永遠の抱擁が始まる

悪魔めさ

第二章 死神の抱擁が始まる【一年振りの嘘だけど】

「先生、さようならー!」
「はい、さようなら」
 
 放課後、いつもの風景。
 僕が小さく手を振ると、生徒も同じく右手を上げる。
 小学生らしい無邪気な笑顔が、僕の隣にいる死神にも向けられた。
 
「エリー先生も、さようならー!」
「二度言わせるな」
 
 彼女ときたら、相変わらず感じが悪いぐらいの冷静な口振りだ。
 
「私は教師じゃない。先生と呼ぶな」
 
 エリーと呼び捨てにしろ、ということらしい。
 
 僕がエリーと手を繋いでから、もうすぐ一年になろうとしている。
 ほんの少しでも手が離れてしまうようなことがあれば僕の魂は自動的にエリーに食べられてしまうわけだから、周りの人たちには「大変だね」とか「気が抜けないでしょう」などと心配をかけてしまっている。
 でも、意外なことかも知れないけれど、慣れてしまえば案外苦労することもなくて、自分でも不思議なんだけど、今となってはエリーから解放されたいというストレスがない。
 
 死神と人間が一緒に生活するだなんて聞いたことがないけれど、エリーと僕は今もこうして手をしっかりとロープで固定し、繋いでいる。
 
 人からよく聞かれるのが、「着替えるときはどうするの?」
 これはちょっと面倒臭いんだけれども、まず僕とエリーの手を縛っているロープを外すことから始めなきゃならない。
 で、自由になっているほうの腕を袖から抜いて、その手でエリーに触れる。
 そうすれば今まで繋いでいたほうの手を離すことができるというわけだ。
 これで、もう片方の袖からも腕を抜くことができる。
 
 実は日常で最も緊張するのが、この着替えだったりする。
 一瞬でもエリーから離れれば僕は死んじゃうからだ。
 死んじゃうってゆうか、魂ごと消滅してしまう。
 
 お風呂やおトイレは最初は緊張した、というか恥ずかしかった。
 普通これらは一人でやるべきことだし、いくら人間じゃないからといって女の子と一緒というのはやはり気持ちが落ち着かないものだ。
 
「エリー、頼むからこういったときだけは変身して、別の姿になってよ」
「何故だ」
「だって恥ずかしいじゃないか!」
「知るか。お前の采配でどうにかしろ」
「そんな無茶な! お願いだから早く姿を変えて! もたもたしてたら取り返しがつかないことになるぞ!」
 
 結局、エリーには王様の石像に化けてもらって事なきを得た。
 お手洗いで用を足すのも一苦労だ。
 
 でも考えてみたらエリーのほうが面倒な思いをしているのではないかと、たまに彼女を心配に思うことがある。
 エリーからしてみれば、餓死の道を選び、さらに生態の違う生物と生活しなきゃいけないからだ。
 そんな苦難を、去年のエリーはどうして選択したのだろう。
 
 いつかエリーがふと漏らした言葉がある。
 
「死神は人間の魂ではなく、名前を食すのかも知れないな」
 
 一年前、僕はエリーに名前をつけた。
 それ以来、エリーは何だかんだと理由をつけて食事を一切しなくなっている。
 自分の名前を貰えたから他人の魂、つまり名前を食べる必要がなくなったと彼女は言いたいようだ。
 
 死神の食事というのがまた便利というか変わっていて、人間の素肌に直に触れ、離すと同時に魂が勝手に摂取される仕組みになっているのだそうだ。
 うっかりエリーに触れてしまった僕はつまり、一生エリーから離れるわけにはいかない。
 
 ちなみに死神は長生きで、エリーが餓死するよりも、僕がおじいちゃんになって死んじゃうほうが先になりそうだとのこと。
 我ながら奇特な人生が約束されている。
 
「今の生徒に別れ際、何か渡していたな。何だ?」
 
 エリーが涼しげな視線を僕に向けた。
 
「ああ、当直日誌だよ。彼は明日から当直になるんだ」
 
 なるべくエリーに興味を持たれないように、僕は神経を遣ってそっけない素振りをした。
 細かい質問を重ねられると、すぐにボロが出てしまうからだ。
 
 僕はエリーと出会ってからずっと、相も変わらず嘘をつけないままでいる。
 嘘を言うと口が勝手に動いて「嘘だけど」と自分から白状してしまうのだ。
 一年前にエリーにかけられた暗示がまだ生きていて、その点だけは本当に困っている。
 
