ、いいよ。手伝うよ。何をすればいいんだ」
「そうだな。焼き上がるまで火は絶やせないから、薪になるような木材を集めなくちゃいけない。これから取りに行こう」
ふたりは薪にする枯れ木を集めに森へと向かった。山本は鉈を使って枯れ木の伐採に取り掛かったが、作業は一向に進まなかった。業を煮やした山本は額の汗を拭いながらつぶやくように言った。
「これじゃ、いくらやっても埒が明かないや。よし、こうなったら一度未来に戻って、ノコギリかなんかを持ってきたほうが早いな。お前がここに来た時に立てたっていう、あの記念碑のところは確か向こうの公園の辺りだったよな。これから、すぐ買ってくるよ。急いで帰ってくるから少し待っててくれないか」
と、云うよりも早く耕平を残して立ち去った。それからものの二十分も経つか経たないうち、大きな段ボールの箱を荷台に付けた自転車に乗って山本が戻ってきた。
「やあ、待たせたな。行ったついでだから、いろいろ仕入れてきた」
「何だ、またチャリンコを買って来たのか。それにしても何をそんなに買ってきたんだよ…。山本」
「うん。まず、ノコギリだろう。大きいのと小さいヤツ、それにロープだろう。太いのと細いヤツ。斧もあったほうがいいだろう。それからトンカチと釘、これも大小含めていろいろ買ってきた。あと工具類に砥石だろう。それに針金、番線もいろんな太さのを買ってきた。あとはトランシーバーだ。お前との連絡を取るのにほしかったんだ。電池もたっぷり買ってきたし、一年くらいは持つだろう。砂糖や塩・味噌も足りなくなるといけないから買ってきた。あと日本酒だ。お前好きだったよな。やるからお前呑めよ。空きビンは水でも入れて使え。ウイスキーはオレ用だ。あとは、その他もろもろだ。じゃあ、やろうか」
出来るだけ枯れている木や、朽ち果てて倒れている樹木を選んで、切り出しを始めたふたりだったが、この時代は何をするにしてもあまり苦労もせずに成し遂げることができた。平地より森林のほうが多いのだから、動物を狩るにしても木材を集めるにしても、いずれも容易く収集することが出来るのだった。
「これだけあれは十分だろう。足りなくなったら、また取りに来ればいいさ」
「そうだな。じゃ、帰るとするか」
耕平が蔦のツルで結わえてくれた木材を背負い邑へ帰ってきた山本は、その日から土鍋づくりの火入れをする傍ら、さまざまな大きさの土鍋類を作り続けて行った。





こうして、三日三晩かけて焼き上がった土鍋は、初心者の作った物にしては実に見事な出来栄えだった。
「初めてにしては、なかなかよく出来たじゃないか。お前、陶芸の才能あるんじゃねえの」
耕平に褒められて山本もまんざらでもなさそうな顔だった。
「そうだ。耕平、お前きょうは山鳥でも獲って来いよ。オレはキノコとか食えそうな野菜類を採ってくるから、今晩は山鳥鍋でもしないか。あれは、いい出汁が出るからうまいぞ。きっと…」
「お、いいな。やろう、やろう」
ふたりは手分けして、それぞれ獲物を求めて出かけて行った。山本はいたるところに自生している野菜を探していたが、キノコやフキやヨモギなどは簡単に見つけることはできるが、野生種のネギだけはどこを探しても見つけられなかった。それでもニラに似た野草があったので、それで我慢することにした。
その晩、山本のテントにカイラ姉妹もやって来て、賑やかかに宴が始まり大いに盛り上がって行った。
「いやぁ、土鍋にしてもそうだが、このドンブリもなかなの物だな。うん。こりゃあ、皿なんかも作ったほうがいいぞ。それに湯飲みなんかも欲しいな」
ふたりの話を聞きながら、カイラとウイラは土鍋とドンブリに興味を持ったらしく、これも夢中で話に熱中している様子だった。
「ほら、カイラたちもお前が作った鍋に感心しているようだ。カイラに湯飲みや皿を作らせたらどうだ。お前、教えてやれよ」
「わかった。教えて作ってもらおう。オレはあした、パンクして置き去りにして来たチャリの車輪を外してくるよ。どうしても必要なんだ」
「チャリの車輪…、いったい何に使うんだ」
「ん、このままじゃ、仕事がはかどらないから車輪を利用して、ロクロのような物を作ろうと思うんだ。ロクロがあれば大量生産とまでは行かないが、邑のみんなのところに行き渡るくらいの数はすぐにできると思うんだ」
そこまで話すと山本は、山鳥なべを突っつきながら酒を飲み干した。
「そりゃ、いいや。みんなもきっと喜ぶぞ」
翌日、山本は朝目覚めるとこの時代に着いた時、パンクした自転車を放置してきた川原に来ていた。持ってきた工具を使い自転車の解体に取り掛かった。山本が乗って来た自転車はミニサイクルというタイプのもので、車輪のサイズもさほど大きなものではなく、ロクロを作るには持ってこいの大きさだった。
『これで、よしと。さっそく邑に戻ってロクロを作るか』
邑に帰ってくると山本は、今度はノコギリを手に林に向かった。ロクロの土台と台座になる木材を切り出すためだった。適当な太さの大木を見つけるとノコギリで伐採に取りかかった。しかし、立木の伐採などやったこともない山本には、その作業は困難を極めたものであった。三分の一くらいまで切り込んだところで、疲れを覚えた山本はその場に腰を下ろしタバコに火をつけて一息いれた。
静かな林の中でタバコを吸いながら、山本は二十一世紀に残してきた妻のことを考えていた。妻には何も告げずに縄文時代にやって来たのだから、いくらか後悔の念を抱いたとしても、それはそれで仕方のないことだった。それでもこの時代にきて、それほど苦労もせずに佐々木耕平と逢えたのだから、これは幸運なことには違いなかったが、耕平自身が未来に戻る気を示さない以上、いまの山本にはどうすることも出来なかった。だから、少しでも耕平たちの暮らしが楽になるように協力を惜しまないつもりでいた。そして、ことが一段落したら妻の待つ元の世界に戻ろうとしていた。
『さて、始めるか…』
休憩を終えると、山本は立ち上がり木の切り出しに取り掛かった。途中に休憩を挿みながら三時間ほどかけて、切り倒した木をロクロの土台と台座に切り分けた。一度切り倒した木は、立木を切るよりも比較的簡単に切り分けることができた。
切り離した土台と台座になる木材を持ち帰り、散々苦労した甲斐もあってどうにか山本徹製作の縄文ロクロの第一号は完成した。さっそく出来たばかりのロクロを耕平に見せた。
「へえー、これお前が作ったのか。よく出来てるなぁ。うん、回転にもムラがないしバッチシじゃないのか。これ」
「ここに来てからやることなすことが、何もかも初めてのことばかりであまり自信がなかったんで、耕平にそう云ってもらえるとオレも嬉しいよ」
こうして山本は本格的に焼き物作りに専念していった。山本が作ったのは鍋ばかりではなく茶碗・ドンブリ・湯飲みといった、細々とした日常生活に必要と思われるものすべてだった。
山本が焼き物を作るようになってから、カイラも毎日のように山本のところに顔を出すようになっていた。カイラは、この時代の土器作りに関して熟練したものを持っていた。だから、山本の作る土鍋や茶碗などにも興味津々とした目で見ていたし、カイラも進んで山本の手伝いを兼ねて土鍋作りに精を出していた。そんなカイラの献身的とも言える協力に山本は、ただただ頭の下がる思いがした。また、毎日カイラと接することにより、山本自身もカイラから得る部分も多くあった。カイラが分からないことがあれば、できるだけ分かりやすく教えてやった。
毎日、そんな生活送を送っているうちに山本も、少しずつではあったが縄文語が話せるようになっていた。相手に自分の意思を伝えられるということが、こんなにも素晴らしいことだったのかと、カイラと接し始めて改めて感じることができた。
山本とカイラはお互いが師匠であり、お互いが弟子であった。分からないことがあれば、どんな些細なことでもお互いに聞きあい教えあった。カイラもウイラに勝るとも劣らないほど従順で素直な性格の娘だった。こんなに心の優しい純朴な女たちは、二十一世紀の世界にはどこをどう探したって、滅多にいるものではないことを山本は知っていた。
ここでのまるで時間が止まっているような、のんびりとした生活がことのほか気に入っていた。だから、こうしてここに自分がいること自体、途方もなく長い夢でも見ているのではないかという、錯覚に陥っている自分に気がついて苦笑していた。
粘土が足りなくなってきた。カイラとふたりで運ぶにしても、そんなに大した量は運べないと思っていた山本は耕平に相談してみた。
「この前採つてきた粘土が足りなくなって来たんだ。お前が手の空いている時でいいから運ぶの手伝ってくれないか」
「ああ、いいよ。じゃあ、これから採りに行こうか。カイラもいっしょに来るかい」
カイラは黙って頷いた。
「でも、カイラはすごいよ。物事を吸収するのが早いんで驚いているんだよな。一度教えたら絶対間違えないし、とにかく素晴らしい吸収力を持ってるだよなぁ、彼女は。その点、うちのカミさんなんか、いくら教えてもすぐに忘れちまうんだから、いやになっちゃうんだ。カイラの爪の垢でも呑ませてやりたいくらいだよ。ホント」
「わかったからさ、お前の愚痴を聞いていてもしょうない。行くぞ」
それから三人は粘土を採りに出かけ、大量の粘土を集め大きなボール状に固めた。それをフキなどの大形植物の葉で覆い、耕平が蔦のツルで周りを固定した。
「よし、これでいいぞ。さあ、行こうか」
出来上がった粘土のボールを、運動会の玉転がしの要領で転がしながら帰るのである。これがまた大変だった。学校のグラウンドのように整備されていれば話は別なのだが、石や岩だらけの道なき道を転がさなければいけないのだから過酷な重労働で、邑に帰り着いた頃には三人ともクタクタに疲れ切っていた。
粘土を大量に採ってきたおかげで、翌日から山本の仕事は多忙を極めていた。カイラをに使い、陶器を焼くために様々な大きさの器類を造っていった。陶器と言っても、ここでは釉薬が手に入らないから、ただの素焼きになるのは仕方がなっかった、それでも山本は満足していた。土器しか知らない、この時代の人々にちゃんとした焼き物を造り、使ってもらいたいという使命感のようなものを抱き始めていた。
完全に乾きっている最初に作った粘土の形成物を五・六個ほど、試しに焼いてみることにした山本だったが、陶芸など生まれてこの方一度もやったこともなかったし、どれくらいの焼き時間が必要なのかも判らないまま、丸一日くらい焼けば多分大丈夫いいだろうという、素人判断で焼き窯に初めて火入れをすることになった。
カイラは山本の仕事を手伝いながら、山本はどうしてこんなに面倒なことをしているのかわからなかった。野焼きならもっと簡単に手軽に焼けるのに、何日もかけて窯を造ったり土器を焼く準備に追われいるのを見て、カイラは山本のことを少なからず訝しく思っていたのに違いなかった。しかし、カイラのそんな思いも火入れをしてから四日目の朝に、山本がやっていたことが決して無駄ではなかったことを知るのであった。
翌朝、カイラが焼き窯のところまで来ると、山本がすでに窯の前に立って待っていた。
「おはよう、カイラ。火は完全に消えてる。カイラが来るのを待ってたんた。さあ、これから開けるぞ」
山本が縄文語で言うと、
「うん、早く見たい。早く開けて。早く、早く」
カイラに急かされるようにして、山本はさっそくピッケルで窯の入り口を塞いである、生粘土を積み重ねただけの塊を壊し始めた。
窯の中に潜り込んだ山本は、焼き物の上を覆っている灰を払い除けて、出来たばかりの土鍋を手に這い出してきた。
「ほら、これが出きたてのほやほやの土鍋だ。凄いだろう」
山本は得意そうに、出きたての土鍋を両手でたかだかと持ち上げてカイラに見せた。
「うわぁ、すごい、すごい。早く見せて。早く、トオル」
カイラは、キャアキャア騒ぎながらはしゃいでいる。山本は手できれいに灰を落としてからカイラに渡した。
「これ、すごい。トオル、これすごいよ。こんなの初めて見たよ」
初めて目にする土鍋を手に持ってカイラは目を輝かせていた。それを見ながら山本は、もう一度焼き窯の中に入って別の土鍋と細々とした器類を持ち出してきた。
「さあ、これをウイラと耕平のところに持ってってやろう」
「ホント、ウイラきっと喜ぶよ。行こう、行こう」
喜び勇んでカイラが山本を促すと、ふたりは両手に焼き上がった土鍋に器類を入れて、耕平たちの住居を目指して歩き出して行った。
「おーい、耕平いるか」
山本が声をかけると中から耕平が顔を出した。
「何だ。どうしたんだ、こんなに朝早くから。お揃いで…」
「こんなものが出来たんで、お前のところにも持ってきた。良かったら使ってみてくれ」
と、手にした土鍋と中に入った細かい雑器類を耕平に手渡す。
「へえー、結構よく出きたじゃないか。それに茶碗や湯飲みもあるのか。立派なものだ。お前、これホントに初めて作ったのか…」
そこへ、コウスケを抱いたウイラも出てきた。
「これトオルが作ったんだ。すごいだろう。今夜にでも使ってみろよ」
土器以外の焼き物など見たこともないウイラも、初めて目にする土鍋に驚いた様子で見入っていた。山本は土鍋と食器類の説明をして、そのほかに耕平と今後の打ち合わせなどを済ませてから、カイラとともに自分のテントへと引き上げて行った。耕平とウイラは、いまもらった土鍋や雑食器類の使い方を教えながらふたりを見送っていた。





それからの山本は耕平とともに狩猟に出かける傍ら、土鍋を中心とした「陶器」とまではいかないまでも、素焼きの焼き物作りに試行錯誤を繰り返しながらも続けていた。
そうした日常的な生活の中で、耕平と狩りに行ったりカイラとの陶器作りに勤しんでいるうちに、カイラの様子がおかしいことに気がついた。ロクロを使って粘土の形成をしていても、何かしら上の空でボーっとして仕事にもあまり身が入らないようだった。そんなカイラを見るに見かねて山本は聞いてみた。
「どうしたんだ。カイラ、どこか具合でも悪いのかい」
「ううん、何でもない。だいじょうぶ…」
それっきりカイラは何も言わないで、ただ黙々と土器作りを続けているのだった。それにしてもおかしいと感じた山本は、耕平に最近のカイラの様子を話し相談した。
「そういうわけなんだ。どう見てもただ事でないと思うんだが、お前に何か心当たりでもないかと思って聞きにきたんだ。何か気がついたことでもないか…。オレにはさっぱり判らなくってさ…」
耕平はしばらく考え込んでいる様子だったが、急に山本の顔を見てニヤリと笑みを浮かべながら言った。
「それはな、山本。多分、カイラがお前こと好きになったんじゃないかと思うよ。つまり、お前に惚れたんだよ。きっと、そうだよ」
「ほ、惚れた…、オレに…。何でだ。だって、オレにはカミさんがいるんだぜ。二十一世紀に置いてきた……」
「そんなことは知らないよ。第一オレたちが未来からきたとか、お前が結婚してるなんてこと彼女に分かるはずもないんだからな。お前、何とかしてやれよ。山本」
「何とかしろと云われてたって困るよ。そんなこと、オレは…」
実際山本は面食らっていた。耕平に、予想だにしていなかったことを言われて困惑していたことは確かだった。純真無垢なカイラのことを考えると、そう邪険なことも言えないと思ったが、どう言えばカイラを傷つけずに済むのか見当もつかず、まったくと言っていいほど考えがまとまらなかった。
「そりゃあ、お前はいいよ。もともと独り身だったんだから、ウイラと結婚しようと子供を作ろうと構わないさ。オレの場合はそうは行かないよ。カミさんもいるし、お前と違っていつまでもここにいるわけには行かないんだからな。そのうち二十一世紀に帰らなくっちゃいけないだろうし、オレはどうすればいいんだぁ……」
「なあ、山本。お前のいうことは痛いほどわかるよ。でも、それについては俺がとやかく云う問題ではないと思うんだ。これはあくまでもお前自身で考えて、最終的にお前が決めるべきことなんじゃないのか」
耕平に、そう言われても山本自身、若い娘のほうから惚れられた経験もなかったし、もしもカイラと恋愛関係にでもなったら、向こうの世界に残してきた妻に対して顔向けも出来ないと思っていた。
「すまないな。お前にまで余計な心配させちまって、ホントにすまん。じゃ、オレ帰るよ。まだ、しなくっちゃならない仕事が残ってるんだ」
山本が戻るとカイラは一生懸命土器作りに励んでいた。いつまでも愚にもつかないことばかり考えてはいられないと、気をとり直した山本はカイラに話しかけた。
「ロクロの使い方もだいぶうまくなったじゃないか。さすがは土器作りの名人だな。カイラは」
山本に褒められたことが嬉しかったのか、カイラはにっこりと微笑んだ。
「トオルの作ったロクロっていう、これとても便利。いままでよりも、ずっとうまく出きるようになったよ」
いま仕上がったばかりの土器を指さして見せた。ロクロの上には、山本がこれまで目にしてきた土器とは比べ物にならないほど見事な土器が乗っていた。
「何だ。これは、凄いじゃないか。まるで山本太郎の彫刻みたいじゃないか」
「ヤマモト…、何?…。カイラ、わからない」
「いや、何でもないんだ。気にしなくていいよ。カイラ」
ロクロに乗っていたのは、ひとつの火焔型土器だった。火焔の飾りのついた縁の部分に、少し湾曲した角のような飾りが六ケ所ほどついていた。山本の知る限り火焔土器に、こんな角を思わせるような突起物の飾りのついた物は、いままで見た縄文時代の遺跡の中で、こんなものは見たことも聞いたこともなかった。
「これはいいね。なかなかいいデザインだ。やっぱりカイラは名人なんだな。うまいよ。とっても上手だ」
山本とカイラは、その日も一日中陶器作りに精を出していたが、日が暮れてきてカイラは自分の住居に帰って行った。山本も晩飯を済ませると何もすることもなく、酒を少し呑んでシュラフに潜り込んでしまった。
山本も二十一世紀にいたのなら、こんなに早く寝ることはなかっただろう。いつもなら夕食が済んだ後は、テレビを見たり新聞を読んだりして過ごしていたから、時間がこれほど長く感じれたことはまずなかった。それが縄文の時代にやって来てからの時間の経過ときたら、とんでもなく遅く感じられるようになったのだ。それが二十一世紀のいつも慌ただしい時間の中で生活を送っていた、山本の単なる錯覚なのかどうか彼自身にもわからなかったが、時間というものはそこで生活を送る人間の環境や、その時の状況などによって変わってくるのだろう。だから、子供の頃には非常にゆっくりと感じられた時間も、大人になるにつれて徐々に短く感じられるのではないだろうか。
様々なことが頭の中に浮かんできて寝付かれずに、山本はシュラフの中で何度も寝返りを打った。やはり、カイラのことが気になっていた。いくら縄文時代の人間とは言っても、あんなうら若い娘に惚れられることは、そんな経験などしたことのない山本でも、まんざらでもない気持ちになっていたことは確かだった。
しかし、『オレには妻がいるんたぞ』と、自分を戒めると今度こそ本当に寝ようとして、もう一度寝返りを打った時だった。テントの入り口のほうで何かの気配を感じた。
「誰だ?…」
と、声をかけても何の反応もない。不思議に思った山本はシュラフを抜け出し、入り口のファスナーを開けて外を覗いたが、周りは暗闇で何も見えなかった。ポケットからライターを取り出して火をつけた。すると、ライターの小さな炎の揺らぎの中に、カイラが立っているがわかった。
「カイラ…。どうしたんだ。いま頃」
山本は急いで入り口を開いてカイラを中に入れてやった。
「カイラ、どうしたんだよ。こんなに遅く」
カイラは何も言わなかった。山本は急いでカンテラを付けた。そこには眼にうっすらと涙を浮かべたカイラが座っていた。
「…………」
ただ黙ったまま、涙を拭おうともしないでカイラは座っている。事情もわからない山本はハンカチでそっと涙を拭いてやった。すると、いきなりカイラは山本に抱き着いてきた。抱き着かれた山本の胸に、カイラの鼓動が薄い着衣を通して直接伝わってきた。山本はカイラの手をやさしく振り解いてもう一度涙を拭ってやりながら、
「どうしたんだよ。ホントに…、わけを言ってごらんよ。カイラ」
「………」
ふたたび尋ねたが、カイラは無言のままで泣いているだけだった。
居た堪れなくなった山本は、カイラを優しくそっと抱きしめた。
「さあ、カイラ、そんなに泣かないでわけを話してごらん。頼むから…」
それから、しばらくカイラは泣き続けていたが、やがてカイラは山本の胸からなれると静かに顔を上げた。
「さあ、云ってごらん。きみの云うことなら何だって聞いてあげるから、一体どうしたんだ」
カイラはしゃくり上げながら小さな声で言った。
「ワタシ、淋しい。ウイラはコウヘイがいる。ワタシには誰もいない。だから、淋しいの。トオル…」
カイラは、また肩を震わせて泣き出し、山本にしがみついてきた。あまりに勢いよくしがみつかれて、その余勢を駆って山本は後ろに倒れてしまった。
「ワタシ、トオルのこと好き。トオルはワタシのことキライ…」
溢れ出る涙がカイラの頬を伝ってこぼれ落ち山本の首筋を濡らしてゆく、カイラはさらにしがみついてきて、胸の温もりと心臓の鼓動が直に感じ取れた。
「抱いて……」
カイラは自分の唇を山本の唇に押し付けながら、
「ワタシのこと、キライ?…。トオル」
もう一度聞いてきた。
「そんなことないさ。もちろん好きだよ。だけど、こんなことはいけないよ。カイラ。それにオレには……」
妻がいるんだから、こんなことをしていけない。と、言おうとしたが、そこで口を閉ざしてしまっていた。自分には未来に残してきた妻がいるんだ。と、言ってもカイラには到底理解してもらえなかっただろう。しかし、山本が言葉を濁した意味など知る由もなく、カイラは激しく山本を求めてきていた。
『ごめんよ、奈津実……』
山本は心の中で妻に詫びていた。何の断りもなく二十一世紀に置いてきた妻に対し、山本は心の中で詫びていた。普段は小言ばかり言われている妻だったが、この時ほど愛おしく思ったことはなかった。しかし、いまは眼の前で涙を流しているカイラにも、何とも言いようのない哀れさを感じていたことも確かだった。
テントの外の草むらでは秋の虫たちが泣きはじめていた。もう、そんな季節に差し掛ろうとしている時期でもあった。



