永遠の抱擁が始まる

悪魔めさ

第一章 二人の抱擁が始まる【そして死神はフードを被る2】

 深夜。
 僕はスタッガーリー邸の堀を乗り越える。
 運動神経には自信があった。
 本来は骨だけだからなのかエリーも身軽で、平気で僕に着いてくる。
 番犬の類はいなくて一安心。
 僕は工具を使って一階の窓を枠ごと外し、屋敷に潜り込む。
 素人の僕が簡単に侵入できるだなんて話が上手過ぎると少し心配に思ったけれど、実際やってみればこんなものなのかも知れない。
 空き巣は普通、主人の留守を狙うものだそうだ。
 だけれども、犯行時刻に寝静まった夜を選んだのはベタ過ぎて案外正解なのかも。
 だったらいいな。
 
 不安を押し殺しながらも僕は震える手でランタンに火を入れ、それっぽい部屋の発見に努める。
 最初に開けたドアがトイレで、エリーに「そういう用は先に済ませておけ」と誤解をされた。
 
 富豪だけあって、屋敷は想像以上に広い。
 あと、暗くて怖い。
 エリーがいてくれるおかげで孤独感を感じないことが救いだ。
 
 初めての泥棒は不安でいっぱいだ。
 見取り図の用意がないことや金庫の開け方を知らないことを今頃になって気づき、我ながら自分の間抜けさ加減に呆れる。
 下ごしらえといえば覚悟を決めたことと、ポケットに入る程度に簡単な道具と明かりを用意したことぐらいだ。
 早くも失敗の予感がし、冷たい汗が背をつたう。
 下手したら僕はうっかりスタッガーリー氏本人の寝室を開けてしまうかも知れない。
 そうなったら「部屋を間違えました」と笑って誤魔化すしかない。
 
 かくして僕は、泥棒の仕方について何一つ解っていなかったことを廊下の途中で思い知らされることになった。
 
「おい、お前ら! 何してる!」
 
 警備員が雇われているとは思わなかった。
 明かに腕っ節の強そうな体格の良い男がランプを床に置き、腰から警棒を引き抜く。
 首から下げた笛にも手は添えられていた。
 きっと、あれを吹かれたらわさわさと人が集まるに違いない。
 
 見ようによっては相手を小馬鹿にするかのような踊りを舞うように、僕はわたわたと両手と首を同時に振る。
 
「あ、あ、いいぇ。違うんですょ?」
 
 もしもヒヨコが喋れたらこんな感じの細い声がぴよぴよと出るのだろう。
 
 助けを求めるようにエリーに目をやる。
 いや駄目だ。
 いくらピンチといえど、警備員の魂を食べさせるわけにはいかない。
 どうしよう。
 
「エリー、どうしよう」
 
 小声で囁く。
 エリーはやっぱり冷酷だった。
 
「当たり前のことを言わせるな。自分の采配でやれ」
 
 マジでか。
 いや、でもそんな当たり前みたいに言われたって、僕にはこんな場面で役に立つような特技が何一つない。
 情けない話だけど、エリーに頼るしかないのだ。
 覚悟ならもう決めてきた。
 僕は覚悟をしてからここに来たんだ。
 思い出せ。
 一人黙々と学校を整備していた父さん、街頭で声を張り上げていた生徒たちのことを思い出せ。
 
「エリー、頼み、いや。取り引きだ」
 
 警備員が警棒を構え、こちらに歩み寄ってくる。
 
「誰も殺さずに、僕を助けてくれ」
「そしたら何をくれるんだ? お前は」
「僕の魂だ。盗みが成功したら僕の魂を食べていい」
「動くな!」
 
 警備員の怒声が横槍になった。
 僕は構わずエリーに哀願の眼を向ける。
 
「エリー、頼むよ」
「お前は愚か者だ」
 
 エリーは無感動に吐き捨てた。
 
「その取り引きは成立しない。お前が失敗しようが成功しようが、魂を喰う喰わないは私が自由に決めることだ」
「なにを話している! お前ら、後ろを向いて手を頭の上に組め!」
 
 絶望感で頭がいっぱいになる。
 
「エリー」
 
 ワラにもすがる想いで僕は死神の顔を見つめた。
 なんて冷たい表情をしているんだろう。
 見た目は若い娘なのに、なんて人間味のない顔つきなんだ。
 ん? 顔つき……?
 
「あ!」
 
 そうだ!
 今のエリーのこの顔だ。
 これを利用できるじゃないか。
 この場を切り抜ける最高の閃きが僕に降りてきた。
 人生最大レベルの大ピンチをこれなら切り抜けられる!
 
