永遠の抱擁が始まる
第四章 三人の抱擁が始まる【アスラのように4】
郵便ポストには今日もたくさんの手紙が届いている。
 
「笑いあり、涙ありの青春ストーリーを聞かせてほしいです」
「神話を研究しているのですが、人類の始祖と地球最後の一人が同一人物であるといった話をご存知ありませんか?」
「ルイカさんの話を聞くと必ず良いことが起こると聞きました。簡単な物語でもいいので、是非話してほしいです」
 
一時とは大違いだ。
私は魔女なんかではなく、天の使いということになっているらしい。
おかげで休む間もないほど充実した日々を送らせてもらっている。
 
「そろそろ行くよ。二人とも準備はいい?」
「はい」
「しゅっぱーつ!」
 
今日はイベントで、世界のどこかに咲くという「レミの花」の物語を語ることになっている。
 
このような生活に戻れたのは、ここにいるまだ六歳の少女が何かをしたからだ。
あのとき彼女は、私には意味の解らないことを言っていた。
 
「実はね? 自分用のポイントもたくさん持って来てたの」
 
それが一体何を示す言葉なのだろうか。
クラーク君はとにかく驚いていた。
 
「どうやって!? いや、そうか。なるほど」
 
勝手に納得をし、クラーク君は姉の手を引いてどこかに連れ出す。
 
それから数日も経たないうちに「ルイカの右手は神の奇跡によってもたらされた」という噂が広がっていった。
時を同じくして私は縁起物のように持てはやされるようになる。
二人の子供は天から舞い降りた幸運をもたらす精霊なのかも知れない。
そのような噂まで広がっていった。
 
「あなたたち、もしかして何かしたの?」
 
訊ねると少女はクスリと笑う。
 
「簡単だよ。噂を振りまく何人かの脳に干渉して発想のベクトルを逆方向に変えてみたの」
 
答えになっているのかいないのか、私には理解できないセリフだ。
それでも、とにかく三人とも助かったのは事実だし、これは素直に喜ぶべきことであろう。
 
「ありがとうね、二人とも」
 
しゃがんで、私は兄弟の頭をくしゃくしゃと撫でると、そのまま二人を抱きしめる。
二人は照れたようにうつむいていた。
 
今では二人とも私のことをママと呼ぶようになってくれている。
私も少しぐらいはあの偉大なマザーに近づけたのだろうか。
 
「ねえねえママ、レミの花って何ー?」
 
街行く中、私は長女からの問いに答える。
 
「不思議な花でね? その花の香りを嗅いだ人は凄く安心して気持ちよくなって、ついつい眠ってしまうの」
「ふーん。中毒性はないの?」
「どこで覚えたのよ、そんな言葉」
 
悪い噂が良い評判に変わってから、さらに一年が経過していた。
長女の起こす奇跡はあれからも度々発生している。
 
仕事のし過ぎで声が全く出せなくなってしまったとき、長女は「任せて!」と胸を叩いて姿をくらませ、再び戻ってくる頃になると私の喉は治っていた。
近所の屋敷が火事になり、使用人や主が中に取り残されたときも、彼女は「大丈夫!」とどこかに行ってしまう。
するとすぐに豪雨が降って建物は鎮火し、彼女は誇らしげな表情で戻ってきたりもした。
 
もちろん、クラークちゃんも頼もしい存在だ。
彼の助言に何度助けられたことか。
どこで学んだのか彼は文字の読み書きに非常に長けていて、自分の蓄えとやらで新聞を取っている。
そこで得た社会情勢などを踏まえ、「皮膚が変色し、目が見えなくなり、やがて死に至る病気が流行りそうだから、近いうちに予防接種をしに行きましょう」とか「巨塔の国ですがあの地方は最近また政権が変わって物騒らしいから今回の仕事は延期を頼んだほうがいいでしょう」などとトラブルを未然に防ぐための進言をしてくれるし、お客さんが料金を踏み倒そうとしたときも「仕事の依頼は契約であるといった点を相手に注目させてみてください」と的確なアドバイスをくれる。
幼児であるはずなのに、彼の言うことはまるで父のようだ。
 