第四章 縄文に吹く風






それから三日ばかり経った朝、山本が朝食の支度をしていると耕平がやって来た。
「おはよう、これから朝飯か。山本」
「ああ、おはよう。すこし考え事していたら寝坊してしまった。何か用かい。こんな早くから」
「ウイラから聞いたよ。お前、カイラとうまく行ってるんだってな。ウイラが喜んでたぜ」
「何だ。もう、バレちまったのか…。困ったことやっちまったよ。オレ、カイラにも奈津実にも悪いことしちまった。オレ、後悔してるんだ……」
「何を云ってんだ、山本。カイラも喜んでるって云ってたぞ。ウイラが」
「耕平、お前は他人事だから、そんなのん気なことを云ってられるんだ。オレの身にもなってみろよ。いまオレがどんな気持ちでいるか、お前になんかわかってたまるか。もう、帰ってくれ」
「何をそんなに怒ってるんだ。お前。わかったよ、帰るよ。帰ればいいんだろう」
苛立っている山本を見て、耕平は黙ってその場から立ち去って行った。
山本は耕平に腹を立てているのではなく、自分自身に苛立っていたのだった。あの晩、カイラが突然やって来て目に涙を浮かべながら、『ワタシ、寂しい……』
と、山本に抱きついて泣かれた時には、どうしたらいいのか分からなかったことも事実で、ながい時間と時代を隔てた者同士が交わったという時点で、山本は自分が人類の歴史を変えてしまうような、大それた事を仕出かしてしまったのではないかという、恐怖感に似たものを抱いていたことも事実だった。
カイラは毎日山本のもとを訪れては、ふたりで土器作りに励みながら語り合い、時には耕平と三人で狩りにも出かけることもあった。そんなカイラを見ていると、山本は自分の妻などはとうの昔に失くしてしまっている、純真無垢な初々しさを感じ取らずにはいられなかった。
だからそこ、山本は真剣に悩んでいた。未来に残してきた妻とカイラの板ばさみになって苦しんでいた。いくらあんなガサツな妻でも、妻の奈津実のことを愛していたが、カイラのこともこのままにしておくわけには行かなかないと思っていた。自分の苦しい胸の内を耕平に相談してみようとも考えたが、もうこれ以上耕平には余計な心配はかけたくなかった。そんな山本の苦しみには見向きもしないで、縄文の時間は静かに時を刻んで行った。
それから三ヶ月ほど経った、ある朝のことだった。
突然、ウイラが訪ねてきた。
「おはよう、トオル」
ウイラはにこやかな笑顔で挨拶をした。
「やあ、ウイラ、おはよう。どうしたんだい。こんなに朝早くから」
「カイラから聞いたよ。おめでとう、トオル」
「おめでとうって、何がだい…」
山本は怪訝な顔で聞き返した。
「カイラ、出来たって、喜んでいた。トオル、よかった。ワタシも嬉しいよ」
「出来たって…、何ができたんだい。ウイラ」
ウイラの言っている意味がわからず、山本はまた訊ね返した。
「子供だよ。トオルとカイラの子だよ。おめでとう」
「ええ……」
思いも寄らないウイラの言葉に、山本は絶句してしまった。
妻の奈津実と結婚してから四年も経っているのに,未だに子供ができないでいる山本だった。
こうして耕平を捜しに縄文時代までやって来て、無事巡り合うことができたことは幸運だったが、それにしても日本人の祖先とも言われている縄文人の娘、カイラに自分の子供ができたと聞かされたのだから、山本徹でなくても驚くのは当然のことだったろう。
ウイラは嬉しそうに帰って行ったが、山本はショックがあまりにも大きすぎて、しばらくその場から動くことさえできなかった。
何千年という時間を隔たてた時代まで来て、オレは何てことをしてしまったんだ。と、山本は後悔の念に駆られたが時すでに遅く、いつの間にか人類の永い歴史の一部に介入してしまっていることに気がついた。
ウイラが知った以上、当然耕平の耳にも入っているに違いなかった。山本は食事を取るのも忘れてもがき苦しんでいた。そして、それは深い奈落の底に落ちた亡者のように彼の心は千々に乱れ、自分ではどうすればいいのか判らないほど疲れ切っていた。
『ああ、オレはどうすればいいんだぁ……、こんなこと耕平に相談してもしょうがねぇし…、本当にオレはどうすればいいんだよ……』
山本は自分の頭を掻きむしりながら、その場にうずくまってしまった。
「おい、山本いるか」
テントが開いて、耕平が顔を出した。
「こ、耕平……」
あまりいきなりだったので、耕平に自分の無様な姿を見られた山本は、思わず口ごもってしまった。
「何してんだ、お前。ウイラから聞いたぞ。おめでとう、よかったな。山本」
「何が『よかったな』だよ。そんなの全然、よかぁねえよ。相変わらずノーテンキなヤツだな。お前は」
「何をそんなに剥れているんだよ。めでたいじゃないか、お前に子供が出来たんだぞ。もっと素直に喜べないのか。山本」
「どうして喜べるんだよ。これが…。いいか、よく聞けよ。お前はどうせもともと独り身だったし、結婚しようと何しようとかまわないさ。しかし、オレにはれっきとしたカミさんがいるんだ。そういうわけには行かないんだよ」
「だって、お前んとこはまだ子供がいなかっただろう。この際、奈津実さんには悪いと思うが、お前もここで一緒に暮らしたらどうなんだ」
「バ、バカヤロー。そんなこと出きるわけねぇだろうが、何云ってるんだ。耕平」
山本はムキになって怒りだした。
「お前はどうせ、ここから離れるつもりはないんだろうから、それでもいいさ。オレはそうは行かないんだよ。第一オレは歴史に直接介入してしまったんだからな。そんなことは絶対にやっちゃいけないことだったんだ…。それなのに…、それなのにオレは何て愚かなことをしてしまったんだろう……」
「そんなに落ち込むなって、お前らしくもない。もっと元気を出せよ。山本」
見るからにガックリしている山本を、慰めるように耕平は肩を叩いた。
「それに、お前は歴史に介入したって云ってるけど、この時代が二十一世紀からどれくらい離れた過去なのかも判らないし、お前の血を受け継いだ子供がひとりくらい生まれたって、二十一世紀に直接的な影響を与えるとは考えられないんじゃないのか…。オレにはよく解からないけど」
「そんなこと、オレにだって解かんねぇよ。だけど、オレがバカなことをやっちまったことだけは確かかなんだからな…」
「なあ、山本。お前が何でそんなに落ち込んでいるのか、オレにはわからないけど、とにかく、いまはしばらくカイラの様子を見守っていてくれないか。そうしないと、あまりにもカイラが可哀相じゃないか、頼むよ」
耕平に言われて山本は少し困惑した様子で考え込んでいたが、
「わかったよ。オレにも責任のあることだしな。お前にそういわれると、このまま放っておくわけにも行かないし、しばらくここにいることにするよ。お前にばかり心配かけちゃ済まないからな」
「そうか。分かってくれたか、ありがとう、山本。後のことはオレが何んとか考えてやるから、ぜひ、そうしてやってくれ。よし、こうなったらお前とカイラの住む家を建てなくっちゃいけないな。さっそく、木を伐り出してこなくちゃいけないな。お前も手伝えよ」
「おい、耕平。家を作るっつったって、そんなに簡単に出きるのか……」
「なーに、材料ならいくらでもあるんだし、これからすぐに伐り出しにかかろう。邑の人で手の空いている人に手伝いを頼んてみるから、ここで待っててくれ」
「ちょっと待ってくれよ。木を切るったってそんなに簡単にはいかないだろう。ここに生えてる木は巨木ばっかりなんだから、大変なんじゃないのか…」
「ここにいる人たちは、昔からそうしてやって来ているんだ。そんなに心配するなよ」
「それにしても、ここにあるノコギリだけじゃ、どう見たって無理だぜ。よし、こうなったらお前が人集めをしてる間に、オレがもう一度未来に戻ってチェーンソーでも買ってくるから待っててくれ」
と、いうよりも早く山本は姿を消していた。それから耕平が邑人を連れて戻った時には、すでに山本はチェーンソーに燃料を入れ終えて準備万端整えて待っていた。
「よし、それじゃ始めるか。それにしたって、あんまり太い木はいらないよな。これぐらいの太さで充分だと思うんだけど、耕平はどう思う」
山本は中くらいの木を指して耕平に聞いた。
「いや、お前がいいというなら、それでいいんじゃないのか」
「よし、それじゃ始めようか。みなさん、よろしくお願いします」
こうして山本徹とカイラの住む住居つくりは開始された。
山本の作ろうとしていた家は、縄文時代の人たちが住んでいた竪穴式所ではなく、まず土台になる柱を立てて枠組みを組んでから、床になる部分に丸太を敷き詰めた二十世紀後半に流行ったログハウスをイメージしたものだった。
邑人たちも初めて造る家に物珍し気にしながらも、山本の指図通りによく働いてくれたおかげで、四日掛かりで無事ふたりの住む新居は完成した。
建物の外壁には、丸太の皮の部分を薄く切り取った物を張り、透き間風が入らないように加工を施した。屋内も同じように加工し、部屋の中央部には丸太を四角に取り除いて、囲炉裏を作り冬の暖房用に備えた。
建物が完成した晩、手伝ってくれた邑人をたちを招いて、ささやかながら新居の完成祝いを兼ねた宴が催されていた。カイラやウイラも加わって宴は夜遅くまで大いに盛り上がって行った。
やがて宴も終わり、邑人たちが引き揚げた後も耕平とウイラは残っていた。
「しかし、見事な家が出来たもんだな。オレもこんなのに住みたいな。なあ、ウイラ」
「ホントだよ。ねえ、ウイラと耕平にもこんなの作ってよ。願い、トオル」
この家を気に入っているウイラを見て、山本は自慢そうな口調で言った。
「へえー、ウイラはそんなにここが気に入ったかぁ。耕平、お前はどうなんだ。お前も欲しいっ云うんなら、いつでも作ってやるぞ。何しろ、材料になるの木材なんてタダでいくらでも手に入るんだからな」
「それはオレだって欲しいよ。それに、この囲炉裏がいいなぁ。これがあれば獲ってきた魚やなんかもすぐに焼いて食えるし、オレも欲しいな」
「そうか、そんなに欲しいんだったら、ひとつ造ってやるか。あ、それならまた邑の人たちに手伝ってもらえるように頼んでおいてくれ」
「わあー、ホント―、うれしい。ありがとう、トオル」
ウイラは嬉しさのあまり、小躍りするように喜んでいた。
しばらくして耕平とウイラは帰って行ったが、見送りにでた山本とカイラの傍らを冷たい風が吹き抜けて行った。この時代にも、そんな風の吹く季節がやって来たのかと、山本は身重のカイラが身体を冷やしてはいけないと思い、カイラの肩をやさしく抱いて家の中に戻って行った。





それからの山本は何かが吹っ切れたように、縄文での生活に溶け込んで行った。カイラとふたりで新しい土器作りに精を出す傍ら、邑人たちの生活が少しでも向上するように、自分の知る限りの知識や技術を駆使して、あらゆる面で邑の人々の困りごとや相談に乗ってやったりしていた。そのお蔭で山本のところには、邑人たちがいろんな物を持って来てくれるので、日々の生活における食料にはほとんど不自由することがなかった。
二十一世紀の世界と違って、ゆっくりとした歩調で進んでゆく時間の中で、山本の周りにも春が来てやがて夏になった。山本の子供を宿したカイラのお腹も、最近ではめっきり大きく目立つようになっていた。
そんなある日、耕平がやって来て山本を連れ出した。
「カイラもそろそろじゃないかってウイラも云ってたけど、どうなんだ。そんな兆しはあるのか、山本」
「わかんねえよ。そんなの、オレだって出産に立ち会うのなんて初めてなんだから」
「だけどさ、ほら、あるだろう。時々お腹が痛くなるという陣痛ってのか、それもないのか…」
「ん、ないみたいなんだ…」
「そうか…。何かあったら、すぐ知らせてくれってウイラが云ってたから、声かけてくれよ。じゃあな。オレ帰るから」
「ん、わかった。よろしく頼む」
そんな話をしている時だった。山本の住居の中からうめき声が聞こえてきた。
「ううう、あああ…」
ふたりが急いで中に駆け込むと、カイラがお腹を抱えて寝床に横たわっていた。
「これは、いよいよ始まったぞ、山本。オレは急いでウイラを呼んでくるから、待っててくれ」
耕平は自分の住居のほうに駆け出して行くと、すぐにウイラを連れて戻ってきた。
ウイラはカイラに駆け寄るとお腹に耳を当てて様子を窺っていたが、すぐに耕平のほぅを振り向いて言った。
「カイラは、もうすぐ子供生まれる。はやく湯を沸かして」
ウイラに言われて山本と耕平は、慌てて土鍋を持ち出して湯を沸かし始めた。
「どっちかな。男かな、女かな…」
土鍋をかけて薪を燃やしながら、山本が聞いた。
「どっちでもいいじゃないか。元気で生まれてくれりゃあ」
「ああ、それもそうだな…」
耕平に言われて、そう答えた山本だったが、ただでさえ長く感じられていた縄文時代の時間の流れが、さらにゆっくりと過ぎ去っているのでないかと思われ、この時ほど山本は時間が果てしもなく永く感じられたことは、これまでの自分の経験の中には一度もなかったのだ。何かを待つということは、いつの時代でもとてつもなく長く感じられるものなのだろう。
「……うーん…、長いなぁ…、あれからだいぶ経つけど、遅いなぁ、まだなのかぁ…」
山本は、その辺を行ったり来たりしながら、ブツブツとひとり言のようにつぶやいて歩き回っている。
「おい、山本。少し落ち着けよ。お前がそんなに焦ったって、しょうがないじゃないか。それにまだ一時間も経ってないんだぞ。大体、子供なんてものは、そんなに簡単生まれるもんじゃないんだから、もっと落ち着けよ。こっちに来てタバコでも吸ったらどうなんだよ」
耕平に言われて、山本はタバコに火つけながら歩いてきた。
「何だぁ、お前は昔からノンビリしてるから、そんなことが言えんだよ。少しはオレの身にもなって見ろよ。まったく人の気も知らないで…」
そんな話をしていると住居のほうから、
「おぎゃあー、おぎゃあー」
と、いう、産声が聞こえてきた。
「生まれたー」
いうよりも早く、山本は中へ飛び込んでいった。耕平も土鍋のお湯に水を差し、温度の調節を済ませて後に続いた。
「おんなの子だよ。トオル。よかったよ」
ウイラは、生まれたばかりの赤ん坊を高々と持ち上げて見せた。
「こ、これがオレの子か」
「お湯、ここに置いて、コウヘイ」
耕平は、言われた通りに湯の入った土鍋をウイラの前に置いた。ウイラは器用な手つきで赤ん坊の体を洗うとカイラに渡した。
「おめでとう。カイラ、山本。よかったな、無事に生まれて」
「ありがとう、コウヘイ。トオル、おんなの子だよ。みて…」
たったいま生まれたばかりの赤ん坊が、カイラの腕に抱かれて静かに眠っていた。
「カイラ、よく頑張ったな。オレも嬉しいよ」
山本は跪いて、カイラの肩にやさしく手を置きながら、カイラの腕に抱かれて眠るわが子の顔を覗き込んだ。
さすがに山本も初めて経験する子供の誕生という、彼自身の人生の中でもひと際大きない出来事のはずなのに、なぜか素直には喜べないものに苛まれていた。それは何の断りもなく、二十一世紀に置き去りにしてきた妻に対する良心の呵責なのか、縄文というまったく次元の違う時代にやって来て、子供が生まれたことに対する自責なのかは山本自身にも解らなかった。
『すまない…、奈津実。オレはとんでもないことをして、お前を裏切ってしまったのかもしれない…。本当にすまない……』
山本は心の中で、二十一世紀にいる何も知らない妻に詫びた。が、こうして自分の子供を産んでくれた、カイラもまた愛おしく思えた。
カイラは何も言わず、山本の手を握りしめたまま優しい微笑みを浮かべている。
そんなカイラを見ていると、何故か知らずに熱いものが込み上げてくるのを覚え、歯を食いしばるようにしてそれを抑えていた。
「かわいい赤ちゃんだよ。ほら、カイラにそっくりだよ。ほら、みて。トオル」
ウイラも山本の顔をみてニコニコ笑っている。
「ホントだ。それに、この鼻のところなんてお前にそっくりだぞ。山本」
「う、うん。そうだな……」
耕平の言葉に、それだけ言うのがやっとだった。
「カイラも疲れているだろうから、少し休ませてやったほうがいい。オレたちは、ちょっと外に出よう。山本」
何かを察したのか、耕平が山本の肩を叩いた。
「どうしたんだ。一体、元気ないぞ。せっかく子供が生まれたって云うのに」
歩きながら耕平は山本に聞いた。
「オレは…、オレは奈津実を裏切ってしまったんだよなぁ……。カイラに子供を産ませてしまったんだから、もう帰れないよな…。オレ……」
山本はガックリと肩を落としてしまった。そんな山本を見ていると、耕平も何も言えなかった
ふたりは黙りこくったまましばらく歩き続けていたが、山本がいきなり足を止めて耕平に話しだした。
「なあ、耕平。聞いてくれ。ある晩、カイラがオレんことに来て泣いてたんだ。だから、オレは『どうしたんだ』って聞いたら『ウイラにはコウヘイがいる。ワタタシには誰もいない。ワタシさびしい…』って、涙をボロボロこぼしながらオレに抱きついてきたんだ。
だから、だから…、あん時ぁ、ああなって、こうなってしまったんだ…。ああ…、オレは…、オレはもうダメだぁ……。奈津実…、お前のところには帰れないよ。許してくれー」
山本はすっかり心を取り見出していた。こんな山本を耕平はいままでに一度も見たことがなかった。どうしたら一番いいのかと、一計を案じていたがこれと言っていい方法が浮かばないまま、
「山本。おい、山本よ。そう落ち込むなって、もう少し冷静になってくれよ。別にお前は奈津実さんを裏切ったわけじゃないんだから、いまは少しの間カイラのことを見守ってやってくれよ。お前が、そんなことを云ったらカイラが可哀そうじゃないか。落ち着いてくれよ。頼むよ。なあ、山本よ」
耕平に言われて、山本も自分が混乱していることに気づいたのか、また肩を落としてしまった。それでも、うじうじと何かを考えている山本を見て、
「そうだ。狩りにでも行こう。山鳥や魚を獲ってきてカイラに食べさせよう。赤ちゃんのためにも栄養になるし、そうだ。そうしよう。な、行こう。山本」
「ん…、それは…、かまわないけど…」
山本はしぶしぶ返事をした。
「よし、決まり。さあ、行こう。山本」
こうして、耕平と山本は出かけて行った。夕方近く帰ってきたふたりの手には山鳥二羽と野ウサギ、コイやマスなどの獲物が両手いっぱいにぶら下げられていた。
それらの獲物を料理してみんなで食べたが、カイラもウイラも美味しいおいしいと食べるのをみて、山本もようやく元気を取り戻したようだった。
そんな山本のかたわらを涼しげな風が吹きすぎて行き、そこはかとなく秋の気配を感じざる季節になって来ていた。





