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ペンローズの階段

橙11

内気で人見知りでな望でも、成長するにしたがって少しずつ社交性というものが身についていったが、それでも性格の根本がそう大きく変わるわけはない。放課後や休日は、幼なじみのルーや志麻との約束がなければ何も予定がないことがほとんどだったし、数少ない同性の友達は、学校を離れてまで会うことは稀だった。

することもないので家できっちり予習・復習をする習慣が身についていて、そのおかげで望の成績は中学でも高校でも常に上位だ。

「……ここ、わかんないなあ」

けれどどうしても理数系は理解するのに時間がかかることが多く、そんな時は幼なじみで望よりはるかに優れた頭脳を持つ志麻に聞きに行く。望はその日も、教科書とノートを小脇に抱え、歩いて20秒の志麻の家へ向かった。

望と志麻は同じマンションの同じ階の、5軒隣に住むご近所さんだ。出会ったのは保育園に入る前。学年は同じだけれど、4月生まれの志麻に対して3月生まれの望はずっと幼く、志麻は最初から一つ年上の姉のような存在だった。近所の公園で知り合ったルーと親しくなると、ルーもまるで望の姉のように振舞ったから、望は3人兄弟の末っ子のようなポジションのまま成長した。今は背も伸び、ルーの身長を追い越して女性の中でも長身の志麻とほぼ並ぶが、それでもやっぱり長年培われた関係性は変わらず、2人といるとなんとなく、望はいつも弟のような気分になる。

まるで自分の家のように慣れ親しんだ志麻の家のチャイムを押し、インターホン越しに「こんばんは」と声をかけると「どうぞ、開いてるから」とスピーカーから志麻の母の声がした。家族ぐるみの付き合いで、志麻の両親からも実の息子のようにかわいがってもらっている。それを、とてもありがたいことだと思う、
玄関を入ると、リビングから志麻によく似た母親が顔を出した。「志麻、部屋にいるよ」「ありがとう」その返事が聞こえたのか、左側の志麻の部屋のドアががちゃりと開いて、志麻が顔を出した。その視線は望が持つ数学の教科書を捉え、それだけで全部わかったようにうなずいて「入って」と望を招き入れた。

志麻を見た瞬間、望は「あれ」と違和感を覚えた。いつものように志麻の部屋の中央に置かれたロ―テーブルに向き合って座りながら、志麻を観察する。違和感の正体に気づいた瞬間、望は疑問をそのまま口に出していた。
「志麻ちゃん、お化粧してる?」
そう問われた志麻は、一瞬ぽかんとした顔をして望を見て、数拍遅れて一気に真っ赤になった。志麻の白い頬に血が集まり普段は見ることのない焦った表情になるのを、望は驚きを持って見守った。
志麻の唇は普段よりもほんの僅かに赤みが強く、たったそれだけなのにそれはやっぱり普段の志麻とは違って見えた。
「こ、これはルーが、昼間」
あわあわと志麻がいつもより上ずった声で言いながら、片手で口元を隠す。
「一緒に出掛ける前に。もう落ちたと思ってたから……」
言いながら志麻の頬がどんどん赤くなるが、そんな風に照れる志麻を、望はなんとなくかわいいと思った。
「志麻ちゃん、それ似合ってるから隠さなくていいのに。とってもいいと思うよ」
望が笑顔でそういうと、志麻はきまり悪そうにそろそろと口元を隠していた手を下におろした。
「ルーちゃんとお出かけしてたんだ。どこに行ったの?」
「下北沢。ルーが洋服見たいって」
「へえ、そうか、そろそろ秋物とか冬物が欲しいものね」
返事をしながら、望は「いいなあ」と心の中で羨んだ。小学校までは何をするにも3人一緒だったけれど、いつしかルーと志麻の二人で遊ぶことが増えた。二人は女の子で望は男の子だからという差があるので仕方がないとは思うが、望はそれが寂しい。
近所に住んでいてほとんど家族のような志麻とは、それでもしょっちゅう会うけれど、ルーと過ごす時間はだいぶ減ってしまった。
「気に入った服、見つかった?」
「うん、ルーがきれいなピンクのワンピース買ってた」
望はそのワンピースを見ていないけれど、ピンク色のワンピースを着ているルーの姿が何となく想像できるような気がした。
「さ、それより聞きたいところがあって来たんでしょ? どこ?」
志麻は気分を切り替えるように言って、望がテーブルの上に置いた教科書を指先でつついた。「あ、うん」と望は教科書を開き、頭の中でキラキラと笑うルーの笑顔にいったん幕を引いた。