大通りを進み、馬車の停留場にたどり着く。
時刻表を見ると、次の馬車が来るまで少し待つようだ。
私たちは備え付けのベンチに腰を下ろす。
 
初めて二人と出逢った日と同じく、わずかに肌寒さを感じさせるそよ風が吹いた。
懐中時計を見るまでもなくもうすぐ夕方である。
 
クラークちゃんが石造りの街並みを眺めたまま、何気ない様子で口を開く。
 
「ママ、訊いてもいいですか?」
「なあに?」
「ママは何故、僕らのことを何も訊いてこないんですか?」
「訊きたいと思ったら訊くわよ」
「でも、僕らはその、明らかに子供としては不自然じゃないですか」
 
また風が吹く。
次の馬車に乗る予定があるのは、どうやら私たち三人だけらしい。
他に人影はない。
 
「どうして僕らの正体に疑問を持たないんですか?」
「正体も何もないでしょう」
 
私はクラークちゃんの頭に、そっと手を添える。
 
「どこの世界に自分の子の正体を気にする親がいるのよ」
 
息子たちは黙って私の顔を見上げる。
今度は私が遠くに視線を逃がし「いつか詳しく話すけど」と前置きを入れた。
数ある物語から一つを思い出し、私はそれを口にする。
 
「今よりも大昔、凄く遠い場所ではね? 三つの顔と六本の手を持つ神様がいたとされているの」
 
神の名はアスラ。
アスラは異なった表情を三つ持ち、その六本の腕で戦い、人々を助けたとされている。
 
「その神様の物語はいつか詳しく話すけど、あたしはね? こう思うの」
 
数ある神話の中にはある程度実話がベースになっているものが含まれているのではないだろうか。
全くの空想から紡ぎ出されたのではなく、何かしらのドラマがあって、それが元になって作られた話があるのではないか。
 
「そう考えるとね? アスラだって本当にいたのかも知れない。でも現実には顔が三つあって手が六本も生えてるような生き物はいないでしょう?」
 
本来なら子供には難易度の高い話題かも知れないが、この二人だったら難なく理解に及ぶだろう。
 
「これはあたしの想像なんだけど、神話の時代、ある三人組の英雄がいたんじゃないかしら」
 
その三人の英雄が大きく活躍をして、後世に名を残したのではないだろうか。
実話には尾ひれが付き、それを聞いた者がさらに想像力を羽ばたかせるといった連鎖が長く続いたのではないだろうか。
そこまで語り継がれるほどに三人のチームワークは良く、大仕事をこなしてしまったのではないだろうか。
 
「だからその三人はきっと、とっても仲が良かったんでしょうね。だって三人なのに一人の神様って伝えられちゃうぐらいだもの」
 
遠くから蹄の音がしてくる。
馬車がやって来たのだ。
 
「来た来た。じゃあ二人とも乗るわよ。忘れ物、ない?」
 
この話の続きはしなくとも私が何を言いたいのか、もう子供たちには伝わっていることだろう。
 
私は自分の肉体を見てそれが何者かと疑うことがない。
同じように、私は自分の子供を見てそれが何者であるのかと気にかけることはない。
 
実際口にするのは照れがあったので、私は心の中で馬車によじ登ろうとしている二人に告げる。
あなたたちはね、自分の体と同じぐらい大切なのよ。
 
出産の痛みも育児のストレスも感じたことがない私が少しでも本当の母親に近づくには、他に何が必要なんだろう。
走り出した馬車に揺られながらそのような考え事をしていると、不意にクラークちゃんが口を開く。
彼らしくもない子供らしい発言に、私は小さく驚いた。
 