縄文時代は比較的穏やかで温暖な気候だったが、その縄文の世界にも季節が巡りやがて厳しい冬がやって来た。冬の時期になると邑の住人たちは夏の間に蓄えた、獣の干し肉や魚の干物・栗やどんぐりなどの木の実、農耕で採れるわずかばかりの古代米(この時代の稲作は、現代のような水田ではなく畑作だった)などを冬場の食料に充てていた。
足りない分は冬場と言えども狩りに出かけて、獲物を得なければ暮らして行けなかったのだろう。獲ってきた獲物も雪の中に埋めておけば、ある程度の期間は保存が利くので、かえって冬場のほうが暮らしも暖かな季節よりも楽だった。ただ、冬は動物たちの活動が活発でないせいもあって、容易に確保することは困難だった。
だから、耕平と山本も連日のようにふたりで野山に出かけて行っては、それなりに食料を確保することに熱中していた。
雪の降る冬場は、動物の皮を鞣して作った靴のようなものを履いて出かけた。
「こう雪が積もると、動物もろくすっぼ歩き回らねえからさっぱりだな。こりゃあ、鳥でも狙わないとだめだなぁ。どこかに、何かいねえか」
山本は周りの木をキョロキョロと見回したが、それらしいものはどこを見ても見当たらなかった。すると、山本と反対方向を眺めていた耕平が叫んだ。
「おい、山本見ろよ。あれ、キジじゃねえか」
「何、キジだって、どこだ、どこだ」
耕平の指さす方向を見ると、十メートル先ほどの木の枝に一羽のキジが羽根を休めているのが見えた。
「よし、獲れ。耕平、絶対に逃すなよ。山鳥もうまいが、キジ鍋はもっとうまいぞ。絶対に逃すなよ。今夜はキジ鍋で一杯やるんだから」
山本に言われるまでもなく、耕平は素早く弓に矢をつがえると、力いっぱい引き絞りキジに狙いを定めた。
耕平の放った矢はキジを目がけて一直線に飛び、キジは「キーッ」という甲高い鳴き声を残して地上に落ちてきた。
ふたりはキジの堕ちた辺りまで来ると、思わず顔を見合わせた。
「これは、結構でかいな」
「そうだな。コイツは脂も乗っていそうだし、旨いな。きっと」
それからふたりは獲物を探して方々歩き回ったが、結局のところ収穫は耕平の射落としたキジ一羽だけだった。
「まあ、たまにはこんな時もあるさ。それより、そろそろ日暮れになるから、ぼちぼち帰ろうか。この辺は夜になると狼が出るそうだから危険だぞって、邑の人から聞いたんだ。早く帰ろう」
「あれ、二ホンオオカミって、とっくに絶滅したんじゃなかったっけ」
「バカだな、お前は。それは二十世紀の初めだろうが、ここは縄文時代だぞ。縄文時代」
「あ、そうか。オレうっかり忘れてた」
「馬鹿野郎。そんなこと忘れてどうすんだよ。まったく」
しかし、山本はカイラと残してきた妻との板ばさみになって、毎晩悩みに悩み抜いて夜も眠れない日々を過ごしていたのだから、自分が縄文時代にいることさえ忘れていたとしても、それは仕方のないことだったのだろう。悩んでいることなど耕平に悟られてはいけないと思い、表情にも出さずにじっと我慢の山本の心の中など、子供のころから付き合ってきた耕平にも解らなかったとしても当然のことだった。
それから、また何日か過ぎ去ったあの日、狩りに出かけていた邑人のひとりが熊に襲われたという噂が流れた。
この時代の人々は、狩りに出る時は決してひとりで行くことはなく、必ず二・三人のグループを組んで出るのが常だった。邑人のひとりが獲物を追って岩陰まで来た時、いきなり岩陰から現れた熊に襲われたということだった。後のふたりも慌てて応戦したがとても勝ち目がなく、命からがら逃げ帰ってきたという話だった。
熊に襲われた邑人の捜索に、耕平も行くというので山本も一緒に参加することになった。その道すがら山本が耕平に聞いた。
「なあ、耕平。確か、熊って冬は冬眠するんじゃなかったっけ」
「ああ、そうなんだよ。それに、この時代は栗やドングリなんて、掃いて捨てほど生ってるんだから、それを冬のあいだ間に合うくらい蓄えておくって聞いたことあるけど、それがなんで人を襲ったりしたんだろう。こんなの初めてだって、邑の人も云ってたしなぁ…。もしかしたら、たまたま一頭だけ冬眠から覚めたのかも知れないな」
そんなことを話しながら歩いて行くと、やがて熊に襲われたという地点まで辿りついたらしく、ひとりが声を掛けると邑人たちが一斉に駆け出して行った
「よし、オレたちも行って見よう」
邑人の後について岩陰を覗いた瞬間、山本は思わず顔を背けてしまっていた。
そこに横たわっていたのは、見るも無残に内臓や腕を食いちぎられた邑人の遺体だった。山本はこんな残酷な姿を見たのは、生まれて初めてだったのだろう。
「う、うわぁ……」
彼はその場にうずくまって、うめき声を上げていた。
「うわ、これはちょっとひどいなぁ…」
イノシシに襲われて牙で刺されたり、崖から落ちてケガをした人は見たことはあったが、耕平もこれほどのものを見るのは初めてだった。
「おい、山本。しっかりしろ、大丈夫か」
耕平は腰を屈めると、山本を抱え起こしながら言った。
「今日みたいのは、オレも初めて見たけど、ひどいよなぁ。あれは…。それより、お前ホントに大丈夫かよ」
「ああ、大丈夫だ。ただ、ビックリしただけだ。すまん」
山本は、まだ蒼ざめた顔をしたまま立ち上がり、手に持っていた荷物を耕平に渡した。
「それから、オレのテントを持ってきたから、これで熊に殺られた人の遺体を包んで運ぶといい。みんなのところに持って行ってやれ。あれじゃ、運ぶのも大変だろう」
テントの包みを耕平に渡すと、山本はまたその場にうずくまってしまった。
「え、いいのか。これはお前が高校の頃から大事してきたヤツじゃないか。ホントにいいのか。汚れちまうんだぜ。それでも」
「いいから、黙って持って行ってやれよ。困っている時は、お互いさまだろうが」
耕平がテントの詰まった荷物を運んで行った後も、山本はしばらくその場に屈み込んだまま、ひとりでゲーゲー胃の中のものを戻していた。それから、熊に殺られた猟師の遺体は邑人の手で運ばれ、邑長たちの手によって手厚く埋葬された。
その後、何事もなく数日が過ぎ去ったが、また猟に出ていた邑人が熊に襲われて、一緒に行ったもうひとりの邑人は命からがら逃げ帰ってきたとの話が流れた。
そんな噂が流れた次の日、耕平が山本のところにやってきた。
「おい、山本。また邑の人が熊に襲われたんだってよ。聞いたか」
「ああ、カイラから聞いたよ。でも、今回は襲われた人も奇跡的に深手を負わずに済んで、自力で帰って来れたらしいから好かったんじゃないか」
「ん、でもなぁ、こりゃあ、このまま放って置くわけにはいかないぞ。何とかしなくちゃなんない。何か、いい手はないか。あの熊この前ので、すっかり人間の味を覚えやがったんだ。このままにして置いたら、また人を襲うかもしれない。こりゃ、もう弓や槍だけでは太刀打ちなんて、とても出きそうにないぞ。ホントになんかいい手はないのか、なんか。山本」
「うーん…、そう云われても熊となんか戦ったこともないしなぁ…、お前とふたりで知恵を出し合って、もう少しじっくりとり考えてみるか」
「そうだな。二十一世紀の人間だって、熊に出くわしたら銃でも持ってない限り、とてもじゃないが勝ち目はないからな。よし、考えてみよう。それより、山本。お前、子供の名前はどうすんだよ。ちゃんと、考えてんのか」
「うん、まあな。オレとカイラの娘だから、ライラっていうのはどうかと考えてたんだけど、どうかな。耕平」
「ライラか、いいな。それ、女の子らしくって可愛い名前じゃないか。いいな、山本にしては、なかなかのセンスじゃねえの」
耕平に褒められて照れ笑いを浮かべしながら、山本は耕平と今後の熊対策について話し合った。
「こういうのはどうだ。穴を深く掘って、底の部分に竹を槍みたいに削って埋め込んで、落とし穴を作って熊をそこまで誘い込んで来て落とすってのは…」
「だけど、熊はどこに出てくるかもわからないし、そんなに落とし穴ばっかり作っていたら時間も掛かるし、そんなにあちこちに落とし穴ばかり造って、もし邑の人でも誤って落ちでもしたら、それこそ大変なことになるじゃないのか。それより、もっとほかに方法はないのか。ほかに」
「そおかぁ、ダメだな。これも…、せめて猟銃でもあれば一番いいんだろうが、買ってきてもいいんだが、銃なんてオレ一回も打ったことねえしなぁ…。思いつくのはそれぐらいだし、後はほかに何かないかなぁ…。ところで、耕平よ。ちょっと聞くが、お前の弓なんだけど的中率ってのは、割合にすると何パーセントくらいなんだ」
「自分じゃ分かんないけど、どれくらいだろう。九十八パーセントってところかな。十回打ったら一、二回は外れるからな。それがどうかしたのか…」
「いや、何でもない。ただ聞いてみただけだ…」
それからもふたりで、ああでもない、こうでもないと議論を交わしたが、これといった具体策が浮かばないまま耕平は帰って行った。
それからしばらく経ったが、あれから邑人が熊に襲われたという話も聞かなくなっていたが、そろそろ熊も冬眠から覚める季節になったのだろうという噂が流れていた。
まだまだ冷たいが吹き抜けてはいたが、日ごとに陽射しも暖かくなり、やがて花の咲く春の足音が縄文の世界にも聞こえてくる、そんな穏やかな季節がゆっくりとした足どりで近付いている頃であった。





縄文の里にもまた暑い夏が来て、山本とカイラ娘ライラも、すくすくと順調に成長を遂げて行き、最近では眠りから覚めてもむずかることもなく、可愛らしい笑顔を見せるようにもなっていた。カイラも幸せそうにライラの面倒を見ながら、自分の仕事に精を出していた。
そんなカイラとライラの姿を見ていると、山本は未来に残してきた奈津実のことが脳裏を掠めては、居ても立ってもいられないほどの焦燥感に苛められていた。しかし、こうなった以上は、いつかは戻るにしても、いまの段階では身動きが出ないどころか、ちょっとやそっとのことでは未来に帰れないという、山本にして見れば彼は彼なりに腹を括らざるを得ない状況に立たされていた。が、そうなると何年かかるかわからないから、元いた時間帯には当然帰れない。と、いうことになると、いま頃は二十一世紀で妻の奈津実が突然失踪してしまった、夫の捜索願いを警察に提出しているかも知れなかった。
そんなことばかり考えていると、その辺のところを冷静に判断して、どのように処理すればいいのかまったく分からないまま、茫然とした日々を過ごしていたが、自分が悩んでいることをカイラや耕平に気づかれてはいけないと、ひたすら明るく振る舞い何事もなかったかのように噯にも出さないでいる山本だった。
だから、耕平も親子三人で仲良く暮らしている山本を見ても、別に不自然さは感じられず、慌ただしい二十一世紀に暮らしていた時よりも、ずっとのんびりとした生活を送っている山本のほうが、よほど幸せなのではないかと思えるようになっていた。ただし、何も知らないで未来に残されている、山本の妻の奈津実のことを思うとちょっぴり複雑な心境ではあった。
それからまた数日が過ぎて、カイラが邑の女たちと山菜採りに出かけて行った。ライラは妹のウイラに預けて行ったので、山本はいつものように土器や陶器の素焼き作りをやっていたが、時折りウイラがコウスケを連れてライラの顔見せにやって来ていた。
「やあ、ウイラ。耕平は、きょうも狩りに出かけたのかい」
「そう、邑の人と三人で行った。きょうはコイを獲ってきてサシミを食べたいって云ってたよ。トオルにも分けてやるって云ってたよ」
「そおかぁ、鯉かぁ。鯉はやっぱり洗いだよな。よし、こうしてはいられないぞ。さっそく酢味噌を作らなくっちゃいけないな」
「スミソ? なに、それ。ウイラ、わからない」
「いいから、出きたら持ってってやるから、待ってな」
そんな話しをしている矢先だった。カイラと一緒に山菜採りに行っていた邑の女たちが、大慌てで駆け戻ってくるのが見えた。先頭を走ってきた女が山本の住居まで来ると、そのまま地面にべったりと座り込んでしまった。
「どうしたんだ」
山本の問いに、
「カ、カイラが…、カイラがクマに…、クマに襲われて…、うわぁ、あぁぁ……」
息も絶え絶えに、そこまで言うのがやっとで、女はその場で泣き出してしまった。
山本は、顔面を蒼白にしながらも、
「ウイラ、邑の人を集めてくれ。これからすぐ助けに行くから、耕平もすぐ呼び戻してくれ」
間もなく数人の邑人が駆けつけてきた。カイラと一緒に行った女をひとり道案内にして、一行はすぐさまカイラの捜索に出かけて行った。カイラの捜索に向かう道すがら、山本はこの前のことを思い出していた。あの時の熊に襲われた邑人の惨状から見ても、おそらくカイラはもう生きてはいないだろう。という観念が山本の脳裏を掠めて行った。
熊が現れたという地点まで来ると、女は脅えたように立ちすくむと後退りしながら、震える手である一点を指さしていた。
そこには血に染まったワラビやゼンマイとともに、すぐ側にひとりの女が鮮血に染まって倒れていた。
「カイラぁー」
山本は、叫ぶよりも早く駆け寄って行きカイラを抱き起したが、血に染まって体中傷だらけで冷たくなっていたのはカイラではなかった。
「カイラぁー。カイラはどこだー」
女の遺体をその場に静かに横たえると、山本はすぐさま立ち上がると辺りを隈なく捜し回った。邑人たちも必死に探していたが、そのうちのひとりが岩陰でうつ伏せに倒れているカイラを発見した。山本が近づいて見ると、カイラの背中には熊の爪痕が三本深々と残っていて、見るから痛々しく無残なものであった。
「カ、カイラ……」
山本その場に頽れるように座り込んでカイラに抱きついていた。山本は身動きひとつしなかった。あんなに自分を慕ってくれたカイラが死んでしまったのだ。無条件で泣きたかった。だが、いまはそんな感傷に浸っている時ではなかった。
一刻も早く邑に連れ戻して手厚く葬ってやらなけれはいけなかった。埋葬に関する仕来たりとか風習とかはいくら縄文時代と言っても、そう大した変わりはないだろうという思いはあった。
山本はカイラを背負い歩き出した。邑人の先頭を切って歩いて行った。歩きながら知らずに涙が溢れてきた。止めどもなく流れ出る涙を拭うこともなく、ただ黙々と歩み続けた。カイラの体はもうすでに温もりを失しなっているのが、またとてつもなく寂しかった。
邑に辿りつくと、自分たちの住居にカイラの遺体を運び入れた。住居では耕平が待っていた。
「行けなくてごめんよ。山本。知らせに来た女から聞いたよ。ホントに気の毒なことをしたなぁ。お前もあんまり気を落とすなよ」
耕平が心から慰めてくれたことは、山本にとっても非常に嬉しいことであった。
翌日、邑長の特別な計らいによって、カイラの弔いは盛大に執り行われた。カイラのために村の人々が総出で、三日三晩に渡り神に祈りを捧げてくれた。耕平も言っていたが『こんなことは滅多にない』ことなのだそうだ。
それこそ村を挙げての大掛かりな葬儀で、現代でいうならば国葬並みにものだという話だった。邑長がここまでして、盛大かつ大掛かりな葬儀をしてくれたのは、一重に日頃から山本の邑や邑人たちに対する並々ならぬ貢献があったからこそだった。
こうして邑人としては、最高クラスの葬儀を挙げてもらったカイラは、四日目の朝に静かに墓地へと埋葬されて行った。残された山本と娘のライラは、カイラの妹のウイラからお乳をもらいながら育てられることになった。カイラの墓には毎日のように、色とりどりの花が手向けられて一日として花の途絶えることはなかった。山本もライラを連れて墓参りを欠かさず続けていたが、ある日奇妙な花が供えられていることに気づいた。耕平に聞いてみると、
「あれ、お前、『曼殊沙華』知らないの。別名『彼岸花』とも云うんだぜ。カイラが好きだった花だそうだ。やっと咲いたからって、ウイラが摘んできて飾ってあげたんだってさ」
「へえー、知らなかったよ。こんな花があったんだぁ」
「まあ、山本が知らないのもしようがないさ。お前はもともと花なんかには無頓着なほうだったからな」
そう、縄文時代の世界にも季節が巡り彼岸花の咲き、また雪の降る厳しい冬の季節が間近に迫りつつある頃でもあった。
「ところで、山本よ。お前、これからどうする気だ」
「どうするって、何がだ」
「ライラだよ。あんな乳吞み児を抱えていたんじゃ、何も出きんじゃないのか。どうだ。ウイラが預かってもいいって云ってるんだけど、うちで預かってやろうか」
「ん、うん…、そうしてもらうと助かるが、それじゃ、お前んところで迷惑じゃないのか」
「なぁに、ひとりでもふたりでも同じだって、ウイラも云ってるし、それにコウスケだって遊び相手がいれば退屈しないだろう。そうしろよ。な、山本」
「すまん。耕平、お前にばっかり心配かけて、ホントに助かるよ。ありがとう…」
「何を云ってんだよ。お前らしくもない。大体だな、お前とオレは昨日や今日の付き合いじゃないんだぞ。もう、三十年近く付き合ってるんだから、そんなに遠慮するなよ。それにライラはウイラの姉さんの娘じゃないか。心配しないで任せておけよ」
すっかり気落ちしている山本を、そう言って励ましてやるのが耕平に出きる、唯一の慰めだったのかも知れなった。それに自分がタイムマシンを拾ったことによって、結局はこうして山本まで巻き添えにして、つらい思いをさせてしまったことに対する、耕平なりの 深い反省の念を抱いていたことも確かだった。
「それにしても……」
突然、しばらく黙りこくっていた山本が口を開いた。
「許せねえ…。許せねえぞ。オレは、耕平。カイラや邑のみんなを殺した熊のヤツを許せねえんだよ。オレは。もし、このままアイツを野放し状態で放っておいたら、殺されたカイラや邑のみんなだって安心して成仏できないじゃないか。オレは殺るぞ。アイツを、熊の野郎をぶっ殺してやるぞ。耕平、お前も手伝ってくれるよな」
「ん、まあ、オレはいいけど。でも、どうやって殺る気なんだよ。前にも云った通り、弓や槍ではとても太刀打ちできないぞ。その辺のところはどうする気なんだよ」
「そんなこと云ってたら、何もできないじゃないか。いいか、耕平。よく聞けよ。弓や槍が利かないんだったら、他に何か方法がないかどうか考えるんだよ。お前も一緒に考えてくれ」
「考えるはいいけど、前に云った落とし穴はダメだろう。他に何があるんだろうなぁ…」
「うん。落とし穴な、前はダメだと思ってたけど、いま考えると案外使い道があるかも知れないぞ。お前が前に云ったのは、落とし穴をあちこちに掘るっていうから、時間ばかりかかってダメだって云ったんだけど、考えようによっちゃ十分使えると思うんだ。大きな深い穴をひとつ掘って、そこへ熊を誘き出して落とすんだ。どうだ。いいだろう。そのためだったら、オレは体を張って命がけでやってやるぞ。いまに見てろよー。熊の野郎め」
それから連日のように、山本と耕平は作戦を練り続け、ようやくこれはと思えるものが練り上げられた。
そして、その翌日からふたりは落とし穴用の穴掘りに専念していた。
「熊用の落とし穴って、一体どれくらいの大きさに掘ればいいのかな。実際にその熊を見たわけじゃないから、熊の大きさも全然見当もつかないし、どれくらいの大きさにすればいいんだろう。山本。お前、以前にどこかで本物の熊を見たことあるか」
「いや、ねえよ。んでも、多分三・四メートル幅くらいでいいんじゃねえかな。それに深さは出来るだけ深いほうがいいぞ。オレ、ロープで縄梯子作っておくからさ。それに竹も用意しなくちゃな。それから穴を隠すための枯れ葉や草も集めなちゃなんねえな。こりゃあ、忙しくなるぜ。よし、頑張るぞ」
こうして、ふたりは二日間かけて穴掘りを続け、底辺部に竹槍用の太い孟宗竹を埋め込んで、人喰い熊退治用の落とし穴が四日掛かりで完成した。
「ふーっ、それにしても、かなりシンドかったよなぁ。何しろ、何をするにしても全部初めてのことばかりなんだから、ホントにオレたちは大変な時代に来ちまったんだなーって思ったぜ」
「ホントだなぁ。でも、縄文時代でよかったと思うぞ。これが原始時代やもっと古い年代だったら、どんなひどい目に遭っていたか解らなかったからな。それにしても、何でオレたちばかりこんなに苦労しなくちゃなんないんだろう。なんか悪いことでもやったわけでもないのに……」
そんな話をしながら、ふたりとも穴堀りに疲れた体を休めるために、きょうのところはひとまず引き上げることにした。縄文の里にもいよいよ秋が深まり、野や山にも黄や赤の
紅葉が次第に目立つ季節になっていた。


