月と太陽

こむぎ子

死人たちの逃避行



「……あたしには…あたしには、ピラしかいないの…」




日の目の代わりに街灯が煌めくのがこの街だ。今日も喧騒と歓声が混ざり合う。その場に馴染む白スーツの男、大人黒は、より夜の奥に入り込んでいく。
「めろちゃ〜ん、そろそろここに戻らせてくれよォ。もうぼく雑草生活やだ〜〜」
「一週間後に戻って来い。」
「……え?まじ?まじで??やった!!めろちゃん大すき♡♡」
「地獄に無期限出張にしてやろうか。」
「ヒッ…な、なんでもないです…」
借金が滞り、借金を完済するまでアンナの屋敷に出張に行かされていた大人黒は、牝狼の店に帰れることを知り久々にテンションが上がっていた。
「お、ピラぴ〜 おかえり♡」
「ルカぴじゃん」
「ピラぴ帰ってきてくれるなんてオレ嬉しい♡牝狼最近殴ってくんないのぴえん」
「悦ぶからな。」
「にひひ♡♡」
「うわぁ…相変わらずだなルカぴ」
「そりゃ愛されたいじゃん♡♡とりあ復帰おめでとピラぴ♡なんか奢るよ♡」
「マジかよルカぴ!愛してる!!」
「言葉じゃなくて体で示してよ♡」
「なんだ殴って欲しいのかいいぜ」
職場の先輩ルカトーニにも迎えられ、大人黒はまるで人生の絶頂のような気分でいた。アンナの鞭から逃れ、無料で肉を食えることにただただ幸せを感じていたのだ。

2日後、牝狼の店で酒を嗜んでいるとほたるが飛び込んできた。今にも泣きそうな不安げな顔をして、大人黒の顔を見るなり益々血相を悪くする。
「おいどうしたんだよハニー」
「かすぴが…かすぴが帰ってこないの……」
「あいつがァ?また宗教にでも絡まれてんじゃねぇの?」
「思い当たる場所はみんな探した…でもどこにも居ない!ピラも一緒に探してるけど見つかったって連絡も無い!……どうしよう…」
「ハニー……っしゃあねぇな…ぼくも探すよ。ハニーのそんな顔見てらんねぇからな」
「…ありがとう」
この時の大人黒に誠実さなどは無い。見つければ褒美をねだり、見つからなければ傷口につけ込めばいいだけの事だ。それだけの事だった。だから正直いえば、どうでも良かったし真剣に探す気など毛頭無いのだ。家までの帰路のことを「捜索経路」と名付けるくらいに大人黒に真っ当さは無い。

1週間経っても大人かすぴが見つかったという話は聞かなかった。それよりも悪い方に話は転んだ。
「かすぴが死んだんだ。」
牝狼の店に入り、1週間前のほたるのような表情をした大人ピの第一声はそれだった。困った話になった。大人かすぴのことはあまり気にはしないがハニーは困る。数々のセフレを抱えているもののほたるは本命のメスだ。そのメスが、一度実の息子を堕胎したメスが息子のように扱っていた大人かすぴを死なれたら一向に展開が良くない。いやむしろこれは慰め時か、傷心に漬け込むほど容易いものは無い。そう思った大人黒は内心笑顔を見せながら「ハニーに会いに行く」と店に向かった。

店は思ったよりも小綺麗だった。不気味なくらい小綺麗だった。店を閉めて客が来ていないからだろう。カウンターの椅子に座って虚空を眺めていた。
「ハニー」
声をかけると彼女は振り返った。ボサボサの髪にクマをつけて睨んでいた。
「お前の顔見るとあの女思い出すから消えろ。」
「あの女ァ?」
「カティのことだよ。……いいから出ていって。」
「まぁそんな冷たいこと言わずにいつものくれよ」
ヘラヘラした足取りでほたるに近づくと、頬を掠めて包丁が飛び、後ろの壁に突き刺さった。
「そんなに殺されてぇならぶっ殺してやるよ!!!川に帰る時間だ雑魚野郎!!!!!!」
「ヒッ」
「やめてハニー!!」
「離せ!!どうせカティがあんなんになったのはあの雑魚のせいだろ?!…ぶっ殺してやる!ぶち殺してやる!!目ん玉ぶち抜いて殴り殺してやる!!!」
怒号を放つほたるを必死で抑え込む大人ピを傍目に、大人黒は一目散にその場を逃げ去った。

