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永遠の抱擁が始まる

悪魔めさ

第三章 最初の抱擁が始まる【最後のアダム1】

「天使の殺し方を知っていますか?」
 
 唐突な質問にあなたは、「いえ、知りません。そもそも殺せるのですか?」とわずかにたじろく。
 
 廃墟となった石の教会は一枚の壁だけを残してほとんどが朽ちていて、天使と悪魔の戦争をモチーフにした絵画がかろうじて残り、今は太陽の光に照らされている。
 
「天使と悪魔は、同じ生き物なのです」
 
 案内人は眩しそうに目を細め、巨大な壁画を見上げた。
 
「同じ生き物ですって? これが?」
 
 あなたも同じく目線を上げる。
 空と二つの太陽と色あせた絵とを同時に眺めてあなたはどこか懐かしさに似た感覚を覚える。
 
 白い翼を持った天使はどちらかというと人間に近い格好に見えた。
 悪魔はというとまるで魔物のようで、黒い肌から角やコウモリと同じような羽を生やさせ、残忍そうな笑みを浮かべている。
 
「これのどこが同じ生き物なのです?」
 
 あなたが訊ねると、案内人は静かに目を伏せた。
 
「この絵は、思い込んだ人間によって描かれたものです。想像の絵なのです」
「あなたは本当の天使と悪魔を見たことがあるのですか?」
 
 しかし案内人はあなたの質問に答えない。
 
「影を刺すのです。天使も悪魔も、体を攻めても死なせることはできません。影こそが彼らの本体だからです」
「影、が?」
 
 その時に、親友の明るい声が背後からした。
 
「みみみ、見て、見て! こんなに、たくたく、たくさん」
 
 相変わらずのどもった口調に振り返ると、ホコリにまみれたあなたの友は満面の笑みで、両手には数々のガラクタを抱えている。
 あなたは呆れてしまい、檄を飛ばす。
 
「そんな物、どこかに捨ててこい!」
「ででで、でも、でも! けけ、剣も、剣もある!」
「本当か?」
 
 しかしそれは剣と呼ぶにはあまりに小さく、そしてくたびれている。
 あなたは「ないよりはマシか」と言って短剣を受け取り、親友は「ぼぼぼ、僕は、ささ、さ、刺さないでね」と、にんまりと笑った。
 絵の中にいる悪魔とは対照的な笑顔に、あなたも「にー!」と彼に歯を見せる。
 
「さあ」
 
 案内人は、いつの間にかあなたたちの背後にいた。
 
「旅を続けましょう。砂時計の塔はもうすぐそこです」
 
 あなたはうなずくと雑然と散らばった瓦礫を避けて歩き、荒野へと歩を戻す。
 砂漠を振り返ると、数日前に歩いていた草原や森、砂に刻まれた自分達の足跡、様々な景色が一度に見えた。
 遠くの物も、近くの物も。
 
 空の高さは無限に思えて、どんな鳥も雲も、太陽でさえもその高みには永久に到達できそうにない。
 そのことを、あなたは最近になって初めて知った。
 
 今日の風は、強い。
 しかしそれが乾いた風なのか、湿気た風なのか、あなたはまだ判断できないでいる。
 風に吹かれることに、まだ慣れていないからだ。
 
 そもそもあなたは、それまで空を見たことがなかった。
 あなただけではない。
 両親も友人も学校の先生も、あなたの街の住民は余すことなく、空を知らずに一生を終える予定だった。
 あなたの街には空がないからだ。
 
 全てではないにしろ、人類が滅んだのは三千年前だったとあなたは記憶している。
 歴史によれば太古の人々は多くいて、偉大な知恵を持っていたという。
 丸い大地の反対側にいる者にも意思を疎通させ、天を刺すかのような巨大な塔を次々と建て、月の地面にさえも足を踏み入れていた。
 
 滅びの理由は様々だったのか一つだったのかは誰もが憶測を口にしていて、あなたにはよく解らない。
 ただ理解できるのは、自分たちの暮らす街が先住民によって作られた地下の都市であるということだけだ。
 
 あなたの家も学校も、それぞれの商店も迷宮の中にある。
 そこには旧人類の英知が未だに生きていて、光の射す頃と闇の頃があった。
 昼と夜。
 あなたたちはそう呼んでいる。
 
「なあ、ラト。太陽を見たいと思わないか?」
 
 あなたが親友の名を口にした場所は、お気に入りの「木の部屋」だ。
 殺風景な白い壁に囲まれたその部屋にはレイヤの木が一本だけ立っていて、あなたは自分の家の次にこの秘密の部屋が好きだった。
 
「んん、んー?」
 
 ラトは大好物のマナをほお張りながら、あなたに澄んだ瞳を向ける。
 
「んななな、なあに?」
「太陽だよ、ラト。太陽。見てみたいと思わないか?」
 
 そう訊ねつつもあなたはラトに顔を向けてはいなかった。
 ある工作に熱中しているからだ。
 あぐらをかいて、足の上に置いた電球に装飾を施している。
 
「ぼぼ、僕は、ん僕はね」
 
 やっと食べ物を飲み込んだ友が言う。
 
「よよよ、夜。夜がみみみ、見たい。夜」
 
 外は三千年前からずっと死の世界のままで、その光景は想像に頼るより他はなく、もし仮に人が外気に触れればたちまち焼きただれて死に至ると強く教え込まれた。
 砂しかない外の世界の景色はだから、絵でしか見たことがないのである。
 