第五章 山本VS熊の死闘






山本徹は人喰い熊を殺すための方法を、試行錯誤しながらもいくつか考えていた。その中で最も効率的で確実に熊を退治する方法として、いちばん有効と思われるものは熊を誘い出して落とし穴に落とした上で、ガソリンで焼き殺すのが一番有効な方法ではないかという結論に達していた。そのためには、どうしても落とし穴に陥れることが必須条件になっていた。耕平とも細かな計画を立てた上で、再びタイムマシンを駆使して、ガソリンを仕入れるために未来へ戻って行った。
やがて、山本はポリタンク二個分のガソリンを手に入れて帰ってきたが、当の熊は一向に姿を現さなくなっていた。冬眠に入るには時期的にもまだ早いというのが、邑人たちの
噂だったが熊を見かけたとか、熊に襲われたという話も聞かないまま数日間が過ぎ去って行き、山本も耕平とふたりで熊の出そうな場所を探索して回ったが、それらしい痕跡すら見出せなかった。
そんなある日、狩りに出かけていた邑人のひとりが大慌てで邑に駆け戻ってきた。
「おーい、大変だぁー。熊が出たぞー。熊が出たぞー…」
「ついに出たか。一体どこに出たんだ」
邑人の叫び声に、色めきだって山本は聞き返した。
「村のはずれのずっと向こうの竹林にいたのを見かけた」
「よし、わかった。それなら何とか誘き出せるかもしれんぞ。行こう。耕平」
山本と耕平は急いで熊を見かけたという竹林に行って見たが、その時にはすでに熊の姿はどこにも見つけることが出来なかった。
「チクショー、なんて素早いヤツだ。もう、いやがらねえ。どこに行きやがったんだ」
逃げ足の速い熊に、山本は舌打ちをして悔しがった
「大丈夫だよ、山本。こうなったら、餌を仕掛けて誘き出して狙い撃ちにすれば、きっと怒り狂って追いかけてくるだろうから、それを落とし穴まで誘い込んで落とすんだ」
「餌を仕掛けるったって、何を仕掛けりゃいいんだよ」
「熊は雑食だから何だっていいさ。イノシシだって、野ブタだってかまいやしない。とにかく何でもいいよ」
それからふたりは、獲物を得るために狩りに出かけて行き、苦労の末にどうにか野ブタを一頭仕留めて帰ってきた。
「よし、これを穴の前に仕掛けといて、オレたちはこっちのほうに隠れて熊が現れるのを待ってればいいんだ」
物陰に隠れて熊が現れるのを待った。ふたりはしばらくその場に待機していたが、熊は一向に姿を見せないまま時間だけが情容赦なく過ぎて行った。それから、また少しの時間が流れ去り野ブタの置かれた場所から、ほど遠くないところに小さな動物が現れて近づいてきた。
「お、何だ。犬じゃねえか。こら、シッ、シ」
「いや、犬じゃない。あれは狼だ。あれが絶滅したと云われているニホンオオカミだ」
「ええ、あれがニホンオオカミ…」
耕平は弓に矢をつがえると、ニホンオオカミ目掛けて矢を放った。ニホンオオカミはその場にもんどり打って倒れ、足を二・三回痙攣させて息絶えた。
山本は狼の死骸の傍に近づくと、まじまじとその姿に見入った。
「これが、あの絶滅したニホンオオカミかぁ…」
そこに横たわっているニホンオオカミは、体長が現在生息している秋田犬と、ほぼ同じくらいか幾分小さめの体長をしており、大陸に生息していたハイイロオオカの亜種と言われているものである。
「しかし、ここですでに絶滅しているニホンオオカミと出くわせるとは思っても見なかったぜ」
「オレも前に二・三度見かけたことはあるが、こんなに間近で見るのは初めてさ」
「んで、これをどうする…」
「そうだな。野ブタと一緒に並べておこう。餌は一匹でも多いほうがいいから」
ふたりはそれから物陰に隠れて様子を窺っていたが、熊はいくら待っても現れることもなく、彼らの周りを時間だけが素知らぬ顔で通り過ぎて行った。
「おい、山本。きょうは現れそうもないな。もうすぐ夕方になるし、そろそろ帰ろうか。この野ブタはもったいないから持って帰ろう。このまま放置しておくと、また狼が出てきて喰われるといけないからな」
こうして、カイラを殺した熊退治の一日目は徒労に終わり、山本と耕平は重い足取りで邑へと帰って行った。
翌日も、そのまた翌日も、山本は耕平とふたりで熊の出没を待ったが、カイラが殺された日以来、邑人からも熊の姿を見たという話は聞かれなくなっていた
「どうしっちまったんだろう。熊の野郎、あれから全然姿を見せなくなったし、冬眠でもしちまったんじゃねぇだろうな…」
「いや、そんなことはないと思うよ。雪が降りだすまでには、まだ間があるから食い物集めに躍起になってるんじやないかと思うんだ」
「じゃあ、こんなとこでグズグズしてられないじゃないかよ。早く見つけ出してカイラの敵を討ってやらないと、オレの腹の虫が治まらないんだよ。お前だって、そうだろうが、カイラはウイラの姉さんなんだぞ。口惜しくないのか、お前は」
「そりゃあ、口惜しいさ。ウイラだってあんなに悲しんでたんだから、オレだって敵を取ってやりたいさ。ウイラのたったひとりの姉妹なんだからな」
「それなら、なおさらじゃないか。こんなところでいつまでものんびりして、いつ出てくるかわからない熊なんか待ってたって仕方ないだろうが、何とかして見つけ出してやっつけてやらないと、オレは居ても立ってもいられないんだよ。クソー」
所在の分からない熊にいきり立っている山本を見て、耕平はカイラの死を目の当たりにして、一晩中泣き明かしていたウイラのことを思い浮かべていた。
「じゃ、どうする。別な方法でも考えるか。せっかく作ったのに、この落とし穴もったいないな。お前、何か名案でもないのか」
「いや、別にない。でも、この落とし穴は残しておこう。これは必ず役立つはずだからな。それから、邑の人が落ちないように何か目印でもつけておくといい。まず明日から熊がどこに棲んでいるのか、熊の巣探しを徹底的にやろう。そこから始めないと埒が明かないぞ」
次の日から、ふたりは山の奥まで分け入り、熊の棲んでいそうな洞穴はないかと捜し回った。毎日通い詰めて三日が過ぎたころ、とある山の斜面の岩場で、やや大きい洞穴があるのを発見した。
「おい、見ろよ。あの穴なら熊が出入りするには充分じゃないか」
「うん。確かにあそこなら熊が棲んでいてもおかしくない大きさだな」
「しかし、どうやって確かめよう。まさか、面と向かって入って行くわけにも行かんし、そんなことをしたら、それこそこっちの命がいくらあったって敵わないからなぁ」
耕平はしばらく腕組みをして考え込んでいた。
「よし、きょうはここまでにして、ひとまず帰ろう。ここは邑から、かなり離れているし日暮れ前に戻ったほうがいい。穴を見つけただけでもよしとしなくちゃな」
こうして一旦ふたりは邑に戻ってきたが、夜横になってからも山本はなかなか寝付かなかった。目をと閉じても、無残に熊の爪痕に引き裂かれたカイラの背中の傷が、まざまざと浮かび上がってきた。
『可愛そうにな……、カイラ。随分苦しい思いをしたろうに……、もう少し待ってくれ。オレが必ず敵を討ってやるから…』
そんなことを考えながら、まんじりともしないで明け方に少しだけウトウトと浅い眠りについた。そして、ようやく眠りから覚めた頃には、太陽はすっかり昇りきっていた。
間もなく耕平が気の葉で包んだものを手にしてやって来て、それを山本に手渡した。
「何だ、これ…」
「ん、ウイラがお前にやってくれってさ。食い物だそうだ。どうせ、お前朝飯まだだろう」
「うん。まだだ。ありがとう、遠慮なく頂くよ」
山本の腹ごしらえを待って、また熊の棲んでいるらしい洞窟を目指して出かけて行った。山の斜面を登りきったところまで来て、ふたりは岩陰に身を潜め洞窟の様子を窺ってい見た。
「何とかして、本当にあそこに熊がいるのかどうか、確かめなくちゃならないな。どうしよう。どうやって確かめればいい」
「どうやってつったって、熊が出入りするのを待つしかないんじゃないの、ほかに何か方法でもあるのか。山本は」
「うん…、確かにそうだな。こうなったら、熊が出るか入るかするのを待って、証拠を掴むしかねえだろう。何しろこっちには、時間は有り余るほどあるんだから、とにかく待ってみるか」
それでも穴の周辺からは、物音ひとつ聞こえてこないまま、時間だけが過ぎ去り山本も徐々に苛立ちを隠せない様子で、足元にはタバコの吸い殻が山積みになっていた。山本の貧乏ゆすりに気がついた耕平が、
「おい、山本。もっと落ち着けよ。お前がイライラしたって、どうしようもないじゃないか」
「う、ん。いや、オレは別にイライラしてるわけじゃないぞ。しかし、このままじっと待ってたって何も進展しないぞ。いま思いついたんだが、ここからあの穴のところに石でも投げつけてみようと思うんだ。物音に気がついて熊が出てくるか来ないかで、その存在が確認できるじゃないか。やってみる価値はあるぞ。これは」
「ん…、そうかも知れないけど、そんなことして大丈夫かな」
「大丈夫だよ。任せておけって、大体何をそんなに心配してんだ。お前は」
そう言うと、山本は近くに落ちていた大きめの石を拾いあげ、熊の棲穴らしい洞窟目がけて石を投げ込んだ。山本の投げた石は洞窟の縁に当たって鈍い音を立てて転がった。辺りは静まり返っていが、遠目でよくは見えないが何やらうごめくものが目に映った。
「あ、やっぱり熊だぞ。見てみろ、耕平」
「ん、熊だ、しかも、まだ仔熊じゃないか。親熊はどうしたんだ」
物音に驚いて様子を見に出てきたのか、そこには人間でいうならば、五・六歳児くらいの大きさの小熊が歩いているのが見えた。
「おい、耕平。何とかして、アイツを捕まえられないか。掴まえて邑に持って帰って、アイツを囮にして親熊を誘き出すんだ」
「捕まえるったって、いくら仔熊も熊は熊だぞ。もし暴れられたら、こっちだって大変だぞ。下手したらこっちだって怪我するかも知れないんだ。どうする気なんだよ」
「そうだなぁ…。まず、いまは子熊だけらしいが、いつ親熊が戻ってくるかわからないし、ここは一回戻ってもう一度計画を立て直してからの出直したほうがよさそうだ。ここが熊の棲みかだってことが判っただけでも上出来だ。取り敢えずきょうは帰ったほうがいいな。どうせ来るなら、もっと早く来て親熊が餌を漁りに行った直後を狙うのが一番安全だ。そうしよう」
耕平を促すようにして、立ち上がろうとした時だ。
「待て、山本。親熊が戻ってきたぞ。隠れろ。早く」
慌てて山本は腰を屈めて首を出すと、ふたりのいる二・三十メートル先を巣穴を目指して戻ってくる親熊の姿が見えた。
「危なかったな。仔熊を掴まえている時でなくてよかったよ。お前の判断は正しかったよ」
耕平が山本の背中を叩きながら言った。
「まったくだ。ホント命拾いしたってのは、こういうのを云うんだな。きょうは、もう帰ったほうがいいよな。帰ってちゃんとした計画を立てて、万全の準備をしてから来たほうがいい」
それから、ふたりは熊に気づかれないように、ゆっくりとその場を離れて邑へと帰って行った。耕平は邑に戻ったら、すぐにでも邑長に相談して熊退治の対策を図ってみることにしていた。





その夜、山本の部屋には耕平とウイラと狩りの名人と云われている、邑人が四人ほど集まり、カイラと邑人を殺した熊の子供を捕獲するための作戦会議か開かれていた。
「……と、云うわけで、邑の人たちを殺した熊を誘き出すには、どうしても仔熊を生きたまま捕獲しなければなりません。このことは、先ほど邑に戻ってきた邑長に相談しました。邑長のおっしゃるには、この熊退治に関するすべての権限は、オレとここにいる山本に一任すると云って頂きました。そういうわけで、邑でも有数の狩りの名人と云われている皆さんに集まってもらった次第です。よろしくお願いします」
耕平の挨拶が終わると、その場に居合わせた一同から一斉に拍手が沸き上がった。
「それで、わしらにどうしろと云うのかね」
耕平が初めて弓を造った時に観てもらい、『いい弓だ』と褒めてくれた狩人が言った。
「はい、皆さんはオレたち素人なんかよりも、ずっと狩りに長けてらっしゃると思うのですが、今回のような仔熊を生捕りにする方法も、ご存じなのではないと考えました。何とかして仔熊を傷つけずに捕らえることが出来ないのか、その辺のところを教えて頂けないかと思い集まってもらいました。何かいい知恵がありましたら、ぜひ教えてください。お願いします」
話しを聞いた狩人たちは何やら相談していたが、その中のひとりが耕平に訊ねた。
「お前が見たという、その仔熊の大きさはどれくらいだった」
「はい、大きさにすると、まだ生まれたばかりらしくて、確かこれくらいでした」
耕平は両手を広げて、仔熊の体長を示して見せた。
「なるほど、それは本当にまだ生まれてから、確かに日は浅いな。ふうーむ…」
「じゃぁ、こうしたらどうだ」
また、違うひとりが提案した。
「蔦のツルを刈ってきて、少し大きめの網を編むんじゃよ。巣穴の上に登って行って、仔熊を誘い出して網をかぶせ、身動きが取れなくしたところを、みんなで取り押えるってのはどうだ」
「そりゃ、いいや。それは、いいと思いますよ」
その時、いままで黙ってみんなの話を聞いていた山本が賛成した。
「それじゃあ、こうしましょう。みなさんで、その網を造ってください。オレたちも出きる限り協力しますから、早急に造って頂きたいんです。そして、一日も早くカイラを殺した熊を退治して、カイラの仇を討ってやりたいんです。そうしないと、カイラも安心して成仏できないと思うんです。どうか、みなさん。よろしくお願いします」
そう言うと山本は、居合わせた狩人たちに向かって深々と頭を下げた。
「おう、わかった。わしらに任せておけ。それに、最初に殺られたのは、わしの弟だったんだ。だから、弟を殺した熊を、わしも憎いんだ。何でも力を貸すから、分からないことがあったら、わしに何でも聞いてくれ」
「そうだったんですか…、それはどうも……」
「それじゃ、わしらは帰るぞ。気を落とさずに頑張れよ」
こうして、その晩集まった邑の狩人たちは、解散してそれぞれの住居に戻って行った。
次の日から、山本と耕平それに邑の狩人たち六人は、仔熊を捕獲する網造りに専念してた。ある者は蔦のツルを刈り、ある者はそれを天日に晒し、ある程度まで乾燥させて網を作る作業に従事していた。山本と耕平は親熊を落とし穴に落とした後、どう処理するかという一点に集中していた。
そうした日が何日か経ち、ついに仔熊の捕獲用網が完成した。邑人の報告を受けてふたりが広場に行って見ると、見事な網が出来上がっていた。
「どうだ、これなら仔熊を捕まえるのには充分じゃろうが」
待っていた狩人のひとりが誇らしげに言った。
「ええ、充分です。それにしても随分見事な網を造ったもんですね。短期間のあいだに」
そこに広げられていたのは、仔熊一頭を捕まえるのには十分すぎる大きさの見事な出来栄えの捕獲網だった。
「みなさん、ご苦労さまでした。それでは明日から、さっそく仔熊の捕獲作戦を開始したいと思いますので、よろしくお願いします。
山本が頭を下げると、周りで見ていた邑人たちから歓声が沸いた。
「よかったじゃないか、山本。みんなもよろこんで協力してくれるって云うんだから、こ んなに力強いことはないよ。オレも力を惜しまないから、明日から頑張ろう」
「ん、ありがとう、耕平。でも、最初に熊に殺られたのが、あの人の弟さんだったとは知らなかったよ。オレもあの時はあまりにも酷かったんで、何も云えなかったけど、ホントに気の毒にな……」
山本も耕平もそんな話をしながら、自分たちの住居へと戻って行った。