「なんだよカティって……カティなんかしたのかよ…」
本命に嫌われた原因がセフレにあるのは1番面倒な状況だ。しかし以前まで2人は一緒の店で働いていたくらいに仲がいい。事実確認をしようとカティに電話をすると、受話器越しから鼻をすする音とともに涙声が聞こえてきた。
「ピラ…あたしどうしよう……ピラ…」
「どうしたんだよカティ。ハニーと喧嘩してんなら早く謝れよ。」
「もう謝ってもどうしようもないのよ!!!…………かすぴが、かすぴが死んじゃったのあたしのせいなの…」
「……はァ?」
「ピラの借金返すために…そしたらかすぴが……ッそれでハニーにバレて…………あたし謝りに行ったよ…でも……」


『あんたがどう思ってるかは知らねぇけどな、私は真っ当な人間じゃねぇんだわ。今すぐお前の首ねじ切って野犬のエサにしてぇくらい腹立ってんだ。
人に優劣付けるなってのは人間様の勝手な解釈だろうがよ、私は優先順位の高いやつ(大人かすぴ、大人ピ)の為ならお前を今までの付き合い云々蹴っ飛ばして今すぐ殺せる。半分人じゃねぇからな。もう戻れないとこまで来てるからな。
この街から出ていけ。次会ったらその端正な顔をハンマーでめちゃくちゃにしてトカーニ川に捨ててやる。』

「………ピラ、あたしと一緒に街出よう?もう借金も無いし、このままいてもどうにもなんないよ……」
「…わりぃ、ぼくこの後仕事あんだわ。」
「ピラ待って!!ピラ!」
大人黒は通話を切り、カティを連絡先から消した。

事態が急変したのはそれから3日後のことだ。
「どうしよう………どうしよう…ピラ……電話でてよピラ…なんでずっと出てくれないの…ピラ……」
ガリガリ、ゴツッ、ガリガリ……
その音を聞いてカティは背筋が凍った。この音を知っている。金属が引き摺られる音だ。以前ほたるが鉄パイプを引き摺っていた時と同じ音だ。復讐を、しに来たんだ。
慌ててウォークインクローゼットの中に飛び込み息を殺す。鍵はかかっている。警察には通報できない。自分がしたことをわかっているから。
ガンッ!ガンッ!ガリガリッ…ガキンッ!!
何かの外れる音がして、その後わずかにドアの開く音もした。足音が大きくなる。嫌に血の巡りを感じる。ほたるの声が近づいてくる。
「お前はなんで生きてられるんだ?いつかセフレが振り向く日をシワを増やして髪を染めながら待ってるのか?自分が生きることが自分への罰だと甘やかしてるのか?…痛覚のある人間って面白いよな。苦痛が嫌だから生きてるくせに痛めつけると殺してくれって懇願するんだ。常に自分の楽な方へと逃げていく。お前もか?お前も逃げてるのか?
……ああ、見つけた。」
ウォークインクローゼットから髪を掴まれ引きずり出される。上を見上げると、既に血まみれのほたるがカティを見下ろしていた。手には錆びた鉈が握りしめられていた。もう何人か済んだ後らしい。
「生きたままバラバラにされたんだとよ。麻酔が勿体ねぇからだってさ。あんまりだよな。」
目を見開いて髪を掴んで震えるカティに、ほたるは見た目に合わない淡々とした声で告げる。
「バラで売ればより儲かるらしいぞ。人魚の肉だもんな。単価が高いからな。だからあいつら…売人もバラしてやったよ。見た目は何も違わなかった。人魚も、人間も。
……痛かっただろうな。私にはわからねぇけとさ。寂しかっただろうな。よく泣く子だってお前もわかってただろ?」

『ほた!ほた…痛い!痛いよほたぁ……!!助けて、助けて!!ほた』

「バラバラにされて死ねると思うなよ。足首から下切り落として売り飛ばしてやるよ。1番安い娼婦より悲惨なとこにな。無料で死ぬまで消耗品にさせてやるよ。使えなくなったらペットのエサだ。肉付きがいいからな。役に立てよ。」
悲しそうな顔でカティを見下ろしていたほたるは、涙を流して怯えるカティに対して気持ち悪いほどにんまりと笑顔を向けた。
「カティ、私胸が高鳴るの。今からお前の転落を想像するとトキメキが止まらないの!ルカトーニっていつもこんな気分だったのかな?
人間って面白いよな!二十数cmが無くなっただけで立てもしない。死んでも治らない。私はなんであんたが泣いてるのかわからない。これから痛くなるから?痛いってどういう気持ち?あの子に教えてあげて。あんたの足は黒に送ってやるからさ。
……ねぇ、あの日ね、マフィンを焼いてたんだ。かすぴがね、喜ぶかなって。クルミとレーズンのマフィン。なんで1人でお使いなんかに行かせちゃったんだろ。なんであんたのこと信頼しちゃったんだろ。」