 あれは先月のことだっただろうか。
 ペットが死んだことである生徒が悲しんでいて、僕が慰めようとした際、実際にぶちかました言葉がこれだ。
 
「君の猫ちゃんはね、これからは君の心の中で、ずっとずっと生き続けていくんだよ。嘘だけど」
 
 一瞬にして何もかもが台無しになった。
 
 エリーは無神経にも面白がるだけで、嘘を言えるように暗示を解除してくれる気配がない。
 
 死神の特色というか、特殊能力が「超強力な催眠術を瞬時にかけられる」ことで、これがホント困る。
 ぶっちゃけ迷惑だ。
 エリーは若い娘の姿に見えるけど、それは暗示によってそう錯覚させられているだけで、実際は人間の白骨と同じ姿をしている。
 人とぶつかったりでもしたら意に反して魂を食べてしまうということで、彼女は真っ黒なフード付きのマントで全身を覆って人と直接接触することを避けてはいるものの、見た目はお洒落で可愛らしい女の子。
 なんか釈然としない。
 
 出会い頭、エリーは僕に罰ゲームみたいな暗示をかけた。
 世界一の正直者に勝手にされて、もう一年になるわけだ。
 ちょっとした親切の嘘も言うわけにはいかなくなって、親戚にも怒られたことがある。
 
「赤ちゃん産まれたんですね。いやあ、元気な赤ちゃんだなあ」
「でしょう? 可愛いでしょ。将来は舞台役者さんになるかなあって思うのよね」
「……」
「なんで黙るの」
「すみません。僕、嘘を言えないんです」
 
 あれは実に気マズかった。
 
「先生ー! エリー先生ー! さよーならー!」
 
 木造校舎の中、さっきとは別の生徒が僕らを追い越し、走り去ってゆく。
 
「廊下を走るなー! 気をつけて帰るんだぞー!」
「はーい!」
「私は教師じゃない。二度言わせるな」
「はーい!」
 
 エリーは思いの他、生徒たちに受け入れられている。
 むしろ僕よりエリーのほうが慕われているんじゃないかと思わず勝手に傷つきそうになるぐらいだ。
 物事をストレートにズバズバと言い切ってしまうエリーのキャラが、どういうわけか子供たちにウケている。
 
「最近」
 
 エリーが口を開いた。
 
「職員室で何を書いている?」
「なんでそんなことを?」
「何やら時間をかけているようなのでな」
 
 言葉に詰まる。
 抜き打ちテストの作成だと言えば嘘だし、超簡単にバレる。
 すると今度は何の意味があって嘘をついたのかを質問されるに決まっているじゃないか。
 何としてでも隠し通さなきゃ。
 
「あれね。ちょっとした個人指導だよ」
 
 あれは何ヶ月前のことだったか。
 エリーに字が読めないと知ったときは、しめたと思ったものだ。
 
 エリーは常に僕の隣にいるから、子供たちに口頭で作戦を指示するわけにはいかない。
 どうしたもんかと実は結構悩んでいたのだ。
 
 エリーの顔をチラ見する。
 僕の口から「嘘だけど」が出なかっただけに、疑われなかったのだろう。
「そうか」と無機質に、エリーは言った。
 
 そもそもエリーの好奇心は偏りが激しい。
 僕にとっては超重大な事柄なのに「私には関係ない」なんて冷めているかと思えば、「数字に隠された人格はそれこそ数字と同じ数、つまり無限に存在している」などとわけの解らないことを延々と喋り続けたりする。
 しかもそれを算数の授業中に始めてしまうのだからたまらない。
 謎の演説ホント困る。
 
 何をどう考えているのか全然解らない存在、それがエリーだ。
 でも、話が全く合わないかと訊かれれば、これはそうでもない。
 唯一、僕とエリーが共通して好むのが音楽だ。
 エリー曰く、
 
「文字通り骨身に染みる」
 
 何ちょっと上手いことを言ってるんだろうか。
 
 以前はある酒場のピアニストが殺されるといった物騒な事件があって、それは許せないと珍しくエリーが感情的になり、犯人を特定したこともあった。
 元々はバンバン人の魂を食べまくっておきながら、音楽家がいない世界は許せないらしい。
 自分勝手も極めてしまえば美学になるんだろうか。
 
「ところで」
 
 エリーが再び僕に視線を向けた。
 
「お前、私になにか隠し事をしていないか?」
 
 なんて的をえた質問をしてくるのだろうか。
 そりゃ確かに僕はエリーから見たら細々と怪しいことをしていたとは思う。
 でも今回だけはどうしてもエリーを騙す必要があるのだ。
 さて、じゃあどう応えよう。
 ちょっぴりピンチだ。
 
「僕がエリーに隠し事? なんでそう思ったのさ」
「テスト期間でもないのに職員室で書き物をする時間が長すぎる。生徒との会話でもどこか気を張っている印象を受けた。私から何か質問をすればお前は普段なら考えられないぐらい大雑把な返答をし、明らかに言葉を選び、当たり障りのないことしか答えない」
「きゅう」
 