「ママ。実はある場所に、秘密基地を作っておいたんだ」
 
「笑いあり、涙ありの青春ストーリーを聞かせてほしいです」
「神話を研究しているのですが、人類の始祖と地球最後の一人が同一人物であるといった話をご存知ありませんか?」
「ルイカさんの話を聞くと必ず良いことが起こると聞きました。簡単な物語でもいいので、是非話してほしいです」
 
一時とは大違いだ。
私は魔女なんかではなく、天の使いということになっているらしい。
おかげで休む間もないほど充実した日々を送らせてもらっている。
 
「そろそろ行くよ。二人とも準備はいい?」
「はい」
「しゅっぱーつ!」
 
今日はイベントで、世界のどこかに咲くという「レミの花」の物語を語ることになっている。
 
このような生活に戻れたのは、ここにいるまだ六歳の少女が何かをしたからだ。
あのとき彼女は、私には意味の解らないことを言っていた。
 
「実はね? 自分用のポイントもたくさん持って来てたの」
 
それが一体何を示す言葉なのだろうか。
クラーク君はとにかく驚いていた。
 
「どうやって!? いや、そうか。なるほど」
 
勝手に納得をし、クラーク君は姉の手を引いてどこかに連れ出す。
 
それから数日も経たないうちに「ルイカの右手は神の奇跡によってもたらされた」という噂が広がっていった。
時を同じくして私は縁起物のように持てはやされるようになる。
二人の子供は天から舞い降りた幸運をもたらす精霊なのかも知れない。
そのような噂まで広がっていった。
 
「あなたたち、もしかして何かしたの?」
 
訊ねると少女はクスリと笑う。
 
「簡単だよ。噂を振りまく何人かの脳に干渉して発想のベクトルを逆方向に変えてみたの」
 
答えになっているのかいないのか、私には理解できないセリフだ。
それでも、とにかく三人とも助かったのは事実だし、これは素直に喜ぶべきことであろう。
 
「ありがとうね、二人とも」
 
しゃがんで、私は兄弟の頭をくしゃくしゃと撫でると、そのまま二人を抱きしめる。
二人は照れたようにうつむいていた。
 
今では二人とも私のことをママと呼ぶようになってくれている。
私も少しぐらいはあの偉大なマザーに近づけたのだろうか。
 
「ねえねえママ、レミの花って何ー?」
 
街行く中、私は長女からの問いに答える。
 
「不思議な花でね? その花の香りを嗅いだ人は凄く安心して気持ちよくなって、ついつい眠ってしまうの」
「ふーん。中毒性はないの?」
「どこで覚えたのよ、そんな言葉」
 
悪い噂が良い評判に変わってから、さらに一年が経過していた。
長女の起こす奇跡はあれからも度々発生している。
 
仕事のし過ぎで声が全く出せなくなってしまったとき、長女は「任せて!」と胸を叩いて姿をくらませ、再び戻ってくる頃になると私の喉は治っていた。
近所の屋敷が火事になり、使用人や主が中に取り残されたときも、彼女は「大丈夫!」とどこかに行ってしまう。
するとすぐに豪雨が降って建物は鎮火し、彼女は誇らしげな表情で戻ってきたりもした。
 
もちろん、クラークちゃんも頼もしい存在だ。
彼の助言に何度助けられたことか。
どこで学んだのか彼は文字の読み書きに非常に長けていて、自分の蓄えとやらで新聞を取っている。
そこで得た社会情勢などを踏まえ、「皮膚が変色し、目が見えなくなり、やがて死に至る病気が流行りそうだから、近いうちに予防接種をしに行きましょう」とか「巨塔の国ですがあの地方は最近また政権が変わって物騒らしいから今回の仕事は延期を頼んだほうがいいでしょう」などとトラブルを未然に防ぐための進言をしてくれるし、お客さんが料金を踏み倒そうとしたときも「仕事の依頼は契約であるといった点を相手に注目させてみてください」と的確なアドバイスをくれる。
幼児であるはずなのに、彼の言うことはまるで父のようだ。
 