『気をつけてねかすぴ』
『……うん』
『おやつ作って待ってるから。』
『…!うん……』
一人目は良かった。泣きもしない、苦しみもしないで死んでくれたから。それがただ救いだった。
二人目はどうだ。麻酔も無く全身を切られ、娯楽品として金で捌かれる。可哀想なんて言葉じゃ済まされない。あの時はかすぴがどんな状況で死んだか知らなかったから放置したが、今じゃお前を殺さなきゃ気が済まない。

「でもね、ははっ、ごめん、不謹慎だよな。笑いが止まらなははははは!!!!!!ヤクがそろそろ切れる時間だから結構情緒不安定でさ。はははっ、これピラには秘密な。こうでもしねぇとやってらんねえってわかるでしょ?正気で殺したかったよ。ああ今はとてもそう思ってる。あんたに情けをかける前にやっちゃいたいとかじゃないよ。正気を持つと懇切丁寧に心を込めてお前をシラフのまま切り殺しちゃうからさ。それはいけないじゃん。売人がそうだったけど。
そう思うとアンナとルカトーニって最高にイカれてるよな。今日は仲間入りするからパーティでも開いて待ってくれるように連絡しようかな。お前の足でもお土産に。…ごめん。今日はおしゃべりなんだ。饒舌なんだ。ヤクが回ってるからかな。ノロイのせいかな。どうでもいいよな。アンナの言った通りだな。お前は豚のエサだ。いいネーミングセンスしてるな。足首にお別れの挨拶でもしてな。」
「…………あたし…あたしにはピラしかいないの…」
「私にもあの子しかいないよ。」
情緒不安定に錆びた鉈を持って泣いたり怒ったり笑ったりするほたるに、とうとう許されない気持ちと人として歩めないおぞましさを感じたカティは、ほたるの隙を見計らって逃げようとした。
しかしもう遅い。カティはうつ伏せに組み倒され、金切り声を上げれば首を踏まれた。それでもまだ死にたくない。両足を切られて売られ、その果て喰われるなんて以ての外だ。ただ情報を流しただけだ。こんなことになるなんて知らなかった。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!!!
しかし直ぐに痛みは来ず、もしかしたらと希望を見出しかけた時、寸前で情が湧いてやめてくれるんじゃないかと感じた時、ほたるの笑い声が聞こえた。
「黒、黒、見てる?見てるよな?大好きなお前のハニーだ。あれから1週間か?包丁投げてごめんな。お詫びに私の顔で許してくれよ。お前の為にプレゼント作るんだ。見ててね。」
ゾッとした。自分の愛する人に、今から自分の足を切られるシーンを生配信で見られるのだ。しかし喉を踏まれているため声も出ない。
(ピラ…!ピラ!!助けて!!ピラ!!ハニー!!ごめんなさい!!こんなつもりじゃなかったの!!ごめんなさい許してごめんなさいごめんなさいごめんなさぁああ゛!!!!!!!!!)
錆びた鉈は切れ味が悪い。その為何度も振りかざし何度も叩きつける。女の腕力では特段力がある訳でもない。何度も何度も、何度も何度も何度も繰り返す。カティの声にならない叫び声と、グチャッ、ゴッ、と肉と骨が絶たれる音が聞こえる。

「うわ、痛そ...。うぇ~、ハニーもやるねぇ。...」
牝狼の店で生配信を見ていた大人黒は、初めこそほたると通話ができた喜びもあるが今ではその作業のような行為に引いていた。
「ハニー…ハニーそこにいるの?!」
後ろから声がして振り返ると、大人ピが立っていた。大人黒が追い出されたあとほたるも行方不明になり探していたのだ。
「ハニー!今どこにいるの!!......それ誰、...カティ、...?!」
「…」
大人ピだと気づくと通話は切れた。後のことはわからない。
「...カティ、いいの?」
「...別に。ハニーのやる事は止めねぇよ。ぼくはハニー第1だからな」
「......」

それから、大人黒のセフレが次々消えていった。

刑事のダニエルはその調査のため、街にいる人間に聞き込みをしていた。もちろん大人ピも例外ではない。
「連続女性殺人鬼を調査してるんだが何か知ってることないか?巷じゃジャック・ザ・リッパーが帰ってきたなんて言われてやがる。笑い話じゃねぇのにな。」
「……」
「…あんたも気をつけろよ。いつも迎えに来てる嬢ちゃんいるじゃねぇか。ここだけの話被害者の年齢層はバラバラなんだ。共通点も見つかってない。職業もバラバラで主婦に……ああいやこれ以上は言えねぇけどよ。いつも警察署で泣いてっけどよ、こんな時こそ男見せろよ。…なんか情報あったらここに連絡しろ。」
「……わかった、…」
ダニエルから渡されたメモをポケットにねじ込み、大人ピはそそくさと去った。
「……あいつ顔色悪そうだったな。」