翌日の早朝、まだ辺りが暗いうちから子熊の捕獲部隊である六人は、すでに熊の巣穴のある岩場に陣取っていた。なぜ、そんな夜明け前から集まったのかというと、熊は日の出とともに餌を探しに出かける習性があるからだと山本は聞かされていた。だから、その前に場所を確保してスタンバイしておく必要があったのだ。
「そろそろ夜が明ける。みんな準備はいいか」
弟を熊に殺されたという狩人が声をかけた。みんな無言で頷く。
東の空が徐々に薄らいで行き、やがて空を朝焼けに染まりながら、ゆっくりと太陽が昇り始めた。しばらく待っていると熊は巣穴から出てきて、餌を求めて何処に立ち去って行った。
「よし、出て行ったぞ。だが、すぐに降りて行ってはまずい。しばらく距離が空くのを待つんだ。慌てて出て行ったりすると、仔熊の声を聞きつけて舞い戻られても困るからな」
巣穴近くに身を潜めていた狩人のひとりが静かに立ち上った。
「そろそろ、いい頃合いだ。わしが下に降りて行って仔熊を誘い出すから、みんなは網を被せてくれ」
狩人は巣穴の真上まで降りると、石槍の穂先で巣穴の縁を力まかせに二・三度叩いた。ガンッ、ガンッ、ガンッ。鈍く乾いた音を残して辺りに響いた。少しの間があって、巣穴の入り口に小さな仔熊が姿を現した。
「いまだ。それー」
下で見張っていた男が合図すると、上の四人が一斉に捕獲網を仔熊目がけて投げ下ろした。
網は少しの狂いもなく、仔熊の体をすっぽりと覆っていた。山本たちが上から降りてきた時には、下にいたふたりが仔熊をしっかりと取り押さえていた。
「よし、帰るぞ。親熊がいつ戻ってくるかわからん。戻ってからでは面倒なことになる。わしらも早く邑へ帰ろう」
熊の子供は常に親熊と行動を共にするのだが、この仔熊は生まれてからまだ日が浅く、親熊と一緒に餌を探して回るほどは成長しておらず、人間の子供でいうならばヨチヨチ歩きの幼児くらいの成長過程であったために、比較的にそれほど苦労もせず容易に捕獲することに成功したのだった。こうして、ことのほか難なく仔熊を捕らえた六人は、意気揚々と邑に帰るとその旨を邑長に報告した。
捕えてきた仔熊は落とし穴の手前に杭を打たれ、そこにロープで繋がれ親熊がいつ現れてもいい準備が整えられた。
その晩から、山本と耕平は狩人の四人を含めた六人で、親熊がいつ仔熊を奪い返しに現れてもいいように、ふたりずつ交代で寝ずの番に立つことになり、最初に名乗り出たのが山本と弟を殺されたという邑の狩人だった。
仔熊の近くで見張っているわけにもいかず、さほど遠くない場所にテントを張り、そこで親熊が現れるのを待つことになった。
熊はもともと気が小さく警戒心が強いために、人の気配がすると近づかない性質を持っていた。だから、二十一世紀の現代でも山に山菜採りに行く時などには、熊除けの鈴などをつけて人間がいることを知らせることが、熊との遭遇を避けるひとつの手段として有効だと言われていた。
中天には十三夜月と思しき月がこうこうと辺りを照らし、視界はきわめて良好で親熊がどこから姿を現しても十分わかる明るさを保っていた。
「親熊はやって来るだろうか…」
山本は、一緒に熊が現れるのを見張っていた狩人に聞いてみた。すると、狩人は即座に答えた。
「いや、来んじゃろう。熊は狼なんかと違って夜行性じゃないから、夜は現れんはずだ…。それに見てみろ。仔熊だって気持ちよさそうに眠ってるじゃないか」
「じゃあ、それを知ってて何でオレに付き合って、こんなことをしてるんだい。アンタは」
「邑長がそうしろと云われたからな。邑長の云われた言葉には従わねばならないという、長い間のしきたりがあるんじゃ、わしらにはな…。昔から」
「んじゃ、自分の意見なんか云えないのかい。アンタらは」
「ああ、邑長の言葉は絶対なんじゃ」
それっきり、狩人は黙ってしまった。仕方なく山本はポケットからタバコを取り出すと火をつけた。
すると、狩人の男がまた聞いてきた。
「トオル。お前かいつも銜えているのは、いったい何なんだ」
「ん、これかい。これはタバコって云うんだ」
「タバコ? そんな煙を吸って、どこがいいんだ」
「どこがって、気持ちが落ち着くんだよ。イライラしている時になんか、特にね。一本吸ってみるかい。アンタも」
言われた男も、ちょっと気をそそられたのか、
「どれ、わしにも一本くれ」
山本が男に一本やって火をつけてやると、もの珍しそうに手に取ってながめていたが、おもむろにひと口吸った次の瞬間。
「ゲホ、ゲホ、ゲボッ」
狩人の男は、ものの見事にせき込んでいた。
「ゲホ、ゲホ、ゲホ、ゲホ、ゲホ」
それは、山本が傍らで見ているだけでも無残な姿であった。狩人は涙と鼻水で顔をグジャグジヤにして咳き込んでいた。山本が背中を摩ってやると、ようやく咳も収まり狩人は落ち着きを取り戻したが、よほど苦しかったのかまだ肩で息をしていた。
「おい、大丈夫かい。しっかりしろ」
山本の手渡したハンカチで、汗や涙や鼻水を拭き取ると狩人は言った。
「フー、何でお前は。こんなひどいものを吸って平気なんだ…、わしゃあ、死ぬかと思ったぞ」
狩人は肩で息をして、まだゼイゼイ言いながら涙を流していた。
タバコについては、未だによく判っていない部分が多いようだが、一四九二年にコロンブスがアメリカ大陸を発見して、原住民(インディアン)が吸っていたのを見つけ、それをもらい受けて持ち帰ったのがヨーロッパに広まったもので、日本にも鉄砲の伝来とともにポルトガル人によって持ち込まれ、長崎付近から日本中に広がって行ったとされている。
そんなこんなで一晩が過ぎて、昼寝をしているところに耕平がやって来た。
「昨夜はご苦労さん。どうだ、熊は出てきそうか」
「ん、来なかったな。やっぱり熊は夜行性じゃねえから、夜は出歩かないらしいぞ」
「で、どうする。夜動かないとなると、やっぱり別の手で誘い出さなくちゃダメだな。なんか他の方法を考えなくちゃならないぞ」
「でも、自分の子供がいなくなったんだから、親熊だってかなり必死に探してると思うんだ。かなり距離も離れているし、昨日や今日ってわけには行かないまでも、必ずここを嗅ぎつけてやって来ると思うんだ。だから、それまで根気よく待つしかないとオレは思う」
「うーん、持久戦か…。それも仕方ないかなぁ。よーし、こうなったらこっちも腰を据えてじっくり待つとするか」
ふたりはそれから熊が姿を現した時の対処法の確認をし合って、それぞれの持ち場へと別れて行った。





それから二日が経ち、今夜は山本と耕平の組み合わせの日だった。中天には雲ひとつなく、見事なまでの満月が光り輝いていた。
「久しぶりだな。こうしてお前と月見るなんて、何年ぶりだろう…」
しみじみとした口調で耕平が言った。
「うん。確かに久しぶりだ。子供の頃、みんなでホタルを取りに行った時以来かなぁ。もうだいぶ昔の話しだよな」
山本も耕平も、子供の頃に近所の友だちとみんなで、ホタルを取りに行った時のことを思い出していた。
「そうかぁ、あの時以来かも知れねえな。こうやってゆっくり月見るなんて…」
耕平も遠い日を懐かしむように、ぽつりとつぶやくと体を横にし、
「オレ、こうやって寝転がって月を眺めるのが好きなんだ。ホントにキレイだよな。山本も横になって見ろよ。気持ちがいいぞ」
耕平に言われるまま、山本も傍らに来て横になって見た。横になりあらためて月を眺めてると、山本自身も月を眺めるという行為はなるほどしばらくぶりだった。そして、こんななことを言った。
「ホントだな。いまでは月をこんなにノンビリと眺めるなんてなかったもんなぁ。そんな余裕もなかったし、それだけ慌ただしい世界に生きて来たわけだから、仕方がないことだったのかも知れないが、久しぶりだよな。こうして月見るなんて……。しかし、不思議だよなぁ.この時代には電気とかネオンとか人工的な光が何もないから、月があんなにきれいに見えるんだぜ。オレたちのいた時代では信じられないよ。それに銀河だって、ほらあんなに鮮やかに見えるし、この時代はホントに素晴らしいよ。オレ子供の頃に本気で宇宙飛行士になりたいと思ってたん。宇宙飛行士になって月とか火星に行くのが夢だったんだ。だから、子供の頃はSFばかり読んでたし、宇宙物とか未来物とか時間物とか、あ、パラレルワールドなんてのもあって、それからあらゆるジャンルの物を読んでた。だけど、今回みたいに本物のタイムマシンに巡り会えるとは思ってもいなかったんで、ちょっと面食らったとこもあったのは事実だよなぁ」
そんな話をしながら山本はタバコを吸い込み、吐き出された煙は風のない月夜の空間にゆっくりと漂って行った。
「しかし、あれから何日経ったんだぁ。一、二、三…、三日かぁ。人間だったら自分の子供がいなくなったら、死にもの狂いで探すと思うんだが、やっぱり動物は違うのかな。自分の子供が可愛くないのかなぁ。所詮獣は獣なのかぁ…」
「いや、そんなことはないと思うぞ。オスのほうはどうか知らないが、メスには母性本能があるから、毎日血まなこになって探しているんじゃないかなぁ。それにオレたちに連れ去られたなんて分からないから、巣穴の周辺を探してると思うんだ」
仔熊のほうに目を向けると、満月の光に包まれて小さな寝息を立てて眠っていた。そんな中で、山本と耕平はいろいろと昔話に花を咲かせていたが、熊は一向に現れる様子もなく時間だけが静かに過ぎて、どうやら夜の底もうっすらと明るさを増して行った。
「おっ、もうそろそろ陽が昇りそうだぜ。オレたちも家に帰って少し休んだほうがよさそうだな」
「ん、そうするか。やっぱり、夜は出て来なかったか。チクショウめ。もう一回作戦を立て直さないといけねーな。こりゃあ」
山本も同意したので、ふたりはそれぞれの住居に戻って仮眠を取ることにした。
その日の昼を過ぎた頃にどちらからともなく集まり、熊の捕獲作戦に関する相談に花を咲かせていた。
「熊が出てこない以上、こっちもどう動けばいいのか皆目見当もつかねえから、もう一度ガイダさんにでも相談して見ないか。耕平」
ガイダというのは、弟を人食い熊に殺されたという、あの狩人であった。
「うん。そうだな。あの人なら、オレたちと違って経験が豊富だし、何かいいアイディアを出してもらえるかも知れない。そうするか」
さっそくふたりでガイダの住居に出向いて行くと、前に山本のところにも来たことのあるガイダの狩人仲間のふたりも集まっていた。
「こんにちは、ガイダさん。それに皆さんもお揃いで、ちょうど良かった」
「おっ、トオルとコウヘイか。いまお前たちの話をしとったところだ。さあ、こっちへ入ってくれ」
「皆さん。ホントにお揃いで、何かあったんですか」
耕平が尋ねると、
「今しがた邑長に呼ばれてな。帰ってきたところだったんだ」
「へえー、邑長に…、それで何だったですか。邑長が直々に呼び出すなんて、滅多に聞かないことですが…」
耕平は邑長から、何か特別な話しでもあったのかと思い尋ねてみた。
「うむ、わしらもな。邑長から直接くるようにと呼ばれるのは、いままでにもあんまりなかったことだで、何事があるんたべえと思って、おっかなびっくり行ってみたらよ」
ガイダがそこまで言うと、もうひとりの狩人がひき続きしゃべり出した。
「邑長はな。お前たちのことをすごく気にかけておられてな。コウヘイはとにかく、トオルはまだここに来てから日も浅いことだし、カイラを殺した熊退治の件ではかなり苦労をしてるようだから、お前たちで手を貸して一日も早くカイラの仇を討ってやってくれと頼まれてきたんじゃ」
「お前らふたりには、わしらとしても邑としてもいろいろ世話になっているから、出きる限りの協力は惜しまないつもりでいるから、わしらに出きることなら何でも言ってくれ」
三人目の狩人が話の最後を締めくくった。
「そうですか。それは、ありがとうございます。オレたちも、実はそのことで伺ったんですが、熊一頭を倒すのにはとてもじゃないですが、オレたちふたりの力では無理だと思うんです。前に熊を誘い込もうとして造った落とし穴があるんですが、熊はまったく現れる様子もないし、どうしたらいいのか判らなくなって、皆さんの知恵をお借りしようと思ってやって来たですが、何かいい手はありませんか」
「そうか。落とし穴があったな。しかし、落とし穴に落ちたとしてもその後はどうする気なんだ。そう簡単には殺せないぞ。うーむ」
山本の説明を聞いていたガイダが、腕組みをして考え込んでしまった。
「あ、それなら大丈夫です。こっちにはガソリン……、いや、燃える水があるから、それを熊にぶっ掛けて火をつけて焼き殺そうと考えてるんです」
「燃える水…? 何じゃ、そりゃあ。わしゃあ、そんなもん見たことも聞いたこともないぞ。水が燃えるなんて、そんなもんがどこにあるんじゃ」
「オレのところに置いてあるんです。何だったら、見本を持ってきます」
「ああ、見せてくれ。本当に水が燃えるのかどうか、見てみたいもんじゃ」
「わかりました。いま持ってきますから。ちょっと待っててください」
山本は自分の住居に戻ると、携帯用の醤油を詰めるプラスチック製の小さな容器に、ガソリンを移し替えるとみんなの待つガイダの住居に帰ってきた。
「お待ちどうさまでした。持ってまいりました。これが燃える水。ガソリンです」
そう言うと、山本はガソリンの入った容器をみんなの前に置いた。
それを手に取って光に透かして眺めまわしていた狩人のガイダが、
「何だ。これは、ただの水じゃないか。こんなものが燃えるとは、わしには思えんのだが、みんなはどう思う」
と、ほかの狩人たちに聞いた。すると、すかさず山本がこう付け加えた。
「いいえ、これは普通の水ではなくて、ガソリンと云って、油の一種になんです」
「ここで、とやかく云っていても埒があきません。どうでしょう。ここは、どこか外に行って試してみてはいかがでしょう」
今度は耕平が狩人たちに提案した。
「それがいい。どうも、わしには信じられん。水が燃えるなんて……」
狩人のガイダは、ブツブツ言いながらも承諾した。
それから間もなく、山本たち五人は邑はずれの岩山に麓に来ていた。
「よし、ここなら他に火が燃え移る心配もないし、ここでやりましょう」
耕平が狩人たちに是非を伺うと、
「うむ、ここならいいだろう。で、わしらに何をしろって云うんだ。コウヘイ」
「まず、このガソリンの入った容器を、あそこの岩の上に置いてきますから、それをゼンダさんに火を付けた矢で撃ってもらいますから、そうすればこの水が本当に燃えるかどうか判りますから、お願いします。何しろ、ゼンダさんは邑で一番の弓の名人なんだから、山本もよく見ておけよ」
「それじゃ、オレが向こうの大きな岩の上にこれを置いてきますから。ちょっと待っててください」
山本は急いで二十メートル先の岩の前までくると、ガソリンを入れた容器を動かないように小石で固定して戻ってきた。
「準備OKだ。ガイダさん、お願いします」
「よし、任せておけ」
ガイダが弓を構えると、あらかじめ用意してきた火矢用の矢の根元に、消毒用アルコールを染み込ませた脱脂綿を括りつけた矢を一本手渡した。ガイダが弓に矢をつがえると、耕平が矢尻に火をつけた。無言のままガイダは弓を引き絞ると、的になるガソリンの入った容器に狙いを定めた。
ガイダの放った矢は、一直線にガソリン容器目指して飛んで行った。
次の瞬間、ボンという鈍い音とともに、ガソリンの入った容器は勢いよく燃え上がった。
「おおぉ……」
それを見ていたふたりの狩人は驚愕の声を上げた。ただ、ガイダだけは微動だにしないいで、黙ったまま燃え上がる炎を見ていた。
「凄いもんじゃのう。わしゃー、驚いたぞ」
「いやー、大したもんじゃて…」
狩人たちは口々に驚きの声を上げた。
「どうですか。ガイダさん。あれなら熊を焼き殺すことは、充分可能だと思うんでが」
まだ黙ったまま燃え盛る炎に見ているガイダに、耕平が声をかけた。
「いや、充分じゃろう。それにしても、わしも初めて見たが、何なんじゃ、あの燃える水というのは…」
「ああ、ガソリンですか。あれはオレや山本の住んでいた、ここからずっと遠いところにある物なんです。それより、これから山本のところに帰って、もっと詳しくどうしたら熊を誘き出せるか、皆さんと相談したいと思うんですが、いかがでしょうか」
こうして五人は帰ってきたが、帰りの道すがら狩人たちには燃える水という、ガソリンのことが物珍しく感じられたのか、根掘り葉掘り聞かれたが車自体のない、この縄文の世界代の人間にガソリンのことを説明するのは、どんなことをしたって不可能に近く、山本も耕平も疲労困憊しふたりともゲッソリとしていた。





山本の住居に戻ると、さっそく熊退治に関する作戦会議が開かれた。
「熊の巣穴はオレと耕平で、仔熊を見つけた時に判ってるんですが、問題はどうやってここまで誘き出すかなんです。うっかり巣穴に近づいて行って、もしも反対に熊と出くわしたりしたら、それこそこっちの命が危ないわけですから、そこんところをうまく考えておかないとダメだと思うんです。皆さん、何かいい考えがありましたら、どんなことでもいいですから、ぜひ聞かせてください」
家について、まず口火を切ったのは山本だった。
「あ、それから、もし人間だけで戦うとしたら、どれくらいの人数がいれば間に合うのか、その辺も併せて教えてください」
山本に続いて耕平も口を挟んできた。
「わしも、さっきからずっと考えていたんじゃが、コウヘイが云うように熊一頭だけなら、こっちも十人くらいいれば大丈夫だと思うんじゃが、山に入って行くとなると話は別だな。もし、二・三頭いっぺんに出て来られたら、逆にこっちが全滅しかねない。それに足場が悪い。獣と戦うには足場が一番大切だから、それはなるべく頭から外して考えるべきなんじゃ。だから、みんなで頭を絞って知恵を出し合って、何んとか最善の方法を考えるべきだと思う。どうだ。皆の衆何んとかいい考えは浮かばないか」
ガイダがしゃべり終えると、そこに居合わせた一同もお互いの顔を見合わせて深いため息をついた。
「やっぱり、大ベテランのガイダさんでも無理ですか」
ガックリと肩を落としながら、山本がつぶやくよう言った。
「じゃが、そう落胆することもあるまい。ヤツらは冬眠前だから、いまは必死になって餌の木の実やなんかを求めて、あちこち探し回っているに違いない。
幸いこの付近には、栗やドングリ・椎の実がなんかがまだまだ一杯残っているから、必ずこの辺りまで餌を探しにやって来ると思うんじゃ。だからわしらも冬のために蓄えてきた木の実を、クマから見えるような場所に晒しておこうと思うじゃがどうじゃろう。熊が出てきたところを一気にやっつけようと思うとる」
「そうだ。それがいい。さすが、ガイダだ。そうしよう」
ガイダの話を聞いていた狩人のひとりが叫んだ。
「よし、決まりだな。それでは、これからすぐにでも土台を作って、栗や木の実を盛っておけ。それと、弓と槍の腕の立つ者を十人くらい集めておいてくれ。わしは邑長のところに報告に行ってくる。それから、トオルもそんなに気を落とさず、わしと一緒に来てくれ」
山本は邑長のところへ行く道すがらガイダに話しかけた。
「ガイダさん。すみません。オレのために気を使ってくれて、本当にありがとう」
「何もわしは、トオルのためにだけやっているんじゃないぞ。わしも弟を殺されてるんだ。お前だってカイラを殺られているんだし、お互いに頑張ってふたりの仇を討ってやらないと、ふたりとも安心して成仏できないじゃないか」
「それはそうなんだけど、こっちとしもて犠牲者がひとりでも出たら、家族の人に迷惑をかけてしまうと思って、それだけが心配だったんだ……」
「そんなことはない。そんなことは絶対にあり得ない。わしが保証するんだから、そんなに心配するな。トオル」
そんな話をしながら邑長のところに報告に行って帰ってくると、邑はずれでは餌を盛りつける台座がすっかり出来上がっており、ドングリなどの木の実もすでに盛りつけが終わっていた。
「よーし、みんな今日から十人ずつ交代で見張りにつけ、熊は滅多に夜は出歩かないから昼だけでいいぞ。もし熊が出てきて手が足りないと思ったら、いつでもみんなを呼ぶようにしてくれ。わしとトオルも毎日くるぞ。あ、それからコウヘイも手伝ってくれるそうだから、みんなも頑張ってくれ」
「おー、任せておけ。殺されたゼンダとカイラの仇は、わしらで討ってやるから安心しろ」
ひとりの若い狩人が言った。ゼンダというのは、ガイダの熊に殺されて死んだ弟の名前らしかった。
その日から、さっそく十人ずつグループになって、熊が餌を狙って現れるのを見張るために、それぞれ二・三人が四方に散らばって物陰に隠れて待つことになった。もちろん、山本と耕平も加わったことは言うまでもない。
その日は何事もなく過ぎ去り、翌朝見張り登板のグループが現場に行って、何やら気忙しく動き回ってガヤガヤと話してる声を聞き、山本と耕平も何事かと顔を出した。
「どうした。大分騒がしいようけど、何かあったのか」
「それが、わしらもいま来てみたんじゃが、昨日あれほど山盛りにして置いた栗やドングリが、今朝来てみたら三分の一ぐらい足らなくなっていたんじゃが、どうしたもんじゃろうかのう、これは……」
「やっぱり、どこかほかのヤツらが来て、盗んで行ったんじゃろうか……」
居合わせた男たちは口々に、グチともひとり言ともつかない言葉をつぶやいていた。
山本は栗が積まれていた台座の周りを一通り回ってみた。
「これは、人間じゃねえぞ。見てみろよ。ほら、ここにもあそこにも食べカスの栗やドングリの残骸が落ちてるじゃないか」
「あ、ホントだ。しかも、そんなに大きな動物じゃないな。たぶん、リスとか野ネズミの類じゃないかと思うんだ」
耕平が何かを拾い上げて山本に言った。
「どうして、お前にそんなことが分かるんだよ。耕平」
「だって、見てみろよ。ほら、ドングリの食い残しに小さな歯型がついてるじゃないか。これはどう見たって、リスかネズミのような小型の生き物に違いないよ」
耕平から受け取ったドングリの残骸を見て、山本はうなずきながら言った。
「こりゃあ、このままにしては置けねえな。リスなんかだったら構やしないんだが、もしネズミでも大量発生してみろよ。それこそ人間の生活に直接影響してくるんだから、こりゃあ、このままネズ公の餌になる栗なんかを放置して置いたら、大変なことになる。何とかしなくちゃ……」
「そうか…。そういうこともあったか…。うーん」
耕平も腕組みをして考え込んでしまった。
「それじゃあ、こうしたらどうじゃろう。毎日ここまで餌を運んだり持ち帰るのも大変じゃから、わしらが交代で寝ずの番をしたらいいと思うんじゃが、どうじゃろうかのう」
と、ガイダが提案したが、山本がひと言だけ反論した。
「いくら何でも、そりゃあ、大変ですよ。第一体が持たないんじゃないですか。寒いし、それに狼だって出るんでしょう」
「いや、大丈夫じゃろう。狼や獣どもは火でも焚いていれば、恐れて近寄って来ないはずじゃから」
長年の経験からなのだろう。ガイダは自信たっぷりに言い切った。それで、取りあえず用心のために、狩りの時に使う犬を二・三匹連れてくることで話は合意した。
それぞれの持ち場に陣取った十人の男たちは、いつ現れるかもわからない熊の出没を待ったが、寝ずの番を始めてから六日間は何事も起こらないで過ぎ去り、七日目の午後になって事態は急転した。
「おーい、大変だー。また、熊が出たぞー。熊が出たぞー」
ひとりの村人がこっちに向かって走ってくるのが見えた。
「おい。一体、今度はどこに出たんじゃ」
ガイダは、走ってくる村人を捕まえると、いきなり問いただした。
「ああ、ガイダか。熊が出た。邑の反対側の森の近くを歩いているのを見かけたというんじゃ」
邑人はゼイゼイ息を切らせながら、それだけ言うとその場にへたり込んでしまった。
「ついに出たか。みんな、聞いたか。向こうの森だそうだ。すぐ追いかけるぞ」
「おおー」
耕平は急いで水の入った竹筒を邑人に手渡して、ガイダたちの後を追いかけた。
森の入り口まで来た時、ガイダが立ち止まって言った。
「ここからは、トオルとコウヘイとお前ら五人は、ふた手に別れて向こうに回ってくれ。わしらはこっちから回る。みんなぁ、くれぐれも抜かるなよ」
山本と耕平は五人の狩人とともに、森の左側のほうに回り込んで行った。
十五分ほど進んだところで、狩人のひとりが立ち止まった。
「しぃ、静かに、この近くのどこかにヤツは潜んでるぞ。みんな気配を悟られんように気をつけろ……」
辺りを見回しても、そんな気配は一向に感じ取ることはできなかつたが、狩人たちはある一点を凝視し続けている。
「間違いない。やっぱり、あそこいら辺に潜んでいるぞ。急いでみんなを呼んで来い」
こういう時の分担が決まっているらしく、ひとりの狩人が足音も立てずに素早く走り去って行った。熊が隠れ潜んでいると思われる茂みは、まったくカサリとも揺れ動く様子もなかったが、確かに何かがいるという雰囲気は全員が感じ取っていた。
「しかし、これからどうするんだい。ガイダさん。このままじゃ、どうしようもないよ」
熊もこちらの存在に気づいていないらしく、茂みに隠れてゆっくり昼寝でもしているの
か、事態が進展しないのを見て苛立ちを露わにした山本が訊いた。
そうこうしているうちに、あちこちに散らばっていた狩人たちが集まってきた。
「よし、お前とお前とお前はあっちだ。それからお前ら四人は向こうに廻ってくれ。残りのわしらはこっちから一気に攻める。いいか。抜かるんじゃないぞ。それー」
こうして縄文時の大ベテラン狩人ガイダを先頭に、多くの縄文人たちを震え上がられた、人喰い熊との最後の戦いの幕が切って落とされようとしていた。