ルーというのはニックネームで、正しくはルイーズだという事実を、望は小学校に入って初めて知った。ルーの教科書に書かれた「やまもとルイーズ」という名前にビックリして「これ、だれの?」と聞いた望に、ルーは半分馬鹿にしたように「あたしのにきまってるでしょ!」と言った。ルイーズという名前はなんだかとても高級で、でもそれはルーにぴったりだと思った。
白色人種の血を引くルーは、幼い頃からとにかく目立った。くっきりした顔立ちとフワフワした金茶色の柔らかそうな髪の毛。まるで絵画に描かれる天使のような美少女だ。けれど見た目を裏切って性格はかなり攻撃的で、見知らぬ人がルーを見て「かわいい」とでも言おうものなら噛みつきそうな顔でにらみつけたし、知らない人からの視線を感じればキッとにらんでから「フン」と言って思い切り顔をそらし、その場の空気を凍り付かせた。小学校でもルーがかわいいあまり、構ってほしくてちょっかいをかける悪ガキにはキャンキャンと威勢よく怒鳴り散らした。ときにはわざと足を踏んづけたり、引っかいたり殴ったこともあり、ルーによく似た母親が困惑顔で謝罪しに来ているのを何度も見た。
だから絶世の美少女にも関わらず、変な大人に絡まれることもなければ子どもたちからも少し遠巻きにされていた。
そんなルーが心を許し、普通に接する数少ない相手が、望と志麻だ。
望よりも背が高くて体格が良く、きれいで気が強いルーは、望にとって志麻とは違う意味で絶対的な存在だった。気が弱く、ともすればいじめの対象になりそうな望をルーは守ってくれたし、望をいつもリードしてくれた。
そんな「絶対的女王様」なルーの存在が少し変わったのは、小学校3年生の夏休みだ。
望と志麻の家で一緒に出掛ける毎年恒例のキャンプに、その年初めてルーも参加した。昼間は川で泳ぎ、夜はキャンプファイヤーにバーべキューをして盛り上がり、その後流星群が見えるからと、みんなで開けた場所を探して駐車場まで歩いた。

自然豊かな山の中にある駐車場の周りからはうるさいくらいの虫の鳴き声が聞こえ、頭上には数えきれない星がまたたいていた。
「きれい!」
志麻が弾んだ声で駆け出し、望もそれに続こうとしたとき、ぎゅっと望の腕を誰かが掴んだ。驚いた望が隣を見ると、駐車場の頼りない灯りが、望の腕をつかんで俯くルーの、不安そうな泣きそうな顔を照らした。
田舎の真っ暗な夜が恐かったのか、虫の大合唱が恐かったのか、それとも今まで見たこともないような星空に驚いたのか、真相は分からない。

けれどその時、望にとってルーはきれいで強い女王様ではなく、壊れそうな部分も持つ一人の女の子として認識された。

「きれーい!」

遠くで志麻が叫ぶ声が聞こえたが、望は志麻を追うことなく、ぎゅっとルーの手を握って隣に立ち、その場で頭上を見上げた。ルーの冷たく冷えた指先が頼りなく思えた。

月曜日、いつもように登校は3人一緒だ。
望と志麻が一緒にルーの家に向かうと、ルーがちょうど玄関を出てきたところだった。
高校生になったルーはこれまで以上に眩しく、華やかなオーラをまとっている。
「おはよー!」
上機嫌なルーを真ん中に挟んで、3人で学校へ向かいながら望は隣を歩くルーに話しかけた。
「ルーちゃん、新しい洋服買ったんだって?」
「志麻ちゃんに聞いたの?」
ルーがヘーゼルグリーンの瞳に得意気な色を浮かべて望を見上げて、それがどんな服なのかを細かく説明し始めた。
今は望も背が伸び、ルーのつむじが見下ろせるくらいになった。それでもなお、望はルーにとって弟のような存在のままだ。それは痛いほど知っている。

もう少し俺の背が伸びて、大人になって、そうしたら少しでも可能性はあるだろうか。

ルーの小鳥のようなおしゃべりにあいづちをうちながら、望は軽く揺れる金褐色の細い糸を目で追いかけた。

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