大人ピが家に帰り冷蔵庫を開けると、誰も手をつけていないマフィンが冷えていた。大人かすぴが楽しみにしていたマフィン。食べるる相手のいないマフィン。
知っている。連続殺人犯はほたるだと。
知っている。全部どうしようもないことを。
大人ピは捨てられもせず、冷蔵庫を閉めた。

「やほやほピラぴ♡やらかしたにゃあ♡♡」
「………」
カティは消え、セフレも消え、ほたるとも二度と関係を築くことはできない大人黒は、げんなりした表情でルカトーニのテンションに嫌気を覚えていた。
「明日からね、来なくていいよん♡」
「え、」
「にひひ。珍しいタイプだね♡街から離れられる人間なんて♡♡お魚ちゃんだけど♡
牝狼が切り離したんだよ。ピラぴのことをさ」
「く、クビってことか…?」
「んまー実質そう」
「.........マジかよ......まぁ、仕方ねぇか...今回ばっかりは...」
「店はもち、街にも入れないよん。牝狼はね、街の被害額とピラぴの収益率を考えて、街の方をとったの♡」
「ええ……。完全に疎外されてる…」
「もう牝狼の庇護はない。ほたるだけじゃなく恨みのある人間がこぞって来るだろうな。マフィア、被害者家族、取引相手、特に関係もない金に困ったチンピラ、ダニーからも守れやしねぇ。そ、れ、に、カティが魚のこと売ったからな。似た顔見て捕まえればよく売れるってバレちゃった♡ピラぴかわいそ♡♡」
「え、え、嘘だろ、カティ...あいつ...ッッ......そんな、ぼくどうしたら、」
「実質ピラぴは死人。オレも今のは独り言。」
「今回ばかりはオレも助けらんないかも♡」
顔が段々青ざめる大人黒に反して、ルカトーニはニコニコと笑顔でいる。
「……あーでも、賢く優しい先輩からの助言としては、国外逃亡でもすれば?あの双子ちゃんみたいに♡」
「...国に帰ろうかな...」
「賢明だと思うよん♡」
「でも近くの港は気をつけな。ヤクの売買で牝狼の庭みたいなもんだから♡」
「……おう…」
ここで話してしまうが、カティに情報を売るよう流したのはルカトーニで、カティからの情報を売ったのもルカトーニだ。彼は情報屋だ。大人黒の借金を消すために操りやすく情に流されやすいカティを選んだのだ。正直いえば、このまま大人黒を売って金にしても良いと考えていた。まだ自分は街に守られていて、牝狼になんとかしてもらう可能性もあったからだ。
「先輩からの餞別として逃げ道を紹介したげる♡オレってば親切♡♡」
「…ルカぴ……!」
「ピラぴ、最後にこの街に言うことある?」
「言うことなんて...まぁ、ぼくみたいなのには住みやすい街だったなって。
……正直、名残惜しい」
「……一つだけ救済措置はあるけど、聞く?」
「…聞かせろ。」
「ほたるを殺すんだよ。ほたるが街で暴れたら困るから牝狼はピラぴを追い出したんだ。その原因を無くせば簡単だろ?んま、仲直りできるならそれでもいいよん♡♡」
「ハニーを殺せってか?!馬鹿言うな!!!...仲直りってたってハニーはもうぼくのこと許してくれねぇよ...逆にこっちが殺されそうだ。」
「殺されるのに殺せないんだ。オレびっくり!」
「...一応本命だからよ...
あんないいメス殺すなんて勿体ねぇし」
「ふーん、そんなもんなんだ。んじゃあ一緒に逃亡しよっか!」
「は」
「オレも逃げることにしたからね♡♡ピラぴと愛の逃避行……♡♡いいねぇ燃える♡」
「キモイ言い方すんな。...いいのか?らぶちゅ残して」
「オレもワンチャン殺されっからいーの♡それにオレ帰ってこられるしらぶちゅ死なねーし♡」
「へぇ、...ま、よろしくな。おかげで助かってるよ」
「よろしくねん♡」
この街にロクな人間はいない。ルカトーニも気まぐれで付き合うとはいえほたるが来た時に大人黒をエサにして逃げようと画策していた。ただ今は生きる願望よりも「楽しそうだからついて行く」が彼を動かしていた。