 どこの探偵だこの死神。
 
 ここで「何でもないよ」と応えれば「嘘だけど」と勝手に口が動く。
 こうなったら、こないだ思いついた作戦を試すしかない。
 
「はは。何を疑っているんだか。じゃあ、こんなのはどうかな、エリー」
 
 自然とお腹に力が入り、鼓動が高まる。
 成功するだろうか。
 
「今から嘘を言うよ、エリー。聞いていてくれ」
「ほう」
 
 僕はわずかに緊張し、ゴクリと喉を鳴らせる。
 
「僕はエリーに隠し事をしている。嘘だけど。嘘だけど」
「ふむ」
「これで解っただろう?」
「なにがだ」
「思った以上に伝わらなくて残念だ」
 
 僕がエリーに隠し事をしているっていう点が嘘なんですよ。
 つまり僕は何も隠していないんですよ。
 って言いたかったんだけど。
 
 校舎の玄関をくぐる。
 夏特有の強い日差しがエリーと初めて逢った日を僕に思い出させた。
 青空には見事な入道雲が浮かんでいて、あの日もこんな晴れ晴れとした天候だったっけ。
 
 さんさんと降り注ぐ日差しの中、僕とエリーは並んで家路につく。



 夏休みに入ると僕の仕事は極端に減る。
 数日は家でごろごろと過ごしたり、いつもの酒場に音楽を聴きに行ったりする平和な日々。
 そんなある日、珍しく僕は日中からエリーを連れ出した。
 
「エリー、ちょっと寄りたいところがあるんだ」
「どこだ」
「学校。体育館」
 
 石造りの街、いつもの風景。
 路上で果物が売られ、たまに馬車が通り過ぎる。
 店舗の壁から吊るされたランプの火は今は消えていて、夜が来るのを待っている。
 設置されているベンチには商人らしきおじさんが葉巻を吹かし、一服ついていた。
 
 歩きながら、エリーはまじまじと僕の顔を見つめている。
 
「お前、なにを企んでいる?」
「え!? なに? 企むなんて、そんな」
「お前は先日、嘘を言ったな」
「え、あ、うん? なんのこと?」
「あれは嘘だった」
「と、言いますと?」
 
 するとエリーは、覚えのあるセリフを口にした。
 
「僕はエリーに隠し事をしている。嘘だけど。嘘だけど」
「ああ、あれね。それがなによ」
「何故、嘘だけどと二度言った?」
「きゅう」
 
 何も言い返せない。
 確かに僕はあのとき、失敗をしていた。
 会話を誤魔化すことだけに集中すべきで、僕は嘘を口にすべきじゃなかったんだ。
 
「最後の『嘘だけど』が私の暗示による自白なのだな?」
 
 観念し、僕は頷く。
 エリーが鋭い視線を僕に向けた。
 
「一度目の『嘘だけど』はお前が自分の意思で口にしたフェイクだ。『僕はエリーに隠し事をしている。嘘だけど』までがお前の言葉。二回目の『嘘だけど』が自白。つまりそれはお前が私に隠し事をしていることを証明している」
「はい、すんませんでした」
「何を隠している?」
「ごめんエリー! まだ言えないよ!」
「まだ?」
「もうちょっとだけ待って!」
「いつまでだ」
「体育館に着くまで!」
「すると、どうなるんだ?」
 
 僕はそれで何も言わなくなった。
 黙ってエリーの手を引き、校庭を横切る。
 体育館の前に立ち、扉を開けた。
 
 中は薄暗い。
 窓から漏れるわずかな日光が照らし出すのは、僕のクラスの生徒たちだ。
 全員が揃って、並んでいる。
 
「エリー先生!」
 
 学級委員長が大声を出した。
 同時にランプに明かりが灯り、生徒全員が口を揃える。
 
「お誕生日、おめでとう!」
 
 さすがのエリーも何が起きたのか理解できていないようだ。
 一瞬だけ固まった。
 
「どういうことだ?」
 
 エリーが小さい顔を僕に向け、目を細める。
 
「今日は私の誕生日なのか?」
「そうだよ! さあ、座って!」
 
 生徒たちの真正面に置かれた二脚の椅子に、僕らはそれぞれ腰を下ろす。
 
「さん、はい!」
 
 学級委員長が指揮棒を振った。
 やがて耳に届くのは、我が教え子たちによる大合唱、お誕生日の歌だ。
 
 餓死や苦労を選んでまで、僕を生かしてくれている死神。
 エリーがその気になれば、僕は呆気なく魂を食べられてしまうだろう。
 いや、むしろエリーからすれば、さっさと僕の魂を食べてしまうことのほうが自然なのだ。
 なのにエリーは着替えるときも離れないようにと、いつもしっかりと僕の体を掴んでいる。
 