最終章 さらば友 さらば縄文時代






縄文の山々にもいよいよ冬が近づきつつあり、紅葉樹も葉がすっかり赤や黄に染まり、いっそう深まりゆく秋を感じさせていた。
人喰い熊が潜んでいる茂みを三方から取り囲んだ、ガイダ・山本・耕平を中心とした縄文の里の狩人たちは、いま熊を誘い出すチャンスを窺がっていた。
「どうしたもんじやろうかのう。どうやって、ヤツを誘き出すかだ。まともに掛かったんじゃ、こっちが危ない可能性があるしな……」
ガイダが小さな声でつぶやくように言うと、山本は何を思ったのか背中からナップザックを下ろすと、何やらゴソゴソ探しているようだった。
「あった。これだぁ」
「何だぁ。それ…」
耕平が小声で聞くと、山本は照れ臭そうにして、
「爆竹さ。いつか暇な時にでも、お前と遊ぼうかと思って買ってきておいたのさ」
「お前、そんなものを持ってきて、どうする気なんだ…」
「これを矢の先に括りつけて、あの熊が潜んでいる少し先に打ち込んで、爆竹の音で驚いて飛び出したところをみんなで討ち取ろうって寸法さ。どうだ、いいだろう」
「何じゃ、それは、そんなもんで熊が驚くのか? わしには信じられんて」
ガイダが呆れたように言った。
「いいですか。これは、ここんところに火をつけると大きな音が出るんです。いま、やって見せますから、よく見といてくださいよ。
それから、熊が姿を見せたら、すぐ攻撃できるように皆さん準備のほうをお願いします」
山本は一本の矢先に爆竹を結わえて耕平に手渡した。矢を受け取った耕平は、弓につがえると大きく引き絞り、そこへ山本が矢先の爆竹に火をつけた。間髪を入れずに耕平は、熊が潜んでいるところから少し離れた場所を目掛けて矢を放った。次の瞬間、
「パン、パン、パン、パン、パン、パン」
連続音とともに爆竹は炸裂した。小さいながらも火薬の爆発音を初めて聞いた熊は、驚いて茂みの中で仁王立ちになり上半身をさらけ出してきた。
「それー、いまだぁー」
ガイダの号令とともに、狩人たちは構えていた弓や槍を一斉に撃ち放った。
一本の槍が熊の右前足に当たり、一本の矢は左眼の辺りに命中したようだった。
「グワォー」
何が起こったのか、わけも分からず熊は大きな声で吠え立てて、こちらに気づくと茂みに身を隠してしまった。
狩人たちは熊が隠れた茂み目がけて次々と矢を射かけている。
と、突然、茂みを押し退けるようにして、怒りの表情を露わにした熊がこっちに突進してきた。茂みのある所から、ここまで三十メートルほどしかない。山本は小石に結わえつけた爆竹に火をつけて、熊が走ってくる手前を目掛けて続けざまに投げつけて行った。
「パ、パン、パン、パン、パン、パン、パン」
「パ、パ、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パ、パン」
「パン、パン、パン、パン、パン、パ、パン、パン、パン」
「パ、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン」
辺り一面に爆竹の炸裂音が鳴り響いた。さすがに熊も驚いたのか、一瞬たじろぐように身をひるがえすと、一目散にその場から逃げ出して行った。
「おい、ガイダ。熊が逃げたぞ。追うか。どうするんじゃ」
ひとりの狩人がガイダに意見を求めた。
「いや、止めておけ。手負いのヤツらほど手に負えないものはないからな。これに懲りて、もう邑のほうにもしばらくは近づかんじゃろう」
釈然としないものを感じたまま邑へもどる道々、狩人のひとりが誰に言うともなしに話し出した。「前にコウヘイとトオルが造った落とし穴なんじゃがのう。あれを反対側の竹林の近くにも、あとふたつみっつ造って置いたらどうじゃろう。しばらくは来んじゃろう。と、ガイダは云うちょるが、わしゃあ、どうも安心できんのじゃあ。どうじゃろうかのう」
「それはいいと思いますよ。オレは賛成します。それに邑のみんなが力を貸してくれるんだったら、アッという間にできちゃいますよ。みっつと云わず、五つでも六つでも造ればいい。そうすれば、みんな安心して生活できるじゃないか」
大乗り気で山本が賛成したので、帰路を辿る一同がどっと湧いた。
こうして、その日の午後から邑の裏手にある竹林の近くに、熊を落とし入れるための穴掘り作業が始まった。穴掘りに参加した者の中に、ムアイと呼ばれている邑一番の力持ちで、ひと際でかい図体の男が交じっていた。縄文人の平均身長が一・五メートルそこそそこなのに対して、この男は優に二メートルはあろうかと思われる体躯で、それなりに横幅もあって現在で言うならば、力士かプロレスラーなみの見事な身体で、そのわりにはどこを見ても無駄な贅肉などまったく付いていない、完璧なボディーの持ち主なのだった。
そのムアイは穴を掘っていても、他所のグループで大きな岩にでもぶち当たろうものなら、自分の持ち場をほったらかしにしてでも岩の出た場所まで出向いて行って、誰の力も借りずに自分ひとりで軽々と岩を持ち上げては、穴の外へ放り出してしまうという迫力満点の男なのであった。
いまも数人の仲間が大きな岩を退かそうと梃るっていると、通りがかったムアイが見るに見かねたのか横からヒョイと割って入ると、無造作に岩を脇のほうに放り投げるとそのまま立ち去って行った。
「ふぇー、スゴいな。ありゃー、居るところには、いるもんだな。スゴいヤツがぁ…」
もの凄い馬鹿力に半ば呆れたように、山本は額の汗を拭いながら耕平に言うと、
「ああ、ムアイは特別さ。お前もいま見たろう。彼が持ち上げて投げ出した岩だって、きっと二百キロくらいは軽くあるんじゃないのかぁ…」
「に、二百キロ……。そんなにあるのかよ。軽々と投げ捨てたから、もっと軽いのかと思っていたら、二百キロかぁ。うーん」
大人が大きな石を軽々と持ち上げるのを見て驚く子供のように、ムアイの後姿を見送って山本は感心したようにつぶやいた。
「周りの人ともあんまり喋らないみたいだし、何だか怖そうな人だよな。何となく近寄りがたいような気もするし、オレたちよりもだいぶ歳も上のようだしな……」
「何云ってんだよ。山本、お前は知らないからそう思うかもしれないけど、彼はすごくおとなしいし、それにとてもやさしい人なんだぞ。歳だってそうだ。この時代の人間は二十一世紀のオレたちと違って、すごく老けて見えるけどホントはオレたちよりもずっと若いはずなんだ。ウソだと思ったら、お前も一度くらい話してみろよ。分かるから、今度オレが紹介してやるよ」
そんなこんなで、三・四日掛かりで合計六カ所の落とし穴の掘削作業が終了した。予定よりもはるかに早く完成したのは、取りも直さずムアイが穴掘りに加わのったことの功績が、極めて大きかったと言えるだろう。このムアイという男、持ち前の怪力と人並外れた身体を買われて、普段は山に籠って樹木などの伐採に従事しているとの話だった。
「それにしても大したもんだ。あのムアイつて人は…。オレなんて、力仕事はからっきしダメだし、耕平、お前だって、そんなに力には自信がないほうじゃなかったっけ」
「ん、確かにな。でも、ここに来てからいろいろやってるうちに筋肉も結構ついて来たみたいなんだ」
「へえー、お前でもやれば出きるんだぁ。んでも、思ったより早くできてよかったよな。さあ―て、これからどうやって熊を誘い出すかだよな。もっとも、熊の野郎もこっぴどい目に遭わされたんで、当分の間は姿を見せないと思うけどよ」
そんな話をしていると、山へ帰って行くのかムアイがこっちにやって来るのを見つけた。
「あ、ムアイが来た。ちょうどよかった。ちょっと待ってろ。いま紹介してやるから、おーい。ムアイ待ってくれ」
耕平はムアイのところに走って行くと、ふた言三言話していたが、すぐにムアイを連れて山本のところへ戻ってきた。
「コイツはオレの友だちで、トオルって云うんだ。きみと話したいって云うから、紹介するよ。よろしくな」
「いやー、凄かったよ。すご過ぎだよ。キミは、お見事でした」
山本に褒められると、ムアイは体に似合わないような笑顔を見せて、にっこりと笑いながら言った。
「あんたがトオルか。カイラは気の毒なことをした…。わしも子供の頃は、よく遊んだもんだ。ほんなとうに可哀そうなことをしたな……」
そう言いながら、今度はいまにも泣き出しそうな顔になっていた。
この時、縄文人というのは男でも女でも何と純朴なんだろうと、山本は心の中にジーンと来るものを感じていた。そんな中で、このままムアイと別れてしまうのが惜しいと思った山本は、ぜひ自分の家に来て一緒に酒でも飲まないかと誘ってみた。すると、ムアイも酒は嫌いではないらしく、ふたつ返事で承諾したので、穴掘り工事の後始末が終わるのを待って、三人揃って山本の住居を目指して帰って行った。
家に着くと山本は、囲炉裏に火を焚いて川で獲ってきた魚の干物や、耕平と一緒に狩りに行って捕まえた野ブタやイノシシの干し肉を焼き始め、最後に自分で造った野ブドウのワインを出してきて、落とし穴工事の完成を祝って細やかながら宴が始まった。酒を酌み交わしながら、話は必然的にどうやったら「熊を誘き寄せるか」と、いう点に絞られていた。
「とにかく、わしは思うんだが、ヤツの巣穴は判っるんだったら、直接こっちから出向いて行ったほうが早いんじゃないじゃろうかのう」
「それはいいとしても、どうやって攻めるんだい。何か作戦でもあるのかい」
干物の焼いた魚を頬張りながら、山本が訊いた。
「トオルが持っているという、燃える水があるじゃろが、あれを入れ物ごと担いで行って、熊が出てきたところに巣穴の上からヤツの目の前に落とすんじゃ。それをコウヘイが火のついた矢で射るんじゃよ。そうしたら、イチコロじゃろが。どうだ。いいじゃろが」
「でも、どうやって誰が、あの岩山までガソリンを持って登るんだい」
「わしがやるしかなかろうが」
「だけど、あの辺は岩だらけだし、足場も悪いから危険なんじゃないのかい」
「何を云うとるんじゃ、トオル。どこの足場が悪いと云っとるんじゃあ。あんなところは、みんなわしの庭みたいなもんなんじゃい。ガッハハハハ」
ムアイは豪快に笑うと、山本が焼いた器の酒を一気に飲み干した。
「それで、いつやる気なんだい。もうそろそろ雪も近いし、熊も冬眠に入る頃じゃないのかい。冬眠に入ってからでは、ちょっと面倒じゃないのかな」
冬が近づいているのを心配して耕平が聞いた。
「いや、その反対じゃい。いいか、よく聞いてくれよ。熊は冬眠してからのほうが楽なんじゃ。寝入り鼻を襲うのが一番なんじゃ。人間だって、寝入り鼻を起こされたら寝ぼけるじゃろうが、あれと同じことよ」
「それじゃ、いつ冬眠に入るのか調べなくちゃいけないなぁ。でも、どうやって調べりゃいいんだろうなぁ」
山本がひとり言のようにつぶやいた。
「明日から、わしら三人で熊の巣穴の近くに陣取って、寝ずの番をすればいいんじゃい。わしはこれから、邑長のところに行ってくる。そうだ。お前らも一緒に来てくれ。そのほうが一番手っ取り早いんじゃ」
「でもさ。もう夜だし、明日の朝早く行ったほうがいいんじゃないのかい」
耕平が言うのも聞かず、
「なーに、構うことあるかい。邑長だって、お前らには一目置いとるんじゃから、平気じゃろう。これからすぐ行こう」
ムアイを先頭に三人は邑長のところに行き、明日から熊の冬眠を見届けるために、巣穴近くに陣取り寝ずの番をやることを告げて了承を得ると、邑長は寝ずの番をしている間の食料を、邑の者に交代では運ばせることを約束してくれた。
こうして、邑長のもとを辞した三人の頭上には、冬の銀河が二十一世紀のそれとは、少しも変わることのない輝きを見せて満天に広がっていた。
家路を辿りなから帰ったらすぐにでも、明日からの宿泊用にキャンプ用具を準備しておこうと考えていた山本だった。