「ピラぴって寒いとこ行くと活動出来なくなるとかない?」
「...人型ならなんとかいける」
「おけ。じゃあ北部からぐるーと回っていくよん。あっちは牝狼も手ぇつけてないから。あ、でも北部のマッフィーは怖いから気ぃつけてね♡♡」
「…マフィア…やべぇな。街より怖いとかちょっとブルっちまう。」
「傭兵の知り合いがいるから大丈夫だよん♡ヘマするとアザラシに詰められて捨てられるだけ♡」
「...最悪じゃんかよ」
「気ぃつけてね♡んじゃ行こか♡♡」
ルカトーニは大人黒の手を掴み街の光に背を向けた。ルカトーニは大人黒と共に堕ちようなんて思わない。彼に情をかけることも無い。友情に似たただの気まぐれだ。それだけの関係だ。


「……かすぴ、かすぴ…迎えに来たよ。」
赤く塗られた部屋で血溜まりから大人かすぴのバラされた足を拾い上げた。
「こんな所で1人、寒かったでしょ。寂しい思いさせてごめんね。」
そうして足を抱きしめる。いくら注ぎ込んでも熱が残ることの無い寂しい魚を、ただただ抱きしめる。
「いたぞ!!」
「う………なんて酷い」
「ヘンリ二世の殺害で逮捕する!!抵抗すれば撃つ!!」
「……待っててね。すぐ終わらせるから。」
そうして彼女は振り向いた。

ルカトーニと大人黒は北部に逃げていた。北国の上に北部のため、街よりも気温は低い。二人は道中で死なないように防寒具を買っていた。
「ピラぴコート着たらヒグマみたいになったね。可愛い♡♡」
「(「・ω・)「ガオー」
「きゃ♡♡そうやってオレにいじわるするんでしょ♡♡♡」
「...ハート飛ばすな、うぜぇ」
「ああん♡辛辣♡♡」
「で、これからどうすんだよ。」
「今からロマシュカ村で傭兵と合流すんの。ピラぴ凍えないようにね。特に目。
特に目。」
「...目...ゴーグル買った方がよかったかな」
「ここら辺ゴーグル売ってるかな。そのヒグマコートのパーカー上までチャック閉まるからそれで歩けば?」
「前が見えねぇ...」
「穴開けてレンズつける?」
「...穴だけ開けようかな」
「良いと思う!顔バレも困るしね♡」
ヒグマと人間が完成した。
ロマシュカ村まで移動する途中、隣の人どうしたのと聞かれたので「ヒグマに憧れてるんです」と答えるルカトーニ、それに対して「ボクヒグマ」と否定しない大人黒に「あっ、あぁ……そうですか…」とドン引きされたが外しては死活問題なので変更する気もない。
ロマシュカ村に近づくにつれ寒気は増していく。
「オレピラぴの死因予想出来たかも。」
「え゛」
「急性アル中」
「………………ちゃ、ちゃんと考えて飲むし…」
「今から会う人ウォッカ飲ませに来るけど大丈夫?ストレートで。」
「吐くかも。」
「ンな図体してなに弱音吐いてんだよヒグマ」
突然背後から大人黒の肩を掴み、酒の匂いを纏わせた者が声をかけてきた。150cm程の小柄な女?だが、肩にかかる握力で変に弄ぶのは危険だと察した。
「ぴえんぴえん。ぼくいたいけなひぐま」
「ぶはははは!!面白ぇ!!皮はいで売ってやらぁ!!!」
「ピラぴ、彼女は傭兵のジェミニ」
「ジェミニ.R(ライリー).ホワイトだ。子育て中だから出国まで付き合ってやらぁ」
「よろしく…」
「さみいだろ。酒飲むか?」
「どうせアレだろ。ウォッカだろ...ストレートの」
「そうだがなんか不満か?特別にスピリタス(96度)もあっけど」
ジェミニはそういうと手に持っていたウォッカをポケットにしまい代わりにスピリタスを差し出した。大人黒は同時にルカトーニが言った急性アル中のことが脳裏によぎった。「少し、少しだけくれ。ひとくち...」
「ンな遠慮すんなよほら!飲め!」
「うごごごごごぼ」
(あっ、死ぬ)
「ジェミニ早く行こ。今回の相手ノロイなんだよ」
「まじか。そら厄介なモンに目ェつけられたな。おし犬ぞり乗れ。行くぞ!」
酔い潰れた大人黒を軽々と抱えて犬ぞりに乗せると、ジェミニは13頭の犬に道を任せた。大人黒は耐えられず吐いたが、ルカトーニがそれを撮影してアンナに送るといい返事を貰ったそうだ。

一方ほたるも雪の中を走り回っていた。ノロイに体を侵食され、並の防寒もせず会った動物は全て食い殺した。そして凍死してはリセットを繰り返し、四足歩行で走り回る獣と化していた。ただ復讐と飢餓を満たす為の化け物だった。