 僕はエリーに何もしてやれないのに。
 なのにエリーは自分の命を犠牲にしてまで、僕との共存を選んでくれた。
 出会ったあの日は、この学校を救ってもくれた。
 
 感謝しないわけにはいかないじゃないか。
 
 そうだ。
 エリーにプレゼントをしよう!
 思いついた瞬間、僕はテストを利用して、生徒たちにサプライズの協力を申し出ていた。
 
「サービス問題! もうすぐエリーの誕生日です。夏休みのある日なんだけど、協力してくれる生徒に十点! 協力してくれる人は次の空白に丸を記入すること」
 
 すると生徒たちは誰一人欠けることなく、全員が丸を書き込んでくれていた。
 テスト用紙をめくっても、めくっても、丸、丸、丸。
 目頭が熱くなったけれど、すぐそばにエリーがいるものだから我慢するのが大変だった。
 きっと十点あげるなんて書いていなくても、彼らは全員丸を書き込んでいたことだと思う。
 
 僕は残業のフリをして、サプライズの決行日時やら合唱曲の曲目だとか、練習をこっそりやれる場所など色んな指示を日誌に書いて、当直の生徒に渡していた。
 
 それで今日。
 子供たちの歌声は、いつかの合唱コンクールのときよりも断然に良くて、大きく響いている。
 
 エリーに目をやると、彼女はただ黙って座っている。
 
「どうだい、エリー」
 
 訊ねると彼女は「素晴らしい」と微動だにせずに言った。
 
「やはり音楽は人類最大の発明だ」
「そうか、嬉しいか。ふふふ」
「嬉しそうなのはお前だ。やはりお前は群れを成す生物特有の考え方をする」
「なんとでも言え」
「どうして今日が私の誕生日だと?」
「覚えてないかい? エリー」
「なにをだ」
 
 僕は照れ臭くなって、精一杯大声で歌う生徒たちに視線を戻す。
 
「今日はね、僕とエリーが出会ってから丁度一年が経った日なんだ。僕がエリーに名前をつけた日が去年の今日、八月一五日なんだ。君が『エリー』になってから、今日で一年が経ったんだよ」
 
 エリーはすると涼しげに「なるほど」とつぶやいた。
 
「お前は私に名前だけでなく、誕生日までくれるのか」
「さすが察しがいいね。そうだよ。生徒たちからのプレゼントが歌。僕からのプレゼントは、誕生日」
「お前は死神から食欲を無くさせる天才だ」
 
 これは褒められたのだろうか。
 なんだかよく解らないけど、気分がいいのは確かだ。
 
 気合い入れて段取り組んで、本当によかった。
 ただ問題があるとすれば、来年のことだ。
 どうしよう。
 
 生徒たちは全員が声を揃え、嬉しそうに、それでいて一生懸命に唄っている。
 
 さすがにこれを毎年やるのは大変じゃないか?
 同じパターンは二度と使えないわけだし、毎年毎年アイデアを出すのも一苦労なんじゃ?
 
 エリーは足を組みつつも、つま先を上下させリズムを取り始めている。
 
 だいたいエリーにだけここまでのお祝いをしておいて、他の人にこれをやらないのは不公平にも思える。
 かと言って全ての知り合いにサプライズパーティを開くわけにもいかないし。
 
 歌が終わり、僕は右手でエリーの左手を持ち上げた。
 どうしても拍手が必要なとき、僕はいつもこうしている。
 互いに空いているほうの手を使い、二人で拍手を送るのだ。
 
「おい、お前たち」
 
 二人で一つといった風変わりな拍手をしながら、エリーが教え子たちに問う。
 
「アンコールは頼んでいいのか?」
 
 いいよー!
 と誰かが言い、学級委員が再び指揮棒を持ち上げる。
 
 エリーは椅子に掛けながら、足を組み直した。
 
 どう考えても、毎年こんなお祝いをするのは無理だよなあ。
 
 やがて、さっきとは違う曲が耳に入ってくる。
 やっぱり元気のいい歌声で、気持ちが篭っているように感じられた。
 お祝いする側である子供たちは明らかに、祝うことを楽しんでいる。
 
 でもなあ、毎年やるとなるとやっぱり大変だよなあ。
 と、僕は思う。
 
 決めた。
 みんなが喜んでくれているみたいで悪いんだけど、エリーの誕生日会は今年限りにしておこう。
 僕は、そう固く心に誓った。
 嘘だけど。

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