「やだなあ、警備員さん」
 
 間合いを縮めるようにこちらに近づく大男に対し、僕はにこやかに笑顔を向けた。
 
「彼女をよく見てくださいよ」
 
 僕自身、最初に見間違えたぐらいだ。
 間違いない。
 エリーはスタッガーリーの娘そっくりなんだ。
 これでこの筋肉男をやり過ごせる!
 
「彼女はご覧の通り、スタッガーリーさんの娘さんですよ」

 そして僕はドヤ顔のまま付け足す。

「嘘だけど」
 
 僕今、なんて?
 いやいや気にせず続けよう。
 
「僕は、彼女のボーイフレンドでして、決して怪しい者ではないんです。嘘だけど」
 
 もう僕みたいな大馬鹿野郎なんてどうにでもなってしまったらいい。
 
「嘘を言うな!」
 
 警備員の人がすっごく怒った。
「嘘を言うな」だなんて、失礼な話だ。
 僕は今、それをやろうとして失敗したのに。
 
 大男がさらに決定的な事実を怒鳴る。
 
「確かに似ているがな! お嬢様はこないだ心臓麻痺で亡くなったばかりだ!」
「なんですって!?」
「そう言えば、今の私の容姿なんだが」
 
 エリーまでもが僕に驚愕の真実を告げる。
 
「先日喰った娘の姿なんだ、これは」
「マジで!?」
「うむ。亡骸の持ち物を調べたら馬車の切符があったから、それを使ってこの街に来た」
「お嬢様の名を語るってこたァ、お前ら……」
 
 ピーと、小鳥の断末魔のような高音が鳴り響く。
 警備員にとうとう警笛を吹かれてしまったのだ。
 
 いよいよお終いだ。
 警備員や用心棒たちがぞろぞろと、ある者は眠気に耐えるような目で、ある者は飛び起きたかのように駆け足で廊下に集まってくる。
 僕らは完全に囲まれてしまった。
 誰かが点けたのだろう。
 廊下のランプが灯った。
 サーベルやら木製の警棒ががちゃがちゃと音を立て、僕とエリーに向けられた。
 
「これは困ったな」
 
 エリーがつぶやいた。
 
「このままでは私まで攻撃されてしまう」
 
 彼女はそして、僕だけにしか聞こえない小声になった。
 
「私がいいと言うまで、私を見ないようにすることを勧める。行くぞ」
 
 どこに?
 そう聞き返そうとエリーに視線を向けた瞬間、世にも恐ろしいものを僕は目の当たりにしてしまった。
 
 廊下が静まり返る。
 
 僕だけではない。
 本当に怖い時っていうのは何も声が、悲鳴でさえ出すことができないのだと初めて知った。
 息を吐けるのに吸い込めない。
 警備員や用心棒が、顔にある穴の全てを最大まで広げて固まっている。
 僕もきっと同じような有り様だったに違いない。
 
 一人はガタガタと震え、武器を落とした。
 一人は尻餅をつき、失禁した。
 一人は思い出したかのように絶叫し、這って逃げようとジタバタしている。
 誰もがそれぞれの表現で恐怖心を最大限に表していた。
 
「さ、逃げるぞ」
 
 僕の隣にいる恐ろしい者が言って、歩き出す。
 そうか、これ、エリーなんだ。
 わずかな予備知識のおかげで、僕はどうにか立っていることができた。
 エリーの後を追うため、足を前に出そうと試みる。
 
「うわあァ! アアあああ! ンのやらァー!」
 
 男の奇声が甲高く響いた。
 警備員の一人が逆ギレしたらしい。
 エリーに向かって警棒を振り上げている。
 
「エリー!」
 
 叫んで、僕はエリーの腰元に飛びついた。
 そのままの勢いで、僕らは床に擦られるような形で叩きつけられる。
 警棒による攻撃は幸いなことに、エリーにも僕にも直撃することはなかった。
 
「危なかった……」
 
 今の見た目はハゲそうになるぐらい怖いエリーだが、正体は骨だからだろう。
 感触は堅くて細く、体温がない。
 離そうとしたら、手の形をした骨の感触が僕の手を掴んだ。
 
「離れるな。私に喰われるぞ」
 
 エリーはそして、襲いかかってきた警備員の前に立つ。
 
「子供たちにこの姿を見せてやろう」
 
 警備員に対して、エリーは意味の解らないセリフを吐き捨てた。
 僕に鳥肌を立たせるには充分な言葉だったけれど、これが彼にどんな効果をもたらしたのだろう。
 警備員は白目をむいて気を失ってしまった。
 