翌朝、目覚めるとすぐに山本は外に出て空を見上げた。この時期には珍しいほど晴れ渡った空には、春を思わせるような穏やかな太陽が輝いていた。
山本は食事を済ませて、ガソリンを詰めたポリ容器を前にして待っていると、やがて耕平とムアイの姿が見えて来た。
「やあ、おはよう、山本。ムアイが来るのを待っていたら、ちょっと遅くなっちまった」
「おはよう、トオル。お、これか、燃える水ってのは…」
ムアイは山本の前に、ふたつ並べておいてあるポリ容器を指した。
「ところで、耕平よ。これをどうやって運ぶ…。これも結構重いし手に持って歩くんじゃ、あの山道はきついんじゃないのか」
「なーに、そんなことは心配するな。こんなもンは、わしが片手で担いでいくから大丈夫じゃあ」
ムアイは胸を張るよう言うと、ポリ容器に手を伸ばして待ちあげようとした。
「ちょっと待って、それじゃ、大変だろう。ロープで結わえてやるから少し待ってて」
山本はロープを持ち出して来て、ふたつのポリ容器をずり落ちないように結びつけた。
「よし、これならいいだろう。これを担いで行けば、ずっと楽なはずだ。ムアイ、頼んだよ。それじゃ、行こうか」
熊の棲む巣穴のある山を目指して険しい道なき道を歩き続け、そろそろ巣穴の近くまで近づいた時ムアイが立ち止まった。
「よし、ここで待ってろ。わしが様子を見てくる」
ムアイはポリ容器を置くと、特大の槍を持って急な斜面を駆け上って行った。
「ホントに、アイツは身軽なんだなぁ…」
「そりゃ、そうさ。毎日山の中を駆け回ってるんだからな」
「だけど、ひとりでホントに大丈夫なのか。熊以外にもイノシシとか狼だっているじゃないか」
また、心配そうな顔で山本が言った。
「大丈夫だって、お前も見たろう。あの大きな槍を、あれはふつうの槍の二・三倍はあるぞ。槍先だって特別硬い石を使ってるんだってから、ムアイが持てば鬼に金棒なのさ」
「うん、あの槍も槍先も確かに普通のよりは、かなりデッカイよな。あれだったら、熊だって一コロかも知れねえな」
「そうだよ。だから心配するなって、少し落ち着けよ。山本」
耕平に言われて山本も腰を下ろした。しばらく待っていると、ムアイが急斜面を駆け戻って来た。
「どうだった」
耕平が尋ねると、ムアイもしゃがみ込みながら、
「熊はいなかった。しかし、ケガもまだ治ってないようだ。血の跡が残ってたからな」
「で、どうする気だ。これから…」
「体が弱っているのなら、いまを逃す手はない。少しでも早いうちに仕留めたほうがいい。しかし、ここにいたんじゃどうにもなるまい。もっと巣穴のほうに移動しよう。ふたりともついてこい」
と、言うよりも早くムアイは立ち上がり、ポリ容器を担いで登って行った。山本と耕平もそれに続いた。しばらく行くと、巣穴からさほど遠くないところに少し平坦な場所を見つけた。
「よし、ここにしよう。あとは熊の帰ってくるのを待つつとしよう。その後のことは、その時になってから考えよう。ふたりとも少し休んでおけ」
ムアイは腰を下ろすと岩にもたれ掛かる。ふたりも同じようにしゃがみ込み、山本はタバコを取り出して火をつけた。
「トオル、お前がいつも咥えている物は、いったい何なんじゃ。そんな煙吸ってどこがいいんじゃあ」
「これかい。これはタバコって云うんだ。これを吸っていると気持ちが落ち着くんだ」
「へえー、そりゃいいな。どれ、わしにも試しに一本くれんかのう」
もの珍しそうにムアイが手を出した。
「いや、止めたほうがいいよ。いつだったか、邑の人にも一本あげたら鼻水は出るわ、咳は止まらないわでひどい目に遭ったことがあったんだから、止めといたほうがいいよ」
「なーに、わしゃあ、そんなバカなことはせん。頼むから、分けてくれんかのう」
ムアイが執拗に頼み込むので、山本は仕方なく一本分けてやった。
「じゃあ、一本上げるけど、いいかい。よく聞きなよ。煙をいっぺんに吸い込んじゃだめだよ。最初はほんの少しだけゆっくりと数込むんだ。わかったかい」
「よし、分かった。初めは少しだけゆっくりとだな」。
山本が火をつけてやると、ムアイはタバコをゆっくりと吸い込むと、教えられた通りほんの少しだけ吸い込んだようだった。そして、ゆっくりと吐き出した。別に咳き込む様子もなかった。やがて、ムアイはホワっとした表情になった。
「こりゃあ、ええもンじゃのう、トオル。何だか頭の中がクラっとして、とってもええ気分じゃあ」
この時、ムアイは縄文人として初めて喫煙に対する快感を味わったのだった。熊の巣穴を見張り続けていると、辺りはすっかり夕方近くになって来て、山本と耕平は野営用のテント張りを始めた。どうにかテント張りが終りに近づいた頃、下の方からガイダが上ってくるのが見えてきた。
「おーい、ガイダ、こっちだよー」
山本が小さな声で呼びかけると、ガイダもそれに応えるように手を振った。
「ガイダ、どうしたんじゃ。こんなところまで来るなんて、邑で何かあったのか」
上がって来たばかりのガイダにムアイが問い質す。
「いや、何もない。邑長に云われて食い物を持ってきた。それから、わしも熊退治に加われとのことだから、よろしく頼む。ところで熊はどうした」
「うむ。それが、ケガもひどいらしくて、ここにはまだ戻っておらん。さっき巣穴を覗いたら血の跡が岩にベットリついとったから、今夜は来んかも知れん」
「それじゃ、オレたちはまた寝ずの番をしなくちゃなんねえのかよ。やれ、やれ」
「いや、そんなことはないぞ、山本。熊は夜行性じゃないから、夜は出歩かないだ。それにケガもしてるだろう。なおさら、いま頃はどこかでジッとしているだから、心配しないでぐっすり寝ろよ」
と、耕平が言うとガイダも話しに加わって来た。
「そうとも、コウヘイの言うとおりだ。もし、何かあってもムアイひとりいれば安心だから、心配しないでゆっくり休めばいい」
その後、食事を終えてしばらく談笑してから就寝についた。
次の日も、その次の日も何事もなく三日目
になった。午後になると、さすがにガイダが音を上げたのか、こう言った。
「もう、これ以上ここにいても無駄じゃな。邑に戻って、もう一度みんなで相談して、どうすればいいのか決めよう」
「オレも、そのほうがいいと思うな」
山本も同意したので、一同その場を引き上げることになった。
一旦、山の巣穴から戻って一週間も過ぎた頃、ガイダとムアイが山本のところにやって来た。
「トオル。もう、そろそろいい時期だと思うんじゃが、もう一回行って見ないか、あの山へ。これを逃したら、もうおそらく今年は終わりじゃろうからのう」
「ああ、行こう。実はオレ待ってたんだ。ガイダかムアイがやって来るのを」
「そうか。それは悪かったのう。だが、これが恐らく今年最後の熊狩りになるだろうから、わしも念入りに策を練っていたんじゃ。それに、わしら四人だけでは心もとないんでな、助っ人を三人ばかり頼んできた。おい、みんな来い」
ガイダが声をかけると、ムアイを先頭に屈強そうな男が三人現れた。
「紹介しようかいのう。これがタイヒ。こっちがチルト。そして、こっちがボイタじゃ。みんなわしと同様狩りを専門にしているヤツらじゃから、安心して任せておけ」
「あ、どうもよろしく。それで、これからすぐ出かけるのかい」
「ああ、そのつもりじゃ。コウヘイもすぐ来ると云うとった」
「それじゃ、すぐ準備するから待っててくれ」
山本は必要なものを用意すると、すぐ外へ飛び出して行った。
間もなく耕平も合流してガイダを先頭にした、一行七人は熊の棲む山を目指して出かけて行った。一時間ほどかけて岩でゴツゴツした坂を進んで行くと、登り詰めたところに先週見つけた広さ十坪ほどの平地があった。
「よし、ここなら熊の巣も見通しがいいし、まずはヤツがいるかいないか確かめよう。それから、ムアイは燃える水を持って、あの巣穴の上のほうに上って待機していてくれ。持って行くのはひとつでいいぞ」
「わかった。任せてくれ」
ムアイは機敏な動きを見せ、結わえてあったポリ容器を解して、ひとつだけ結わえ直すと背中に担いで岩山に向かおうとした。
「ちょっとってくれ。ムアイ」
山本がムアイを呼び止めた。
「何だ。トオル」
「これを上から投げ落とす時に、この蓋のところを少しゆるめてから落としてくれないか。いまやって見せるから見ててくれ」
山本は残ったほうの容器の蓋を軽くゆるめて見せた。
「こうやって、少しだけゆるめてから投げ落としてくれればいいから、解ったかい」
「わかった。任せておけ」
そう言い残して、ムアイは足早にその場から立ち去って行った。
「よし、熊が本当に中にいるのかどうかを確かめねばならん。残った者の中で誰か様子を見に行く者はおらんか」
ガイダが皆の顔を見渡しながら聞いた。
「よし、オレが行こう」
耕平が名乗り出た。それを見た山本は少し慌てて止めた。
「ちょっと待てよ、耕平。何でお前がそんな危険を冒してまで行かなくちゃいけないんだ。もとはと云えば、みんなオレのために協力してくれてんじゃないか。オレか行くから、ここに残れよ。お前は…、バカ野郎。お前に万一なことでもあったら、ウイラやコウスケはどうする気なんだよ。オレが行くよ。このオレが行く」
「ちょっと待てよ、山本」
今度は耕平が止めた。
「お前にだって、奈津実さんがいるじゃないか。反対に、もしお前が死んだりしたら彼女が可哀そうだろうが、それでも行くのか」
「ああ、行くよ。それに奈津実はオレがここに来てるなんて知らないし、お前と一緒で行方不明にでもなったと思うだろうよ」
バチーン、耕平はいきなり山本を殴りつけていた。
「何すんだよ。耕平」
まさか、殴られるとは思ってもいなかった山本は、少しよろけながら耕平を睨みつけた。
「ちょっと待て、お前たち」
ふたりの雲行きがおかしくなったのを見てとったのか、ガイダが慌てて止めに入った。
「ここでお前たちに騒がれて、熊に気づかれたりしたら大変なことになる。喧嘩なら帰ってからにしろ。様子見なら、わしが行く。トオルもコウヘイも一緒に付いてこい」





ガイダ・耕平・山本の三人は、足音を忍ばせて熊の巣穴に近づて行った。
「わしが見てくる。お前らはここにいろ」
「ひとりで行っちゃ、危険だよ。オレも行くよ」
山本が止めた。
「大丈夫じゃ、少なくてもお前らよりは、危険には慣れとるからな。いいから、ここで待っておれ」
そう言い残して、ガイダは岩陰から離れると、忍び足で熊の巣穴へ近づいて行った。巣穴の近くまで行くと岩をよじ登り始めたガイダは、穴の真上まで来ると手ごろな岩を拾い上げると、巣穴の真ん前辺りを目掛けて放り投げた。岩はドスンと音を立てて落ちたが、周りは何事もなかったように静まり返っていた。
ガイダが手招きをしてふたりを呼んだ。急いで山本と耕平が近か寄ると、降りてきたガイダが何やら考え込むような仕草をしながら言った。
「どうやら、ヤツはまだここには戻ってないらしい。よほど、わしらにやられた傷がひどいのか、もしかすると、もう生きとらんのかも知れんのう……」
「そんなことって、あるのかなぁ…。あんな熊があの程度の傷で死んちまうなんて、オレにはどうしても信じられないよ」
山本がつぶやくように言った。
「いや、わしも分からんて、この目で確かめたわけではないからのう。あるいは、まだどこかに隠れ潜んで傷が癒えるのを待っているのかも知れんからのう。まだまだ油断はできん。あと二・三日待ってみよう。それでも出て来んようだったら、それはそれでどうしようもないからのう」
ガイダは腕組みをしながら答えたが、何かを必死になって考えているようだった。
「それじゃ、これからどうする気なんだい。ガイダ」
「うむ、向こうに戻って泊まり込みで見張りを続けよりあるまい。しばらくの間はな…」
みんなのところに戻って話し合った結果、それぞれ二名づつ組を作り、時間を決めて交代で見張ることになった。
縄文人には時間という概念はなく、彼らは太陽が昇ると起き出し真上に来れば食事を取り、沈めば就寝むという習慣がついていた。だから、交代する時間は山本が頃合いを計って知らせるようことになった。
まず、山本が手を挙げた。続いてムアイも名乗りを上げてきた。こうして交代制で熊の見張りは開始され、後の者たちは山本のテントで休憩を取ることにした。
「ところで、ちょっと聞くけどさ。熊はどうなったと思うんだい。ムアイは」
熊穴を見張りながら山本が聞いた。
「わしは、ヤツは必ず戻ってくると見てるんだ」
「どうして、そう思うんだい」
「うん、これはわしの勘なんじゃが、何度も云うようじゃが熊はあんな傷じゃ絶対に死にゃあせん。きっと、どこかに隠れて傷が治るのを待っているじゃ。そのうち戻ってくるから見てろ」
何かしらの確信があるらしく、ムアイは堂々と言い切った。
「しかし、こんなに時間がかかるとは思ってもいなかったなぁ、これだけの人数がいて未だにやっつけられないなんて、カイラが可哀そうだよなぁ…。ごめんよ。カイラ……」
「なーに、そう心配するな。もう少しの辛抱じゃあ。わしだって、カイラのことは忘れ取りゃあせん。本当にあの娘は子供の頃から可愛い娘じゃったからのう」
カイラとは二・三才しか歳が離れてないのに、ムアイはまるで老人のような目つきで、どこか遠くのほうを見つめていた。
しかし、熊はその姿を現す気配すら見せず、一日が無情にも過ぎ去りまた夜がきた。テントに戻っても山本はイライラを隠し切れず、耕平に所かまわず当たり散らしていた。
「おい、耕平。熊の野郎は一体どうなっちまってんだぁ。ホントにもう死んでんじゃねえのかよ。あれからどれぐらい経ったんだぁ。二週間じゃ効かないだろう。それなのに姿も見せないなんて、絶対におかしいぞ。ヤツはやっぱり、もうくたばってるだよ。ええーい、イライラする……」
「そんなにイライラしないで少しは落ち着けよ、山本。ムアイも云ってたじゃないか。ヤツは必ず生きているって、だからもっと落ち着けよ。ホントに忙しいヤツだなぁ。お前は」
「コウヘイの云うとおりだ。熊はあんな傷ぐらいじゃ死にゃあせん。わしも永いこと狩りをやってから分かるんじゃ。そのうち戻って来るから見ていろ。お前も疲れとるんじゃろう。いいから、もうそろそろ就寝め、トオル」
逞しい腕で山本の肩をやさしく叩くと、ガイダはその場に横たわった。
「そんじゃ、オレたちも、もう寝よう…。ガイダの云うとおり、お前は疲れてんだよ。早く寝ろ。明日も早いんだぞ」
耕平は、そう言うと自分もその場で横になった。
「ん……」
山本も耕平に言われるまでもなく、身を横たえたがなかなか寝付かれなかった。何の断りもなく二十一世紀に置いてきた妻の奈津実のことや、熊に殺されたカイラの無残な姿が交互に浮かんできた。なかなか寝付かれないまま、何度か寝返りを打っていると、尿意を催してきた山本は外に出た。
用を足していると後ろから、
「何だ。眠れないのか。山本」
耕平が近づいてきた。
「ああ、何だか、いろんなことを考えていたら眠れなくなっちまった……」
「そうか…。オレに係わったばっかりに、お前にまでいろいろつらい思いさせてしまって、すまん…「何云ってんだよ、耕平。お前とオレの仲じゃないか。そんなことはどうでもいいさ。それより、これからどうなるんだろう。熊はホントに戻ってくるのかなぁ。ホントはやっぱりどこかで死んでるんじゃないのか…」
「ベテランのみんなが生きてるって云うんだから、ホントにそのうち戻って来るんだろう。それより、早く寝ろよ。さあ、行こう」
耕平に促されて山本もテントに戻った。横になっても、やはり彼の脳裏には次から次へとカイラのことが浮かび上がり、なかなか寝入ることが出来なかったが、それでも昼の疲れが出たのかいつしか深い眠りに落ちて行った。
次の日も、その次の日も何事もなく過ぎ去り、三日目の昼近くになって見張りに出ていたチルトが血相を変えて戻ってきた。
「大変だぁ…。熊が戻ってきたぞー」
チルトは息を切らせながら言った。
「何気なく巣穴を覗いたら、何かが動いているんでよく見たら、やっぱりあの熊かいたんじゃ。みんなも来てれねえか。いまボイタが見張ってるんで……」
「やっぱり来たか。よーし、行くぞ。みんな」
ガイダの号令で、そこに居合わせた一同は一斉にそとに飛び出した。
「あ、ムアイちょっと待て」
出て行こうとしているムアイを山本が呼び止めた。
「きみはまたこの前みたいにこの燃える水を待って行ってくれ。前に教えたとおりに岩の上から落とすんだ。分かったかい」
「ん、分かった。行くぞ。トオル」
一歩出遅れた形で現場に行く、ガイダがみんなに号令をかけていた。
「……と、云うわけじゃから、ああ。来た来た。ムアイはすぐ岩に登ってくれ。登りついたら、わしらで熊を誘きだすから後は頼むぞ」
「熊の様子はどんな感じなんだい。ガイダ」
「うーむ、遠くてはっきりはわからんが、確かに生きとることは間違いない。それにわしの射った矢が、左眼の脇辺りに突き刺さったままになっとるようじゃだから、前よりは体も弱っとるようなんじゃ」
「ふーん。じゃあ、やっぱりいまがチャンスなんだな。よーし」
山本も岩陰から首だけ出すと、巣穴のほうを覗いてみた。すると、岩穴の奥のほうで微かに何かが動いているのが判った。
「確かにいるな…。もしかするとオス熊でも戻って来たのかな…。耕平、ちょっと来てくれ」
「何だ。山本」
呼ばれた耕平もすぐ飛んできた。
「お前の弓で、あの巣穴の前まで飛ぶかな」
「ああ、飛ぶと思うよ。それがどうかしたのか…」
「熊を誘き出すために、いい方法を思いついたんだ」
「どんなんだ。その方法って…」
「簡単さ。ほら、例の爆竹があるじゃないか。あれをだな、お前の矢に結わえ付けて射つんだよ。熊のヤツは火薬の爆発音なんて、この前一回聞いたきりだけだから、絶対に驚いて飛びしてくるに違いないんだ。どうだ。いいだろう」
「なるほど、一理あるかもな。よし、ガイダに話してみよう」
すぐさま耕平はガイダのもとに賛否を聞きに行った。山本もすぐ後を追った
ガイダも耕平の話を聞くと、納得したらしく即座に賛成してくれた。
「よし、もう少し前に進むんだ。熊に気づかれないように音を立てるな。それから、誰かムアイに合図を送ってくれ。みんな、行くぞ」
足音を忍ばせるようにして、一同は熊の巣穴を目指して進んで行った。