「夜、か」
 
 ラトの斬新とも取れる発言に、あなたは「こいつらしい」とある種の感心をする。
 空が見たいという発想ではなく、夜。
 
「だだ、だってさ、だってさ、夜は、ほほほ、星が見れるから、ほほ、星」
「星? 天空にいくつも浮いているっていう、あの星のことか?」
「そそ、そう! そう! そーう!」
「途方もない遠くで浮いているんだぞ? そんな物が見られるものか」
「み、見れるもん! みみみ、見れる! ほほ、本! 本に! 本にかか、書いてあった。本」
「本当か? もし見られるとしたら、それは明るくないと見られないんじゃないのか? なんで暗い夜だと星が見られるんだ?」
「そそ、それは、しし、知らない」
「馬鹿だな、お前は。それは本のほうが間違えているんだ。先入観、ってやつだよラト」
 
 いつしかあなたの工作の手は止まっている。
 再び作業に戻ろうと手元を見ると、部屋が少しずつ薄暗くなってゆくことに気がついた。
 
「ああ、そろそろ夜か。ラト、お前が好きな夜だよ」
「よよ、夜ー!」
 
 偽物の夜にさえ喜ぶ親友が好ましく、あなたはラトに「にー!」と笑む。
 ラトも、あなたと同じように顔をしわくちゃにして、「にー!」と大きな声を出した。
 
「さて、ラト。夜は光がないから夜なんだ」
 
 あなたが作った物は、大きな花のような形をしている。
 人目を忍び、街外れの天井から電球を一つ拝借して作った。
 自分の身長ほどもある木の棒にそれを取り付け、地面から伸びた黒いロープと繋がるようにしてある。
 
 もう少し装飾を懲りたかったのだが、「まあいいか」とあなたは思う。
 
「今を昼にしてやるよ」
 
 あなたは得意げに言って、むき出しになっている電球とロープとを繋げた。
 
 あなたさえも予想していなかった強烈な光が部屋中を照らし出す。
 
「おうおうわー!」
 
 ラトが両手で目を押さえ、転げまわっている。
 
「どうだいラト。太陽を作ってみたんだ。みんなには内緒だぞ」
「まぶまぶ! 眩し! まま、眩しい! でででも、すす、凄い!」
 
 その光は強すぎて、あなたも目を細めている。
 ラトは少しだけ、指の間から目を覗かせた。
 
「でで、でもでも、ぼぼ、僕は、よよよ、夜が見たい! 夜も作って」
「それは無理だよ、ラト」
「あああっ!」
 
 突然、ラトが叫び声を発した。
 あなたはすかさず、何事か、と思う。
 
 ラトはもう、あなたのことも小さな太陽のことも見てはいなかった。
 友は下から照らされたレイヤの木を興味津々に注目していて、どうやら夜を作れという自分の依頼さえも忘れ去ってしまったようだ。
 
「ああ、あれ! あれあれ! みみ、あれ見て! みみ」
 
 レイヤの木を見上げると、あなたはそこに赤い木の実があることを知る。
 ラトはそれを見つけて興奮しているのだ。
 苦労して作った太陽よりも、たまたま実っていた実に興味を持っていかれて、あなたはわずかに機嫌を損ねる。
 
「ねね、ねえ! ねえ! ああ、あれを、あれを、とと、と、取って! あれ!」
 
 駄目だ。
 そう言うために、あなたは口を開こうとする。
 
 すると突然、あなたの目は見えなくなった。
 光が消えただけなのだが、あまりにも急だったために、そして闇が完全すぎたために、あなたは自分の目が見えなくなったのだと錯覚を起こしたのだ。
 地面が無くなり、重力から開放されたような浮遊感も同時にあった。
 
 覚えているのはそれまでで、あなたは意識を失った。
 
 目が覚めると最初に風を感じ、次に青い空間が見えた。
 あなたがそれを空だと理解するには、少しばかりの時間が必要だった。
 
 ここには壁も天井も存在しないし、地面の広さに果てがない。
 異常な世界だった。
 
 巨人でさえも手を届かせられないであろう位置にたたずんでいる物が太陽で、その下にある形を変えない真っ白な煙が雲。
 限りなく広がる草木の床が大地で、さらに遠くに見える波のような影が山。
 そして、終わりのない空間が空なのだと、あなたはそれまで全く知らずにいた。
 
 砂漠を通過して森を抜け、あなたたちは今、大草原を進んでいる。
 
「あそこで休憩しましょうか」
 
 案内人が泉を見つけ、それを指で差した。
 泉の周囲には、いかにも果実が実っているであろう樹木が生い茂っていて、それを見たラトが歓喜の声を上げる。
 
「みみ、実ー! 実!」
 
 友のはしゃぎように、あなたは少し笑った。
 そして「実」という言葉から、あなたは初めてこの世界に来た日のことを回想する。
 
 あなたがあの時、どうして気を失ってしまったのかは未だ自分でも解らない。
 あの落下するような感覚はなんだったのか。
 どうやってこの世界に来たのか。
 
 あの日、目覚めた瞬間から、あなたにとってはこの現実こそが夢のようだった。
 
 上半身だけを起こすと見たこともない壮大な景色が周囲を覆っていて、あなたは未知からくる恐怖のせいで混乱をした。
 
「お目覚めになられたようですね」
 
 すぐそばから発せられた声に、あなたは鋭く振り返る。
 細身の娘がしゃがんでいて、あなたを見つめていた。

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