「ひいいいい!」
 
 また別の悲鳴。
 振り返るとバスローブを纏った固太りのおっさんが目を大きく見開いて泡を吹き出し、後ずさっている。
 知っている顔だった。
 騒ぎを聞きつけ、様子を見に来たのだろう。
 
「スタッガーリー……」
「こいつが金貸しか」
 
 エリーのコメントはそれだけだった。
 特に興味を引かなかったらしい。
 怯える中年の前を通り過ぎ、僕の手を引きながら、エリーは屋敷の出口に向かう。
 
 土地の権利書なり現金なり、盗むなら今だとちょっとぐらいは思ったけれど、もう僕にそんな気力はなかった。
 
「うむ。今回はちゃんと戻れた」
 
 夜風に吹かれる頃、エリーは娘の姿に戻っていて、僕はようやく安堵して胸を撫で下ろす。
 でも、胸の奥は重くて鬱積したまま。
 実に暗い気分だ。
 
「エリー、さっきのは一体……?」
「やはりお前も見ていたか。反応で解った。さっきのは擬態の一種だ」
「どうしてそれで警備員たちがあんなに……?」
「相手にとって、最も恐ろしいものが見えるようにと暗示をかけた。見えた物はだから各自で違っていたはずだ」
 
 そうか、だからか。
 それで納得がいく。
 
「お前には何が見えた?」
 
 エリーに訊かれ、どうせ嘘を言えないのだからと僕は告白をする。
 
「自分の姿が見えたよ。大金を持って、高笑いする自分の姿が見えた」
「そうか。攻撃を仕掛けてきた男に私が声をかけたのを覚えているか?」
「うん」
「あれもな、相手にとって最も恐怖心を覚える言葉が聞こえるようにと暗示をかけた」
「だからか。僕には、『子供たちにこの姿を見せてやろう』って聞こえたよ……」
「だから見ないほうがいいと言ったのだ。以前、初めてこの暗示を使った時は元の姿に戻ることができなくなってな。苦労したものだ。見られて騒ぎになるのも面倒だったから人気のない場所を探し、壁に向かって立つ毎日だった」
 
 エリーは珍しく饒舌で「黙って立っていただけなのに無理矢理に振り向かされ、勝手に魂を提供してくれた男がいた」などと喋り続けている。
 
「私が何度も『元の姿に戻れない』と言っているのにそいつときたら素手で私の肩に触れてな、あんなに楽な食事はなかった」
 
 僕はというと相槌も打たず、ただ呆然と地面を見つめていた。
 
「どうした? 覇気が消えているぞ。まだ恐れているのか?」
「いや、うん。いくら学校のためとはいえ、僕は誘拐だの泥棒だのしようとしててさ、それがさっきの高笑いする自分なんだって思うと、僕はなんて駄目な教師なんだろう、って。先生は、人の見本でいなくちゃならないのにさ」
 
 エリーは黙ったまま僕の暗くなった顔を眺める。
 
「おまけに素手で触っちゃいけない死神に抱きついちゃって。エリーがこの手を離したら、僕は死ぬんだなあって。覚悟はしてたはずなのに、さすがに怖いよ。それに、これじゃあただの犬死だ」
「実に愚かだな」
「うん。でも、もういいんだ。悪いことに手を染める前に死ねたほうがマシなのかも知れない。だからエリー、もういいよ」
「何がもういいんだ?」
「僕の魂、食べてくれ」
 
 夜風がまた吹いて、僕らの髪を撫でる。
 風が収まると、エリーは口を開いた。
 
「実に愚かだ」
「え?」
「お前は今、様々な勘違いをしている」
「え? 勘違い? どんな?」
「まず、私が切り札として使ったさっきの暗示はな、相手にとって最も恐ろしいものが見えるように化けたんだ。そこまではいいか?」
「え、ああ」
「そこでお前は、自分自身の姿を見た」
「そうだけど」
「それで、何故お前はそれを自分の正体だと解釈したんだ? 重ねて言うが、私が成ったのは『そいつが恐ろしいと感じる物』だ。つまり今回のケースは、お前が最も恐れていた物が犯行後の自分自身であると判明しただけに過ぎない。お前の実像とは無関係だ」
「あ、え、ああ。そ、そうなのかも」
「まだあるぞ」
「え」
「お前は先ほど『素手で触っちゃいけない死神に抱きついちゃって』と言ったな?」
「え。い、言いました」
「死神じゃない」
「へ?」
「エリーだ」
 