「腹減ってねーか?良いもんあるぜ」
「お”え”……な、なんだ…?」
「いいねオレも食お♡」
「んじゃそこで一旦止まるからな」
犬ぞりを引き道を止めると、ジェミニは近くの小屋に用意されていたスコップを大人黒とルカトーニに投げて「ここ掘れ」と指示をした。
「わんわん」
「わんわん♡」
2人が雪の中を掘ると途中ガッ、と何かが当たる音がした。よく見るとアザラシの顔があった。
「…?あざ…?」
それを見たジェミニは土の中からアザラシを引き上げ「これをこう」と腹の縫い目を割いていった。そこには発酵した大量の鳥が詰め込まれていた。キビヤックだ。
「こいつのケツから内臓啜って食え。面白ぇから」
アンモニア臭が酷いものの、ルカトーニが普通に啜るので大人黒もおそるおそる真似をして啜る。
「......んぐ、......ん、...悪くねぇ」
「ウォッカが合うから飲め。」
「ぼごごごごごご」
「おええええ」_ ̄○、;'.・ オェェェェェ
「ピラぴ死にそ♡♡」
「大丈夫かヒグマ」
 「...げぼっ、...だ、大丈夫、じゃ、ない、ッッ...」
「口直しにちょっと優しいやつ飲むか。ほれ、アルコール(除菌液)。60度だ。」
ラベルに「除菌液」と書かれたそれを見て大人黒はルカトーニにしがみついた。
「...る、るかぴ、ぼく、ころされりゅ、げほっ、」
「がんばれ♡」
「んじゃ行くぞ」
「ふぇぇ」(ふぇぇ)
3人は犬ぞりに乗り移動を続けた。悪路はないが犬が動かすので動きは安定したものでは無い。それが大人黒の酔いを増進させた。
「うぷ......」
「ルカはともかくあんたどこの出身だ?」
「……あま、…あまぞん……川から来た…」
「へー!川見てくか?今凍って入れねえけどな!ははははは!!!」
(元気だなこいつ…)
「へっくしゅ…さみぃ……」
「ほら酒だ。あったまるぞ。」
「これ以上吐いたら胃袋まで出ちまう…」
「がはははは!!!!!!大丈夫だ!!今まで酒飲んで死んでったやつに胃袋吐いたやつ見た事ねーからな!!!面白ぇなお前!!!」
街よりも格段に上の慣れない寒さに大人黒はルカトーニに身を寄せた。そうするとルカトーニは今まで手を突っ込んでいたポケットを漁りカイロを取り出した。
「はいピラぴカイロ」
「か、カイロ...!!...さんきゅ、るかぴすき、」
カイロをぎゅっと握りしめる大人黒に「オレもしゅき♡♡♡」とルカトーニは気さくに投げキッスをした。投げキッスは弾かれた。

途中途中城のような建造物と北部のマフィアの舎弟らしき人間に何人かあったが、ほとんどジェミニの顔パスで通れた。
「あいつすげぇな。」
「ジェミニって傭兵だけどここらのマッフィーに顔効くからね♡それにジェミニ怒らせたら怖いからみんなビビってんだよ♡ま、おかげさまでこのペースだと出国スムーズかも。」
「あー?まー裏切り者を永久凍土の上に裸で横にさせてその上から冷水をぶっかけたりしたな。皮膚がくっついて面白ぇんだわ。」
ただでさえ皮膚が痛むこの土地で人を裸にしてその上冷水をぶっかけるジェミニの狂気っぷりに流石の大人黒もドン引きを隠せなかった。ジェミニはそのまま話を続ける。
「基本来る者拒まず去るもの追わずだけどなぁ、裏切りってのはよくねぇよ。なぁ?
私の居たとこはロマシュカ村って言うんだけどな、殺人を行った人間は足の腱を切って両手を合わせた状態で手に杭を打って生きたまま棺に入れて埋める習慣がある。ロマシュカ村で殺人の次に重いのが盗み。片足の骨を折られる。強姦は両目に針を刺される。だからなんら奇妙な事じゃねぇんだわ。北部ではな。」
「へぇ……」
(人間怖…)
「ね♡やばいとこでしょ♡♡」
「ここらじゃまともにメシにありつけねぇからな。盗人は片足折って餓死させんだ。」
「...下手なことできねぇな。こんなとこじゃ」
「ハハッ、下手なことはいくらでもしていいさ。護ってやる。裏切りさえしなきゃな。」
「ひえ、縮み上がるぜ」
「だははははは!!!!!!まぁ酒すらまともに飲めねぇやつがこの北部で生きていけるわけもねぇ!!………………ま、そろそろ国境だ。この先は私のどうこうする所じゃねぇ。良かったな。」
よく見ると先に船が浮かんでいるのが見える。
「まぁ、ゲロ吐き散らかして悪かったよ。ありがとうな」
「心配すんなって。見慣れてるからな。じゃあな。」
ルカトーニと大人黒はそこで降りた。ルカトーニは「じゃーねジェミニ」とジェミニに金を渡し、ジェミニも「おう」と簡単に返事をして犬ぞりを引いて行った。
「これから船に乗るよんピラぴ」
「いよいよって感じだな」
「そうだね…………ピラぴ」
「んぁ?」
「寄り道してかね?」
ルカトーニの口が出た意外な言葉に大人黒は少し怪訝な表情を浮かべた。
「…いいけど、どこだよ。」
「んーどこにしよかなー…ピラぴ乾燥してっとこ好き?砂漠とか。」
「できれば湿気ってるとこがいいがな、生物的には。まぁ人型だし構わねぇよ。」
「おっ!いいね!オレさー、ムンミア王国ってあの双子ちゃんたちの地元行ったことなくてさー」
「行ってみるか?」
「うん♡どーせアマゾン一直進してもほたるに捕まるし、遊んで撹乱した方が得っしょ?」
「一理ある」
「なら行こうぜ」