楽に矢が届く範囲まで近づいて来た。山本は耕平から矢を三本受け取ると、一本に爆竹を括りつけあとの二本には火矢用の脱脂綿を張り付けて固定し、カンテラの燃料を滲み込ませて完了だ。
「よし、これで完成だ。準備はできた。いつでもいいぞ。耕平」
「ちょっと待て、山本。なんか少し様子がおかしいんだ。オレの気のせいかも知れないけど…」
「何が変なんだ…」
山本が耕平のほうを振り向いた。
「何かはわからんが、奥のほうで別の何か動くのを見たような気がするんだ」
「何だって、どれどれ…」
山本は急いで耕平の言った岩穴を覗き込んだ。すると、確かに奥のほうでゴソゴソと動いているのが確認できた。
「何だ、なんだ……、もしかして、もう一頭いるってのかい。あのメス熊一頭でも手を焼いてるってのに、冗談じゃないぞ。こりゃあ……。どうする、耕平」
言われた耕平もどうすれはいいのか、咄嗟には判断がつかずガイダに聞いてみた。
「こんな場合、どうすればいいんだい。ガイダ」
ガイダも腕組みをして考え込んでいたが、
「一匹はケガをしているとは云っても、二匹ともなるとわしらだけではどうにもならんな。あと四・五人応援を頼むしかない。誰か邑に戻って人数を集めてきてくれ」
ガイダが号令をかけた。
「分かった。わしが行こう」
ひとりの男が立ち上がると、急ぎ足で立ち去って行った。
「ムアイはものすごい怪力の持ち主だし、熊が出られなくなるくらいの大岩で、あそこの穴の出口を塞ぐことって出きないのかなぁ。ねえ、ガイダそんなことって無理なのかい」
山本がひとり言のように言うと、
「うむ、確かにそれもあるな…。よし、ムアイを呼び戻せ、話しをしてみよう」
ムアイが戻るのを待つ間ガイダは何かを考えていたが、急に山本と耕平のほうに向き直った。
「わしは前から考えておったんじゃが、トオルもコウヘイもわしらの知らない物を持っているし、知らないこともいろいろ知っている。それらの物や知識をどこで手に入れ、どうやって知ることが出きたんじゃ。わしはそれを知りたいと思っておったんじゃよ。教えてくれんかのう」
山本は耕平の顔を見た。耕平は黙ったままこっくりと頷いた。
「じゃあ、云うけどさ。オレたちはガイダたちの知らない、ここからとても離れた遠い世界からやって来たんだ。ガイダたちには話しても分からない思うほど、とても遠い世界からやって来たんだよ。そこには日本という国やいろんな国が世界中あるんだ。オレたちは、そこの日本という国から来たのさ。そして、その国のご先祖様がガイダたち縄文人なんだよ」
山本の話しが解ったかどうかは別として、ガイダは山本の話を熱心に聞いていたが、ひと言だけ山に聞き返してきた。
「難し過ぎて、わしにはよう分からんが、その国とか世界とかいうのは一体何なんだ。トオル」
「簡単にいうと、ガイダたちの住んでいる、この邑やほかの邑をもっともっと、ずうーっと大きくしたようなものさ」
「ウーム、トオルの話は難しくて、わしにはさっぱり分からんのう…」
そんな話をしていところに、ムアイが戻ってきた。ガイダはムアイと話しをしていたが、みんなのほうを向いてこう言った。
「ムアイはできると云っていた。これからすぐやって見るそうだ。これが最後だから、みんなも気を抜かないでやってくれ」
山本はもう一度ムアイに念を押すように細かい指示を伝えると、ムアイはすぐさま岩を駆け上って行った。
ムアイが巣穴の上のほう目掛けてよじ登って行くと、適当に岩がないかと捜しているようだったが、なかなか手ごろな岩がないらしく、さらに上のほうへ登って行った。それでもあちこち探し回っているのが下からも見て取れた。しばらく見ていると、ようやく見つけたらしくムアイが大きく手を振っいる。
「やっと見つけたらしいが、だいぶ上まで登ったようじゃが、大丈夫じゃろうかのう、ムアイのヤツ……」
ガイダが心配そうな顔つきで言った。
「ムアイは山暮らしや山歩きには慣れてるって云ったパン、パン、パン、パン、から、大丈夫でしょう。そろそろ合図してもいいんじゃないのかな。ガイダ」
もうやっつけたのも同然というような調子で山本が言った。
「うむ、ムアイのことじゃから、大丈夫じゃろう。よーし、やれー」
ムアイは準備に取り掛かった。手筈どおり耕平は爆竹のついた矢を弓につがえると、山本がそれに火をつけた。爆竹に転嫁するまで数秒しかなく、耕平は急いで弓を弾き絞ると熊の巣穴目掛けて矢を放った。巣穴の前に矢が突き刺さった瞬間、爆竹は炸裂して猛烈な爆発音が響き渡った。
パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン。
驚いて飛び出してきたのは、怪我をしているメス熊のほうだった。ムアイはガソリンの入ったポリ容器の蓋を緩めて投げ落とした。ポリ容器は見事にメス熊の肩口に命中し、当たった瞬間容器の蓋が外れてゴボゴボと音を立てて、メス熊の肩から背中を伝って足元に滴り落ちた。
「よし、いまだ。射て、耕平」
山本が号令をかけた。耕平は言われるまでもなく火矢を放っていた。矢はメス熊の右足に当たり、次の瞬間ボワンッという大音響とともに、滴り落ちるガソリンに引火してメス熊の体は炎に包まれていた。メス熊は全身を業火に包まれながら七転八倒の苦しみを見せて、そこいら中を駆け回ったり大地の上を転がり回っていたが、その動きも徐々に弱まって行き次第に動きが鈍くなっきて、ついにはピクリとも動かなくなりメス熊は息絶えていた。周囲には肉の焼ける何とも言えない臭いが立ち込めていた。
それを巣穴の奥で見ていたオス熊が、何を思ったのかノソリノソリと初めて姿を現した。巣穴から四・五歩ほど前進してきたが、周りでは地面に沁み込んだガソリンが未だに燃え盛っていた。
それを上から見ていたムアイが、いまがチャンスと思ったのか用意して措いたお岩を持ちあげると、できるだけ正確に熊に充てようと崖の縁まで歩み寄った時だった。ムアイの抱え上げている大岩の重みからか、ムアイの立っている崖の出っ張り部分の付け根から崩れ落ちた。
「ああ、ムアイ…」
山本と耕平が同時に叫んだ。
ムアイを乗せて崩れた岩は轟音とともに大地に落ちて、それら岩も幾つかの岩塊と化し四方に飛び散った。その反動を受けて、オス熊も物の見事に小さな岩塊当たって吹っ飛ばされた。
「ムアイー、大丈夫かー」
ガイダも山本も耕平も一斉に、ムアイが落ちたと思われる場所に走り寄った。他の狩人たちも全員集まってきた。
「ムアイ、しっかりしろ」
ガイダがムアイの体を抱き起こした。あれほど強靭な肉体を持ったムアイにしてみても、全身打撲で骨折も甚だしく息も絶え絶えの状態だった。
「死ぬんじゃないぞー。ムアイー、こんなことで死んじゃいかんぞー」
ガイダは必死でムアイに呼び掛けた。
「ムアイ死ぬんじゃねえぞ。しっりしろー。お前はカイラの仇を討ってくれたんだから、絶対に死ぬんじゃねえぞ」
「ムアイ、しっかりしろー。死ぬんじゃねえー。ムアイ」
山本も耕平も必死に呼び掛けた。ムアイは手を差し伸ばすと、山本の手をしっかり握りしめニッコリと微笑むと静かに息を引き取った。あまりにも哀しい別れであった。山本の胸に言いようのない虚しさが込み上げてきた。山本はとっさに側に落ちていたムアイの石槍を掴むと、オス熊の倒れている方向を目掛けて駆け出していた。
「危ないぞ、トオル。まだ生きてるかも知れんぞ」
ガイダも急いで山本の後を追った。オス熊が倒れているところまで来ても、熊はピクリとも動かずに横たわっていた。首が異様な方向に折れ曲がっているところを見ると、先ほどの岩塊に当たって折れたものと見做された。
「やっと終わったな。山本」
耕平が寄って来て、山本の肩に手を置きながら言った。
「ああ、終わったな。これでやっとカイラも安心して成仏できるだろう」
山本は妙にしんみりとした口調でつぶやいた。
「どれ、わしがムアイを背負って帰るから、トオルすまんが、わしの槍を持ってくれんかいのう」
「ああ、いいよ。そんなことはお安い御用だ」
有に二メートルはあると思われる、ムアイの体をガイダが背負って歩き出すと、山本と耕平がそれに続き後ろから他の狩人たちもぞろぞろと付いて来た。
邑に戻るとムアイは、たったひとりで二頭の熊を倒した英雄として称えられ、邑を挙げての大葬祭が営まれることになった。カイラの時でさえ、四・五日かけて葬祭が行われたのだから、今回は最低でも一週間はかかるだろうと山本は腹を括っていた。
やはり山本が予測していた通り、七日目には葬祭儀式が終わりムアイの遺体は埋葬された。
「これでムアイも土に還っちまうんだな……」
翌日、山本はムアイの墓前に来て手を合わせながら、ひとりポツンとつぶやいた。
その足でカイラの墓にも寄って、熊を退治したことを報告して、心の中でカイラに語りかけていた。
『カイラ、向こうでは元気でやってるかい。お前の幼なじみだった、ムアイがお前を殺した熊をやっつけてくれたんだよ。ムアイも間もなくお前のところに行くだろから、その時は、また仲よく遊んでもらってくれ。オレはそろそろ元の世界に戻って行くんで、もうここには来れないと思うけど、お前のことは決して忘れないよ……』
山本は、もう一度手を合わせカイラの冥福を祈ると、ゆっくりと立ち上がった。空はどんよりと曇り、部厚い雲が縄文の里を覆い隠すように垂れこめていた。
その晩、山本は耕平の住居を訪ねていた。
「ご苦労だったな。いろいろと、山本。ところで、どうしたんだ。浮かない顔をして」
あまり顔色の冴えない山本を見て、耕平が聞いた。
「オレ…、そろそろ戻ろうかと思ってんだ。あっちに……」
「どうしたんだ。急にあっちに帰るなんて、何かあったのか…、どうしたんだよ、山本…本」
いきなり二十一世紀に帰ると言われて、慌てて耕平は聞き返した。
「別に何にもありゃしないよ。ただ…、ただ、ここにジッとしているのがたまらないんだよ。オレには…、いろんなことが思い出されて、辛くてつらくてたまらないんだ。それに、もうここに来てから一年以上も経ってるんだ。だから、そろそろ帰ることにしたよ。お前には迷惑ばっかり賭けたよな。許してくれ」
そう言うと、柄にもなく山本は深々と頭を下げた。
「ちょっと待てよ、山本。時間のことなら何とでもなるだろう。お前がここに来た一年前に戻れば済むことじゃないか。だから、もういいじゃないか。お前の言い分はわかったからさ。もう止めないよ。おれにも経験のあることだからな。それで、いつ帰るんだ…」
「ん、明日にでも戻ろうかと思ってる。きょうムアイとカイラの墓に行ってきた。カイラには全部報告してきたよ」
「そぅか。明日か…。寂しくなるな……。よし、じゃあ、今夜は呑み明かそう。きょう邑長がトオルと飲んでくれって、特別に持って寄こしたんだってさ。呑んで呑んで呑み明かして、辛いことなんかすべて忘れっちまえよ。」
明け方近くまでふたりで酒を酌み交わし太陽が昇る頃になって山本は、最後にひと目だけでも娘のライラを自分の眼に焼き付けておこうと、その寝姿を見に行くとライラは静かな寝息を立てて眠っていた。
「よし、これで何も思い残すことはない。じゃあ、オレはそろそろ行ってみるから、ライラのことはよろしく頼む。それから、ウイラと仲良くやれよ。耕平」
「ああ、お前も達者でな。ライラが大きくなったら、コウスケの嫁にでもしてやるから、安心しろ」
「ああ、ありがとうよ。それじゃ、行ってみる……。お前も体に気つけてな…」
「じゃ、オレあそこまで送って行くよ」
「いや、いい。オレはもともと人に見送られるのって、あまり好きじゃないしさ。それに見送るほうだって寂しい思いをするだろうし、だから、いいよ。見送りなんてしなくても、ひとりで行けるから…」
「そうかぁ、じゃあ、止めとくよ。それじゃな」
「ああ、そうしてくれ。じゃあ、行ってみるよ。さよなら、耕平」
山本は後ろも振り向かずに耕平の住居を後にした。振り向けば未練も残るし後ろ髪を引かれる想いをぐっとこらえて、山本はひたすら草原の道なき道を歩き続けた。草原を吹き抜ける風はひと際冷たさを増していた。もう間もなく、この縄文の里にも雪の降る季節が近づきつつあることを如実に物語っていた。
しばらく歩いて、耕平の建てた記念碑まで辿り着いた。山本の胸には万感の思いが込み上げてきた。もう、おそらく二度と来ることもないであろうと思われる、この縄文時代という歴史の彼方に埋もれてしまった世界が、この上もなく懐かしい思い出となって、自分の記憶の中に刻まれることになるのだろうと思いながら、タイムマシンのスタートボタンを押していた。


エピローグ


山本徹が元いた世界に帰ってきてから、早くも半年が過ぎ去ろうとしていた。戻ってきた当初は、自分が一年以上も家を空けていたことが妻にばれはしないかと、半ば冷や冷やものだったが、何んとかばれずに済んでホッとしたものだった。それでも戻ってきた当時は、それまで身に着けていたシャツもズボンもボロボロに破れていて、まともに人前には出られない状態だった。
そのために山本はこっちの世界に戻ってくる時に、あらかじめタイムマシンの時間を夜の時間帯に合わせておいたのだ。だから、夜の公園に着いた頃には人気もなかったし、人の目にも触れることもなく自宅まで辿りつくことができたのだ。
それから着替えをするために、昼の時間帯に戻ろうとして山本は思わずハッとした。
『しまったぁ。いまは夜だったんだ。太陽が出てなきゃ、このマシンは動かないんだった。どうしよう…』
そう、この吉備野博士の造った腕時計型携帯用タイムマシンは、太陽光がないと稼働しないシステムになっていたのだ。しばらく思案した挙句、山本は耕平の家に行って母親から耕平の服を借りようと思いついた。
「こんばんは、山本です。小母さん、いらっしゃいますか」
出てきた耕平の母親は山本の姿をみて驚いた様子で、
「まあ、どうしたの、徹さん。その格好は…」
「はあ、すみません。小母さん、これにはちょっと込み入った事情がありまして…、訳はいまは言えません。誠にすみませんが、耕平のシャツとズボンを貸して頂けないでしょうか。明日にでも返しに来ますので、お願いします」
「耕平…、ああ、耕助ね。それは構わないけど、それにしてもすごい恰好ね…。さあ、上がってちょうだい。耕助も間もなく戻ってくると思うから、さあ、どうぞ上がってちょうだい」
山本は耕平の母親に言われるまま家に上がり、しばらく待っていると耕平の服とズボンを持ってやってきた。
「これを使ってちょうだい。それから、いまお風呂に火を入れてきたから、着替える前に入ってらっしゃい」
「あ、いやぁ、ありがとうございます。それじゃ、お言葉に甘えてお借りします。では、ちょっと失礼します」
山本は湯殿に行き、破れたシャツとズボンを脱ぎ捨てて、湯船に首までどっぷりと浸かった。非常に気持ちがよかった。生き返ったような気がした。ついさっきまでいた縄文時代では味わうことができないような幸福感に包まれていた。
しかし、その時なぜか不思議な違和感を感じた。先ほど耕平の母親が耕平のことを、確か耕助と言っていたのに気がついたからだ。これは一体どういうことなんだろうと山本は思った。さっき別れてきたばかりの耕平が、耕助という名でいまここに存在しているのだ。もしかしたら、自分は知らず知らずのうちにパラレルワールドの分岐点のひとつにでも紛れ込んでしまったとでもいうのだろうか。何がどうなっているのか、わけがわからなかったが、ここでは耕助という名の耕平が間もなく帰って来るのだから、そう悠長ことは言っていられなかった。
風呂から上がると、居間で耕平の母親が酒の用意をして待っていた。
「これはいつもお世話になっているから、徹さんに飲んで頂こうと思って買っておいたの。いい機会だから、ここで飲んで行ってちょうだい。しばらくぶりに徹さんともお話しをしたいし、さあ、こっちに来て座ってちょうだい」
「あ、構わないでください。小母さん。突然お邪魔して、しかも見苦しい姿までお目にかけてしまって、ホントに申し訳ありません。実は、これから行くところがありまして、勝手なことばかり言ってすみません。あとで改めてお礼に来ますから、今日はこれで失礼します。本当にすみません」
「あら、そう。それは残念ねぇ。せっかく来てくれたのに、ゆっくりしてってくれればいいのに、用があるんじゃ仕方がないわね。じゃあ、またゆっくり出てきてちょうだい」
耕平の母親が引き止めるのも構わず佐々木家を出た山本だったが、別に行く当てもなかったのだが、もしあのまま酒を飲んでいて酔った勢いで、耕平のことを口走ろうものなら大ごとになりかねなかったからだ。
山本はその足で駅前に向かいホテルに行って一夜を過ごし、翌朝自分が出かけた日に戻り、通りすがりの床屋でボサボサに伸びた頭を散髪して、しばらく本屋をのぞいたり街をぶらついたりしてから自宅に帰った。実際には一年余り経っていたのだが、山本も内心では妻の奈津実にバレはしないかとビクビクものだったが、妻はこれといって気にする様子もなくいつものように家事をこなしていた。
そんな姿を見ていると、山本は急に妻のことが愛おしくなり駆け寄って行って後ろから抱きしめていた。
「ちょっと、何すんのよ。あなた、この頃少し変よ。今朝だってあたしの顔を見つめたりして、ホントにどうしたのよ。キモいったらありゃしないんだから。もう…」
「何いってるんだよ。オレは、ただお前のことを心から愛しているだけだよ。嘘じゃないぞ。ほら…」
山本は言うよりも早く、奈津実の頬に唇を押しあてた。
「やめてよ。もう…、一度病院に行って見てもらったほうがいいわよ。まったく…」
奈津実はブツブツ言いながらも台所のほうに消えて行った。
山本もいつもの生活に戻り、会社への通勤と土日はこれまでほったらかしに近かった、奈津実とふたりでいる時間を大切にしようと心賭けるようにしていた。
それから五ヶ月が過ぎ去り、野山はすっかり秋めいて遠目にも赤や黄の樹木が目立つようになっていた。そんなある日、山本はふと亡くなったカイラと、ふたりの間に出来た娘のライラのことを想い出し、急に懐かしくなった。
近くに二十数年前に工業団地建設の際に発掘された、縄文遺跡があることを思い出していた。話では聞いて知ってはいたが、もともと古代史には疎いということもあって、別段わざわざ見学しようという気にもなれずに今日に至っていた。
しかし、いまは違っていた。なぜかは知らないが、何かしら郷愁のようなものが沸き上がってくるのを感じていた。居ても立ってもいられなかった。衝動にかられた山本は、気がつくと自転車を走らせていた。
この街の縄文遺跡は市がきちんと整備して、復元された竪穴式住居や掘立柱建物などと一緒に、発掘された土器や日常的に使われた道具類を展示する展示館が並んでいた。
山本は公園内に足を踏み入れた。
『ここがホントに、あの縄文の邑かよ…。まるっきり雰囲気が違うじゃないか。まるで場所がわかりゃしないじゃないか……』
山本が訝しく思うのも不思議ではなかった。彼のいた縄文の世界は、いまからざっと数えても三千年も前の世界なのだから、地形にしてもいまのものとはまったく違うものなのかも知れなかった。まして、この遺跡自体が厚い土に覆われて埋もれていたものを、重機や人手によって掘り起こされ発掘されたのだから、山本がいた縄文の世界とはすっかり様変わりしていても、それほど驚くほどのことではないのかも知れなかった。
それでも山本は気をとり直して、カイラとムアイを埋葬した場所を探そうと公園内を三時間かけて隈なく捜し回ったが、結局のところ彼の努力は徒労に終わり、ただ疲れだけがもの凄い重圧感となってのし掛かってきたのに過ぎなかった。
いくら捜し回ってもカイラの墓は見つけられずに、山本は仕方なく墓地と書かれた表示板のところへ行って、跪くと両手を合わせて静かにカイラの冥福を祈った。
秋の陽は釣瓶落としというくらいあって、まだ四時になるかならないくらいの時間帯なのに、辺りはもうすでに夕暮れの様相を見せていた。山本はせっかくここまで来たのだし、閉館まではまだ間があるから資料展示館を覗いて帰ろうと思い立った。
展示館の中は土曜日の午後ということもあり、十数人くらいの人々が発掘された土器や、石斧・槍の穂先・動物の骨を加工して造られた釣り針などの品々に見入っていた。これらの発掘された遺跡物は、縄文時代の初期・中期・晩期に分けられて展示されていたが、ここの遺跡群は主に晩期のものが主流であると説明掲示板に記されていた。
山本は順を追って展示品を見て回ったが、やはり一番多いのは土器類であった。展示されている土器の大半は砕けたものを寄せ集め、欠損している部分を人工的に加工した復元物がもっとも多かった。
そんな中、縄文初期・中期と見て行き最後に晩期のコーナーに差し掛かった時だった。そこに展示されている土器類に眼を移した瞬間、山本は見る見るうちに顔面が蒼白に変わって行くのが自分でもわかった。
『まだ残っていたのか……。こんな物が………』
その縄文晩期コーナーの一角に並んでいた物は、山本が自転車の車輪を利用して造ったロクロで、カイラが初めて造った縁のところに角状の突起がついた火焔土器と、山本徹製作による土鍋がふたつ並んで展示されていた。ふたつとも造った時のまま傷ひとつなく、二十一世紀になった現在まで残っているのは、ほとんど奇跡に近いものかも知れなかった。特にカイラの製作した火焔式土器は見事なまでの造形美を誇り、現代の有名な美術品と比べても勝るとも劣らないほどの、実に素晴らしい気品に満ちた造形物であった。山本は我を忘れてカイラの火焔土器に見入っていた。出来ることなら、この手で抱きしめてやりたいとさえ思った。
その時、微動だにしないで展示物に見入っている山本の耳に、閉館を知らせるアナウンスの声が聞こえてきた。我に返った山本は、外に出ようとして向きを変えようとしたが、金縛りにあったように足が動かなかった。大きく深呼吸をひとつすると、ようやく足を動かすことができた。やっとの思いで外に出てくると、もうすっかり夕闇が迫りかけていた。山本はまたカイラの墓地と思われる場所に立っていた。そして、その場に跪くと短い期間ではあったが、自分に父親という経験をさせてくれたカイラに対して、心から感謝して深々と首を垂れると改めてカイラの冥福を祈るのだった。
そして、いまでも縄文の世界という遥かに遠い時間軸の中で、耕平やウイラやコウスケ・娘のライラたちが暮らしていることを想いながら、もう二度と訪れることもないであろう縄文の世界に、これまでにない感傷を抱きながら、どうしようもなく心の底から込み上げてくる熱いものを押えるようにして、山本徹は止めどもなく溢れ出る涙を拭うこともなく縄文遺跡公園を後にした。もう間もなく、この街にも雪の降りだす季節がすぐそこまで迫りつつある頃で、山本の立っているかたわらにも冷たい風が音もなく吹きすぎて行った。






あとがき


今回の『廻りくる季節のために』第二部縄文編は、一年も掛からないで私としては驚異的早さで書き上げることが出きた二作目の作品である。第一部が完成したのは昨年の八月八日頃で、縄文編を本格的に書き始めたのが十三日頃だった。特に十二月と今年の一月二月にかけては集中的に取り組んでいたために、二月後半頃から疲れも出て中弛み状態に陥ってしまい、しばらく休んでいたこともあって思いのほか作業がはかどらなかった。
それでも気をとり直して書き進んだ買いがあって無事完結することが出きた。この作品を書いていて、作者というものは非常に身勝手であることに気がついた。自分の都合によってこの作品の中で、人を何人か殺しているのである。物語の中に出てくる登場人物は、主人公であってもわき役であっても自分自身であったり、みな身内のような気持ちで取り組んで来たので、とても他人事とは思えないような状態でもある。
第一部では、ただ単にちょい役で登場させたつもりの山本徹も、今回はいつの間にか主人公になっていたりして、勝手に動き出しているのだから書き手側としては、ただ茫然として見守っているしかないのであるが、最終的にはやはりこちらに責任があるのだから、ちっきりと締めなくてはならなかった。
さて、一部を書き終えて縄文編を書こうと思い立った時、発想はよかったものの縄文時代そのものが、まったくわからず仕舞いで雲をつかむような話だったことも事実だった。そこで、私は例によってインターネットを駆使して、縄文時代に関するあらゆる情報を集めたり、街にある縄文遺跡公園に幾度となく足を運んで、自分なりに縄文の雰囲気を掴もうとして努力をしたつもりだが、物語の中に出てくる縄文の世界の八十パーセント以上は、私の完全な創作の世界であり、実際にはどうなのかということになると、?マークが並んでしまうというのが正直なところだろう。
ただ、この作品でひとつだけ後悔しているのは熊を登場させたことだった。人喰い熊などという設定自体、どう処理したらいいのかわからず非常に悩んだりもしたが、自分なりに何となくその結末をでっち上げて辻褄を合わせることが出きたようだ。
この作品を書いていて、自分でもワクワクしたりハラハラしたり、あるいはドキドキしながら波乱に飛んだ思いで、われながら物語にどっぷりと浸りつつも楽しんで書けたのは、自分にとってもこの上もなく幸運なことではなかったとも思っている。
しかしながら、この縄文編も最終章の終りに近づいた頃、ふと、このまま物語を終わらせてしまっても、いいものだろうかという疑問が沸き上がってきた。それは私がこの物語に執着心を抱いていたからに他ならないのだが、物語の中で私の意思に反発しながらも、それぞれ活躍してくれた主人公・脇役・その他も含めて、ここまま葬り去ってしまうが忍びなかった。そこで、以前からいつかは書いてみたいと思っていたテーマがあって、これが現在のところ、同時進行的に書き進んでいる『パラレルワールド編』である。
どんな内容になるかはいささか疑問ではあるが、構想のほうはわりと自信があるので、そこそこの作品に仕上がるのではないかと思っているので、ぜひご期待のほどを。
By Haruo Satoh 2020.5.14.

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