大通りを進み、馬車の停留場にたどり着く。
時刻表を見ると、次の馬車が来るまで少し待つようだ。
私たちは備え付けのベンチに腰を下ろす。
 
初めて二人と出逢った日と同じく、わずかに肌寒さを感じさせるそよ風が吹いた。
懐中時計を見るまでもなくもうすぐ夕方である。
 
クラークちゃんが石造りの街並みを眺めたまま、何気ない様子で口を開く。
 
「ママ、訊いてもいいですか?」
「なあに?」
「ママは何故、僕らのことを何も訊いてこないんですか?」
「訊きたいと思ったら訊くわよ」
「でも、僕らはその、明らかに子供としては不自然じゃないですか」
 
また風が吹く。
次の馬車に乗る予定があるのは、どうやら私たち三人だけらしい。
他に人影はない。
 
「どうして僕らの正体に疑問を持たないんですか?」
「正体も何もないでしょう」
 
私はクラークちゃんの頭に、そっと手を添える。
 
「どこの世界に自分の子の正体を気にする親がいるのよ」
 
息子たちは黙って私の顔を見上げる。
今度は私が遠くに視線を逃がし「いつか詳しく話すけど」と前置きを入れた。
数ある物語から一つを思い出し、私はそれを口にする。
 
「今よりも大昔、凄く遠い場所ではね? 三つの顔と六本の手を持つ神様がいたとされているの」
 
神の名はアスラ。
アスラは異なった表情を三つ持ち、その六本の腕で戦い、人々を助けたとされている。
 
「その神様の物語はいつか詳しく話すけど、あたしはね? こう思うの」
 
数ある神話の中にはある程度実話がベースになっているものが含まれているのではないだろうか。
全くの空想から紡ぎ出されたのではなく、何かしらのドラマがあって、それが元になって作られた話があるのではないか。
 
「そう考えるとね? アスラだって本当にいたのかも知れない。でも現実には顔が三つあって手が六本も生えてるような生き物はいないでしょう?」
 
本来なら子供には難易度の高い話題かも知れないが、この二人だったら難なく理解に及ぶだろう。
 
「これはあたしの想像なんだけど、神話の時代、ある三人組の英雄がいたんじゃないかしら」
 
その三人の英雄が大きく活躍をして、後世に名を残したのではないだろうか。
実話には尾ひれが付き、それを聞いた者がさらに想像力を羽ばたかせるといった連鎖が長く続いたのではないだろうか。
そこまで語り継がれるほどに三人のチームワークは良く、大仕事をこなしてしまったのではないだろうか。
 
「だからその三人はきっと、とっても仲が良かったんでしょうね。だって三人なのに一人の神様って伝えられちゃうぐらいだもの」
 
遠くから蹄の音がしてくる。
馬車がやって来たのだ。
 
「来た来た。じゃあ二人とも乗るわよ。忘れ物、ない?」
 
この話の続きはしなくとも私が何を言いたいのか、もう子供たちには伝わっていることだろう。
 
私は自分の肉体を見てそれが何者かと疑うことがない。
同じように、私は自分の子供を見てそれが何者であるのかと気にかけることはない。
 
実際口にするのは照れがあったので、私は心の中で馬車によじ登ろうとしている二人に告げる。
あなたたちはね、自分の体と同じぐらい大切なのよ。
 
出産の痛みも育児のストレスも感じたことがない私が少しでも本当の母親に近づくには、他に何が必要なんだろう。
走り出した馬車に揺られながらそのような考え事をしていると、不意にクラークちゃんが口を開く。
彼らしくもない子供らしい発言に、私は小さく驚いた。
 
「ママ。実はある場所に、秘密基地を作っておいたんだ」
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