船は途中のムンミア王国の海岸で止まり、2人はそこで降りた。北部のような寒冷地帯とは正反対の燦々と照りつける砂漠に、大人黒は違う苦痛を覚えた。なにせ北部の服装で着たものだから地元に近い気温だろうと暑くて死にそうなのだ。また、脱ごうにも砂漠の細かい砂が目に入るとかなり痛い。
「انا مجنون.」
「ふんふん。「イカれてる」だってさピラぴ。脱いだら?」
「...目...目に砂......」
大人黒が息も絶え絶えに言うと、ルカトーニはああと納得した顔で地元の人と何か話している。
「البرقع」
「ブルカつけろってさ。目元隠せるからたぶんいけるよん」
「いいなそれ」
ルカトーニは地元の人から直ぐにブルカを購入し、大人黒も着替える準備に入った。
「その前にヒグマピラぴ撮ってアンナに送っちゃお♡」
ルカトーニは流れるように撮影と送信をした。すると返信はすぐに届いた。
「あ!返信きたよピラぴ!ほら!」
『毛の生えた豚草』
ルカトーニが嬉々として大人黒にスマホの画面を見せる。
「...毛の生えた豚...ヒグマじゃボケェ!!!!!!」
「ピラぴ魚辞めたんだねおめでと♡」
「いや魚、魚」
「え〜〜ヒグマでいいのに」
そのようにわちゃわちゃと話をしながらアマゾンへ向かう前のキャンプ道具や服や食料を買い込んだ。
「ピラぴはアマゾンに帰ったらどうすんの?原住民とワイワイする?」
「や、魚に戻って川で暮らすわ。元の生活に戻るだけだな」
「やん、人になったのに勿体ないね。ケバブ食う?」
「食う」
大人黒にケバブを渡してルカトーニは話を続ける。
「んじゃオレはそれまでってことか。え〜ひとりさびし」
「そっか、ルカぴ1人にしちまうな。そしたらしばらくは人型のまま肉でも取って暮らすか」
「えピラぴやっさし〜♡♡らぶ♡♡」
「お前からのらぶは嬉しくねぇな」
「にひひ♡もうらぶ投げるやつオレしかいねーけどね♡♡」
「……メスピラニアとかいるし。」
「オレそこんとこわかんないんだけどさぁ、ピラニアも人みたいに優劣あるの?」
「美醜の差みたいなもんか?」
「そうそう。尾びれの形とか?」
「...尾びれが綺麗なメスはグッとくるよな。確かに」
「でも人間とは違ってゴムないし遊ぶにも遊べないんじゃね?あーあ。こんなことになる前にほたる引っ掛けときゃ良かったね」
「ほんとだよ、あーあ、ハニーに会いてぇな。また店で酒飲みてぇな。ま、ぼくが全部壊しちまったんだけど」
「そんなピラぴもしゅきぴ♡」
その時遠くで人の叫び声と銃声が聞こえた。
「……そろそろ行こっか」
「おう…」
2人が荷物を持ち始めた時、群衆の中から四足歩行のほたるが飛び出した。もう既にある程度蜂の巣にされているが、痛覚が無いので致命傷にならない限り彼女は動き続ける。
そしてほたるはルカトーニの右腕に噛みついた。
「っ」
「ルカぴ!」
「あは♡……愛は嬉しいけどオレはピラぴみてぇに、優しくねー、よッ♡♡」
ルカトーニは残された左手で銃を引き抜きほたるの眉間を撃った。流石のほたるも地面に倒れ込み、地元の人達が抑えていく。大人黒は様変わりしたほたるの姿を恐れつつルカトーニの骨の剥き出した右腕に食欲をそそられつつ心配の声をかけた。
「る、ルカぴ大丈夫か、お前...」
「あちゃあ……♡♡いってぇ♡っはぁ……♡♡コレ治っかな…あは♡ピラぴオレの血に惹かれても食っちゃダメだかんな♡ここだと普通に捕まっから♡♡にひひ…♡」
普段通りの表情と声色で誤魔化しながらも、ルカトーニの顔からは冷や汗が流れていた。ほたるがいつ復活するか分からないためルカトーニは買っておいた包帯を腕に巻き付け、その上から薄い布で包んだ。
「……逃げよピラぴ♡ピラぴの実家行こ♡」
「……お、おいルカぴ…ほんとに大丈夫かよ」
「あは♡ピラぴ心配してくれてんのやっさし♡♡投げキッスしたげゆ(*´³`*)ちゅ♡♡」
「……」
「ほら、船乗り遅れるよ。」
ルカトーニは大人黒の心配を他所にアマゾン行きへの船に乗り込んだ。ほたるの死体を見ると、地元の人達に回収されてどこかに連れてかれて行った。

