ゴブリンロード

水鳥天

第130話 傍観

 マレイは矢倉の上から一人、星の大釜の底を眺めている。その視線の先には遠目にユウトとヴァル、そしてユウトから別れ、離れていくモリードとデイタスの二人が視界に写っていた。

 つい先ほどまでひしめいていた人々はその場から去り、マレイを残して誰もいなくなっている矢倉の見晴らし台に、一人の男が登ってくる。遠くを見つめるマレイの後姿に男は緊張の滲んだ声で語り掛けた。

「工房長、報告です。今、よろしいですか?」

 手すりに手を置きながらマレイはその姿勢を崩すことはない。

「少し待ってくれ。ユウトが光魔剣の使用訓練をしている。魔術具の使用に許可を出したんだなヨーレン」

 淡々とした口調でマレイは答えた。

「はい。腕の接着に問題はありませんでしたので。接合跡が少しだけ残りましたが骨、神経、血管もしっかりつながっています。それに加えて左腕の魔力の出力反応速度は若干、上がっているようです」

 そう言いながらヨーレンはマレイの後頭部越しに視線を追い、数歩前に出てから遠くのユウトを観察した。

 ヨーレンの瞳には瞬く光が写る。

「調子は良いようですね。刃発生の滅り張りが機敏になっているように感じます」
「あの光魔剣はわたしが手を加えたんだ。成れ果てただけの粗製と比べれば扱いやすくはなっているだろうさ」
「なるほど」

 ヨーレンはマレイの斜め後ろ姿を一度見て返事をする。見えないマレイの表情を見つめてヨーレンは演武を続けるユウトに視線を戻した。

「それで、報告は?」
「許可をもらっていた治癒帯の生産状況のご報告です。生産は順調です。現在は完成品を各隊の医療班に配布、使用方法の説明を行っています」
「そうか。どうやら間に合いそうだな。あとはどれほどの効果をみせるか、というところか」

 そう話すマレイの声色にはうっすらとからかいの色が混じる。

「自信はありますよ。ユウトのような致命的な重傷への対処は難しいですが・・・裂傷、打撲と骨のひびくらいまでなら迅速に対応できます」

 ヨーレンはムキになったように早口で答えると、一拍おいてさらに続けた。

「実戦で発揮される性能より不安があるのは中央がどういった反応を見せるか、ということですよ。特に治癒魔導の家系にいたってはどんなことをしてくるか・・・あまり考えたくありません。それほどのことを根回しもなしに一気にお披露目するのです。工房長は不安にならないのですか?」

 ヨーレンは語っている内容とはうらはらに落ち着きをとりもどしている。マレイはヨーレンの言葉を聞き、立ち位置をそのままに身体を捻ってヨーレンの方へ振り返った。

「ふふっ。何をいまさら。最初から覚悟はできていただろう。またとない実戦の機会、お披露目の舞台だ。ここでその有用性を訴えられたなら、魔導の連中のお気持ちなんて関係なく受け入れられるさ」

 ヨーレンの顔を強い瞳で見つめながらマレイは語る。マレイの強い視線をヨーレンは受け止め、気圧されることなく真剣な眼差しだけを返した。

「まぁ、それだけこの一戦はゴブリンの行く末を決定づけることに加えて、わたし達にとっても決して軽んじられない戦いということだ。それは騎士団にとってもだが・・・。
 ところでヨーレン、おまえは前線には出ないのか?」

 マレイは正面に向き直りながら言葉の最後にヨーレンに問う。ヨーレンはしばらく黙った。

「・・・わかりません。魔導を一度捨てた私に何ができるのか。どうしたいのか」

 それまでの会話からあきらかにその語気を弱め、ヨーレンは視線を落としながら独り言のようにつぶやく。

「そうか。無理強いはしないし、どちらでも構わない。白灰も何も言わないだろう。ただどちらにせよ、また後悔をしないようにな」

 遠くを見つめながらマレイは淡々と言葉を発した。

 ヨーレンは黙ったまま視線を上げてマレイの後姿を見る。その時、その視界の隅に空に昇って行く物体が写った。

 その異物にヨーレンの視線は吸い寄せられる。矢倉の屋根の陰に消える前にヨーレンは釣られるように身体を前のめりに倒して足を前に出した。食い入るように動いたヨーレンの身体は矢倉の手すりによって受け止められる。空高く昇っていった物体はヨーレンの視界から消えた。

「なんですか今のは!」

 手すりから身を乗り出して見失った物体を探しながらヨーレンは声を上げる。

「あれはヴァルだ。ユウトを乗せていた。後ろを見てみろ。跳んだ角度からして野営地の奥にユウトを送り届けるつもりなんだろう」

 興奮を隠せないヨーレンと違い、マレイは冷静に答えた。

 ヨーレンはマレイの言う通りに後ろを振り向き、いくつも設営されたテントの奥に速度を緩めながら落ちてくる物体を捉える。

「驚きました。ヴァルにあんな能力があったとは。ただの魔物ではないとは思っていましたが」

 ふうっとため息をつくようにヨーレンは緊張した身体から力を抜きながら感想を述べた。

「ヴァルは厳密には魔物ではないだろうな。おそらく崩壊塔が顕在だったころと同じ時代の生き残りといったところか。あの特異な形に似たものをいくつか見たことがある。それらはどれも機能を停止していた。実際に動いているの見たのはヴァルが初めてだったな」

 そう言ってマレイは歩きだすと矢倉の見晴らし台から降り始める。その途中、動きを止めヨーレンの方を見てマレイは声を掛けた。

「所詮どれだけ考えを巡らせようとも完璧な予測なんてできないんだ。時に好奇心のままに我がままに、動いてしまったっていいのさ。だからこうして今、そこにいるんだろう」

 マレイは言い終えるとヨーレンを待たずに姿を消す。残されたヨーレンは見晴らしのいい矢倉の上から一人、星の大釜の底をしばらく眺めていた。

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