 お前がつけた名だ、忘れるな。
 そう言って、エリーは僕の手を引く。
 どこに向かう気でいるのだろう。
 
「お前はさらに『これじゃあただの犬死だ』とも言った」
「だって、学校を救えなかったじゃないか」
「決めつけるな。さっきの金貸しにな、お前にやったのと同じ術をかけておいた」
「と、いうと?」
「奴もお前と同じく、もう嘘が言えない。言っても、直後にそれが嘘なのだと自供する」
「スタッガーリーが!?」
「これで口八丁は使えない。サイバンとやらにも勝てるんじゃないのか?」
 
 ああ。
 どんどん心に光が差してくる。
 そんな心地がした。
 今ならもう思い残すことはない。
 
「ありがとうエリー。なんとお礼を言ったらいいのか」
「礼、か。群れを作らなければ生きていけない種族特有の発想だな、それも」
「そうだ。助け合わなきゃ生きていけないんだ、人間は」
 
 星空には雲がなく、月は明るい。
 晴天を清々しく想えるって、素晴らしいな。
 こんな最後でよかった。
 僕は空を見上げて、そのまま目をつぶる。
 
 エリーは当初「肌と肌が触れ、離れた瞬間に食事を自動的に開始する」と言っていた。
 触った瞬間ではなくて、離れる瞬間。
 今繋いでいるこの手が離れると同時に、僕の魂はエリーに食べられてしまうというわけだ。
 
 ぎゅっと強く握っていた最後のぬくもりから、僕は握力を緩める。
 
「ありがとうエリー。思い残すことはないよ。エリーに食べられるなら、僕は後悔しない」
「確かにそうだな。喰われたら後悔することさえできない」
「いいから早く食べてくれよ! 僕の気持ちが変わる前に!」
「そのことなんだがな、私は決めた」
 
 え。
 と、目を開けてエリーの顔を見る。
 いつの間にか僕の手に伝わる感触が堅い骨ではなくなっていた。
 女の子の手だ。
 体温まで感じる。
 エリーは僕の触感にまで暗示をかけていた。
 
「私は滅びることにした」
「なんだって?」
「死神はおそらく他にもいるだろう。だが私は滅びる」
「なんでまた」
「触ったら死ぬと知りながら、私を助けたな、お前は。その前は私に名前をくれた」
「え、だって呼び名に困ると思って」
「私に喰われた魂は転生できない。それがな、なんだか勿体無く思えた。お前はまだまだ私に何かくれそうだ」
 
 僕はなんだか必死になってしまい「何も持ってないよ」と訴える。
 でも、エリーには綺麗に無視されてしまった。
 
「お前はきっと私が食事をするのを嫌がるだろう。だから食事をしないことにしたぞ、私は」
 
 なんか勝手に仕切ってる。
 
「そんなことしたら、エリーが死んじゃうじゃないか」
「当たり前だ。しかし試したことがないからな、食事をやめてどれぐらい生きられるのかは解らない。お前の一生分ぐらいは余裕で持つとしても、もしかしたら五千年ぐらい耐えられるかも知れない」
 
 長生きなことだ。
 
「お前が死んでも一応手は離さないでおいてやる。そうだな。お前が骨になる頃に私が正体を現せば、遺骨だと思われるに違いない」
 
 正体なのに、死体の擬態になるのか。
 便利なんだか、なんなんだか。
 
「というわけで、お前の家に戻るぞ。確か黒いフード付きのマントがあったな。あれを私にくれ。こう見えて私は全裸なんだ。誰かと接触したら自動的に魂を喰ってしまう」
「いや、ちょ、待ってよエリー」
「何を待たせる。ロープも用意してもらおうか。有事の際があってもいいよう、私たちの手を縛って離れないようにしておこう」
「おいエリーったら!」
「心配するな。マントもロープも擬態で隠してやる」
「いやそうじゃなくて!」
「うるさいな。さっきから何を言いいたいのだ、お前は」
「僕の家ならそっちじゃない! こっちだ!」
 
 エリーの手を引っ張り返す。
 
 全く、なんて人生なんだろう。
 いつでも女の人と手を繋いでいるなんて状況、生徒たちにどう説明したらいいんだ。
 ホント冗談じゃない。
 授業とか風呂とかトイレとか、問題は山積みだ。
 だいたいこのままだと、結婚もできないじゃないか。
 
 そんな文句をつらつらと重ねる。
 すると思った通りで、エリーの返事は極めてシンプルだった。
 
「細かいことは知らん。お前の采配でやれ」
 
 どうやら僕はマジで一生このままらしい。
 死ぬまでずっと、エリーと手を繋いで暮すのか。
 そんなの、死んだってごめんだ!
 心の底からうんざりし、僕は嫌で嫌でたまらない気持ちになった。
 嘘だけど。

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