搭乗してから数週間、船は揺れてアマゾンへと向かう。客室に入らず外の光景を眺めるルカトーニは、自分の状況を客観的に捉えていた。
(……あーあ…折るだけとかならまだしも抉られるのはキツイにゃあ…病院もこの先無いだろうし船も特段衛生がいい訳じゃない…こんな愛され方は初めてだ…あは♡そそる♡♡♡
……………………、)
ルカトーニは壁に背をもたれ、隣にいた大人黒に何事も無かったかのように話しかけた。
「……ピラぴぃ、腹減ってね?」
「減った。」
「……降りたらさぁ、オレのこと"愛して"よ。」
「...愛?...あぁ殴れってか?いいけど...」
「いいや…喰ってよ。…あ、右腕は喰うなよ?感染症になってて移るから。…今さ、じわじわジクジク傷んで右腕がダメになってる感覚がずっとあんの。生きてるって感じられる、ほたるに愛されてんのオレ、ずっと、あは♡……でもこのまま他を捨てられるよりはピラぴにそれ以外愛されたいじゃん♡もうこんなんじゃ帰れねぇし。」
大人黒が見るとルカトーニは幸せそうな顔で笑いながら遠くを見ていた。詳しくはないが街の方角だろう。
「............分かった。右腕以外な。......分かった......」
「なにピラぴ寂しいの?頭撫でたげる♡」
そう言ってルカトーニは左手で大人黒の頭を撫でる。もう右腕はぶらんと下がっていて動かせもしない。


やがて船が岸に着く。降りるのはたった2人。
「愛の逃避行も終点かぁ。どこの国とも違う独特な感じ……ここがピラぴの故郷かぁ来れてよかった♡」
左腕をめいいっぱい上げて背伸びをするルカトーニと、故郷についた喜びよりもこれから友人を食べる寂しさが強い大人黒が隣に立つ。
「……ほんとに喰われんのか。」
「うん。ピラニアって一匹だと寂しんぼになっちゃうんだっけ?あは♡オレいないとじゃん」
「だったら」
「だから食べてよ。オレも一人は寂しい。対処もロクに出来ないまま死んでいくより、オレは最後まで愛されてたい。……それに、ピラぴに安全なルートとサービス分の報酬払ってもらわないとにゃあ……ゲホッ」
「……」
ルカトーニは木にもたれかかりその場に座り込んだ。
「大好きだぜピラぴ♡」
「……お前からのらぶは嬉しくねぇよ」

右腕を握りながら大人黒は歩く。少し寂しくて涙が零れた。スマホのロック画面には牝狼の写真。ルカトーニの腕を巻いていた布を背に負いながら、これから彼は川に行く。



「……………ハニー、やっと見つけたよ。」
砂漠の中央、怪奇にもその身を奪われかけ手足が腐り落ちたほたるは捨てられていた。
「帰ろう」
そう言って大人ピがほたるを抱きしめる。そうするとほたるの乾いた唇が微かに動き、縋るような声で「死なせて」と呟いた。
「……死に場所はぼくが選んでもいいかな。
美しいわけじゃないし、君にとって見慣れた土地でもないし、文明なんてさらさら無い。」
「……私にぴったりだ…」
「…君の辛い思い出も何も無い場所だよ。ハニー」
そう言うと大人ピはほたるを抱き抱えて歩き始めた。
「……かすぴの生まれた場所だよ。」

「月と太陽」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く